5話:蒼玉の扉
二日目、里琉はガルジスに連れられて王宮の案内をされていた。
一日目とは違う場所を歩いているが、どこもかしこも風通しがいい。しかし風はなくとも湿度が低いからか、不快感は高くなかった。ただ暑いだけである。
「今は乾期って言ってな。風が全く吹かない時期なんだ」
「じゃあ雨期もあるの?」
乾燥地域によくあるスコールなどを想像していたが、頷くガルジスの説明は少し変わっていた。
「あるにはあるが、まずサイクルってのがあってな。一年の内、二~三ヶ月ずつ、季節が変わる。季節は乾期、風期、雨期の三つだ。そして順番に廻るんだが、今は一番長い乾期だな。この間に雨期に使うものを整備したり、畑を耕して作物を育てたりするんだ」
「水ってどこから引いてるの?」
「そいつは別の時に説明してやる。あるいは他の大臣から教わるかもな。ちょっとややこしいんだ」
話が混ざると脱線するので、里琉もそれに同意して季節の話の続きを聞く。
「で、この乾期が終わると、風期になる。風期は逆に、風が吹きっ放しになるんだ」
「それ、どのくらいの強さ?」
「まちまちだぞ。ただ突風で物が飛んで壊れたり、人が事故に遭う、あるいは下手をすれば死ぬ事もあるから、風期はなるべく家に居るのが鉄則だ。どうしても出なきゃならん時は、風が弱まるのを待つしかない。で、その間はこの王宮全体に、布が張られる」
「あ、そうか。風が強すぎると、中で大変だもんね」
要所要所に部屋で見たものと同じカーテンらしき布が巻いてあり、あれを下ろす事で窓を閉じる役割を果たすらしい。だから夜は真っ暗になるし、ランタンが無いと満足に歩けもしないという。
「その時期がランタンを使いまくるんだよな。火事の心配だけは常にしとけよ。朱水石の火は水じゃ消えんからな」
「それって、ランタンに入れてたやつだよね。詳しい話聞きたいな」
この国の鉱石にも興味はある。自分の知識とどう違うのか、それともどこか同じなのか。少なくとも化石燃料のような石はあまり見た事が無い。
「それも別の機会だな。話すと長くなるし、今日は隠し部屋とかも見せてやろうと思ったんだ」
「隠し部屋?」
どこを歩いてるのかと思ったら、そういう事だったらしい。
「この王宮にはあちこちに隠し部屋、隠し階段、隠し通路がある。設計者が何を考えてたんだか知らんが、おかげで隠れ放題だ。ちょっとした訓練でも使える」
「へえ! 面白そう!」
「だろ? 暇があったら使ってみろ。中々居心地もいいぞ」
「勝手に使っていいの?」
許可なく入っていいのか、と思った里琉に、ガルジスは頷く。
「もちろんだ。というか、積極的に使ってる奴らも、結構多い」
「嫌な事あったりすると、隠れたくなるよね。その気持ちはわかる」
「お前も何かあったのか?」
「昔ね。で、隠し部屋ってどういう特徴があるの?」
里琉が話したくないのを察知したのか、ガルジスは頷いて細めの廊下へと入った。
「こういう所にあるのが、隠し部屋でな。で、使う時は目印を布扉に着けとくといい」
「あ、そうか。呼び鈴が無いから隠し部屋か」
風鈴のような形のそれは、あの村でもやはり呼び鈴だったらしい。
見ていくうちのいくつかの布扉には、やはりリボンやらブローチやらが取り付けられていて、誰かが居る事を示している。
大分奥の方まで来た時、里琉はふと立ち止まった。ほんの一瞬、きらりと何かが光ったような気がしたのだ。
「どうした?」
光った方向に向かった先の布扉についているのは、恐らくブローチだ。だが、その石がとても綺麗で、里琉はじっとそれを見つめる。
だが、途端にガルジスがそれを引きはがしにかかった。
「おい、何やってんだお前。離れろ」
「え、何で!? ちょっとこの石気になる! 何ていうの!?」
「しー! 静かにしろって!」
「み、見るだけー! 素手で触ったりしないからー! もうちょっと観察ー!」
「そうじゃない! ていうかよりによって何でそれなんだよ! 女ってもうちょっと派手な色の宝石とかだろ見るの!」
「残念でした! 私は鉱石マニアだから関係ないです!」
「胸を張るんじゃない!!」
静かにしろと言った本人が騒いでいたせいか、いきなりその布扉が開かれて。
