第一楽曲 二人の指揮者のための夜曲 パート1
──リアム・ルーテル。二十六歳。六歳の時に指揮者を目指し勉強を始める。
「アルベルトが負けてる気がする!」
「それ本人の前で言わない方がいいよ」
「二十歳でヴァーサ・フィル・ハーモニーの常任指揮者に就任……って宮廷楽団より歴史がある楽団だよね、ヴァーサ・フィルって。そのヴァーサ・フィルを辞して、
「だからそれ、本人の前で言っちゃだめだよ」
「言わないけど……すごい人なんだ。見かけによらないっていうか……」
「それを言うなら世界で指折りのすごい指揮者って、あのエロジジイのはずだけど」
そう言われるとミレアも反応に困る。
「でも
今度はレベッカは何も言わなかった。
先日発表された第三楽団の新設は、誰も想像しなかった意外な展開を迎えている。
第三楽団の発案者であるアルベルト・フォン・バイエルンが第三楽団の首席指揮者になるだろう──という大方の予想を裏切って、第三楽団は指揮者の
二名の候補を決める指揮者の選抜は先日行われた。見に行きたかったのだが、関係者以外立ち入り禁止にされており、ミレアはアルベルトが選抜を受けたことしか分からない。
(第三楽団って、アルベルトの夢なんだよね。世界中の色んな人と演奏できる、自分の楽団を作るっていう……)
新聞の予想では、リアム・ルーテルとアルベルト・フォン・バイエルンが二名の指揮者候補になっている。じっと新聞を見つめるミレアに、レベッカが声をかけた。
「ミレア、もうそろそろ行くでしょ。第三楽団の説明会」
「うん。レベッカもだよね。第三楽団は他の楽団と兼任してもいいから。でも、フェリクス様も受けるって言ってたけど……」
言葉を切ってレベッカの反応をうかがうと、
「何よ」
「だって、フェリクス様がいるのに、いいの?」
レベッカと同郷のフェリクスは、『迎えにくる』という言葉を残して、宮廷楽団に入った。
しかしレベッカはその言葉を気にしてフェリクスを追いかけ宮廷楽団に入ったのに本人から
「──いつまでもあいつ気にして逃げ回ってるのも、
ぶっきらぼうなレベッカの答えに、まばたきした後で、ミレアはにっこりと笑った。
「分かった!
「なんか誤解してるでしょミレア、そんなんじゃないから!」
「うんうん、まかせて。フェリクス様もてるから、レベッカ
「
冷たい友人の
リアムが宮廷楽団に
「……ば、ばれてる、かな」
「
「な、何?」
「ミレアの好きな人が
からかった仕返しなのかレベッカの言葉には
実はうっすらそう思っていた。
だがよろめきそうになりつつ、ミレアはなんとかその場に
「ア、アルベルトは大事にさせてくれって言ったから、私に!」
「妹みたいにってつくんじゃないの。まれによくある」
「ないよ! ひどいレベッカ!」
「じゃあ私、もう説明会に出るから先に行くね」
「この状況で置いてかないで!」
無情にミレアを
『その指揮からリアム・ルーテルは、
──若きマエストロ・ガーナーの再来』
説明会の会場は宮廷楽団が所有する
(うわ、知らない人がたくさんいる……)
見知った第一楽団や第二楽団の楽団員達の方が少ない。話を聞くと、そもそも第三楽団との兼任希望者が少ないということだった。宮廷楽団の第一楽団は
(ひょっとして
楽器は持ってこなくていいということだったので、手ぶらだ。立食形式で軽食が並べられ、飲み物を持った
「な、なんか説明会っていうよりパーティーっぽいんだけど……」
「記者会見も
レモンを
「……あの、私のこないだの記事書いた新聞社って……」
「いないんじゃない? 小さいところだったし、あの新聞そんなに売れなかったみたいだよ」
「ほ、ほんと?」
「うん、
「どういう意味!?」
「うん、それは俺も聞いてみたいかな」
気づいたら横にいて、思わず飛びのいた。首を
「こんにちは、
「こっ……こ、こんにち、は、マエストロ・ルーテル」
「マエストロ・ガーナーがいる場所でそう呼ばれるのは
逃げ
「こんにちは、ルーテル様」
「リアムでいいよ。俺も君を名前で呼びたいし」
「えっと……じゃあ、リアム、さん?」
「うん。それでよろしく、ミレア。君の演奏、この間の定期演奏会で聞いたよ」
「そ、そうなんですか?」
リアムはにっこりと笑った。
「きらびやかな
「でもテクニックは
二十四の夜曲とは、人類史上最高のバイオリニストと名高いパガーニが作曲した二十四曲のことだ。
プロのバイオリニストでも二十番あたりから
(それもこれも、あの最低な父親がこれが
最高難易度の曲が練習曲だなんてパガーニ本人でもあるまいし、なんという
「どうしたのかな?」
「い、いえ。ええっと……確かに
意識を引き戻され、慌てて
「不得意ではない?
