第一楽曲 二人の指揮者のための夜曲 パート1


 ──リアム・ルーテル。二十六歳。六歳の時に指揮者を目指し勉強を始める。として教会に預けられていた彼はまず聖楽隊の指揮から始め、十九歳の時に若手指揮者のとうりゆうもんであるプザニスの国際指揮者コンクールで優勝した。二十歳はたちでヴァーサ・フィル・ハーモニーの常任指揮者に就任。世界各国を回り高い評価を得る、世界的指揮者である──。

「アルベルトが負けてる気がする!」

「それ本人の前で言わない方がいいよ」

 りようの自室で新聞を読んだミレアの評価に、同室のレベッカが忠告する。ミレアはベッドの上に広げた新聞にもう一度目を落とした。

「二十歳でヴァーサ・フィル・ハーモニーの常任指揮者に就任……って宮廷楽団より歴史がある楽団だよね、ヴァーサ・フィルって。そのヴァーサ・フィルを辞して、こくせき要件をはいじよしたドイツェン宮廷楽団にちようせん……やっぱりアルベルト負けてない!?」

「だからそれ、本人の前で言っちゃだめだよ」

「言わないけど……すごい人なんだ。見かけによらないっていうか……」

「それを言うなら世界で指折りのすごい指揮者って、あのエロジジイのはずだけど」

 そう言われるとミレアも反応に困る。

「でもだいじようかな、アルベルト。こんな人と第三楽団の指揮者の座をかけて勝負なんて。てっきりアルベルトが第三楽団と第一楽団の指揮者をけんにんすると思ってたのに……」

 今度はレベッカは何も言わなかった。

 先日発表された第三楽団の新設は、誰も想像しなかった意外な展開を迎えている。

 第三楽団の発案者であるアルベルト・フォン・バイエルンが第三楽団の首席指揮者になるだろう──という大方の予想を裏切って、第三楽団は指揮者のせんばつ会を開始したのだ。ひとまず指揮者候補として二名が選ばれ、第三楽団の演奏者の選抜はその後に行われる。

 二名の候補を決める指揮者の選抜は先日行われた。見に行きたかったのだが、関係者以外立ち入り禁止にされており、ミレアはアルベルトが選抜を受けたことしか分からない。

(第三楽団って、アルベルトの夢なんだよね。世界中の色んな人と演奏できる、自分の楽団を作るっていう……)

 新聞の予想では、リアム・ルーテルとアルベルト・フォン・バイエルンが二名の指揮者候補になっている。じっと新聞を見つめるミレアに、レベッカが声をかけた。

「ミレア、もうそろそろ行くでしょ。第三楽団の説明会」

「うん。レベッカもだよね。第三楽団は他の楽団と兼任してもいいから。でも、フェリクス様も受けるって言ってたけど……」

 言葉を切ってレベッカの反応をうかがうと、にらまれた。

「何よ」

「だって、フェリクス様がいるのに、いいの?」

 レベッカと同郷のフェリクスは、『迎えにくる』という言葉を残して、宮廷楽団に入った。

 しかしレベッカはその言葉を気にしてフェリクスを追いかけ宮廷楽団に入ったのに本人からげ回り、フェリクスもそれを見守るだけというよく分からない関係になっている。

「──いつまでもあいつ気にして逃げ回ってるのも、しやくでしょ」

 ぶっきらぼうなレベッカの答えに、まばたきした後で、ミレアはにっこりと笑った。

「分かった! おうえんするから」

「なんか誤解してるでしょミレア、そんなんじゃないから!」

「うんうん、まかせて。フェリクス様もてるから、レベッカがんらないと」

ちがうって──あーそう、じゃあいいよ別に。バイエルン指揮者とどうなったって、相談のってやらないから」

 冷たい友人のまなしに、ミレアの笑顔が引きつった。

 リアムが宮廷楽団におとずれた日から、アルベルトとまともに顔を合わせていない。第三楽団の選抜でアルベルトが一気にいそがしくなってしまったのだ。そのせいというかおかげというか、ミレアの片想いについての話題は、あのしゆんかんだけで収束してくれたのだが。

