第22話 マキナ

「さて、呼び出して済まないが早速要件を話そうと思う」


「はあ……」


 宿屋のベッドとは比べものにならないくらい柔らかいソファに腰掛けながら、私は状況が飲み込めずに曖昧な返事をする。

 目の前の立派な机、その先でこれまた豪華な椅子に腰掛ける人物は私を見つめている。


 ここは魔法師協会本部、その施設内の個室である。

 個室という表現は不適切なのだと思う、付け加えるなら協会の最高責任者……その人物の執務室だ。


「ああ、先ずは自己紹介が先だったな、先ほども言ったが私の名なマキナ……マキナ・ハーベスト。この魔法師協会を統括する責任者だ。マキナで構わんよ」


 栗色の緩やかなウェーブを描く髪、整った顔立ち、美女……という言葉がしっくりくる。そんな女性だ。

 齢まだ二十代後半……といったところか。

 それにどことなく面影が誰かに似ている……


「しかし、ハーベストというと……まさか……」


 そう、彼女はどこか……リタに似ている。


「察しが良いな……そうだ、君と一緒に試験を受けたリタ・ハーベストは私の娘だよ」


「やはりそうでしたか……どことなく似ている気がしました。目元でしょうか?」


「そうかい? それは嬉しいねえ」


 口元は嬉しそうだ、しかし彼女はその言葉と裏腹に一瞬悲しげな目をした。

 親子という事実には正直私も驚いた。

 実技試験で私が実演した"魔法講習"……マキナは即座に現れた。

 しかしリタは彼女と対面しても何の反応も示さなかったのだ。

 親子である事実を知った今では、あの時の反応はあまりにも不自然で、余所余所しくて、まるで赤の他人であるように思えた。


「……何か事情があるのでしょうし、これ以上は聞かない事にします」


「いや、話したい事の一つは彼女についてなんだ」


「……わかりました。それで要件というのは何でしょうか」


「そうだね、娘の話をする前に、先ずは君の事について話そう」


「私ですか……」


「君の放った魔法、ここから見ていたよ」


 彼女の背後にある大きな窓からは実技試験会場が一望できる。

 あれだけ派手な実演をしてみせたのだ、仕方ないだろう。


「君は魔法について"どこまで"知ってる?」


「……魔法とは精霊と人間の契約、その結果もたらされる力の発現……でしょうか」


「違うな」


「……っ!」


 この人は──


「私が聞きたいのはそんな事じゃない。本当の事が聞きたいんだ」


「……成る程、あなたも知っているようですね」


「……」


 マキナは沈黙で応える。


「わかりました」


 観念した、という意味を込めて一言置いて私は言葉を続ける。


「私は……魔法の"全て"を知っています」


「……続けてくれ」


「魔法とはこの地上に溢れるマナを術者の呪文によって別の事象へ変換する技術……マナとはこの星、この大地の底で今でも繰り広げられる地殻変動がもたらす膨大なエネルギーを"見えざる力"によって変換された一種のエネルギーの事を指します」


