5話:蒼玉の扉

 二日目、里琉はガルジスに連れられて王宮の案内をされていた。

 一日目とは違う場所を歩いているが、どこもかしこも風通しがいい。しかし風はなくとも湿度が低いからか、不快感は高くなかった。ただ暑いだけである。

「今は乾期って言ってな。風が全く吹かない時期なんだ」

「じゃあ雨期もあるの?」

 乾燥地域によくあるスコールなどを想像していたが、頷くガルジスの説明は少し変わっていた。

「あるにはあるが、まずサイクルってのがあってな。一年の内、二~三ヶ月ずつ、季節が変わる。季節は乾期、風期、雨期の三つだ。そして順番に廻るんだが、今は一番長い乾期だな。この間に雨期に使うものを整備したり、畑を耕して作物を育てたりするんだ」

「水ってどこから引いてるの?」

「そいつは別の時に説明してやる。あるいは他の大臣から教わるかもな。ちょっとややこしいんだ」

 話が混ざると脱線するので、里琉もそれに同意して季節の話の続きを聞く。

「で、この乾期が終わると、風期になる。風期は逆に、風が吹きっ放しになるんだ」

「それ、どのくらいの強さ?」

「まちまちだぞ。ただ突風で物が飛んで壊れたり、人が事故に遭う、あるいは下手をすれば死ぬ事もあるから、風期はなるべく家に居るのが鉄則だ。どうしても出なきゃならん時は、風が弱まるのを待つしかない。で、その間はこの王宮全体に、布が張られる」

「あ、そうか。風が強すぎると、中で大変だもんね」

 要所要所に部屋で見たものと同じカーテンらしき布が巻いてあり、あれを下ろす事で窓を閉じる役割を果たすらしい。だから夜は真っ暗になるし、ランタンが無いと満足に歩けもしないという。