「……ば、ばれてる、かな」

きゆうてい楽団で知らない人間いないし記事にまでされてるのに、バイエルン指揮者が気づいてないっていうのは無理があるでしょ。っていうか、ずっと思ってたんだけど」

「な、何?」

「ミレアの好きな人がだれか完全に分かってるこのじようきようで無視するって、それが返事だよね」

 からかった仕返しなのかレベッカの言葉にはようしやがない。

 実はうっすらそう思っていた。

 だがよろめきそうになりつつ、ミレアはなんとかその場にとどまる。

「ア、アルベルトは大事にさせてくれって言ったから、私に!」

「妹みたいにってつくんじゃないの。まれによくある」

「ないよ! ひどいレベッカ!」

「じゃあ私、もう説明会に出るから先に行くね」

「この状況で置いてかないで!」

 無情にミレアをり切って出て行こうとする背中にあわてる。だが一瞬だけ、開きっぱなしの新聞にもう一度目をやった。

『その指揮からリアム・ルーテルは、ゆいいつであるアルベルト・フォン・バイエルンを差し置いてこう呼ばれる。

 ──若きマエストロ・ガーナーの再来』





 説明会の会場は宮廷楽団が所有するとうの中でも一番大きな、祝賀会やかんげい会が行われるようなきらびやかなホールだった。新年にはダンスパーティーも行われる場所なだけあって、大理石のゆかてんじようのシャンデリアもきらきら光っている。

(うわ、知らない人がたくさんいる……)

 見知った第一楽団や第二楽団の楽団員達の方が少ない。話を聞くと、そもそも第三楽団との兼任希望者が少ないということだった。宮廷楽団の第一楽団はぼうきわめるし、第二楽団は首席指揮者のガーナーに振り回されることを考えれば、当然の帰結かもしれない。

(ひょっとしてぼうだったかな)

 楽器は持ってこなくていいということだったので、手ぶらだ。立食形式で軽食が並べられ、飲み物を持ったきゆう係が行き来しており、それを片手にだんしようしている。ミレアもどうぞと言われるまま、甘い果実のジュースを選んだ。

「な、なんか説明会っていうよりパーティーっぽいんだけど……」

「記者会見もねてるんでしょ」

 レモンをしぼった飲み物を持ったレベッカが、かべぎわを目配せする。そこにはえんぴつやカメラを持った記者達が一カ所にまとめられていた。

「……あの、私のこないだの記事書いた新聞社って……」

「いないんじゃない? 小さいところだったし、あの新聞そんなに売れなかったみたいだよ」

「ほ、ほんと?」

「うん、いまさらなネタって」

「どういう意味!?」

「うん、それは俺も聞いてみたいかな」

 気づいたら横にいて、思わず飛びのいた。首をかたむけてリアムが笑う。

「こんにちは、ようせいさん」

「こっ……こ、こんにち、は、マエストロ・ルーテル」

「マエストロ・ガーナーがいる場所でそう呼ばれるのはえんりよしたいな。おそれ多くて」

 逃げごしになった姿勢をもどし、ミレアは少し考えて言い直す。

「こんにちは、ルーテル様」

「リアムでいいよ。俺も君を名前で呼びたいし」

「えっと……じゃあ、リアム、さん?」

「うん。それでよろしく、ミレア。君の演奏、この間の定期演奏会で聞いたよ」

「そ、そうなんですか?」

 リアムはにっこりと笑った。

「きらびやかなごう客船がどろ船にへんぼうするさまはなかなか楽しかった」

 ちんぼつ船という評価とどっちがましか分からずに、ミレアの顔がひきつる。

「でもテクニックはちよういちりゆうだね。君、パガーニの二十四の夜曲セレナーデとか得意じゃない?」

 二十四の夜曲とは、人類史上最高のバイオリニストと名高いパガーニが作曲した二十四曲のことだ。あくからさずかったという超絶こうの持ち主だったパガーニが自分の練習用に作ったという難曲で、一曲目から二十四曲目までじよじよに難易度が上がっていき、二十四曲目は集大成として、いわゆるバイオリン協奏曲になっている。

 プロのバイオリニストでも二十番あたりからあやしくなっていき、二十四番をかんぺきに弾けるのは限られた者になっていく。──というもろもろの話を、ミレアは二十四曲すべて弾けるようになった後で知った。何故なぜならミレアにとって、二十四の夜曲は子供のころから毎朝く練習曲だったのだ。

(それもこれも、あの最低な父親がこれがだって教えたから!)

