第三楽曲 恋人達はかく語りき パート1
スポットライトと賞賛の
「
「だい、じょうぶ、です」
「今日も
笑いながら誤魔化す。最近、舞台の後はいつもこうだ。リアムの指揮を見ていると、色々なことを考えたくなくなって、頭が真っ白になってしまう。そして無我夢中で演奏を終えて、舞台袖で糸が切れたように足の力が抜ける。
「大丈夫、ミレア。熱はないみたいだけれど」
額に冷たい手が伸びた。びくっと身を
「ごめん、
「い、いえ」
「疲れてるんだろう。でも今が一番、
青い
「リアム、もうそろそろ休みを入れるべきだ。今日も昼と夜、演奏会が立て続けだぞ。次の
「弱気な発言だね、エルマー。いくらアルベルト君でも、あれだけの大差をひっくり返せるはずがない」
「……それは……そうだが……」
「だろう? さ、ミレア。立って」
手を差し出されたが、自力で立ち上がった。それを
「そのイヤリング、似合っているよ」
にらんでも、意味ありげに
聖夜の天使から
今、聖夜の天使からの贈り物は、リアムの目につく前に
そんなミレア達の関係にかかわらず、世間はあのガーナーとパガーニの演奏を
アルベルトに勝てる。聖夜の天使が望む、一流のバイオリニストへの道だ。
(……何を
本当にこれで正しいのだろうか。アルベルトだって、あれ以来顔を見せてくれない。
「じゃあ、夜の部のリハーサルまでは各自、
リアムの号令で
「ミレア。よかったら昼食、
思わず足を止めてしまう。その時、助け船のように声が響いた。
「ミレア!
「レベッカ」
「君は、アルベルト君の楽団の子じゃないかな? 敵情視察は禁じられているはずだよね」
走ってきたのか息を切らしたレベッカは、リアムを正面から
「演奏が終わってから会場入りしたので問題ないはずです。ミレアは私と先約があるので」
「へえ、本当に?」
「じゃあ、夜はどうかな?」
「夜も
「それはそれは。でも、アルベルト君じゃないんだね、安心した」
「──ミレア、行くよ!」
レベッカに手を
「いいよ。好きな子を困らせるのは
思いがけず優しい
(わ、私が好きなのはアルベルトだけなのに、なんでどきどきするの!)
(助けて、アルベルト。怖いよ)
でも言えない。リアムの態度に右往左往して、ぐらぐら
「なんっなのあの男、いけ好かない! あんなのに
テーブルの真ん中に置かれた
「でも、無視するわけにもいかないし……どうしたらいいと思う?」
「どうにかするのはミレアじゃないでしょ。アルベルト・フォン・バイエルンよ!」
「レベッカ、声が大きい」
レベッカと二人で入った食事場所は、大衆食堂に分類される場所ではあるものの女性向けを
だがレベッカは
「あの
一言一言区切るたびに豚肉のリブをナイフで
ミレアは力なく、取り分けられたリブをさらに小さく切り分けた。
「アルベルトはそんなこと言わないと思う。だって指揮者とコンマスだもん……」
「それはそれ、これはこれでしょ! あの男
レベッカがぱくりとリブを口に
「君が好きなだけだよ何も望まないって建て前で、最初から
「そ、そこまで計算してるの?」
「計算してるよ、私らより大人でしょ。おかげで強引なことされずにはすんでるけど」
レベッカが
「大人の男って厄介だよね。ほんっと」
それに振り回される自分はやはり子供なのだろう。ミレアはうなだれた。
「私が子供だから、アルベルトは私を相手にしてくれないのかな……」
「弱気にならないの、ミレア。私、ミレアにはちゃんと
「私だってレベッカにちゃんと両想いになって欲しいよ、フェリクス様と」
ものすごい反論がくるだろうと思っていたのに、返ってきたのは
食事の手を止めて、レベッカを
「……どうしたの、レベッカ」
答えが返ってこない。綺麗な形の
(そういえば、気持ちの整理がついてないからって、私まだ、何も聞いてない……)
今、聞かないといけない。ミレアの直感がそう告げていた。
「ねえ、何か話があるんでしょレベッカ。それって何?」
「……今、そんな話よりミレアの方が大変でしょ」
「
分かりやすく、レベッカが目を泳がせた。じっと待っていると、
「……今、言うのは、本当にどうかと思うんだけど」
「うん」
「──社交界のシーズンが終わる前に、両親に会ったの。そしたら
持っていたフォークが落ちて音を立てた。レベッカが顔をしかめる。
