16話:守るべきもの

 ――何としてでも、守りたい。男は背負ったものを、絶対に落とさないように走る。

 夜の冷えた空気は、きっと妻の体に障るだろう。だが、あの場所で死ぬかもしれないよりは、ずっといい。

 疲れを知らなくなった男はひたすら地面を駆ける。まだ遠い王宮へと向かって。


※ ※ ※


 ぎんっ、と剣がぶつかる。彼にとっては大した衝撃ではないだろうが、里琉にとってはそれなりに重心をかけた一撃だ。それでも、軽く押し返されてしまう。

「なんのっ!」

 その反動を利用して軽く跳び、里琉は剣を振るう。あっさりかわされるが、その避け方にも多少の癖が見えるようにはなってきていた。

 とはいえ、それを上手く利用して打開出来るには、未だに至れないのだが。

「いやー、お前本当に根性あるよなあ、リル」

 呑気に声をかけてくるガルジスに、何を突然、と里琉はその場で声だけ返す。

「何が!?」

「勝てない相手と戦い続けるっての、結構辛いもんなんだよ。その点お前は、強い相手から吸収して糧にしている。大したもんだぞ」

「そりゃ、どう、もっ!」

 ぎぃんっ、と白刃を跳ね返しながら、里琉は相手の隙を、弱点を伺う。

 だが、それをしている間にも彼の剣は迫り、観察と判断の遅さを実感させられた。

「あっぶねえ!」

「まだまだ遅い」

 そのまま矢継ぎ早に攻撃を繰り出され、里琉は地面に転がされた。

「い、っててて……」

「全然物足りん」

「そんな、怒らなくたっていいじゃんか……」

「なんだ、怒られ足りないか?」

「何だかんだ言って、一回だけならって教えてくれたくせに!」

「教えはしたが、やれとは言ってない! お前何で未だに生娘なんだ!?」

「避妊具がないからでーす!」

 幼稚気味な喧嘩に、ガルジスが呆れつつも割って入った。

「あー、リル。お前何やったんだ?」

「娼婦のような真似事をした」

「いつも私ばっかり気持ちいい思いしてるから、せめて見返りを、と思って」

「それ以上言わんでいい。……リル」

 はあああああ、とガルジスは深くため息を吐いた。

「お前は何を陛下になさってるんだ!!」

 そして思いっきり里琉を叱咤する。

「え、えええ? だってそうすればってイシュトが……」

「責任転嫁すんな! いいか、お前がやったのは紛れもなく娼婦の真似事だ! 陛下がお怒りになるのは当然だし、お前がやっていい事じゃない!」

 それなら教えないという選択肢があったじゃないか、と里琉はむくれた。

 色々恥ずかしかったし驚いたが、ランタンの薄明かりに照らされた彼の煽情的な美しさに思わず見とれたのも事実。

(もっと見たいと思って二回目もやったのは、悪いと思ってるよ……うん)

 しかし、何というか刺激的な体験だった。娼婦はいつもあんな事をしているのかと思うと、尊敬に値する。

「次やろうとしたら、避妊具無しで抱く」

「誰の入れ知恵か知らんが、お前、無知が過ぎるぞ。メーディア辺りに知られたら絶対に説教三時間は覚悟しとけ?」

「せめてそれを他人に知られないよう配慮はしてよ!!」

 メーディアだって、そんな色々とまずい話は聞きたくないだろう。その結果が説教なら、彼女の負担が増えるだけだ。

「大体同じ事なら、イシュトだってやってるし」

「あれは必要だと思ってるからな。嫌ならやめるが」

「あ、あうー……それは……」

 おおよその事はさすがに理解したし、慣れさせる為の事はいくつかしている。ただ、最後までしないというだけのことだ。

 だが、ここしばらくで理解はした。

(イシュトとのあれこれは、ストーカーの事を一瞬でも忘れるくらいに……気持ちいい。快楽的な意味だけじゃなくて……何だろう、もっとふわっとして、心もきゅうっとするような……)

 はて、と思っていると、急に体を引っ張られた。

「うわ! 何?」

「……静かにしろ。……ガルジス、分かるか」

「……聞こえますね」

「ああ」

 まだ朝日も昇らない時間の中、彼らは何を聞きつけたのだろう。警戒もあらわに、塀の方を睨みつけている。

「え? 何も……」

「耳を済ませ。向こうからだ」

 示された方角に神経を集中させると、少しだけだが駆け足の音が聞こえる。だが、やけに重い。馬か何かだろうか。否、この国に馬は居ないはず。居るとすればマックだが、マックだとしても、この時間にこの近辺を駆け回るというのは有り得ない。

 そもそも、ここは王宮の敷地内だ。それでいて近付く足音があるというのは、つまり。

「……侵入者?」

「そう考えていいが、あまりにも間抜けだろう。警備の目をかいくぐったとして、この周辺は見ての通り、高い塀が取り付けてあるぞ」

 そう、訓練場の塀は外から覗き見る事が出来ないようになっているのと、日除け目的で中央の天井がぽっかり空いたドーム状の塀なのだ。

 そこに突っ込むとしたら、塀の中に同化している扉をぶち抜くか、壁をよじ登るかの二択なのだが。

 もう目前であろう足音は一つきり。しかし壁の向こうから近づくそれは急に消え、代わりに、だんっ、だんっ、と奇妙な音を響かせた。

「おいおい! 嘘だろ!?」

「……奇妙だが、これは……」

 イシュトが何かに訝しむ間に、月を遮る影が一つ、城壁を超えて――こちらへと飛び降りて来る。

「うぇっ!?」

 二階建ての家から落ちるくらいの高さは確実にあるはずだ。それを軽々と飛び越えるなど、普通は無理だろう。

 しかも里琉たちの前に飛び降りて来たのは、何かを腕に抱えた、細い男だった。

 その目は鋭く、だが、妙な違和感を伴っている。

「……何者だ」

 警戒を前面に出したイシュトの問いかけに、男は。


「…………俺の名前は、ガリーデ。こいつは妻のコトラだ。――頼むっ!! こいつと……腹の赤子を、助けてくれ!!」


 厚手の布に包まれたままぐったりした女性を抱いて、その場に膝をつき、そう告げたのであった。


※ ※ ※


 ――ガリーデという男は、想定通りディアテラスだったらしい。

 それも「子供が成せる」という。

「どうやら、情報は本当だったようですね。しかし、不条理な生態です。まったく」

 早朝だが緊急事態なので叩き起こされたユジーが、書き取りをしながら嫌そうな顔をする。

 イシュトも同感だった。数日前、フィリアの所から戻った里琉がヤッドという生首の男から得た新しい情報に、もし量産されていたらまずいという結論に至ったわけだが、誰がそうなのか、恐らく普通のディアテラスと判別はつくまい。

 その里琉は、緊急事態としてフィリアの所にコトラという女を連れて行き、腹の赤子共々、状態を見てもらっている。

「……先に訊くが、あの女との婚姻自体は、正当か?」

 耳飾りは着けているが、この男が強引に迫ったのなら、裁かれる必要がある。

 しかし、ガリーデはそれを聞いてイシュトを睨みつけた。

「逆に訊くがよぉ、王様。……正当でもねえのに、危険を承知でここまで来るってのは、おかしいと思わねえか?」

「彼の言う通りですね。ただし、ガリーデ。あなたは言葉を選ぶように。この方は国の王であり、あなたは裏切ったとはいえ、盗賊になった身。……あまりに不敬ならば、その体は実験台として使い潰され……」

「そいつは願ったりだ。是非そうしてくれや」

 命が惜しければ、と忠告しかけたユジーに、ガリーデは暗い笑みを浮かべて遮るように言った。

「俺はな、もう、妻と腹の子さえ無事なら、それでいいんだよ。あいつを守る為に化け物になったんだ。ここに来ればあいつは助けてもらえる。人間で身重の女だからな。だから俺は好きにしろ。その代わり、絶対にコトラと子供は助けてくれ。情報は全部吐く」

「……なるほど。ではまず、あなたの出身から教えてもらいましょうか」

 ユジーも何かを感じ取ったのか、それ以上は言わず、話を戻した。

「俺とコトラは、元々オアシス近隣の村に住んでた人間だ。そうだな……コトラには弟が居て、そいつに訊けば分かるさ。だが三年前、俺が目を離した隙に、コトラは盗賊に浚われた。悲鳴が聞こえてすぐ、俺はコトラを追いかけた。だが……そこに待ってたのは、お頭……つまり、盗賊の頭領だった」

 コトラという女性は、一見しても確かに美しかった。目を付けられていたのだろう。

「追いかけてきた俺に、お頭はコトラを盾に、盗賊に入るよう取引を持ち掛けた。……まずそれが、最初だ」

 盗賊と言っても、最初はただの使い走りやら、弱そうな旅人から身ぐるみを剥がすやらで、特に大きな悪事をしたかったわけでもなく、レダで行き場を失くした者達の溜まり場になっていたという。

「幸い、耳飾りはあったからな。お頭に奪われずには済んだが……コトラは一度、その時のショックで流産している」

「!」

 それからしばらくは落ち込み、それでも互いに生きてさえいればいいと支え合って来たらしい。

 だが、悪い変化が訪れたという。

「一年前か、それとももう少し前か……。変な女が、アジトにやってきた。レダの、身なりのいい若い女で、お頭と話がしたい、と言い出したんだ」

「……陛下。それはもしかしなくても」

「ああ。……アリスィアだな」

「! 知ってるのか!? あの恐ろしい女を!」

 青ざめるガリーデは、そのまま一息に続ける。

「あいつのせいで、お頭は変な野望を持ち始めた! アジトの人間を死なねえ化け物にして、国に復讐するとか言い出したんだ! 俺達はもちろん、そんなの無駄だって止めたさ! どうにもならねえから盗賊やってるんだ、国に捨てられた俺達が、今更何を取り戻すんだって! けど、お頭は聞いちゃくれなかった。自分が化け物になったのを見せ付けて、俺達を次々と化け物にするのを決定しやがった……!」

 頭の痛くなる話だが、実際そうされている以上、下らないと一蹴すら出来ない。何より、アリスィアがそもそも盗賊と繋がっている事すら、つい最近知ったのだ。

「一人、また一人と、連れて行かれては数日後に化け物になって戻ってきた。頭を潰さねえ限り死なねえ。その頭だって、簡単には潰れねえ。それこそ、高い所から飛び降りなきゃな。……化け物が十人を超えた頃か? 今度は、子供が作れる化け物が欲しいとか言い出したんだ。もうお頭は正気じゃなかった。あの女に唆されて、何でもやる……身も心も、本物の化け物になっちまったよ」

