第16話 新たな出逢い

 船旅はお世辞にも快適と呼べるものではなかった。

 私は過去一度も船と呼ばれる乗り物に乗った事がなかった為、初日は酷い船酔いに襲われたのを覚えている。

 対するイブキはというと、彼女も船は初めてだったようで上機嫌で乗り込んだものの、私同様船酔いはしたみたいで二人揃って出航前に食べたものを大海原に吐き出したのだ。

 お互い最悪な初日となったが、やはり人間何日も過ごせば慣れるもので今では陸地に居た時同様の体調で旅を楽しむまでになっていた。


「……」


 まだ皆寝静まっている頃、いつものように早く目覚めた私は甲板に足を運ぶ。


「……少し寒いですね」


 甲板に出るなり吹き付ける風の冷たさにに身震いする。

 まだ遠いが着実に冬が近づきつつあるようだ。そんな風の冷たさに両腕を抱きながら船の後方へ歩きだす。

 夜の海は静かだ、聞こえてくるのは波が船にぶつかる音だけで他には何も聞こえてこない。

 甲板の各所に掛けられたランタンの光を頼りに船の後方までやってきた私は、身を乗り出すようにもたれかかり、漆黒の空間を眺めていた。


「……」


 相変わらず聞こえてくるのは波の音だけ、頭上に輝く星の瞬き眺めながらこれまでの事を振り返っていた。

 冒険者になってまだ三ヶ月と半月あまり……三ヶ月はベッドの上だった事を考えるとひと月も経っていないというのに、本当に色々な出来事があった。


 ギルドに加入して初の討伐依頼──

 そこで初のパーティーを組んだ仲間達、そして別れ──

 唯一の生き残りであるエステルとコンビを結成した事──

 イブキとの出会い、そして──


「魔族……か」


 人間族と相反する存在としてこの手で生み出した、人間を善とするなら彼ら魔族は悪……

 お互いがお互いを憎むよう潜在意識に植え付け、操作した。

 だからこうして人間族と魔族は今でもどこかで争いを続けている。


「本当に……それでよかったのでしょうか」


 分からない……

 全くもって身勝手な話だが、かつてそれを望んだ本人が今では後悔に似た感情に苛まれているのだ。

 しかし彼らはこの事に疑問を感じる事は無いだろう、生まれ持ってお互いを嫌悪し、憎み、殺し合う……それを使命としているのだから……

 争うということはつまりお互いの命を奪い合うということだ。

 絶えず戦争を繰り返すこの混沌とした世界……生きるうえで争いというのは本当に必用なのか?


「争いの無い世界……」


 何を今更……

 

