第二楽曲 悪魔的カデンツァ パート2
まずい、うまく説明できないけれどこの状況はまずい。放置してはいけないやつだ。
しかし練習で根をつめるアルベルトとミレアがうまく顔を合わせる機会があるはずもなく、なんの進展もないままあっさりと初回
救いはミレア達の演奏が順調に仕上がったことだ。リアムは相変わらず「何か足りない」とは言うものの、エルマーの一言がきいたのか、
(でも今日は絶対、アルベルトに会えるはずだから……! いつ話しかけよう)
くじ引きでまずアルベルト達が、その後
リハーサル順も同じで、
(リハが終わった後かな。アルベルトの方がまた本番準備に入っちゃうけど、開演までは時間あるし、結果によっては本番後は気まずいし……よし!)
「もう、リアムさんがリハの時にドレスで
開場の準備に人手がさかれているのか、廊下には
「アルベルト」
廊下にあるアンティークの
アルベルトの全身から話しかけるなという
「あの、アルベルト。
アルベルトばかり気にして
「だから、何度も言ってるだろう。転ぶ前にバイオリンを放せ」
「で、でも聖夜の天使の」
「言い訳はいい。まったく、君はなんでそうそそっかしいんだ。
「だ、
アルベルトの腕に腰を
「大丈夫だ、
ミレアが着ているのは、
「だってリアムさんがこれがいいって」
リアムが『男性をすべて
正直に
「……へえ、そう」
「この
「崩れてない。でも全然君に似合ってないな」
「なっ」
文句を言う前に体が宙に
「君はこれからリハだったな」
「ア、アルベルト! お、おろして。お、重いでしょ!?」
「荷物が重いのは当然だ」
そこは重くないと言って欲しい。しかも荷物
でも、一番大事なことを聞くのは忘れなかった。
「あ、あの、
「怒ってないし、君が僕に会いにくる必要もないと思うけど」
「だっておためし期間の
「──そもそも僕はその話を
ものすごく低い声で言い切られた。ちょっと顔を出したミレアは、
「じゃあ、なんにもためさないの?」
ぴた、とアルベルトの足が止まった。不思議に思って見上げたら、冷め切った眼差しを返された。
「意味を分かって言ってないだろう」
「え、なんで? 私、アルベルトとためしたいことたくさんあるのに」
「……じゃあ期待せずに聞くけど、たとえば何を?」
どうして
「あのね、手をつないでデートしたい! あと、本番のあとは
「想定通りの答えで
「あとはね、私にバイオリン
不意をつかれたように、アルベルトがまばたいた。にこにこしながらミレアは、つけ加える。
「私よりヘタでも笑わないから」
「僕よりヘタだったら君の価値はどうなるんだ、〝バイオリンの
いつもの意地の悪い顔で笑われて、内心ほっとしたが、表情はむっとする。
「絶対、私の方がうまい!」
「だといいけど」
「なによ、私うまくなってるんだから! びっくりするわよ。絶対勝つし!」
「へえ、ほんとに?」
歩みを再開したアルベルトの歩調がゆっくりに変わった。いつも通り、もうアルベルトしか目に入らないミレアは、自信満々に
「エルマーさんとか、いっぱい教えてもらったもの。……ただ……」
「ただ? どうせまたムラっ気のある演奏でフォローばっかりされてるんだろう」
「違うったら! ……リアムさんが、ずっと、何か足りないって。私の音」
少しだけ、アルベルトがミレアに視線を下げた。すぐに前を向いてしまうが、それはどこか遠い場所に目を向ける指揮者の顔だ。
(この顔も好きだなあ)
そばにいるのに、自分を見ていない。それでも好きだと思えるのは、我ながらすごいんじゃないかと思う。ぎゅっと
「アルベルトなら分かる? 私に足りないもの」
「色気」
素っ気なく
「ひ、人が
「ミレア、──アルベルト君。どうしたんだい」
思いっきり暴れてやろうとしたのに、もう
目を丸くしたリアムとエルマーの顔を見て、人目を思い出したミレアは真っ赤になる。
「あの、えっと……」
「ドレスを踏んづけて転びそうになっていたので、運んだだけです。すぐすみますので」
そう言ってアルベルトは、舞台袖に並んだ椅子の一つにミレアを下ろす。ぴゅうっとエルマーが口笛を
「堂々と
「あ、あの、アルベルト。もういいから」
