11話:純悪な恋心
――おかしい、と青年は呟く。
「どうして、誘いに応えてくれないんだろう」
何度も声をかけているのに。何度も勇気を振り絞っているのに。
彼女はいつも、どこかの誰かの所へ行ってしまう。
ああ、誰も彼もが邪魔で仕方ない。いっそ王さえもだ。
まだ夜とも言える時間に起きて剣の稽古を付けてもらっているのも見たし、空いた時間で王女の元に行って治療の手助けをしているのも聴いている。
後宮にある施設の主と仲が良く、仕事として頼まれたものの調査も手伝っているのを知っている。
彼女は常に誰かと居て、彼女は常に誰かに必要とされている。
「一番あなたを求めているのは、僕なのに……」
仄暗い呟きが零れ落ちる。彼女のものであふれかえった部屋。彼女の一部を集めたものたちが、どれも愛おしい。
誰も見付けられない、秘密の隠し部屋だ。偶然とはいえ、こんなにもいい場所があるなんて、と喜んだ程だ。
ここで彼女と愛し合い、この先を一緒に生きると決めている。
それなのに、彼女はどこかへ帰りたいとさえ言っているようだ。そんなのは、許さない。
「あなたは僕のものなんです。永遠に……」
だから、邪魔者を排除しようとしたのに、上手くいかない。
最初に毒針を仕込んだのに、騒ぎにはなったが失敗したようで、あの騎士団長とやらはけろりとしていた。
ならばと女官長に下剤を仕込めば、彼女ではない他の者がうっかりそれを口にしてしまう始末。
後宮地下の女性はそもそもあまりこちらに来ないし、あちらに行けばすぐ誰が来たか分かるようになっているらしく、こっそりと何かを仕込む事は出来ない。
王族を狙うしかないのだろうか。そうして騒ぎを王族に集めているうちに、彼女を奪い去れば、あるいは上手くいくかもしれない。
こっそりと盗んだ彼女の夜着の匂いに、青年は欲を膨らませていく。
やがて吐き出した欲望は、透明な瓶に注がれて。
「ふふ……うふふふふ……僕の事、忘れられないようにしてあげますね、リルさん」
不気味な笑みと不穏な呟きは、夜の闇に溶けていった。
※ ※ ※
手紙が来て、一週間ほど経過した頃。解読するのもうんざりしたので放置気味にしつつあるそれを机に置き、里琉は部屋をざっと見回した。
「……明らかに、色々と消えてるんだよなあ」
元は自分の所持品ではないので、返して欲しい。値打ち物かもしれないのだ。
それに、下着やハンカチなども減った気がする。深く考えたら負けだ、と思い込みたいが、そろそろ厳しい。
「つーか、メーディアさんも狙われてたっぽいしな。いい加減、犯人を突き止めないとヤバいな」
ストーカーは男女問わず攻撃するタイプのようなので、王に直談判をしに行く必要がある。でないとこの間のように怒られるかもしれない。
そんなわけで、いつも通りの仕事服に着替えた里琉は、廊下に出て王の執務室へと向かう。
――その途中、声を掛けられた。
「あのっ、リルさんっ」
「……またあなたですか?」
ここ数日、よく声を掛けてくる、名も知らない青年だ。正直、鬱陶しいとさえ里琉は思っている。
そんな彼は、珍しく何かを手渡してきた。
「これ、さ、差し上げます」
「……いや、要りません」
「ち、違うんです。あの、これ、実はさっき厨房からもらったんですけど、僕、その、今、虫歯で食べられなくて……! リルさんは甘い物が好きって、聞きました。ですからっ」
「…………受け取りはしますけど、中身はちゃんとしたものですよね」
「もちろんです!」
「……あんまり受け取るな、って言われてるんですが、今回だけです。あと、出来ればいい加減、名乗ってもらっていいですか」
「! はいっ、ハレッジといいます!」
ぱっと顔を輝かせる青年の名前を聞いた里琉は、包みを受け取る。まだ少し熱を持つそれは、焼き立てなのだろう。
「すみません、用があるのでこれで。では」
そう言って歩きながら、里琉は眉を寄せる。
(私を何だと思ってるんだろう、あの人。というか、ちょっと……気味悪いな)
まるであの手紙のような感覚を抱いた。この焼き菓子っぽいのも、食べて平気なのだろうか。
ともあれ、名前を聞いたので後で宰相に確認である。
「仮に彼がそうだとして……まあ、何とかなる、かな」
見た感じ、力も弱そうだし、剣も持っていない様子だった。少しは優位に立てるかもしれない。
そう考えつつ王の執務室へ向かうと、話し声が聞こえた。
『……ということで、毒見が』
『そうか』
「毒っ!? 王様、毒盛られたんですか!?」
思わずノックも無しにドアを開けてしまった。
途端に宰相と王、二人から睨まれる。
「……失礼しました。今、ちょうど聞こえてしまったもので」
「全く、あなたは……。おや? それは何ですか?」
「ああ、これは――」
さっくりと経緯を説明すると、二人は顔を見合わせる。
「どう思う?」
「さあ。中身次第かと」
「毒も薬も効かない私に、何を期待してるんですかね? あの人」
言いながら包みを開けると、クッキーが入っていた。なんの変哲もない普通の抹茶クッキーに見える。
「いやいやいや、抹茶はこの世界に存在していない……」
見慣れた色なのでうっかりそう認識したが、有り得ないだろう。あからさまな緑色は、何かの薬草を練り込んだ、と見ていい。
「これ、食欲湧かないなー……」
「というか随分甘ったるい匂いだな」
「毒見させてみますか?」
「いや、私がもらったんで、私が食べます。どうせ効果無いので」
これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない、と一口齧った瞬間、里琉は、ぺっ、とそれを手のひらに吐き出した。
「まっず!!」
何を混ぜたのか、と問いたい。匂いに騙された。
「……? 失礼、里琉。それを一つこちらへ」
「食べない方がいいですよ。毒じゃなくても危険です」
「そうですね。………………捨てましょう」
数十秒の間クッキーを割って眺めた宰相は、それをぽいと袋に放り込み、里琉が手にしていた分もそれに入れると、口をきっちり締めた。
「あの、一体どうしてそう思ったんですか?」
