第一楽曲 二人の指揮者のための夜曲 パート2
この展開には
新聞一面に飛び
「三角関係って何!? いつから第三楽団の
「新聞はいつものことでしょ。慣れたら?」
「慣れたくない! だ、だい、大体、わ、私が好きなのはっ……」
「
「だからなんで今更って言うの! レベッカはいいよね、フェリクス様と一緒で!」
「べっ別に、私が
見事に反応したレベッカが真っ赤になる。
一瞬だけ胸がすっとしたが、すぐにそれは
「……ほんと、いいな。アルベルトに誘われたんでしょ。好きな人と一緒に演奏かぁ……」
ぼやくとレベッカが食べかけのサンドイッチを
「あっごめん。えと、
「
「……レベッカ?」
レベッカが言い
「──ううん、なんでもない。また今度話すよ」
「……そう?」
「うん。ちょっと、私自身も気持ちの整理ついてないから」
ミレアが秘密を
「ならいいけど……言いたくなったら言ってね?」
「それより第三楽団の話が先。バイエルン指揮者に入団
「アルベルトに話しかけようとしたら、リアムさんに
「でも絶対、今日中にアルベルトに私を入れてって交渉するから」
「それは困るね、ミレア」
背後の
「あーっ私のお昼ご飯!」
「ああ、大変だ。お
悪気なくリアムがにこりと笑う。ミレアはきっとリアムを
「だから、その話はお断りしてます! レベッカ、行こ」
「でもアルベルト・フォン・バイエルンは君を選ばないと思うよ?」
立ち上がりかけたミレアはリアムの言葉に振り向いてしまった。だが、レベッカに
「アルベルトに選ばれないこととあなたのコンマスになることは、別の話です」
「確かにそれはそうだね。でも俺としてはやっぱり、君をコンマスにしたい。から、
「おい、いたぞミレア・シェルツだ!」
「何したの、あんた」
「まずは俺の指揮する演奏を聞いて欲しくてね。だからミレアを俺の練習室まで連れてきた人に、賞金をあげることにした」
「はあぁ!?」
「逃げないとつかまるよ?」
リアムはひらりと手を振って立ち去った。
「練習室で待ってるよ」
「おいそこを動くなよ! 俺の
「修理代!」
「新しいリードのまとめ買い!」
血走った目で
「ミレア、
「わ、分かった!」
だが
「ど、どう逃げたらいいのこれっ……?」
「おい回りこめ! 賞金は山分けするぞ!」
「っていうか、みんなひどくないですか!?」
「許してくれミレアちゃん、今月苦しいんだバイエルン指揮者のせいで……っ!」
「大人しくつかまってくれたらみんなが幸せになれる! 練習室に行くだけじゃないか!」
「そ、それはそうだけどっ……!」
「ミレア!」
ぐいっと思いがけない方向から
「アルベルト……!」
「無事か?
こくこくと何度も
「なんの
「うわあ、出たよ保護者」
「
「まあまあ、バイエルン指揮者。俺達ミレアちゃんにちょっと
「そうそう、追いかけっこしてただけっすよ」
「……こ、わ」
上着の
「こわ、かったよぅ……!」
うええ、と情けない声を上げてミレアはしゃくり上げる。周囲がどよめくと同時に、アルベルトの
「──全員」
美しい
「遺書は書いたな?」
「やばいバイエルン指揮者がマジ切れする!」
「ごめん、ごめんなミレアちゃん! お遊びみたいなもんだし、平気だと思って!」
「あとでまたちゃんと詫びにくるから!」
「死にたくない!