 最高難易度の曲が練習曲だなんてパガーニ本人でもあるまいし、なんというちやを子供に要求するのか。この間ひょいと顔を出したかと思ったら、さわぎを起こすだけ起こしていつの間にか消えていた実の父親を思い出すと、腹立たしさがぶり返す。──腹立たしさだけでおびえずにすむようにはなったけれど。

「どうしたのかな?」

「い、いえ。ええっと……確かにはやき用の五番とか、不得意ではないですけど」

 意識を引き戻され、慌ててあい笑いをかべる。リアムは小首をかしげた。

「不得意ではない? おもしろい言い方をするね」

「……バイエルン指揮者に、技術ばっかりって言われてますから」

 おかげでまんだった演奏技術が、それだけだというれつとうかんになりかけている。

 ふくれっつらのミレアに、リアムは少し笑った。

「なるほど。あれだけ弾けるバイオリニストは世界でもめつにいないのに」

「……そ、そうなんですか?」

「君は文句なしにうまいよ。アルベルト君は何をしてるのかな、もったいない」

 そう言われると、アルベルトにバキバキにへし折られた自信が少し回復してきた。相手は世界的指揮者だ。お世辞が入っていても、まるっきりうそではないだろう。

「う、うれしいです、リアムさんにそう言って頂けるなんて」

「ミレア、ちょっと」

 レベッカにうでを後ろに引かれた。耳元でささやかれる。

「なんでにこにこしてんの。見るからに怪しいでしょ、べたぼめなんて」

「だってほめられるの久しりで」

「──アルベルト・フォン・バイエルンは君を認めてない?」

 目を細めてリアムが話をさえぎった。いやな顔をしたレベッカとの間にはさまれつつ、ミレアはむくれて答える。

「ヘタクソだとか色々けなされてばっかりです。ほんと腹立つったら……!」

「ふぅん……ずいぶん弱腰だね。あのマエストロ・ガーナーの唯一の弟子だっていうのに」

 うすく笑った後に、リアムは両腕を組んだ。

「なら君がどうすればもっとうまくなれるか、俺が教えてあげようか」

「えっ分かるんですか? 教えてください!」

「じゃあ、まず俺とデートでもどう?」

 聞きちがいかと思った。だが横のレベッカが、かみつきそうな顔でどくく。

「ただのナンパろうじゃないの……!」

「デート。かな?」

 どうも聞き間違いではないらしい。意味が分からなくて、こんわくする。

「え、だめっていうか、どうしてっていうか……」

「じゃあ、けで決めるのはどうかな。コイントスで一回勝負。もし君が勝ったら、俺は君の質問に答える。俺が勝ったら、君は俺とデートする」

 次から次へ勝手に話が飛ぶ変な人だ。

 さすがにけいかいし始めたミレアのとなりで、レベッカがついにおこり出した。

「なんなの、それ。賭けでデートとか、音楽関係ないしわけわかんないでしょ!」

「そうかな。俺は常々思ってるよ。音楽家が生きていくには運とかんが必要だ。君にその運と勘があるのかな、〝バイオリンの妖精〟? 俺は勝つ自信がある」

 金貨を取り出したリアムのまなしがふっとするどくなった。それは一気に、彼を一流の指揮者の顔に変えてしまう。ごくりとミレアは息をみ、レベッカもされたように身を引いた。

 人差し指と親指にはさまれた金貨がゆっくり持ち上げられ、宙にった。きらびやかな会場のあかりに照らされて、かがやきながらくるくる回り、ちゆうでリアムのこぶしに飲まれる。