 それでガリーデが選ばれたのだろう。何しろ、夫婦そろっている盗賊など、そうそう居ない。

「連れてかれたオアシス管理局は、もう別物ってくらいおかしなもんになってた。見た事ねえもんしかなかったから、説明が出来なくて悪いが……局員だった奴らは皆、ディアテラスにされちまってたよ。で、俺はどっかの部屋に入ってからは記憶がねえ。起きたら化け物になってた」

「疑問があるのですが、ディアテラスは原則、首から下の内臓器官は全て、活動停止状態にあるそうですね。子供を作れるという事は、言ってしまえば一部の器官において活動を続けているわけですが……どういう状態なんですか?」

 聞きたい内容ではないが、差異に関しては気になるところだ。イシュトも頷くと、ガリーデはげんなりした顔になる。

「……ここに女は居ねえよな? よし、ならいい。俺でも分かるように言われたが、頭に埋め込む化け物の素ってやつは、埋め込む位置でそういうのが調整できるらしくてな。心臓とかは止まってるが、他の奴らと違って、興奮すりゃあ……ま、そうなるようになっちまった、ってわけだ。不気味なもんだぜ」

「暴走しますか?」

「さあな。俺はともかく、他の奴らはもしかしたら……有り得るかもな」

 つまり、量産は既に始まっている、という事だ。その情報に、イシュトはユジーと顔を見合わせ、頷いた。

「早急に対策が必要ですね」

「元々、共食いの暴走をする可能性も言われている。それも問題だが、今の話もかなり危険だ。これ以上は、フィリアの方で聴取してもらうべきだな」

「そうですね。ところで……先ほど、国に捨てられた、とあなたは言いましたが?」

 内容のせいで問えなかったが、確かにイシュトも気にはなっていた。

 しかし、ガリーデは何の疑問も無く言い切る。


「? オアシス近隣の村人が盗賊に浚われたってのに、助けに来るどころか音沙汰一つねえのは、捨てたって事だろ。そういう意味じゃ、俺もコトラも帰る場所なんかねえよ」


 イシュトはこめかみを押さえた。三年前なら、そもそも自分は王になると決めて教育真っ最中だったはず。しかし王だった父が当時、討伐軍を派遣する事も無ければ、事件そのものの記録さえ、イシュトは見た記憶がない。どういうことなのか。

「……三年前、その手の事件は、誰も報告に来なかったのか? ユジー」

「記憶にある限り、無い、と断言します。しかし、二人も村人が消えたなら、村の方が黙っていないはず。……どうも、気になりますね」

 ユジーですら知らない、というのは、つまり三年前にそんな事件は無かった、と同義だ。

 しかしガリーデを見る限り、嘘は吐いていない。

「だとしたら……報告を受けたどこかで、上の判断が必要ない案件だ、と破棄されたか?」

「有り得なくはないですね。大臣達は独自の判断で動く事があります。前国王陛下もそこは気にしていましたから」

「……これを機に、報告の義務を見直した方がいいな」

 三年前にこの二人が攫われて盗賊に入れられた事実があるなら、家族が王宮に直訴に来てもおかしくなかったはずだ。

「そういえば、オアシス近隣の村はまた会議があるはずだな」

「ああ、リルがついて行く方ですね。ラバカ大臣が三年前から提案し、実行しているという……あ」

「その名前、聞いた事があるぞ。たまに視察に来てた大臣様じゃねえのか?」

 ――里琉を信用せず、子供達からも嫌われているというのは、里琉自身から聞いている。そして今、ユジーも自分の発言で、その可能性に気付いたらしい。

「……ユジー。ラバカ大臣は確か……一部で亀のような判断力だと言われていたな?」

「ああ、そうですね。私もたまに……まさか」

 ユジーも気付いたらしく、眉を寄せる。

「そのまさか、かもな。手を回せ。次の視察、俺もついて行く」

「……分かりました。その方がいいでしょう」

「…………なあ、何なんだ? どうしたんだ一体。あの大臣様が俺達の事を見捨てたみたいな話し方だが」

「いえ、残念ながら、ガリーデ。あなたとその妻であるコトラは、その大臣に見捨てられた、というのが現状の結論です。お詫びと言ってはなんですが、研究所にこのまま留まり、情報提供を続けて下さるのであれば、あなた方が無事に村へ戻れるよう、我々が尽力致します」

「……村へ? この化け物の体でか?」

「その話はどうぞ、奥方と存分になさって下さい。身重の女性に無理をさせるのを承知で、それでも助けを求めたのです。……我々よりも、本音を話し合える相手とすべきですから」

「同感だな。自分がどんな存在かより、自分が何をしたいか考えろ。……そんな理由で置き去りにするのは、身勝手だと言われるぞ」

「陛下は、それを彼女に直接言ってはどうですか?」

「罪悪感の塊に耐え切れず結婚を受け入れそうだから、今は黙ってろ。まずはアリスィアを叩き潰す。その鍵は……ガリーデ。お前だ」

 暗い瞳が疑問符を浮かべる。これ以上何の役に立つのか、と言いたげだが、まだまだ役に立つ余地はあるのだ。

 だがガリーデはイシュトの目を見て、「そうかい」と呟いて立ち上がる。

「じゃ、まあ、研究所とやらへ案内してくれや。……そこにコトラも居るんだろ?」

「分かりました。抵抗の意思が無ければ拘束はしませんが、ディアテラスである以上、相応の監視はつきますよ」

「俺は別にいい。ただしコトラは人間だからな。その辺は絶対に間違えるなよ」

「……さっきも聞いた。それと、身重の女に危険を加える自体が重罪だ。安全は保障してやる」

「ならいいさ。……絶対に、絶対にあの女だけは許さねえ……」

 ただ従わされたにしても、ガリーデのアリスィアに対する憎悪は強い。何か言われたのだろうか。

「……お前、あの女に何をされた?」

 簡潔に問うと、ガリーデはぎりっと歯噛みしながらそれに低く答える。


「まだ、されてねえ。だが、生まれた赤子は実験台、失敗したら代わりが欲しいからまた作れるように……今度はコトラを俺と同じような化け物にする、って言ったから、俺は逃げた。……十分だろ?」


 なるほど、理由としてはこの上ない。

「分かった。絶対にあの女は仕留める」

 イシュトも頷いて、そう断言したのだった。


※ ※ ※


 その頃、里琉もまた、フィリアと共に話をコトラという女性から聞いていた。

 フィリアはヤッドが以前言っていた事と同じ内容を聞いて、心底から不快感をあらわにしている。その上、女性まで同じようにすると聞いてからは、不機嫌が更に増していた。

 しかし里琉としては、疑問が増える一方である。

「女性までってなると、相当に面倒な処置が増えるはずだよ。確率も高くなかったら、尚更だ。避妊しなくても、生まれない時は生まれないんだし」

「……その確率を調整される可能性が高いわね。常に排卵状態にして、受精しやすくすればいいんでしょう? バイオリズムをある程度計測していたら、簡単に操作できるわ」

 話を聞いているコトラは青ざめて震えている。自分の体も子供も実験台となる恐怖は、底知れないだろう。

「アリスィアという方は、何度もアジトに来ては、私達に『国に捨てられた同胞』と言っていきました。私達は確かに助けてはもらえませんでしたが……大半の方はその言葉に同意し、この国を潰すなら、化け物になってもいいのではないかとさえ言っていたほどです」

 ――やはり、アリスィアは盗賊アジトでもそうして人の心を集めていたらしい。コトラは何故違うのか、と問うと、彼女は悲しそうに笑って言った。

「国を潰す事は、村に残してきた家族をも、ということになります。私もガリーデも、望んで盗賊になったわけではなく、叶うならば村でまた、ただ幸せに暮らしたいのです」

「その為にはアリスィアを叩き潰すのが大前提なんだけど……目的が、曖昧なのよね。この国を潰したがっていたあの女が、わざわざこの国の人間を改造して繁殖させようなんて……家畜にでもするつもりかしら?」

 フィリアの言葉に、里琉は心底ぞっとした。だが、それもまた、一種の復讐の形となり得る。

「……アリスィアは、人身売買によってリコス王妃に助けられたんだよね。それなら、こう言うと倫理観に問題はあるけど……倍にして返す、って意味では、考えとしては妥当じゃないかと思うんだ」

 それを聞いたコトラが、不思議そうに首を傾げた。

「人身売買……? それはもしかして、リカラズ側に近い村の話ですか?」

「!? 知ってるんですか!」

「え、ええ。アリスィアは身の上話もしておりました。彼女は元々その村で生まれ育ったそうですが、ある日、両親に売られ、荷物に紛れてノアへ通り抜けた矢先に、とあるお方に助けられた、と。それが元で国への復讐を考えて生きてきたそうです」

 フィリアはそれを聞いて首を傾げる。

「リカラズとその村が繋がってたって話は、王子から聞いた事があるわ。でも、何でノアに向かったのかしら」

「そこまでは……。あ、でもつい最近……本当に最近なのですが、アリスィアがとても機嫌が良い時があって。どこかに出かけた帰りだったらしく、すぐに管理局に向かっていましたけれど……」

 まさか、と里琉は思い当たる。

(もぬけの殻だった村。アリスィアの故郷……あの死体は、きっと)

「……アリスィアは、もしかして父親を殺したの?」

「ああ、あんたが見つけた死体ね。恐らくそうだと思うわ。あの女が最も殺したかった存在でしょうから。……母親は知らないけど、とうに死んでたのかもね」

 フィリアも理解したようで鷹揚に頷く。あの村全体が人身売買を行っていたのなら、当初にガルジスの言っていた「ヤバい事」がそれだろう。

「けど……なーんか引っかかるのよね。目的と手段の間に、何か別の思惑みたいなのが介入してるような……」

 それは里琉も同感だ。妙な違和感がずっと残り続けている。

 筋はこのままでも通るのに、途中に結び目が付いている感覚、とでも言うべきか。


 その時、扉が開いて、誰かが入って来た。


「おーい、居るかー?」

「ガルジスさん!」

「珍しいじゃない、団長さん。何か用? ……って、その男、まさか」

 ガルジスと、その後ろに付いてきたのは――ガリーデと名乗った男。

「ガリーデ! 無事なの!?」

「コトラ! ああ、動かないでくれ! 体に障っちまう!」

 駆け寄って妻を抱きしめる姿は、人間そのものだ。コトラも泣きながら彼を抱きしめ返す。

「良かった……あなたが化け物だって知られたら、すぐに処分されるかもしれないと心配していたの」

「大丈夫って言ったでしょ。ディアテラスなんだから、ここに連れて来られるのは確定なのよ」

「まあなあ……。で、こいつはしばらくここに置いてくれ。そっちの奥方は、安定したら中央宮に移す。民間人だが、貴重な情報提供者でもあるって事で、丁重に扱うから安心してくれ」