「材料です。エクスほどではありませんが、私も相当に毒慣れしていますし、様々な物を知っています。で、あなたは今、吐き出しましたよね? どんな味がしましたか?」
「どんなって……薬草なのか知らないけど、中が生焼けっぽい感じで、生臭くって苦いというか、甘い匂いなのは外側だけっていうか」
「はい。やはり捨てましょう」
「……ちょっと待て。何が入ってたんだ?」
イシュトが怪訝そうだが、里琉も知りたい。薬草ではない、と宰相が言っているようにしか聞こえないせいだろうか。
すると宰相は、汚い物を持つような手つきで包みを摘み、軽く振る。
「材料の一部に、精液が混ぜ込まれてます」
「うええええっ!」
「ここで吐くな馬鹿!!」
いや、吐かない。吐かないが、里琉でもさすがに口元を押さえてうずくまるレベルだ。
「大丈夫……ではないですね。少々お待ちを。幸い飲み込んではいないようですから、口直しの為のお茶を用意します」
そう言って宰相は出て行った。里琉はふらふらと備え付けのソファに歩いていき、ぐったりと座り込む。
(執拗なストーカーって、食べ物に自分の一部を混ぜるらしいけど、本当にやるんだ……)
兄が居たら助けてもらえただろうか、と思う程度には精神的ダメージが強い。
「気の毒な奴だな」
「名前分かったんで、そいつ締め上げます……」
「いや、お前は動くな」
「これは私の問題ですから。……王様は、関係ないです」
「毒がそいつの仕業かもしれないんだが?」
「それこそ証拠がまだ無いでしょう。……私は当人から直接渡されてるんですよ。もう限界です」
王の助けを求めるつもりはない。ただ、あのハレッジとかいう男は、自分の手で始末をつけないと気が済まなくなった。
とんでもないものを食わせやがって、と苛立ちを募らせていると、宰相が戻ってきてお茶をテーブルに置く。
「飲みなさい。効果はともかく、安静になれる効果のある茶葉も入ってますから」
「ありがとうございます……」
温かいお茶が、さっぱりとした口当たりで癒してくれる。
「何かこれもう、ストレートに襲われた方が楽だった。返り討ちも出来たかもしれないし」
「そうかもしれませんが、ここまでされた以上、次は何をするか分かりませんからね。あなたは下手に動かない方がいいです」
「嫌です。さっきも言いましたけど、限界です。気持ち悪すぎて無理です」
だが、策が浮かばない。何かいい案は無いだろうか。
「そうだ、誘われてほいほいついてった振りをして、後ろからざくーっと剣で」
「却下だ。尋問が出来なくなる」
「何かされる前に殺すのは駄目ですね」
「一刻も早く葬りたい……」
今からでも殺しに行きたいレベルなのだ。せめてこちらから反撃出来る糸口があれば、と思うのだが。
「ふむ、では陛下に協力を仰ぎますか?」
不意に宰相が告げて、里琉は思わず胡乱な目で宰相を見た。
「どこまでも他人事の王様にですか?」
「暗に言わず、薄情とそのまま言え」
「事実他人事なんで、その事実を被害妄想にすり替えるの、やめてください」
薄情というか、興味が無いなら黙ってろ、とは思っている。首を吊りたくないので言わないが。
「大体、王様に何の協力を仰ぐんですか」
「矛先を陛下に向けます。完全に」
「完全に?」
「……おい、それは面倒ごとになるやつだろう」
察した王が止めようとするが、宰相が笑顔で制する。
「ここまできたら、大ごとにしてしまいましょう。一人潰してもまた出て来られたら厄介です。彼女の功績を知らない、あるいは意に介さない人間が多いのも事実。王族側にあると思わせれば躊躇する者も出るはずです」
「関係なさそうなのが今回の輩ですけど?」
「はい、だからこそです。関係なくてもあなたを酷い目に遭わせるとどうなるか、見せしめになってもらいます」
なるほど一理ある、と思ったが、里琉としてはあまり頷きたくない。
何しろ、この王だ。協力的になってくれる気がしない。
既に嫌そうな顔をしているし、何なら国王権限で却下もあり得る。
だったら、と里琉が口を開きかけた途端。
「具体的には、こいつをどうすればいいんだ?」
――予想斜め上の方向で、王が宰相に問いかけた。
(え、この流れで、嫌だって駄々こねないの?)
「単純に、陛下の寝室に通ってもらおうかと」
「ふぁっ!?」
「……手を出す気はないぞ」
「出してもいいんですが、それで向こうに暴走されても困りますからね。そうして下さい」
勝手に話が進み始め、里琉は焦る。
「え、嘘でしょ王様? 何で引き受けてんの?」
敬語も吹っ飛んでしまった問いに、王は気にせず返す。
「お前に任せたところで、こちらに飛び火するだろうと思ったからだが?」
「いや普通に考えて、駄目な案じゃん。王様の寝室に女性が出入りだよ? ストーカー以外も釣れるよ? 今後に響くよ?」
「元々、俺の評価など底辺だからな。何も問題はない」
「私の評価も最底辺に落ちるよ!」
「落ちませんよ。陛下も馬鹿な事を仰らないように。リルは元より、この国の危機を一つ取り去ったんです。陛下が寝室に通わせるのは、彼女への信頼だと周りは思うでしょう。その先は推測憶測が飛び交うでしょうが、犯人を突き止めるまでの辛抱です。犯人を捕まえた後は部屋を変えますから、今後はそこで過ごしてもらいますね」
「……本当ですかー? 私みたいなのが通ってるなんて、普通に考えたら有り得ないって批判が来ると思うんですけど」
「宰相が今説明した通りだ。お前に落ち度は無い。それによって犯人がどう動くか次第だが、俺はお前に手を出す気はないから問題は起きない」
いまいち納得いかないが、里琉一人では限界があるのも事実だ。この際、宰相の案に乗っかっておけば、いざと言う時の保険にはなるだろう。
お茶を飲み干し、里琉は小さく息をつくと、承諾を口にした。
「分かりましたー。じゃ、犯人捕まるまでお世話になりまーす、王様」
「……ああ」
嫌そうな顔をお互いにしながら、今夜から里琉は王の寝室に泊まる事になったのであった。
※ ※ ※