「ちょっとミレア、危ないでしょ」
「え、宮廷楽団をやめるって──退団して、
「説明なんてできるわけない。フェリクス、貴族じゃないもの」
苦笑いが
レベッカはアイシュ
だからその候補に、平民であるフェリクスは入らない。
「で、でも……レベッカって、確かお兄さんいたよね。
「女で、一生独身で、コントラバス奏者として生きていけるのかって言われた」
ミレアは場所も忘れて、立ち上がり声を
「レベッカなら
「でもそれは私がまだ若くて、見た目綺麗だからだと思う。私、音楽だけで一人で生きていけるほど才能ないよ。──そんな
周囲の評価というより意志だ。それを感じて、ミレアは
静かに食事をする手を再開して、レベッカは力なく笑う。
「宮廷楽団にいて、バイエルン指揮者とかフェリクスとか──ミレアを見てたら分かるよ。自分は
「違うって、そんなこと」
「違うよ。それくらいはわきまえてるつもりだし、それでいいんだ、私は。コントラバスの演奏で世界一になりたいとか、コンクールで優勝したいとか思ったこともないし」
そう言って笑うレベッカに噓は感じられなかった。
「でも、フェリクス様とどうなるかはまた別なのに……」
「うん。だからね、フェリクスと一緒のオーケストラで弾いてみようって、
だから、第三楽団の
(……レベッカにしては、らしくないと思ってたけど)
落ちたフォークを
「そのこと、フェリクス様には」
「言ったら絶交するから」
「でも、フェリクス様は迎えにくるって言ったんでしょ? この間の演奏だって、レベッカのこと
ミレアの言にレベッカはきょとんとした後で、真っ赤になった。
「な、なに、何それ!? どういうこと!?」
「え、だってこの間のフェリクス様の演奏……どう聞いてもレベッカが
「わ、分かんないなんなのそれ! あり得ない!!」
「……でもそっか。ミレアにはそう聞こえたんだ」
「えっ……う、うん」
「私にはそれが聞こえなかった。うん、それがね。才能なんだって思う。……それだけでもフェリクスと
フェリクス・ルターは
「だから、ミレアはちゃんとバイエルン指揮者と両想いになりなよ。身分だって釣り合ってるんだし、音楽だって理解し合える。お似合いだよ」
(そうかな。……私、アルベルトとお似合いの女の子かな)
聖夜の天使の件があって
そして答えが分からないまま、
「アルベルト、
「……
「そうやって
なんだそれはと思いながらもアルベルトは
おざなりに顔にのせていた新聞が
「窓、開けてくれる。空気がこもって仕方ない」
「僕を
そう言いながらも、アルベルトは立ち上がり、窓を開ける。宮廷楽団の
いい天気だ。アルベルトの鬱々とした気分とは真逆で、
「
「
初回の
逆に大敗したアルベルト達は、演奏会の
(……今日、あっちは昼と夜の二回公演か。無理してなきゃいいが)
新聞でミレアのスケジュールを
「何がショックなのかな。ミレアさんのことはこうなるって分かってたんだろう」
今日はしつこい。
「ショックだったことがショックだった」
フェリクスがバイオリンの手入れから顔を上げた。ぼんやりとアルベルトは続ける。
「バイオリニストとしてやっていくなら、いつか僕よりいい指揮者に出会うことも、
こうなる前に彼女を自分の籠の中に閉じこめておけばよかったと、
だが、それは彼女のバイオリニストとしての可能性を
「……だからおためしだろうがなんだろうが、『おつきあい』なんてごめんだったんだ。僕はきっちり線引きして、自制したかったのに」
手で顔を半分
「つまり思った以上に自制がきいてない自分に
「……。お前の足を折っても演奏に支障はないな?」
「話題性にはいいかもね。──バイオリニストとしての僕の意見を言っても?」
興味をひかれて、目線で
「僕は指揮者の言う通りに弾くバイオリニストなんかになりたくないね。きっとミレアさんも同じだと思うよ」
「……分かってる。本気で閉じこめるつもりなんかない」
「違うよ、アルベルト。君がミレアさんを閉じこめようとしても、彼女は言うことなんかきかない。君の籠を
目を丸くした自分がよほど
「閉じこめればいいんじゃないのかな、できるものなら。──それでこそ指揮者だろうと、僕は思うけど」
窓の外を見ながら、口元に手を当てて真顔で考えてみた。
(……そうなると、今までの僕の