リアム達がアルベルトに向ける目は決して
だが、アルベルトは
「な、な──ひゃっ」
「痛まないか?」
だがもうまともに思考できない。ただただ、息を殺して
(この人、なんで平気でこんなことができるの)
頭の中が
でも、同じくらいの割合で、大事にされることが
「──君が、なんにも変わってなくて安心した」
「え?」
優しい手つきでアルベルトが靴をはき直させてくれた。そして、下から意地悪く笑う。
「成長してないって言ったんだ」
「なっ──そ、そんなことないもの! そ、そうだこれ!」
ミレアはずっと
「聖夜の天使からもらった楽譜、ちゃんと使ってるもの!」
自分で考えて、リアムの指示やエルマー達の教えを書きこんだ。
アルベルトから教わったことだ。それが分かったのだろう。目を丸くしたあとで、アルベルトがふっと
「そうか」
「そ、そうよ。絶対、私、勝つんだから。あなたに」
聖夜の天使に会わせてくれない、あなたに。
「自分に足りない『何か』が分からない君に、負ける気がしない」
「う。で、でもアルベルトだって分かんないでしょ?」
「さあ。──ほら、もうリハだ」
アルベルトが差し出してくれた手につかまり、ミレアは立ち上がる。
「もう転ぶんじゃないぞ。僕はいないんだからな」
「わ、分かってる。……ありがとう……」
小さく礼を言うと、どういたしましてと返された。微笑む姿に
気をつけながら、一歩
「──君は、この曲でどんな女性になりたい?」
「
だから、いっておいで。
アルベルトが
──この人が好きだ。どうしてだか分からないけれど、とても好きだ。遠ざかる背中を見つめながら、そう思った。
「──すごいな、ミレア!」
もうすぐ本番だというのに
「すごいリハだった。君が〝バイオリンの妖精〟と言われる理由が分かった気がするよ」
「そ、そんなことないです」
「そんなことあるよ」
そう続けたのは第一バイオリンの人だ。うんうんと、観客席に座る
「あれなら本番はこっちの圧勝だな」
「そ、それはまだ分かんないかと……」
「じゃあミレアは俺らが負けると思うのか? いくらドイツェン
「経験も技術も、何もかもがこっちが上だからな。足りないとしたら『
「そうだな、もう話題性だけじゃない。なあ、リアム」
「え?」
エルマーに話しかけられたリアムが、目が覚めたように振り向く。だがすぐに笑った。
「ああ。ごめんね、聞いてなかったよ」
「おいおい、まさか
「……。ああ、うん。そうだね。そうなんだろうね……」
「なんだ、まさかまだ『何か』
団員からの視線を受けて、リアムは何か言いかけて、やめる。
リハーサルが終わってからリアムはこの調子だ。もうすぐ本番で、会場内は
それが気になるのかと、ミレアは
「どうなんだろう。ちょっとよく分からなくて」
「分からないってお前……まあいい。お前がそれでも、俺達がなんとかするさ」
「うん、それはありがたいな。……でも相手はあのアルベルト・フォン・バイエルンだ」
ふと、今までどこを見ているのか分からなかった
ミレアもつられて、リアムが見ている先の舞台を見た。
「そんなに簡単に負かせる相手なら、マエストロ・ガーナーが彼を
マエストロ・ガーナーの
若きマエストロ・ガーナーの再来、リアム・ルーテル。
開演のベルが鳴り、幕が上がる。
ずらりと並んでいるのは、見知らぬ顔ばかりだ。全体的に若い演奏者が多い。
(あ、レベッカ)
コントラバス演奏者の席に友人の姿がある。ふと、話を聞き
同じ
(あれ絶対やばいよね。終わったら、ちょっとは落ち着いて話せるといいけど……)
食事中も楽譜から目を離さずレベッカは取り組んでいた。あんなに熱心に練習するレベッカをミレアは初めて見た。
その努力が今、問われる。
音合わせが終わり、
「さあ、お
エルマーが
リアム達の方は、耳が肥えた観客も満足してくれており、新聞記事も好評だった。
だが、アルベルト達の方は散々だった。特に最初の演奏会は、批評家達がこぞって
(でも、お客さんのコメントを全部
聞くに
彼が目を合わせるのはフェリクスだ。そしてアルベルトは迷いなく、指揮棒を振り下ろす。
思わず身を乗り出した。
(私達と同じ曲想……あれ、でもちょっと違う?)