「……バイエルン指揮者に、技術ばっかりって言われてますから」
おかげで
ふくれっ
「なるほど。あれだけ弾けるバイオリニストは世界でも
「……そ、そうなんですか?」
「君は文句なしにうまいよ。アルベルト君は何をしてるのかな、もったいない」
そう言われると、アルベルトにバキバキにへし折られた自信が少し回復してきた。相手は世界的指揮者だ。お世辞が入っていても、まるっきり
「う、
「ミレア、ちょっと」
レベッカに
「なんでにこにこしてんの。見るからに怪しいでしょ、べたぼめなんて」
「だってほめられるの久し
「──アルベルト・フォン・バイエルンは君を認めてない?」
目を細めてリアムが話を
「ヘタクソだとか色々けなされてばっかりです。ほんと腹立つったら……!」
「ふぅん……ずいぶん弱腰だね。あのマエストロ・ガーナーの唯一の弟子だっていうのに」
「なら君がどうすればもっとうまくなれるか、俺が教えてあげようか」
「えっ分かるんですか? 教えてください!」
「じゃあ、まず俺とデートでもどう?」
聞き
「ただのナンパ
「デート。
どうも聞き間違いではないらしい。意味が分からなくて、
「え、だめっていうか、どうしてっていうか……」
「じゃあ、
次から次へ勝手に話が飛ぶ変な人だ。
さすがに
「なんなの、それ。賭けでデートとか、音楽関係ないしわけわかんないでしょ!」
「そうかな。俺は常々思ってるよ。音楽家が生きていくには運と
金貨を取り出したリアムの
人差し指と親指にはさまれた金貨がゆっくり持ち上げられ、宙に
「表? それとも裏?」
さらりと
勝たなければいけない。コンサートマスターが、指揮者の
「──表」
「残念、裏だ」
「噓!」
リアムの拳がゆっくり開く。手の平にのっている金貨の裏面が見えた。
「俺の勝ちだね」
「そんな、絶対表だと思ったのに……」
「約束は約束だ。デートしてもらうよ」
そうだった。
「あ、あの。リアムさん、デートはちょっと」
「駄目だよ。勝負の結果だ」
「ミレアの
「でも彼女は勝負にのって、負けた。それとも今度は君が勝負する? 何を賭けようか」
金貨を見せられたレベッカがたじろぐのを見て、ミレアは顔を上げた。
「いいよ、レベッカ。分かりました。私、デートしま──」
「マエストロ・ルーテル。面白いことをしてますね。僕も参加しても?」
戦場に
「アルベルト」
名前を呼ぶと
(お、怒ってる)
正装したアルベルトとフェリクスを見たリアムは、
「ドイツェン
「えっそんなのだ──むぐっ」
「いいですよ。ただし僕が勝ったら、彼女とのデートはなしです」
ミレアの口を後ろから手でふさいだアルベルトは、平然と応じる。
リアムは
「言ったね。──本当にいいの?」
「あなたが不戦勝でいいのなら。さあどうぞ、マエストロ・ルーテル。コイントスを」
(な、何かあるの? でも第三楽団の指揮者選抜を辞退って!)