にわかに受け入れがたい。だが。
「丁度、おためし期間なんだろう。ためしてみるのもありなんじゃない?」
「……。フェリクス」
ものすごい勢いで思考回路を回転させながら、アルベルトはまっすぐフェリクスを見た。
「お前、実は親友か」
「たまに親友だね。まあ、お礼だよ。アルベルトにはグロス
「うまくいきそうなのか? あの条件は厳しいだろう」
「そうだね。バイオリンは続ける、政略
そう言ってフェリクスは、自分のバイオリンに目線を落とした。
「でも、僕がそれだけのバイオリニストだと証明できれば、養子先を紹介してもらえることになったよ。今回の審査で
さらりと
「──だからさっさと
「そういうことだね。今から行けばミレアさんの夜の部、間に合うんじゃないかな」
「いや、
のんびりコーヒーをすすろうとしていた手を止める。まじまじとアルベルトを見たフェリクスは、ちょっと
「ひょっとして、審査の時はショックで気づいてなかった? ミレアさんの演奏」
「どういう意味だ」
「……どうりで行動が
ぴくりと
外出の用意を始めるアルベルトを、フェリクスは
「一応聞くが、お前、今日僕が動くと第一楽団の連中と
「僕らは親友だから、そういうのは分かってしまうものだよね」
「……賭けてるな?」
「ほら、いってらっしゃい。ひとまず話し合わないとね」
フェリクスが追い出しにかかる。文句は言い足りないがそれよりも不安が
まだ夜の部の開場前だ。
(ミレアの演奏? 何があった)
自分達の仲をはやしたがる第一楽団だけでなく、第二楽団も心配しているのが気にかかる。
「当日券は完売です! 当日券は完売です!」
馬車を降りたアルベルトは額に手を当てた。チケットがない。いやそれ以上に、敵情視察が禁止されている関係でアルベルトはミレアの演奏を聞けない。
(第一楽団の連中に話を聞くか……いや、まずは僕が演奏を聞かないと。……
げらげら笑いながら散々もてあそんだ挙げ句、
「あの役立たずの馬鹿師匠が……!」
「よお、
がしっと背後から肩を
「お前……王都から
「戻ってきたぜー、義理のお父さんだ」
「
「で? 説明してもらおうか。どうして俺の
だらしない格好のその男はクラウスと名乗っている。経歴を元から
それほどまでにこの男が
人類史上最高の天才バイオリニスト。
「お前、彼女の演奏を聞いたのか」
「あ? そりゃ聞くだろ、自分の娘の演奏聞いて何が悪い」
「僕は聞けないんだ、
「俺が聞かせてやる、ついてこい」
「どうやってだ。僕が会場に入ったことが分かればつまみ出される」
「心配すんな。この劇場は、俺の庭みたいなもんだ。元だけどな?」
にやりと笑い、かつての主役が
夜の部の演奏が終わったらまたくるからと言い残したレベッカは、最後まで笑っていた。フェリクスとの関係を思えば、レベッカはつらいはずだ。でもきちんと、アルベルトの楽団の中でコントラバス奏者としての役割を果たそうとしている。
何か力になりたい。重たいドレスを引きずって、リハーサルへ向かう
(問題は身分差なんだよね。フェリクス様がどこかの貴族の養子になるとか……でもそれってバイオリン、続けられるのかな……)
一番いい方法はなんだろう。考えて、アルベルトに相談できればと思う。生まれから育ちまで
話しかける口実なら、借りたままのハンカチがある。でもそれを差し出す勇気がない。
「ミレア。よかった、呼びに行こうかと思ってたんだよ」
「リアムさん……と、マエストロ?」
「やっほやっほー。元気してた?」
ラフな格好ではあるが、指揮台に登ってるガーナーが舞台にいる。演奏席には第一楽団と第二楽団が座っていた。エルマー達は、舞台の
「ど、どうして第一楽団と第二楽団が舞台にいるんですか?」
「うん。僕の指揮で、第一楽団と第二楽団から演奏者を選んで、特別演奏会をやることになったんだよ。ちなみにパガーニの二十四番を
脳天気なガーナーの宣言に、周囲がざわめいた。エルマー達も知らなかったらしい。
「それで、
「あ、明日!? ずいぶん急ですね、間に合うんですか?」
「へーきへーき、練習は先週から始めてたし、指揮者が
「コンマスはどなたですか?」
敬語のエルマーにびっくりしてしまった。ガーナーはまったく
「ミレアちゃんの前任者。団員は第二楽団に第一楽団を半数まぜた感じかな」