「……見えざる力とは?」


「神の創りあげた仕組み……と言えば伝わるでしょうか」


「ふむ……では何故神はそのような仕組みを……いや、魔法そのものを創造されたのか」


「それは……」


 言葉にしてしまえば陳腐なモノに成り下がってしまう。

 大層な理由など無いのだ、この仕組みを作った理由は──


「カッコいいから……ですかね」


「……は?」


「神は魔法に憧れを抱いていたんだと思います。既に創る事は決定事項であり、仕組みなんてのは何でもよかったんだと思います」


「……ふふ……」


「あの、マキナさん……?」


「……クク……はは……あははは!」


 彼女は最初こそ真剣な表情で聞き入って居たが、堪えきれなかったとばかりに大声で笑い出した。


「何も笑う事ないでしょう……」


「あはは……ああ……すまない、突然そんな事言い出すものだからな。許してくれ」


「いえ、まあ、笑いたい気持ちはわかります。私も笑いたい気分です」


 訂正、恥ずかしくて少し泣きたい。


「では続けての質問だが、何故君は神を知っている?」


「今の言葉が本当であると信じているのですか?」


「おや、今のは冗談なのかい?」


 マキナは意地悪っぽく目を細めながらにやりと笑う。

 その表情はとても愉快と言わんばかりだ。


「事実……という事にしておいてください」


「何だか曖昧な回答だな……まあいい、私には解るよ。君が嘘を言ってない事くらい」


「それは……」


「試すような事をしてすまない、私には見えるんだよ……人の思考がね」


「……っ!」


 まさか──


「その神様というのは……君だろ?」


 まさか人間にこんなことが出来るのか?

 ハッタリか? いや、でもそんなことをする理由が思い浮かばない。

 この人、本当に……


「その沈黙は答えを言ってるようなものだぞ」


「……興味深いですね」


 その力が本物だとして、何故私にそれが通用するのか……

 リタもそうだったように、彼女らは魔法ではない何か別の力を持つというのか?

 ただの人間にそこまでの能力があるのか? そんな存在を創った覚えは無い。


「どうやら君は魔法を無効化する術を持っているようだね? そう、これは魔法ではない。私も未だに分からない未知の力だよ」


 マキナはすぐ元の表情に戻る。


「まるで想定外の事態とも言いたげな顔だね」


「私の知る限りそのような能力を人類に与えた覚えはないもので……」


「そうか……」


 マキナはそう言うとまた悲しい表情を見せた。


「私はね、この力のおかげで苦労したんだ、そうさね……神を恨んだことすらあったよ。しかしその神に身に覚えがないと言われちゃこの矛先は誰に向ければ良いんだろうね……」


「……」


「思考を覗くことができるって一見素晴らしい能力だと思わないか? 恐らくこの事を他の誰かが聞けば羨ましがられるだろうね」


「確かに仰る通り……かもしれませんね、しかし……」


 きっと彼女はその力を制御できないのだろう。


「そう、君の思っている通りだよ……制御不能でね……見えるんだよ、常に……」


 常に見えるということは、見たくも無いモノも全て見せられるということだ。

 人は誰しも黒い感情を持つものだ。

 それが例え家族であっても……


「ふふ……理解が早くて助かるよ」


「何故、リタから離れたんですか?」


「……」


 聞いてはいけない気がした。しかし口に出してしまったものは戻す事は出来ない。


「君になら話してもいいか……そろそろ娘の話に移ろう。あの子は私を憎んでいる」


「それはどういう──」


「あの子の父親は私が殺したんだ」


「な!」


 つい声が出てしまう。

 リタの父親、つまり自分の夫を……


「何故……自らの夫を手に掛けたんですか?」


「さっきも言っただろう、人の思考が見えるって……そう、人は誰しも心のどこかに闇を抱えている……夫は……あの人はね……リタを恐れていたんだ」


「恐れ?」


「君も聞いたんじゃないか? リタは普通じゃない……私と同じく特別な目を持っている」


 リタがあの時言った言葉を思い出していた。


『実は私、幼い頃から人には見えない何かが見えたり感じたりできるんです』


 それと同時に宿で彼女の見せた真剣な目を思い出していた。

 彼女が冒険者になった理由──

 魔法師として力を欲する理由──

 それは……まさか……


「あの人は臆病だった。常に心配ばかりしていたし度胸もなかった」


 昔を懐かしむように、愛しい人を想うような表情で言葉を続けるマキナを見て、私はただ静かに耳を傾ける。


「惚れた弱みってやつかね、なんであんな人と結婚したんだか……あの人はやってはいけない事を実行するか否か悩んでいる事が多かった。まあそれは誰しもそうだ、暗い感情なんて珍しくない。しかしその度リタはあの人を無表情に見つめるんだよ……夫はリタに何か特別な力があることを薄々感じていたんだろうね、ある日疑念は確信に変わり、恐れは殺意に変化した」