テンポが軽く、音も舞踏会にしては明るく
フェリクスの調子が悪いわけではない。実際、曲の
(分かった! 仮面舞踏会!)
フェリクスの音があるようでないのはそのせいだ。わくわくしてしまう。
彼女は誰? 焦れた観客の期待にこたえて、フェリクスのバイオリンが
フルートが
スピッカート、ヴィブラート。最高難易度で要求される技術を難なく
息を殺してミレアはそれを聞いていた。すごいのは技術を感じさせないことだ。ただ音楽を楽しむための演奏が続く。少しトロンボーンが音を外した。ステップを間違えたようにチェロの入りが
(楽しい!)
くるくると
バイオリンが一人きりで鳴り出す。雪原の上の静かな踊り。
(うわレベッカだ、これ絶対レベッカ!)
最後に
最初の
同じ
ミレアも夢中で拍手した。その横で、低い声が
「──なるほど。確かに
拍手を鳴らす手を思わず止めてしまった。見ればミレア以外の全員が、舞台を静かに注視している。
「まだミスが目立ったけど、二回目の
「オケとバイオリン独奏のバランス感覚が
「一番
「さすがマエストロ・ガーナーの弟子だ」
一言、
「……リアム。それはそうかもしれないが、俺達は俺達だ。リハは完璧だし、ミレアの音だって最高だった」
「あんなものアルベルト君に浮かれただけの音だ。あれは俺が望む音じゃない」
「いや、すまない。──次は俺達の出番だ。皆は準備しててくれ」
「リ、リアムさんは」
「少し頭を冷やしてくるよ。まだ、足りないんだ。足りない『何か』を見つけたい」
席を立ち上がったリアムは、そのまま誰の返事も待たず、まだ拍手のやまない会場から出て行ってしまう。
思わずミレアが周囲を見回すと、エルマーが首を
「
「でも、足りない何かって、私のことですよね」
ぎゅっと一度
ミレアはこの後に演奏する。審査は二回行われるから、今回負けたとしても大差でなければ問題ない。だが、そんな考えでアルベルトに勝てるなんて思えない。
「──リアムさん!」
真っ白な
「ミレア、どうしたんだい」
「えっと、私、何かできることありますか」
背筋を
「──
「は、はい」
「
舞台
「さっきの話だけど、
そう言って半歩先を進むリアムはどこか遠い先を見つめている。その横顔が、アルベルトととてもよく似ていることに気づいた。指揮者はみんなこうなのだろうか。
「でも……違うんですよね、リアムさんが私に求めてる音と」
「そうだね……でも意外だったな。君がそんなに俺を気にしてくれるなんて」
小首を
「さっきだってアルベルト君の指揮に完全に
「そ、それは──でも私、リアムさんには勝って欲しいです」
ミレアの控え室の前で立ち止まったリアムが、
「──君は、俺が勝つと思う?」
「勝ってもらわないと困ります」
その青い
「だって私、アルベルトに勝たないとおためしで終わっちゃう」
自分で控え室の
「とにかく本番ギリギリまで、考えましょう。いい案が浮かぶかも──あ」
二人分の
「聖夜の天使からだ……!」
鏡台の前に、小さな羽がついた白い箱が置いてあった。
ドレスだ。
「あ──あのっ、リアムさん! 私、これ、これ着てもいいですか!?」
「……え?」
「だってこっちの方が私に合いません?」
そう言ってミレアはリアムにドレスを見せる。
(いつの間に用意したのかな、アルベルトってば)
ぎこちない笑い声が、控え室に
「──は……ははは。なるほど。確かに、俺が気づいてないだけだったわけだ」
「……リアム、さん?」
体を曲げて笑っていたリアムが、顔を上げた。
「分かったよ。だから足りない。君のバイオリンが俺のものにならないから」
リアムはいつも通り、穏やかに笑ってる。けれど瞳の奥に底知れないものがあった。
「──ねえ、ミレア。さがしてあげようか、聖夜の天使を。会いたいんだろう?」
