第29話 賢者の石
大通り沿いには数多くの店が軒を連ねている。
ある店では果物を、またある店では武器防具といった鉄製品を扱い、店の宣伝の為店外へ出て呼び込みに勤しむ者も少なくない。
全く同じ商品を取り扱う店舗が横並びになっている光景も珍しく無く、彼らは競うように客を呼び込んでいた。
大通りから外れ、間にある小道を進むとそこには住宅街が広がっており、これまた立派な住居が連なっている。
しかし、更に奥へ進めばその光景も様変わりし、崩れかけた塀や雨漏りの補修すらしていない穴だらけの屋根、既に住人の居ない捨て置かれた廃墟が目立つ所謂スラム街と呼ばれる地域が広がっている。
勿論そこには店と呼べるものは一つもなく、あるとすれば通りに風呂敷を広げ手作り感溢れる小物を売る者が数人居る程度だろうか。
だが大通りから外れた途端客足は途絶え、奥へ足を運んでまで何かを求めようとする人は限りなくゼロに近くなる。
商売を営むには客を多く集めなければならない。つまり大通りはこの王都における顔であり一等地なのだ。
そんな一等地に店を構える者なら誰もが羨む程の敷地を占有する建物がある。
それが魔法師協会だ。
一ブロック分の区間丸ごと贅沢に使ったそこは建物以外にも広大な庭を持っている。
だがそこには雑草や木々が生い茂り半ば放置されている状況で、広大な土地を持て余しているようにも見えた。
その魔法師協会、王都の南に位置する場所に建てられた南支部の個室に案内された私達はダレンの戻りを待っていた。
「随分準備に時間が掛かってるようですね」
無言の空間に耐えきれなかったのかリタが呟く。
「まだ十分程度しか経っていませんし、まだ待てますよ」
そしてまた無言の時間が流れる。
ダレンが再び現れたのは同じやり取りをもう一度したあたり、時間にしておよそ三十分を経過した頃だった。
「大変お待たせして申し訳ございません」
ガチャリとドアの開く音と共にダレンの謝罪の言葉が飛び込んできた。
「いえ、お気になさらず。それで、何をお見せ頂けるのでしょうか?」
「はい、これからお二人を地下の実験場にご案内します。説明は歩きながらで構いませんか?」
「ええ、勿論」
再び流れた時間に安堵する様子のリタ、私達は椅子から立ち上がるとダレン先導のもと施設の奥へと進んだ。
◇◆◇
案内された場所はとても広く、いくつもの明かりに照らされた空間の隅々まで視認できた。
この支部の敷地分の広さはあるだろうか、地面は土が剥き出しになっており所々抉られた跡も見える。
更に周囲は天井を含め鉄の壁で囲われており、外周にはいくつもの大きな支柱が立っていた。
「これは……随分と広い場所ですね」
よく見てみると私達が入ってきた場所以外にもいくつかの扉が見えた。
ただでさえ広いこの空間なのに更に先があるのかと関心する。
同時にこの先を見てみたいという好奇心が芽生えるが、ここへ来た目的を思い出し私はすぐその欲求を自分の中で押し殺した。
「ええ、外で魔法の実験をすれば騒音の被害がありますから……ですがこれだけの実験場を持つのは恐らく南支部だけかと思います」
「ここではどういう実験をしているのでしょうか?」
「それはこれからお見せします」
そう言うとダレンは側に控えていた魔法師の一人に手で合図を送る。
こちらへ歩み寄る彼は大事そうに一つの包みを抱えていた。
ダレンはその男から包みを受けとると私達の方へ向き直る。
「ヤマダ殿、もしこの世に誰もが無制限に魔法を行使する術があると言ったら信じますか?」
「その誰もが……という対象に魔法適正の無い者も含まれているのであれば……いえ、例え対象が魔法師であっても不可能でしょう」
「できれば理由をお聞かせ頂いても?」
「ええ、魔法とは多かれ少なかれ必ず代償を必要とします。適正を持つ物が精神力と言う対価を支払い初めてこの世に具現化します。魔法とは無から有を生み出すのではなく、有から別の有へと変換する技術の事です……そう言った意味で無制限は存在しないと考えます」
「成る程。確かにヤマダ殿の仰る通り、術者が魔法を行使するにはそれなりの代価が必要です。代価は無限では無い……ですが、その不可能を可能とする技術がもしあったらどうでしょう?」
「とても興味深い話ですね。もしかしてダレンさんの仰る研究成果というのは……」
「ええ、私達はついに到達しました。神の領域へ……」
彼は穏やかな表情のまま、ゆっくりと包みを広げる。
「これは……?」
石だろうか、ただ普通の石ではない、それは明確に赤と呼べる色で染まっており、多少濁ってはいるがどうやら透明感を持つ物質のようだった。
「賢者の石……私達はこの物質をそう名付けました」
賢者の石とは錬金術と呼ばれる技術に用いられる用語の一つだ。
諸説あるが代表的な例としては鉛等の卑金属を金といった貴金属に変えたり、不老不死をもたらすといった不可能を可能にする物質の事である。
これはあくまで生前の知識なのだが、この世界にも錬金術と呼ばれる技術は確かに存在する。
それは魔法よりも身近にあり、だれもが当たり前だと思っている技術だ。