「……うるさい」
非常に不機嫌な声の男性が、長い前髪の奥からこちらを睨んでいた。
さすがに石の事も一瞬忘れて、里琉は「ぴゃっ」とガルジスの背後に隠れる。
「誰だお前は」
警戒を隠しもしない相手の声に威圧感をおぼえつつ、里琉は名乗る。
「り、里琉、です」
「申し訳ないです。こいつが、扉のブローチの石を何故か気に入っちまいまして」
「は? 石?」
何故か威圧感を増す相手に、里琉は怯えながらこくこくと頷く。
「邪魔してごめんなさい……。綺麗な石だったから、気になっただけなんです……」
「……お前、この石を知らないのか」
若干ながら驚く相手に、そんなに有名な石なのか、と里琉は首を傾げた。
「はい。一昨日来たばっかりなんで、何も知らないです。あの、どこに行ったら買えますか?」
「ばっ……お前、こいつはなあ!」
「……売ってない。それと勝手に触るな」
「さ、触らないので安心して下さい! 私こう見えても、鉱石の扱いには多少の自信があります!」
「え、そうなのか?」
そういえば教えてなかったな、と里琉は思い出し、えへんと胸を張る。
「私は大学の専攻で鉱石学を取得してるんです。宝石に限らず、あらゆる鉱石類に関して調査し、知識を得る事を生きがいにしているんです。というわけで、観察だけでもさせてください!」
「そうだったのか……いや、そうじゃないだろ……何でだからこれなんだよ……」
傍でがっくりとうなだれるガルジスが、疲労に満ちている。そんなにげんなりしなくてもいいだろうに。
もっとも、大学でも似たような反応を取る人間ばかりだったので、別に気にしないが。
「あー、断っていいですよ。なんならすぐに他所へ連れてきますんで……」
ガルジスの言葉に里琉はむうっと頬を膨らませるが、相手が嫌がる事までするつもりはない。
だが、相手は小さく嘆息して言った。
「……五分だけだ」
「やったー! いい人だ!」
「お前ちょろいな!?」
盗まれたら困るのだろう。その人物も傍に居るつもりらしく、そのまま外に出て布扉を閉める。
里琉は気にせず近くで、呼吸を弱めてじっと観察した。
(黒曜石っぽい透明度と、光が入ると夜明け前のような綺麗な蒼。表面は丸く磨かれているから、硬度は低いかな。でも丁寧に扱われているからか、傷は一つも無い。はめ込んだ台も、装飾が細かいし、腕のいい職人が作ったんだろうな)
見る方向を変えると、台座の底がわずかに見える。何やら文字が彫られているようだが、里琉には読めなかった。
「終わりだ」
しゃっ、と扉を開けた男は、中に入る。それを閉められる前に、里琉はお礼を言った。
「ありがとうございました! すごく素敵なものが見れて良かったです!」
「全く、とんでもない事しやがって。……では、また」
返事はなく、扉は閉まる。今度は里琉も意気揚々と歩き出した。
しばらく歩いてから、結局石の名前を聞いていなかったことに気付く。
「あの石、結局なんて言うの?」
「……蒼輝石、ってやつだ。お前、今の他の奴に言うなよ。あの石はな……特別なんだ」
「特別? うん、確かに分かる。あれってきっと、贈り物だよね。あの人、恋人か誰か居るのかな。だとしたらきっと、その人の事も大事にしてるんだろうなぁ」
そういう事なら、ぺらぺらと他人に話したりすることは良くない。恋愛に興味はなくても、その辺りの気配りは多少学んでいる。
「次は邪魔しないようにしなきゃね。そういえば知り合い?」
「まあな。古い付き合いだ」
「そっか。ごめんね。後で謝っておいてくれるかな」
「別にいいが……そこまで気にしてないんじゃないか? あの石をべた褒めしてたろ」
「綺麗なものは綺麗って言うべきだと思う! それに、あの人だってそれが分かってたから、見せてくれたんじゃないの?」
「……そうかもな。お前みたいな奴が、もっと前から居れば良かったのになあ」
「…………あの人も、何かあったの?」
異様に長い前髪だけは、確かに気になった。あれでよく前が見えるものである。
「まあな。人それぞれ、何かしらあるもんだ。お前は気にしなくていい」
確かに、と里琉も頷いて気分を切り替えた。
