第二楽曲 悪魔的カデンツァ パート1
「君は
宮廷楽団の理事執務室に呼び出されたミレアは言い返さずうつむく。今回は、騒ぎを起こした自覚がある。宮廷楽団の理事であるランドルフから
「先に言っておく。私は息子と君の〝おつきあい〟など許さん。特に君の小うるさい養父と
「ちゅ、中傷ってお父さまはそんなことしません。
どん、と
「これが今日までシェルツ伯爵から我が家に届いた苦情だが?」
「……。お、お父さまは、私を
「この間は生意気にも
「……」
「あいにく、アルベルトは音楽に入れこんでいる点以外、
内心でむっとしたミレアに、ランドルフは
「だが最近、君のせいで息子の
「す、すみません……」
さすがに
「息子に
「……じゃ、じゃあ、私が責任とります!」
「とらんでいい。……社交界の時期が終わっていたのが不幸中の幸いだ。これが先月だったら、またどんなことになっていたか……」
「元々注目の高かった第三楽団の
「そ、そうなんですか」
「今のところ宮廷楽団にとって収益になっているのは確かだ。だが、君はどういうつもりであんな発言をした。売名か?」
ぶんぶんとミレアは首を横に振る。
「ほ、本気です。でないとアルベルトが振り向かないから」
「意味が分かるように説明したまえ」
「……アルベルト、私が何回告白しようとしても無視して、流すから」
だから勝負に出たのだ。そしてその勝負にミレアは勝った。
不意打ちに弱いアルベルトは、ミレアの告白に完全に思考停止したようだった。「そ、うか」という
その後、ガーナーはその場で転げ回って
リアム達はぽかんとしていたし、アルベルトの団員達も
それでもアルベルトはもう、ミレアの気持ちを無視できない。勝っても負けても、それを答えとして出さなければならなくなる。彼が絶対に逃げない、音楽で。
「私は、アルベルトに流される女の子にもバイオリニストにもなりたくない」
「流されていたというのなら、それが君をそういう対象として見ていないという息子の答えだとは思わなかったのかね? そもそも君が息子の好みには見えんのだが」
ずばり指摘されて、
青ざめるミレアに、ふんとランドルフは鼻を鳴らした。
「言っても
「う……はい……」
「何も考えていなかったということはよくわかった。下がってかまわん」
最後までぐうの音も出ない。ただ『アルベルトはお前をなんとも思っていない』と
「あの、ご
こんとノックが
「失礼します、父上。演奏会のスケジュールですが──」
アルベルトがミレアを見て、扉を開けようとする
「……失礼しました」
そして顔色一つ変えず、そのまま扉を閉め直して姿を消した。ミレアがまばたきすらする
「さけられているな」
ランドルフが親切に、指摘しなくても分かることをわざわざ教えてくれた。
逃げられると追いたくなるのがミレアの
「アルベルト! アルベルト、待ってったら!」
三秒で立ち直って執務室から出ると、既にアルベルトの姿はどこにもなく、走り回ってようやく背中が見つかった。
だが広い背中は止まらず、また
「アルベルト! ねえ聞こえてるんでしょ!」
小走りで追いかけているのに、ついていくのが
「アルベルトってば!」
「……」
「ねえ、ちょっと! ねえ!」
「……うわっ!」
突然廊下の角から出てきた足にひっかかって、アルベルトが転んだ。びっくりして立ち止まるミレアの前に、第一楽団の人達が顔を出す。
「
「ほぉら、ミレアちゃんが呼んでますよぉ~?」
「お前ら、全員給料下げられたいのか……!」
「知ってますかバイエルン指揮者。給料は低すぎると下げても
第一楽団の人達が、足をひっかけられたアルベルトを
「じゃあバイエルン指揮者ここに置いておくから、ミレアちゃん
「この間追っかけまわして泣かせたお
「は、はい! ありがとうございます!」
手を
(う、
アルベルトは整った顔立ちをしている分、
「先に言っておくけど、僕は今、
早口の返事に理解が追いつかず、ミレアはきょとんと
「邪魔?」
「そうだ。しかも君はバイオリニストとして未熟で、恋愛にかまけている時間はない。それに僕は負けないし君と勝負する気もない。分かったな、僕からの返答は以上だ」
「えっと、じゃあ私が勝ったら恋愛は邪魔じゃないってことで、つきあってくれる?」
「君、全然僕の話を聞いてないな! そもそもその勝ったらってなんだ。なんの勝負だ」
「なんのって、第三楽団の選抜勝負のことなんだけど」
そこで、ミレアがコンサートマスターを務めるリアムの楽団が勝ったら。
アルベルトがやっとミレアを正面から見下ろした。やたら速かった口調も、いつもの調子に戻る。
「──僕は君を選ばなかった。その僕が君を選んだ楽団に負けたら、君の勝ちという意味か」
「そう。そういう勝負のつもりなんだけど……」
「それで僕が勝てば、君はバイオリンに専念するか?」
バイオリンに専念するという意味がよく分からなかったけれど、ここで
首の後ろに手を当てしばらく考えこんでいたアルベルトは、溜め息と共に答えを出す。
「……分かった」
「ほんと!?」
「要は僕が負けなければいいんだろう。なら、問題ない」
「うん、うん! よかった……!」
不敵な
「何を喜んでるんだか、さっぱり理解できないんだけど?」
「だってアルベルトは私のこと、ちゃんと女の子として見てくれてるんだなって」
それが分かっただけでも
「そもそも、全然そういう対象じゃないって言われたら終わりでしょ? ……あ、あのね。ついでに
「僕は練習に行く」
「
くるりと
「ミレアちゃんおめでとー! ついに長年空席だったアルベルトの
「ちょっと待て、恋人じゃない」
「そ、そうです、まだ恋人じゃないです。アルベルトに勝たないと」
「じゃあつきあう前のおためし期間って感じかな!」
ガーナーの
「そ、そうです! マエストロすごい、たまにはいいこと言うんですね……!」
「うわあ、ミレアちゃんにほめられちゃったー」
「ちょ……待て、僕はそんな話をしてな──」
「つーまりーミレアちゃんは、今この瞬間から
アルベルトを
(か、仮でも恋人だよね。うわあ、うわあ、アルベルトの! どうしよう!)
