18話:真実の強さ

 女性騎士、という存在は多少知られているが、その実力を知る者は少ない。というのも、彼女が練習している場面に遭遇する人間がほぼ居ないのである。

 しかも、まだ二ヶ月程度しか訓練を受けていないのにも関わらず、討伐隊の選抜試験に投入するという暴挙に、戸惑う騎士団員も多く。

 だがそれは、すぐに脅威にとって代わったのである。


「そこまで! 勝者、リル!」


 審判の宣言の後に起こるのは、どよめきとざわめきと、そして感嘆と――侮蔑。

「女のくせに……」

「これで何人目だ?」

「五人じゃないか……? 何者だよ、あの女」

「化け物みたいな動きしやがって……可愛げのねえ」

 ガルジスは囁かれる部下の言葉に、わずかに顔をしかめた。

 何しろ、自分と王の二人がかりで即戦力レベルに仕上げたのだ。これで弱いままだったら、自分達の教え方が悪かったとしか思えなくなる。

 だが、実際はその逆で、むしろこの二ヶ月程度でこんなに成長するとは思ってもみなかった。

 それはパソーテ大臣も同様らしい。

「……元来の素質か、それとも貴公らの教育の成果と取るべきか……」

「両方、ですね。彼女の動きはまだまだ素人ですが、判断力と行動力、そして洞察力に優れている為か、陛下ですら時折、不意を突かれていますよ」

「何と。……であれば、前王妃殿が求めた女性騎士そのものを、リル殿が体現している、と思って良いのだな」

「……結果的には、そうなるでしょう。問題は……他の奴らですね」

 向けられる眼差しは、主に嫉妬。彼女はそれを意に介していないように見えるが、元々他人の視線に怯える傾向がある。今も、それを必死で押し隠しているのかもしれない。

 この国の男達は、大半が女性より強い事を良しとしている。だが、それは逆に「女は弱く在るべき」と公言しているようなものだ。

 前王妃はそれを嫌がり、当然のように剣を扱って見せた。だがあれは、前国王の人望と、前王妃が他国の王女だった立場だからこそ、認められたような一面もある。

 だからこそ、同じように剣を扱い、そして強い彼女を認めたがらない人間は多いだろう。

 現に、これだけ勝利している彼女を見る騎士団員の目は、不愉快そのものだ。

「……味方どころか、これでは敵が増えるだけですね」

「矜持ばかりでは何も守れぬが……こればかりは、どうしようもないであろうな」

「あいつが陛下の元に通ってる事を知らない奴らも多いですし、この先が少々、不安かと」

 女官達はともかく、兵士や騎士団員は一部の人間しか彼女と王の関係性を知らない。

 王が選ぶ女性になど興味はないだろうし、ましてや彼女が他人と関わりをあまり持たない為、浸透していないのだ。

「どうします? このままですと、消耗戦になるかと」

「いくら強くなれたとはいえ、あまり無茶をさせるわけにもいかぬな。……それに、そろそろ騎士団のメンツも保たせてやらねばなるまい」

「……あー、あいつですね。分かりました」

 思い当たる人物は、面白そうに里琉の試合を見ているようだった。そうだろうとも、彼は強い女性が好みという、他の男とは真逆の考え方の持ち主だ。

「ファクール! どうだ、相手をしないか?」

「団長! いいのですか!?」

 声を掛けた途端、待ってましたとばかりに反応するファクールにガルジスは頷いてやる。

「これは制圧隊の選抜だ。第一隊長とどこまで張り合えるかも、判断基準になるだろうからな」

「……えー……こっちは休憩なしで五人抜き終わったのにー……」