「その時期がランタンを使いまくるんだよな。火事の心配だけは常にしとけよ。朱水石の火は水じゃ消えんからな」

「それって、ランタンに入れてたやつだよね。詳しい話聞きたいな」

 この国の鉱石にも興味はある。自分の知識とどう違うのか、それともどこか同じなのか。少なくとも化石燃料のような石はあまり見た事が無い。

「それも別の機会だな。話すと長くなるし、今日は隠し部屋とかも見せてやろうと思ったんだ」

「隠し部屋?」

 どこを歩いてるのかと思ったら、そういう事だったらしい。

「この王宮にはあちこちに隠し部屋、隠し階段、隠し通路がある。設計者が何を考えてたんだか知らんが、おかげで隠れ放題だ。ちょっとした訓練でも使える」

「へえ! 面白そう!」

「だろ? 暇があったら使ってみろ。中々居心地もいいぞ」

「勝手に使っていいの?」

 許可なく入っていいのか、と思った里琉に、ガルジスは頷く。

「もちろんだ。というか、積極的に使ってる奴らも、結構多い」

「嫌な事あったりすると、隠れたくなるよね。その気持ちはわかる」

「お前も何かあったのか?」

「昔ね。で、隠し部屋ってどういう特徴があるの?」

 里琉が話したくないのを察知したのか、ガルジスは頷いて細めの廊下へと入った。

「こういう所にあるのが、隠し部屋でな。で、使う時は目印を布扉に着けとくといい」

「あ、そうか。呼び鈴が無いから隠し部屋か」

 風鈴のような形のそれは、あの村でもやはり呼び鈴だったらしい。

 見ていくうちのいくつかの布扉には、やはりリボンやらブローチやらが取り付けられていて、誰かが居る事を示している。

 大分奥の方まで来た時、里琉はふと立ち止まった。ほんの一瞬、きらりと何かが光ったような気がしたのだ。

「どうした?」

 光った方向に向かった先の布扉についているのは、恐らくブローチだ。だが、その石がとても綺麗で、里琉はじっとそれを見つめる。

 だが、途端にガルジスがそれを引きはがしにかかった。

「おい、何やってんだお前。離れろ」

「え、何で!? ちょっとこの石気になる! 何ていうの!?」

「しー! 静かにしろって!」

「み、見るだけー! 素手で触ったりしないからー! もうちょっと観察ー!」

「そうじゃない! ていうかよりによって何でそれなんだよ! 女ってもうちょっと派手な色の宝石とかだろ見るの!」

「残念でした! 私は鉱石マニアだから関係ないです!」

「胸を張るんじゃない!!」

 静かにしろと言った本人が騒いでいたせいか、いきなりその布扉が開かれて。


「……うるさい」


 非常に不機嫌な声の男性が、長い前髪の奥からこちらを睨んでいた。

 さすがに石の事も一瞬忘れて、里琉は「ぴゃっ」とガルジスの背後に隠れる。

「誰だお前は」

 警戒を隠しもしない相手の声に威圧感をおぼえつつ、里琉は名乗る。

「り、里琉、です」

「申し訳ないです。こいつが、扉のブローチの石を何故か気に入っちまいまして」

「は? 石?」

 何故か威圧感を増す相手に、里琉は怯えながらこくこくと頷く。

「邪魔してごめんなさい……。綺麗な石だったから、気になっただけなんです……」

「……お前、この石を知らないのか」

 若干ながら驚く相手に、そんなに有名な石なのか、と里琉は首を傾げた。

「はい。一昨日来たばっかりなんで、何も知らないです。あの、どこに行ったら買えますか?」

「ばっ……お前、こいつはなあ!」

「……売ってない。それと勝手に触るな」

「さ、触らないので安心して下さい! 私こう見えても、鉱石の扱いには多少の自信があります!」

「え、そうなのか?」

 そういえば教えてなかったな、と里琉は思い出し、えへんと胸を張る。

「私は大学の専攻で鉱石学を取得してるんです。宝石に限らず、あらゆる鉱石類に関して調査し、知識を得る事を生きがいにしているんです。というわけで、観察だけでもさせてください!」

「そうだったのか……いや、そうじゃないだろ……何でだからこれなんだよ……」

 傍でがっくりとうなだれるガルジスが、疲労に満ちている。そんなにげんなりしなくてもいいだろうに。

 もっとも、大学でも似たような反応を取る人間ばかりだったので、別に気にしないが。

「あー、断っていいですよ。なんならすぐに他所へ連れてきますんで……」

 ガルジスの言葉に里琉はむうっと頬を膨らませるが、相手が嫌がる事までするつもりはない。

 だが、相手は小さく嘆息して言った。

「……五分だけだ」

「やったー! いい人だ!」

「お前ちょろいな!?」

 盗まれたら困るのだろう。その人物も傍に居るつもりらしく、そのまま外に出て布扉を閉める。

 里琉は気にせず近くで、呼吸を弱めてじっと観察した。

(黒曜石っぽい透明度と、光が入ると夜明け前のような綺麗な蒼。表面は丸く磨かれているから、硬度は低いかな。でも丁寧に扱われているからか、傷は一つも無い。はめ込んだ台も、装飾が細かいし、腕のいい職人が作ったんだろうな)

