第26話 雨

「なんだか嫌な空気ですね」


 リタがポツリと呟く。


「そうですね……」


 宿舎の一室、呪文書に一通り目を通し終えた私は椅子にもたれかかりながら窓の外に視線を移す。

 ここ数日雨模様が続いていた。

 行き交う人々は外套を纏い、重い足取りで誰もが俯きながら静かに歩いている。

 人通りはいつもと変わりないように見えるが、王都全体が重い空気に包まれたかのような錯覚を覚えた。


「ただいまです」


 ガチャリと音を立ててドアが開き、外套を身に纏った少女が部屋へ入ってくる。


「あ、イブキさん」


「おかえりなさいイブキ、どうでした?」


「現場見てきたです。だけどこれといって手掛かりになるようなモノは見つからなかったですよ」


 イブキは外套を脱ぎながら淡々と状況を報告する。

 収穫なし──

 そう簡単に事が運ぶとは思っていなかったが、少し残念に思う。


「そうですか……イブキ、ありがとうございます」


 王都を包む重い空気、これは雨だけが理由ではない。

 つい先日通り魔事件が発生したのだ。

 被害者はあのエミーリア・クロスフォード……そう、エミルだ。

 背中を鋭利な刃物で斬り付けられたらしく、彼女は即座に魔法で反撃に出るも犯人は逃走。

 エミルの傷は深かったが、重傷に至っていなかったのは不幸中の幸いだった。


「主様達はその……エミル? とかいう人のお見舞いに行ったですか?」


「ええ、病室で顔を見てきました。存外元気そうで安心しましたよ」


「それはなによりです。あ、それとギルドで早速手配書が貼り出されてたですよ」


 イブキはそう言うと一枚の紙を差し出す。


「犯人は男性、長身痩せ形……ですか、流石に情報がこれだけだと見付け出すのは大変そうですね」


 覗き込むようにしてそれを見たリタが率直な感想を述べる。


「無いよりはマシだと思うしかないですね」


 この情報はエミルの証言によるものだ。

 被害者であり第一目撃者の彼女の情報ほど重要なものはないだろう。

 しかし、人口にしておよそ五万人が暮らすこの王都だ、この情報だけでは犯人を絞り込む事はほぼ不可能だろう。

 しかし、実際に身近な人物が被害に遭ったのだ、それも魔法師を……仮にもし再発の可能性があり魔法師のみをターゲットにしているなら私やリタもその標的であるという可能性は高い。

 不安の種は早々に排除すべきだと考えた。


「あと、もう一つ気になるものがあったです」


「何でしょう、クエストですか?」


「はいです。王都に来る途中捕まえた賊の五人覚えてますか? 少し前にその五人が脱獄したみたいです」


「それは……穏やかな話ではありませんね」


「通り魔事件の犯人と関係あるのでしょうか?」


「まだ何とも言えませんね、それにエミルが遭遇したのは一人だけです。仮に賊だとしても彼女程の実力を持った魔法師が賊相手に遅れをとるとは思えませんし……」


 エミルは反撃こそしたものの犯人を捕らえる事は出来なかった。

 まるで犯人は彼女が魔法師であることを知っているかのような……あまり考えたくない可能性が脳裏を過ぎる。

 だが現段階で決めつけてしまうのは早計というものだ。

 今はただ情報を集めるしか無い。


「イブキ、頼みたい事があるのですが──」


「主様の考えてる事くらいイブキはお見通しです。犯人捜しするですね?」


 そう、イブキならそう応える。


「ええ、イブキにしかお願いできない事です。先ずは情報が欲しい……情報が乏しい現状では走り回ってかき集める必要がありそうです。賊の行方も確かに気になりますが……これは別問題として今は無視することにしましょう」


「わかりましたです! このイブキにお任せするです」


 胸をドンを叩くイブキは自信満々にそう言った。

 イブキの身を多少なりとも危険に晒す事は良いとは思えなかったが、姿の見えない危険に対処しうる能力を彼女は備えている。


「ですがくれぐれも無茶はしないように……危険だと判断したらたとえ犯人を目の前にしても命だけは大事にしてください」


「わかったです。でも大丈夫、イブキは強いですから。大船に乗ったつもりでいるですよ」


「船は懲り懲りですがね」


 二人して吹き出すように笑い出し、リタだけがその状況を困惑しながら見つめていた。

 そしてその夜……第二の被害者が出た。



◇◆◇



 被害者はアルベルトという男、彼もまた魔法師で私の講義にも頻繁に顔を出していたのを覚えている。

 彼は翌朝、路地裏で無惨な姿となって発見されたのだ。

 第一の事件発生現場からは遠く、王宮を挟んで反対側の位置で発生したこの事件は瞬く間に噂として広がり、王都はより一層重い空気となっていた。


「やはり魔法師が狙われている……無差別の犯行ではない可能性が高いでしょうね」


「そうだな……で、ここに訪れた理由はその事件に関係する事かな?」


 マキナの表情に笑みはない。

 自らが取り仕切る協会内で二人も被害者が出たのだ、それも一人は命を落としている。

 執務室でマキナと向かい合うようソファに腰掛けた私は、すぐさま本題に移ることにした。


「ええ、今回犠牲者となったアルベルトですが……彼は私の講義にも頻繁に出席していました。しかしそれ以上の事は何も知りません。ですので彼の事について教えてもらいたくて……些細な事でも構いません。今は情報が欲しい」