 会話が丸聞こえなせいで、里琉は大いに不満そうだ。

「こいつとの勝負が終わったら、自由時間にしていいぞ。これだけ実力を見せれば十分だからな。勝とうが負けようが、お前は参加決定だ」

「…………分かりました」

 里琉は何かを感じ取ったようで、素直に承諾を口にする。

 ファクールは里琉と対峙して、一礼すると言った。

「よし、リル殿と言ったな! 俺はファクール。第一隊長を務めている。この勝負に俺が勝ったら、君を嫁に娶る事にしよう!」

「え、無理ですけど」

 嬉々として告げられた求婚に、里琉は秒で即答した。事情を知るガルジスとパソーテ大臣は笑いを堪えて口元を押さえるしかない

 そもそも彼女は王妃候補である。内々で決めているのと、二人が関係を持たない為に公になっていないだけで。

 が、そんな事実を知らない男にとっては、里琉のような女性は適齢期で口説き落としやすい相手、なのだろう。

「実力が全てだ。嫌なら俺に勝ってもらわねばならんぞ!」

「……じゃあ、勝てるよう頑張りますね」

「――始め!」

 審判の宣言と共に、両者が同時に剣を振るった。

 ぎんっ、という音が響いて、力が拮抗する。

 里琉が先に受け流し、その刃で彼の刃を強く弾くと、彼もその反動で動き、里琉の剣を上から叩き落とすように振り下ろした。

 だがそれは避けられ、そのついでとばかりに横に振るわれた里琉の剣が、ファクールの眼前をすれすれでよぎる。

「おおっと!?」

「……もしかして、手加減してます?」

「小手調べ、と言ってもらおうか。それに、他の奴らよりも、俺は力があると自負しているからな」

「そうですか。馬鹿にしてるんですね」

 あちゃー、とガルジスは額を覆った。ファクールとしては先に疲労している彼女を慮ったのだろうが、それは今の彼女にとって侮辱でしかない。

 何しろ、あの王の剣は容赦がない為、彼女が疲弊しようが何だろうが、確実に勝ちを狙う。それに慣れてしまった彼女が、手加減など求めようはずもないのだ。

「……全く、あのカラム大臣の息子なだけはある。女性に対してある程度の気遣いを持つのはいいのだが、タイミングが悪すぎるな」

 パソーテ大臣も苦い顔だ。里琉の基礎を鍛えたのは彼であり、彼もまた、女性だからといって甘くはしていない。

 そして里琉は、そのまま攻撃を連続で与える。

「何という頑健さか! ますます嫁に欲しい!」

「お断り、ですっ! 他を、当たって、ください!」

「君のような強い女性こそ、俺の理想だ!」

「私の理想は、あなたじゃないので!」

 激しい剣戟の最中に交わす会話は、当然だが他の者にも聞こえている。誰もがファクールの勝利を信じて疑わない。

 だが、里琉が簡単に負ける気など無いと、ガルジスも分かっていた。

「しかし、いい剣筋だ! そして迷いが無い!」

「それはどう、もっ!」

 同じく迷いの無い剣を繰り出すファクールの攻撃を、里琉は何とか躱して距離を取る。

「隊長ー! 遊んでないで、早く倒してくださーい!」

「そいつ疲れてるんで、チャンスですよー!」

 野次が飛んできて、里琉の空気が一変する。

「……どいつもこいつも、馬鹿にしやがって」

「! おい、リル! 無茶すんな!」

「うおっ!?」

 ギリギリまで踏み込み、ファクールに剣を振るう里琉の目は怒りに染まっていた。

 前から思ってはいたのだが、彼女は普段、絶対に表に出さない狂暴性がある。パソーテ大臣も気付いてはいたようで、だからこそ剣は武器であり、凶器でもあると何度も説いていた。