「表? それとも裏?」

 さらりとかみを横に流し、ためすようにリアムがたずねた。ミレアはぐっと拳をにぎり直す。

 勝たなければいけない。コンサートマスターが、指揮者のるう棒に振り落とされず弓を引くように。

「──表」

「残念、裏だ」

「噓!」

 リアムの拳がゆっくり開く。手の平にのっている金貨の裏面が見えた。


「俺の勝ちだね」

「そんな、絶対表だと思ったのに……」

「約束は約束だ。デートしてもらうよ」

 そうだった。ふんに吞まれて、そもそもの前提条件を忘れていたミレアはあせる。

「あ、あの。リアムさん、デートはちょっと」

「駄目だよ。勝負の結果だ」

「ミレアのりようしようも得ずに勝手に始めたくせに」

「でも彼女は勝負にのって、負けた。それとも今度は君が勝負する? 何を賭けようか」

 金貨を見せられたレベッカがたじろぐのを見て、ミレアは顔を上げた。

「いいよ、レベッカ。分かりました。私、デートしま──」

「マエストロ・ルーテル。面白いことをしてますね。僕も参加しても?」

 戦場にいどむように胸を張ったミレアの体が後ろに引っ張られた。

「アルベルト」

 名前を呼ぶといつしゆんにらまれた。その視線の鋭さに、思わず身をすくめる。

(お、怒ってる)

 ななめ後ろのフェリクスがグラスを持ち上げてあいさつしてくれた。フェリクスを見るととうぼうするくせがあるレベッカはごしになっていたが、心配しているのか、フェリクスからきよを取りつつ動かない。

 正装したアルベルトとフェリクスを見たリアムは、おだやかに笑う。

「ドイツェンきゆうてい楽団の天才コンビか。いいよ、何を賭ける? ──俺が勝ったら、君は第三楽団の指揮者せんばつを辞退するっていうのはどうかな」

「えっそんなのだ──むぐっ」

「いいですよ。ただし僕が勝ったら、彼女とのデートはなしです」

 ミレアの口を後ろから手でふさいだアルベルトは、平然と応じる。

 リアムはどうもくしたあとで、口角を持ち上げた。

「言ったね。──本当にいいの?」

「あなたが不戦勝でいいのなら。さあどうぞ、マエストロ・ルーテル。コイントスを」

 うながすアルベルトは、まるで勝ちを確信しているようだった。逆にリアムの方がすうっと無表情になっていく。

(な、何かあるの? でも第三楽団の指揮者選抜を辞退って!)

 がっちりアルベルトに口をふさがれている間に、金貨が投げられた。リアムが手の平に握りこんだ未来に、アルベルトは迷わず回答を出す。

「表」

 ゆっくりとリアムは拳を広げて、金貨の表を見せた。

「──まいったね。君の勝ちだ」

 さしてくやしくもなさそうに、リアムはそう言った。ミレアはほっと息をき出そうとしてまだ自分の口がふうじられていることにもがく。

「んんん、んー!」

「思ったより過保護だね。俺は〝バイオリンのようせい〟と話をしたかっただけだよ?」

「こんな子供に、デートなんて早いでしょう。あまりからかわないでください」

 だれが子供だ、と反論したいが、アルベルトはミレアを放してくれない。リアムはそれを見て、くすりと笑った。

「彼女、苦しそうだ。俺はこれで失礼するから、放してあげて。じゃあ、また後で」

 ひらりと手を振り、リアムはあっさりひとみにまぎれて消える。見届けたフェリクスが苦笑いをした。

「殺気が顔からにじみ出てるよ、アルベルト」

「僕は至ってつうだ。それより──」

 解放されたが、じろりと睨まれた。じ気づきながら距離をとって、レベッカがいないことに気づく。どうやら逃げたらしい。

(いつの間に! 逃げ回るのやめるんじゃなかったの!? ──いて欲しかった!)