うまくできるだろうか。卵を
「お母さまの言うこと、ちゃんと聞いておけばよかった……私、今から頑張るから!」
「待て、今、君の中で話がどこまで
「でも、まだつきあってないんだよね?」
背後から聞こえた声に、ミレアは振り向く。リアムが一人で廊下に立っていた。
「すごいね、第一楽団の
「あいつら……!」
「でもまだつきあってないんだよね?」
二度目の質問には、
ガーナーはにやにや笑っているだけで、アルベルトは無表情に
「は、はい……そうです。おためしなので」
「俺はね、ミレアの行動力をとてもすごいと思うよ。でも君は今、俺のコンマスだ。敵対関係にある楽団の指揮者に夢中になっていると、楽団の和を乱しかねない」
筋の通った注意に、ミレアは
「気をつけます……」
「うん、ミレアは
「じゃあ、アルベルト君。申し訳ないけど、俺のコンマスを返してもらうね」
「──どうぞ? そんなじゃじゃ馬バイオリニストで使いものになるなら」
アルベルトの回答に文句をつけなかったのは、その声が底冷えするほど低かったからだ。しかも、頭上で火花が散っている気がして
ガーナーは
「じゃあ、ミレア行こう」
「は、はい。あの、アルベルト。私、えっと」
「……。僕に勝つんだろう」
「ちゃんとやってこい」
「──うん!」
なんだかよく分からなかったが、送り出す言葉に元気になったミレアは頷いて、リアムについて歩く。追いつくと、リアムが小さく笑った。
「ご機嫌だね。彼にまだ勝ってないのに」
「頑張りますから! それに、前進したし」
「前進?」
「だ、だって、おためしでもアルベルトの恋人になれて、嬉しいです」
はにかんでうつむく。そうと応じるリアムの
「そういう立場になれただけで嬉しいんだ?」
「はい! あ、でもちゃんとコンマスはやりますから!」
「子供だね、ミレアは」
何か非難する
もちろん、そのままアルベルトとの甘いおためし恋人期間に
「
周囲には
「その音じゃない。分かる?」
「……あの、すみません。分かりません……」
「俺は初めての音合わせで君が
「お、同じように弾いてるつもりなんですけど」
「違うよ。何かが違う」
「リアム、『何か』なんて
「ミレアの弾き方は間違ってない。むしろ上達してる。問題ないだろう」
「だが、エルマー。君だって分かるだろう」
「分かるさ。君が今、ミレアに
「俺は焦ってなんていないよ」
「じゃあ多数決を取ってやる。リアムが焦ってると思う
エルマーの呼びかけに、大多数の団員達が手を上げた。自分のことなのに口を出せずに、ミレアはそれを見ているしかできない。
ざっと周囲を見回したエルマーは、もう一度リアムに言った。
「曲は問題なく仕上がっている。お前が目指したマエストロ・ガーナーとパガーニの再演と呼べるものだ。技術的には俺達の方が上と言えるんじゃないか?」
「──でも、何かが違う。俺が子供の
「だからって、自分でも理解できていない『何か』でコンマスを混乱させ、曲を
「……。分かった、エルマー。君が正しいよ」
肩から息を
「ミレアもごめんね。──
そう言ってリアムはいつも通り笑った。エルマーもそれにいつも通りに応じる。
「この間の演奏会での評判も上々だったじゃないか。向こうは散々だ。本番だってきっと楽勝さ。もっとリアムは気を
「そうだね。俺は確かに焦っていたみたいだ。──なにせ相手は、俺が敬愛するマエストロ・ガーナーの
「だがお前の方が上だ」
エルマーの断言に、リアムが軽く笑って、肩から息を吐き出す。
「ありがとう。俺は少し頭を冷やすよ。今日の練習は終わりにしよう」
皆が片付けを始める。ミレアはまず、
「あの、ありがとうございました」
「俺は言うべきことを言っただけだ、気にしなくていい」
「そうだよ、ミレア。でもエルマーはミレアを
「それは
第一バイオリンの中で上がる明るい笑い声にほっとする。
エルマーも第一バイオリンの皆も親切だ。一番年下だということもあり、妹か
(……でも……)
ちらと、まだ総譜を
せめて今日、注意されたところを書きこもうと、ミレアは譜面台の楽譜へ向かう。すると隣で片付けを終えたエルマーが
「ミレアは熱心に楽譜に書きこむな」
「あっはい。聖夜の天使からもらった楽譜だから、
それを本人は望まない。片っ
「聖夜の天使か。こないだはびっくりした。君のバイオリンケースが壊れたら翌日に新しいバイオリンケースが届くんだからな。
「わ、分かりますか!? 羽を見たんです、私!」
聖夜の天使が
「いつも天使の羽をメッセージカードにつけて色々
「す、すごいな……」
「そうなんです! 楽譜も大体資料と
話している内に止まらなくなってきた。指折りでミレアは数える。
「あとは
「ミ、ミレア。もういい、分かったから」
「──聖夜の天使は、本当に君を大事にしてるんだね」
「はい!」
元気よく応じてしまってから、顔を引きつらせた。リアムだ。だがエルマー達は笑って、お先にと出て行ってしまう。
(うわあ、気まずい!)