「じゃ、他にも色々な隠し部屋とか教えてよ! ダンジョンみたいでちょっとわくわくする!」
「はいはい、分かったよ。全く、忙しないなお前」
呆れた口調ながらも、ガルジスは付き合ってくれるらしい。
そうして二日目は、上機嫌に夜を迎えた。
※ ※ ※
その晩、ガルジスは昼間とは違う場所で見つけた蒼輝石のブローチがついた布扉を開き、来訪を告げる。
「昼間は申し訳ありませんでした、陛下」
「……何だあれは?」
机の上には書類が広がっている。仕事ではないそれは、だが王にとっては必要な情報だ。
それを確認する事もなく、ガルジスは問いに答える。
「端的に言うと、俺が連れて来た迷子です。……あの通り、少々子供っぽいですが、れっきとした未婚の女なんですよ」
「何を拾ってるんだお前は」
「……あれは、ちょっと特殊です。本当なら、離宮の奥で隠しとく予定だったのが、宰相に目を付けられてしまいまして」
「宰相だと?」
途端に警戒を強める彼に、ガルジスは首を横に振って、問題ないと示した。
「何を考えてるのか知りませんが、部下にならないと俺達全員を不審者の手引きで拷問にかける、とまで脅されて、仕方なく受けたそうです。メーディアがカンカンでした」
彼女は正直過ぎる、と嘆いていた。毒が効かない事さえ堂々と言ってしまったらしく、これからどんな悪用をされるか、気が気でない。
だがそれは、目の前の王には関係の無いことだ。
「あ、陛下の正体は教えてないので大丈夫です。今後は気を付けるそうなので、下手に騒ぐこともないかと」
「……だが、宰相の部下か。余計な事を言わなければいいんだが」
「まあ、その時はまた逃げればいいのでは?」
「……お前だけだな。逃げていいと言ったのは」
「あの女が見つからないと、戻るに戻れませんからね。とはいえ、国もそろそろ限界ですよ。その状況で彼女を教育とは、もはやなりふり構っていられない、と思っていいのかもしれません」
「俺が戻るだけの理由など、ありはしないだろう。未だに誰も、あの事件の真相に至れてはいないんだからな」
「陛下……一応何度でも言いますが、陛下が順序だてて説明すれば、皆、納得すると思いますよ……?」
この王は若いせいもあるが、これまでの人生上、他人を信じられない傾向にある。だからこそすべて一人で背負おうとして、こんな事になっているのだ。
ほんのひと欠片、誰かに頼れば、きっと物事はスムーズに解決するかもしれないのに。
だが、ガルジスには今以上に出来る事がない。それは逆に、王の不信を煽るだけだと分かっている。
「その説明に証拠が無ければ、何の意味もないからな。宰相が理解出来たところで、手を打てる状況でもないだろう」
「ごもっともですね。じゃ、俺は失礼します。……リルの奴も、早いところ家族の所に帰りたいみたいなんで、協力してやりたいんですよ」
「……お前も難儀な奴だな」
「いいんですよ。俺が後悔しない為の生き方なんで」
では、とそこを辞して、ガルジスは暗くなり始めた廊下を歩く。
外は相変わらず美しい満月が浮かんでいた。
「…………忙しくなるな、俺も」
明日は三日目。彼女が自由で居られる、最後の時間だ。
彼女には悪いが、今しばらくこの国に付き合ってもらうしかないだろう。
「悪いなあ、リル。……お前をこんな目に遭わせるつもりは、なかったんだがな」
彼女には届かない言葉を、ガルジスは夜空に向かって吐き出したのだった。
※ ※ ※
人はそれを、或いは狂気の沙汰と呼ぶのかもしれない。
国がどうなるか分からないこんな状況で、何も知らない娘を一人、宰相の部下にするべく教育しろ、と言うのだから。
話を聞いた大臣達は、めいめい困惑を浮かべていた。
「文盲と言ったか。では、文字すら扱えんのだな」
「はい。ですからヴァス大臣にはそれをメインに、この国の学問をお願い致します」
ヴァス大臣と呼ばれた男は、渋面を隠しもしない。その隣に居た別の大臣が、ため息交じりに言う。
「未婚の娘を教育など……宰相の身といえど、分を弁えて頂けませんか」
「ラバカ大臣。若い女性を侮るような言い方はお控え願えますか? 彼女の人となりは、私個人が見て判断したまでの事です。それこそ、あなたにとってはチャンスでしょう? 彼女の教育が失敗すれば、私を追い出せる口実が出来るじゃないですか」