「もう、
引きよせられ、額がアルベルトの
「やめろ
「アルベルトだって悪い……」
「なんで僕が悪いんだ」
「アルベルトとちゃんと話ができないから、リアムさんに追い回されたんだもの」
「さっぱり話が分からないんだが。……この騒ぎは、リアム氏のしかけたものか」
こくりと頷くと、アルベルトは今度は大きく溜め息をついた。
「手段を選ばないな、あの人も。僕も人のことを言えた義理じゃないが」
「でも
「それでも君を口説き落とす自信があるんだ。自分の指揮の
通路の
(こういうところ、ちゃんと
アルベルトは木箱の横に立って、煉瓦造りの建物に背を預けた。
「先に言っておくぞ。君を僕の第三楽団に入れる気はない」
想定内の宣告だったので、ショックは受けなかった。むしろ話はここからだ。
「どうして?」
「君は馬鹿
「でも私、パガーニの二十四番は得意よ。ちゃんと弾ける自信あるもの、小さい
胸を張って言い切ると、アルベルトが顔をしかめた。
「……まさか父親に──いや、なら
「なんでそうなるの!?」
「今回、君を育ててやる
(……そっか、アルベルトもリアムさんと勝負するから、大変なんだ……)
なのに自分はアルベルトに甘えようとしていた。彼が好きだから、彼が大事にしてくれるのを知っているから──それだけしか、考えずに。
大人しくなったミレアに、アルベルトが
「話しただろう、僕の夢は。それが目の前にあるんだ。君を僕の楽団に入れるなら、それなりに育てないと使えない。それは正直、いやはっきり言って、頭痛がする」
「うん……」
「──なんだ、
「言われ慣れてきたもの」
そうか、とアルベルトは短く
(私、意外に甘えたがりだったんだ……)
言い訳するなら、アルベルトが過保護だからだと思う。好きな人に大事にされて、
でもそこで流される女の子にも、バイオリニストにもなりたくない。
「君は第二楽団でちゃんとしたコンマスになれるようにしろ。それが一番いい」
「分かった。私、リアムさんの演奏、聞いてくる!」
「は!?」
よし、と立ち上がったミレアは両手でぐっと
「ちょ、ちょっと待て。なんでそうなる!」
「だって私も第三楽団、
「──そ、それはそう……かもしれないが」
「リアムさんって有名な指揮者でしょ? だったらリアムさんのところで勉強するのはアリだって思うの! アルベルトにだって
にこにこするミレアに、アルベルトが絶望的な顔をした。
「そ……そうなるの、か……おかしくないか!?」
「どこが? あ、でも」
一つ、
アルベルトの服の
「……アルベルトは、リアムさんのコンマスになったら、私のこと
びしっと音を立ててアルベルトが固まった。固まったが、ちゃんと答えは返ってきた。
「──そ、んな、
言うはずがない。だってアルベルトは聖夜の天使だ。ミレアがうまくなれば喜んでくれる。
(そっか分かった! アルベルトと
この人の心を動かすのはいつだって音楽だ。
「よし、じゃあ私、
「あ、ああ……。……なんだこれは、
「私、すっごく上達して聖夜の天使に今度こそ会いにきてもらうの!」
最終的な目標はそこだ。しかし、満面の
「……。そうだな……君はそういう人間だったな。……もういい」
地を
顔を上げたアルベルトは、いつもの冷めた顔でぎろりと
「忠告したからな、僕は。あとで泣きつくなよ」
「な、泣かないわよ! アルベルトこそ
「ありえないね、そんなこと」
そう言ってアルベルトは
「──あのっこのハンカチ! 洗って返すから!」
「ハンカチ? ああ……いや別に、気にしなくても今、持って帰るけど」
ぱっと先にハンカチを取って握り
「返すなんて口実に使わなくても、僕に会いにきたいならご自由に」
「ち、ちがうから!」
肩を
(や、やっぱりばれてるよね……でも、うん。見てろよ!)