 そうしたら、こごえるような空気をまとったアルベルトから身をかくせたのに。

「君は本当に、心底鹿なんだな」

「ば、ばかって!」

「あんな賭けにほいほいのるんじゃない! イカサマに決まってるだろうが!」

 ぽかんとほうけてしまった。そのあとで、リアムが立ち去った方角を指す。

「イカサマ!? うそでしょ!?」

「コインをすりえてるのが見えた。……まったく」

「え、じゃあどうしてアルベルトは勝てたの?」

「マエストロ・ガーナーの再来って呼ばれるルーテル指揮者なら、そのゆいいつであるアルベルトと勝負したいはずだからだよ。不戦勝なんてするわけがない」

 フェリクスの説明をアルベルトは否定しなかった。つまり、そういうことらしい。

「──そんなのずるい! 音楽家ならって言われたから私、勝負したのに!」

「音楽家かどうか以前に、あんな話にのる君がけいそつだ。どうせ、聖夜の天使がついてるとかなんとか安易に考えたんだろう」

「な、なんでそこで聖夜の天使が出てくるの? 今は全然関係ないでしょ!」

「はいはい、二人ともけんしない。ほら、飲み物でも飲んで落ち着いて」

 横からフェリクスが新しいグラスを差し出してくれた。しやくぜんとしなかったが、ひとまずそれを受け取る。

「ありがとうございます……」

「どういたしまして。アルベルトも、しつしてないで」

 ぱちりとミレアはまばたきをして、横のアルベルトを見た。アルベルトはフェリクスからうばい取るようにグラスを取る。

だれが誰に嫉妬してるんだ」

「アルベルトが、マエストロ・ルーテルに。それとも聖夜の天使に?」

「なんの話だか分からない」

「あ、あの!」

 ひとまずこれは言っておかねばなるまいと、勇気を出してアルベルトの服のそでをつかみ、見上げた。

「わ、私、別にリアムさんとデートしたかったわけじゃないから……!」

「……」

「だ、だからその、ええと……まだ、おこってる?」

 おずおずとたずねると、アルベルトがふいとそっぽを向いて、グラスを一気に飲み干した。

「──怒ってない」

「ほんとに? ならなんでこっち向いてくれないの?」

「そもそも怒ってなんかない、僕は。──フェリクス、なんだその目は!」

「ミレアさんを記事にして売ったマエストロ・ガーナーの気持ちが分かって……」

「そ、そんなの分からなくていいです!」

「はい、じゃあおたがいに謝って仲直りだ。でないと僕が何をするか分からないよ?」

 なんだろう、こわい。アルベルトがめ息をついた。

「分かった。……僕が強く言いすぎた。君が考えなしなのはいつものことなのに」

「そ、それ謝ってないわよね!?」

 再び喧嘩腰になりかけたミレアのほおに、アルベルトがそっと手をえた。

たのむからもう少し考えて行動してくれ。僕の心臓がもたない」

 ひとみに自分だけを映してささやかれたら、ミレアの心臓の方がもたない。

 たまらずぱっとはなれ、背を向けて両手で顔を隠す。それ以上言いたいことはないのか、アルベルトはミレアの態度をとがめなかった。

 告白したくなるのはこんな時だ。自分をどう思っているのか、ちゃんと教えて欲しい。

(ぜ、絶対、妹みたいにっていうのはないと思う、うん)

 れんあい経験はないに等しいし兄がいたこともないけれど、妹の耳をめたりあんな目を向ける兄はいない、と思う。いないと思いたい。

 でもレベッカのてき通り、あえて無視されているとは感じる。ミレアが告白しようとするたびに、アルベルトは必ず話をあらぬ方向へと持っていくのだ。

(何かないかな。絶対にアルベルトが逃げられない告白方法)

 ──噓のこんやくをしていた時は、かんちがいだったらと思って怖くて聞けなかった。なのにもう一度同じ間違いをおかして、こじれたくはない。

『あーあー、ちゅうもーく。今から第三楽団の選抜について説明始めるよー』

 拡声器からひびく脳天気な声に思考がしやだんされた。見るとだんじように、だらしなくも正装したガーナーが立っている。どうやら説明会が始まるようだ。

『じゃあ、まず最初に指揮者の選抜の結果からね』

 ふとさきほどまでの心配を思い出して、アルベルトの服のすそをそっと引いた。

「ど、どうだった? 選抜」

「普通」

「普通って、どういうこと? プザニスの指揮者コンクールで優勝したリアムさんってすごい指揮者なんでしょ? ぼろぼろに負けたりしなかった?」

 フェリクスがき出した。きょとんとするミレアにアルベルトは冷たい目で答える。

「そうだな。ちなみにその翌年の優勝者は僕なんだけど」

『まーこれがおもしろみのかけらもない結果なんだけどね。大方のみなさんの予想通り、一人目はリアム・ルーテル君。もう一人は僕の馬鹿弟子──アルベルト・フォン・バイエルン』