がっちりアルベルトに口をふさがれている間に、金貨が投げられた。リアムが手の平に握りこんだ未来に、アルベルトは迷わず回答を出す。
「表」
ゆっくりとリアムは拳を広げて、金貨の表を見せた。
「──まいったね。君の勝ちだ」
さして
「んんん、んー!」
「思ったより過保護だね。俺は〝バイオリンの
「こんな子供に、デートなんて早いでしょう。あまりからかわないでください」
だれが子供だ、と反論したいが、アルベルトはミレアを放してくれない。リアムはそれを見て、くすりと笑った。
「彼女、苦しそうだ。俺はこれで失礼するから、放してあげて。じゃあ、また後で」
ひらりと手を振り、リアムはあっさり
「殺気が顔からにじみ出てるよ、アルベルト」
「僕は至って
解放されたが、じろりと睨まれた。
(いつの間に! 逃げ回るのやめるんじゃなかったの!? ──いて欲しかった!)
そうしたら、
「君は本当に、心底
「ば、ばかって!」
「あんな賭けにほいほいのるんじゃない! イカサマに決まってるだろうが!」
ぽかんと
「イカサマ!?
「コインをすり
「え、じゃあどうしてアルベルトは勝てたの?」
「マエストロ・ガーナーの再来って呼ばれるルーテル指揮者なら、その
フェリクスの説明をアルベルトは否定しなかった。つまり、そういうことらしい。
「──そんなのずるい! 音楽家ならって言われたから私、勝負したのに!」
「音楽家かどうか以前に、あんな話にのる君が
「な、なんでそこで聖夜の天使が出てくるの? 今は全然関係ないでしょ!」
「はいはい、二人とも
横からフェリクスが新しいグラスを差し出してくれた。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして。アルベルトも、
ぱちりとミレアはまばたきをして、横のアルベルトを見た。アルベルトはフェリクスから
「
「アルベルトが、マエストロ・ルーテルに。それとも聖夜の天使に?」
「なんの話だか分からない」
「あ、あの!」
ひとまずこれは言っておかねばなるまいと、勇気を出してアルベルトの服の
「わ、私、別にリアムさんとデートしたかったわけじゃないから……!」
「……」
「だ、だからその、ええと……まだ、
おずおずと
「──怒ってない」
「ほんとに? ならなんでこっち向いてくれないの?」
「そもそも怒ってなんかない、僕は。──フェリクス、なんだその目は!」
「ミレアさんを記事にして売ったマエストロ・ガーナーの気持ちが分かって……」
「そ、そんなの分からなくていいです!」
「はい、じゃあお
なんだろう、
「分かった。……僕が強く言いすぎた。君が考えなしなのはいつものことなのに」
「そ、それ謝ってないわよね!?」
再び喧嘩腰になりかけたミレアの
「
たまらずぱっと
告白したくなるのはこんな時だ。自分をどう思っているのか、ちゃんと教えて欲しい。
(ぜ、絶対、妹みたいにっていうのはないと思う、うん)
でもレベッカの
(何かないかな。絶対にアルベルトが逃げられない告白方法)
──噓の
『あーあー、ちゅうもーく。今から第三楽団の選抜について説明始めるよー』
拡声器から
『じゃあ、まず最初に指揮者の選抜の結果からね』
ふと
「ど、どうだった? 選抜」
「普通」
「普通って、どういうこと? プザニスの指揮者コンクールで優勝したリアムさんってすごい指揮者なんでしょ? ぼろぼろに負けたりしなかった?」
フェリクスが
「そうだな。ちなみにその翌年の優勝者は僕なんだけど」
『まーこれが
なんとも
(心配しなくて
ミレアにはコンクールの優勝経験がない。その分だけ
『さて、お楽しみはこれからだ。リアム君と馬鹿弟子にはもう説明してあるけど、今からこの二人に、それぞれ自分の楽団を作ってもらう。演奏者の
少し意味が分かりにくくて、ミレアは首を
『はいはい、静かに。つまり、第三楽団に入団したい演奏家は、まず第三楽団の指揮者候補に選ばれる必要があるってこと。リアム君か馬鹿弟子のどちらかに認めてもらってオケに入れてもらうことになるから、この二人による選抜が第一
そう説明されると分かりやすい。分かりやすいが、不安も分かりやすく
(アルベルトに入れてもらえなさそう。コンマスはフェリクス様だろうから、私は第一バイオリンでいいんだけど……)