「そんな……それなら私も、ガリーデと一緒に居させて下さい!」

「そうはいかないわ。あなたは身重だから、いざって時に人手が必要になるのよ。面会くらい許可するし、その時はリルと一緒にでも来なさい」

「……はい……」

「大丈夫です。心配しなくても、二人共ちゃんと一緒に村に帰れるよう、王様を説得してみせますから」

「あー、その心配はないってよ。どうも、ラバカ大臣がやらかしたみたいでな。その二人が三年前に浚われた時、対処を怠ったせいで、救助どころか報告すら上がらなかったらしい」

 それを聞いて里琉は「ほーう」と半眼になった。あの大臣はどこまでやらかせば気が済むのだろうか。

「その話は子供達から聞いてる。サルジュが一番怒ってるからね」

「サルジュ! あの子は、あの子は無事なんですか!?」

「うわっ! ……あ、そうか。サルジュのお姉さんが、あなただったんですね。サルジュは今、オアシス近隣の村の子供達のまとめ役をしています。コトラさん達の件で大人を信用出来ない子供達は、陰で剣などの護身を学び、守れるようにこの三年、研鑽を積んでいたと。……私も、彼らの剣に助けられた一人です。すごい弟さんですね」

 なるほど、言われてみれば目元などは似ている。話に聞く限りでも、事実のようだ。里琉は頷いて包み隠さず話す。

「ただ……すみません。お母様の方は、一年前に亡くなられたそうです。今、彼は一人で暮らしているそうで……。お二人がもし村に戻れるようなら、寂しい思いをさせなくて済むと思うんですが……」

 ずっと一人で色々と背負ってきたのだ。子供があんなにも強い目をして努力してくるなど、並大抵のことでは出来ない。

 ガルジスも頷いて同意を示した。

「そういう事なら、その子供に教えてやった方がいいぞ。どうせ次の会議でも、お前は子供達の方に放り込まれるんだろ」

「だろうね。本当はガリーデさんに着いて来てもらった方がいいような気がするけど……」

「いや、駄目だ。頭に埋め込まれたっていう、化け物の素なんだがよ。何か……近くに仲間が居るって、分かるんだよ。現にこの近くに、同類が居るだろ」

「え!?」

 ガリーデの言葉に、里琉はぎょっとした。フィリアは分かってるらしく、奥の方を見て言う。

「生首も分かってるでしょうね。似た境遇だし、仲良くしたら?」

「……生首ぃ? 何がどうしてそうなった?」

「他国の王子に首だけ持ち込まれた結果です。……じゃあコトラさんは落ち着いたら、メーディアさんに部屋を用意してもらいますね」

「ありがとうございます……。あの子が無事で生きているなら、せめてもの救いです。……ああ、でも、気を付けて下さい。最近、盗賊の方でも動きが出ているんです」

 コトラの言葉に、里琉たちは顔を見合わせる。ガリーデがその意味を引き継いだ。

「化け物の数も揃ってきたから、そろそろ村の一つでも襲うか、って計画が出てる。そっちの計画に人員を割くようになったから、俺達も逃げ出せたんだ。……ほっとくと、風期までに村が一つ消えるぞ。それも……俺達の村がな」

 暗い瞳で紡がれる予想に、里琉は背筋が凍る。

 ――あの村のようになる前に何とかしなければ、と。

「ガルジスさん。急ごう」

「だな。戻ってパソーテ大臣やら宰相やら交えて、話をするか」

「情報欲しいでしょ。今まとめた分は持ってって。追加は次回渡すわ」

「ありがとう、フィリアさん! じゃ、行こう! ガルジスさん」

「おう。悪いなフィリア。頼むぞ」

「ええ。……絶対に、この機会を逃すわけにはいかないわ」

 渡された黒地石の束と共に、里琉はガルジスと外に出る。

 ようやく明るくなった空の下、里琉は呟いた。

「……ガルジスさん。私さ、何でここに来たのかな、ってずっと思ってたんだ」

「おう」

「もしかしたら、この為なのかな」

「この国の為、か?」

「ちょっと違うかもしれないけど、この国を変えれば何かが連鎖的に変わっていく、みたいな?」

 根拠は薄い。それに、そんな大それた考えを持つ事自体、里琉にとっては正直、おこがましい程だ。

 だが、それでも、と思う。

「まだ分からないけど、私のした事が今こうして繋がってるって、偶然だけじゃ片付けられない気がするんだ。だから、……まあ、その。この世界に来たの……今は別に……悪い事だと、思ってない」

 だからこそ、天秤にかけてしまう。元の世界とどちらを選ぶか、選べるか。

「前向きなのはいいが、無理するな。陛下との事もあるだろ。問題が片付かない限り、お前は身動き取れないんだ。俺達を頼っていい」

「助かるよ。でも、じっとしてられないたちだから。……お願い、私にも何かさせて」

 懇願する里琉に、ガルジスは困ったような顔をした後、がり、と頭を軽く掻いてから言った。

「……お前、そういう奴だったな。最初から。……お前が行動しなかったら、あの村自体が、証拠隠滅で消されてた。最初から俺達は、お前に救われてきてたんだろうな、リル」

「……ほ、褒めても何も出ないよ」

「ばーか。それよかお前、ちゃんと陛下との付き合い方、考えていけよ。いつか帰るにしたって、今朝言ってたような事、駄目だからな。お前の体はお前以上に大事に出来る奴、居ないんだぞ」

「……分かってる。でも、嫌々じゃなかったよ? …………あー、もう。いつか恋人とかになれたら、そういうやっちゃ駄目とかいうやつ、無くなったりしないかなぁ」

「何だそりゃ。お前、陛下と恋人になりたいのか?」

「分かんない。イシュトの言う好きが、私と同じじゃないのは分かるんだけど、でも前みたいな友達感覚というか、そういうのは無くなってきた。毎晩あんな事してたら、そりゃそうか、って思うんだけどさ」

 ふと、ガルジスが足を止めて、里琉を真っ直ぐ見る。

 そして静かに問うてきた。


「お前は、いつか陛下に抱かれたいと思っているのか?」


 直球なそれに、里琉は一瞬、息を呑む。

 下腹部が疼いて、頭が真っ白になるような快楽を与えられて、その先に待つのは、きっと。

「…………何でだろう」

「?」

「ストーカーにさ、無理矢理入れられそうになった時は、ただ痛くて、怖かった。壊されるかと思った。でも、イシュトだったらって、思うと……どきどきする」

 胸の辺りを掴む里琉は、顔を上げられない。

「昨夜のあれもさ、怒られたけど……確かめたい、って気持ちもあったんだ。もしそれを見て、気持ち悪いとか怖いとか、そういうのあったら……駄目なんだろうなって。でも……そうじゃなかった」

 比較していいものではない。だが、里琉が知ってる範囲で判断出来る事は、それくらいしかなかった。

 ただ、それでも。


「いつか、どころか……抱かれたいって、前から思ってるよ」


 それが彼を好きだというのなら、そうなのかもしれない。答えはまだ、出てこない。

「……そうか。ならいいんだ。お前がもし、以前の事で傷を埋めようと考え続けていたら、止めるところだった」

「あはは、まだ、心配かけてた……?」

「時々目を赤くしてる奴が、何言ってやがる」

 指摘されて、里琉は苦笑した。お風呂で泣いてるのがバレていたらしい。

 彼に分かるなら、イシュトにだって分かるだろう。

「ほら、戻るか。陛下には今の話、黙っといてやるから」

「頼むよ? 私だって答え出したいけど、これでもすごく悩んでるんだから」

「ああ。……お前なら、大丈夫だ」

 ぽんと頭を撫でられる。彼は時々、兄や父のように接してきて、それが逆に少し、寂しさを想起させた。

(元気かな、皆)

 帰ることを決めたはずなのに揺らいでしまっている。失いたくないものが、出来てしまったのは想定外だ。

 それでも、いずれ決めなければ。

(帰るか、残るか。…………まあそもそも、帰る方法が確立されてないから、帰れないんだけどさ)

 ここまでくると、もはや帰らせる気がないのでは、とすら思えてくるほどだ。

 誰の思惑か知らないが、勝手にこの世界に連れて来た事実は許していない。会ったら一発殴ろう、と里琉は決意も新たに歩き出すのだった。


※ ※ ※


 オアシス近隣の村会議。これまでならば、いつも通り子供達を隔離し、大人たちだけで話し合いをしていた。

 ――話し合い自体は、難しい内容ではない。何故なら彼らには、難しい話そのものが出来ないからだ。

 それでも、村の周りに柵を作ったり、村の見回りをしたりなど、少しずつ対策は打っている。そのつもりでいた。

 だがそれらは結局、ごく近くに居る大きな脅威の前には無力だったのだ、とラバカは思い知った。

「――今、並べた言葉。これらは全て、隣国リカラズの鉱毒です。それが現在も泉を汚染し続けていた事が判明しました」

「そんな! どうしてもっと早く、調べてくれなかったんだ!」

「おかしいと思っていたんだ、子供達が、濾過した水以外使わなくなって……俺達も、沸騰した水を我慢して飲んでいたが、妙な味になっていた!」

「これでも早めに分かった方なんです。子供達の協力のおかげで」

 里琉が静かに告げると、持ってきていた袋の中から瓶の一つを出した。

「あっ! それ、うちのやつ! 姉ちゃん、中身は!?」

「ごめん、研究に必要だから使っちゃったよ。だから代わりと言ってはなんだけど、綺麗にしてから、飲める水を入れてきたんだ。お礼代わりに受け取って」

 前回、彼女を連れて来た時に集まった家の子供が、嬉しそうに里琉に駆け寄り、瓶を受け取る。

「やった! すごく助かるよ!」

「ううん、こっちこそ。分けてくれた水のお陰で、調査が出来たからね」

 ――自分達はあの日、風期に向けての会議をしていた。彼らがそんなやり取りをしていたとは、考えすらせずに。

 そして大人たちも、子供の話をしなかった。いつからか、避けるようになっていた。

「なあ姉ちゃん、泉の水、濾過だけじゃ本当に限界だよ。どうにかならねえ?」

 不意にサルジュが問いかけた。彼は年長で、子供達のまとめ役にもなっている。その彼が信用しているのは、自分達ではなく、彼女だとその発言が物語っていた。

 里琉も当たり前のようにそれを受け取り、頷いて告げる。

「うん。私達の方でも、泉の水は浄化が必要で、その為には管理局を制圧するって話になったよ。ただ、その前に、ここに集まっているのはオアシスを水源にしている村、全員だよね?」