 見る方向を変えると、台座の底がわずかに見える。何やら文字が彫られているようだが、里琉には読めなかった。

「終わりだ」

 しゃっ、と扉を開けた男は、中に入る。それを閉められる前に、里琉はお礼を言った。

「ありがとうございました! すごく素敵なものが見れて良かったです!」

「全く、とんでもない事しやがって。……では、また」

 返事はなく、扉は閉まる。今度は里琉も意気揚々と歩き出した。

 しばらく歩いてから、結局石の名前を聞いていなかったことに気付く。

「あの石、結局なんて言うの?」

「……蒼輝石、ってやつだ。お前、今の他の奴に言うなよ。あの石はな……特別なんだ」

「特別? うん、確かに分かる。あれってきっと、贈り物だよね。あの人、恋人か誰か居るのかな。だとしたらきっと、その人の事も大事にしてるんだろうなぁ」

 そういう事なら、ぺらぺらと他人に話したりすることは良くない。恋愛に興味はなくても、その辺りの気配りは多少学んでいる。

「次は邪魔しないようにしなきゃね。そういえば知り合い?」

「まあな。古い付き合いだ」

「そっか。ごめんね。後で謝っておいてくれるかな」

「別にいいが……そこまで気にしてないんじゃないか? あの石をべた褒めしてたろ」

「綺麗なものは綺麗って言うべきだと思う! それに、あの人だってそれが分かってたから、見せてくれたんじゃないの?」

「……そうかもな。お前みたいな奴が、もっと前から居れば良かったのになあ」

「…………あの人も、何かあったの?」

 異様に長い前髪だけは、確かに気になった。あれでよく前が見えるものである。

「まあな。人それぞれ、何かしらあるもんだ。お前は気にしなくていい」

 確かに、と里琉も頷いて気分を切り替えた。

「じゃ、他にも色々な隠し部屋とか教えてよ! ダンジョンみたいでちょっとわくわくする!」

「はいはい、分かったよ。全く、忙しないなお前」

 呆れた口調ながらも、ガルジスは付き合ってくれるらしい。

 そうして二日目は、上機嫌に夜を迎えた。


※ ※ ※


 その晩、ガルジスは昼間とは違う場所で見つけた蒼輝石のブローチがついた布扉を開き、来訪を告げる。

「昼間は申し訳ありませんでした、陛下」

「……何だあれは?」

 机の上には書類が広がっている。仕事ではないそれは、だが王にとっては必要な情報だ。

 それを確認する事もなく、ガルジスは問いに答える。

「端的に言うと、俺が連れて来た迷子です。……あの通り、少々子供っぽいですが、れっきとした未婚の女なんですよ」

「何を拾ってるんだお前は」

「……あれは、ちょっと特殊です。本当なら、離宮の奥で隠しとく予定だったのが、宰相に目を付けられてしまいまして」

「宰相だと?」

 途端に警戒を強める彼に、ガルジスは首を横に振って、問題ないと示した。

「何を考えてるのか知りませんが、部下にならないと俺達全員を不審者の手引きで拷問にかける、とまで脅されて、仕方なく受けたそうです。メーディアがカンカンでした」

 彼女は正直過ぎる、と嘆いていた。毒が効かない事さえ堂々と言ってしまったらしく、これからどんな悪用をされるか、気が気でない。

 だがそれは、目の前の王には関係の無いことだ。

「あ、陛下の正体は教えてないので大丈夫です。今後は気を付けるそうなので、下手に騒ぐこともないかと」

「……だが、宰相の部下か。余計な事を言わなければいいんだが」

「まあ、その時はまた逃げればいいのでは?」

「……お前だけだな。逃げていいと言ったのは」

「あの女が見つからないと、戻るに戻れませんからね。とはいえ、国もそろそろ限界ですよ。その状況で彼女を教育とは、もはやなりふり構っていられない、と思っていいのかもしれません」

「俺が戻るだけの理由など、ありはしないだろう。未だに誰も、あの事件の真相に至れてはいないんだからな」

「陛下……一応何度でも言いますが、陛下が順序だてて説明すれば、皆、納得すると思いますよ……?」

 この王は若いせいもあるが、これまでの人生上、他人を信じられない傾向にある。だからこそすべて一人で背負おうとして、こんな事になっているのだ。

 ほんのひと欠片、誰かに頼れば、きっと物事はスムーズに解決するかもしれないのに。

 だが、ガルジスには今以上に出来る事がない。それは逆に、王の不信を煽るだけだと分かっている。

「その説明に証拠が無ければ、何の意味もないからな。宰相が理解出来たところで、手を打てる状況でもないだろう」

「ごもっともですね。じゃ、俺は失礼します。……リルの奴も、早いところ家族の所に帰りたいみたいなんで、協力してやりたいんですよ」

「……お前も難儀な奴だな」

「いいんですよ。俺が後悔しない為の生き方なんで」

 では、とそこを辞して、ガルジスは暗くなり始めた廊下を歩く。

 外は相変わらず美しい満月が浮かんでいた。

「…………忙しくなるな、俺も」

 明日は三日目。彼女が自由で居られる、最後の時間だ。

 彼女には悪いが、今しばらくこの国に付き合ってもらうしかないだろう。

「悪いなあ、リル。……お前をこんな目に遭わせるつもりは、なかったんだがな」

 彼女には届かない言葉を、ガルジスは夜空に向かって吐き出したのだった。


※ ※ ※


 人はそれを、或いは狂気の沙汰と呼ぶのかもしれない。

 国がどうなるか分からないこんな状況で、何も知らない娘を一人、宰相の部下にするべく教育しろ、と言うのだから。

 話を聞いた大臣達は、めいめい困惑を浮かべていた。

「文盲と言ったか。では、文字すら扱えんのだな」

「はい。ですからヴァス大臣にはそれをメインに、この国の学問をお願い致します」

 ヴァス大臣と呼ばれた男は、渋面を隠しもしない。その隣に居た別の大臣が、ため息交じりに言う。

「未婚の娘を教育など……宰相の身といえど、分を弁えて頂けませんか」

「ラバカ大臣。若い女性を侮るような言い方はお控え願えますか? 彼女の人となりは、私個人が見て判断したまでの事です。それこそ、あなたにとってはチャンスでしょう? 彼女の教育が失敗すれば、私を追い出せる口実が出来るじゃないですか」

