19話:想定外と約束

「あっ、は、あ……っ!?」

「もう少しの辛抱ですわ。リル様」

「ふふ、これなら陛下もきっとお喜びになられますわね」

「ちっ、ちが、そう、ゆうのは、はうんっ! た、たのんで、ない……っんぁ!」

(――打ち身に影響が出ないエステを頼んだら、謎の性感マッサージになったんだけど! だーれーかー!)

 いつもと違う香油を使う時点で気付くべきだった。香油も里琉の体には効かないが、マッサージなどの血行促進系はダイレクトに効果が出る。

 このままではあられもない状態でイシュトの所に行く羽目になるのだが、困った事にあれは用意していない。

「んんうぅっ! も、もぅ、いい、からぁ……っ!」

 悲しいかな、イシュトと短期間でも性的な事をある程度したせいで、里琉の体にも変化が現れていた。

「ここまで感じやすい方も珍しいですわよね」

「ですが、珍しい事ですわ。リル様がこちらのエステを所望されるなんて」

「……も、申し訳ありません。リル様……。伝え方が少々、いえ、かなり間違ってしまったようで……。どうか、ご辛抱を……」

 最初に話した相手にこそりと謝られても、もう遅い。

(教訓。伝言ゲームをむやみに頼んではいけない)

 内心ぎりぎりしながら、里琉は長時間にも思えた施術を終えると、渡された夜伽用の夜着を着る。もう着られるなら何でもよかった。

 へろへろになりながらイシュトの寝室へ行くと、彼はいつも通り迎えて――扉を閉めてから里琉を抱き寄せ、低く問うて来た。


「……どういうつもりだ? リル」


「…………ちょ、追い討ち、かけないで……今、説明する、から」

 たどたどしく経緯を話すと、イシュトは納得したらしく、里琉を抱えて寝台に連れて行く。

「で、お前はどうしたい?」

 下ろされたシーツの上で、里琉は体中の火照りと疼きに思考をかき乱されながら、必死で考える。

(この状況でどうもこうも、頼むからもう襲ってくれとしか……あ、同意、していないの忘れてた。このままじゃ、イシュトが有罪になる……)

「うう……頭が、ぼうっとする……体が、あつい」

「徹底的にされたようだからな。また前みたいな事をするのが早いが」

「い、イシュトは、私なんか……別に、抱きたくないだろう、し」

「自慢の記憶力はどうした? お前の純潔は俺がもらう、と言ったはずだが」

「ひ、避妊……ありきの、話で、って、ええええ……!?」

 イシュトが手にする、複数個に連なるそれを見て、里琉は顔が別な意味で火照るのを感じた。

「何で、持ってるの!?」

「無理矢理受けた講習が終わった時にもらった。使うなら今だろうな」

「う、うぐぐぐ」

 どう足掻いても地獄だ。それに、彼は乗り気にしか見えない。

「避妊はするが、俺は同意がないとお前を抱けないぞ。同意の仕方は教えたはずだな?」

「あ、あう、ぅ……」

 確か、自らキスを彼にするんだったか。だが、それをしたが最後、抑えの利かない情欲に呑まれるのが分かり切っている。

 何より、イシュトはこの状況を何故か、楽しんでさえいるようだった。

「こ、後悔、するよ。きっと」

「すると思ったら、こいつは捨ててただろうな」

「……いいの?」

「あとは、お前次第だ」

 里琉を見る彼の目は優しい。泣きたくなるほどに。

(――馬鹿。本当に、後悔するんだから)

 震える指先で、彼の頬に手を伸ばし、触れる。

「怖いか?」

「あ、たりまえ、だろ。……失敗、とかさ」

「いや、それはない。……まあ、そもそも十割ではないからな。覚悟はしておけ」

 悔しい、と里琉は内心で呟く。

(過去を話して、黒い心も吐き出して、それでも何で、こんな……感情をぐちゃぐちゃにするような目で、私を見るの)

「イシュトのばか。ものずき」

「大分言われ慣れたな。ほら、早くしないと……触れてやれないぞ?」

「うー……っ、調子に、乗るなぁっ……! んむっ……!」

 涙目でイシュトにキスをする里琉は、だが次の瞬間、理性が飛んだ。

「あ、あぅ、ん、んんっ」

(駄目。欲しい。もっと、この人に――)

