2話:無中を歩く
暑い、痛い、というのが最初の感触だった。
「……?」
起き上がった里琉は、自分の手を見つめる。もう金色に消えたりはしていない。
「夢でも見たのかな……」
呟いて周囲を見渡すが、それ以前に今が夢ではないか、と思い直した。
「何だ……ここ?」
荒野、と呼ぶにふさわしいそこには、石ころと、点々と生えているアロエっぽい何かしかない。そして建物の類は一切見えない。
「てか暑っ!! 陽射し強っ!!」
突き刺す、というのが的確な陽射しに、里琉は着ていた長袖シャツを慌てて脱いで頭に羽織った。火傷とまではいかないが、黒い髪のせいか熱の吸収が早い。
「駄目だ、移動しよう」
靴下だけだが、裸足よりはマシだ。見渡す限り日陰になる場所も見当たらない。黙ってここで干からびて死ぬよりは、歩いて少しでも希望を見出したかった。
「どこだよここ……何がどうなってるんだ一体。ていうか私は今、生きているのか?」
哲学っぽい事を考えると思考の迷路にはまるので、里琉はとりあえず生きていると自分を仮定した。というか、死への危機感と恐怖心があるので、死んではいないと思われる。
しかし、歩けども果てしなく荒野だ。風の吹かない荒野というのもおかしい感じだが、他に形容しにくい風景である。
砂漠、とも言い換えたいところだが、オアシスの一つも見えないのと、怖いのは蜃気楼さえ無いことか。
おかげで遠方まで見えるのだが、今のところは何も見えない。
歩いている最中、ぐう、とお腹が鳴る。そういえば、夕飯も食べ損ねたままであった。
何かないかと周囲を見渡すが、生えているのはアロエのような何かだけ。しかも見た目がまだら模様で、棘は少ないが毒の気配がする。
(飢えて倒れて死ぬか、毒かも分からない草を食べて、最悪死ぬか……どっちが楽かな……)
「おなかすいた……のどかわいた……」
脱水症状は、渇きをおぼえてからが本番らしい。つまり、今の里琉は危険な状態だ。
このまま歩いても、日没前に倒れて死ぬだろう。
「……うん、よし、食べてみよう」
空腹の前に、人は無力であった。里琉はアロエもどきの傍にしゃがんで、それに手を伸ばす。
「えーと、確かこう、根元をばきっ、と」
多少太めのそれを折ると、綺麗な赤い断面が出てきて里琉は気が遠くなった。
「わー、絶対これ毒ー」
匂いは甘い。とても甘い。平時なら要らないと放るだろうが、今は飢餓状態だ。
表皮を剥がしたゼリー状のそれに、里琉は思い切ってかぶりつく。
「甘っ!」
匂いよりは抑えられた甘さと、繊維状の食感。一言で言うなら、美味しい。
おまけに苦しくも何ともならないので、遠慮なく里琉は一株まるまる食べ尽くした。
「はー、生き返ったー」
空腹も渇きも落ち着いたので、改めて立ち上がり、里琉は再び歩き出す。
太陽はさっきより傾いて、その威力を落ち着かせつつある。
「結構歩いたんだなぁ。……あ、もしかしてあれ、村?」
遠目に見えるのは、柵か塀のような何かだ。
あれに辿り着けたら、ひとまずのゴールだと思っていいだろう。
住人がいい人なら何かしら分かる事もあるだろうが、そうでなかったら人生が終了する。せめて言葉は通じて欲しい、と願うが、どう見ても異国の地でそれは望み薄だとも分かってはいた。
「本当に何がどうなってるんだろう……。あの石のせいなのは分かるんだけどな」
体の中に入ったきり、うんともすんとも言わない石だった何かは、結局正体が分からないままである。
そもそも石ではなかったのかもしれない。勝手に浮いて動く石というのは、里琉の中では石に分類されない。
「とりあえず、どうしようもない事だけは分かった……。あー、お酒、飲みたかったなー。新しい鉱石図鑑、眺めたかったなー。天青石もほとんど見れてないー……」