 宰相は嫌味も隠さず、大人しそうな見た目の大臣に言い返す。もちろん笑顔のままで。

 それを止めるように、ラバカ大臣と向かい合わせに居た男が口を開いた。この中で最も目立つ外見をしている。

「こらこら、そういう言い方はどうかと思うよ! 若い女性、それも独身で、何でも髪が短いんだって? ぼくの所にまで噂が届いているよ。ぼくは大いに賛成だ! この国は女性に対する認識をもっと改めるべきだと、常々思っていたからね!」

「ネオ大臣は女性に慣れていらっしゃいますからなあ。ほっほ、むろん、儂も賛成しますぞ。よき娘ならば、我が息子の妻にでも……」

 老年と言っていい外見の男性が、呑気な事を口にしかけたのを、宰相は即座に笑顔で制した。彼女は大臣の嫁候補ではない。

「カラム大臣、あなたのご子息の目に適う相手ではありませんよ。他の方をお探し下さい」

「……ふうむ、その女性とやら、まさか他国のスパイとかではありませんよね? だとしたらワタシの聖域に入れるなど、言語道断ですが」

 手元でコインを弄る癖は、いつまで経っても抜けないらしい。それくらいお金が好きな男なのは知っているが、だからこそ、宰相もそれに堂々と言い返す。

「悪事なんてした事の無いような目をしていましたよ。モニ大臣がご自分でご覧になってみれば、すぐに分かることかと。それと、スパイという疑惑も、有り得ない、と断言しておきましょう。彼女はこの国の人間ではありませんが、同時にどの国にも所属しておりません」

「何ですかそれは? それでは、この国の法は通用しないのではありませんか」

「この国に居る以上、この国の法に従ってもらえばいいだけでは? イーマ大臣」

 顔をしかめるのは、宰相と同じ金髪の男だ。その隣に居た壮年の男性が、意地悪な笑顔でそう告げる。

「そういえばその人物とやらは、既に隠し部屋の類を探検して回ってるそうじゃないですか。いいですな。そういう遊び心を持った女性は、大歓迎ですぞ」

「ルゴス大臣の先祖が作ったという、数々の隠し通路や隠し部屋か。……陛下も、そのどこかに今も居らっしゃる、と噂があるが」

「パソーテ大臣、くれぐれも、陛下に関する話は最小限でお願いします。彼女は陛下に関心を持たない女性ですが、同時に、陛下が何もしていないという事実を把握し、危惧している側です。不安を煽り、混乱を招くような真似はなさらないで下さい」

 ガルジスの直属上司とも言えるパソーテ大臣は、だがそれでもガルジスから真実を明かされてはいないという。つまるところ、大臣も宰相も全員が、王の信用を得られなかった、というのが現状だ。

 彼女は果たしてどうなるだろうか。彼らからの信頼を受けられるのか、それとも。

「……では、各々の分野で明日から、彼女の教育をお願い致します。期間は、基礎を一ヶ月で。可能なら基礎以上のものを詰め込んでも構いません」

「それは……いくら何でも、彼女の負担に関わるのでは?」

「当然ですが、我々と同じ無茶を強いる事は無いようにお願いします。可能な範囲ギリギリまで彼女を教育し、一ヶ月後に、教育を続けるかどうか再検討します。可能ならば、三ヶ月を研修期間と定めます」