 自ら舌を絡めて、貪欲に求める「女」の姿。イシュトはきっと、他の女と同じなのだと落胆するのだろう。

「……っ、は、ぁ、……やだ、きらい。こんなの、私じゃ、ない……!」

 唇を離しても、腕がもう離れようとしない。もっと強かったら、と里琉は泣きそうな気持ちになる。

「ああ。いつものお前なら、絶対にやれないだろうな。……だが、もう遅い。これでやっと――お前を抱ける」

 しゅるしゅると夜着の紐が、次々解かれていく。

 耳元で蕩ける甘い声に、本気かどうか疑う余裕すらない。

「ずっと、お前を抱きたかった。絶対に、忘れられないようにしてやる」

「あ、ばか、痕、つけたら……っ」

 首筋の痛みに焦るが、イシュトは気にせず次々と増やしていく。

「俺のものだと、他人にも示してやらないとな」

「打撲、って、言ってやるぅ……っ!」

 後から思えば、こんなものは序の口だった。


 ――少なくとも、色んな意味で里琉にとっては忘れようのない夜を迎える羽目になったのである。


※ ※ ※


 こくん、こくん、と小さく喉が鳴る。

 口移しの水を飲む彼女の意識は、まだ遠い。

「……無理を、させたか?」

 元々痛みを和らげる為に頼んだはずの施術が、夜伽用にすり替わったのは、施術側の人間の意図だろう。とはいえ、彼女としては自分が悪いと思っているようだったが。

 しかし結果的に彼女を最後まで自分のものに出来た事実と、腕の中にいる安堵感。与えられる潤いを拒むことなく受け入れる姿は、まるで雛にも見えた。

「ん……っ、あ、れ? いしゅと……?」

「ああ、気が付いたか? 喉を痛めないよう、水を飲ませていたんだ」

「そ、っか……って、口移し……?」

「ああ。他になかったからな」

「……そうだね。全身が痛い……。ただでさえ痛かったのが、倍増しになった」

 恨み言のように呟く里琉は、頭をイシュトの胸に預けたまま、動かない。

「まだ飲むか?」

「ううん、もう、大丈夫。ありがと……」

 彼女の裸体は細く、同じくらいの背丈であるイシュトの胸に隠しきれてしまう。

「今、どのくらいの時間……?」

「お前が気絶してからは、そう経っていない。早朝訓練にも十分早すぎる程だ。もっとも、今朝の訓練は無し、だがな」

「そうしてくれると、助かる……。結局、何回やったの……?」

「もらった分は使い切ったぞ」

「え。いくつかあったよね? 途中から記憶が途切れ途切れなんだけど、それ全部使ったの?」

 箱に捨てたそれを示すと、里琉はそれを見て「うわあ」と若干引いた声をあげた。

「むしろよくそれまで意識がもったな、とは思うぞ。……今夜はこれ以上何もしないし、一度休んでから湯浴みだな」

「……ん、一緒に、寝よ?」

「当たり前だ」

 遠慮がちに甘えてくる彼女を引き寄せて、イシュトは横になると掛け布をきちんと被せる。

「服……いいの?」

「お前の温度が直に伝わるからな。嫌か?」

「……嫌じゃないけど、手違いで抱いたからって、恋人になったわけじゃないからね」

「俺はお前を好いているままだがな」

 彼女はやはり、人への好意を抱けないのかもしれない。

 だが、それでも体を許してくれるのはイシュトだけだと、そう思わせて欲しい。

「……だから、他の男には、触れてもらうな」

「馬鹿なの? ……こんなの、ガルジスさんにだって頼めないよ。好きとかは分からないけど、イシュトは……特別」

「…………っ、そ、うか」

 いずれその感覚が、愛となってくれればいい。彼女が元の世界への未練を完全に断ち切って、傍に居てくれる未来をイシュトは欲しいのだから。

 それはそれとして、嬉しい言葉でもある。

「また、朝に、ね……」

 すうっと眠りにつく彼女の頭を軽く撫でて、イシュトは額に小さく口づけた。

 微睡む彼の脳裏には、いつか見た両親の姿仲睦まじい姿。

 あんな風になりたいと、だがなれないと思っていた。

 彼女となら、どんな道を辿ってでも、なりたいと思う。


 ――翌朝の早朝訓練取りやめの報告を受けたガルジスは、色々と察したらしく、ほっと息を吐いていた。


「まあ、リルが決めた事なら、俺は構いませんよ。ただ、周知徹底はしときますね」

「……悪いな」

「メーディアも今、面倒見てくれてるようですし、後は……」

 話をしているところに、第三者の声が割り込んだ。


「やあイシュト! リルと関係を持ったって? おめでとう! それとありがとう!」


「礼を言うということは、またろくでもない事をするつもりか」

「あっははは。君達が正真正銘、関係を持った。その事実だけで十分さ。……さて、そろそろ本腰を入れようか? この国を完全に取り戻す為にもね」

 アルカセル王子は、既に手を打っているようだ。あのダリド王子とやらと結託していたので、そういう所は頼りになるが、正直何をやろうとしているのか分からないのが怖い。

 そしてそれを見透かすように、彼は続けた。

「イシュト、君の最大の弱点は、無知を無知のままにしておいてる事だ。リルはそれを補ってくれる、重要な相手だよ。彼女に頼んで、リカラズの知識をもっと吸収した方がいい。君はあまりにも自国しか……いや、自分の周りしか見えていないからね」

「……リカラズの、か。お前が言うなら、相応の理由は存在するだろうが、お前はともかく、俺は何故、深く知る必要があるんだ?」

「君の国を脅かす敵国の事を、何も知らずにいようと思うなんて、甘すぎて吐き気がするよ? ……事情は知らないけど、リルが色んな知識を持ってる事は分かってる。むしろ彼女はその為にここに『呼ばれた』かもしれない」