「浅はか……だったのでしょうね……」


 そう、これは自分の犯した過ちだ。

 ファンタジーの世界に憧れ、押さえつけられていた負の感情のままに創りあげた混沌の世界だ。


「ですが……」


 彼らは共通の敵を持つ事により団結している。

 だからこそ守られている秩序というものがある。

 結果的にはバランスがとれているのかもしれない。

 同じ種族同士で争う事の無い世界。


「言い訳ですね……」


 そう、ただの言い訳だ。

 自分のやったことに対する肯定的な考えに過ぎない。


「私に何が出来るのでしょうか」


 分からない。

 しかし、西の大陸へ行けば何かが掴める気がする。

 新しい見識を広げる事ができる気がする。

 漠然としているが……等身大の……一人の冒険者として何か……


「何か……見つかるといいのですが」


「主様、こんな所に居たんですね」


 背後から掛かる聞き慣れた声にゆっくりと振り向く。


「おはようございますイブキ。早いですね」


「主様こそ、ずいぶん早起きですね」


 起き抜けでまだ瞼が重いのだろう、時折目を擦る仕草の彼女を見つめる。

 こうして見るとどこにでもいる幼い少女だ。

 ただ、身体能力に関してはその容姿から想像もつかない程彼女は強い。大人の冒険者でも彼女には到底敵わないだろう。

 小柄で細い身体をもってして異常ともいえる脚力。そこから繰り出される高速戦闘、そして人並み外れた気配察知の能力。

 生まれ持った才能にしては出来過ぎてる程、彼女は戦闘において長けた才能を多く持っている。

 しかし、こうして戦闘の無い空間においては年相応にはしゃいで笑い、自分の感情を素直に表現する女の子なのだ。


「主様? イブキの顔に何かついてるですか?」


「いえ、何でもないです」


 つい口元が緩んでしまったようだ。

 首を傾げながら覗き込むようにするイブキの視線から顔を逸らし、ごまかすように海原へと振り返る。


「そろそろですね」


「何がです?」


「まあ、見ていれば分かりますよ」


 黒一色の大海原、水平線すら分からなかった空間に変化が訪れる。

 淡い青みがかった光と共に水平線が姿を現し、その光は徐々に闇を浸食していく。

 頭上の星々は光のベールに隠れ、水平線の向こうからひときわ大きな光と共に太陽が姿を現す。

 朝の訪れを知らせる日の出は、何度見ても美しいと思えた。

 これが私の毎日の楽しみだ。 


「わあ……大陸に居た時と違ってお日様がハッキリ見えるです」


 彼女にとってもこの光景は何か感じるものがあったらしい。


「今日も良い天気になりそうですね」


「そういえばそろそろ大陸に到着する頃でしたっけ?」


「確かその筈です。もう陸地が見えても良い頃ですね……っと、イブキ、噂をすればなんとやらですよ」


「?」


 船の進むその先、水平線に沿うように現れたそれを指差す。


「西の大陸です」



◇◆◇



 着港した船を降り、数日ぶりの大地を踏みしめながら大きく深呼吸する。

 船に揺られる感覚に慣れたからか、陸地にあがると身体が妙にフラつく。

 イブキもその感覚を面白がるように大げさに揺れていた。


「やっぱり陸地が安心しますね」


「もうお腹ペコペコです……早くご馳走食べにいくです、主様」


 お腹を押さえ空腹を訴えてくるイブキ。

 ギルドに報告する必用があるのだが、まあそれは後でもいいだろうと考え食事の優先度を高く設定した。

 空腹を感じているのは私も同様で、特に否定する要素もないと考え「ええ」と一言置いて歩きだした。


「では、港料理を今度はちゃんと胃に入れましょうか」


 出航初日の出来事をネタに冗談交じりに言うと、イブキもそれを思い出したのか照れ笑いで応えた。


 酒場はすぐ見つかった。

 看板が見えてきたところで、店前に立つ人物が目に留まる。

 纏ったローブでその容姿は確認できないが、その人物は建物の入り口付近でウロウロしてはしきりに店の中を覗き込み、そのたびため息をついて入り口を離れる。

 離れたかと思うと引き返し、また同じ事を繰り返していた。


「むむむ……見るからに怪しい奴です」


「何をしてるんでしょう?」


 しばらくその人物を観察していようとも考えたのだが、いつまで経っても酒場の入り口から動こうとしない様子だったので私は声を掛ける。


「あの、すみません」


「は、はい!」


 突然声を掛けられ驚いたのか、声を裏返しながらびくりと直立するその人物は、声から察するに女性のようだ。


「そこに立たれると中へ入れないのですが……」


「あ、ご、ごめんなさい!」


 自分の置かれている状況を理解したようで、彼女は慌ただしく私の脇を通り過ぎる。

 その時だった。


 グゥ……


 何だ? これは……腹の音?


「あ……」


 ローブ姿の女性は一瞬そう漏らすと、身をよじりそのまま地面に突っ伏してしまう。


「だ、大丈夫ですか?」


「ご……」


「なんですか?」


「ごはん……御飯が食べたい……ですぅ……」



 ◇◆◇



「ご馳走様でした!」


「いい食べっぷりですね、見ていて気持ちが良いです」


 イブキに負けず劣らずの食べっぷりに関心する。

 店の前で行き倒れそうになっていた彼女を私達は放って置くことが出来ず、こうして店に連れてきて一緒に食事をとることにしたのだ。


「助かりましたぁ、危うく死んでしまうところでした……何とお礼をすればいいのか……」


「いえいえ、困ったときはお互い様ですよ、気になさらないでください」


 彼女を放っておけなかった理由の一つとしては、以前自分も同じ境遇にあったのを思い出したからだ。

 あの時私に"特技"が無ければきっと同じような事になっていただろう。

 彼女は自分のありえた未来のように見えてしまい、つい情が移ってしまったのだ。


「あ、ご挨拶が遅れました、私はリタって言います。改めてお礼をさせてください、今回は危ないところを助けてもらって……本当にありがとうございました!」


 勢いよく頭を下げる彼女、それに合わせて栗色の短い髪がふわりと揺れた。


「リタさんですね、私はヤマダと申します。それとこちらで食事中の彼女は──」


 まだお食事中で煮魚にしゃぶりついてるイブキは私の視線に気付いたようで、顔を上げる。


「あ、イブキです、よろしくです」


 イブキは素っ気なくそう言うと再び食事を再開する。

 とことん自分の興味の無いものには無関心のようで、今は食事にご執着の様子だ。


「ヤマダさんに、イブキさんですね、覚えました。お二人は命の恩人です。私に出来ることがあれば何でも言ってください。私こう見えて"魔法師"なんです」


「ほう、リタさんも魔法が使えるんですね」


 魔法師という言葉には覚えがなかったが、どうやらこの世界で魔法を扱う人間の事をそう呼ぶようだ。

 サルラスでは魔族を除き魔法を扱える人間が皆無であった為、つい感動してしまい口を開いた。


「え? "も"……ということはヤマダさんも魔法師ですか?」


「ええ、まあ……私は東の国から参りました。そこでは魔法を扱う人が居なかったものですから、魔法について学びたいと考えてこの大陸へ来たんです」


「そうだったんですか……でも変ですね? 聞く限りですとヤマダさんは特に誰か師が居るわけでは無いのに魔法が扱えるんですか?」


 不思議そうな表情を浮かべるリタ。


「そうですね、私の場合少々特殊なケースのようです……その、質問なのですがリタさんの言う"師"が居ないと本来魔法は使えないものなんですか?」


「それはそうですよ。魔法っていうのは呪文を知っていても基礎理論をしっかり学んでいないと発現しないものですよ? 本来なら魔法師の誰もが特定の"師"の元、基礎理論を教え込まれてやっと魔法が出せるようになるんです。ヤマダさんはそれを独学で達成されたということですか?」