「何故、そこまで彼女を? 他の文官を引き抜いた方が早かったのでは?」

 出て来る疑問は当然だろうが、だからこそだ。

 宰相は笑顔を絶やさず、きっぱりと告げる。


「彼女が特殊な女性だからです。それが全てですよ」


 ――この中の数名ならば、知っている。その真意を。亡き王と王妃が危惧し、そして変えようとしたこの国の根深い思想を。

 ユジーはただ、それを通したいだけだ。この三ヶ月以内に、せめて形だけでも。それが亡き友への弔いだと、信じている。

「ところで、教育内容はともかく、場所や時間はどうするのだ? 要項には書かれておらぬが」

 ヴァス大臣のもっともな疑問に彼らも頷くが、それこそが肝要だ。

「ええ。それらを、あなた方個々人で決めて、連携して下さい。それが出来ないなどとは、もちろん申しませんよね?」

 ――国の上層部が連携すら取れないようでは、この国の未来など知れている。その圧が伝わったのか、彼らからそれ以上の疑問が出る事はなく、会議は終了した。


※ ※ ※


「というわけで明日から、あなたは宰相様の部下になる教育を受けるのだけど」

「だ、大丈夫ですかね……」

「この三日、歩き回ったからかお前の噂が流れてるぞ。正体不明の新入りだってな」

 正体も何も、これまで別に何者でも無かったのだが、里琉は顔をしかめた。

「性別も年齢も、だろ。はいはい知ってる」

「拗ねても現実は変わりませんよ。ところでフィリア、結果が出たそうですが?」

「あなた達が話し始めたからどうしようかと思ったわよ。ほら、これ。……って、あなた文字読めないんだっけ」

「言葉は通じるんですけどね。不思議です」

 ルーン文字とキリル文字を足して割ったような文字は、この世界共通で使われているらしい。これを覚えておけば多少は役に立つだろう、と言われたが、読み方すら危ういので、今は全く意味が分からなかった。

「で、これ何て書いてるの?」

「ざっくり言うと、あなたの血は無敵にほぼ等しいわね。可能な限りの毒や薬を試した結果、そのどちらをも弾いたわ。その代わり、ただの食物は変化なかったから、血を作るという意味で食事は絶対必要よ。それともう一つ気を付けて。アルコール……お酒は効くわ」

「効くの!?」

「ええ。どうやら、影響がないものとして判断されたみたい。あなた、今まで飲んだことは?」

「無いです」

 結局、飲む前にこの世界に来てしまったせいか、未だに飲んだことがない。

「じゃあ、飲む相手と場所は考えて。酒のせいで襲われたなんて事になったら、目も当てられないわ」

「普段から飲まないようにするだけでいいわ。どうしても飲まなきゃいけない事なんて、そうそうないもの」

 それもそうか、と里琉は頷く。誕生日に飲めなかったのは仕方ないが、どうしても飲んでみたかったら、自分の部屋で飲んでみればいいだけの事である。

「毒や薬を全てってことは、媚薬の類なんかも弾くのか?」

「ええ。見事に。それからこれはリルには関係の無い事ではあるけれど」

 前置きしたフィリアは、別の結果を示す。


「リマテアスも解毒可能よ。……だから、彼女の血は使わせてもらうわ」


 何だそれ、と里琉は首を傾げるが、ガルジスたちは顔を見合わせ、だがそれに期待の色を隠せずにいる。

「あの、私の血を使うって何ですか?」

「簡単に言うと、カプセルに入れて飲ませるのよ。ただ、血を長期保存するのは困難だし、乾燥すれば効果が消えるかもしれないわ。そういう検証もしないと。と、いうわけで採血第二弾」

 しゃきん、と注射器、それも大きいものを出す彼女に、里琉のみならず他の面々もざっと引いた。

「ちょっと多めにもらって、実用に耐え得るならそのまま使わせてもらうわ。あまりこまめに採血しに来ても、疑われそうだし」

「あのー。……ついでに訊いていいですか。誰に飲ませるんですか、それ」

 そもそも彼らが心配しているということは、それなりに身分がある人間ではなかろうか、と思われた。だが、王か宰相か大臣くらいしか思いつかない以上、それらに繋がる人間なら、一応知っておくべきではなかろうか。