――別に嫌だというわけでもなければ、どうでもいいというつもりもない。
だが、彼女には絶対に伝わっていないだろう。果たして今夜、逃げずに来るのか。
ぼんやりと窓枠に腰掛けながら月を眺めていると、ごん、ごん、とノッカーが鳴らされた。
王の寝室は特殊な仕掛けが施されていて、王が開ける必要がある。イシュトはその為、窓から降りて扉を開いた。
――途端に、里琉が抱き着いて来る。
「な!?」
驚くイシュトだが、震えている彼女の姿を見て、何かあったのだと悟る。
すぐに中に彼女を引き入れ、廊下を見やるが、人影は薄暗いせいもあってか見えなかった。
ともあれ、中の鍵を掛けると、しがみ付いたままの彼女に問う。
「……どうした」
「あいつに、声を、掛けられて」
泣きそうな弱い声も震えている。
「ひ、昼間の、クッキー、の、感想を聞かれて、正直に迷惑だって言ったら、急に……顔つきが、変わって」
「それで、逃げてきたのか」
「悪いかよ!」
そこで彼女は顔を上げる。差し込んでいた月明かりに、涙が煌めいてイシュトは息を呑んだ。
「訳の分からない事を言い出したんだ! 私と一緒に幸せになるべきだとか、一番知ってるのは自分だとか、他の奴らなんか消してあげるとか……! ねえ! 何で!?」
「……リル」
ここまで取り乱した彼女を見たのは、初めてだ。だが、好きでもない相手にそこまで言われたなら、当然の反応でもある。
「何で私なの!? 元の世界でも散々な事を言われて、されてきたのに、ここでも酷い目に遭うの!? 私がっ、私が……一体、何をしたんだよ!!」
好いてもいない相手でも、イシュトはまだ、多少の付き合いがあるからこうして吐き出せるのかもしれない。
ただ、イシュト自身、どう答えていいかは分からなかった。下手な事を言っても彼女には逆効果だし、しかし何も言わないわけにもいかない。
そもそも彼女とて、好きでこの世界に来たわけではないと言っていた。
奇妙な体験によってこの世界に放り出され、特殊な体質に変化し、全く違う文化の中で生き抜こうとしながら、自分に出来る事をただ彼女はしてきただけだ。
だが、皮肉な事に、だからこそ彼女は狙われやすくなってしまったとも言える。
(――こいつを、ここまで弱らせるか)
付きまといだと思って軽く見ていた。さすがに昼間の焼き菓子においては危険だと思ったが、よく考えたら一週間もの間に彼女は知らぬ間に監視され、知人を攻撃され、物を盗まれている。
メーディアからの報告で、彼女の私物がいくつか行方不明になっているというのは、イシュトも知っていた。
知っていて、それでいて放っておいたのは、他でもない自分で。
そもそも剣の鍛錬でさえ「限界だ」と言わない彼女があの時、それを口にしたのだ。――もっと、慮るべきだった。
「何で……何も、言わないの。やっぱり、私が……悪いの? 私が……私のせいで……」
「! 待て、違う。……落ち着け。俺はあまり言葉が上手くない。お前を余計に傷付けたくないだけだ」
急に勢いが収まったと思いきや、彼女の言葉は己を責めるものに変化し、イシュトは慌ててそれを止めた。
「いいよ。傷付けられるのなら、慣れてる。みっともないだろ。普段あんな事言ってて、いざ怖くなったらしがみついて泣いてさ。馬鹿だって言えばいい」
「……やめろ。慣れるな。俺のようにならなくていい。お前は何も悪くない。悪いのはお前を怯えさせた奴だ」
「でも、私のせいで、皆が」
「それもそいつが勝手にやった事だ。誰も、お前を責めていない。心配さえしている」
泣いてる女を慰めた事など無い。だが、彼女を放置したら、自分のせいだと言いながら犯人を殺しに行くか、殺されに行くかのどちらかだ。それだけは止めなければならない。
イシュトは里琉を抱き上げると、窓へと向かった。そこで下ろし、月を示す。
「お前は、綺麗な物が好きなんだろう。ここの月は嫌いか?」
「……ううん」
涙を夜着の袖で拭う里琉は、子供のようにも淑女のようにも見える。年齢的にも境目だからだろうか。
「ここは、いつも満月なんだね」
「ああ。お前の……世界は、違うのか?」
一瞬ためらったが、イシュトは思い切って問う。彼女はこの世界と己の世界を、どう比べているのだろうか。
里琉は月をじっと見ながら頷く。
「毎日、形が違うんだ。満ち欠け、って言って、少しずつ外側が見えなくなっていって、最後には全部見えなくなる日が一度来る。でもその翌日からは、逆に少しずつ見えるようになって、こんな風に丸い姿になるんだよ」
「そうか。……毎日違う形が見れるのは、意味があるのか?」
「難しい説明は出来ないけど、世界のつくりが違うから、だよ。もしもこの世界に同じ仕組みがあったら、月も同じ見え方だったかもね」
ただ、これほどに大きくはないと彼女は言う。確かに夜の砂漠をランタンが要らない程に明るく照らす月は、太陽とは違った眩しさがあった。
里琉はちらりとこちらを見て、すぐに目を逸らす。
「……ごめん。パニックになって、困らせて」
「いや……俺も、何もしてやれてないだろう。役立たずだと怒っていいんだ」
「……迷惑だって引き剥がすかと、思った。でも、怖くて」
「あんな状態になっている奴を、そんな扱い出来るか。……明日からは、他の奴らを護衛につけるからな」
「!? そ、そこまで、しなくてもいいよ。……次はすぐに、逃げるから……」
――やはり、また一人で解決しようとしている。彼女もイシュトと同じ人種なのかもしれない。
次は、次こそは、一人で、自分で。そうやって、何度失敗したことか。
「お前がここまで取り乱したんだ。俺も対策を打つ必要があると判断した」
「迷惑かけたくないんだ! それに、護衛の人だってどうなるか分からない!」
「一人で行動して、結果的に手遅れになったらどうする? お前には何一つ、責任が取れないぞ」
「……っ、でも、でも……!」
ガルジスの件からずっと、巻き添えを懸念している事は分かっていた。だが、今の彼女に出来る事の方が少ない。
イシュトは里琉の頭に手を乗せる。いつもみたいに締め上げたりはしない。