ほんの半年前の自分なら、飛びついた誘いだ。だが今、答えは歯切れ悪く、
「む、無理ですよ。会いたいけど、さがすなんて。天使だから」
「そのドレス、オーダーメイドだよね。ずいぶん高級な
「見つけてあげるよ。俺が。そのドレスから」
リアムが手を伸ばすのを見て、
「やっぱりだ。君は、聖夜の天使が
「……そ、そんなことは」
「聖夜の天使はアルベルト・フォン・バイエルン?」
ひゅっと
「だろうね。君みたいな人間は、いつだって追いかけるのはたった一人だ」
「──な、何を言ってるのか分からないです!」
「そう? じゃあ、調べてみようか。このイヤリングも、聖夜の天使にもらったんだったね」
「たっ」
「何するんですか、返して……っ」
「小さいけどピンクダイヤだ。こんなものを仕入れるのも加工できるところも限られてる」
「やめて、返して! どうしてそんなことっ──か、仮に聖夜の天使がアルベルトだったとしたって、なんにも問題ないはずです!」
「でもこの事実は公表した方が君のためになるよ。〝バイオリンの
それは、ただの
「──やめて、アルベルトに
それはもう、自白したのと同じだった。だがここまできたら
ミレアはリアムを真正面から
「アルベルトに何かしたら、許さないから……っ!」
「ああ、やっとだ。やっと君は本当に、俺を見たね」
うっとりと微笑んだリアムに、
「俺はね。君の目が俺に向かないのが、
「そんなこと、今、なんの関係が──!」
「関係あるよ。だってこれは
リアムは笑う。ミレアを指揮台から食い
「どうも俺は、君に恋をしたみたいだよ」
頭が真っ白になった。
目の前で笑う知らない男の人のことで視界がいっぱいになりそうで、深紅のドレスを握り
「そのドレスを着るなんて許さない。君は今、俺のコンマスだ」
コンマス。その言葉を、からからに
「ねえ、だから
──君が、他の誰かではなく、俺に
タオルで
「おい、いつまで死んでる。いい加減、移動するぞ」
「──す、すみません、
「それは舞台の照明だ。まだ一回目だぞ。しかもミスしただろう、各自」
「アルベルト、お説教は後にしよう」
フェリクスもミレアと
「今、笑った? アルベルト」
「気のせいだ」
「だよね。──ほらみんな起きて。もうそろそろ次の演奏時間なんだから」
「うわっなんだこりゃ」
そうこうしている間に、リアム達の楽団がやってきてしまった。舌打ちしたアルベルトは、舞台袖の
「申し訳ない、すぐに移動しますので。ほら、立て全員」
「いやあ、まあ舞台は空いてるし? ほら行くぞ」
エルマーの号令と
(経験値の違いだけはどうにもならないな)
だが、経験値がないからこそ新しい音楽が生まれやすい。出だしはまずまずだろう。大負けはないと思いたい──が、なにせ相手はリアム・ルーテルと名だたる歴戦の演奏者達だ。
(四割得票がいいところか? ……相手の出来によるか)
マエストロ・ガーナーとパガーニの共演。それを再現するという記事を見た。それに近いものが仕上がっているとしたら、評価をどこまで押し上げるかはミレアの出来
「やっほー馬鹿
「フェリクス、客席にいくぞ」
明るく舞台袖に現れた師匠を無視すると、フェリクスも
「開演まであと十分だ。急ごう」
「お前ね、そういうことすると僕はリアム君を
「そうしろ、せいせいする」
「うわあ! 負けろ、お前なんか負けちゃえ!」
「しょうがないだろう、今回は。勝負は次だ」
アルベルトの答えにガーナーはまばたいたあと、
「お前はほんっと
もうそろそろ
「お前まで僕をがっかりさせるんじゃないよ、アルベルト」
「……」
「まあ、リアム君に期待するかぁ。あっちはミレアちゃんいるしね。お、
きたきたとはしゃぐガーナーに見えないところで、