「……ああ、リルも自分で言ってましたね。その為にこの国に来たのかもしれない、と」

「……そう、か」

 彼女にとって、無知とはどういう概念なのだろう。

 そしてそれをそのままにしておくイシュトを、彼女は恐らく好きになるまい。

「好きな相手の為に頑張る所、見せてあげなよ。彼女だって一人の女性なんだからさ」

 こうして、彼の口車に乗ったイシュトは、里琉に夜伽ではなく、リカラズ含めた技術的な話を夜にするようになったのである。

 それが後に役立つ事になろうとは知らずに。


※ ※ ※


 アリスィアの生まれた村は、悪意に満ちていた。

 売る為の子供を作らせ、ある年齢で売り飛ばし、その金で生きてきた。

 そしてアリスィアは、売られる為に産まされた子供だった。

『村の為なんだ』

 父は慣れたように言い放ち、母は背を向けてこちらを見なかった。

 昼間から堂々と荷物に紛れるように積まれ、鳥車に揺られながら、アリスィアの幼い心は次第に、黒い感情に支配されていった。


『なんで、どうして、あたしが、こんな』


 麻袋に他の金品と一緒に詰め込まれたアリスィアの手に、その時、何かが触れた。暗いその中でも、その石は光っているように見えて、アリスィアはそれを掴む。

『きれい……』

 どす黒くなった自分の心にその光は、希望のように見えた。ぎゅっと握って、呟く。


『どうか、どうか、あたしを――たすけて』


 気付けば、そんな願いを口にしていた。叶うはずのない願いだと分かっていても、何かに縋りたい気持ちはある。

 誰でもいい、何だっていい。自由になれるなら。

 そんなアリスィアに呼応するように石は光り、外では騒がしい声が上がった。

『お前達、止まりなさい!!』

 女性の声。強くて、力のあるその声に、アリスィアも驚いた。

『な、な、なんでしょうかねえ。これから俺達は、ここを抜けて、テアに……』

『おかしなこと。何故オアシスを経由しないの? それからその荷物。さっきおかしな光が見えたわ。怪しい物をこの国に通すわけにはいかないの。見せなさい』

『ひ、光ってないですよ! そんな馬鹿な!』

『そそ、そうです! それにこの荷物は、到着するまで開けるなとのご命令で……』

 レダでの人身売買は重罪だと、その後に知った。彼らが必死で隠そうとしていたのはアリスィアの存在で、だからこそアリスィアは、チャンスとばかりに声を張り上げた。


『たすけて! たすけてーっ!!』


 手足を縛られていたアリスィアは外に出られない。だが、幸いにも口だけは自由だったのだ。

 そしてアリスィアは、見事に助けられた。高貴そうな女性の付き人らしき者達が、買った商人たちを縛り上げていく中、高貴そうな女性はアリスィアの傍で冷たく言い放った。

『その男達をレダに突き返して。お姉様が後は何とかするでしょう。……ああ、あなた、可哀想に。さぞ恐ろしい思いをしたでしょう?』

 深く濃い緑の髪と瞳は、暗さを感じさせながらも優しくて。

 アリスィアは不安になりながらも、口を開いた。

『たすけてくれて、ありがとうございます……』

『まあ、先にお礼を言えるなんて、いい子ね! 行く所が無いのなら、あたしのところへおいでなさい』

『ほんとう? あたし……もう、うられたりしないんですか』

『ええ、もちろんよ。可哀想な子。お前の名前は?』

『アリスィア……です』

『そう。あたしはリコス。このノアの次期女王なの。よろしくね、アリスィア。さあ、行きましょう。まずは温泉で傷を癒して、それから美味しいご飯を食べましょう? 綺麗な服も用意してあげるわ』

