4話:異動
ぱち、と目を覚ました里琉は、既に開かれたカーテンから差し込む陽射しに、眩しさで目を細めた。
「うー……朝……?」
時計どこだ、と探そうとして、無い事を思い出す。この国は時計が無いわけではないのだが、個人所持はほとんどされていないらしい。だから中央宮にある鐘で時間を知らせているという。が、それはともかく。
「……なんだ、ここ」
昨日見た部屋より広いし、何となく豪華っぽい。置いてある調度品がその雰囲気を醸し出していた。
そういえばメーディアはまだ来ないのだろうか、と首を傾げていると。
「リル!!」
そのメーディアが、血相を変えて飛び込んで来た。
「メーディアさん! 良かった、おはようございます」
「ええ、おはよう! それであの後、あなたは一体何があったの!?」
つかつかと歩み寄るメーディアに肩を掴まれ揺さぶられても、里琉には全く覚えが無い。
そこに、新たな声が届いた。
「彼女に訊いても答えられませんよ。私が一方的に連れて来た、と先ほど申し上げたじゃないですか」
「!!」
入って来たのは、昨日一度だけ会った宰相だった。何故ここに、というよりは、何故彼が、と問うべきだろうか。
「改めて初めまして。私はユジー。この国の宰相をしております」
「……里琉、です」
名乗られた以上は名乗り返さなければいけない。が、名字は名乗らない方がいいと昨日の時点で理解していたので、里琉も名前だけにしておいた。
ユジーという男は、じっと里琉を見て、首を傾げる。
「では、リル。あなたの年齢は?」
「……二十歳、です」
「おや、子供ではないんですね?」
「勝手に間違えたのはそっちです」
昨日は喋るなとガルジスが言ったのでその通りにしただけだ。子供と言ったのは彼の方である。
彼もそれは覚えていたのか、すぐ頷いた。
「これは失礼しました。しかも女性だったとは。髪が短い女性は非常に珍しいんですよ」
「そうですか。つまり男と間違えて連れて来た、って事でいいですか?」
「いえ、女性なのは昨夜の時点で分かりましたよ。その格好ですし」
言われてみれば、ネグリジェのままだ。里琉は特に気にしないが、メーディアが掛布を肩まで持ってくる。
「隠しなさい!」
「いや、面倒ですし……」
「安心して下さい。全く、何も、おかしな気は起きませんから。第一、私にはちゃんと愛する妻と子供が居るので」
「ほら、妻子持ちでしかも溺愛してるっぽいし」
「そういう問題じゃないわ! 未婚の女性として、恥じらいを持ちなさい!」
話が進まない、と里琉は掛布をぽいっと足元まで放り投げた。そしてベッドの縁に座ってユジーと向き合う。
「こちらの寝起きに話をしに来たんですから、お互い無駄な時間を過ごしてる暇はないんですよね? 目的をどうぞ」
「……思い切りのいい行動ですが、感心はしませんね。まあいいでしょう。率直に言います。あなたを私の部下にするべく連れて来ました」
「何ですって!?」
「……頭のネジを数本落としたんですか?」
王が居ないせいで仕事が凄まじいと聞いたが、怪しい迷子を国の中枢に引き込もうとしているくらい、頭が沸いてしまっているのだろうか。気の毒に、と里琉が思っていると、顔に出ていたのかユジーが笑顔で返してきた。
「残念ながら、落としていたら国がとっくに終わってるんですよ。つまり正気です」
「誰がどう聞いても、反対されるに決まっておりますわ! 大体、彼女はそれどころでは……!」
「メーディア、静かに。……さて、昨日ガルジス団長からもらった報告書には、あの村の調査結果が記されていました。しかし、あなたの事に関しては一切触れず、しかしあなたがしたと思われる行動と結果は残されています。恐らく別人の行動だと思わせたかったのでしょうが、あのガルジス団長がそう簡単に人を信じ、保護するというのは有り得ません。あなたを保護したのは、あの村が証拠隠滅されるのを防いだから、と私は推測しました」
(大体合ってるけど、はいそうですね、とは言いたくないなぁ……)
「何でガルジスさんが簡単に人を信じないって思うんですか?」
「陛下の居場所を唯一知る人間だからです。ただのお人好しでは、騎士団長は務まりません。そして王が最も信頼した人物、即ち――正しく真実を知る人物、という事です」
