第23話 才能

「お帰りなさい師匠!」


「待っててくれたんですね、お待たせしました」


 ホールに戻るや駆け寄ってくる弟子に声を掛ける。


「どうかしたんですか?」


 どうやら考えが表情に出ていたようだ、心配そうにする彼女は前屈みに無垢な瞳を覗かせる。

 私は未だにマキナとの会話に実感が持てなかった。


「大丈夫です……何でもありませんよ」


「そうですか? ならよかったです」


 リタは姿勢を戻しながらそう言うと、今度は顔に不安を浮かべた。


「ところで……マキナさん……でしたっけ? 師匠何か悪いことでもしたのでしょうか?」


 さも当たり前かのように『マキナ』の名を出すリタは、当人の事より私の事を心配している様子だ。

 その言動から察するにリタは母親の名前すら覚えていないようだった。


「いえ、お咎めとかそういう事ではないですよ。むしろ賞賛されたくらいですから」


「そうなんですか?」


「ええ……ああそうだ、これはリタの分です」


「これは?」


 差し出した物を見つめながら困惑するリタ。

 そう、これはプレゼントだ。勿論私からのではなく、マキナからの……


「合格おめでとうございますリタ。これで私達も魔法師協会の一員ですね」


「あ……」


 それは銀製のブレスレット──表面には炎を象った魔法師協会の紋章が描かれている。

 リタの表情は困惑から驚き、そして歓喜へと変化する。

 目を輝かせながらプレゼントを手に取ると、手首にそれをゆっくりとはめる。


「ありがとうございます! そうかあ……私も一人前かあ……やったあ~~!」


 リタはその場で飛び跳ねるように喜ぶが、それも長くは続かず急に冷静な顔に戻る。


「あれ……でも変ですね? 私、実技試験しか受けてませんが……」


 疑問に思うのも当然だろう、私もそうだがリタも同様に今回の件で試験は中断していたのだ。


「特例だそうですよ」


「特例……ですか。でも何故でしょう?」


「間違った知識の試験をする必要は無いということで、私も含め今回試験を受けた二名は実技のみで知識試験は免除……という事らしいです。協会はこれまで正しいとしてきた理論を覆すつもりみたいですね」


「それってつまり──」


「ええ、私の理論が正しいと認められたようです。マキナ自らが近々公に発表するそうですよ」


「す、凄いです師匠! 私こんな凄い方の弟子なれたなんて感激です」


「はは……ありがとうございます。少々恥ずかしいですが」


 なんせ協会の最高責任者が彼女の母親なのだ。

 マキナが私に頼みを聞いてくれることを条件に提示してきたものの一つが魔法師試験の免除だ。

 リタに説明した内容はマキナ本人から語られたものだが、この回答を導き出すのに必死に口実作りに頭を悩ませるその光景はリタにどうしても協会に入ってもらいたい……という愛娘を甘やかすただの"親バカ"を体現しているようにしか見えなかった。

 そもそも長年正しいとされてきた理論を覆したった一人の"異端"である私の語る理論を正とする事自体例え責任者といえど不可能なのではとも考えたが、彼女は自信満々に『任せておけ』の一言で済ませたのだ。

