ドイツェン宮廷楽団譜 嘘つき恋人セレナーデ/永瀬さらさ

角川ビーンズ文庫

登場人物紹介/序曲 ダル・セーニョ ~その場所から~

◆登場人物紹介

ミレア・シェルツ

新米バイオリニスト。アルベルトとの婚約破棄騒動の後、本気の告白をしようとしているが……!?



アルベルト・フォン・バイエルン

楽壇を仕切る公爵家の跡取りにして、天才指揮者。

基本的に偉そうだが、実は恋愛ベタ……?



リアム・ルーテル

第三楽団の指揮者に名乗りを上げ、国外からやってきた天才指揮者。ミレアが気になっている。



マエストロ・ガーナ-

第二楽団の指揮者にして、アルベルトの師匠。楽壇の巨匠。肩書きに反して、いつも不真面目。


フェリクス・ルター

有名なバイオリニスト。アルベルトの悪友で、彼のコンサートマスター。


レベッカ

宮廷楽団の新米コントラバス奏者。楽団寮での、ミレアのルームメイト。





◆◆◆◆◆






 はくしやくれいじようたる者、おしとやかに。まかりちがっても、木に登ってバイオリンをいてはいけない。たとえ、落ちて受け止めてくれる人がいても。

 一ヶ月前、そう注意して養母は王都を立ち去った。

 しかして、きゆうてい楽団の前庭にある一番大きな木の上にミレア・シェルツはいた。太い幹の裏にかくれ、宝物のバイオリンをいて半泣きで座りこむ。伯爵令嬢にあるまじき姿だ。バイオリニストとしても失格だろう。だが、こいする乙女おとめはそれどころではない。

 地面では、夏の終わりのれ日がさわさわれていた。重なり合った枝は木の上にとうぼうしたミレアの姿をうまく隠してくれるが、地上からの友人の声はしっかり届く。

「ミレア、おりておいでって。エロジジイは私がぶちのめすから」

「だってレベッカ……っひどいこんなの! もう、外に出て歩けない……!」

 美しいくろかみと顔立ちをしたまんの友人は、人形みたいに整ったまゆをよせてだまった。かける言葉が見当たらないのだろう。そこへひときわ明るい声がひびく。

「はは。でもいまさらだよねー?」

「出たなエロジジイ。反省してないでしょ」

「マエストロ! なんで新聞社にバラしたんですか、わ、私の好きな人の名前!」

 なみだうつたえると、短いひげがチャームポイントとしようするマエストロ・ガーナーがばちんと片目をつぶった。

「毎日鹿に告白しようとしては失敗してる姿に、ついカッとなって」

 言い返そうと顔を出すと、レベッカやガーナーだけではなく、ほかの面々まで集まっているのが見えた。真っ赤になったミレアは再び幹のかげに隠れる。大事な大事なバイオリンをかかえて。

 ここ、宮廷楽団はドイツェン王国がほこる演奏家達がつどう場所だ。歌劇場にりんせつした広大なしき内には練習室が入ったとうや、楽団員が住むれん造りのりようがある。その前庭でさわいでいるのだから人が集まって当然だ。また〝バイオリンのようせい〟が騒いでいるという声が耳に痛い。

「騒ぎを起こしたくて起こしてるんじゃないのに……!」

〝バイオリンの妖精〟──それは半年前、宮廷楽団の第二楽団に入団したミレアを待っていたかたきだ。聖夜にバイオリンをくれた天使をさがすため有名になりたかったミレアは、まず売れるために、じよううそをまぜたその肩書きを背負った。だがミレアのおもわくに反して、〝バイオリンの妖精〟の存在は様々なそうどうを起こした。連日新聞をにぎわせ、しつこい記者達に追い回されたのも一度や二度ではない。

 それもようやく落ち着いた──と油断していたら今朝、ミレアのかたおもいが記事になっていた。

 音楽を愛するドイツェン王国の国民は、しゆうぶんも大好物だ。特に宮廷楽団の話題は売れる。

 だが、片想いをばくするのはひどすぎないだろうか。いくら宮廷楽団中に相手の名前が広まっていて、みんなから「告白できた?」とたずねられる状態だったからって、あんまりだ。本人には言わないでとみんなに何度も念押ししたのに。

(ひどすぎる。ちゃんと自分で言おうって毎日がんってたのに!)