 嬉しそうにはしゃいだ様子を見せるリコスは、白く細い手を差し伸べてアリスィアを立たせた。

 夢じゃないだろうか、と思いながらもふらふらとリコスについて行くアリスィアを待っていたのは――白く輝く宮殿と豪華な内装、温かな湯に、そして見たこともない美味しい食事と、本当に綺麗な服で。

『きっと、このいしがたすけてくれた。このいしを、リコスさまにさしあげよう』

 自分を救ってくれたリコスに返せる物は、今はこれしかないから、と、アリスィアはリコスにそれを渡した。

『まあ、お前、これは……!』

 リコスは驚き、だがぎゅっとそれを手の中に閉じ込めてしまう。どこか辛そうなそれに、アリスィアは不安になって言った。

『い、いらない、ですか……? ごめんなさい、それしか、もっていないんです……。おれいが、したくて』

『いいえ。……ありがとう、アリスィア。でもこれは、あたしとお前、二人だけの秘密よ。この石があたし達を引き合わせてくれた。だから、これはあたしの宝物であり、お前の宝物になるのよ、アリスィア』

 そう言って優しく頭を撫でてくれた王女は、それから厳しく優しく、アリスィアを自ら教育した。女王付きになるのだから、相応の教養が必要だと言って。

 アリスィアももちろん、手抜きなどしなかった。教わった事を全て、栄養のように吸収していった。気付けば誰もが認める程、所作も言動も完璧だと言われるようになっていた。

 王女はそんなアリスィアを誇らしげに傍に置いては、口癖のように周囲に見せびらかした。

『素敵な子でしょう? あたしの自慢なのよ』

 アリスィアもそんな王女の為に、献身を見せ付けた。

『全て、リコス様のお陰にございます。このアリスィア、リコス様の為でしたら、どこまでもご一緒致します』

 ――だが、王女には一つ、大きな悩みがあった。それは、レダの国の王子を婿に入れなければいけない事、そしてその男との子を産まなければいけない事だった

 男ははしたない獣だと唾棄するように言うリコスの言葉を、アリスィアも否定はしなかった。自分を売り飛ばした父も、買った商人の男達も、まさしく欲望に忠実な獣だったのだから。

 何とか出来ないだろうか。何か、方法がないだろうか。アリスィアは必死で考え、そして――思い付いた。

『リコス様。あたしがレダの王子を、リコス様から引き離しましょう。あたしを、レダの王宮へ送り込んで下さい』

『それは……けれど、お前をあのレダに送るなんて……!』

『いいんです。リコス様の為ならば、何だってやれます。王子の暗殺だって……!』

『……駄目よ、アリスィア。お前だけにそんな罪は背負わせられないわ。お姉様は勘が良いから、すぐ気付かれてしまう。そんな事で、長年一緒に居たお前を失わせられないもの。……だから、一緒にやりましょう』

 最悪、刺し違えてでも、とアリスィアは考えていた。だが、リコスはそう言って、アリスィアの手を取る。


『お前はいつも言っているでしょう? どこまでもあたしと一緒だと。あたしも、お前とならどこまでも行けるわ』


 優しく力強い言葉に、アリスィアは頷いた。一緒に、地の底へまでも。

 ――そうして、二人でレダを潰す計画が始まった。

 リコスが陽動し、アリスィアが暗躍する。

 少しずつ王族の力を分散し、削いでいく。五年前は多少の手違いがあったが、結果としてリコスとレダ王子との婚約は破棄になった。そのままリコスは女王の座からも逃れ、自由を得て――リカラズに単身向かったのだ。