「私も全員の素性を把握してるわけじゃない……が、アルベルトは優秀な魔法師だったよ。クロスフォードのように卓越した才能を持ってる訳じゃないが、魔法への情熱は人一倍あった。実はクロスフォードの用いるクイックキャストを最初に発見したのは彼だったんだ」


「そうだったんですか」


 現時点で結論付けるには早計なのかもしれないが、犯人はある一種の信念を持って犯行に及んでいる……そんな気がした。

 殺意を持っているのは明らかだ、それも魔法師に対して。

 私はまだ終わらぬこの状況に歯がゆさを感じていた。


「君は事件を追っているのか?」


「ええ、たとえ数日であっても関わりを持った者が凶行の餌食になったのです。それを許してはおけない」


「ふうん……」


 マキナは目を細め、静かにこちらを見つめる。

 全てを見透かすその目にはもちろん違って見えただろう。

 そう、私は嘘をついている。


「……まあ、あなたに嘘をついても意味が無いですね……」


 両手を上げ降参の意思を示す。


「事件を追う理由は……私に被害が及ぶ可能性が高いからです」


「だろうね」


「彼らに共通する点は二つ、一つは魔法師であること。そしてもう一つは私の講義を受けていたことです。それも毎日……そして事件は私が新理論を広め始めたタイミングで起きた。私にはこれが偶然とは思えません」


「で、次は君が狙われていると……そう考えるのかい?」


「いえ、恐らく次に狙われるのもあの講義に出席していた人物、それも今まで被害に遭われた方と同程度の条件を揃えた魔法師が狙われるでしょう」


「その根拠は?」


「あくまで私の推測ですが、これは犯人からのメッセージ……脅迫状とも言いますか……『これ以上新理論を広めるつもりなら関係者を殺し続けるぞ』と……そういう意味が含まれているように感じます」


「つまり、犯人は協会内部に居ると?」


「その可能性は低くないと考えてます」


 断言することは出来ない。しかし最も可能性のある事だと判断した。


「成る程な……確かに協会は一枚岩では無い。現に保守派や改革派といった派閥も生まれている。今回君の提唱した理論を快く思わない人間は少なくないのも事実だ。その可能性も考慮すべきだろうね。実際私も君の件で多方面から散々文句を言われたよ」


「マキナさんへ直接抗議する方も居るんですね」


「嫌われてるのは君だけじゃないってことさ。魔法師ってのはね、地位や名誉、そして力をどこまでも欲する貪欲な生き物なんだよ。魔法師協会の頂点の座……それを狙う連中なんてごまんと居るさ。油断すればいつ寝首を掻かれてもおかしくない……そんな場所だよ、魔法師協会って所はさ……」


 マキナは含みのある言葉を残し黙り込む。


『魔法師協会の人間を信用するな』


 私はエミルのあの言葉を思い出していた。

 それはきっと魔法師協会の現状を指しての事だったのだろうか。

 ともかく望んでいない事件に巻き込まれた事だけは確かだった。


「……それで、君は私が犯人だとは思わなかったのか? 私もその魔法師協会の一人だが」


「それを言ったら私も協会の一人です。それにマキナさんが犯人でないという理由は私の推測するこれからの可能性に関係があります」


「ほう……」


「私の思考を見たのではないですか? 恐らく次に狙われる可能性が高いのは……リタです」


 その言葉を聞くや、マキナの表情が冷ややかなものとなる。

 それは信じたくなかった。どうしても認めたく無かったという……そんな表情をしていた。


「……あの子は今どうしてる?」


「今は宿舎で待機させています。仲間のイブキという子が護衛についていますので身の安全は私が保証します」


「そうか……」


 犯人は明確な優先度を持って犯行に及んでいると考えている。

 現に被害に遭った二人も私と関係の深い者達だったからだ。

 これまでの推測が正しいと仮定して、私に最も近い人物……つまりリタが次の標的となる可能性は限りなく高い。

 もちろんこのことはリタ本人にも……そしてイブキにも伝えてある。


「今日はありがとうございました。では、私はそろそろ失礼します」


「ああ……」


 私は静かに立ち上がり、執務室のドアを開く。


「ヤマダ……」


 ドアノブに手を掛けようとしたその時、マキナが静かに口を開く。


「娘を……頼む」


「……弟子を守るのも師匠の役目です」


 そう一言残し、執務室を後にした。

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