 イシュトに至っては殺し合いに近い剣を教えていたからか、気付いたところで忠告するつもりはなかっただろう。

「まだやれるか! 面白い!」

「うるさいっ! 負けたく、ないだけだっ……!」

 これは駄目だ、とさすがにガルジスも思った。気持ちは分かるが、ハンデがあり過ぎた。

 ――どのみち里琉は、負ける。

「案ずるな! 負けても、俺は君の強さを認めよう!」

 ファクールが里琉の隙を狙い、剣を振るう。

「っ!!」

 恐らくそれは、誰が見ても避けられない一手。だが、里琉はそれを――後方に跳んで避けた。

 しかしそこは場外。つまり――負け、である。

「そこまで! 勝者、ファクール!」

 やった、と騎士団員が歓声を上げた。しかし当人は、全く嬉しくなさそうに一礼した後、里琉に問いかけた。

「何故、避けたんだ? 分かっていたはずだ、避けたら負けると。……最後の最後に、何故あのような行動を?」

 剣を収めて礼をした里琉は、冷淡に答える。


「分かっていても、あなたの剣は受け入れたくなかった。それが私の答えです」


「…………」

 絶句する彼をそのままに、里琉はその場を離れてこちらへ来た。

「すいません、やっぱり勝てなかったです」

「いや、よくやった。……後は休め」

「報告はこちらからしておこう。怪我があるようなら、医療室へ」

「問題ありません。では失礼します」

 一礼して、里琉は立ち去った。大分疲れていたようだが、大丈夫だろうか。

 見た限り大きな怪我はしていない。だが、あのファクールが簡単に諦めるかと言われたら、さすがに無理がある。

 そしてなおかつ、勝負には確かに彼女は負けたが、矜持は捨てなかった。その理由を、ファクールは知らないままなのだ。

 だからなのか、気付けばファクールも、その場から姿を消していた。


※ ※ ※


 王宮は広い。だからこそ、ずっと仕事をしていられる。

 テファにとって、この王宮だけが居場所だ。

 五年前も一年前も、自分は何の役にも立たないどころか、犠牲さえ出してしまった。

 父にも見放され、勘当され、この命ですら贖いにならないと言われ、こうしてずっと、下級女官として王宮中を掃除している。

 おかげで一部のエリアには詳しくなってしまったし、隠れ部屋に付けられるもので誰が居るかも分かるようになっていた。当然、王のも、である。

 だが、テファは口をつぐんだ。王を二度も哀しませた自分が、三度目などあってはならないと。知らない振りを決め込んで、ただただ、自分の職務だけを全うしていく。

 そんな矢先、不慮の事故が起きた。――彼女との、邂逅である。

 髪の短い女性は、テファを知らず、責めず、慌ただしく去って行った。あれから何度も、王宮内を駆けまわる姿を見ている。

 だが、噂もあった。王の女だという噂が。

 それならば、自分が関わってはいけない。関わればまた、王を哀しませる結果になるかもしれない。そう思い、身を隠してしまうようになった。

 風期になって掃除の仕様も変化した為、今はカルフが残す綿を集めて回っている。

 その途中――廊下の隅。よくカルフが寄り集まってしまう区画があるが、そこにまた、山が出来ていた。

「誰も埋まっていないと良いのですが……」

 カルフはどうやら、何かに引き寄せられているようで、一部の人間が埋もれる事がある。王がその筆頭で、テファは何度か遭遇していたが、すぐに他の者に任せて自分は逃げるように去っていた。

 こういう区画には、この時期だけ大きめの扇を置いてあり、それで扇ぐとカルフは分散する。なので今回も、と思って手に取った時、それを制止された。

「ごめん! ちょっとそれ待った!」

「!?」

 驚いたテファの隣に来たのは、あの女性。

 彼女はポーチから何か四角いものを取り出し、カルフの山に近付ける。


 ――途端にそれは、ぼうっと淡く光り、一瞬で元に戻った。


「よし、蓄電完了!」

 しかもそのせいなのか、カルフはあおぐまでもなくその山を崩し、ころころと転がっていく。幸い、誰も埋まっていなかったようだ。

「……い、今のは……?」

「あっ、驚かせてごめんなさい。今、蓄電池に電気を溜めてて……あっ!」

 女性はテファを見て、目を丸くする。覚えていたらしい。

「あなた、いつだったかぶつかってしまった人だよね? あの時はごめんなさい。怪我はなかった?」

「……は、はい。もちろん、大丈夫です」

 どうしよう、今すぐ逃げたい。しかし逃げたら怒らせてしまうかもしれないと思うと、テファは動けなかった。

「良かった。あの時は掃除を任せてしまって、申し訳ないなって思ってたんだ。そうだ、実はあれのおかげで、黒地石の分離が可能になったんだよ! あんなかさばる石板が薄い板になったのは、水を通したからなんだって! だから、あなたにもお礼が言いたかったんだ!」

「えっ……えっ、あの……?」

 前よりも随分と喋る人だな、とテファは困惑する。しかも、あの不手際でお礼を言おうなど、普通は思わないのに。

「あ、いきなりごめんね。そうだ、名乗ってなかったね。私は里琉。あなたは?」

「て、テファ、と申します……」

「テファちゃん、でいい?」

「よ、呼び捨てで構いません! テファなど、そのように親しみを持つような存在では……!」

「……どうして?」

 不思議そうな彼女に、どう説明したものかとテファが悩み始めた矢先。


「リル殿! やっと見つけたぞ!」


「げっ……」

「あ、あの方は……騎士団員のファクールさま……ですね」

 テファも名前と顔は知っている。自分と同じく、大臣を父に持つ男だ。だが特殊な好みのせいか、若くて顔はいいのに、縁談が来ないらしい。

 そして里琉はものすごく嫌そうな顔をしていた。

「どうか、なさったのですか……?」

「ついさっき、剣で負けたんだけど……負けたら嫁になれって言われてて、断ったんだけども……諦めてなかったかー」

「まあ!?」

 何という命知らずか、とテファは呆れた。王が里琉を好きなのも、何なら王妃候補というのも、女官達なら大半は知っているし、噂も広まっている。あの女嫌いだった王が好きになる女性として相応しいかどうかは、賛否両論のようだが。