「そうだよ。俺はサルジュの隣村、トルバは俺の村の逆隣に住んでる。ここを水源にしているのは全部で四つあるんだけど、ここの村が一番でかいし、オアシスに近いから集まるには一番いいんだ」

「そっか。じゃあ、話は早いね。……イシュト、お願い」

 こそりと最後は王に任せ、里琉は一歩引く。


「俺の顔を知ってる者は多分、居ないだろう。まずは名乗るところからか。この国の現王、イシュトーラ・レダ・ヴァース・ガドゥアスだ」


 瞬間、どよっとざわめきが起き、全員がひれ伏そうとする。それを王が止めた。

「立ったままでいい。今の俺に、跪かれるだけの器はまだないからな。……俺が来た理由は、二つ。一つは、オアシス近隣の村の避難勧告。そしてもう一つ。……三年前の誘拐事件についてだ」

 居住まいを正した大人たちも子供達も、めいめいに困惑を浮かべる。どちらの情報も、彼らにとっては重要だからだろう。

 とくに後者。これに関しては既に、数日前に王と直接やり合った。


『三年前、俺がまだ即位していなかった頃だ。盗賊アジトから脱走した夫婦から、事情は既に聞いている。お前に問いたい事はただ一つだ。――何故、父上に、あるいは宰相に、その報告を怠った?』

 夜に呼び出されて何かと思えば、そんな事か、とラバカは鼻白んだ。下らない事を問うものである、と。

『盗賊の存在は以前から問題視されていました。そして誘拐の事例も、今回が初めてではありません。これまでも要請はありましたが、アジトも掴めず、安否確認も出来ないという問題により、報告を見送った次第です』

 三年前は特に、サルジュが必死だった。止める為にも説明をしたが、納得してはいなかった事くらい、分かっている。

 それでも、これ以上の被害者を出すくらいなら、とラバカは要請の拒否を示したのだ。

『その結果が、子供たちの不信と三年という時間の無駄遣いか』

『っ……無駄ではありません! 現にあれから、誘拐は起きておらず……』

『起きるはずもないだろう。アジトにもアリスィアの息がかかっているんだからな』

『アリスィア……!? 彼女の名が何故……いえ、それよりも彼女は、貴方が殺したはずでしょう!』

『その愚鈍な頭でよく、村の大人が従ってくれたものだな。もっとも、子供達に関してはその限りではないようだが。それとラバカ大臣。総括するなら、三年前の事件も含め、これまでの盗賊による誘拐及びその解決要請を、お前は自己判断で全て却下し、報告を怠った事になるが?』

 冷えた声。王はこんな人間だっただろうか。もっと臆病で、もっと弱い心だったような、と記憶が齟齬を抱く。

 しかし、目の前の王は、紛れもなく現実に「王」であると己を示していた。

『これまで、要請に関しては見送られてきました。説明に皆、手が打てないと理解してもらえたからです。しかし三年前は別でした。……やむなく、私の説得が必要になり、家族だった少年と母親は、『もういいです』と言ったので……』


『それを鵜呑みにして、見殺しにする事を独断したのか!』


 だん、と石の机が激しい音を立てる。分厚く硬い石でも割れるかと思う程の音だった。

 そして同時に知る。王はそれ程に怒っていたのだと。

『最初に、アジトから脱走した夫婦が居ると言っただろう。片方はディアテラス、片方はその妻であり、身重だ。そして奴らは、オアシス近くに住んでいたと言った。……コトラとガリーデ。この名に、聞き覚えはあるか』

 無い、とは言えない。何故ならあの二人が必死に呼んでいた名前そのものだからだ。

『……三年前の……被害者です。どちらも』

『あいつらは、国に見捨てられた、と言っていた。だが、俺達王族に、見捨てるという選択肢は存在していない。民は等しく民であり、例え王族であろうとも優劣は無いと。お前はその矜持を、勝手に踏みにじったんだ。ラバカ大臣』

 ああ、これは罷免だろうか、と遠い目になる。だが、王はそれを口にはせず、立ち上がると言った。

『次の視察で、全てをつまびらかにする。いいな。相応の覚悟はしておけ』

『……かしこまりました』

 話は以上だ、と言われ、ラバカは一礼して部屋を立ち去る。

 ――気付けば背中は、冷や汗でびっしょりになっていた。


「三年前を最後に、誘拐事件は起きていないか?」

「は、はい。見回りを強化したり、柵で囲ったりなど……ある程度はしていますが……」

「そうか。では、先にそちらの謝罪が必要だな。……三年前も含め、この近隣の村で起きたという、盗賊の誘拐事件。それに対する要請の拒否。……国を守る者として、謝罪する。――まことに、申し訳なかった」

 深く頭を下げる王に、村人がざわめく。

「ど、どうして……」

「だって、大臣様は無理だって」

「三年前まで、いや、今に至るまで、無理だと言うしかなかったのも事実だ。盗賊の存在を知りながら、それを突き止められずにいたのは、王宮側の不手際だ。……それに関して、一つだけだが……朗報がある」

 今度は里琉が前に出て、サルジュへ近づく。

「これ。お姉さんから」

「姉ちゃん!?」

 またも周囲がざわめく。三年前の被害者からの手紙を、彼女が持ってきた。それだけでも察せる人間は察せるだろう。

 受け取った黒地石の板に書かれたそれを読んだサルジュは、全てに目を通した後――地面に膝をつき、手紙を抱きしめて泣いた。

「いき、てた。姉ちゃん……ガリーデ義兄さんも……子供もいる、って……!」

「まあ……!」

「あのガリーデが、コトラをちゃんと守ってくれてたのね」

「くそっ、あと一年早けりゃ、サルジュの母ちゃんも生きててくれたのに……!」

 ――入り混じる声は、歓喜と悲嘆。

「けど……ガリーデ義兄さんは、姉ちゃんを守ろうとして、化け物の体になっちまったって……。それでもこの村に……姉ちゃんと帰って来たいって。姉ちゃんも、生まれて来る子供の為にも、どうか受け入れて欲しいって。……みんな、どうする?」

 涙を袖で拭うサルジュの問いかけに、村人達は怪訝になった。

「なあ、化け物ってなんだ? 見た目がおかしくなっちまったのか?」

「それに関しては、私が簡単に説明します。ガリーデさんは、リカラズの技術によって、頭を破壊しない限り死なない上、切断してもすぐにくっつければ元通りになる、そして疲労も無ければ苦痛もない、といった、生きた死体のような状態です。思考、会話、共に可能ですが、当人は奥さんの為にその体になった為、もしもの時はすぐに処分される覚悟で居ました」

 里琉の説明に、大人も子供も青い顔になる。不気味だと思って当然だろう。ラバカ自身、カーエを利用したディアテラスの特性教育は途中で倒れた。

 だが、サルジュはそれでも訴える。

「なあ、お願いだよ、皆! 二人は無事なんだ! 俺は、またあの二人に会いたい。そんでもって、一緒に暮らしたい! ガリーデ義兄さんが例え死ににくい化け物でも、中身が変わらないなら、俺は……一人で居るよりも、一緒に生きていきたい……!!」

「……補足しますが、村の方から拒絶されたらコトラさんと共に、新たに全く別の場所で暮らす事にするそうです。……生まれる子供は人間だと証明されています。それでも拒否をなさるのであれば、こちらが責任を持って安全な住居を提供致しますし、今後一切の接触を双方に禁止致します」

「だったら、俺も村を出てく。あの二人についてって、俺が守る!」

「それなら、あたしも……」

「僕も出て行こうかな。泉も使えない状態じゃ、風期が乗り切れるとは思えない」

「私だって、出ていくわよ! ずっと怯えて暮らすなんて、冗談じゃないんだから!」

「俺もー。うんざりしてたんだよね。いざとなったら、攫われないようにこいつらを守らなきゃいけないのに、大人は「武器なんか持つな」って言い張ってばっかりでさ。戦わないでどうやって守るんだよ」