「お前が言ったんだろう。協力すれば物事は解決しやすくなると。そんなお前が一人で解決など、俺でなくとも止める」
「…………昼間まで、他人事だったくせに」
「そう意地の悪い事を言うな。一応、気に留めてはいたんだが」
「どうせ連れ込まれても、自業自得だとか言うと思ってる」
「お前、俺を冷血漢だと思ってるな?」
さすがにちょっと心外だ。これでも彼女に関しては心配しているのに。
とはいえ、伝わっていないのなら、彼女の評価も当然なのかもしれない。
「だって、ライラの時から……」
「……蒸し返すか、それを。なら言うが、あの時はカーエの捕獲が最優先だっただけだぞ。それにあれは途中で気絶したからな。声を掛けても中毒状態では記憶も定かではなかったはずだ。お前には冷酷に見えただろうが、あれもそういう点においては気付いていた。だからお前に説明したんだろう」
彼女も反省はしただろうが、イシュトの思惑までは理解していなかったはずだ。
改めて説明すると、里琉は軽くむくれた顔をして、月を眺めながら小さく返す。
「そういう事なら……納得した」
「もっとも、お前は俺を王と認めてはいないだろうがな。俺には不足しているものが多すぎる」
「……そう、だね。王様とは呼ぶけど……形式上、必要と思ってるだけ、かな」
「なら、お前は無理に王と呼ばなくていい。名前で呼べ」
「そういうわけにはいかないよ」
「敬意を払ってないその口調で、王と呼ばれてもな」
「……うぐ。すみません」
元より彼女は、この国の人間ではない。敬語も呼称も、強要するものではないのだ。
だからイシュトは、彼女の頭を撫でて言う。
「お前が認められる王になるまで、お前は俺を無理に王と呼ばなくてもいいし、敬語を使わなくてもいい。イシュトと気軽に呼べ」
「その前に居なくなるかもしれないのに?」
「ああ。ここに居る間だけで構わない。俺がその分、取り戻し、得ていくだけのことだ」
「……分かった。………………イシュト」
少し恥ずかし気に名前を呼ぶ彼女は、一瞬だけこちらを見て、すぐにまた月へと目線を戻した。
やはり、彼女に名前を呼ばれるのは不快ではない。敬語を取り払っても、何の怒りも苛立ちもない。
(ああ、なるほど。……これが『対等』か)
身分も性別も関係なく、ただ一人の人間として傍に居る。
そんな存在は、イシュトの中でもほとんどいなかった。
「そろそろ冷えるから、窓を下ろすぞ」
「ん……あの、ありがとう」
「どうした?」
「落ち着かせようとして、月を見せてくれたんだよね」
「……まあ、他になかったというのもあるがな」
美しい宝石なら一つはあるが、あれはほいほいと他人に見せられるものでもない。それに、この夜空ではあまり美しく映えないだろう。
だが、窓を下ろしかけていたイシュトに、里琉は小さく呟く。
「……もう一つ、あったんだけどね。綺麗なもの」
「?」
星か何かだろうか、と思ったが、もう夜も遅い。彼女も落ち着いたし、あとは早朝訓練の為にも寝る時間が必要だ。
「お前、男と同じ寝台で寝るのは苦痛か?」
「えっと、見た感じ広いから、大丈夫、だと思う。寝相も悪くないはず」
「……いや、そういうことじゃないんだが。まあいい、問題ないなら寝るぞ」
「うん……。しばらく狭くなるけど、ごめん」
「大した問題でもない。……手を貸せ」
「? ……え、何で握るの?」
伸ばされた片手を握り、イシュトは言う。
「保険だ。お前の場合、遠慮し過ぎて落ちないか心配だからな」
「そんな間抜けじゃないよ……」
本心を押し隠して、イシュトは彼女の体温を感じ取りながら目を閉じる。
――起きたら居なくなっていないか、という不安を悟られたくなかった。
それでなくとも、イシュトを敬遠し、傍に居る女性は最初から多くなかったのだから。
※ ※ ※
「どうして……僕の愛を受け取ってくれたのに……!」
青年ハレッジは、淀んだ声で呟く。
「王の所へ逃げるなんて……酷い人だ。あなたは」
駆けこんだ先は、許可された者以外立ち入れない、王族のみのプライベートエリア。
里琉は諸々の事情で顔パスらしく、止められなかったところまで見た。
だが、彼女の怯えた顔。浮かんだ嫌悪と拒絶。それらが、ハレッジの頭から離れない。
「駄目ですよ。逃がさない。だってあなたは、僕の愛を受け取ったじゃないですか。だから、もうあなたは僕のものです」
これで何着目だろうか。彼女の着ていた夜着に、己の欲をぶちまける。彼女の代わりとして。
あの王は、もう何年も女性を抱いていないらしい。だから、彼女の事だってきっと抱かない。
だが、許せない。同じ寝台で眠るのは、自分だけの特権だ。
「待ってて下さい。王の所になんて、もう行けないようにしてあげますから……」
明日も、明後日も、その先も、邪魔をして、ここへ連れ込むのだ。そして何度も何度も彼女の中で愛を注ぎ続ければいい。
「っ、あぁ、リルさんっ、リルさんっ……! 愛しています……!」
もはやそれが愛ではないと、誰も諭せない。彼も気付けない。
――虚妄を膨らませ続けた男は、破滅の足音を聞き逃していた。
※ ※ ※
「はぁーい、王様。こちら、この王宮の隠し通路や部屋を含めた見取り図よー」
大きな巻物を手にしたフィリアが、翌日の仕事中に持ってきたのは、大きな王宮の見取り図だった。ルゴス大臣から借りたらしい。
「あの大臣様、ディアテラスの一件ですっかり手のひら返したもんだから、リルの事を持ち出して、怪しくて、かつ、見つかりにくい隠し部屋をいくつか教えてもらったの」
「……多いな」
「これでも絞った方よー。で、恐らくあのハレッジとかいう脳内花畑野郎の隠れ家的部屋なんだけど、ここじゃないかしら。確認はこれからするんだけど、王様。あなた半年も隠し部屋渡り歩いてたでしょ。どう?」
「……こういう場所は俺は見つけられなかったからな。偶然見つけていたら住み着いていた可能性があるぞ」
「へえ。じゃあここは当たりかもしれないわね」
それは王宮の一角にあたる、隠し部屋の少ないエリアだ。むしろ人が使わないエリアでもある。