ぐちぐち言っても、元の自分の部屋に戻れる気配は皆無だ。文句たらたらに休憩を挟みつつ歩くと、だんだんと夜が近付いてくるのが分かった。
「……ここ、何も無いから夕焼け、綺麗だな」
沈みかけていく太陽はオレンジ色で、太陽の光が届かない空は深い蒼になりつつある。その狭間で溶け合う色がとても綺麗で、里琉はしばらくそれを見つめた。
「…………異国の地でも、綺麗なものは同じなんだな」
もう陽射しを遮る必要もないか、と里琉はシャツを羽織る。気温も下がり始めていた。
「……てか、ちょっと、寒くなってきた?」
気温差だろうか。風邪を引いたらシャレにならないが、これ以上の装備は持っていないし、既に足は棒のようだ。
下手にこんな所で休んで寝たら、凍死しかねない。
「うう……あと少しだし、歩こう」
村らしき場所は、もうはっきり分かるほどに近かった。
人の姿は見えないが、煙らしきものが上がっているのが分かる。
「夕飯時だもんなー。贅沢は言わない。せめて寝るところを貸して欲しい……」
そうしている間に陽は沈み、夜の闇が訪れる。
星灯りを頼りに歩いていた里琉は、だが不意におかしな事に気付いた。
「……? 煙はあるけど、明かりが見えない」
どういう仕組みだろうか、と首を傾げていると、不意に白い光が辺りを包み始めた。
「えっ、何?」
陽が沈んだばかりなのに、と思ったら、その逆から今度は満月が昇って来ていた。しかも、太陽より大きい。
「うわっ、なんだあの月!?」
昇り始めの月は大きく見えるが、そうだとしても異常だ。
「ええ……スマホあったら撮ってたのに……」
残念ながら、里琉の持ち物は服だけである。あの石のせいで何も持ってこれなかったのだ。
だが、そのおかげで目の前まで来た村が、妙に静かな事にも気付けた。
「……え、これ人居る? 居るよね?」
門らしき場所をくぐり、里琉は周囲を見渡す。
白く四角い石造りの建物は、どれもが煙突らしき場所から煙を上げているが、それは白くない。灰色、というべきか。
「……嫌な予感がするんだけど」
耳を澄ませても、声一つ、物音一つ聞こえない。
意を決して、里琉は一番近くの家に近付いた。
そこでまたも驚く。扉はなく、布で入り口を仕切っているのだ。
「す、すいませーん!」
声を掛けるが、反応はない。警戒されているのか、と思い、布の扉近くにある金属製の風鈴に似たベルを見付けて、鳴らしてみる。
ちりりん、と軽やかな音がしたが、誰も出て来る気配が無かった。
「そんなあ……」
どうしよう、と途方に暮れた里琉は、だが、中から漂う焦げ臭さに気付いて、青くなる。
「…………」
(警戒されるのを承知で開けるか、さっさと出て行くか……いやこんなの、後で大火事になって村全部焼けましたとか聞いたら、後味が悪すぎる)
えいや、と里琉は布の扉を開けた。
「うわっ、げほっ、ごほっ」
途端に煙が出てきてむせるが、おかげで中の様子がばっちり分かった。
「ぎゃああ!! めっちゃ火事じゃねえか!!」
燃え盛るかまどの火、その上に置かれた大き目の鍋から吹き上げる黒煙。そして予想通り、家の中は誰も居ない。
まずはかまどの火を消すところから、と里琉は中に入った。蒸し暑さに汗が噴き出すが、かまどの近くには水があるはずなので、近づいてそれらしき大きな壺の蓋を開ける。
そこには水が張られ、大き目の柄杓も入っていた。
柄杓で数回ほど水をすくってかまどの火元に投げていくが、効果は微妙だった。火の勢いが強すぎる。
「くそ、こうなったら……!」
かまどの上に置いてある鍋は、今にも火を噴きそうな煙を上げている。里琉はその中に水を投げ込んだ。