(勝つための正解ばっかり、か。痛いところをつきやがって)
ふと、人が通る気配を感じて顔を上げる。
ミレアだった。気づくのに
「ミレア」
震えたようにミレアの
何かあった。わかりやすすぎる
「ミレア、待て」
「申し訳ないけど、アルベルト君。もう本番だ」
「彼女は俺が舞台まで連れて行くから、ご心配なく」
かっと喉の奥からせり上がった何かを、アルベルトはその場で飲み下した。それが正解だと思ったからだ。
──勝つための正解ばっかりだ。つまらない。
「……ふぅん、やっぱりミレアちゃんか」
「──なんのことだ、馬鹿師匠」
「お前はたまには不正解に手を出すべきだよ」
「
「──いや、いい」
両足が地面に張りついたように動かない。
「ここで聴く」
アルベルトの答えに、フェリクスは何かを言いかけてやめた。頷き、去って行く
照明が落ちる。表情が
当たり前のことに
気づいたら舞台にいた。
体はふわふわしているのに、心臓はばくばくしている。どうしよう、どうしようと焦っているのに、手はしっかりと弓を持っていた。
(アルベルトから、目をそらしちゃった)
だって顔を見られなかった。どんな顔をしていいか分からなかったのだ。
男の人に告白されたのなんて初めてだったから。
──君が望むなら、聖夜の天使がアルベルト・フォン・バイエルンだってことは
──ただ、俺のことも見て。俺を通してアルベルト君を見るんじゃなく、俺を。
指揮台の上からリアムが
(あんな言い方、
そんな
曲が始まる。弓を持って、ミレアは
(そう、アルベルトだけだから──リアムさんは、アルベルトじゃない)
私、
それは
『いいか、ミレア。この曲は、こう
動揺した視界にリアムが映りこむ。それだ、と唇が動いた。そして、
気がついたら、指が動いていた。薄く微笑んだミレアは、バイオリンに
踊れ、踊れ、踊れ。彼の気を引くには、世界中の視線がいる。どう弾けばいいかを、自分は知っているはずだ。
まだ早いなんて彼の言葉を信じてはいけない。だって彼は
だったら、他の男の手を取って踊って何が悪いのか。
観客が
「──ッ!」
最後の一音と一緒に、
息を切らして、静まり返った会場を見つめる。
そしてミレアの確信を裏づけるように、
「ミレア」
まだぼうっとしているミレアの手を、エルマーががっちりとつかんだ。
「君は天才だ」
「ミレア」
今度は指揮台から下りたリアムに抱き
「ありがとう、俺の欲しい音をくれて──俺を、見てくれて」
どきりと、心臓が知らない音を
戻って、初めて
アルベルトが立っていた。舞台袖で、一人きり、ミレアを待っていたように。
「ミレア、行こう。
先導で歩いていたリアムがわざわざ
(どうし、よう。なんで、私)
後ろめたさで、顔が見られない。アルベルトは何も言わない。いつもなら、お説教がとんでくる
なのに、
「──僕は、君とつきあう気なんかない」
後ろからきつく抱き締められたミレアは、息を
「君に
聞いたこともない切実な声だった。腕の力も、痛いくらい
「だから──他の男なんか、見るな」
くらりとめまいがした。体中の体温が上がる。顔を両手で
彼が好きだ。こうして
けれど、ミレアはアルベルトの
重いドレスの
「そういうことは、私に勝ってから言って!」
自分が恥ずかしくて、その腕の中で幸せになれない。だってあなただって気づいてる。
(私の
心臓の音が鳴り
第三楽団
アルベルト・フォン・バイエルン得票、十一票。
リアム・ルーテル得票、八十九票。
翌日の新聞では、アルベルト・フォン・バイエルンの第三楽団指揮者の就任は絶望的であると報じられた。
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