 なんともきんちようかんなくあっさり公表され、ミレアはほっとする。

(心配しなくてだいじようだったみたい。でもそっか、優勝してるんだ……)

 ミレアにはコンクールの優勝経験がない。その分だけとなりのアルベルトが音楽家として上にいる気がして、悔しくなる。だからアルベルトは一人前と認めてくれないのだろうか。

『さて、お楽しみはこれからだ。リアム君と馬鹿弟子にはもう説明してあるけど、今からこの二人に、それぞれ自分の楽団を作ってもらう。演奏者のせんばつはそこから開始』

 少し意味が分かりにくくて、ミレアは首をかしげてしまった。周囲にもざわめきが走る。ぱんぱんとガーナーが手をたたいた。

『はいはい、静かに。つまり、第三楽団に入団したい演奏家は、まず第三楽団の指揮者候補に選ばれる必要があるってこと。リアム君か馬鹿弟子のどちらかに認めてもらってオケに入れてもらうことになるから、この二人による選抜が第一しんになる』

 そう説明されると分かりやすい。分かりやすいが、不安も分かりやすくふくらんだ。

(アルベルトに入れてもらえなさそう。コンマスはフェリクス様だろうから、私は第一バイオリンでいいんだけど……)

 散々ミレアの演奏を批判するアルベルトだ。簡単にはいかないだろう。もちろん、それであきらめる気はないけれども。

『ただ、そうすると二つの第三楽団ができちゃうでしょ。──でも、きゆうてい楽団として欲しいのは一つだけだ』

 ふと、ガーナーが口元をゆがめた。上からすべてを指揮する、きよしようみだ。

『二つの楽団には来月と再来月、二回の演奏会に向けて同じ課題曲を練習してもらう。課題曲は一曲のみ。演奏会も同日、同会場で演奏する。一回目と二回目の演奏会の違いは日程と観客だけだね。そして演奏会の観客にいいと思った楽団に投票してもらって、投票数をきそう。票数は一回目は百票、二回目は百一票。合計二百一票の票の取り合いだ』

 それは演奏会という名前の、観客による審査会だ。

(──楽団単位のコンクールって感じなのかな。それを二回、同じ課題曲で……)

 選曲ミスも言い訳にできない、条件をできるだけ同じにしたがちがちの競争だ。

『より多く票をかくとくした楽団が第三楽団になる。観客はちゆうせんだからそこは運も混じるけど、音楽家には運も人気も必要だからそこは諦めてね。それが第三楽団の選抜方法』

 つまり、ともう一度ガーナーは話をまとめた。

『指揮者の二人は、二回の演奏会で票を取れる楽団を作る。演奏者は演奏会で勝てる指揮者をきわめ、かつ必要とされなきゃいけない──そういうことだね。さて、指揮者の二人。壇上にあがって』

 とつぜんの呼び出しに顔色一つ変えず、隣のアルベルトが歩き出した。別の方向からリアムも壇上に向かう。かべぎわの記者じんが待ち構えたようにシャッターをきり出した。

 打ち合わせもせず、そのまま壇上の中央であくしゆわし記者達に写真をらせる二人は、明らかにこういった場に手慣れていた。これがかつやくしている音楽家の経験値なのだろうと、ミレアは別世界のようなその光景をながめる。

「ここまでは大体、想定のはん内かな」

 アルベルトがいなくなった隣にフェリクスがやってきて、おだやかに笑う。

「演奏者の僕たちにとって問題はここからだ」

『さて、次は課題曲の発表だ。今回は観客が審査員。聞き比べやすいように同じ曲を演奏してもらうから、難易度は高くいくよ。パガーニの夜曲二十四番、バイオリン協奏曲』

 周囲がどよめく中で、ミレアはぱっと顔をかがやかせた。

 それなら得意だ。なんの問題もなくける。

『ご存知のとおり、パガーニのバイオリン協奏曲はちよう難曲だ。特にあの気がくるいそうな独奏部をコンマスが弾けなかったら負け確定。──ってことでリアム君、アルベルト。記者の皆さんもいるし、今この場でコンマスを指名してもらっていいかな。盛り上がるよきっと』