「……」


「あれはリタが寝入った夜の事だった。あの人はとうとう実行に移そうとしたんだ……私は必死にそれを止めた、しかしその時あの人に気付かれたんだ。『お前もか』って……今でもよく覚えている。忘れる事なんてできないさ」


「それで夫を……」


「あの人の頭の中は恐怖と殺意でいっぱいだった、このままでは私も娘も殺されると思った……無我夢中だったさ。頭の中は真っ白になったよ」


「……」


「私はいつの間にか包丁を手にしていた。その時の事は覚えちゃいないが何度も刺したんだろう、気付けば私の顔も体も返り血で染まっていてね……リタに見られてしまった」


 娘を守る為自らの夫を殺す……一体どれほど辛い事だろう。

 そんな計り知れない気持ちを知る術は今の私には無い。


「あの子が私を見て何も感じてないと思っただろ? あの子は忘れているんだ……私が母であるということを。リタにとっての母親はあの夜父親と共に殺人鬼に殺されたんだ」


 ショックによる一種の記憶喪失というわけか。

 彼女は信じたくない現実の一部を都合良く改変して、心の奥底に真実を閉じ込めてしまったのだろう。

 ならリタがマキナを見て何も感じない事は理解できる。


「リタは力を欲しています。その理由は恐らく……」


 そう、恐らく彼女が力を欲する理由、それは復讐だ。


「復讐……か」


 悲しい目をしながら微笑むマキナはそう一言呟くと無言になる。


「マキナさん、あなたは娘に誤解されたままで良いんですか? 忘れ去られたままで良いんですか?」


「……今更どんな顔して会えばいいのか分からないんだ」


「そんなの、親なら側に居るだけで十分ですよ」


「私には母親としてあの子の側に居る資格が無いんだよ……血に汚れた手ではリタを抱きしめる事すらできない」


「それでも……ッ!」


 つい語気が強くなる。

 しかし何て声を掛けていいのか分からなかった。


「……そうかもしれないな……」


「……マキナさん、何故この話を私に?」


「……何でだろうな……敢えて言うなら、君が神だから……かな」


「……」


 重い空気が漂い、お互い沈黙したまま時間だけが経過していた。

 その静寂を最初に破ったのはマキナだ。


「本当はこんな話をする予定は無かったんだ」


「というと?」


「娘が魔法師を目指していることは知っていた。だが、まさか可愛い娘が男連れでやってくるとは思ってもみなかったものでね、君を呼んだ当初の目的は悪い虫なら今のうちに"排除"しておかなければと思ったんだよ」


 そう言うマキナは笑っているように見えるがそれは口元だけで、目はその逆だった。


「は、ははは……」


「しかし君と話して考えが変わった。君には悪意が欠片も見えない。それに正直だ」


「……」


「だが善意も無い」


 彼女は私の目を真っ直ぐ見つめながら何かを見抜くような目で言い放つ。


「君はただ己の目的の為に進んでいるだけなのだろう、表面上は善人を演じているがその内にはまだどこかで神であるという傲りにも似た感情が見える」


「傲り……ですか」


「別にそれが悪いと言ってるわけじゃないさ。君の言動には迷いが見えない……それは何事にも左右されない真っ直ぐな芯を持っているということだ。善人と呼ばれる奴等は人情なんてモノにほだされやすいからね。だから……だからこそ君が良いんだ」


「?」


 最後の言葉だけがやけに引っかかる。一体彼女は何を伝えたいのだろう?


「ヤマダ……頼みがある」


「頼みとは?」


「娘を、君の手で最強の魔法師にしてやってくれないか?」


 そして彼女はこう付け足した。


「そしてあの子の復讐に……手を貸してくれ……頼む……」


 その声は微かに震えていた。

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