 子供達が次々と出て行く宣言をし始め、ラバカも村の大人たちもぎょっとし、狼狽えた。

「なな、何でお前達が出て行くんだ! 止めなさい!」

「危険だって言ったでしょう!? どうして言いつけが守れないの!?」

「そうだ! 子供が武器なんて扱うもんじゃない。武器だってそもそも、簡単に手に入らないじゃないか!」

「私達大人が、あなた達を守ってあげてるのよ!」

 めいめいに家族たちで言い合いになり始めた頃、ぱんぱん、と手を打つ音が響いた。

「そこまでにして下さい。そうして互いに互いの不満を抑え合っていたから、こうなったんでしょう。というわけで、提案です」

 里琉はそう言って、腰に隠していた剣を抜くと、ざくりと地面に突き刺した。

「子供が武器を持つことが、それ程に悪い事か。私と王の二人で、彼らの相手をします。勝ち負けは問いません。ただ、彼らの努力そのものを見てください」

「な、何を勝手な!」

「大体あなた、何様なのよ!」

 普段里琉を知らない村人の胡乱な視線にも平然と対し、里琉はきっぱりと答えた。


「現時点で、王妃候補……つまり、王の妻になる予定の者ですが、何か?」


 しん、と周囲が静まりかえる。次いで、驚愕と困惑が入り混じった表情で大人たちは顔を見合わせた。

「えっ、姉ちゃん、結婚すんの?」

「すごーい! おきさきさま、っていうんだよね!」

「あっ、だから剣を頑張ってたんだー!」

「やーいサルジュ、失恋ー」

「し、してねーし! ……まあ、意外だったのは確かだけどさ。姉ちゃん、結婚したくないって感じだったから」

 子供達が次々と期待の眼差しを里琉に向ける。それだけ彼女は子供達に慕われ、信用されてきたのだ。たった数度、会っただけなのに。

「元より、子供達が武器の練習をしている事は聞いている。その実力次第では、盗賊のアジト殲滅の助力を願いたい」

「おっしゃー! やるぜ! 皆、武器用意しろ!!」

「待ってて、お姉さん。僕達の実力、今日こそ示すからね」

「俺の家に置いてるから、すぐ持ってこれるよ! 姉ちゃん、俺、王様と戦いたいから、よろしく!」

 そう言って駆けていくサルジュを見送りつつ、里琉は首を傾げていた。

「……え、うーん、サルジュでも厳しいと思うけど……イシュト、手加減できそう?」

「何で加減しないとならないんだ。そう簡単に相手を下に見るなと言っただろうが」

「そう、だね。私の剣の一歩は、サルジュからだったもんね」

「こんなにも引っ掻き回して……あなたは、まだ候補でしかありません。この場を支配など……」

「思い込みでしか語れないなら、その口は閉じてもらっていいですか? ……舌を切り落としたくなってしまいます」

「なっ……」

 ラバカに対し、不遜な言葉を吐く里琉の目は、だが本気だった。

「敵意は勝手に抱いていいが、それを凶器としてこいつに向けたなら、容赦なく反逆罪として捕らえるぞ。いいな、ラバカ大臣」

「……失礼、しました」

 やがて子供達が、武器を手にめいめい戻って来るのを見て、里琉も剣を引き抜き、土を払う。

「こ、こんなに……」

「どこで手に入れたんだ……」

「怪我でもしたらどうするんだ!」

 大人達が喚く中、子供達は慣れた手つきで武器の様子を見ている。

「うるさいなー、何も知らなかったくせに」

「あ、あたしも、ちょっとだけ……れんしゅう、はじめたの。おねえちゃん、みてくれる?」

 まだ十歳にも満たない少女は、手に短剣を持っていた。こんなに小さい子供さえもが、戦う意思を目に宿している事に、ラバカは動揺した。

「すごい! うん、でも無理は駄目だからね。危ないと思ったら、すぐに負けを認めて、後ろに下がること」

「うん!」

「じゃあ……ちょっと人数いるし、二対二で対戦しようか!」

「おっけー! 俺、最後でいいよ。腕試ししたい奴から、遠慮なくかかってけ!」


 ――そうして、謎の模擬戦が幕を開けた。


※ ※ ※


 サルジュ達にとって、里琉の提案はまたとない機会だった。

 弱い強いは別にしても、子供だからとあらゆる手段を取り上げられて大人しく隠れているというのは、三年前の時点で出来ないと判断したからだ。

『とうぞくにさらわれても、おとなはたすけてくれないの?』

『子供だからって、父ちゃんのやつ、話も聞かねえ。ちくしょう……!』

『もう、大人には頼らない。それが僕達の答えだ。そうだよね、サルジュ』

 ――不安と怒りに震える子供達。その年長者であり、まとめ役を任されていたサルジュこそが、最もやりきれない思いを抱いていた。

 だから、子供たちの顔を見渡して、深くあの日、宣言した。


『俺達は子供だ。だからこそ、子供でも武器を使えるようになろう。大人になるまでに自分で自分の身を守れるように、練習しよう』


 女も男も関係なく。年齢に合った大きさの武器を、三年前はまだ開かれていた市で、見繕った。

 安いものばかりで質も良くはなかったけれど、練習するには十分だった。

 武器は各々、隠して持ってこれるようにするか、サルジュの家に預けるか、あるいは次の会議の時に集まる家にあらかじめ隠しておくかのどれかだった。選択肢は多い程いい。いざと言う時の為に、自分達は自分達で話し合った。

 オアシスの水汲みや採取の時にこっそりと伝言を託したり、武器の練習が出来ない日は体操で体の維持をした。

 大人たちには悟らせず、ただただ安穏と過ごしていく彼らを軽蔑しながら、自分達は守れるものの為に戦う事を決めた。

 だから。

「――そぉーれっ!!」

 どがん、とリーフの大剣が地面を抉り、周囲に土煙をまき散らす。

「なるほど、攪乱も狙ってるのか。だが、俺には見えている」

「うわっと!?」

 ぶうん、と驚いて振り上げた時には、リーフの懐に王の姿。しかしそれはすぐに離れた。

「お兄ちゃんから、はなれてっ!」

 リーフの妹が、まだ慣れ切ってない短剣を背後から振り下ろそうとするが、空ぶった。

「いやいや、お前殺そうとすんなよ!」

「だって、お兄ちゃんが危ないって思ったんだもん!」

「ほら、離れろ! ――くるぞ!」

 無駄話をしている余裕はない。妹を庇うように大剣を横薙ぎしたリーフは、風圧で王が真正面から来ないようにしたものの、その横はさすがにすぐ防げない。

「もーらった」

 に、と口元だけで笑うのは、里琉。だが、狙いはリーフではなく。

「きゃあっ!」

「ごめんね、今だけは!」

 剣の柄で少女の短剣を握っていた手を打ち、痛みによって手放すと、それを明後日の方向へ蹴り飛ばした。

「リーフ、後で手当てよろしくっ!」

「おうよ! お前は下がってろ! 負けだ!」

「う、ううっ、ぐすっ……!」

 泣きながら短剣を拾いに行く少女に、サルジュは駆け寄る。

「手、見せてみろ。……ん、リル姉ちゃん、手加減はしたっぽいな。でも後で冷やそうな?」

「くやしいよお……。がんばったのに」

「ん、お前はまだまだいける。次もっと頑張ろうな」

「うん……!」

 頭を撫でると、泣きじゃくりながらも強く頷く少女は、そのまま短剣をしまった。

 会話の間にもう一つの決着もついてしまったらしい。

「いててて……王様、俺より力あるんじゃねえ?」

「お前もそれなりの力があるな。大剣使いはこの国では珍しい。それを選ぶだけの力を自負するなら、王宮ではいつでも歓迎するぞ」

「……あ、ありがとうございます。負けちまったけど、ここで諦めはしないぜ。――おら、次ぃ! 自分達はやれるんだって、見せてやれ! 大人達に、父ちゃんに、母ちゃんに――みんなに!」

 リーフの大きな声で、子供達はびりびりとした感覚を抱いたらしい。実際、良く響く声だから、リーフはいざと言う時にとても頼りになる。周りを鼓舞させる声だ。

「おっしゃあ、次は俺な!」

「ふふーん、これでも女の中じゃ短剣は得意なの。あと十年もしたら、村一番の美女にだってなれるんだから」

「前置きはいい。それと俺に色仕掛けは効かないからな」

 だろうなー、とサルジュは内心で思った。兄弟愛にすら何の感慨も見せずにリーフを叩きのめしていたのだ。子供の仕掛ける悪戯など、気にも留めないだろう。

「とりゃあっ!」

「ほいっ!」

 里琉も難なく受け止め、流し、時折迎撃する。

 そしてもう片方は。

「ねぇねぇ綺麗な王様。リルお姉さんの好きなとこ、教えて?」

「断る。それと隠し方が甘い」

「だってえ、大人たちの言う通りにしてたらぁ、隠せる場所、なくなーい?」

 そう言いながら二本目の短剣を、年の割に育った胸の間から引き抜いて見せる。一緒に戦っていた少年がそれを見てぎょっとした。

「うおっ、お前、そんなとこに隠すんじゃねえよ!?」

「はいはいよそ見しなーい。口説くなら後でやってね!」

「う、うっせえ! そんなんじゃねーよ! 誰がこんな態度も胸もでけー女!」

「ちょっとお、聞き捨てならないんですけどぉ? いいじゃないの、胸あった方が好きでしょ、男って」

「ほどほどでいいっつの! なあ、王様!」

「……どうでもいい上に、お前達はやる気が無いのか?」

 痴話喧嘩に発展しかけたのを見た王が、呆れた声を出す。

 慌てて二人は武器を構え直し、こそこそっと会話した。

 それが何かはともかく――にんまりと笑って、同時に跳ぶ。

 子供ならではの跳躍力と素早さ。それは王と里琉二人に、各々同時に向けられて。

「顔、傷付けちゃったらごめんなさぁい」

「リル姉さん、勝ちはもらうっ!」

 一瞬の交錯。その後、からん、からん、と二つの音がした。

 ――空になったのは、子供たちの手。

「……なるほど。見込みがあるという自負は確かなようだな」

「くっそ、いけると思ったのに……!」

 驚くべき事に、少女の方は片方、短剣が残っていた。

「え、イシュトが怪我したの?」

「してはいないが、二つ同時には叩き落とし損ねたな。どうやら瞬間的な頭の回転が速いらしい」

「もぉ、上手くいくと思ったんだけどなぁ」

 きょとんとしている他の者に対し、サルジュが説明する。

「今のは、こいつが短剣を二振り扱えたから出来たんだけどな。片方を防御と攻撃の同時で犠牲にして、もう片方の短剣を投げつけようと考えたんだ。けど、王様のが上手だったみたいだな」

「そいつが短剣を投げる前に、つい手で跳んでいた脚を掴んで放り出した。……というわけで、怪我はないか」

「無いけどぉ、王様ってちょっと……乱暴ねぇ。あたしの趣味じゃなくて良かったぁ」

「おいこら、王様に何て事を!」

「気にしてないし、そもそも子供に対しての趣味は持たん」

(むしろリル姉ちゃんしか見てないだろ、あんた……)

 サルジュはそっと思ったが、黙っておく。

「ほら、手」

「……ふん、ありがと。次はもうちょっといい同時攻撃、考えましょ」

 この二人は、一緒に習い始めたからか、よく二人同時で組む事が増えた。もしかしたら、近い将来、夫婦でも組むかもな、とサルジュは少し考える。

 そうして二人ずつの攻防戦は、基本的には王と里琉の勝ちなのだが、決してそれだけではなく、彼らにとっての勉強にもなっていた。

 ちらりと大人達を見ると、不愉快そうにも、不安そうにもしている。

 自分達が出来ない事を子供達がしている。しかも、剣術という危険な事を、だ。何も思わないはずがない。

 そしてトルバの番がやってきた。彼と一緒に組むのは、サルジュでもある。つまり、自分達で最後だ。

「さて、約束通り俺が王様な」

「うん。僕はお姉さんと踊りたいからね」

「……曲刀か。あれも珍しいな。リル、戦闘後の感想を後で聞かせろ」

「ったく、脳筋はこれだから。さっきはああ言ったけど、サルジュはこの村の子供達を率いるリーダーだ。強いよ」

 共に長剣を手にする中、最後の戦いが始まった。

 連戦しているというのに、彼らはほとんど息が上がっていない。里琉が少しだけ、という感じだが、それでもあまり差異は見当たらないようである。

「さあ、踊ろう。お姉さん」

「トルバの台詞、かっこいいなぁ。それどんどん使ってこう?」

「へえ、随分と余裕だね!」

 ふわり、ひらり、舞うようにトルバは攻め込む。慣れない軌道で里琉も見極めがしづらいようだ。

「くっ……面白い、けど、逃げづらいね!?」

「僕、追い詰めるのが向いてるみたいだから。ほら、後ろ。気を付けて?」

「っ! イシュト!?」

「……感覚で分かる。仕方ないから、向こうへ――行ってろ!!」

 首根っこを掴んだ王は、里琉の体を軽々とトルバの頭上越しの更に向こう側へと投げ飛ばす。

 さすがにこれには、大人もどよめいた。

「じょ、女性を投げ……!?」

「いや待て、彼女もちゃんと着地してる! あの状況で!?」

 実は驚くべきは、その二つではない。

 今のやり取りでも、彼は対峙しているサルジュから、片時も目を離していないままだったのだ。

(うわあ、すげえ。……ぴりぴりする。体が、もっとやりたいって叫んでる。――いいんだな?)