 という里琉の疑問に、フィリアが採血を始めながらあっさり答える。


「この国の王女よ。さっき言ったリマテアスって毒に侵されて、ほっとけばあと三ヶ月くらいで死ぬわ」


「えー、じゃあ国が滅ぶのもあと三ヶ月かな」

 王が雲隠れ、王女が廃人寸前なら、そう思っていいだろう。

 そんな状況に巻き込まれた里琉としては、もうちょっと何とかならなかったのか、と宰相たちに問いたい。

「じゃ、飲ませたら教えて下さい。一応私の血なんで、結果が知りたいです」

「物好きね、あんた。まあ、知りたいなら構わないわ。中央宮の奴らと違って、あんたは話が分かる相手だし、うっかり死なないようにだけ注意しなさいよ」

 少し砕けた口調になるフィリアの声は、呆れながらも優しい。面倒見がいいのだろう。

「リル……こんな事になるなんて、本当にごめんなさい」

 メーディアは未だに気にし続けているらしい。何度謝っても気が済まないようだ。

 それをガルジスが止める。

「お前だけのせいじゃない。宰相があんなことをするとは誰も思わなかったんだ、こればかりはどうにもならなかっただろう」

「そうですよ。自棄を起こしたのかと思いましたし」

 エクスの言い方が地味に酷いが、確かに宰相の行動は、そう思われてもおかしくないだろう。

 彼らには感謝こそすれど、責める気持ちは全くない。

「大丈夫ですよ。宰相さんだけじゃなく、大臣、それも八人が全員、私を相手に教育出来るとは思ってないです。教師受け悪いんで、多分一ヶ月もたないと思います」

「……自信持つところはそこじゃないんだがなあ。そうだ、お前、石が好きなんだったよな?」

「え? そうだけど、何?」

 急にガルジスが手を叩いて、提案してくる。

「もし一ヶ月続いたら、俺がご褒美に何か欲しい石買ってやるぞ。お前の国には無い石ばっかりだろうからな」

「…………え、それじゃあの石とか」

「それは絶対に駄目だ。言ったろ。特別な石なんだよ。それ以外なら王都にもあるだろうから、専門の店とか連れてってやる」

「うーん、それなら分かった。頑張る」

「本当にちょろいな、お前……」

 あの綺麗な蒼は欲しいが、どうしても駄目なら仕方ない。それ以上に他にも知らない石があるのなら、やはり気になるのだ。

「……そう。あんた、鉱石が好きなのね」

「フィリアさん?」

「なら、尚更良かったわ。あんたは好きなものに殺されなくて済むんだから」

 あまり大きくはなかったその声に、他の者の空気が一瞬凍る。

 どうしたのだろう、と里琉だけが怪訝なまま、採血は無事に終わった。

「何かあったの?」

「……この国は、鉱毒が多くてな。昔はそれこそ死人が大勢出たんだ。それだけだ」

「その鉱毒も効かないというのだから、気にしなくていいのよ」

 何か隠してるな、とは思ったが、追及したところで、いい話ではないだろう。

「少し休んだら、戻りなさい。明日から忙しくなりますからね」

「はーい」

「俺が送ってく。メーディア、お前もな」

「……そうね。お願いするわ」

 メーディアが少しだけ躊躇うのを見て、里琉は怪訝になる。彼女も未婚だと聞いたが、それが関係しているのだろうか。

「おっと、そうだ。リル、お前に関係するんだが、護身を教えるって言ったら、それも教育に組み込むって言われたぞ。つまり、俺もお前の教育に参加する。それと、メーディアもな」

「ええ。私からは、マナーなどの教養をメインに教えるよう言われたわ」

「あー、それ私も言われたわね。エクスと共同で、薬学を教えろって」

 何だと、と里琉は目を見張る。結局彼らまで巻き込まれてしまったというのか。

「ご、ごめんなさい……」

「いいのいいの。どうせ暇してたし。私やエクスの時は、離宮に来てもらうわ。場合によっては、私の研究所にもね」

「研究所! かっこいい!」

「ふふん、かっこいいわよ。あんた好きそうよね」

「うわー、すごい気になる!」

 申し訳ないとは思うが、とても心強いのも確かだ。

 里琉はその後、ガルジスに送られながらメーディアからもう一つ告げられる。

「実はね、仕事が無くて困っていると泣きつかれたの。だからリル、あなた明日の夜から、エステを受けてちょうだい」

「エステ……って、あのエステ? 何でそんなものまであるの!?」

 痩身だの美肌だので有名なあれが、まさかこんな国にあるとは思わなかった。

「あー、王族が受けてたやつだな。今は姫様も陛下も出来る状態じゃないから、暇してるんだろ。せっかくなんだから、受けとけ」

「で、でも、私なんかが……」

「手間がかかる程いいって言われたのよ。あなた、自分の事なんて本当に無頓着でしょう。磨かれて少しは自分を好きになりなさい」

「…………分かりました」

 自分を好きになれ、とはどういう事だろう。嫌いになったつもりは無いのだが。

 ともあれ、やるべき事はもう決まっている。今はただ、それだけに集中するしかない。

 そうしているうちに、もしかしたら奇跡の石の手がかりも増えるかもしれないのだ。宰相からもきっちり情報を聞き出さなければならない。

 不安要素を残しつつも、自由な夜は終わりを迎えるのだった。

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