 その時にリコスはアリスィアにレダ内部をかく乱する事を命じ、リカラズから一度だけ使者が来た時、上手く王妃の座に就けた事を知ったのだ。

 後は一度リカラズへ向かってディアテラスの手術を受け、レダを潰す片手間に、レダへ逃げ込んだらしい研究員を炙り出す計画を練った。

 ディアテラスになった事で、一つの計画がやりやすくなり、次いで更に計画は進んでいった。

 一年前に国王夫妻を暗殺したのも、これ以上の面倒を増やさない為だった。それなりに長く王族を観察していたら分かる。――危うく、新しい子供が生まれるところだったのだ。

 これ幸いとばかりに最も邪魔な国王夫妻を始末した後、王になった王子が自分の正体を暴きにかかったのは、想定外だった。だが、ディアテラスだったおかげで事態は悪化、自分は雲隠れし、心酔していた女官の一人をディアテラスにして自分の代役とし、王女の薬漬けを進行させた。

 その間に自分は管理局で量産指示をしながら、手駒を増やす為に、生まれた村へ向かった。

 生け捕りは簡単だった。男も女も子供も全て、実験台として荷物に載せたところで――アリスィアは一人だけ、それを免れた人物と出会った。


『お前……まさか……アリスィア、か?』


 怯えたような顔と声。年は取っても、未だ覚えのある顔。

 忘れるわけがない。忘れるものか。

『ふふ……あは、あっははは! そう、運がいいのは、父親があんただったからなのね!』

 歓喜の声を上げながら、アリスィアは持っていた武器を男の心臓に突き立てた。

 父だった男は、即死した。実験台にする価値もない、とアリスィアは死体を家の床に転がし、村を後にした。次の朝には、全てが灰になっているだろうことを確信して。


 ――それなのに。


「冗談じゃないわよっっ!!」

 だんっ、とアリスィアは金属で作られたテーブルを殴った。痛覚のない体では、衝撃もあまり感じない。そしてこの体が本気を出すと大抵のものはすぐ破壊してしまう為、特殊な金属で作られたものが家具の基本になっていた。