そういえばそんな事を本人も言ってたな、と思い出す。
だが、里琉にまでそれを適用しないで欲しい。
「私が可哀想だから、とかそんな理由かもしれませんよ」
「仮にそうなら、わざわざ離宮に隠しませんよ。それも、あんな奥まった小さな部屋になど」
「……よく見付けましたよね、そう言えば」
「宰相特権で少々強引に、離宮の者から情報を聞き出しました」
職権乱用をしてまで、必要な事だったとはとても思えない。一体何を企んでいたのだろうか。
「何がしたいんですか? まさか、王様を探せとか言い出しませんよね?」
「いえ、言いませんよ。条件が揃わない限り、出てこないと言い切ってますし」
条件って何だ、と思ったが、それを里琉が知ったところで意味はあるまい。疑問は放り投げて、次の問題を提起する。
「部下って言いましたけど、私、昨日確認しましたが、字は読めないし書けないですよ」
「どのみち、教育が必要なのは分かり切っています。そして私が宰相になった時と同じ騒ぎが起こるだけです。とはいえ、あなたの外見上、私よりは反対されないでしょう。……女性が政治に参加するというのは、前王妃様によって認められているのですから」
「あの方は元々、王族であったが為に認められただけですわ! 民間人とはわけが違います!」
メーディアの反論に、里琉は内心でげんなりした。
(わーい、勝手に情報が追加されていくー)
この国には王妃が以前居て、政治に参加していたらしい。
前例があるから押し通そう、というのは何となく分かったが、やはり無茶で無謀だろう。
「勝算が無かったら自殺行為ですね」
「そう、まさしく瀬戸際なんですよ。人助けと思って、引き受けませんか?」
「嫌です。政治に興味ないですし、メーディアさんが今言った通りなら、地位と権力がある女性じゃないと、周りが足を引っ張る可能性も十分にあるじゃないですか。私がその矢面に立たされるなんて、まっぴらごめんです」
「ええ、本当にそうよね。ただの一般女性を政治にだなんて、そんなとんでもない事、させやしないわ」
「おや、その場合、素性を偽って王宮に入り込んだ不審者として、拷問にかけますよ? 当然、手引きしたと見なし、あなた方も同罪になりますが」
「は!?」
面倒くさいので断固拒否、という姿勢の里琉と、巻き込むまいと優しいメーディアに対し、宰相は無慈悲な選択を迫って来た。
「ちなみに冗談」
「ではないです」
「……まあ、そりゃそうですよね」
宰相としての冷徹な判断なら、確かにそうするだろう。人情で国は動かせない。
しかし、里琉はもちろんのこと、助けてくれた彼らまでが死ぬような目に遭うのは、さすがに里琉としては頷けない。
だが、メーディアが里琉の前に立ち言った。
「彼女は無関係ですわ。疑うようでしたら、どうぞ私のみ処刑して下さって結構です」
「あなただけではありませんよ。ガルジス騎士団長、それから薬剤師のエクス、研究員のフィリアもです」
「く……」
「あのー、めんどくさいんで国外に追放してくれればいいんですけど、駄目ですか」
「駄目です。どこのスパイかも分からない人間を、むざむざと逃がすわけがないでしょう?」
はあ、と里琉はため息を吐いた。人手不足のくせに人質を取るのだから、手に負えない。
(道連れにしたいわけじゃないしな。恩を仇で返すなんてのは、特にカズ兄に怒られそうだ)
知らない世界とはいえ、いつ帰れるかも分からない状態で、死ぬかもしれない選択肢はさすがに選べなかった。
と、そこでピンと里琉は思いつく。
「あ、じゃあまず、私の話を信じてくれるなら、部下の話を引き受けますよ」
「リル!!」
「そこまでしてでも部下が欲しいって言うなら、この国がよっぽど切羽詰まってる証拠だし、疑うならその程度って事では?」
「……では、話を聞きましょうか」
じゃあ遠慮なく、とざっくり話をした十数分後、ユジーはしばらく考えてから頷いた。
「なるほど、そもそも住んでいた世界が違う、と」
「太陽も月もあんなに大きくないですし、地図を見ても海が無い以上、それが結論ですね」