 近寄って来たファクールは、テファを見て怪訝になる。

「……む、君は確か、ラバカ大臣の……」

「もう、娘ではありません。そういうあなたさまは、カラム大臣のご子息であらせられましたね」

 向こうもさすがにテファの正体を知っていたようだ。テファの場合は、悪名で有名になってしまったので、知らない人間の方が少ないくらいだろう。何しろ、あのアリスィアが絡んでいるのだから。

「そっか。誰かに似てるとは思ったけど……ラバカ大臣か。あれから何か、無かった?」

「……いいえ。お会いしないよう、避けておりますから」

「…………避ける? どうして?」

「当然だろう! 彼女は大臣たる父に恥をかかせたと聞いた。己のした事を思えば、顔など到底見せられるはずもない!」

 ファクールの言う通りだ。だが、里琉はそれを聞いてひやりとした空気を纏う。

「上辺の噂ばかり信じるその頭は、どうやら飾りのようですね」

「なっ!?」

「り……リル、さま?」

 驚くファクールと同じくらい、テファも驚いている。

「彼女はアリスィアの被害者です。それをラバカ大臣が理解したのが、ついこの間の事。知らなくても仕方ないとは思います。ですが、だからと言って彼女を不当に非難していい口実にはなりません」

「アリスィア……陛下が殺したという話だが……彼女が被害者ならば、何故、勘当されたのだ?」

「当時は知らなかったからですよ。今はたまに会う時に、下級女官となった娘を探しているものの、未だに会えないと言っていましたし」

「ほ、本当……ですか? お父さまは……テファを……信じて下さるのでしょうか」

「それは分からないけれど、オアシスの視察の時に、アリスィアの悪行を目の前で見ている。保守的な人だから私の事は信じてくれなかったけど、あれを見て娘がそれに加担したかったと思い込むほど、馬鹿な人ではないはずだよ。ちゃんとテファ自身の言葉で、真実を語るべきじゃないかな」

 それを聞いて、テファはぎょっとした。あのアリスィアが、やはりまだ生きており、悪行を成しているのか。

「アリスィア……! この王宮で散々、王家の方々の尊厳を踏みにじるだけでは飽き足らず……! 他の場所で、更なる犠牲を増やし続けていると……!」

 ぎり、とテファは手のひらをきつく握る。

「うん。オアシス管理局が今、アリスィアのアジトみたいなものになってるんだ。今も行われているだろうけど、その制圧隊を組む為の選抜に、私もさっきまで参戦していたところだったんだよ」

「……ん? 君は女性騎士だろう。何故、大臣と親交が?」

 ファクールがそこで首を傾げている。未だにそこで引っかかっているとは、何とも回転の遅い頭だ。

「その事実も知らずに、不敬にもリルさまに求婚なさったと? どれだけおめでたい頭をしていらっしゃるのです?」

「……ど、どういう事なんだ。彼女は耳飾りさえしていないのに、何故俺は怒られているんだ?」

「事情を知らないから、誤解されてるのは仕方ないかなと思いますけどね」

「いいえ、こういうことははっきりさせなければいけません! リルさまは大事なお立場です! 知らない、などでは済ませられないどころか、情報を渡さなかったとして、カラム大臣さまも責められます!」

 テファの強い言葉に、ファクールはますます解せない顔になる。全く繋がりを得ていないようだ。

「それは別の女性ではないのか? 陛下の寝所に通う女性が居る、とは聞いているが……」

「私です。関係はまあ、諸事情により持ってないんですけども」

「何だってぇ!?」

 ぎょっとしたファクールを、テファは白い目で見る。ほらみろ、と思ったが、噂通り関係はまだ持っていないらしい。別の噂では、他の男に襲われたとかで、心の傷を癒す事を優先しているから、と聞いた気がする。