宰相は嫌味も隠さず、大人しそうな見た目の大臣に言い返す。もちろん笑顔のままで。
それを止めるように、ラバカ大臣と向かい合わせに居た男が口を開いた。この中で最も目立つ外見をしている。
「こらこら、そういう言い方はどうかと思うよ! 若い女性、それも独身で、何でも髪が短いんだって? ぼくの所にまで噂が届いているよ。ぼくは大いに賛成だ! この国は女性に対する認識をもっと改めるべきだと、常々思っていたからね!」
「ネオ大臣は女性に慣れていらっしゃいますからなあ。ほっほ、むろん、儂も賛成しますぞ。よき娘ならば、我が息子の妻にでも……」
老年と言っていい外見の男性が、呑気な事を口にしかけたのを、宰相は即座に笑顔で制した。彼女は大臣の嫁候補ではない。
「カラム大臣、あなたのご子息の目に適う相手ではありませんよ。他の方をお探し下さい」
「……ふうむ、その女性とやら、まさか他国のスパイとかではありませんよね? だとしたらワタシの聖域に入れるなど、言語道断ですが」
手元でコインを弄る癖は、いつまで経っても抜けないらしい。それくらいお金が好きな男なのは知っているが、だからこそ、宰相もそれに堂々と言い返す。
「悪事なんてした事の無いような目をしていましたよ。モニ大臣がご自分でご覧になってみれば、すぐに分かることかと。それと、スパイという疑惑も、有り得ない、と断言しておきましょう。彼女はこの国の人間ではありませんが、同時にどの国にも所属しておりません」
「何ですかそれは? それでは、この国の法は通用しないのではありませんか」
「この国に居る以上、この国の法に従ってもらえばいいだけでは? イーマ大臣」
顔をしかめるのは、宰相と同じ金髪の男だ。その隣に居た壮年の男性が、意地悪な笑顔でそう告げる。
「そういえばその人物とやらは、既に隠し部屋の類を探検して回ってるそうじゃないですか。いいですな。そういう遊び心を持った女性は、大歓迎ですぞ」
「ルゴス大臣の先祖が作ったという、数々の隠し通路や隠し部屋か。……陛下も、そのどこかに今も居らっしゃる、と噂があるが」
「パソーテ大臣、くれぐれも、陛下に関する話は最小限でお願いします。彼女は陛下に関心を持たない女性ですが、同時に、陛下が何もしていないという事実を把握し、危惧している側です。不安を煽り、混乱を招くような真似はなさらないで下さい」
ガルジスの直属上司とも言えるパソーテ大臣は、だがそれでもガルジスから真実を明かされてはいないという。つまるところ、大臣も宰相も全員が、王の信用を得られなかった、というのが現状だ。
彼女は果たしてどうなるだろうか。彼らからの信頼を受けられるのか、それとも。
「……では、各々の分野で明日から、彼女の教育をお願い致します。期間は、基礎を一ヶ月で。可能なら基礎以上のものを詰め込んでも構いません」
「それは……いくら何でも、彼女の負担に関わるのでは?」
「当然ですが、我々と同じ無茶を強いる事は無いようにお願いします。可能な範囲ギリギリまで彼女を教育し、一ヶ月後に、教育を続けるかどうか再検討します。可能ならば、三ヶ月を研修期間と定めます」
「何故、そこまで彼女を? 他の文官を引き抜いた方が早かったのでは?」
出て来る疑問は当然だろうが、だからこそだ。
宰相は笑顔を絶やさず、きっぱりと告げる。
「彼女が特殊な女性だからです。それが全てですよ」
――この中の数名ならば、知っている。その真意を。亡き王と王妃が危惧し、そして変えようとしたこの国の根深い思想を。
ユジーはただ、それを通したいだけだ。この三ヶ月以内に、せめて形だけでも。それが亡き友への弔いだと、信じている。
「ところで、教育内容はともかく、場所や時間はどうするのだ? 要項には書かれておらぬが」
ヴァス大臣のもっともな疑問に彼らも頷くが、それこそが肝要だ。
「ええ。それらを、あなた方個々人で決めて、連携して下さい。それが出来ないなどとは、もちろん申しませんよね?」
