2
教室はまるでお通夜のような有様だった。
外はどんよりとした曇天で、照明があっても教室は暗く、むしろ明かりを点しているからこそ夜中のような雰囲気を醸している。
おまけに教師の声がぼそぼそと聞き取りづらいものだから、陰気な空気になっていけない。雨音だけが心の中に響いていた。
その静寂になりきれない静けさに変化が訪れたのは、驚いたことに、教師の一声がきっかけだった。
「次を読んでもらおうか。えっと……じゃあ、
たまたま目に入ったのか、それとも授業をちゃんと聞いていたのが彼女くらいだったのか、
「……はい」
名指しされ、ズズズと音を立てながら椅子を引いて腰を上げる静上さん。その音に視線が集まる。
小柄な女の子だ。眼鏡をかけていて、髪型は黒髪のおかっぱ。あまり目立たず、正直地味な印象。顔立ちは可愛らしいと思うのだが、表情が死んでいるせいで全て台無しになっている。
そんなつまらなげな表情のまま、静上さんは教科書を声に出して読み始めた。
が、
「……、…………、…………。」
元々の声が小さいのもあるのだろうが、外の雨音のせいで彼女の声はほとんど聞き取れなかった。
「もっと大きな声で」
お前もだろ、と突っ込みたくなるようなぼそっとした声で教師が告げる。しかし不思議とその低音は響くもので、静上さんは一度音読をやめ、小さく息を吸って、
「ぅあ……ッ!」
……と、一瞬悲鳴のようなひきつった声を上げる静上さん。どうしたのかと今度こそクラス全員の注目が集まる。
「あの……、…………」
ごにょごにょぼそぼそ、さっきよりもまた一段と小さな声で、静上さんは恐らく教科書読みを再開した。どうやら大声を出せと言われて失敗した様子。周囲からくすくすと笑い声が聞こえてくる。静上さんは顔を赤くしてうなだれてしまった。教師が騒ぎを諌める中、静上さんは存在が萎むように小さくなって座り込んだ。
僕はいたたまれなくなり、窓の外の曇天に目を向ける。
……雨の日は憂鬱だ。
そしてみんな陰湿だ。
太陽は一度も顔を出すことなく、雨は降ったり止んだりを繰り返しながら放課後まで続いていた。
ざあざあと、雨の勢いも強ければ風も強い。
天気予報によれば今日は一日ずっと雨らしいから仕方ないか。
それにしても。
「雨やまねーなー。オレ傘持ってないわー」
「あ、そう? じゃあ私の傘入る?」
昇降口前の屋根の下、雨の勢いを見ていた僕の横で、リア充どもがいちゃいちゃしている。そりゃあ雨音もあるから分からなくもないけれど、これ見よがしな大声で喋りながら、一つの傘に入って雨天の下へと消えていった。
……傘持ってないんならお前、朝どうしたんだよ。濡れたのかよ。朝も降ってただろ。
……車に撥ねられろ、泥水でも。車道の水溜まりかぶっちまえ。
「はあ……」
ため息は雨音にかき消されていく。
ビニール傘片手に、僕は立ち往生していた。
帰るべきか、帰らざるべきか。それが問題だ。
「どうしたものか……」
雨量が多く、この風だと傘を差していても足元が濡れるだろう。いくら帰るにしても、なるべくなら濡れたくはない。
もう少し待てば多少は落ち着くだろうか。もっと酷くなる恐れもある。
迷う僕のそばで、やけになったように雨の中に飛び出していく生徒たち。傘を差している生徒も、鞄で頭を庇っている生徒も、みんな激しい雨風に晒されて瞬く間に全身ずぶ濡れ。ああはなりたくないな。
「……もうちょっと待つかな」
僕は校舎へ引き返すことにした。
特に用事もない。こうも雨が酷いと外で遊ぶことすらままならないし、どうせ家に帰っても一人だ。学校なら僕のように残る人もいるだろうし、図書室あたりで時間を潰そう。
校舎の中へと踵を返す。
廊下は照明こそ点いているがどこかほの暗く、その雰囲気は僕の心に影を落とした。廊下を進むにつれ雨音が遠ざかり、ざわざわとした人の気配にとってかわる。
辿り着いた図書室にはそれなりの数の生徒がいた。みんな考えは同じなのだろう。読書をしているものもいれば、勉強しているものもいる。雨音に覆われたような静けさの中、それでも人の気配が充満していて、この雰囲気は結構嫌いじゃないなと思った。
なんとなく、スマホを触って時間を潰すのは躊躇われた。
かといって何もしないのも手持ち無沙汰なので、僕は書架の間を巡って適当な本を見つけると、空いている席に腰を下ろした。
選んだのは昔読んだことのあるファンタジー小説。夏休みの読書感想文か何かのために借りて読んだと思うが、内容はすっかり忘れているからちょうどいいだろう。こういう機会でもなければ読まないものだ。
……ただ、普段から読書をする方ではないので、図書室の窓を叩く雨音のせいもあり僕はなかなか没頭できずに、時折顔を上げては周りを見渡していた。
そうしていると、貸出カウンターの中に静上さんの姿を見つけた。どうやら彼女は図書委員らしい。彼女とは話したこともないし、そもそも彼女が人と話しているところを見聞きしたこともないから、僕は彼女について何も知らなかった。
別に、特に知りたい訳でもないけれど。
今朝のこともあって、たまたま目に入ったからつい意識してしまっただけだ。
雨はまだ止みそうにないどころか、より激しくなっている気がする。
僕は一つため息をこぼしてから読書を再開した。
図書室で読書を始めて、どれくらい経っただろう。
頑張って読み進めていくと、これがなかなか面白く、失われかけていた子供心を取り戻すかのように、僕は時間も天気も忘れて物語に没頭していた。
そして一区切りついたところで顔を上げると、図書室からはひと気がなくなっており、
「…………」
すぐ近くに物言いたげな顔で佇む静上さんの姿があった。
「あ、の…………です、から……」
彼女の声は突風が窓を叩く音に塗り潰されてしまったけれど、なんとなく言いたいことは分かった。どうやらもう下校時刻、図書室を閉める時間らしい。
あと十数ページほどで読み終わるのだが、待たせるわけにもいかないし、今から借りるのも手間をかけさせるようでなんだか申し訳ない。
それに……だいぶマシになってきたとはいえ、外はまだ雨。借りた本を濡らす恐れもあるから、持ち帰るのは躊躇われた。続きはまた明日にしよう。どうせ明日も雨になる。
「あぁ、ごめん、すぐ帰るから……」
僕は席を立って、本を書架に戻した。静上さんはしばらくこちらの様子を窺っていたようだけど、僕が振り返るころにはそそくさ図書室の戸締りを始めていた。
待たせたようだし何か手伝った方がいいだろうかと、今度は僕が彼女の様子を見つめる番だった。彼女はてきぱきと手慣れた様子で戸締りを済ませていく。僕はむしろ足手まといになりそうだ。引き上げることにした。
図書室を出ると、雨音のせいもあるのだろう、廊下からはまるでひと気が感じられない。外も薄暗いし、今にも何か出そうな雰囲気である。
当然職員室には誰かいるはずだし、部活動で居残っている生徒もいるとは思う。何より図書室には静上さんがいる。けれども、頭ではそう分かっているのに、僕は校舎に一人取り残されたかのような、違う世界にでも迷い込んでしまったかのような、漠然とした不安を覚えた。
早く帰りたいと早足になるのだが、
「……っ」
こういう時に限って不意の寒気に襲われる。
僕はトイレに立ち寄ってから、今度こそ校舎を出た。
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