「リルさま……やはり、お辛い事があったんですね」

「いや、それもあったけど、ちょっと別件でね。心配は要らないよ」

「そうですか……? くれぐれも、ご無理のないよう……」

 かの王は夜伽が「すごい」らしい。五年前、危うくテファは、その犠牲者になるところだった。幼い体に強力な媚薬は逆効果だった為、熱を出しただけで済んだものの、それが無かったらアリスィアに様子見として置かれるところだったのだ。……もっとも、それを信じてもらえはしなかった。ごくごく一部を除いては。

「……嘘だろう。よりにもよって、国で一番お強い方が……しかし、リル殿のような相手が他に居るとも……」

 頭を抱えてぶつぶつと言うファクールは、元来、強い女性を好む。そのせいで、弱く在るべき、とされる女性達は軒並み彼の眼中に入る事はないし、その逆も然りだ。

 が、これで分かってもらえただろう。下手な手を出せば、彼のみならず、父親であるカラム大臣も危険なのだから。

 ……と思ったが、想像以上に残念な思考だった。

「し、しかし、本気なら耳飾りを贈るはずでは……!?」

「……諸事情って言ったの、聞こえてました?」

「王族の耳飾りは特製ですから、仮に作っているとしても、まだかかるかと思われます。少々ファクールさまは、考えが浅いのでは?」

「ど、どういう意味だ。公にしていないというのは一体……」

「暫定王妃候補です。少し前の事件において、特例措置として、私は王様に求婚されている状態、と申し上げればさすがに分かりますね?」

 がーん、と顔に書いてある。そこまで衝撃的なくらい何も知らない方が、哀れだとテファは思うのだが。

「なら、あの場で公言するべきだっただろう!」

「……するわけないでしょう。それはあの場に必要だったんですか? 言い方を変えるなら、それを私が言ったところで、あなたを含めた他の騎士団員は、信じると思いますか?」

 ぐっ、とファクールは詰まった。信じるわけがない。その場しのぎの言い訳にしては重いが、証拠もないのだ。

 公にしていない時点で、訳アリなのは誰でも察するだろうに、とテファは嘆息する。

「どうせ勝とうが負けようが結果は変わらなかったですし、第一、この国の結婚は同意の上でしか成立しません。あなたにキス……口付けられたら、思いっきり噛みつきますけど?」

「うっ……そ、それは、痛そうだな……」

 ちなみに噛み付いた時点で諦めればよし、もし諦めず襲った場合――死刑が待っている。

 テファは見た目から幼いのもそうだが、人目につかない場所ばかりいる為、そんな危険な目に遭った事はないし、自分が絡むと悪い事が起きると思われている人間に自ら近付きはしないのが普通なので、襲われる事は今の所、ない。

「ということで、私はこれで……」

「ま、待ってくれ! 君は……君は、陛下を好いてはいらっしゃらないのか!?」

 話が一区切りついた、と立ち去ろうとした里琉に、ファクールがとんでもない問いかけをぶつけて来る。

 彼に背を向けていたから、彼には分かるまい。だが、テファの位置からは見えてしまっていた。


 ――辛そうに唇を噛む、彼女の痛々しい表情が。


「……その質問には、お答え致しかねます。今この場で言うべき事ではありません」

 冷たく拒むように、里琉は告げる。耐えかねて、テファは一歩前に出て里琉の背を庇うように腕を上げてファクールを睨んだ。

「不躾にも程があります! いくら大臣さまのご子息と言えど、そういった話はご遠慮なさるのが常識というものです! リルさまのご事情を知りもせずに、強いからというだけの理由で求婚なさろうとした挙句、内情にまでずけずけと! 無礼とは思わないのですか!」

「なっ……! 君こそ、ただの下級女官だろう! しかもあのアリスィアとやらの腰巾着だったというじゃないか! 今更、正義感を出したところで、どれだけの真実味があるというんだ!?」


 ぷちん、と、そこでテファは切れた。


「――ただの下級女官に本当のことを言われて、上辺の噂話だけを頼りに相手を罵倒する。その頭の悪い口を、今すぐ縫って差し上げたい程ですね」

 笑顔が浮かぶ。元令嬢としてのプライドが叫ぶ。「ここで退くな」と。

「……テファ?」

「アリスィアの腰巾着。ええ、確かにそのように見せておりましたし、そのように行動してもおりました。家族を人質に取られながら」

「な……!? ひ、人質!?」

「彼女の悪行が広まった今だからこそ言える事ですが、テファは家族……主に父だったラバカ大臣さまのお命を守る砦として、あの女に従っていたに過ぎません。あの女は都合のいいようにテファを扱っていたと思っていたようですが、テファとて、良家の子女たる尊厳は持ち合わせております。この手を血に汚した事も無ければ、王家の方々への翻意も、微塵も無かった……いえ、むしろ命を賭してでも感謝し、贖わなければいけないのです」