――国の上層部が連携すら取れないようでは、この国の未来など知れている。その圧が伝わったのか、彼らからそれ以上の疑問が出る事はなく、会議は終了した。
※ ※ ※
「というわけで明日から、あなたは宰相様の部下になる教育を受けるのだけど」
「だ、大丈夫ですかね……」
「この三日、歩き回ったからかお前の噂が流れてるぞ。正体不明の新入りだってな」
正体も何も、これまで別に何者でも無かったのだが、里琉は顔をしかめた。
「性別も年齢も、だろ。はいはい知ってる」
「拗ねても現実は変わりませんよ。ところでフィリア、結果が出たそうですが?」
「あなた達が話し始めたからどうしようかと思ったわよ。ほら、これ。……って、あなた文字読めないんだっけ」
「言葉は通じるんですけどね。不思議です」
ルーン文字とキリル文字を足して割ったような文字は、この世界共通で使われているらしい。これを覚えておけば多少は役に立つだろう、と言われたが、読み方すら危ういので、今は全く意味が分からなかった。
「で、これ何て書いてるの?」
「ざっくり言うと、あなたの血は無敵にほぼ等しいわね。可能な限りの毒や薬を試した結果、そのどちらをも弾いたわ。その代わり、ただの食物は変化なかったから、血を作るという意味で食事は絶対必要よ。それともう一つ気を付けて。アルコール……お酒は効くわ」
「効くの!?」
「ええ。どうやら、影響がないものとして判断されたみたい。あなた、今まで飲んだことは?」
「無いです」
結局、飲む前にこの世界に来てしまったせいか、未だに飲んだことがない。
「じゃあ、飲む相手と場所は考えて。酒のせいで襲われたなんて事になったら、目も当てられないわ」
「普段から飲まないようにするだけでいいわ。どうしても飲まなきゃいけない事なんて、そうそうないもの」
それもそうか、と里琉は頷く。誕生日に飲めなかったのは仕方ないが、どうしても飲んでみたかったら、自分の部屋で飲んでみればいいだけの事である。
「毒や薬を全てってことは、媚薬の類なんかも弾くのか?」
「ええ。見事に。それからこれはリルには関係の無い事ではあるけれど」
前置きしたフィリアは、別の結果を示す。
「リマテアスも解毒可能よ。……だから、彼女の血は使わせてもらうわ」
何だそれ、と里琉は首を傾げるが、ガルジスたちは顔を見合わせ、だがそれに期待の色を隠せずにいる。
「あの、私の血を使うって何ですか?」
「簡単に言うと、カプセルに入れて飲ませるのよ。ただ、血を長期保存するのは困難だし、乾燥すれば効果が消えるかもしれないわ。そういう検証もしないと。と、いうわけで採血第二弾」
しゃきん、と注射器、それも大きいものを出す彼女に、里琉のみならず他の面々もざっと引いた。
「ちょっと多めにもらって、実用に耐え得るならそのまま使わせてもらうわ。あまりこまめに採血しに来ても、疑われそうだし」
「あのー。……ついでに訊いていいですか。誰に飲ませるんですか、それ」
そもそも彼らが心配しているということは、それなりに身分がある人間ではなかろうか、と思われた。だが、王か宰相か大臣くらいしか思いつかない以上、それらに繋がる人間なら、一応知っておくべきではなかろうか。
という里琉の疑問に、フィリアが採血を始めながらあっさり答える。
「この国の王女よ。さっき言ったリマテアスって毒に侵されて、ほっとけばあと三ヶ月くらいで死ぬわ」
「えー、じゃあ国が滅ぶのもあと三ヶ月かな」
王が雲隠れ、王女が廃人寸前なら、そう思っていいだろう。
そんな状況に巻き込まれた里琉としては、もうちょっと何とかならなかったのか、と宰相たちに問いたい。
「じゃ、飲ませたら教えて下さい。一応私の血なんで、結果が知りたいです」
「物好きね、あんた。まあ、知りたいなら構わないわ。中央宮の奴らと違って、あんたは話が分かる相手だし、うっかり死なないようにだけ注意しなさいよ」
少し砕けた口調になるフィリアの声は、呆れながらも優しい。面倒見がいいのだろう。
「リル……こんな事になるなんて、本当にごめんなさい」
メーディアは未だに気にし続けているらしい。何度謝っても気が済まないようだ。
それをガルジスが止める。