「あれ、一人?」
「自分の意思できました!」
「それは嬉しいな。賞金も
まったく悪びれない態度だ。
「でもまだコンマスになるって決めたわけじゃないですから」
あくまで見学にきただけだ。そう言うミレアに、リアムは
「君は俺の指揮を見たことがないから当然だね。──さあ、どうぞ中へ」
「お
軽く礼をして一歩入ると、音合わせをしていた演奏家達が
その面々を見て、その場で固まる。
(エルマー・ミルトン! ヴァーサ・フィルの元コンマスじゃない、ほ、
バイオリン奏者だけではない。ヴィオラやフルート、ホルンにも新聞で見る名だたる演奏者が当たり前にまざっている。女性はミレア一人で、三十代から四十代が中心の、
(この人達をさしおいて私がコンマス!? 一体、どうして……)
ぎゅうっとバイオリンを抱き締める。そうすると少し気持ちが落ち着いた。
「彼女が今回の君の子羊かい、リアム」
「ああ、そうだよエルマー。でも彼女は子羊じゃない、
「よろしく、〝バイオリンの妖精〟」
自分どころか、フェリクスより経験も経歴もあるバイオリニストに
「よ、よろしくお願いします」
「話は聞いてるよ。聖夜の天使ってほんとにいるのかい?」
「います!」
強く
「そりゃあいい。いつかソロでやるなら、いいパトロンは
「パ、パトロンじゃなくて天使です。──あの、本当に私がコンマスでいいんですか?」
「うん。君は、俺がアルベルト君に勝つために足りてないものだ。ドイツェン国内での話題性と人気」
曲がりなりにも半年、
他の演奏者達も否定しないし、にこやかなままだ。ぐっとミレアは拳を握った。
(今回の演奏会は二回とも王都でやるから、観客はドイツェン国の人達が多くなる。アルベルトとフェリクス様は一番人気だもんね)
その不足を補うためにミレアをコンサートマスターに選んだ。実際、今朝の新聞はミレアをはさんで盛り上がっている。見事にのせられたということだ。
「──分かりました」
「お、怒らないな。さすが〝バイオリンの妖精〟だ。その若さでこの世界をよく分かってる」
「でも私はまだ、コンマスになるって決めてませんから」
「分かってるよ。俺達にまず必要なのは音楽だ。──みんな、移動時間だ。ミレア、ついてきてくれるかな?
そう言ってリアムは窓の外に見える、
「みんなあの歌劇場にまだ慣れてない。
「分かりました」
望むところだと、先に歩き始めたリアムの後を追う。
そのままぞろぞろ連れだって歩いている間に、見慣れた宮廷楽団の面々とすれ
「パガーニの二十四番を、オーケストラで演奏したことは?」
「曲は問題なく
「経験がない方がむしろ好都合かな。俺はどうしてもこの曲で再現したいものがあってね」
「再現?」
「
「──第二バイオリン! 弓の返し方が違う! チェロもそのタイミングじゃない!」
舞台からアルベルトの声が聞こえてきた。驚いたミレアは、リアムを押しのけるように前に出て、顔をしかめる。
(こ、これは……)
ばらばらで
たちまち酒乱の音楽になった。おやおやとリアムが
「あっはっはっはっは! 今の何!? 水難!? 愛の
「──ストップ。もういい、よく分かった。まずはパート練習から
「苦労してるみたいだね、アルベルト君」
ガーナーしかいない客席の真ん中の通路を歩きながら、リアムが声をかける。そこでアルベルトが
「ああ、
「いいよ、俺達も少し早かったみたいだ。むしろ君の曲想が聞けて役得だった」
「お
「奏者は見ない顔ばかりだね。君の
リアムの
(ほ、本当に新しい楽団を作るつもりなんだ、アルベルト)
感心する反面、心配になる。人気勝負な側面が強いとはいえ、
(でもあの話をアルベルトに持ちかけるなら、私が勝てる方がいいけど……)
「ミレア。パガーニの二十四番は
「はい、知ってます。パガーニが
「そうだよ。オケは舞台を整え、バイオリンはそこで踊る女性を
どう聞いても酒乱の宴会だったが、そうなる予定らしい。指揮者の知識と感性は持ち合わせていないので、
「でもこれをパガーニが作った
こうして聞くと、改めてすごいバイオリニストだったと分かる。
(どんな人だったんだろう。会ってみたいなあ)
もう
「だから、この曲を完成させるに当たっては恋愛経験がものを言うんだよ」
「……れ、恋愛、経験」
「そう。君はどうかな」
「ど、どうって」