 二人の指揮者の反応はそれぞれだった。リアムは少しおどろいたように目をみはり、すぐに破顔する。アルベルトはまゆをひそめて、諦めたように溜め息をつく。

『二人には第三楽団の入団希望者の名前と簡単な経歴はリストにしてわたしておいたでしょ。考える時間、五分くらいならあげるけど』

「僕は必要ない」

「一つ質問が、マエストロ。もし欲しい演奏者がかぶったり、断られたらどうするんです?」

 軽く挙手をしたリアムの質問に、ガーナーは笑顔で簡潔に回答した。

『最後の演奏会が始まるまでにその演奏者を口説き落として? それも指揮者の資質だ』

「あなたらしい選抜方法ですね」

 しようしたリアムの答えをりようしようととって、さあとガーナーはりよううでを広げる。

『二人とも自分のコンマスの名前を。鹿からどうぞ』

 ──答えは分かっている気がしたけれど、やはりどきどきした。周囲もそうだろう。今までとは違う緊張に満ちたせいじやくが広がる。

 アルベルトは一度深呼吸して、答えた。

「──僕は、フェリクス・ルターを」

「光栄だよ、アルベルト」

 名前を呼んだアルベルトにかんはつれずにフェリクスが応じた。次のしゆんかんにもう一度シャッター音が響く。

 フェリクスの横で両手を組んでいのっていたミレアは、かたを落としてしゅんとした。

(だろうな、とは思ってたけど……ううん、でも第一バイオリンでもいい!)

 この曲は得意だからといつしようけんめい説明しよう。気合いを入れ直すミレアの横で、ぽつりとフェリクスがつぶやく。

「……けど、今回はミスだったかもね、アルベルト」

『じゃあ次はリアム君。今回の第三楽団の入団希望者は、君の楽団に所属してた有名演奏者がたくさんいるんだけど、いや人気者だね。さてだれを選ぶ?』

「では俺は〝バイオリンのようせい〟を」

 しん、と先程とは違う静寂が広がった。

(へ?)

 バイオリンの妖精という異名をほかの誰かも持っているのだろうか──などと考えていたら、壇上のリアムと目が合った。にこりと笑われる。

「君に俺のコンマスをお願いするよ、ミレア・シェルツ」

「──えっ」

 自分の顔を指さすと、うなずかれた。やっと自分が選ばれたと自覚して、ミレアはさけぶ。

「え、え、なんで!? じようだんじゃなくてですか!?」

「俺はいつだって本気かな?」

「だって、だっ──ええ!? わ、私あなたの指揮みたことないし、それに」

 アルベルトの楽団に入りたい。それはそのまま態度に出た。視線を投げてしまったミレアといつしよに、リアムがアルベルトを見る。

「かまわないよね、アルベルト君。それとも彼女を君の楽団に入れる予定がある?」

「……」

 アルベルトはこぶしにぎって動かない。

 フェリクスと張り合って選んでもらえるだなんて思わない。でも何か言って欲しくてミレアは泣きそうになる。

(第一バイオリンに入れるつもりだったとか、ちょっとでもいいから!)

 祈っている間にリアムが目の前にやってきた。ミレアの手を取り、リアムは笑う。

「俺を知らないから今すぐ返事できないというなら、待つよ。口説けと言われたしね」

「く、口説くって……」

 人生で経験したことのない未知の言葉に、あとずさった。だがリアムは引かない。ぐいとミレアの手を引きよせ、口元に近づける。

「俺が君の才能を開花させてあげる。だから俺の妖精になって?」

 甘美なさそいに、ふるえを感じた。

(でもこの人さっき、イカサマしたし……!)

 考えなしに、安易にのらないように。そうアルベルトに注意されたばかりだ。

 ぎゅっと目をつぶったミレアは、口づけられる前に手を取り返す。

「──ごめんなさい! 私には聖夜の天使がいるのでお受けできません!!」

 そしてだつのごとくげ出す。名前を呼ぶレベッカの声が聞こえたけれど、いつさいり向かず会場から飛び出した。

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