第32話 北支部
今日はツイてない──
「何だって俺達がこんなこと……」
ついぼやいてしまう。
それは決して女房と喧嘩しただとか、鳥の糞を引っかけられただとか、そういう意味じゃない。
「はいダンケルー、手を止めるな!」
俺だけかよ……
しかしその事は口には出さない。
あの人の耳に入ってしまえば作業量が増えてしまう危険があるからだ。
俺は渋々と作業を再開する。
「ほらほら、皆も休んでないでちゃっちゃと働けー!」
支部長の声が響く作業室の中、俺含む支部の人間が皆招集され、朝一からこうやって黙々と調合作業に追われていた。
本当に今日はツイてない──
思えば支部長のあの笑顔を見た時から疑うべきだった。
彼女があの顔をする時は大体決まって良くないことが起こる。
それは皆同様に思っている事でもある筈だ。
だけど──
「断るなんて、それこそ無理なんだよなぁ……」
「何か言ったか~? ダンケル」
「いえいえ、何でもありませんよ!」
つい口に出してしまった事を後悔する。
しかし彼女からそれ以上追求されることは無く少し安心した。
「時間が無いんだ、指定した量用意できるまで今日は帰さんぞー」
「「「ええ~~~~!?」」」「マジかよ!」「ロリ!」「鬼!」
「誰だ今ロリって言った奴は!」
朝からずっとこの調子だ。
だが何故今なんだ?
学会も近い、本来なら事前準備だとかもっとこう煮詰めなきゃいけない時期だというのに突然"コレ"を作るなんて……それも大量に。
「支部長! 追加分の材料調達してきました!」
「おおマルコス、きたか! ではそこに積んでおいてくれ」
「了解です!」
材料の調達に王都中を駆け巡ったのだろう、マルコスは全身汗だくになりながら木箱を抱えて戻ってきた。
戻るや否や、彼も調合班が取り囲むテーブルの空席に入り早速調合を開始する。
「ダンケル~、"万能ちゃん"製作の進捗状況は?」
「えーっと……ちょっと待ってくださいね……全体の五十パーセントくらいです!」
"万能ちゃん"とは学会に発表する今まさに研究中のアレだ。
支部長直々に命名したのだが、彼女のネーミングセンスは絶望的と言っても良いほど悪い。
皆最初は反対したのだが、支部長の特技"地団駄"が出てしまい受け入れざるを得なかった。
こういう部分は本当に子供なんだからあの人は……
リリアージュ・ハーケンベルグ──
彼女は齢八才にして魔法師協会へ入り、一年も経たぬ内に数々の大魔法に関連する呪文を発見した稀代の天才とも言われている人物だ。
その才能は呪文だけに止まらず魔法師としての実力も群を抜くもので、噂ではあのエミーリア・クロスフォードを越えるとも言われている。
そしてわずか二年という間にここ"北支部"の支部長に任命され、今では技術開発に没頭する毎日だ。
だが彼女の素性についてはそれ以外の事は何も判っておらず、生まれや育ちを知るものは誰一人として居ない。
誰一人……という言葉は誤りか……恐らく一人だけ、マキナ・ハーベストは彼女の事を知っている。
これはあくまで噂なのだが、魔法師協会へ彼女を招き入れたのはマキナさんという話を聞いた事がある。
どうやら協会へ入る前から面識があるらしく、支部長は今でもよくマキナさんに会う為に本部を訪れているようだ。
そもそも"リリアージュ・ハーケンベルグ"という名前すら偽名だと言う者まで居る。
それくらい彼女には謎が多い……と言うか謎だらけだ。
だが俺達北支部の魔法師は皆、彼女を信頼している。
確かに魔法師としても、技術者としても実力がある。
だがそれだけが理由ではない。
たまに予想外の行動に出る事も多くその度皆肝を冷やしたり、無理難題を押しつけてくる図々しさもある。
一度決めた事は決して曲げないし、失敗すれば泣きじゃくり宥めるのに苦労する。
だがそれを咎める者などここには誰一人として居ない。
皆、彼女の事が好きなのだ。
異性や同性という概念ではなく、同士や尊敬にあたる感情も少し遠い。
どちらかと言えば父性や母性にあたる感情に近いだろうか。
彼女の事が心配で心配で仕方が無いのだ。
彼女の事が可愛くて仕方が無いのだ。
俺と女房の間にまだ子供は居ないが、我が子を可愛がるという気持ちは恐らくこれなのだろう。
その証明として今し方支部長から発せられた理不尽な言葉に表面上文句を言いつつも、皆の表情はどこか嬉しそうだった。
彼女も大層な変わり者だが、そういう我々も似たようなモノなのかもしれない。
だがそれが我々"北支部"なのだ。
それに──
「あのヤマダさんの頼みとあっちゃ頑張らない訳にもいかないよなあ……」
正直これまで研究は停滞気味で一旦空白に戻すべきではといった意見も多数挙っていた頃だ。
そんな時に彼は現われ、まるで天啓をもたらすかのように新理論を提唱した。
あの時の支部長の目の輝きといったら……今でもその光景は覚えている。
そしてやっとここまで辿り着けたのだ、感謝してもしきれない。
北支部を救ってくれた英雄、大げさかもしれないが皆彼の事をそう思っている。勿論俺もその一人。
そんな彼から頼まれたんだ、断ってしまうなんてできる筈がない。
「こらダンケル、口開く暇あったら調合急げー。終わっても次の作業があるんだからな」
「分かってますって! ちゃんとやってますよー」
ふと窓の外を見れば既に日は沈みかけ、夕日があたりを染めていた。
「今日は帰れそうにもないな……」
今日は女房との結婚記念日──
「ホント……ツイてない」
彼女の耳に入らないよう注意し、軽いため息と共にそう呟いた。
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