犯人の男については所属などもとうに調べてあるが、彼の表向きの部屋からは何も出て来なかった事から、隠し部屋の可能性を見出したのだ。
「てか、リル大丈夫なの? お姫様の所に居るらしいけど」
「……今頃、化粧の実験台にされているんじゃないか?」
妹は暇潰しと称して、化粧や読書などのあれこれを手慰みに始めていた。歩く練習もしているが、長時間はまだ外に出られないし、足腰もかなり弱っている為、無理は出来ない。
それでも、里琉によってかなり予定よりも早く回復しているのだ。彼女は謙遜しているが、感謝されて当然でもある。
「確認は私とエクスで行うわ。正直、頭のおかしい男の隠し部屋ってだけでヤバいし」
「だが、ここに連れて行くだけでもあいつが耐えられんだろう」
「は? 気絶なりなんなりさせれば簡単な事でしょ。あの子は人間なんだから」
「……そうだった」
別に人外扱いはしてなかったが、そういった弱さを見せないせいか、可能性から外していた。
しかしここ数日、毎晩護衛をつけて里琉はやって来るが、飽きずに月を見たがる。たまにちらっとこっちを見るが、顔色でも伺っているのだろうか。
「王様、どうかしたの?」
「いや……あいつから色々と異世界の話を聞いているんだが、想像が追いつかん事ばかりだな、と」
実際、とんでもない事を教えられる。鉄の乗り物や国の多さ、季節の変化に食の豊富さと、とにかくすごいとしか言いようがない。
そんなに恵まれた土地に住みながらここに来てしまったためか、多少の不便さを感じてはいるようだが、そこを不服とは言わない辺り、性格は悪くないのだろう。
「ああ、面白いわよね。一人一台のレベルで、遠方と連絡が取れる機械を持ってるとか。しかも高性能だから位置情報もついてくるそうよ」
「……それは初耳だな。あと、シャシンというものが撮りたいと言っていた」
「あら、何かしらそれ。聞いてみたいわね」
「どうも、その場にある瞬間を絵のように残せるらしい。しかも、絵よりも精密に、だそうだ」
「そんなのあったら、証拠なんていくらでも集められそうよね。いいわねー。欲しいわー」
確かにそれは同感だが、里琉は詳しい事は知らないらしく、作るのは難しいと言っていた。あれば便利だよね、と言っていたが、そもそもの原理が分からないなら諦めるしかあるまい。
「じゃあ、とりあえず三か所。分かったらまた教えに来るから、よろしくね」
「ああ、頼む」
そうしてフィリアが退散した後、控えめなノックがされた。
「入れ」
誰何が面倒なので許可を出すと、そうっと里琉が顔をのぞかせる。
その顔は綺麗に化粧で彩られていた。
「どうした?」
「ら、ライラが……イシュトに見せろって」
「……俺に何を期待してるんだ、あれは」
「その、誉め言葉を一つもらってこい、って……」
「というか、一人で来たのか?」
「いや、メーディアさんが待機してる……。た、確かにあの、綺麗に盛れてるけど、ライラの技術がすごいだけだから! 褒めるならその辺で! 適当でいいから!」
赤くなって必死に言う姿に、イシュトは言い知れぬ気持ちを抱く。
世辞抜きで綺麗なのだが、そこを言ったが最後、それを手土産に里琉は速攻で出て行くだろうし、それを聞いた妹にまた呼び付けられて、扇を投げられるのが目に見えている。
さてどうしたものか、と思ったが、ふいに唇に目がいった。
あまり厚くはないが、紅によって艶を出され、更に僅かながら鱗粉のようなものが彩りとして乗っている。
「……あいつの選ぶ色は確かだからな。恋人なら、その唇に口づけたいと思うんじゃないか?」
「……何で?」
困惑する里琉に、小指の先で煌めく唇に軽く触れる。
「当然、その色と煌めきを共有したいからだが」
「――――っ、も、もう十分ですっ! ありがとうございました!」
心配なくらいに真っ赤になった里琉は、ほとんど飛び出す形で出て行ってしまった。
一人残ったイシュトは、小指の先に残った色を見て――己の唇にそれを着ける。
「無自覚に誘惑する癖だけは、止めて欲しいものだな」
なお一時間後、妹からの伝言をメーディアから渡されたイシュトは、しまった、と若干後悔した。
『よりによって口紅か。そなた、リルに惚れたのではなかろうな?』
「――そんなわけが、あるか」
呟きながら、その声がどうにも嘘くさく自分には聞こえて、イシュトはため息と共にその石板を廃棄用箱に放り入れたのであった。
※ ※ ※
ストーカーの手紙はあの日以来ぴたりと止んだが、未だに私室には勝手に入られているようで、置いてた物の配置ズレや不自然な紛失が続いている。
そしてそれに加え、人目につかない場所で、狙ったように向こうから出てくるようになったのだ。
「ひ……っ」
「ふふ。僕の事を、意識してくれているんですね。嬉しいです、リルさん」
「ち、近付いたら、悲鳴を上げます」
まだ何もされていないが、証拠は揃いつつある。例え自意識過剰と言われようが、目の前の男を許容する気など里琉には全く無かった。
「僕、お願いがあるんです。王の部屋に通うのを、止めて下さい」
「あなたが私を諦めてくれるのなら、すぐにでも」
「無理です。だって、言ったでしょう? あなたは僕と幸せになるべきだと。その為の特別な部屋も、用意してるんですよ」
部屋を用意している、の意味が分からない。そんな怪しい部屋なら、とっくに見つかっているような気がするのだが。
しかし、それよりも交渉が決裂している状況では、会話はほぼ無意味だろうと里琉は首を横に振る。
「だったら、まだ王様の所に居た方がマシです」
「っ……何故ですか! 僕の方が先でした! 僕が先なんです! 誰よりもあなたを愛しているのに……!」
ざわっと全身が総毛立つ。里琉は耐え切れずに言葉を発した。
「――私の事を何一つ知らない奴が、私を愛せるもんか!!」
「っ!?」
びく、とハレッジは驚愕に震える。見開いた目が疑問を浮かべていた。
「あんたが見てるのは、私の偶像だ。現実を知ったらどうせ、あんたも幻滅する。それに私は……」
あまり普段は言わない。だが、今は言わなければならない。