散々ミレアの演奏を批判するアルベルトだ。簡単にはいかないだろう。もちろん、それで
『ただ、そうすると二つの第三楽団ができちゃうでしょ。──でも、
ふと、ガーナーが口元を
『二つの楽団には来月と再来月、二回の演奏会に向けて同じ課題曲を練習してもらう。課題曲は一曲のみ。演奏会も同日、同会場で演奏する。一回目と二回目の演奏会の違いは日程と観客だけだね。そして演奏会の観客にいいと思った楽団に投票してもらって、投票数を
それは演奏会という名前の、観客による審査会だ。
(──楽団単位のコンクールって感じなのかな。それを二回、同じ課題曲で……)
選曲ミスも言い訳にできない、条件をできるだけ同じにしたがちがちの競争だ。
『より多く票を
つまり、ともう一度ガーナーは話をまとめた。
『指揮者の二人は、二回の演奏会で票を取れる楽団を作る。演奏者は演奏会で勝てる指揮者を
打ち合わせもせず、そのまま壇上の中央で
「ここまでは大体、想定の
アルベルトがいなくなった隣にフェリクスがやってきて、
「演奏者の僕たちにとって問題はここからだ」
『さて、次は課題曲の発表だ。今回は観客が審査員。聞き比べやすいように同じ曲を演奏してもらうから、難易度は高くいくよ。パガーニの夜曲二十四番、バイオリン協奏曲』
周囲がどよめく中で、ミレアはぱっと顔を
それなら得意だ。なんの問題もなく
『ご存知のとおり、パガーニのバイオリン協奏曲は
二人の指揮者の反応はそれぞれだった。リアムは少し
『二人には第三楽団の入団希望者の名前と簡単な経歴はリストにして
「僕は必要ない」
「一つ質問が、マエストロ。もし欲しい演奏者がかぶったり、断られたらどうするんです?」
軽く挙手をしたリアムの質問に、ガーナーは笑顔で簡潔に回答した。
『最後の演奏会が始まるまでにその演奏者を口説き落として? それも指揮者の資質だ』
「あなたらしい選抜方法ですね」
『二人とも自分のコンマスの名前を。
──答えは分かっている気がしたけれど、やはりどきどきした。周囲もそうだろう。今までとは違う緊張に満ちた
アルベルトは一度深呼吸して、答えた。
「──僕は、フェリクス・ルターを」
「光栄だよ、アルベルト」
名前を呼んだアルベルトに
フェリクスの横で両手を組んで
(だろうな、とは思ってたけど……ううん、でも第一バイオリンでもいい!)
この曲は得意だからと
「……けど、今回はミスだったかもね、アルベルト」
『じゃあ次はリアム君。今回の第三楽団の入団希望者は、君の楽団に所属してた有名演奏者がたくさんいるんだけど、いや人気者だね。さて
「では俺は〝バイオリンの
しん、と先程とは違う静寂が広がった。
(へ?)
バイオリンの妖精という異名を
「君に俺のコンマスをお願いするよ、ミレア・シェルツ」
「──えっ」
自分の顔を指さすと、
「え、え、なんで!?
「俺はいつだって本気かな?」
「だって、だっ──ええ!? わ、私あなたの指揮みたことないし、それに」
アルベルトの楽団に入りたい。それはそのまま態度に出た。視線を投げてしまったミレアと
「かまわないよね、アルベルト君。それとも彼女を君の楽団に入れる予定がある?」
「……」
アルベルトは
フェリクスと張り合って選んでもらえるだなんて思わない。でも何か言って欲しくてミレアは泣きそうになる。
(第一バイオリンに入れるつもりだったとか、ちょっとでもいいから!)
祈っている間にリアムが目の前にやってきた。ミレアの手を取り、リアムは笑う。
「俺を知らないから今すぐ返事できないというなら、待つよ。口説けと言われたしね」
「く、口説くって……」
人生で経験したことのない未知の言葉に、あとずさった。だがリアムは引かない。ぐいとミレアの手を引きよせ、口元に近づける。
「俺が君の才能を開花させてあげる。だから俺の妖精になって?」
甘美な
(でもこの人さっき、イカサマしたし……!)
考えなしに、安易にのらないように。そうアルベルトに注意されたばかりだ。
ぎゅっと目をつぶったミレアは、口づけられる前に手を取り返す。
「──ごめんなさい! 私には聖夜の天使がいるのでお受けできません!!」
そして
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