 これはもう、絶対に本人にばれた。

 定期演奏会のリハーサル中に記事を見せられたミレアはぜつきようし、バイオリンを持ったままげ出した。ミレアは今、宮廷楽団第二楽団所属のコンサートマスターだ。コンマスが逃亡したせいでリハーサルは中断されたが、今回は絶対、自分は悪くない。

らちかないなー。馬鹿弟子呼んできてよフェリクス、リハーサル時間終わっちゃう」

「もう呼びましたよ。ただアルベルトはあなたをさがしてましたけど、マエストロ」

 やさしい王子様のようなおもしで毒をく、天才バイオリニストまできている。宮廷楽団の顔である第一楽団所属の彼までやってくるなんて、みんなひまなのだろうか。泣きたい。

「げーそれってしようを殺す的な意味で?」

「それ以外になんの用事があると思う?」

 その低い声にミレアは音を立てて固まった。

 しかしこわい物見たさで、そろりと顔を出してみる。そんな場合ではないのに、その姿を見るだけできゅんと胸が鳴った。

 えりのシャツとのうこんのフロックコートを上品に着こなしたその人は、たんせいな顔で冷たく師匠をにらんでいる。人目をひくその姿はたいえすることをミレアはよく知っていた。実際、彼は宮廷楽団の人気者だ。公爵令息という身分にくわえ、プラチナと呼ばれる宮廷楽団の第一楽団を率いている首席指揮者──アルベルト・フォン・バイエルン。

 意地悪で噓つきな人だ。なのに恋をしてしまった。彼が幼いミレアにバイオリンをおくり人生を変えてくれた『聖夜の天使』だと分かる、その前から。

「うわあ、アルベルト……その後ろの黒服さん達は何かなあ」

「バイエルン公爵家の使用人だ」

「使用人っていうより殺し屋っぽいのは気のせいかな!?」

「弟子の僕自ら引導をわたす予定だったが、父上がお呼びだ。馬鹿師匠、死んでこい」

「えー、僕悪くないー!」

 ガーナーが強面こわもての黒服の男達に連行されていく。同情の余地はまったくないが、にぎやかなガーナーがいなくなるとそれはそれで気まずい。

 どうやってここから見つからずに逃げ出そう。そう考えた時、声がかかった。

「ミレア。おりてこい」

 もう一度固まったミレアは、幹に隠れたまま、いちの望みにかけた。

「……し、新聞……見た?」

「……。見てない」

「噓、見たでしょ!」

 アルベルトがそっぽを向いた。ばれている。絶対にばれている。追いつめられたミレアはちからいつぱいさけぶ。

「わっ私の好きな人がアルベルトだなんて噓だから! ガセなんだから、信じないで!」

 周囲が静まり返った。アルベルトが額に手を当ててうなれ、レベッカがぼそりとつぶやく。

「……ミレア、それ逆効果……」

「好きだ好きだって言われてるようなものだね、アルベルト」

「違います! 違うから絶対、私はアルベルトなんか……っ」

 きらいとは言えずにうなっていると、周囲がやんややんやとはやし立て始めた。

「バイエルン指揮者にもついに春がきたかあ」

「むしろまだつきあってなかったのか、あの二人……」

「新しく再編する第三楽団を二人の愛の巣にするのだけはやめてくださいよー!」

「──全員、僕が宮廷楽団の理事であるバイエルン公爵のあと息子むすこだということを忘れているのか?」

 項垂れていたアルベルトの眼光が、残暑の残る空の下で不気味に光る。

 いつしゆんで静かになった周りを、アルベルトは冷ややかに見回した。

「余計な発言をしたやつは全員、次のきゆう査定を楽しみにしていろ」

「おっ……横暴だ! 公私混同だ!」

「散々公爵家から逃げ回ってたくせに開き直りすぎだ!」

「うるさい、こんな子供のままごとにいちいち騒ぐからだ」

「子供のままごと!?」

 聞き捨てならない言葉に反応し、顔を出してしまう。だが、アルベルトが真下にきていることに気づいてすぐに引っこんだ。

「僕は何も見てないし聞いてないから、いい加減おりてこい、ミレア」

 自分の気持ちをあっさり流されてしまって、ぐっとくちびるを引き結ぶ。アルベルトはいつもミレアを子供あつかい、半人前扱いして、自分が聖夜の天使だと名乗り出ることもしない。