謝ればいいか、それとも質問をぶつけるべきか。迷っているミレアの反応を見て、苦笑いされてしまった。
「さっきはごめんね?」
いつも通り穏やかだ。ほっとして、首を
「い、いえ。えっと、でもあの……何かって、なんですか」
「それが、エルマーの
困ったね、という割にはあまり顔が困っていなさそうだ。表情と感情があまり
「……あの。何か私、役に立てそうなことありますか」
音が違うとリアムは何度も指摘している。答えはリアム自身にあったとしても、ミレアに
まだ片付けを終えていないミレアの横に
「気持ちは嬉しいよ。でも、そもそも俺が分かってないとね」
「わ、私も協力します。私、コンマスだし、リアムさんにも
「それは君の飲みこみがいいからだよ。何より、パガーニの二十四番と
「リアムさんの指揮が分かりやすいからですよ」
ありがとう、とリアムが
「お世辞じゃないですよ? 指示は的確だし、ちゃんと団員一人一人の演奏に目を配って、それでいてちゃんとまとめられるの、すごいと思います」
そもそも集めた団員は有名で実績がある──つまり、
「確かに『何か』って言われても分からないし困るけど、リアムさんが言うならあるんだと思います。私に足りないもの」
「……エルマーの言う通り、技術的には問題ないんだ。だから、ほんのちょっとしたことなんだろうね」
「だったら分かったらすぐですよ! 考えてみましょう? 私だってアルベルトに確実に勝ちたいですし!」
ぐっと
「そういえば、どう?」
「え? どうって」
「長時間練習に
「アルベルトも練習なので、全然会ってないですけど」
当たり前のことを答えたのに、リアムは不思議そうな顔をした。
「……この間の話はどうなったの?
「ま、まだ仮だし、おためし期間なので」
自分を示す『恋人』の
「それでも普通、会う時間を作ったりするものじゃない? 恋人なら」
「でも練習が本格的になってから、お
ミレアの練習も厳しいが、毎晩日付が変わった後に帰ってきてそのままベッドに
「それは分かるけど……それでも時間を作ってデートしたり、少なくとも会ったりするのが恋人なんじゃないのかな」
背もたれに
「おためしなんだよね。君達、何をためしてるの、今?」
「……。あれ?」
首を
(えっとえっと、待って。恋人ってどんなのだっけ、分かんない! た、多分、手をつないでデートしたり、お
当然、会ってないので何もしていない。何もしていないので、何もためしていない。
ミレアの表情から
「そ、そうか。ひょっとして君、恋人になれたってそれだけで満足しちゃった?」
「え、え!? だ、だって」
「こ、子供の時ってそうだよね。告白して終わり、みたいな。あったあった」
「そんな、私、子供じゃないです!」
否定したが、リアムはついに声を上げて笑い出した。
「もう! わかりました、じゃあ今からアルベルトに会ってきます!」
「ま、待って待って、ミレア。今はやめた方がいいよ」
「なんでですか、会ってないって聞いて笑ってるのに!」
「彼は今、大変だろう。無名の若手演奏者達を、エルマー達と勝負できる演奏者に
笑いすぎで
「それでも
「そ……そう、かな……」
でも、疲れているからこそそばにいる方が恋人らしい、気もする。
迷うミレアの
「もう少し俺と話そうよ」
まさに会いに行こうと思っていた人物が現れて、ミレアは
「アルベルト! どうしたの?」
「……
(な、なんで放してくれないの?)
「邪魔をして申し訳なかったよ。失礼」
ばたんと大きな音を立てて扉がしまった。
「誤解されたみたいだね」
「さ、されたんじゃなくてさせたんじゃないですか!? どうして!」
「さあ、どうしてだろう?」
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