 子供達を教えながら、己も学んだ。この三年間、村の子供達との絆は決して無駄ではなかったと、サルジュは言い切る自信がある。

 そして、目の前の王も。

「……面白い目だ。来い、サルジュとやら。命がけでな」

「げ、イシュトが本気出してきた……」

 ぼそっと里琉が呟くのが聞こえる。命がけと言うからには、一歩間違えたら死ぬ覚悟で、という意味だろう。

「ほら、お姉さんもよそ見しない!」

「うわっ! あ、服切れた」

 避け損ねた袖のあたりが裂けたらしいが、彼女は焦るどころか今度は余裕すら見せている。

「イシュトの本気見てるとね、血が滾るっていうの? 私も何かちょっと、狂暴になるんだよね。……だから、ごめんね、トルバ」

「……お姉さん?」

 トルバが初めて、怯えたような声を出した。少し離れたこの位置でも分かる。――彼らの、殺気。

「トルバ! 命がけでやれ!」

 即座にサルジュはトルバに檄を飛ばした。おかげで彼もすぐに態勢を立て直せたようで、緊張気味の声を返す。

「っ……了解!」


 ――戦闘、もとい死合いは長引いた。互いに傷がついても、剣を手放さない限りは負けにならない。他の者がはらはらと見ている中、サルジュ達四人は、ひたすら戦っていた。


 ――先に決着がついたのは、里琉の方。

「うああっ!」

「……軌道を読むのに時間がかかったけど、型が少なくて良かった。それに加えてパターンを組んでたね、トルバ」

「……くっそ、気付かれたか。すごいや、お姉さん」

 肩を剣の柄で攻撃され、トルバは武器を手放さざるを得なかった。それくらい強く打撃を受けたのだ。

「あー、でも、怪我は大丈夫? 骨とか」

「ん、…………動く。大丈夫。痛いだけ。それにお姉さんの力なら、骨まではいかないよ。まあしばらく、薬のお世話になると思うけど」

 曲刀をしまい、トルバは立ち上がって里琉に手を差し出す。

「ありがとう、お姉さん。お姉さんが強くなれるのか、正直疑問だったけど……あの王様のおかげなら、納得だよ」

「そうだね。トルバの曲刀、言葉通り、踊りにも使えるらしいんだよね。ちょっと考えてみない?」

 里琉もその手を握ってそんな事を言う。

「お姉さんの為に踊るのも、悪くないかもね」

 ――残るは、こちらだけ、だが。

「ガルジスが居たら、お前は確実に入団を誘われているな」

「へへっ、そりゃ、どーも!」

「それはそれとして、己の限界を見極め、退く事は覚えろ」

 王の言葉に、ぎくりとした。

 死にたくない。その一心で王の攻撃を避け、王に攻撃を防がせてきたが、確かに体はもう限界だったのだ。

 それなのに、この王は全く、微塵も己より疲弊しておらず。

(格の違いってやつかな。……けど、最後に、一度だけ)

 命の限り、足掻きたい。そう思うのは、サルジュが一人だからなのか、それとも、家族の無事を知ったからなのか。

 どちらにせよ、あと一撃が最後だ。

「……忠告、受け取っておくよ。後でね!」

「そうか。なら、もう休め」

 王は冷徹に言い放ち、サルジュの最後の攻撃を派手にいなした。

 その馬鹿力でもって剣を強引に弾き、更にサルジュの腹を蹴り飛ばした。その先には里琉が居た為、里琉がキャッチしたが。

「……イシュト。やり過ぎ」

 むくれた声で、彼女は王を叱る。

「だからお前の方に託しただろうが」

(ああ、リル姉ちゃん……良かったな。この王様、きっと……大事にしてくれるよ)

 そしてさすがに緊張の糸も切れたサルジュは、その場で気絶してしまった。


※ ※ ※


 子供達と、王と里琉。それぞれの激戦を見せ付けられた大人たちは、どんよりと沈んでいた。

「あの子が……いつの間にあんな風に……」

「それを言ったら、うちの子なんて、あんな……娼婦みたいな……」

「こんな事なら、ちゃんと見張っておくべきだったなあ」

「まったくだ、余計な事なんかしなくても、俺達が守るって……」


「何で喜ばないんですか? 皆さん」


 子供達が手当ての為に一つの家に集められている途中、里琉がやってきてそう問いかけた。

 ラバカは彼女を睨みつけ、王が居ない事を確認してから言う。

「貴女は子供を持つ意味を分かっていません。子供達が危険な目に遭わないよう、せめて大人である我々が対策を取るべきだと決めて、話し合い、考えてきたことを、否定されたも同然なのですよ」

「つまりそれは、サルジュを否定するということですか」

「……そもそも武器は、女性が持つものではありません」

「いいえ。女性は短剣を持つのが義務です。女官長からも教わりました。そして、短剣だろうが剣だろうが、持っていてもいなくても、女性への危険は非常に大きい。……当然、あなたも知ってるはずです。私がとある男に穢されかけた事実を」

 ぎくり、とラバカは体を強張らせる。彼女は不意をついて誘拐され、拘束されたまま純潔を奪われかけたという。王が助けなければ死んでいたかもしれないほど、相手の男は彼女を狂ったように求めていたと。

 里琉の言葉を聞いた他の女性達が、びくりと身をすくめた。

「そんな……あんなに強い方まで、そのような目に……」

「やはり、私達女性に、男に抗う術なんて……」

「いいえ。初めから諦めていれば、何もしなくて済むだけです。……子供達をちゃんと見ていましたか? 誰一人として、武器を持つ事、戦う事に抵抗していた子は? 負けて、もう無理だと泣き出す子は? ……いなかったですよね」

 静かな里琉の声だけが、彼らへ届けられる。

「現実から目を背けるのは、もう止めましょう。はっきり言ってしまえば、会議は無駄です。確かに柵を作り、見回りを強化した。それだけ。三年も掛けたのに、たったそれだけしか浮かばなかった事実を、理解して下さい」

「では、貴女ならば何が出来たと!?」

「少なくとも、ラバカ大臣。……私は三年前にもし同じ立場なら、報告と対策を宰相さんに申告していましたよ」

 たったそれだけで、何が変わるのか。アジトが見つかるとも思えない。見つけたとして、制圧隊を組んで、制圧が成功するかも分からない。完璧な成功でなければ、犠牲が増えるだけだ。

 そう思っていたのに、彼女はなおも言う。

「慎重さは確かに必要です。しかし、慎重も過ぎれば鈍重でしかない。あなたは考え過ぎたんです、ラバカ大臣。三年前に必要だったのは、行動と誠意では?」

「貴女は、綺麗事ばかりです……! オアシスの現状も、村の危機も、所詮は一月前に来たばかりで何も知らないも同然でしょう!」

「知らないですね。知った事ではありません。ですが、何もしない、何となくの対策だけする、そんな中身のない会議を延々としている間、子供達は独自の守り方を覚えました。「もう、大人の守りは要らない」……それが子供達の総意です」

 ざわざわと大人達が不満の声を上げる。

「育てた恩も忘れて……」

「サルジュが唆したから……」

「子供だからって、許されないわ……」

「勝負だって負けっぱなしじゃなかったか? あんなのでよく……」


「いい加減にしろよ、あんたら!!」


 怒号が響いた。里琉が怒りをまとって大人達を睨む。

「あんたらが言ってるのは、子供たちの成長を全否定することだ! あんたらがやってるのは、ただの思考停止の言い訳だ! そんな事も分かんねえのかよ! 大人だから偉い? 大人だから何とかなる? そんなわけねえだろ! この三年間、子供達がどんな目で自分らを見てきたか分かってるか? どんな思いで武器を持って、どんな思いでお互いに助け合ってきたか、知ってんのかよ! たった数回話した私でさえ分かる事が、どうして親であるあんたらに分かんねえんだよ!!」

 悲鳴を上げるような声で、里琉は涙ぐんでいた。

 その時、彼女の背後からもう一つの影が現れる。

「リル、もういい。……お前はあいつらの様子を見てやれ。気にしてたからな」

「……うん。頭冷やすついでに、そうするよ」

 里琉はふらりと子供達の居る中に入っていく。

「おい! また余計な事を吹き込むんじゃねえだろうな!」

「止めて! あの子達をもう、危険な目に……」


「黙れ」


 王の一言で、大人たちは黙り込んだ。

「俺が子供達から聞いた意見をまとめる。……『親の了承が得られない場合、国の保証の元に、新しい村で暮らす』だ、そうだ。お前達大人を、今は親として認めない、と」

「何だって!?」

「うちの子達を、どうするつもり!?」

「……陛下。どういう事ですか。これ以上勝手な判断は……!」

「先に勝手をしたのはそちらだ。避難はともかく、風期までに話し合いをするか、それとも親子の縁を一方的に断ち切られるまま、別離するか。考えろ。そして判断しろ。……あれだけ意思が強い子供ばかりだ。お前達大人が居なくとも、村一つ与えればしっかり役目を果たすだろうな」

「な……」

「ラバカ大臣。宰相に言われたそうだな? 『今のうちに、身の振り方を考えておけ』と」

「それは……。……私には、大臣たる器が無い、と。そういう事ですか」

「現状を見て、誰がお前を据えたいと思っているか、考え物だな。宰相が見たら、俺達よりよほど残酷な判断をするぞ」

 ――宰相はずっと、試していたのだろう。そして今日という日まで待ったのかもしれない。

「ああ、そういえば子供達から聞いたが……お前、ここに初めてリルを連れて来た時、何か不審な事をすれば近隣の砂漠に捨てるとか言ったそうだな。あの時はまだ宰相の部下だったが、撤回されてないようだから、場合によっては反逆及び不敬罪が待ってるぞ?」