里琉は、長年心に積み重ね続けた一言を、告げる。
「――私は、人間なんて、大っ嫌いだ」
冷や汗が滲む首筋をそのままに、里琉は踵を返して歩き出す。どこに行くつもりだったか忘れたが、今は人気の無い所へ行きたい。
「ま、待って下さい! 僕は本気で――っ!?」
追いかけてくるハレッジに向かい、里琉は帯刀していた剣を引き抜き、突きつける。
「……消えろ、ストーカー野郎。二度と顔を見せんな」
そうして相手が怯んだ隙に、里琉は隠し通路へと入り込む。薄暗いが、壁伝いに歩けば問題は無い。追ってくる足音もしなかった。
やがて抜け出た先は、予想外にも青い絨毯の敷かれた場所で。
そして何の偶然か、王が通りがかっていた。
「!? お前、何をしているんだ」
「あ、あー……イシュト」
綺麗な顔をした王は、すぐに里琉に近付いて、頬に触れる。
「どうした、顔色が悪いぞ」
「……大丈夫。それより、化粧が付くから、触らないで」
やんわりと彼の手を引き離し、里琉はいつも通りを装う。
彼も人間だ。里琉にとって、大嫌いな人間。
――里琉の異端性を忌避し、嫌悪し、貶める存在。
「それで、何でこんな所から出て来たんだ?」
「……別に。何となく」
「さすがに驚いたぞ。……とりあえず、執務室に戻るからついでに来い。フィリアが水質調査の報告を持ってきた」
「! 分かった」
そういえば、オアシスの水質に対して頼んでいたのだった、と里琉は思い出した。
歩きながら、王が小声で指摘する。
「今のお前の状態は、見覚えがある」
「……?」
「あの女……俺の、元婚約者と同じ目、気配をしている。今もな」
知らない人間の事を言われても、里琉には判然としない。
当惑する里琉に対し、イシュトは少し考えてから説明を加えた。
「俺に対してというか、他者に対してそういう目を向けていた。自分以外は敵であり、命を狙う者。そんな風に思っていると、当然だが警戒心が高まる。一言で言うなら、殺気に近いな」
「……イシュトに殺意は、無いよ」
「確かに多少和らいだが、残ってるぞ。……無理をしなくていい。お前にとって、他人がどんなものかは大体想像がつく」
「……分かるの?」
「人間の薄暗い部分など、大抵は共通しているものだ。お前がそれを嫌悪しようが、それはお前自身の勝手だろう」
その通りなのだが、里琉は返答に困る。自分だってそう思われているかもしれないと思ったら、嫌な気分になるものだろうに。
ちらりと彼を見ても、平然としたようにしか見えない。ただそういえば、彼は色々と慣れている、と言っていたような記憶はわずかにあった。
もしかしたら、そういうのも含めて、一人が好きなのかもしれない。
やがて執務室へと入ると、フィリアが待っていた。
「おーそーいーわーよー! あら、リル。どうしたの? 昔の私みたいな目してるわよ」
「……え、フィリアさんも……?」
「お前達は雰囲気が似ているからな」
「王様も同類っちゃそうよね。リル、あんた人間嫌いでしょ」
「あ……」
今は否定できないし、実際、嫌いだ。特例が家族だっただけで。
イシュトも軽く肩をすくめ、椅子に座った。分かってた、と言う事だろう。
「いーの、いーの。あんたも私も、王様も、割と人間の嫌な部分見て育ってきたお仲間ってところだから。それぞれの理由があれど、他人を容易に許容していないでしょ。あんたは色々教わったから処世術があるでしょうけど、それでもどうしたって、抑え込めない時はあるものよ」
言いながらフィリアは、丈夫な鞄に詰めて来たものを次々とテーブルに出す。
「私達にとって、他人とは脅威よ。己を苦しめ、傷付け、踏みにじって来た奴ら。そうしないでまともに接した人間以外、私達は受け入れられない。当然だわ」
さて、とフィリアが、話を切り替えて置いた物を説明する。
「まず右から、これが原水。オアシス直送、墓場行きの水ね」
「……毒水の新しい表現だね」
「危険度の説明にしては的確だな」
「で、こっちが煮沸した水。墓場からは遠のいたけど、まあ向こうに見える程度、かしら」
「……濾過したやつは?」
「これよ、これ。本当、散灰石の灰ってやばいくらい浄化力あるわよね。鉱毒すら濾過して、綺麗な水に出来るんだから」
つまり、危険度は無い、ということらしい。
「という前提を踏まえて、これが含まれていた鉱毒のリスト」
びっしりと黒地石版に書かれたそれを見た王が「知らん物質が混じってるんだが」とぼそりと呟く。
「そりゃそうでしょ。リカラズ側の山で採れる鉱石の毒だもの」
「!」
そういえば、リカラズの発展は確か、独自の地下資源や鉱物によるものだと聞いた。
それらが枯渇しつつあり、今後どうなるかの見込みは一切立っていない、までがフィリアの知っている情報らしい。
そのリカラズ独自のものがこうしてオアシスに入り込んだということは、だ。
「……オアシス管理局は、クロだね」
「そうね。まあ、目を付けてても今じゃ入れないでしょ。例え王族権限使っても、派遣された奴らがディアテラスにされたら意味無いわ」
「そうだな。……無駄な犠牲は避けたいところだ」
村の子供達が危険だ、と里琉は眉を寄せる。しかし、それをどう伝えるか。
子供の言い分を大人は聞かない。むしろ聞かせようとしてくる。だから信用出来ないままなのだ。
しかし、命に関わる以上、里琉としては子供達を放っておけはしない。
「せめて、子供達だけでも逃げられないかな」
「あんた、自分を助けてくれた相手にはとことん甘いわよね。気持ちは分かるけど、あんた一人が動くのは難しいわ。今はオアシスの水に関しての調査が出たところだし、大臣を数名巻き込んででも制圧会議を開いて欲しいわね」
「制圧か。ついでにあの女が潜んでいたら首が欲しいな」
「有り得ると思うわ。カーエの時から怪しいと思ってたし。その辺は任せるけど、周到に確実にやってよね」
「ああ。……それらはユジーにも言っておく」
「じゃあこれは片付けてっと……。リル、それから王様も。もう一個情報があるわ」
テーブルの上を片付けたフィリアは、壁に立てかけておいた大きな見取り図を広げた。その一か所に、目立つように印がつけられている。