 管理局最上階に作った自室は、見晴らしがいい。元は外の監視用だったからだろう。

 とはいえ、閉鎖してからは旅人さえ来ない。この間来たようだが、すぐ過ぎて行ったようだ。

 しかし、そんな事より予定外の事が増え過ぎている。

「盗賊からの脱走者、オアシス近隣の奴らの避難、挙句の果てに……っ、王妃ですって!? あの男を選ぶなんて、どうかしているんじゃないの!?」

 リカラズの王子が直々に寄越した情報は、どれもこれも、ろくでもないものばかりだ。

「その女も、お前にだけは言われたくねえだろうなぁ」

 入ってくるなり、にやにやと笑って言うのはゴラーブという男だ。ディアテラスの成功例第一番であり、その実験の研究者だった女の養父。

 ――だが、この男もやはり獣だ。近くに居るだけで吐き気がする。

「破壊されたいの、お前? 報告だけしなさい」

「おいおい、止めてくれよ。八つ当たりじゃねえか。盗賊の方にも情報はくれてやったぜ」

 ゴラーブもアリスィアが本当に自分を壊せるとは思っていない。そんな事をしたら、女王の怒りに触れるからだ。

 当然それは、王妃の管理責任を問われる事態にもなりかねない。非常に残念だが、今は諦めるしかなかった。

「そんな事より、じきに国の奴らが攻めてくるんだろうが。何か対策はねえのかよ」

「対策? 要らないわ。あたし達は化け物と呼ばれる側よ。この国の技術で、リカラズの技術には勝てない。あの王子だってそう言ってたじゃないの」

「そうかぁ? ルピスが居るなら、少しは対策も打ってくると思うがねぇ」

「はっ、研究者一人来たところで何が出来るってのよ。機械も無しに。だから今まで量産出来てたんじゃないの。迎え撃つだけで十分だわ。盗賊の奴らも来させなさい」

「あっちはあっちで攻め込まれるから、人手は割けないとよ。盗賊のくせに、そういう時は慎重になりやがって」

「ちいっ……!」

 また机を叩く。空しい音だけが響く室内で、アリスィアはヒステリックに叫んだ。


「国の奴らが、まともな策なんか持ってるわけないわ。来たら全員、部下共の餌にしてやるんだから!!」


 そして自分はそれを見下ろすのだ。この高い場所から。

「そうよ、あたし達の方が強いの。あたしとリコス様の絆は、こんな国一つ潰せるくらい、強いんだから。……負けやしないわ、絶対に」

 はあ、とゴラーブがため息を吐く。付き合ってられるか、という態度に、アリスィアは睨みつけながら命じた。

「とっとと他の局員に周知しなさい! この大事な時にろくに動けないようなら、失敗作として餌にするわよ!」

「……へいへい。ったく、女ってのは感情が先になってうるせえもんだ」

「欲望を優先する獣のあんたが、それを言うの?」

「俺のは欲望じゃねえ。愛だ」

「…………しばらくここに来ないで。心底気持ち悪いから」

 何が愛なものか。歪な感情で少女一人を蹂躙した側のくせに。

 あの研究員がどうなろうと知った事ではないが、一抹の同情はする。

 静かになった室内で、アリスィアは心臓の辺りを押さえる。傷はとうに消え、屍と同様のまま、動かない心臓。

 それでも、あの男に貫かれた衝撃は、未だに消えない痛みのように残り続けていた。

「許さない……。リコス様の御心を踏みにじり続けた、あの男を……!」

 孤独になる苦痛を思い知れ。誰からも信じられない、誰も信じられない恐怖を抱け。――それが、あの男がリコスに与えてきたものなのだから。

 その為にアリスィアは、死線さえも乗り越えて見せた。あの男には決して越えられない一線を。

 だから、きっと上手くいく。そうでなければいけない。


 ――全ては、彼女と共に進む未来の為に。


※ ※ ※


 作戦もかなり大詰めになった頃、作戦会議に集まったのは、王を始めとした重要人物ばかりだった。

「では、当日は隊を二つに分け、片方は盗賊のアジト、もう片方はオアシス管理局ですね。メインは後者ですので、こちらに第一隊を派遣。指揮を取るのはファクール隊長となります。代わりに盗賊のアジトですが、ガルジス団長とパソーテ大臣が指揮を個々に取り、ガルジス団長には民間の有志を率いてもらいます。……驚いた事に、オアシス近隣の子供達がその中に居るとか」

 宰相の言葉に、ガルジスが頷く。

「ああ。三年前に浚われ、今はこの王宮で保護されているあの夫婦の件で、子供達だけが自衛を覚えてきた。それを証明したのが、この間の視察だそうだ。ですよね、陛下?」

 確認され、イシュトは頷いた。

「ああ。その中でも一人、とりわけ期待が出来るのが居る。ガルジス、当日のぶっつけ本番だが、いけるか?」

「子供の扱いは慣れてませんが、戦士としてなら対等に扱いますよ。その期待出来る子供とやら、楽しみです」

(サルジュの事かな、多分)

 里琉は心でそっと思ったが、黙って会議に加わっている。

「それから陛下、リルはオアシス管理局ですね。フィリアも行くとの事ですが、ダリド王子。あなたは?」

「私かい? 内側で色々と仕掛けてきたとも。作動するのは――貴殿らが突入した瞬間だ。ああ、今後も使うとのことなので、修復可能なレベルにしておいたとも。しかし、ルゴス大臣とやらも面白い発想をするものだ」

 その当人は絶賛、改造後の管理局の運営の為に別の会議中である。何しろ人員全てディアテラスにされてしまっているので、総入れ替えが必要になってしまったのだ。

 それも含めて、ルゴス大臣は新たな間取りを書き起こし、必要な人材と配置を決めているという。

「先ほど仰っていた夫婦ですが、夫であるガリーデという者も、アジト側の制圧に参加するとの事です。内部に詳しいおかげで、こちらも十分な策を練る事が出来ました」

「コトラさんも、現在は落ち着いています。不安を極力少なくする為に、ライラの話し相手となってもらっていました。今後の事を考えると、妊娠初期の情報はライラにも必要ですから」