 何の根拠も無いが、きっと彼女はそれを実現するのだろう。

 協会におけるマキナという人物が持つ力は私の想像を遙かに超えているのだろう。


「新理論公表に先だって協会内の魔法師へ向けて講義をして欲しいとの依頼がありました。しばらくは毎日協会に通うことになりそうですね。リタも出席してもらえますか?」


「勿論です! 絶対行きます!」


「そう言ってもらえると助かります。大勢の前で説明するのは緊張しますから、知った顔が居てくれると心強いですよ」


「実技試験であんな事した師匠の言葉とは思えませんよ?」


「はは……あれは気分がノったといいますか……まあそれより、講義を開くことを条件に協会から宿舎が提供される事になりました」


「宿舎ですか……?」


「ええ、それもタダで泊まれるそうです」


「ええ……そんなに良くしてもらって良いのでしょうか……?」


「それほどまでに私の持つ知識に価値があると思えば良いんです。リタが心配する事は無いですよ」


「それもそうですね……」


 しかし、想定外とはいえマキナと繋がりが持てたのは大きい。

 講師となった事で時間的束縛が生まれたものの、本来開示されないレベルの呪文についても無制限で閲覧する権限を得たのだ。

 これは当初の予定を大幅に前倒した形になる。

 もちろん断る理由が無いし、正直有り難い申し出でもあった。

 それに彼女から頼まれた事もある。


「これから忙しくなりそうですね」


 リタを文字通り"最強の魔法師"に育ててみせようではないか。



◇◆◇



「わふー!」


 ボスンと心地よい音を立てながらイブキがベッドに飛び込む。

 宿の固いベッドとは違い魔法師協会の宿舎に用意されたベッドは執務室のソファ以上に柔らかい。


「ふかふかです! うひゃあ!」


 いつも以上に機嫌の良いイブキはベッドの上でゴロゴロと転げまわっている。

 ここまではしゃぐ彼女を見るのは初めてかもしれない。

 内装も見事なものだ、一見して寝泊まりするのに不要な飾り付けが施されており、テーブルには果物を乗せた銀の食器まで置いてあるのだ。

 無償で提供してもらえるというからてっきり質素な部屋を想像していたのだが、現実は真逆だ。

 贅沢という言葉が似合う、そんな環境だった。


「本当にこのような部屋使ってもいいのでしょうか……」


 椅子に座るのも遠慮しているのか、立ちっぱなしのリタが申し訳なさそうに呟く。


「良いんですよ、これも役得です。それよりもリタ、明日からの講義に備えて事前練習でもしましょうか」


「練習ですか?」


「ええ、大勢に教えるならそれなりの準備をしておきたくて……はは……実は少し緊張してます」


「ふふ……師匠も緊張する事あるんですね」


「私も人並みに緊張しますよ」


「実技試験の時もそうでしたけど、てっきり師匠は鋼の心臓を持ってるのかと思ってました」


「そういえば、主様達を待つ間散歩してたんですが、その魔法師協会? から大きな火の玉が飛んでいったのが見えたです」


「ああ、イブキも見てたんですね」


「師匠、実技試験中なのに突然詠唱やめて新しい魔法を実験し出したんですよ。私も驚きましたよ」


「はは……あれは何というか、気分がノってしまったと言いますか……」


「主様らしいですね、きっととんでもない事やらかしたんだろうと思ってましたです」


「まあ、そのおかげでこうして宿舎で寝泊まりができるんですから、結果オーライということで」


「でも無詠唱ですか……」


「リタも試してみますか?」


「試すって何をですか?」


「無詠唱魔法です」


「ええ!? あ、いや、そりゃ使いたいですけども、私にはまだ無理ですよぅ!」


「いえ、原理は呪文詠唱の魔法となんら変わりありません。呪文の理解を深める必要はありますが」