「ここ、何?」
「というか、勝手に書き込むな。あの大臣にどやされるぞ」
「ああ、後で消すから。それより、ここよ、ここ。……ストーカーとやらの、隠し部屋」
「!!」
とんとん、とフィリアが示すのは、里琉でも滅多に行かないような、正直言って何も無いエリアだ。周辺を見ても、隠し部屋か通路かしかない。
「私とエクスで手分けして、数か所あたったんだけど、ここを見つけたのはエクスよ。ただ……リル。絶対にあんたは、ここに行っちゃ駄目」
厳しい目で、フィリアが里琉を見る。
どういう意味だろうと考えている間に、説明が追加された。
「あんたの所持品だらけなのよ。コレクション部屋みたいな感じかしら。……ただ、服に限らず、色んなものを集めて瓶詰にしてたり、盗んだっぽい服の一部が……めちゃくちゃにされてたりしてるから、あんたが見たら気絶しかねないし、何なら……一生残る傷になりかねないのよ。……ちなみに私はその後一回吐いてるわ」
聞いた瞬間、里琉も吐き気がした。確かにあの男の目はもう、正気ではないと里琉も感じたが、既に手の施しようがない、と言ってもいいかもしれない。
「言われなくても行かないけど、私の物じゃない物まで持ってってるよ、あの男」
「全て盗品として扱えばいい。事実、盗んだしな」
「手紙も王様の所に通った途端、止んだから……あとは強硬手段、でしょうね」
さっきのも、里琉の態度次第ではどうなっていたか。剣を突きつけたのは正解かもしれない。
「護衛もガルジス直属かつ有事に慣れている奴らだからな。そうそう近付けはしないと思うが」
「でもそれ、夜だけじゃない。昼間は?」
「…………リル。さっき、何故あの場所から出て来た?」
ぎくり、と里琉はイシュトの問いに体を強張らせる。
(どうする、言う? でもギリギリ、こっちが警告してあるし……それで余計に護衛が増えるのは……)
「さっきも言った通りだよ。あったから、何となく使ってみたらあそこに繋がってただけ」
さも何でもない事のように言うが、イシュトは小さく嘆息してそれに返した。
「……そいつが追いかけでもすれば、現行犯で捕まえられたものを」
「冗談じゃない!」
「王様も一応、心配はしてるんでしょ。どうする? 護衛増やした方が安全……」
「やだ!!」
里琉は咄嗟にそう声を上げる。
「これ以上護衛なんて……監視されているみたいで、気分よくない」
「…………お前がそう言うのなら、無理にとは言わん。ただ、忘れるな。この王宮で今最も警戒するべきは、お前自身なんだからな」
「分かってる……」
窮屈で、不安で、ひたすらに何もかもが憂鬱で。
元の世界なら、こんな事にならずに済んだのに、とさえ思った。
(馬鹿じゃねえの。何でこんな、男と間違える女なんか、狙ってんだよ)
「ストーカーをとっ捕まえるまでの我慢よ。とっ捕まえたら、いくらでも報復に付き合ってあげるわ」
「報復とかどうでもいい。今すぐこの世から消えて欲しい」
「消してやろうか?」
「暴君の烙印を押されたくないなら、軽率な発言は控えて。仮にも王様だろ」
面倒が増えて困らせているのは分かっている。だから里琉も焦っているのだ。
「王様。ただでさえ噂が出始めてるんだから、これ以上リルを困らせないで」
「噂?」
そこで里琉はようやく知る。『王が里琉に懸想している為に、通わせているのではないか』と、事情を知らぬ者達がほぼ信じ込んでいるレベルで噂しているのを。
「うーん、幼稚な王様と粘着ストーカーの二択はちょっと」
「俺も同列に扱われたくはないぞ」
「でも、このままいくと、さすがにまずいんじゃない? リルを王妃に仕立て上げたい輩とか出始めてると思うし」
「え、居るの?」
「居るぞ。お前を気に入ってる大臣辺りだな」
フィリアの懸念をあっさり肯定するイシュトに、里琉はげんなりして首を横に振った。
「恋愛スイーツ脳しか居ないの? ここの王宮」
「何言ってるのか分からんが、恐らく否定すべき内容だな」
「だって、誰も彼もが他人や自分の恋愛ごとばっかりだろ。私はそういうの関係ない立場だったってのに」
「俺も関係ないんだが」
「王様は考えるべき案件でしょ。勝手に重鎮たちがリルを王妃に押し上げたら、どうするつもり?」
「却下するが?」
「まあ、普通に考えたら嫌だよね。これが妃とか」
自分を指さす里琉の言葉に、王は胡乱な目を向けて反論した。
「好き嫌いの問題じゃないだろう。お前、帰りたいんじゃなかったのか? 帰らなくていいなら、お前を娶るのは構わんぞ」
「え」
「この王宮で一番、気心が知れて立場的にも反対されないのはリルだもの。当然でしょ。あんたこそ、自分の外見を貶めるの、いい加減鬱陶しいから止めなさい」
フィリアの追撃に、里琉はしおしおとうなだれる。
「帰りたいんで却下して下さい……」
「分かった」
「王様も気の毒にねえ。五年前に私が居たら、止めてあげられたかもしれないんだけど」
そういえば、と里琉は首を傾げる。五年前に不祥事がどうの、と聞いたっきり忘れていた。
「五年前か。イシュト、何やったの? 元婚約者のせいってのは、ユジーさんから聞いてるけど」
「……聞いても得しないぞ」
「いや、今の話に関係ありそうだったから」
「あるわよ。ざっくり言うと、その元婚約者のせいで、女官一人、娼館送りにしたらしいわ」
「ざっくり過ぎて、王様が悪いとしか言えないんだけど」
更なる説明を求めると、イシュトが嫌々ながら仕事をしつつ答えた。
「五年前の、俺の誕生日に宴が開かれた。その際に毒見を目の前で見習い女官がしたんだが、大丈夫だと言われて飲んだそいつは、酒だった。……俺は一時的に意識を失った」
「王様は下戸よ。酒一滴でも倒れるわ。前王妃様……お母様と同じね」
なるほど、それは気の毒に、と里琉は頷いた。というか、未成年らしき毒見役は大丈夫だったのだろうか。
「酒だと思ってなかったし、その女官見習いは、俺が倒れている間に発熱を訴えてエクスの所に連れて行かれた。毒かと思ったそれに入っていたのは、強い媚薬だったんだ」