恐らく賢者の石という存在もまた、この世界を創造する際無意識に私の知識から漏れ出した概念の一つなのだろう。
「その賢者の石というのが、無制限を実現しえると?」
「ええ、これもヤマダ殿のおかげです。私達は誰もが等しく魔法を扱える事。それを目指して日々研究しておりました。ですが、これまで常識とされていた理論では魔法という技術はどうしても術者に依存するものでした。精霊との契約に言葉を交わす必要があるというね……」
「けど私の理論はそれを覆した……と」
「ええ、言葉など不要。意識下におけるイメージのみで魔法を構築するというその思想、これが私達の研究を成功へ導くヒントとなりました。そして完成したのがこれです」
「どういう意味でしょう?」
「実際にお見せした方が早いですね。では見ていてください」
ダレンは賢者の石を手に取り、それを強く握り込む。
そして実験場の広い空間に向けて拳を突き出した。
変化はすぐ現われた。拳から淡く赤い光が漏れ出し、彼の突きだした拳の先に魔方陣が展開される。
この静かな閉鎖された空間では僅かな物音すら鮮明に聞こえるのだ。私の耳が確かなら彼は詠唱していない。
「無詠唱……ですか」
無詠唱魔法は今となっては珍しいモノではなくなっていたが、私の知る限り片手で数える程しか無詠唱に至った者を知らない。
勿論その中に彼は含まれていない。
もしかするとこれも賢者の石のもたらす力の一端なのかもしれない。
「さて、私がこれから放つのは全て大魔法です。一般的な魔法師が大魔法を行使できる数は個人差もありますが最大でも二十回程度と言われています。それを私はこれから五十回以上行使してみせましょう」
ダレンは無言で魔法発動のトリガーを引く。
明滅する魔方陣から稲妻が走り、それは目の前の一帯に渦を巻くように駆け抜けた。
雷系統の大魔法で、用途は一帯の戦力無効化、所謂制圧級に属するものだった。
そして魔法の効力が消える前にすぐさま新たな魔方陣が展開され、再び雷撃が地面を這うようにして解き放たれる。
「早い……」
無詠唱魔法のメリットはその展開速度にある。
しかし意識下で魔法構築を行わなければならない都合上、そこにはどうしても空白の時間が出来てしまう。
これは魔法を扱う上で避けては通れない制限のようなものだと考えていた。
だがダレンの放つ魔法にはその制限が存在しない。彼の魔法はあまりにも早すぎるのだ。
ダレンは次々と、絶え間なく、そして迅速に大魔法を放ち続ける。
一瞬リタの姿が視界に入った。
彼女の表情はどこか怯えてるようにも見えた。
結果的にダレンが行使した大魔法の数は五十を優に超え、恐らくその倍は放ったであろう。
しかし彼の表情は相変わらず穏やかなままで、私はその事に得も言えぬ違和感を覚える。
「つい張り切って撃ちすぎてしまいました。ですがこれでお解りになりましたでしょうか? これだけの大魔法を放って尚私はこの通り何ともありません」
精神力の消耗は抗えるものじゃないのは私がよく知っていた。
確かに彼の精神力は消耗などしていないのだろう。
「ダレンさん、もしかして無詠唱魔法もその石の力でしょうか?」
「その通りです! いやはや、自慢する事でもありませんが私はまだ自力でその境地に至っておりません」
「その賢者の石を持つ者は、望んだ魔法を望んだ通りに望んだタイミングで望んだ分だけ自由に行使できる……という訳ですね?」
「ええ、勿論魔法師でなくとも、魔法を扱えない者でも同様に大魔法クラスの魔法を今のように扱うことが可能です」
正直信じることが出来なかった。
しかし魔法を行使する際精神力を代償とするルールは明確に決めた訳ではない。
代償を必要とする仕組み、これは偶然生まれた謂わば"バグ"だ。
私はそのバグを"仕様"と認めた。
もしかしたら魔法を発動させる為の代償は一つでは無いのかもしれない。
そして、そこに魔法の可能性があるのかもしれない……
「凄い技術ですね……正直これ程のものとは思ってもみませんでした」
「お気に召して頂けたようで何よりです」
「そう言えば、あなた方は魔法師協会に非公開となっている大魔法の開示を要求していると耳にした事がありますが。もしかしてこの賢者の石が理由でしょうか?」
「おやご存じでしたか……大魔法の大部分が公開されない理由、それは制御不能に陥り術者の命を危険にさらしてしまう事が挙げられます。ですが、賢者の石を用いれば術者はただ魔法を願うだけでいい。そこに何の危険もありません」
「ですが、余りある力をこの世界に具現化してしまう大魔法です。それを一般の目に晒してしまうのはリスクが伴うのでは?」
「そうかもしれません。まだまだ問題は多いでしょう。しかし人間はそこまで愚かでは無いと私は信じてます。この石が問題を解決する糸口になればと私達は願っていますよ」
そう語る彼の目はどこか遠くを見ているかのようだった。
確かに賢者の石の特性は素晴らしいものだ。
魔法適正の無い者ですら自由に魔法を行使できる。
私が為しえなかった魔法の可能性を見事なまでに体現していた。
しかしこの拭えない気持ちは何だろう。
不安? 恐れ?