「私はまだ呪文を唱えるだけで精一杯で……」


「ですから、そのうち使えるようになる無詠唱魔法を体験してもらおうと思ってます」


「体験……?」



◇◆◇



 まだ所々街に明かりが灯っている頃、私とリタの二人は宿舎を出て近くの広場へ来ていた。

 イブキは魔性のベッドの虜になってしまいすぐ寝付いてしまったので、起こさないようこっそりと抜け出してきたのだ。


「ここでいいでしょう。さあ始めますよ」


「で、でも師匠、始めると言ったって」


「まあまあ、先ずは私の魔法を見てください。そしてリタ、その魔法の感覚をできるだけその目で感じてください」


「私の目……ですか」


「そうです、さて──」


 手をゆっくりと前にかざし、口を閉ざす。

 私は意識下で魔法を構築する。

 やがて手の先には魔方陣が出現し、淡い白い光が明滅していた。

 発動条件を揃えた私は、魔法を実行に移す。


「わあ……」


 眩い光に照らされた広場。

 今回用いたのは初歩的な発光魔法だ。

 私は講義に先立ち宿舎に入る前に協会の管理する書庫からいくつかの資料を持ち出していたのだ。

 呪文書……と呼ぶことしたそれは呪文の言葉一言に対して細かく魔法の効果が細かく記されていた。

 しかしよく研究されている。

 記された効果と私の感覚にズレは無く、苦労なく魔法は発現した。


「見ての通りこれは発光魔法です。殺傷力もありませんから気兼ねなく使えますよ」


「師匠、質問なのですが、その魔法はファイアボールと比べて呪文が短いのでしょうか? 二文節……ですか?」


「え?」


「あ、いえ、変な事を言ってしまったのならごめんなさい! 忘れてください……ただそう"見えた"だけで……」


 見えた……? マナを感じたのではなく?


 呪文とは特定の意味を持つ小節がいくつか連なったものだ。

 例外もあるが一文節目は主に属性を、二文節目は主に形状といった付加情報を、そして三文節目ではその振る舞いを意味する呪文が多い。

 中には四文節以上からなる魔法も存在するが、それは大魔法に位置するもので私が見た限りどうやら最大で十文節からなる呪文もあるようだ。

 呪文がこのような形となった理由……それは人類が長い年月を掛けて辿り着いた結果なのだろう。

 私の行使した発光魔法は確かに二小節からなる小規模な呪文で成り立っている。

 しかしリタはそれを言い当てた。

 そのことで私の興味はすっかりリタへと向いていた。


「リタ、これから私はある魔方陣を出します。それが何か当ててみてください」


「は、はい!」


 手を天にかざし、魔方陣を展開する。


「これは何の魔法か解りますか?」


 これはファイアボールと同様三文節の呪文詠唱から成る別の魔法だ。


「えっと……う~ん……知らない魔法ですが……」


 自信なさげに考え込むリタ。


「恐らく風系……の……魔法でしょうか?」


 しかしその回答は私を驚かせるのに十分なものだった。


「……正解です」


 これはエアプレッシャー。圧縮した空気の塊を放つ魔法だ。


「ではこれは?」


 魔法を中断し、すぐさま別の魔方陣を展開する。


「ファイアボールです」


 彼女は迷い無く断言する。


「正解です。よく分かりましたね」


「はい、私が唯一知ってる魔法ですから……それに師匠の魔法はとても丁寧で、まさにお手本って感じがしました」


「お手本……ですか?」


 私はその言葉の意味が分からずつい聞き返してしまう。


「魔法って呪文を唱える人によって見え方が違うといいますか、師匠の魔法は無駄が無いと言いますか……私が唱える時に感じる感覚よりも効率的……なんだと思いました。ごめんなさい、どう説明していいのか分からなくて……」