「なっ、捨てる!?」

「大臣様!? 何という事を!?」

 さらりと余計な事まで暴露され、ラバカはもう力なく立ち尽くすしかなかった。

 非難の目を向ける大人達の信用まで失っては、ここには来られまい。

「その子供達が、リルを助けたそうだ。リル自身、この国では女性初の騎士となる。剣への恐怖心を和らげたのは、サルジュを始めとした、武器を扱う子供達だそうだ。感謝している、と今でもリルは言っている」

「……何が、仰りたいんですか」

「ここまで長々と説明しても、理解出来ないのか? なら端的に言う。――子供達を認めろ。この三年間、研鑽を積んだ子供達が、怠惰に会議を繰り返し続けた大人になど劣らぬと」

 王としての命令なのか、それとも個人的な言葉なのか、ラバカには分からない。

 だが、大人たちは口を閉ざし、うなだれる。事実、戦いを見て、彼らに同じことが出来るかと問われたら、首を横に振るだろう。

 そして複数の足音が聞こえた。どうやら、サルジュも起きたらしい。

 集まってきた子供達は、めいめい親の前に立って――それぞれの怒りを、小さな手に込めた。

 ぺちん、ごつん、ぱしん、と小さくも痛みを伴う音が次々に響き渡る。

 大人たちはぽかんとし、あるいは驚愕を見せ、あるいは哀しい顔をし、あるいは怒りを見せた。

「お前、親に対して!」

「ど、どうして……こんな事を」

「どういうつもりなんだ、お前!」

「親に手を上げるとは!」


「で、殴り返すのかよ?」


 サルジュの言葉に、手を上げかけた数名がびくりとした。

「今叩いた奴らは、虐待罪で捕らえるからな」

「陛下! それは職権濫用が過ぎます!」

「黙っていろ、無能」

 ラバカは冷徹な言葉にぞくりとした。無能。それはラバカが恐らく誰よりも王へ向けて発していた言葉。

 王の怒りを恐れてか、大人達は手を下ろした。

「ここまでしても、伝わらないか。ラバカ大臣。大人達と子供達を引き離した理由は何だ?」

「……それは無論、子供達には通用しない話でしたから」

「なら本当にそうか、子供に聞いてみろ」

 軽く手を振る王に頷いた子供達は、次々と言った。

「柵で村を囲っただけで、何も変わってないじゃんか!」

「見廻りもパターン化してて、すぐに隙を突かれるし、実際僕も、見ててこのタイミングなら実行に移せる、って思ったよ」

「水汲みや採取なんて、結局私達子供の仕事で、大人はついて来ないじゃない。オアシスの話、何回もしたよ?」

「そうそう。奥から人の悲鳴が聞こえるって。それに、水の話も」

「わたし、おいしくないからのみたくないっていったのに、むりやりのませた。はいちゃったのに、おこった。ひどい」

「俺達が家の中で大人しく体の訓練してても、見向きもしなかったよな」

「料理の手伝いも、まさか短剣の練習とか思わなかったんでしょうねえ」

「針もね、武器になるんだよ。だからつくろいものも頑張ったし、新しい服、作ろうとしてるんだ」

「……オアシスで伝言とかしてたのも、全部、俺達が考えてやってた連携だよ。なあ、大人は何してたの?」

 分かっててサルジュは言っている。そして責めている。

「俺達これだけ考えて、行動して、意見も出せて、まとめて、結果も出せてる。文句を言うくらいなら、そっちの会議に混ぜれば良かったんだ。守るなんてのは、大義名分、綺麗事だろ」

 さっき言った言葉が、今度はサルジュによって跳ね返される。言い返せないのは、事実だからだ。

「だって、そうだよね。見回りもしないし、集まる場所決まってるし、こっそり監視してたら、子供はみんなまとめて捕まっちゃうもんね」

「……なあ、もしかして俺達、むしろ捕まえられる為に集められたんじゃねえの?」

「そっ、そんなわけがあるか!!」

「そうよ! 黙って聞いていれば、生意気な事ばっかり言って!」

「大体サルジュ、あなたも偉そうに言える立場じゃないでしょう! まるで私達が――」

 誰かの母親が言い返そうとして、はっとラバカ大臣を見る。

「…………まるで、じゃなく、無能だよ。大臣様と一緒。空っぽだ」

「っ、サルジュ!」

 怒りに任せて掴みかかろうとするのをサルジュは避けた。

 無様に転んだ誰かの父親に手を差し伸べる事もなく、彼は言う。

「ごめんな。おっちゃん。でもさ、俺も母さんも、子供達が自衛するのは、最初から考えてたんだ。母さんは死ぬ間際まで、姉ちゃんの無事を心配していた。そして後悔してた」


『あの子が戦える子だったら、少しは違う結果だったかもしれないのに……!』


 その言葉を聞いて、また大人たちはしんとする。

「俺は、その言葉を継いで、みんなに剣を教えながら自分も練習した。確かに負けはしたけど、俺達、戦えるようになったんだよ。三年前よりずっと強くなった。賢くなった。成長しない子供なんかいない。……それでも、俺達を認められないっていうなら」

「…………やめなさい、サルジュ。決別の意思は分かりました。ですが、全ては僕一人の責任です。避難までに各家にて、今後を話し合って下さい。この村を含めたオアシス近隣の村における不手際。会議を提案しながらも、有用に時間を使えなかった僕が、いけなかったのでしょう」

 ラバカはサルジュの言葉を止めた。現実は受け止めなければならない。娘のように。


『お父さま。……いいえ、ラバカ大臣さま。今後は、決してお目にかからぬよう、ご配慮致します。不出来な娘で、誠に申し訳ありませんでした』


 絶縁を告げられた末娘は、涙一つ零さず、粛々と礼をして、目の前から消えた。王宮に居ると知っていても、顔を見る事は一切なかった。それ程までに彼女は徹底して、父だった者の顔を見ずに過ごしている。

 ――父の役に立ちたいと、幼くして王宮入りを志願した娘。誰よりも頑固で、誰よりも立ち回りが下手で、誰よりも――運が悪かった娘。

 何故アリスィアに加担などしたのかさえ、彼女は言い訳一つ告げずに消えた。噂すら流れないほど、彼女の存在は希薄となった。

 だから、受け止めて、飲み込まなければいけない。今後の為にも。

「村の方々はただ、僕の意思に従って下さっただけの事です。子供達の隔離も、柵の設置も、巡回のパターンも、僕の意見に彼らは頷いてくれた。……僕が、大臣であったばかりに、それ以上の有用な意見がまとめられなかった」

「そ、そんな……そんな事は……!」

「大臣様が悪いわけじゃない! 悪いのは……」

「悪いのは、私達です……。大臣様の仰る通りにすればよいのだと、我々は勝手に判断を委ね、責任を負わせてしまいました」

 大人達は擁護するが、子供達の目は許しを持っていない。それが、答えなのだ。

「サルジュ。三年前の説明は、理解していましたか?」

「していないよ。何が言いたかったか、さっぱりだった」

「……その結果『もういい』と言わせたわけだな」

「うん、探す気が無いのは伝わったからね」

「……申し訳ありません。あの時の僕も、今の僕も、何も変わりはしていない。現状維持が最善だと判断した結果がこれです。……確かに、無能と呼ばれるのも当然でしょう」

 自嘲の笑みがこぼれる。

「今日限りで、僕は大臣の任を解かれる事となるでしょう。……皆さん。どうか、ご自分のお子さんと向き合って下さい。今更僕が言えた義理ではありませんが……僕のように娘を切り捨てたりする事のないように、お願いします」