「媚薬!? え、本物が存在するの!?」
里琉の世界だと、聞いた限りではそれっぽいものしかない、あるいはあったとしてもかなり危険なドラッグ類とされる為、一般的に流通はしていない、らしい。
何にせよ、本物だとしたらどちらも無事では済まなかっただろう。
「女官見習いは一応、そのまま解毒剤を飲ませたから良かったが、その時ついていた高位女官が、代わりに俺に解毒剤を飲ませる為に、俺の寝ている部屋へ来てしまったんだ」
「補足すると、王様のアルコール分解速度だけは異様に早いわ。倒れても三十分後にはケロッとしてるの。だからそれは心配なかったけど、媚薬だったことで、女官も慎重だったはずよ。それでも――飲ませる事は、出来なかった」
苦い声でフィリアが語る内容で、何となく想像がつく。
イシュトも言いたくなさげに頷くだけだ。
「一晩中、その女官は王様に抱かれ続けて、まともに話が出来るのは、二日後だったそうよ。強い媚薬のせいとはいえ、王様は元々、体質的に精力が強いの。この二年近くは、私が作成した抑制剤でやり過ごしているけれど……」
「責任を取る話になった時に、その女官は自ら娼館入りを申し出た。詳細は省くが、こちらはその要望を逆に受け入れるしかなかったんだ。避妊薬だけは使ったが、結果として、有能な女官を一人失った。俺は俺のした事の後悔と、今後起こり得る可能性を考慮して、女を傍に置かないようにしていたんだ」
里琉はそこまでの話で、ふむ、と考え込んだ。
(それを五年もの間続けて、現状、性別は女である私が傍に居るわけだけど、全然性的な事はしてこないし、薬は続けてるのかな)
「傍から見たら、誤解されるだけの要素は揃っちゃってるんだね」
「そうなのよ。で、実はね。……この数週間、王様に薬を与えてないの」
「えっ」
「…………半年の間は、ガルジスを通じてもらっていたんだがな。戻ってからは一度も飲んでない」
「でも、私と一緒に寝るのは平気だよね」
「言っとくけど、諸々の事情で理性も人一倍強いわよ。あんたが気付いてないだけで、かなり耐えてる可能性はあるんじゃない? 王様」
そんな馬鹿な、と王をちらりと見ると、さっと目を逸らされた。
嘘だろ、と里琉はショックを受ける。
「イシュトまで、そんな目で私を!?」
「言い方に悪意しか感じないんだが。俺も人間で、男だというのを忘れていないか?」
「じゃ、じゃあ、薬はどうして止めたの?」
「副作用が懸念されたからよ。長期間、少しずつとはいえ摂取し続けると、子供が出来なくなるの。元々、本能的なものを薬という異物で抑制していたから、影響も強いのよ」
それなら仕方ない。子供が産めない王では困るのも、里琉はさすがに知っている。
だが、それで間違いが起こってしまったら、本末転倒ではないか。
「副作用の少ない新薬を要求します!」
「簡単に言わないでよ! 薬の作り方、あんた知ってるの!?」
問題あり、と判断した里琉の言葉に、二人は反対を示す。
「とにかく、王様が自制出来てるならそれでいいじゃない。どっちかって言ったら、今すぐ襲い掛かりそうなストーカー男の方が問題でしょ。噂はほっといて、あんたはその貞操を守りなさい」
「……やっぱり生娘だったか」
「最低! デリカシーない! 思っても言うものじゃないだろ!」
どうせ性的魅力はゼロですよ、と内心で舌を出す。
「でも、認識したなら尚更自制は利くでしょ? せいぜい国の恩人を守り抜きなさいよ」
「そういう大げさな事じゃなくていいから、私は無事にストーカーを駆逐したい」
話が本題に戻り、フィリアも地図を丸めつつ頷く。
「そうね。王様だってこれ以上の不名誉は避けたいでしょうし、迅速に対応していきましょ」
「そうだな。そいつの懸念を晴らすのが最優先だ」
「……で、今日も泊まるの?」
「手を出さないから安心しろ」
「まあ、イシュトなら大丈夫か……」
そんな気がしたので、里琉は思わず呟くが。
「根拠のない自信を語るの、止めなさいよ」
「出さないように自制だけはする、と言い換えてやった方がいいか?」
二人に睨まれ、ひえ、と首をすくめたのだった。
※ ※ ※
――変化が起きたのは、その日の夜だった。
「は? リルが来ない?」
「ええ、いつもならもう陛下の所へ行くとお声がけいただくのですが……今日は一向に……」
「分かった。俺が陛下の所に行って確認する」
ガルジスは里琉の護衛を務めている部下から連絡を受け、急いで王の寝室に向かった。
出迎えた王は驚いた顔をし、だがすぐに厳しい声で問いかける。
「あいつはどうした」
「護衛が姿を見ない、と報告に。こちらへは、その様子ですと……来てないですね」
「……昼間、接触があったそうだ。もしかしたら、強硬手段を取られたかもしれんな」
「すぐにフィリアとイーマ大臣へ連絡をします。陛下、場所に心当たりは?」
「ある。……急げ。あいつが、壊れる前に」
イシュトは上着と剣を携え、すぐに迷いなく駆け出していく。
「……くそっ、守れないなんて、冗談じゃないぞ……!」
ガルジスは忌々し気に呟きながら駆け出す。その途中、メーディアに遭遇した。
「メーディア! 丁度良かった。頼まれてくれ!」
「どうしたのガルジス、そんなに慌てて」
「万が一……があるかもしれないんだ。……陛下の寝室に一番近い湯殿を、すぐ使えるようにしてくれ。…………リルが、危ない」
それを聞いて、メーディアはさっと青ざめ、すぐに頷いた。
「分かったわ。くれぐれも、頼んだわよ。陛下は?」
「既に心当たりのある場所へ向かった。フィリアも知ってるらしいから、フィリアとイーマ大臣に声を掛けて、俺達も向かう」
「そう、気を付けて」
メーディアの言葉を背に、ガルジスは駆け出す。まずはフィリア、そしてイーマ大臣だ。彼らの助力があれば、現行犯逮捕は容易い。
それまでどうにか、無事でいてくれとガルジスは必死で願う。
――二十年前、守れなかった非力を繰り返したくなくて。
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