 その結果が、前国王夫妻の死だ。テファは己の無力に涙し、処刑を求めた。だが、宰相はそれを認めず、一枚の証書だけで自分をこの王宮に住まわせ、生かし続けている。

「テファは、もしかして……真実を知ってるの?」

「はい。何しろ、アリスィアの毒見を通し、毒入りの酒を届けたのは、他でもないテファですから」

 ――いつものドジが発揮されなかった。当然だ。アリスィアが関与していたのだから。

「アリスィアの腰巾着として動いていたテファは、ドジをする事が多かったのです。その尻拭いをしていた体で、アリスィアはテファの評判を地の底まで落としました。いっそ解雇して欲しかった程に」

 だが、そのドジは全て、アリスィアによって仕組まれた、誰でも「当人のせい」としか思えないやり口だった。テファに釈明の余地はなく、信じてくれる人間も居なかった。

 だから、酒の盆を持ち歩きながら、ドジよ起これと何度も願い、結局届いてしまえたのは、皮肉としか言いようがない。


『……ふうむ。中身は正真正銘、祖国の酒のようじゃの』

『どうするんだい? 飲まない方がいい、と僕の勘は告げているよ?』

 仲睦まじい夫婦は、既に二人で一緒の寝台に居た。テファはその姿に、やはりこのままではいけない、と、不敬罪を覚悟して進言したのだ。


『お願いします、テファに……毒見をやらせて下さい!』


 毒見を通したものをもう一度毒見など、普通は有り得ない。だが、テファだからこそ警戒するはずだとテファは願い、口にした。

 しかし、王妃殿下はあっさりとそれを一蹴してしまったのだ。

『毒見は済んでおるのであろう? それでそなたがここに持ってくる間に毒を仕込んでおらねば、妾もこやつも死ぬまいて』

『彼女に罪を擦り付けるような女官が居るとしたら、想像はつくけれど……それではあまりにも、彼女が気の毒だ。それにまだ未成年のようだし、毒見はさせられないかな』

『しかし! 万が一、と言う事もございます! テファはお酒に強うございます。倒れたりも致しません! ですから、お二人の為にも……どうか!』

『何じゃ、そなた。妾への当てこすりかえ? 確かに妾はイシュトーラと同じく酒に弱いが、飲まぬ理由はないぞ』

 言いながら既に封を切られている酒を器に注ぎ、毒の変色がないか確認した彼女は飲んでしまう。

 そしてそれを見て、夫であり王である彼もまた――飲んでしまったのだ。

 だが、ややして彼はすぐ寝落ちてしまった妻を肩に抱き、笑顔で言う。

『行きなさい。僕達は君の目の前で倒れなかった。君は役目をこなしただけだ。……怪しまれないように、さあ、早く』

 ぼろぼろと泣くテファは、それでも動けなくて。

『では命令だ。下がりなさい』

 その言葉にようやく、震える声で「失礼、致します」とテファは下がり、どうか無事でありますようにと願った結果――翌朝、決して目覚める事のない二人を見て、悲鳴のように泣き声を上げたのだった。


『――いやああああっっ! 陛下! お妃様ぁっ! テファがっ、テファのせいでっ、ああああああっっ!!』


 遅効性の毒だった、と後から聞いた。毒見の話も含め、全て正直に話し、その上で処刑を願い出た。もう、十分だった。

「……テファは、全てを失いました。必死に訴えても、二人は毒を飲み、死んでしまったのですから。……アリスィアを疑う事も出来なければ、毒の内容物がテファの部屋から見つかった事も、全て、アリスィアの計画のうち、だったのでしょう。……ですが、宰相様の計らいで、テファはこうして生きています。ですから今のテファは、父から絶縁を命じられ、帰る家も拠り所も失った、ただの下級女官です」

「テファ……」

「そんなことが、まかり通るのか……! いや、アリスィア殿は、確かに多くの信頼を得ていた。……だが、毒見をしたのだろう? 何故彼女は生きていた?」

「ディアテラスという、リカラズ産の化け物だからです」

「毒の正体は、リカラズでしか生産されない、遅効性の毒でした。眠っているうちに死ぬという、安楽死用の毒であったと。……テファがそれを用意出来る事など不可能ですが、信じてもらえるとは、最初から思っておりませんでした」