 言い訳も聞かず、ラバカは娘を切り捨てた。そう、あれはそうだとしか言いようがなかった。

 アリスィアの悪事が明らかでありながら、それをみすみすと逃した娘は、どんな顔をしていたか。もう、覚えてさえいない。否、見ようとすらしなかったのだろう。

「僕は、先に鳥車に戻ります。陛下、オアシスに向かうのであれば早めがよろしいかと」

「ああ。……と、そうだな。人手が一人、欲しい。そこの無能は非力だからな。サルジュ、お前でどうだ?」

「え、俺? いいけど……ああ、うん。分かったよ、王様。リル姉ちゃんも呼んで、行こうか」

「分かった」

 鳥車に乗る直前、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。誰かの親だろうか。女性だ。

「だ、だいじん、さま」

「……どうしたんですか? 避難勧告においては、追って詳細をまとめた上で使者を寄越しますが」

「ち、違うんです。……ただ、知りたくて」

「知りたい、ですか。……僕に答えられる、事なら」

 何を問われるのか分からないが、ラバカはそれを待つ。

 ややして、女性は居住まいを正し、真っ直ぐラバカを見て問いかけた。


「三年前。……大臣様は本当は、どうしたかったのですか?」


 ラバカは目を見張る。あの時は被害者が二人。ラバカが立ち寄れたのは翌日。もう助かる見込みは薄かった。

 だが、もしも、もしも全てが出来ると思っていたら。可能性を、希望を持っていたら。


「…………助けたかった、ですね。彼らを」


 目を閉じれば、まざまざと浮かんでくる。絶望的な彼らの表情。どうか二人を助けて欲しいと縋る、サルジュとその母の痛切な表情。声。

 応えられなかった。己があまりにも、愚か過ぎたせいで。

「それが、聞きたかったのです。……ありがとう、ございました」

 女性は静かに告げて、深々と頭を下げ、静かに去って行った。

 入れ違いに、彼らがやってくる。

「あれ? 今の……」

「どうかした、サルジュ?」

「ううん。……それより、こんな豪華な鳥車、初めてだよ! 本当に乗れるの!?」

「早く乗れ。日が暮れる」

「はい。……それでは、行きましょうか」

 四人を乗せた鳥車は走り出す。荷台には灰の袋も積んである。泉を全て浄化するには足りないが、応急処置としてなら十分だろう。


 ――そうして馬車を走らせること数十分。目的の場所へと辿り着いた。


 だが、入った瞬間、その異様さが瞬時に分かる。

「これは……ひどいな」

「植物の枯れ方がおかしいですね」

「この辺はもう、まともに育ってないよ。泉も……ほら」

 示された泉は、近付いただけで異臭を感じた。濁りも酷く、確かにこんなものを飲めはしないだろう。

「一番ひどいのがあっち。……なんか変な溝が掘ってあって、管理局に繋がってるんだ」

 言われて少し近付くと、排水溝のように水がちょろちょろと流れ落ちている。そこを中心に汚れが広がっているようだ。

 湖のごとく広い泉だというのに、汚染はとんでもない勢いを増している。

「うわ、前のよりヤバい。これはフィリアさんが死ぬって言うわけだ」

「だろ? 灰でも浄化が遅れるくらいなんだ」

「……それでも、やらないよりはいいですね」

 各自手分けして、灰袋を泉に沈める。と言っても、杭を地面に打ち込んで、水面ぎりぎりに留めるのだが。

「一点集中にして、飲み水を確保してもらおう。浄化自体がどれだけかかるか分からないけど、風期まで時間が無いし、多分これは排除されないと思う」

 泉への干渉は汚染のみのようだ。とはいえ、その汚染が問題なのだが。

 かなりの重さと量のある灰袋を十は沈め、やっと作業が終わった、と息をついたその時。


 ――悲鳴が、奥の方から聞こえた。


「!?」

「いつものやつだ!」

「……確かめよう。サルジュはここにいて」

「いや、俺も行く! 急ごう!」

「待てお前ら! 音をあまり立てるな! 行くぞ、ラバカ大臣」

「は……はいっ」

 そうして向かった先は、今は封鎖されている、オアシスの広場だった。

 本来は市場を展開出来る程の敷地を持つその広場は、ただの荒れ地と化してしまっている。

 だが、そこには人影が複数あった。

「どうして逃げるのよ。仲間にしてくれって言うから、入れてあげようとしたのに」

「ひ、ひぃ……っ! 嫌だ、化け物にはなりたくない! 行く所が無いから、噂を信じてここまで来たのに……っ」

 ――地面に尻餅をつく男は、見知らぬ人間だ。だが、もう片方は、嫌と言う程見覚えがある。

(アリスィア……!?)

 彼女は王に殺されたはずだ。だが、ああして立って話をして、おまけに王宮では見なかった態度で人に接している。

 そしてその周囲には、取り巻きのように男達が立っていた。

「何も変わらないわ。ただ、死ななくなるだけ。切った体も繋げれば元通り、毒も効かない、最高の体になるのよ。それの何が不満なの?」

 カーエという女を使ったあの悪夢の検証が思い起こされる。つまり、あの女のような体がここで作られているというのは確かなのだ。

「じょ、冗談じゃない! そんなのは死体を動かしてるだけじゃないか! 俺は死にたくない!!」

 男の判断は、人間として正しい。だが、それを聞いたアリスィアの態度は、すっと冷徹になった。

「そう。じゃあ……人間として死ねばいいわ。あなた達」

 説得が無駄だと判断したアリスィアは静かに下がり、そして恐ろしい事を取り巻きの男達にさらりと告げる。


「その男、食べていいわよ」


 次の瞬間には、男は同じ人間の姿をした男達に飛び掛かられ――文字通り、食べられ始めた。

「ぎゃああっ!! 痛い! 嫌だ、ひいいいっ!!」

 骨ごと齧っていく音と、男の悲鳴と、そして――アリスィアの笑い声がただ響く。

「あっはははは!! いつ見ても最高の見世物だわ!」

 枯れかけの草に隠れているおかげで、食われている男の様子は詳しく見えないのだけが、不幸中の幸いだろう。

(あんな化け物が……王宮の上層部に入り込んでいたなんて)

 アリスィアが大罪人だったというのは、紛れもない事実だったのだと、今なら分かる。だが、分かったところで何になるのか。

 サルジュは口元を押さえて青ざめ、俯いて震えている。

 里琉は目を逸らさないながらも、きつく拳を握り締めていた。

 そして王はといえば、無表情で。

 だが、半年前もこんな風だった記憶がある。不可解過ぎる唐突な行動の理由を問い質しても、彼は透明なガラスのように瞳から光を消してただ、黙秘を貫いていた。

 あの時、自分は確か何と言ったか。


『貴男のような無能な方に、国を任せる事など出来ません!』


 ――信じてもらうどころか、許されすらすまい。自分は何も知らなかったくせに、若いからと、元婚約者に虐げられて耐え続けるしかなかっただけの、心の弱い王だと思い込んでいたのだから。

 あの時点で理解していたのだろう、彼女の正体を。その上で一言も話さなかったのなら、それはもはや、話す価値さえないと見なされたのだ。里琉がいつかラバカに告げた言葉は、正しかった。

(ああ、確かに貴男は、見る目がある。……信じるべき相手を、見出す目が)

 悲鳴はもう聞こえなくなっていた。ただただ、血肉と骨を貪る音と、そしてアリスィアがけらけらと笑う声だけが響き渡っている。

(僕は……何も、見えてはいなかった……。他の大臣の、誰よりも……)

 娘を切り捨てた時、ラバカは信じて疑わなかった。末娘は幼いが故にアリスィアを信じて手下になっていたと。

 否、信じていたなら、あんな反応は取るはずがなかったのだ。娘さえも、父である己に「話すのは無駄」だと思われていた。そういうこと、なのだ。

(何もかも……手遅れになってから、知るなんて)

 その時、アリスィアの傍に誰かが近寄るのが見えた。


「相変わらず悪趣味な女だな、お前」


 誰だ、と思ったが、王も里琉も怪訝な顔をしている。

 アリスィアは途端に不機嫌顔になり、男の方を向いた。

「何よ。そっちこそ、あの研究員を捕まえる算段はついたの?」

「ああ。ディアテラスの量産くらいは嗅ぎ付けたはずだ。あいつは責任感が強い。……何が何でも、止めに来るさ」

「はっ、逃げた相手を取り戻したって、また逃げようとするだけなのに。……ああでも、あんたが今度こそ捕まえて籠の鳥にするんだっけ?」

「もちろんだ。その為にわざわざ、ディアテラスが子を産める実験も進めてるんだからなぁ」

「どっちが悪趣味よ。ま、この国がどっちみち滅ぶのは間違いないから、協力してるけれど」

 どういうことだ、とラバカは疑問を抱く。そのまま二人は、死体と取り巻きを置き去りに、居なくなってしまった。

「……戻るぞ」

 王が強張った声で小さく言う。全員に否やはなく、音を立てないよう気を付けながら、泉まで無言だった。

 そして泉のほとりまで来たところで、サルジュが膝をつく。

「サルジュ……! 大丈夫?」

「ご、ごめん……。くそっ、何だよ、あの女!」

「……あれがアリスィアという、諸悪の根源だ。心身共に化け物だが、頭も回る厄介な相手でもある」

 どうやらサルジュは腰が抜けたらしく、悔し気に地面を殴っている。

 里琉も気持ちは分かるのか、辛そうな顔をしていた。

「あれが、アリスィア……。話には聞いてたけど……あんなの、人間じゃない……!」

「……ラバカ大臣。真実の一端を目にした感想はあるか?」

 不意に王に問われ、ラバカはため息と共に頭を下げた。

「……これまでの数々のご無礼、深くお詫び申し上げます。アリスィアという存在の脅威を、僕は何も分かっていませんでした」

 何も守れないまま、ラバカはただ、仕事が出来ていると思い込んでいた。その結果が、こんな残酷なものだったとは。

「リル姉ちゃんには? 何も無いの?」

「……貴女を信用しなかった時点で、僕は詰んでいました。宰相殿の言う通り、今後の身の振り方を考える事にします。今まで、申し訳ありませんでした。貴女に対する全ての暴言及び失言を、撤回致します」

「今更言われても、なんですけどね。どうせあなたの処遇はイシュト……王様が決めますし、私は特に気にしてませんよ」

 ああ、やはりか、とラバカは苦笑する。彼女は許すつもりは一切ないのだろう。それも仕方ない事だ。

「まずはこいつを送るか。……さて、親子の対話とやらが出来ていればいいがな」

「さあねー。駄目ならその時だよ」

「当初の予定通り、ってことでいい?」

「あはは、リル姉ちゃんは話が早いね。そ。俺達子供だけで、新しい村に移住する。……でも、村なんて簡単につくれるかな。家とか道具とか……色々あるだろ」

「それに関してだが、提案がある。元は犯罪の温床となっていた村があったが、諸事情により、無人になっているんだ。そこで良ければ提供するが?」

「げ、あの村使うの? 大丈夫?」

「問題ない。もう誰も使わないしな。それと、国全体に通達を出すか。路頭に迷う者が居れば、最優先でそちらへ住まわせる事も出来るぞ」

 やはり、この王は無能ではない。無能のように振る舞っていただけだ。その実、頭の中でいくつもの事を考えながら。

「じゃあそれ、俺達の結論次第にしてよ。その避難勧告の使者が来たら、伝えるからさ」

「分かった。手配しておく」

 帰りの鳥車の中、他愛のない話を彼らはしつつ、ラバカは一人考え続けていた。

(まずは剥奪された後の事を考えなければ。後継はどこかから連れて来るとして、妻と娘には事情を……それから……そうですね。娘というならば、彼女にも会わなければ)

 だが、彼女の配慮は本当に徹底している。いつ会えるかよりも、こちらから探した方が早いだろう。

 ――幼くも賢かった末娘は、今頃、どうしているだろうか。


 やがて王宮へ帰る頃には、すっかり日が暮れていた。


「それでは、僕は荷物をまとめますので、これで」

「…………判断力は誰よりも遅い割に、独断専行だけは誰よりも早いな。誰が任を解くと言った? 全てお前の発言で決めるな」

「え……?」

 何を言い出すのか、とラバカは驚く。だが、里琉はどこ吹く風で何も言わず空を見上げていた。関与する気が無いのだろう。

「お前の任期は、俺が預かる。黙って己の仕事をこなせ。今度は独断専行をしないのが絶対条件だ」

「…………わかり、ました」

 執行猶予期間、というものだろうか。何にせよ、すぐに解任される事はないらしい。

 となれば、その間にやれる事をやってしまわなければ。

(僕の大臣としての仕事は、まだ山積みですからね。……後任の為にも、減らす必要はありますか)

 苦笑を浮かべ、ラバカ大臣は一礼して先に中へ向かう。

 偶然にでも娘に会えないか、と期待はしたが――残念ながら、それは叶わなかった。


 ――それから三日ほどした頃、いくつかの噂が流れるようになる。


『あのラバカ大臣が、人当たりが良くなった』

『話を真面目に聞くようになってくれた』

『娘の居場所を探しているらしいよ。何でだろう』

『まさか、僕の意見が通るなんて……。むしろ意見を求めるなんて、明日は槍でも降るのかな……』


 様々な、一人の大臣に関する噂はしばらくの間流れ続け、そしてそれらは全て真実だと、一人、また一人と知ることとなるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る