なんだか話題の雲行きが
「君が
「そ、そんなのありません!」
大声が
(キ、キスされそうになったことは、あるけど……っ)
思い出すと恥ずかしくて
「……え、本当に? キスもない?」
「な、ないって言ってるじゃないですか!」
「だって、ねえ」
「──どうしてそこで全員、僕を見るんだ」
アルベルトの低い声に、ますます顔が上げられない。
「ふぅん……そうなんだ。ごめんね、悪かった」
何を謝られたのかよく分からないが、いたたまれない話題をリアムから切り上げられてほっとする。
「いえ。えっと、だとするとこの場合、私がコンマスっていうのは──」
「つまりミレアちゃんはねえ、指揮者
ずっと話を聞いているだけだったガーナーが、
「なかなか僕でも乗りこなせないんだよ。いかに
ミレアと
「マエストロでもですか? ご
「バイオリニストとして未熟なだけだ」
舞台の上から容赦なく切って捨てた
「ただ一回だけ、
ぴりっと空気に
(な、なんだろ、この空気……)
ガーナーのにやにや顔はいつものことだし、アルベルトは無表情で、リアムは
「……練習を交替しても?」
「どうぞ」
リアムとアルベルトの会話はそれだけで完結した。
入れ
「今日は見学だけか?」
「いや、ミレアにも弾いてもらおう。おいで」
舞台に上がる
「ミスをしてもいいよ。ひとまず、合わせてみるのがお
「い、一番、表現が難しい
「舞踏会で踊る女性だ」
まごついているとアルベルトが教えてくれた。そう、とリアムが笑顔であとを引き
「見る男性をすべて
なるほどと
(って言っても……高嶺の花……見る男性をすべて虜にする、かあ)
曲の速度についていく自信はあるが、自分がそうなることが想像できない。美人といわれて頭に
そのレベッカは、客席にいた。ガーナーもまだ残っているし、
舞台にいるミレアなど気にもならないらしい。
(──この演奏がうまくいったら、絶対知らんぷりできないようにしてやるんだから!)
彼は振り向かない。このままでは、決して。
「じゃあ、
指揮台に上がったリアムがにこやかに告げて、指揮棒を構える。
音の入りはとてもなめらかで、
すうっと深呼吸をした。求められる女性像がミレアの中にはない。けれど。
(あの人を虜にする、美しいバイオリニストなら)
──ほら、こう弾けば彼は振り向く。
その音に振り向いてしまって、舌打ちした。
どこでスイッチが入ったのか分からない。だが化けてしまった〝バイオリンの
(左手のピッツィカートまでさらっと弾きやがって。本当にたたきこまれたんだな)
人類史上最高の天才バイオリニスト・パガーニ──それは、彼女の実の父親だ。周囲はもちろん、彼女自身もそのことを知らない。アルベルトが気づいたのも
けれどその演奏技術は確かに受け継がれ、彼女の中で息づいている。
指揮をしているリアムの顔に喜色が浮かぶのが、はっきりと分かった。リアムは気づいたのだ。彼女が第二のパガーニになれることに。
(よりによって、今のタイミングでスイッチが入るか)
きりのいいところで演奏が
同じものを見ていたもう一人の天才──フェリクスが、小さく声をかけてくる。
「いいの? 今なら止められるよ」
「……本人の
「──アルベルト!」
もう一度歩き出そうとしていたアルベルトは、その呼び声に足を止めた。
まっすぐにミレアが自分を見ている。そして、どうしてだか自信満々で
「やっぱり
「……なんのことだ?」
「あのね、アルベルト。私、リアムさんの楽団に入る」
その発言がどれだけアルベルトの内心をざらつかせるか、彼女はまったく考えない。
(──僕だって、彼女と音楽なら、音楽をとるのに)
いつも自分の気持ちを伝えようとする彼女の言葉を
彼女がよそ見をせず、聖夜の天使を追いかけて高みを目指すように──それは彼女を〝バイオリンの妖精〟にしたアルベルトの責任であり、音楽家としての
苦々しさを通り
「そうか。それで? そう言えば僕が手を
「それでね、アルベルト。私がもし勝ったら」
勝負しているのは自分とリアムだと正す前に、彼女はまっすぐに告げた。
「──私があなたに勝ったら、私とつきあってください!」
どさどさと、手に持っていた荷物が
忘れていた。彼女は墜落死
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