「言葉は一応通じてるようですが、その石が奇跡の石と同類であれば、まあ可能でしょうね。奇跡の類が若干違うようですが」
「えー、信じるんですかー?」
気が変わるだろうと思って、きっちりしっかりみっちりと説明したのに、と里琉が不満を漏らすと、ユジーは笑顔を向けてきた。
「私はティネの出身であり、かつ真実に限りなく近い、石の知識を持っています。残念ですが、あなたの話を聞いても、全く疑う根拠がないんですよ」
「……石の真実?」
「知りたいですか? 部下になったら教えますよ」
「む……むぅ……」
ホラーな出来事があったとはいえ、奇跡の石とやらには好奇心が疼く。しかもユジーは見た目からして頭が良さそうだ。恐らくだが、石に関する事を知ってるのは嘘ではないと思える。
「ちょっとリル、あなたどうしたの? 奇跡の石の手がかりかもしれないとはいえ、そんなに揺らぐ事?」
メーディアが悩む里琉にそう問いかけてきたが、そういえば教えてなかったっけ、と思い出す。
「いやー、私、無類の石好きで……。その原因の石も、珍しくて綺麗だから持ち帰っちゃったんですよね……」
「なっ……!!」
昨日は話していなかったが、あれを横着せずすぐに遺失物係に届け出ていれば、今頃ここに居る事はなかっただろう。
なので、自分が悪いと言えばそうなのだ。
「さて、私は信じますが、リル。もちろん撤回はしませんよね?」
念を押す宰相に、そうだった、と里琉も頷く。
「分かりました。使い物になるかどうかは知りませんけど、教育は受けます」
「よろしい。では契約成立ですね。後程、書類などにサインをして頂きます。それと三日ほどお時間を頂くので、その間は好きに散策して構いませんよ」
散策、と聞いても特に興味がわかない。廊下も広く長い上、階段もあちこちにあり、部屋も多かったのが離宮での印象だ。ここは中央宮らしいので、もっと複雑な構造だろう。
「むしろ歩き回ってもらわないと困るわ。場所の説明、使い方も教えなければいけないもの」
「あー……そうですよね。……男物着ちゃ駄目ですか」
「駄目です。何故そのような事を?」
「彼女、女性らしい格好をしたくない、と昨日もごねたのよ。どうも、何かあったらしくて」
「……ふむ。それはまた。ですが禁止です。第一、女性が政治に入るのですから、女性の格好をしてもらわないと困ります。主に周囲が」
「うっ……」
あまりに正論なので、里琉も弁えるしかなかった。
「髪が短いのはそのせいですか?」
「……まあ、そうですね。背ももう少し低い方が良かったです……」
「陛下とあまり変わらないわね、そういえば……」
「えっ」
里琉の兄達が軒並み170センチを超えているせいで、男性の平均身長が自分より高い、というイメージが強かったのだが、まさか同等の身長とは。
「…………よく見ると、多少似てますね」
「いや、嬉しくないです。まさか身代わりにしませんよね?」
「いえ、しても無駄ですから」
「ならいいんですけど……王様に無断で部下を引き込むのはいいんですか?」
「あなたが使い物になってくれればいいだけですし、陛下も二度同じような真似はしないでしょう」
殺される可能性もそういえばあるのか、と里琉は思った。
大罪人を独断で殺したという時点で、素性の知れない女性をいきなり投入したら、それこそ火種になりかねないだろう。
「死にたくはないんですけど……」
「リル、気にしなくていいわ。陛下の事は、あなたの問題ではないもの。あなたは、宰相様から約束通り、奇跡の石について聞けるよう、頑張りなさい」
「そうですね。王様自体はガルジスさんが守ってくれてるなら、出てこないんでしょうし」
「ところで、玉の輿に興味は?」
「まっっったく、ありません。玉石の事なら知りたいです」
「…………そうですか」
宰相が多少あきれ顔をしたが、里琉は本心を述べただけである。宝石も好きだが、それとこれとは別だ。
「いい事ではありませんか? 彼女はいずれ帰るのですから」
「そうなんですが、当人を見る前からこうも断言されますと……思う所がありまして」
宰相の言葉で里琉は、自分が王を篭絡する役割でもやらされるのでは、と思い至った。
(冗談じゃない!! ハニートラップとか絶対嫌だ!)