「そうだね。今はともかく、そう遠くない未来、彼女の事だからきちんと活用してくれると思うよ」

 婚約者のアルカセルも同意しての事なので、嫁いだ後の心配はほぼ無用だろう。

「話は戻りますが、管理局は裏と表の出入り口があるとの事ですね。陛下は正面突破、リルはフィリア達と裏口から細工突破で、途中合流の予定です。リル、くれぐれも無茶をしないように」

「……はーい」

「それから、エレホスの弾丸は?」

「充電はばっちりだと思います。このケースにある蓄電ゲージとしては十分のようなので」

「こっちもかなりいい感じだけど、ライラ姫に影響が出てるから、なるべく近くには置かないようにしてるよ」

「影響?」

 エレホスの影響といったらジャミング系の干渉だが、アルカセルは里琉の疑問に肩をすくめてみせる。

「ライラ姫、元々持ってる電気量とかいうのが少ないんだってさ。だからなのか、強めの電力を持つエレホスが近くにあると、具合を悪くしやすいみたいでね」

「なるほど。じゃあ後はこちらで預かります」

「こちらも準備は万端だ。制圧銃用の弾丸エレホスも、予備を持ってきている。ただし無駄撃ちの無いように頼むよ」

 ダリド王子が、ごそっと袋から出したエレホス入れとやらは、中で仕切られ、それぞれ蓄電してあるらしい。

「リル殿も、銃の扱いはどうかな?」

「はい。フィリアさんの指導のもと、研究所で練習させてもらってました」

 一朝一夕で出来るものではないからこそ、時間を有効に使わなければならない。

 里琉は自由といえばそうなので、暇をみて研究所に通っていた。

 おかげである程度の照準はぴたっと定められるようになっている。

「後は熱線銃だけど、無力化したディアテラスから奪った後、指揮官へと渡す手筈になっているだろうか?」

「ああ。危険な代物だからな。むやみに打たれて爆発でも起きたら困る」

 熱線のせいで壁などに埋め込まれた線がやられたら、電気系統がショートしかねない。そうなると色々困るのだ。

「ディアテラスを無力化した後だが、暴走の危険性も示唆されている。その場合、頭、もっと言うなら脳を破壊したまえ。それで全て事足りる。だが出来れば、生け捕りを願いたいね」

「情報を吐いてもらわないと困るからな。それに、その方法以外で死なないなら、使い道はあるんだろう?」

「……思い付きではあるけど、半永久強制労働の刑、っていうのはどうかなって。イーマ大臣にも掛け合って、仮ではあるけれど採用されてるよ」

「ふむ、おおむね情報通り、といったところですね。何かありますか?」

 周りを見渡し、特にない、と判断した宰相は、会議を閉めた。

 その後、執務室で里琉はイシュトに言う。

「勝算はあるのかな」

「ある。ただ、あの女がどう動くか。……俺達の関係と、未来の王妃という単語にどれだけ揺れるか、で大分変わるだろうな」

「……いいの? 打つ手なしなら、私が本当に妃になるのに」

「いい加減、気持ちに区切りを付けてくれ。俺がいいと言っているんだ。いいに決まってる」

「……そう。やっぱりイシュトは、物好きだ」

 元婚約者とやらが仕掛けた罠。それを利用し、国を傾けた忠臣。そこにあるのは、根底からのレダへの否定と拒絶と嫌悪。

 里琉には分からない。そこまでして、他人を蹴落としたいとは思わないから、だろうか、

「ねえイシュト。約束しようか」

「約束?」

 怪訝な彼に、里琉は少し苦い気持ちを抱きながら言う。


「――この制圧が無事に終わって、この国が動き出せるってなったら。……答えを出すよ。私なりの答えを」


 一瞬瞠目した彼は、だがすぐにふっと柔らかい顔をして言った。

「そうか。……今のうちに、いい返事を期待してるぞ」

「気が早い! ……だから勝とうね、絶対」

「ああ。もちろんだ」


 ぎゅっと彼の頭を、里琉はハグする。座っている彼の仕事の邪魔をする気はないので、すぐ離れるが。


「それじゃあ、私、フィリアさんの所に行ってくるね。最終調整もちゃんとしないと」

「……気を付けて行け」

「うん」

 そうして、里琉はもう少しの間だけ、複雑で曖昧な感情を抱えて過ごす事となる。

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