 呪文はただの言葉に過ぎない。マナを魔法へ変換する為のプロセスで呪文は確かに必用だが、その本来の目的は"イメージの具現化"なのだ。

 魔法とは大地に溢れるマナを別の事象へと変換する手段である。

 しかし大地を巡るマナは別次元の存在──ラジオで例えるなら周波数の違う電波のようなものだ。

 その為本来人の目には見えず、当然触れることも叶わない。

 マナへ干渉するには正しくその存在を理解し、意識のチャンネルをマナの存在する次元と合わせる必用があるのだ。


 リタの言う基礎理論とは、恐らくマナへ干渉する為の術の事を言っているのだろう。

 ただやっかいなのは、例えマナに干渉する事ができても頭の中で魔法の発現に対してイメージするだけでは足りないという点である。

 魔法のイメージとは例えるなら設計図──言い換えれば発現させたい事象の骨組みである。

 確かにイメージするということは魔法を発現する為に必用不可欠なのだが、それだけでは足りないのだ。


 そこで呪文、つまり"イメージの具現化"だ。

 呪文は"設計図"を"完成品"へと至らせる為の組み立て作業に近い。

 組み立てる為のエネルギーとして、術者は己の精神力を代償として支払う必用がある。


 呪文というプロセスを経て、精神力という対価を支払うことでやっとこの世界に事象改変をもたらし"魔法"という形で発現する。

 私が魔法を呪文無しで発現できるのはこの"イメージの具現化"をイメージだけで実現できているからである。

 そもそも魔法をこの世にもたらしたのは私だ。マナという存在への干渉は苦も無く実現できてしまう。

 しかし、私の場合そのマナへの干渉力が強すぎるせいかイメージだけでは膨大なマナを事象改変させてしまうのだ──つまり暴走だ。


 この大陸に来た理由はその強すぎる力を制御する技術を学びに来たのだ。

 人の編み出した"呪文"という技術を──


「ええ、独学……と捉えてもらって構いません。ですが学のない私はまともに魔法を扱うことが出来ないんです……この大陸に来た理由はその技術を学ぶ為です」


「そうだったんですか……では、お二人はこれから王都へ?」


「そうですね、先ずはこの街にあるギルドに顔を出して移転手続きを済ませてから向かおうと思っています」


 ギルドは国は違えど一つの組織だ、しかし、王国が管理する上で、今この地で活動する冒険者は誰なのかを把握する必用があるようだ。そのため東の国からやってきた私達がこの大陸で活動するには移転の手続きを踏まなければならないのだ。


「ギルド……お二人は冒険者なのですか?」


 リタの表情が真剣なものに変わる。


「そうですが……」


 そう言った瞬間、彼女の表情はぱあっと明るくなり、目を輝かせながら身を乗り出してきた。


「実は私も冒険者なんです!」


 その勢いに気圧され私は再び身体を後ろに反らし、彼女を宥める。


「お、落ち着いてリタさん……」


「あ、つ、つい……すみません……同じ魔法師で同じ冒険者の方に会ったものですからつい嬉しくなってしまって……」


 再び顔を赤く染め萎縮する彼女は、細々とした声でそう言った。


「リタさんも冒険者だったんですね」


「はい……といっても今日ギルドに入りたての新米ですが」


 そう言いながらえへへと笑う彼女は、冒険者としての初々しさが表情に出ていた。

 リタがどのような目的で冒険者になったのかは知らないが、恐らく彼女は知らないのだろう……冒険という誰の手も借りることができない過酷な試練を。


「それにしても奇遇ですね、私も王都へ行こうと考えていたんです。あの……もしご迷惑でなければ私もご一緒させてもらえませんか?」


 もじもじと身体を捻りながら彼女は上目遣いにこちらを見つめてきた。


「そうですね……イブキはどう思います?」


 一通り食事を終えて満足そうな顔のイブキに話を振ることにした。

 彼女は私とリタを交互に見てしばらく考え込み、しばらくしてやっと口を開いた──


「むぅ……主様の側に女が寄り付くのは不満です。でも主様がそうしたいと言うならイブキは従うです」


 明らかに不満の表情を向けながら肯定してくるイブキに苦笑いしながら、私は再びリタに視線を向ける。


「では、魔法の話も聞かせて貰いたいですし……お願いしますね、リタさん」

 

「こちらこそ宜しくお願いします!」


 目を輝かせながら今度はハッキリとした声で彼女はそう言った。

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