 今まで私は彼女に見えているのはマナや神の力といった目に見えないエネルギーなのだと勝手に思い込んでいた。

 しかしどうやらこれは間違いのようだ。

 恐らくリタが見ているモノはそんな浅い次元じゃない。

 彼女はもしかすると──


「試す価値はありそうだ……」


 当初の予定としては実演した後リタの潜在意識に介入し、無詠唱魔法を発動するだけの知識を持って体験してもらう……という算段だったのだが…


「ではリタ、これから私は最初に見せた発光魔法を発動させます。その時に感じたモノ、見たモノを再現してもらっていいですか?」


 こんな説明で伝わるだろうか、なんせ私には彼女の"見る"という感覚が分からない。


「再現……ですか? よくわかりませんが、やってみます……!」


 私は発光魔法の魔方陣を展開、そしてそれを実行に移す。


「では、同じようにやってみてください。感覚で構いません。出来なくてもいいです」


「は、はい! では行きます……!」


 リタは手を前にすると目を瞑る。


「……」


 虫の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる広場の中で、無言の状態が続く。


「……」


 先ほどまでは落ち着いた様子のリタだったが次第にその表情は険しくなり、ついには眉間に皺を寄せながら唸り出した。


「~~~~~っ」


 ダメか……

 私は少し期待していたのかもしれない、身勝手な期待を彼女に寄せてしまったことに反省する。


「リタ、無理にとは言いませんからそろそろ──」


 変化はそこで起きた。


「え?」


 彼女の差し出す手、その前に──ではなく、私の目の前に。


「まさか……」


「うん? どうかしましたか師匠? ってわあ!! し、師匠……私……私っ」


 見間違う筈が無い、彼女の目の前には淡い白く明滅する魔方陣が現れたのだ。

 だが魔方陣は彼女から遠く離れた位置に展開されている。

 疑問は残るがそれは後回しでいい。


「そのまま集中して! 魔法を発動させるんです!」


「は、はい!」


 再び目を閉じながら彼女は軽いうなり声を上げる。


「~~~~~~~~~~~~~っ……きた……!」


 次の瞬間魔方陣から眩い光を放つ球体が現れ、再び光は広場全体を照らしこの空間の闇を消し去った。


「あ……ああ! で、できました~~~! 師匠、私できましたよ!」


 彼女は確かに目に見えない何かを見ている。だがそれはマナや神の力といったモノを表面的に見ているわけではない。

 リタは魔法構築におけるマナを魔法へと変換するプロセス、その行程を事細かに見ているのだ。それもかなりの精度で鮮明に。

 魔法の構築は全て術者の意識下で行われる。

 あくまで感覚の話だが、自らが魔法構築する際その感覚をトレースすれば同様の結果を生み出す事ができる筈だと私は考えた。

 そして彼女はそれをやってのけた。

 これは彼女にしかできない、いや……彼女だからこそできる事なのだ。


 天才──


 そんな言葉が浮んだ。

 その特別な目だけじゃない、彼女には魔法のセンスがある。

 マキナに依頼されたリタを最強の魔法師にするという約束はすぐ実現するだろう。


「……はは、しかし参ったなあ」


 大はしゃぎで飛び回るリタを見ながら、彼女がこの先どのように成長していくか楽しみであると同時に、うかうかしてるとすぐに追い越されてしまうという焦りを感じていた。


「まったく、優秀過ぎる弟子も困ったものですね……」


 しかし疑問が残る。

 先ほどの魔法は確かに発動した、だが何故魔方陣は彼女の前ではなく私の前に現れたのか。

 距離にして五メートルとはいえ明らかに魔方陣はリタの手を離れていた。


「私は何か見落としているのか?」


 今まで当然だと考えていた事は無いか?

 どこかに諦めは無かったか?

 どこか勝手に制限を設けていなかったか?


 思考は過去へと遡り、呪文を知らない頃私の放っていた魔法を思い出していた。

 暴走した火球……あの時は確かに手をかざし目の前にそれは現れた。

 だが"弾けろ"と願い肉片へと変わるサイクロプス、細切れになるクラーケン。

 奴等はどうだった?

 手をかざす行為、それはごく自然な動作だった。

 これが当たり前だと思っていた。いや、思い込んでいた。

 魔法を作ったのは私じゃないか。

 思い出せ……魔法に何を願ったかを──


「手をかざす必要は無い……?」


 そんな制限は設けていない。

 魔方陣はあくまで魔法を発現させる土台となるものだ。

 リタが私の感覚を寸分違わず再現した結果があれなのだとしたら、それは私が無意識に行っていた別の行程が存在することを意味する。

 魔法を行使するにあたって呪文よりも先に行う事。私はそれを見落としていた。


「成る程、今更こんな事に気付くなんて創造主が聞いて呆れますね……」


 だが、この気付きは新たな気付きに連鎖する。


「いや、まてよ……そんなまさか……それなら魔法とは……」


「師匠、どうしました? さっきから怖い顔してますけど……」


 ひとしきりはしゃぎ終わったリタが私を見つめていた。


「リタ……ありがとうございます」


「え? 何がです?」


「リタが見せてくれたのはまさしく魔法の可能性ですよ」


 リタはその言葉に首を傾げるだけだった。

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