「お前だけのせいじゃない。宰相があんなことをするとは誰も思わなかったんだ、こればかりはどうにもならなかっただろう」
「そうですよ。自棄を起こしたのかと思いましたし」
エクスの言い方が地味に酷いが、確かに宰相の行動は、そう思われてもおかしくないだろう。
彼らには感謝こそすれど、責める気持ちは全くない。
「大丈夫ですよ。宰相さんだけじゃなく、大臣、それも八人が全員、私を相手に教育出来るとは思ってないです。教師受け悪いんで、多分一ヶ月もたないと思います」
「……自信持つところはそこじゃないんだがなあ。そうだ、お前、石が好きなんだったよな?」
「え? そうだけど、何?」
急にガルジスが手を叩いて、提案してくる。
「もし一ヶ月続いたら、俺がご褒美に何か欲しい石買ってやるぞ。お前の国には無い石ばっかりだろうからな」
「…………え、それじゃあの石とか」
「それは絶対に駄目だ。言ったろ。特別な石なんだよ。それ以外なら王都にもあるだろうから、専門の店とか連れてってやる」
「うーん、それなら分かった。頑張る」
「本当にちょろいな、お前……」
あの綺麗な蒼は欲しいが、どうしても駄目なら仕方ない。それ以上に他にも知らない石があるのなら、やはり気になるのだ。
「……そう。あんた、鉱石が好きなのね」
「フィリアさん?」
「なら、尚更良かったわ。あんたは好きなものに殺されなくて済むんだから」
あまり大きくはなかったその声に、他の者の空気が一瞬凍る。
どうしたのだろう、と里琉だけが怪訝なまま、採血は無事に終わった。
「何かあったの?」
「……この国は、鉱毒が多くてな。昔はそれこそ死人が大勢出たんだ。それだけだ」
「その鉱毒も効かないというのだから、気にしなくていいのよ」
何か隠してるな、とは思ったが、追及したところで、いい話ではないだろう。
「少し休んだら、戻りなさい。明日から忙しくなりますからね」
「はーい」
「俺が送ってく。メーディア、お前もな」
「……そうね。お願いするわ」
メーディアが少しだけ躊躇うのを見て、里琉は怪訝になる。彼女も未婚だと聞いたが、それが関係しているのだろうか。
「おっと、そうだ。リル、お前に関係するんだが、護身を教えるって言ったら、それも教育に組み込むって言われたぞ。つまり、俺もお前の教育に参加する。それと、メーディアもな」
「ええ。私からは、マナーなどの教養をメインに教えるよう言われたわ」
「あー、それ私も言われたわね。エクスと共同で、薬学を教えろって」
何だと、と里琉は目を見張る。結局彼らまで巻き込まれてしまったというのか。
「ご、ごめんなさい……」
「いいのいいの。どうせ暇してたし。私やエクスの時は、離宮に来てもらうわ。場合によっては、私の研究所にもね」
「研究所! かっこいい!」
「ふふん、かっこいいわよ。あんた好きそうよね」
「うわー、すごい気になる!」
申し訳ないとは思うが、とても心強いのも確かだ。
里琉はその後、ガルジスに送られながらメーディアからもう一つ告げられる。
「実はね、仕事が無くて困っていると泣きつかれたの。だからリル、あなた明日の夜から、エステを受けてちょうだい」
「エステ……って、あのエステ? 何でそんなものまであるの!?」
痩身だの美肌だので有名なあれが、まさかこんな国にあるとは思わなかった。
「あー、王族が受けてたやつだな。今は姫様も陛下も出来る状態じゃないから、暇してるんだろ。せっかくなんだから、受けとけ」
「で、でも、私なんかが……」
「手間がかかる程いいって言われたのよ。あなた、自分の事なんて本当に無頓着でしょう。磨かれて少しは自分を好きになりなさい」
「…………分かりました」
自分を好きになれ、とはどういう事だろう。嫌いになったつもりは無いのだが。
ともあれ、やるべき事はもう決まっている。今はただ、それだけに集中するしかない。
そうしているうちに、もしかしたら奇跡の石の手がかりも増えるかもしれないのだ。宰相からもきっちり情報を聞き出さなければならない。
不安要素を残しつつも、自由な夜は終わりを迎えるのだった。
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