「危ないだろう。落ちたらどうするんだ?」

 でも、心配されると乙女心がぐらぐら揺れる。

「それとも僕につかまえて欲しくて待ってる?」

「ちがっ……う、わ、わわわわっ!」

 あわてたせいでバランスをくずし、視界がひっくり返る。落ちる、と思った時はもう落下が始まっていて、上半身が折れ曲がる形でアルベルトの肩に引っかかった。

「……そこで本当に落ちてくるからな、君は」

 反論できなかった。ぎゅっとバイオリンをきしめ直す。

 ミレアのひざうらうでを回し抱え直したアルベルトは、バイオリンに目を向けてまゆをひそめた。

「落ちてくるときくらいバイオリンを放せ」

よ! ……聖夜の天使からもらったバイオリンなのに」

 アルベルトが聖夜の天使だと知ったのはぐうぜんだ。だからミレアが知っていることに、アルベルトは気づいていない。結果、聖夜の天使とアルベルトが別人だという前提でっているのだが、やはり本人を目の前にこういうことを言うのは少しずかしい。

 だがアルベルトの切れ長の目は、げんそうに細められる。

「──へぇ、そう。ふぅん。君は相変わらずだな、聖夜の天使なんて得体の知れない人物にしんすいして。そんな暇があるなら、ヘタクソなバイオリンをどうにかするべきなのに」

だれがヘタクソよ、誰が!」

 その得体の知れない人物はあなたでしょ、という言葉を飲みこみミレアは睨む。

(いっつもこう! 私のバイオリンを聞くとヘタクソヘタクソって──聖夜の天使として舞台の後に花束とか贈ってくれるのに、なんなのこの差!)

 不満顔のミレアに、アルベルトは口角を持ち上げて笑い返す。

「じゃあ、この間の演奏会でごう客船がちんぼつ船になっていたのは気のせいだな」

「う。──あ、あれは、そう! 新しいかいしやくだから、うん!」

「新しい解釈か。ならどうして十七小節目のスラーをスタッカートにしたのか、第二楽章はじめのピアニシモをフォルテシモにしたのか、その他もろもろきっちり説明してもらう」

「いちいち覚えてるの!? ごくみみ!」

「指揮者の僕にとってはめ言葉だ」

 がおで言い負かされた。歯ぎしりしそうになったところへ、聞き覚えのない笑い声が耳に届く。ぱっとミレアは顔をそちらに向けた。

「ドイツェン王国のきゆうてい楽団は、思った以上ににぎやかみたいだ」

 まっすぐなかみを横に流し、見知らぬ男性が笑っていた。

(うわあ、れいなひと。誰だろう)

 髪の色もはだも色素がうすいせいか神秘的で、体の線が細く中性的な顔立ちは絵画に出てくる天使のようだ。その中でも特に印象的なんだ青のひとみが、ミレアをとらえて三日月のように細くなった。

「君がミレア・シェルツかな? バイエルン指揮者とはこんやくしたと聞いたけど。この様子を見ると、とてもそうは見えないね」

「えっ? あ」

 そこでまだアルベルトに抱き上げられたままだったことに気づいた。赤くなると同時に、アルベルトが地面に下ろしてくれる。それを見て、また見知らぬ男性が笑う。

「でもさっき見たこの記事ではかたおもいって──」

「いやー!!」

 見覚えのある新聞めがけてとつしんし、もぎ取る。手に持っていた新聞が悲鳴といつしよに一瞬で消えたことに見知らぬ男性はまばたき、そしてしようした。

「ああ、うん。分かったよ」

「な、何が!? 何がですか!?」

「──マエストロ。あなたまでくだらない記事に振り回されないでください」

 め息まじりのアルベルトの声に、ミレアは新聞を後ろ手にかくしたまま首をかしげた。

(マエストロ……ってことは、指揮者?)

 ミレアからアルベルトに視線をもどした男性は、首をかたむける。

「俺のことはリアムでいいよ、アルベルト君。プザニスの国際コンクール以来かな。どうぞよろしく」

「こちらこそ。……ところで、宮廷楽団からのむかえは?」

「ああ、こっちの方がおもしろそうだったから、つい寄り道してしまった」

 意味ありげに見返ったリアムは、アルベルトとあくしゆした手をそのままミレアに差し出す。

「君もよろしく。アルベルト・フォン・バイエルンのようせいさん」

「えっ? わ、私は別に、アルベルトの妖精じゃ」

「君は俺の第三楽団に興味ある?」

 初耳の情報に顔を上げた。リアムは三日月みたいな瞳で薄く笑い、ミレアの手を勝手にとって握手を終わらせる。



 第三楽団のせんばつようこうけいばんり出されたのは、その数時間後のことだった。




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