「王様なんかより、私は家族の方が大事です! 約束守って下さいね、宰相さん!」
慌てて早口でそう言うと、宰相がため息を吐いて頷いた。
「……そうですね。今はもう、それでいいです。陛下も隠れている以上、無駄な議論ですから」
「ええ、その通りですわ。聡明な宰相様なら、お分かりになって下さると思っておりました」
賛辞っぽく聞こえるが、完全なる嫌味なのが声で分かる。
里琉を慮ってくれるメーディアの態度にも、ユジーは顔色一つ変えず笑顔で返した。
「これでも、一つの事だけに執着しているほど暇ではないのですよ。期間が必要ですので、三日間ほど彼女を頼みます」
「ええ、お任せください」
では準備をしますので、と宰相は出て行った。
げんなりしたまま、里琉はやっと朝の準備に入る。
「えーと、まずは」
「そこで顔を洗いなさい」
洗面器に水が張ってあるので、里琉は軽くそれで顔を洗うと、渡されたタオルで拭いた。
「で、着替えは……」
「そこに入っているわ。好きなのを選びなさい」
次に示されたのは箪笥。クローゼットではないそれは、村の家で見たようなものと似ていた。
開けると、色とりどりの服が綺麗に入っている。
「ええ……白とか黒とかは」
「黒なんて下着だけよ。それも、娼婦が着るくらいね」
「……白が無いのは」
「基本的に、下着が白だからなのよ。勘違いされたくなかったら、ちゃんと色のついた服を着て」
「はーい……」
地味めの色を選んだ里琉は、それを広げてがっくりする。
胸の下で切り替えがあるその服はワンピースで、スカートの部分が厚手の生地だ。
首の回りは開いており、デコルテがしっかり見える仕組みになっている。
「うええ……めっちゃ女物……」
「いいから早く夜着を脱ぎなさい」
声に圧がかかっている。里琉は慌ててネグリジェみたいな夜着を脱ぎ、ワンピースを着ようとして――首を傾げた。
「あれ? これ昨日と作りが違う?」
昨日は頭からすっぽりかぶれば終わり、のものだったが、これはそうではないようで、留め紐らしきものが腰と脇の辺りにある。
「ええ。中央宮の女性服は全て、こういう仕組みなの。紐を解いて、上からかぶるのよ」
「あー、なるほど」
途中で腕を袖に通して頭を出し、腰と脇の紐を結び直せば完了だった。
面白いのは、隙間が出ないように紐の位置が布の重なる位置に来るようになっていることか。
これならば解かなければ下着が見える事も無いし、多少動いても着崩れない。
くるりと動いてみてその機能性を確認した里琉は、少しばかり楽しくなった。
「わー、ひらひらしないやつだ!」
「……楽しそうね」
「ふわふわしたのが苦手なので……つい」
しっかりした厚手の生地は、足首まですっぽりと覆う長さだ。だが軽くないせいで、足に絡みつく事もほぼない。
これならそこまでおしとやかに歩かなくてもいいかな、と思っていると、メーディアが襟や袖を直してくる。
胸の辺りはともかく、襟や袖の辺りは逆に軽くて薄い上にゆったりとしている。不満があるとすれば、そこだろう。
「袖まくりたい……」
「駄目に決まってるでしょう」
「何でここだけ女っぽいの……」
「女性ものの服だからよ」
ことごとく冷たい切り返しに、里琉はしゅんとした。
姿見の前に映った自分は、いつか梓にコーディネートをされた日のような顔をしている。
女らしい格好に不安を示す表情。怯えたように手を胸の辺りで握るところまで、あの日のようだ。
だが、その後ろに居るのは今は、兄ではない。
「はい、これでいいわね。次は化粧よ。王宮の中とはいえ、いつ外に出るか分からないもの。慣れるまでは教えるけど、ちゃんと覚えるのよ」
「……は、はい」
次は化粧台の前に座らされ、同じく鏡の中の自分を見る。
その首周りには粉除けの布が巻かれて、膝の上にも掛け布が置かれる。
メーディアが丁寧に化粧を施していくのを眺めながら、里琉は心の中だけでため息を吐く。
(スカートに、化粧……いつかはアクセサリーも、かな……)
この世界には、これまでの里琉を知る人間は誰も居ない。
それだけが唯一、里琉にとっての幸運だった。
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