「確かに。フィリアさんの所から持ってくるにも、そもそもそのフィリアさんが居たら入れないどころか、その辺りの証言が出て来るよね」

「はい。そしてその方は、私は確かに来なかったし、その毒を持ち出された形跡もなかった、と仰っていました。危険な毒なので、取り扱いには特殊な機械で操作しないと、取り出せない仕組みになっていたようです」

「ああ、うん、見せてもらった事があるよ。あれは独自のパスワードを入力しないと開かない仕組みなんだよね。加えて、フィリアさんはかなりの人嫌いだ。余程じゃない限り、顔パスはないよ」

 そういえば、仲がいいらしいと聞いている。彼女はとても顔が広く、特に上層部の面々は皆、彼女を可愛がってさえいるそうだ。

 だが、それを妬ましいとは思わない。彼女だからこそ得られた特権だからだ。

「ファクールさまはこれからも、上辺の噂だけお聞きになって、ご自分の理想の女性を追いかけていくのでしょう。……テファからすれば、とても幸せな事です。何も真実を知らず、語らずに済むのですから」

「……す、すまなかった。軽率だったのは認めよう。だが、君はそれでいいのか、テファ殿」

「いいんです。影に日陰に生き永らえ、いつかこの命を国の為に使えるならば、それで」

「いいわけ、ないだろうっ!」

 急な大声に、びくっとした。里琉も驚いている。

「え、何、どうしたの一体これ……」

「さ、さあ?」

「悪事を働いた本人が堂々と生き、それに無理矢理加担させられた者がこのようなみすぼらしい姿となっているなど、見過ごせる問題ではない!」

「……みすぼらしい……確かにテファは、あまり小綺麗とは言い難いですが」

 半分くらいは、毎日のように受ける他の女官達からの鬱憤晴らしによるいじめだが、一々傷付いていてはきりがないので、スルーしている。

 しかしたまに汚れが落ちないレベルの嫌がらせをされるので、何とか繕ったり覆ったりして誤魔化しているのだ。

 その努力を罵倒されるのは、筋違いである。

「裾もほつれ、服も色あせ、髪さえも乱れている。下級女官は確かに汚れ仕事などが多いが、申請すればきちんと新しく清潔な仕事着を貰えるのではないのか?」

「……テファが、要らないと判断したのです。替えは一着あれば十分です。どうせ、新しくしてもまた汚れますし」

 むしろ新しくしたら嬉々として汚しにくるだろう。そんな惨めな思いをするくらいなら、このままでいい。

 髪だって、さっき中庭の雑草抜きをしていたら、いつもの苛め女官にぐしゃぐしゃにされただけである。

『あらぁ、あなたの頭も雑草だらけね。切ってあげましょうかぁ?』

 ちなみに女性の髪を勝手に切るのは有罪の為、テファもそこは容赦しない。

『お断りいたしますが、どうしてもというのなら、イーマ大臣さまの前でそれをおやりくださいませ。テファは一切、承諾を口に致しませんが』

 さすがに相手も立場どころか首を失いたくはないようで、そそくさと去って行った。

 お団子にしているのは、あくまでもそういう事故が起きない為に予防しているのであって、乱される為ではない。

 実際、お団子以外の頭をしていた時に、事故に見せかけて切られた事があるのだ。

 訴えたかったが、証拠も無いので諦めるしかなく、対抗策としてお団子が採用されただけの事。それで尚更子供っぽく見えるようにはなってしまったが。

「……返答の背景に、ちらほらと嫌な場面が浮かぶんだけど」

「奇遇だな。俺もだ。ふむ、テファ殿はこの先もやり返さずにひっそりと生きる予定か?」

「そうですね。成人を迎えたら、娼館にでも行きましょうか。……アルナさまもいらっしゃるかもしれませんし」

「しょ、娼館!? 駄目だよ! テファはまだ子供だし、それに、悪い事を何もしてないんだから!」

「……娼館は考え直した方がいいぞ。大元の出自によっては、ラバカ大臣殿に迷惑がかかる」

「……絶縁した娘ですから、関係はありません」

「あ、いや、その絶縁をどうにかしたいみたいで、探してるって話だったんだけど」

「…………今更、何を仰るおつもりでしょうか。これ以上、リルさまや他の方に迷惑をかけるなとでも……」


「……言いませんよ。むしろ何一つ知らなかったこの父を、何故責めないのかという疑問の方が勝りますし」


 はあ、というため息。静かだがどこか突き放した口調。

 振り返れば、紛れもなく父がそこに居て。

