第34話 開始の合図
窓から覗き込む景色に視線を移す。
もう夜か……
果たしてこの部屋で作業を始めて何時間経過しただろう。
南支部の一室、ダレンに案内された部屋で私は目の前の資料に目を通していた。
「それにしてもこれは……」
目の前に山のように積まれた資料を見つめる。
ダレンから依頼された事は一つ、学会で使用する資料の添削だった。
本来なら確認したフリをして過ごせば良いのだが、折角だからと目を通したのがいけなかった。
その資料を見て、正直言って私は驚いた。
適当に書いてあるかと思いきや、その資料にはびっしりと賢者の石について詳細に記されていたからだ。
そして勿論製造過程で人間の魂が必要だということも……
だが何故だ? 人間を素材として成り立つ賢者の石だ、真実を公表することはできないのではないか?
もしかして彼らは──
初めから公表するつもりなんてない……?
「……」
それもそうだ、製法からして問題のあるこれを公表してしまえばたちまち彼らは咎人の烙印を押されてしまうだろう。
では、何故それが解っていて尚このような資料を作る必要があるんだ?
「……」
私は読み進める。
「……おや?」
一枚だけ、紙質の違う物が挟まっているのに気付く。
「何だ……日記?」
「師匠、どうかしましたか?」
「資料の間にこんなものが挟まっていまして……リタも見ますか?」
「はい」
二人してその紙に書き連なる文字に目を通す。
───────────────
抗えない
抑えきれない
またあの声だ、またあの声が頭の中に入ってくる
誰だ?
奴は何故我々に賢者の石なんて物を作らせる?
奴は何故我々に手を汚させる?
わからない。何故我々なんだ
これを書いている間にもまたあの感覚が襲ってくる
私は
私は誰だ?
誰
助け くれ
私は──
───────────────
文章はそこで途切れていた。
後半は殴り書いたように文字が乱れ、一部読み取る事ができないまでになっていた。
それに最後の一言、まるで書くのを突然止めたかのように不自然に終わっており、私はその紙を見つめながら一つの疑問に思考を巡らせていた。
「奴……」
この文章を書いた主は解らないが、文章から察するに賢者の石に関わる彼らの中の誰かであることは確かだ。
しかし、奴とは何だ? ダレン?
いや、この文章から察するに書いた主は奴という存在の声しか知らないといった風にも読み取れる。
彼らは望んで賢者の石を作った訳では無い?
だとしたら奴とは何だ?
彼ら以外の誰かが賢者の石を作らせたのか?
そもそも何故こんな紙切れが資料の間に挟まっているんだ?
何かを訴えたかった?
私達に気付かせる為に仕込んだ?
いくら考えても答えは出るはずが無く、私はしばらくその文章を見つめていた。
「何ですかね……これ……」
リタが不安そうに口を開く。
「わかりません……ですが、もしかしたら彼らの背後には私達の知らない何者かが居るかもしれませんね……」
「師匠、本当に大丈夫でしょうか……」
大丈夫──というのはこの作戦の成否についてだろう。
「大丈夫です。リタには負担を掛けてしまいますが、私を含め皆がサポートしてくれますから」
「そう……ですね」
「そろそろ時間ですね……ではリタ……お願いします」
「は、はい……! 大丈夫……です」
やはりまだ緊張している様子のリタに私は言葉を付け足す。
「何かあれば彼女らが対応してくれます。大丈夫ですよ」
「どうかされましたかな?」
ダレンがこちらの様子に気付いたのか、歩み寄ってきた。
私は持っていた先ほどの紙を資料の中に急いで戻す。
「ダレンさん、すみません。リタはどうやら疲れてしまったようでして、彼女は先に戻ってもらおうと思っています」
「おや、そうですか……いえ、ここまで手伝って頂き感謝しますよ。帰りは……お一人でしょうか?」
「ええ、私はここで作業の続きをしますので、彼女には一人で帰ってもらう事にしました」
「そうですか……夜道は危険ですので支部の者に送らせてもいいですよ?」