じゅああっ、と激しい音がして、あっという間に水は蒸発する。
「もう一回!」
えいや、と水を投げ入れると、鍋の黒煙は大分収まった。
その辺に置いてある布を見付けた里琉は、それを水に浸し、鍋の取っ手を掴んでかまどから下ろす。試しに透かし見たが、ギリギリ穴は空いてないようだ。
「よし、これに水をたくさん入れて……!」
柄杓では手間なので、壺を傾けて鍋に流し込む。
そしていっぱいになった鍋の水を、かまどの火に目がけて投げ込むと、ものすごい蒸発音と共に、火はほとんど消えた。
残るは埋火のような何かだが、水を掛けても消えない以上、それは放置しておく。水浸しになったかまどが、さっきのようになることもあるまい。
やっと終わった、と思ったのもつかの間、外に出たら全ての家から黒煙が上がっていて、里琉は恐慌状態に陥った。
「うわー!! 一か所でも遅れたら地獄しかない!!」
とりあえず無事だった鍋をひっつかんで、里琉は隣から順番に駆け込んだ。もうここまできたら、誰も居ないことは分かり切っている。
一番奥にあった家だけは広く、熱源を辿るしかなかったが、他は概ねすぐに消火出来た。
そして最後の一件で、里琉は衝撃的な場面に遭遇する。
「ここで最後っ! ……って、え!?」
人が倒れている。それも、かまどの前で。特に暴れた形跡もなく、動かない。
タイムラグがあったせいか、ここは鍋の方にまで火が付き始めていた。慌てて消火した里琉は、改めて倒れた人間に近付き、しゃがみ込む。
「あのっ、大丈夫です……っ!?」
声を掛けようと触れた肩の感触は、ぐにゃりとしていた。
付け加えるなら、焦げた匂いに混じっている、鉄錆に似た臭い。
体をよく見ると、心臓の辺りが背中を通じて刺されているようだった。
「……殺され、たのか……な」
異様な村の異様な状況に、里琉は恐怖心よりも、哀しさが生まれた。
自分が来なかったら、この死体は黒こげになって、誰にも見つからないまま朽ち果てていたかもしれなくて。
「…………死体は、明日、埋めてあげよう」
今は、この家の隅に置いてある毛布を掛けてやるくらいで、精一杯だ。
手を合わせて、成仏してください、と祈る。
もしかしたら盗賊か何かの仕業なのかもしれないが、そんな事は里琉が考えるのではなく、警察のような組織が調べる事だ。あれば、の話だが。
ともあれ、この村の大火事は免れた。汗だくで気持ち悪いな、と思った里琉は、近くの家に残った水と、あった布で、体を軽く拭く。
「これくらいなら許されるよな、多分」
食事は出来そうにないが、仕方ない。
それに、もうそんな気力も体力も残っていなかった。
適当な家に入って、里琉は毛布を探し、床らしき場所に寝転がって包まる。
「起きたら夢だった、なら……いいな」
疲れ果てた体は、すぐに睡魔に襲われて。
――夢も見ず、里琉は泥のように深く眠りについたのだった。
※ ※ ※
「……一体、何がどうなってるんだ」
レダ王国騎士団長の立場であるガルジスは、とある目的で来た村に着いて十数分で集まった、異様な状況報告に眉を寄せた。
全ての家で消火の痕跡があり、一つの家で死体が布をかぶせられて見つかり、そして別の家では見知らぬ人間が寝こけていた。
――当然、重要参考人として、とりあえずの本部として使われている村長の家まで連れて来られた彼女は、困惑を露にしている。
ひとまず事情を聞いたが、正直、九割ほど理解不能な内容だった。
おかしな石を拾ったら、それが勝手に体内に入り、次には自分の体が金色に霧散して、気付いたら死の砂漠と呼ばれる場所に来ていた。そこまでは百歩譲って、おかしな事が起こったのだと分かる。
問題はその先だ。
(食っただと? あのコルーを? 即死確定の猛毒の植物を?)