「……何故」

「まあ、結構な時間、話をしてましたもんね。私はちょっと用があるので失礼します。では」

「俺も外そう。……というか、部下に説明が色々と必要になったからな。テファ殿、また会おう」

「え、嫌です……と言いますか、強い女性がお好みなんですから、テファに構わずとも結構です」

「…………本当に率直だな。だが、理由はある。次にでも教えよう。では」

 理由はどうでもいいが、あまり関わりたくない。彼にだって生活があり、悪評が立てば、立場も危うくなる。

 そんな危険を冒す必要はないのだと言いたかったが、まずは目の前の父だった大臣と話をしなければ。

「……息災のようで、何よりです。話をしましょう。……ここではなく、きちんとした場所で」

「……分かりました。大臣さま」

「…………僕だって、相談してくれたら父として動きましたよ。当然でしょう。なのに人質とは何ですか。おまけに一年前の事件も、結局はアリスィアの策略でしかなかった。それに動かされる程度の無能であった僕に対し、弁明もせず絶縁を受け入れ、以後、姿を隠すなど……ああ、我が娘ながら、有言実行の凄まじさに呆れるか感心するか迷う程です!」

 移動しながらも苛立っているのか一人でぶつくさ言う元父は、一つの部屋に入り、テファを椅子に座らせた。

「大体の話は、聞かせてもらいました。聞こえてしまったので、そのまま聞いていた、が正しいんですが。……今一度、説明して下さい。貴女がここに来てから五年間、僕の知らない間に何があったのかを」

「……分かりました。先に申し上げますが、嘘偽り、誇張などを疑うようでしたら、話を切り上げさせていただきます。よろしいですか」

「分かりました。では、少し長くなるでしょうが……話をお願いします。テファ」

 ――そしてこの日から数日後、テファは晴れて身分を取り戻したのであった。


※ ※ ※


 流し損ねていた汗を流して、里琉は束の間の安息を湯船で満喫していた。

 あちこち打撲しているが、どうせそのうち勝手に治るだろう。ここに来てから、自然治癒能力が上がっている気がする。

 それはさておき、と里琉はため息をつく。

「いい加減、決めるかぁ……」

 イシュトとの関係。自分の気持ちの整理。

 だとすれば、決行は今夜か。

 あれから数日、大抵の過去はイシュトに話した。自分には足りてないものが何なのかも、話しているうちに何となく分かってきた。

 だが、それでも。

「……自分を好きにならなきゃ、誰かを好きになっちゃいけないのかな」

 その気持ちだけは、不安定なまま。

 イシュトは自分を嫌いではあるが、それだけではないと言っていた。

 それは彼が王である事、やるべき事が見えている事から、義務や責任といったものが考えられる。

 だが、里琉はそうじゃない。いつでも放り出せる立場だ。逃げ出せる存在だ。それをしないのは、結局のところ――一人になりたくないだけの、ただの子供じみた我が儘で。

「分かんないなぁ。……いきなり抱いてって言っても、絶対イシュトは抱かないだろうし……うーん」

 ふう、とまたため息を吐いて、湯船から上がる。

 どうせまた夜も入らなければいけないのだ。長湯しても仕方ない。

 着替えてどうしようかと廊下をふらついていると、声を掛けられた。

「リル様! お加減はいかがですか?」

「あ、エステの人……いつもありがとうございます。生理が終わってからは至って問題ないですよ」

 王族が戻ってからも、里琉のエステは続いている。その一人と偶然出会って、里琉は気楽に返事をした。

「良かったです! では、本日もいつも通り……」

「あ、それなんですけど……打ち身がひどくて。選抜に参加したからっていうのもあるんですが、治りやすいというか、いつもと違う感じでお願いしてもいいですか?」

 難しいお願いかもしれないが、いつも通りだと「痛い痛い」と言いそうで、心配をかけてしまいかねなかったのだ。

 エステの人も、それを聞いて困惑を浮かべる。

「まあ! ……しかし、いつもと違うとなりますと……他の者と話し合って決めますね」

「ありがとうございます。お願いします」

 このお願いが、斜め上の結果になろうとは、さすがに誰一人として、考えもしていないのであった。

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