「いえ、ご心配には及びません。彼女も一人前の魔法師ですから……」
「成る程……分かりました。ではリタ殿、お気をつけて帰ってください」
「出口までは私が送りますよ。ではリタ、行きましょうか」
「ありがとうございます師匠……それではダレンさん、私はここで失礼します」
私とリタは立ち上がり、出入り口へと歩きだした。
◇◆◇
師匠に支部の入り口まで案内された後、一人南支部の建物を出て中央へ向けて歩きだす。
「寒くなってきたなあ……」
もう冬が近いのか、今夜は風こそ無いが、ひんやりとした空気が身を包む。
吐き出す息は若干白く、それは冬の到来を感じさせるものだった。
「……」
落ち着かない。
心臓はバクバクと高鳴り、その度肩まで振動が伝わるようだ。
落ち着け……落ち着け……私。
「うぅ……師匠……なんで私がこんな役なんですかぁ……」
あの時師匠は私を頼ってくれた。
頼られた事が嬉しかった。
だから私はやらなきゃと思った。
けど、いざ本番となったら気後れしてしまう。
緊張で今にも大声を上げてしまいそうな、そんな気分だった。
「えっと……確かこの後は……」
彼の言葉を思い出す。
『リタは南支部を出たら先ずは中央へ向かって、ある程度進んだら裏通りへ入ってください』
確か師匠はこう言っていたはずだ。
そうだ、まだ始まったばかりだ、ここで私が失敗すれば師匠の計画が全て台無しになってしまう。
「落ち着け私……私は最強の魔法師ヤマダタロウの一番弟子だ……できる。きっとできる……!」
小さく、それで強く呟くと自然と身体の振動は収まったようだ。
私は歩みを止めず、静かに大通りを歩き続ける。
そして二ブロック程進んだところにあるパン屋の側から伸びる細い路地に入った。
ここからだ……
『いいですか、リタ……あなたが人気の無い場所に入った時、彼らは襲ってくるでしょう。ですからくれぐれも背後には気をつけて──』
私は恐る恐る背後を見る。
「……」
そこには誰も居ない。
「ふぅ……」
少しだけ安心し、再び路地を真っ直ぐ歩く。
「本当に現れるのかな……」
何を言っているの?
師匠の言葉を信じていない訳ではなかったが、自分の身の安全を実感した途端ついもう一つの可能性にすがりたくなったのは事実だった。
つまり、誰も現れない。
それは師匠の作戦が失敗──空振りに終わる事を意味する。
「ううん……気を抜いちゃ駄目……! まだ何が起こるかわか……ら……」
独り言のように呟きつつ再び背後を確認した時だ。
「──な……い……」
そこに三人、全身をローブで覆った人がすぐ側まで来ていたのだ。
「あ……」
再び心臓がバクバクと音を立て始める。
その振動が身体全体に行き渡り、私はあまりの驚きからか言葉が出せないでいた。
けどそれは相手も同じようで、こちらが振り向く事は想定外だったのか歩みを止めそのままの体勢で固まっていた。
動け、動け動け動け──!
「え……っと……」
「……」
何とか声を発するも、相手は無言。
動け動け──動けリタ!
「あ……あはは」
私は腰に提げたホルダーに手を滑らせ、一番手前の瓶を抜き取る。
そこには小さく"高速化"と書かれていた。
なるべく大きな動作をしないよう、ゆっくりとその瓶の栓を抜くとすぐさま自分の脚に振りかけた。
中に入っていた液体は私の脚に付着すると淡く白い光と共に一滴も残らず蒸発する。
「ご……」
「ご?」
彼らの内の誰かが私の言葉に反応し、聞き返してきた。
「ごめんなさ~~~~~~~~~~~~い!!」
再び進行方向に向き直るや私は悲鳴と共に全力で走り出す。
走る瞬間あの人達が何か喋った気がした。
そんなの聞く余裕なんて今の私には無い。
悲鳴にも似た叫びが人気の無い裏通りに響き渡る。
もう、後戻りできないんだ──
異世界創造 - 神と人の狭間に生きるモノ - うかづゆすと @zefyransasu
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