にわかには信じがたい話だが、死の砂漠で食べたという点において、彼女が言った植物は確実にそれしかない。
「何で無事なんだ」
「……運が良かったから、ですかね?」
「いやいやいやいや、それで済むわけないだろうが! 一応訊くが、おかしな手術とか受けてないよな?」
「何ですかそれ! 私は至って健康体です!」
「いや、健康体だから毒が効かないってわけじゃないからな!?」
やはり、当人も毒と知らずに食べたらしい。というより、毒かもしれないと分かっていても、空腹と喉の渇きに耐え切れなかった、と言っていたので、極限状態の選択だったのだろう。それは仕方ない。しかし、生きている事だけが解せない。
とはいえ、彼女が無事で、しかもこうして消火活動をしたからこそ、この村には手がかりが山ほど残されたわけだが。
「……で、この村については何も知らない、と」
「はい。ていうか、盗賊とかの仕業じゃないんですか?」
「あのなあ。盗賊だったらもっと人が死んでるぞ。第一、この村に盗賊はまず来ない。何故なら、盗賊よりもあくどい事をしていたからな」
元よりここに来たのは、その摘発の為だった。宰相命令で、証拠が揃ったので村人全員をしょっ引いて来い、という内容だったのに、その村人はもぬけの殻で、死体が一つきり。どう報告したものか。
おまけに無関係の身元不明な人間が証拠隠滅から守ってくれたというのだから、報告書にそのまま書くわけにもいかない。
「しかし困ったな。お前の説明通りの国が無い」
海、と言っていたが、ガルジスには全く分からない単語だった。それに囲まれた島国が彼女の故郷だというのだが、一番近いのはノアだろうか。
しかしノアは確かに水場の中に島が浮かぶ土地だが、真水である。海というのは塩水らしいので、絶対に違う、というのは確信出来ていた。
そもそも彼女の外見は、レダにしか見られない特徴だ。黒い髪と瞳は、何故か他の国には出てこない。母親によっては他国の色を持って生まれるようだが、それもごくわずかな例だ。
ともかく、彼女がこの国の人間ではない以上、この世界に関しては有り得ない現象を持つ人間、と考えていいだろう。
「どうやったら帰れるんだろう……。このまま帰れないのはやだな……」
「家族が居るんだったか。心配しているだろうからな」
「はい。急に消えたのでびっくりしてるし、今頃探してるかも……」
「かと言って、お前を放置してもなあ……。独身の女だろう」
「さっき言った通りです。二十歳になったばかりですし」
髪が短いのも含めて、彼女はあまりにこの国で異端過ぎる。
そうなると、勝手気ままにどこへでも行け、とは言えなかった。
何より、この村に無自覚ながら協力してくれた存在だ。無下には扱えない。
だったら、選択肢は一つしかないだろう。
「仕方ないな。とりあえずお前を保護するか」
「え?」
「王宮に連れて行って、然るべき保護対象者として申請しておく。素性は……まあ適当にでっち上げるから心配するな。ただ、その服はまずい。……よし、その辺からちょっと拝借して着替えろ」
「え、あ、あの、勝手にそれは……」
良心の塊か、とガルジスは苦い気持ちを抱く。どうせ誰も戻ってこない事は明らかなのだ。己に関する疑いの目を晴らす方が、よほど重要だろうに。
「いいから着替えるんだ。くそ、女手が居ないのが困るな……一人でやれるか?」
「わ、分かりました。えっと、この家? の中、見て回ります」
村長の家だったこの場所なら、適当に何か見つけて着るだろう。そう思っていたガルジスは、次の報告を待っていた。
――そして十数分後、戻って来た彼女を見て、頭を抱える。
「何で男物を着てるんだ、お前は!!」
「だ、だって、スカート苦手で」
どう見てもぶかぶかの男物を着た姿に、思わず叱責を飛ばしたガルジスは頭を抱える。
もしかしなくても、女だと思われたくないのだろうか。
「……まあいいか。で、元の服はどうした?」
「あ、こっちです。……でも、これ洗濯しないと……」
畳んだそれをガルジスはひょいと受け取って、用意していた袋に詰める。
「いや、いい。……こいつは俺が処分する」
「ええ!?」
「……何かまずいか? 大事な奴からの贈り物があれば、それくらいなら……」
「…………ううん、無いです。あの、つまり、それはもう、着ちゃダメ、って事ですよね」
どこか落ち込む姿に、だがガルジスは頷く。
彼女の服はどう見ても怪しいし、謎の技術でもって作られているのが一目瞭然だ。
もしもそれに目を付けた奴が居たら、彼女は何をされるか分からない。
「悪いが、お前の安全の為だ。あとお前、そうしてると子供にしか見えないな。……子供の振り、出来るか?」
「……ええと、それは何故ですか?」
「大人だと分かると、面倒だからな。独り身の女って時点でまずい。お前を保護するなら、ある程度の嘘が必要になる」
それでなくても、王宮内は欺瞞と虚偽に満ちているのだ。彼女を守るには、ただ真実だけ伝えればいい、というものではない。
だからこそ、現時点では守らなければ、とガルジスは思っていた。
どんな結果であれ、彼女のした事はとても重要であり、それにガルジスは報いたいと思ったのだから。
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