「しかし、いきなりですね。しかもパガーニの二十四番。我々の
「それがねー僕としたことが押し切られちゃったんだよ、第一楽団と第二楽団に。ミレアちゃんをなんとかしろって」
ぱちり、とミレアはまばたく。すると第二楽団の
「マエストロ。余計なことを言うのはあなたの悪い
「だって。
「第一楽団はバイエルン指揮者に貸しを作りたいだけだけどなー」
合間に第一楽団が笑いをまぜる。だが、こちらで笑ったのはリアムだけだった。
「
「お、いいねいいね。リアム君の楽団は
けろっとガーナーが切り返す。もう一度、第二楽団の先輩がガーナーに声をかけた。
「マエストロ。
「はーい、じゃあリハいくよ。第一楽団、第二楽団──あ、今はガーナー楽団ってどう?」
「ではオーボエ、音合わせお願いします」
「無視!?」
ガーナーの泣き
「ミレアちゃん。今の君って、天才だよね」
「……え?」
「僕はアルベルトに
「あなたとアルベルト君ができなかったことをできたなら、光栄ですよ」
「──でもねえ、僕が本当に欲しかったのはその先だ」
リアムの
慣れた動作でガーナーが指揮棒をぴたりと宙で止める。軍隊の指揮のようにオーケストラを
「たとえばこういう、ね」
指揮棒が空を切った。これはこう
今夜は城の
同じ曲想だ。でもアルベルトよりも伝統的で、リアムより空想的な、巨匠の音楽だ。深く
まるで
バイオリンが独奏で
第二楽団が花を散らし、彼女を
命と愛と
一瞬の栄光と
「……パガーニじゃないか……!」
巨匠ガーナーと、天才パガーニの再演。その言葉を使うなら、この音楽が正しい。
リアムが横っ
でも、それだけではない。一番感じるのは、こう弾きたいという、音の意志だ。
(──私は、何を弾いてたっけ……?)
フェリクスは真っ白な雪の中で
第二楽団の先輩は、今、魔法で
その人だからこそできる演奏だ。それをみんな、指揮者に導かれて弾いている。
「はいよーし、じゃあリハは終わり。リアム君たちと
耳の奥を
思考がうまくまとまらない。ほうとエルマーが息を
「弟子に
「これ、演奏会の後は話題をもっていかれるんじゃないか、リアム。……リアム?」
「……。ああ、そうだね……さすがだよ、マエストロは」
リアムの長い指が
「
心臓がまたばくばくし鳴り出した。その自分の挙動が、自己
(なんでこんなどきどきするんだろう、アルベルトにしか、したくないのに)
この人はこうやって、ミレアを知らない場所へ連れて行く。そして知りたくないことまで教えるのだ。
手を取られる前に、自分で舞台に進み出る。観客席に移動するガーナーや第一楽団、第二楽団のみんなとすれ違う。何か言いたげな視線をいくつか感じながら、席に
「さあ、リハーサルだ」
指揮台に立ったリアムに目配せされた。コンサートマスターとして、指揮者から何を要求されているのか分かることを
でも、苦しいのはほんの一瞬だ──さあ、パガーニになれ。何も考えずに。
「──これは、彼女が覚えているお前の音だな」
「ああ、そうだ」
伝説のバイオリニストが短く答えた。舌打ちする。
舞台の上で、軽やかに音が踊る。深く、情熱的に、
熱狂する観客の気持ちが分かる。あれを手に入れたいと
(ミレアの中にある音だ。──なのに、彼女が弾いていない)
極限まで自分をそぎ落として音を鳴らしているのだ。才能があるばかりに。
聞き
「ガーナーはあの性格だ、分かってて放置だろ。さっきの演奏だってミレアに気づかせるためじゃない。お前とあの若い指揮者への
あの
「どうにもできねえなら、ミレアを今すぐここから連れ出すぞ。っつーかお前、俺の
「ここまで連れてきてもらって助かった。あとで入り用の物があったらバイエルン
「……いきなり上から目線な
否定するのもめんどくさかったので
第一楽団と第二楽団が心配するわけだ。彼らは、ミレアの音をよく知っている。いくらいい演奏をしたと言っても、いきなり彼女らしさが根こそぎなくなれば、
リアムは確かに、ミレア・シェルツの新しい才能を開花させた。そのことに
(でも
会場の正面
何か舞台であったらしい。
客席にいる第一楽団が自分の姿に気づいた。舞台の上の彼女は何も気づいていない。
──大丈夫だ。彼女の
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