いや、確かに近いがそれではない。
きっとこれは……疑念だ。
「よろしければヤマダ殿も実際に試してみますか?」
そう言って差し出される賢者の石に私は興味を引かれる。
「それは是非とも──」
そう言いかけた時だ、私の服の裾を摘まみながら顔は俯いたままのリタに気付く。
かすかに覗かせる表情には明確に恐怖と呼べる感情が見えた。
リタは怯えている。
だが何に対して?
この場所に?
それとも──
「……」
「どうかされましたか?」
「……いえ、折角のご提案ですが、辞めておきます」
「おや、それは何故?」
「ダレンさん、それよりも……一つ勝負してみませんか?」
「勝負……ですか?」
「ええ、魔法師とその賢者の石とで魔法の早撃ち勝負です。先に三十回の魔法を発動させきった者が勝利……というのはどうでしょう? ああ、これはただの対抗心ってやつです」
私の言葉に困ったような顔を一瞬見せるダレンだったが、すぐそれは元の穏やかな表情へ戻る。
「ヤマダ殿……先ほども見ていたでしょう? 大魔法でさえあの速度で放てるのです。確かにヤマダ殿が無詠唱で魔法を扱える事は存じておりますが、賢者の石のもたらす力ははそれを上回るでしょう」
彼の言う事は理解できる。普通に考えてあの速度で放たれる魔法に対して単純な撃ち合いで勝てる訳が無い。
「師匠……その勝負、私にやらせてもらえませんか?」
先ほどまで俯いてたリタは何か決心したかのような表情を向けてきた。
私は驚きを隠せなかった。まさかこのタイミングで彼女が名乗りを上げるとは思っていなかったからだ。
「どうしてもですか?」
「はい、師匠に教わった魔法の技術が必ずしも劣る訳ではない事を証明したいです。私これまで師匠に頼ってばかりで……今恩返しをさせてください……!」
どうやら彼女はダレンの言った事が私を含む魔法師を侮辱する行為だと判断したようだ。
それは決して認めてはいけないという強い意志をその表情から読み取る事ができた。
「ダレンさん、そういう訳で早撃ち勝負の魔法師側代表はリタに決定しました。この勝負受けて貰えますよね?」
「え、ええ……勿論です。ですが勝敗が決まってもどうか気分を害されないでくださいね? それに……大変申し上げ難いのですが……相手は賢者の石です。並の魔法師では勝負になりませんよ?」
彼も賢者の石が魔法師に劣るという不安はかけらもないのだろう。
それも相手が私ではなくリタだ。『やる前から勝負はついている』『それよりも勝負が終わった後の事が心配』と言いたげな顔をしていた。
「大丈夫です。私の弟子は強いですよ? もしかしたら賢者の石にだって勝ってしまうかもしれません」
「成る程、ヤマダ殿のお弟子さんでしたか。これは失敬、道理で師匠と呼ぶ訳だ……ならば私も本気で挑ませてもらうとしましょう」
確かに他の誰かが聞いていればこれは普通勝ち目の無い試合にしか見えないだろう。
しかし例外はある。
"普通"でなければいいのだ。
リタは魔法の制御に関しては既に私を越えつつあった。
彼女の成長の早さ、そして魔法センスは"異常"と言っても過言ではない。
「それでは二人とも位置についてください」
リタとダレンはお互い数歩前に進み、適度な間隔をとって立ち止まる。
「では、私の合図と同時に開始してください。発動した魔法のカウントは私が行いますので両者魔法発動を最優先でお願いします」
「は、はい……!」
「分かりました」
リタの声は若干強張ってるようにも聞こえたが、肩の力の入り具合から見て極度に緊張しているわけではなさそうだ。
対してダレンは相変わらず穏やかな表情のままリラックスしている様子だった。
「改めてルールの説明ですが、使用魔法については任意、用いる呪文の文節に制限はありません。魔法の発動をカウント対象とし、不発や魔法が発現しなかった場合はカウントしません。勝負は先に三十回魔法を発動させた方の勝利とします。ここまででご質問は?」
「不発……ああ、成る程……あ、いえ、大丈夫です!」
リタはこの言葉の意味を理解したようだ。
大丈夫、彼女なら成し遂げる。
そこに不安は無かった。
ダレンが賢者の石に揺るぎない信頼を置くように、私も同じかそれ以上にリタの実力を信頼している。
「同じく、いつでも開始して頂いて結構ですよ」
「それでは……両者構えて──」
こうして、魔法師対賢者の石という異色の勝負が幕を開けた。
「はじめ!」
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