第二章 魔法大国
第15話 西の大陸へ
生前の記憶が確かなら、今は日本海のど真ん中。
船に揺られて何日目だろうか、見渡す限りの水平線に島の影はまだ見えない。
「今日も良い天気ですね」
「はいです」
本日も晴天なり。
微かに分布する雲を除き、抜けるような青空が広がるその海原の中心。波は穏やかで、心地よい風が頬を撫でる。
航海はいたって順調だった。
「このまま何事も無ければ明日には大陸へ到着ですね。港から馬車に乗れば、数刻程でエルシャナへ着く筈です」
魔法大国エルシャナ──
魔術を重んじるその国は、その名の通り魔法の研究が盛んであることで有名だ。
数多の魔法使いを排出している唯一の国でもある。
しかし、サルラスにおいて魔法使いとは珍しい存在だった。
冒険者は基本的に大陸間の移動は自由だ。
ギルドという枠組みの中ではあるものの、サルラスからエルシャナへ赴く冒険者も少なくない。
だが、逆にエルシャナ側からサルラスへ渡る冒険者は居るものの、その中に魔法使いは皆無なのである。
理由は未だ不明だが、王都へ行けばそれも遅かれ早かれ理解することになるだろう。
私は先の聖地防衛戦において自分の魔法使いとしての不甲斐なさ、そして力不足を痛感してしまった。
その結果出した答えがエルシャナへ行き魔法の知識を得るということである。
「お腹空きましたね、そろそろ食事にしましょうか、イブキ」
私は空を見上げ、太陽が丁度てっぺんに位置することに気付く。
どうりでお腹が空くわけだ。
「賛成です!」
私の半分程しかない小柄な身長の少女は元気よく応える。
ややオーバーリアクション気味に手を上げる仕草に、腰まで伸びる黒く長いポニーテールが揺れる。
その仕草は齢十を少し超えたであろうその幼さを十分感じさるものだった。
「さて、お昼は何を食べましょう、といっても選べる程持ってきてもいませんが……」
「お腹が空けば何でも美味しいですよ、主様」
イブキは相変わらず、私のことを主様と呼んでくれている。
忍びを自称する彼女なりの忠誠心というものなのだろう。
すっかりその呼び名に慣れてしまった私は、特に何を思うわけでもなく、食事の用意を始める。
中から出てきたのは干し肉と黒パンだ。
サルラスを発つ前に日持ちする食料を選んだ結果なのだが、干し肉は噛むのに苦労するし、黒パンも日が経っているので元々硬いのが更に硬く、そして酸味が強くなっていた。
しかし、この味と硬さにもすっかり慣れてしまった私は、さも当たり前のようにその二つを交互に噛み千切ってモシャモシャと食べ出す。
イブキも同様に、普段はその小ささからは想像できない程大きく開いた口で、私よりも早いペースでそれを食べていた。
「港に着いたら、もっといい食事がしたいですね」
「港といえば魚料理です! 出航前に食べたようなのがまた食べたいです」
「そうですね、あれは美味しかった……」
サルラスから北へ徒歩三日、馬車で一日という距離にある港街で、私達は旅立ち前の食事ということで豪華に港料理をたらふく食べた。
新鮮なとれたての、脂身が乗った味が今でもまだ思い出せるようだった。
「では、港についたらまた豪華な食事にしましょう」
「主様、それは名案です! イブキもお供するです!」
そんな会話をしながら、食事が一段落すると私は立ち上がり海原を眺める。
やはり、陸地はまだ見えないようだ。
特にやることが無く暇を持て余している矢先、船員達が慌ただしく何かを叫んでいるのに気付いた。
「何やら騒がしいですね、何でしょう?」
「行ってみるですか?」
「ええ、そうしましょう」
何か暇つぶしのネタにでもなればという期待感だったのだが、すっかり野次馬となった私達は船員達が居る場所まで近寄った。
「なんてこった……」
「どうしたんですか?」
「クラーケンだ、ほらあそこ、水面に頭が出てる。不味いぞ、こっちへ近づいてくるようだ」
クラーケンとは簡単に言ってしまえば海に住む巨大なイカである。
その大きさはこの船よりも遙かに大きいのだろう、水面から覗かせた一部、そして水中に見える巨大な影からも、その巨大さが容易に想像できた。
「もうおしまいだ……」「なんでこんな日に限って」「神様! お助けを……」
絶望に満ちた声が各所から聞こえてくる。
しかし、私は別の事を考えていた。
クラーケンって、美味しいのかな?
悲しきかな、日本人的発想だった。
海の生物を見ると真っ先に思い浮かぶのが『食べたらどんな味がするのだろう』である。
「イブキ──」
「主様、流石にアレは食えないと思うです」
「まだ何も言ってませんよ……」
「ヨダレ、垂れてるですよ」
そこそこ食の好みについてはお互い知る仲となっていたイブキは、私が何を考えているのかお見通しのようだ。
そう考えてる間に、巨大な黒い影は船との距離を縮めてくる。
思考を一旦"食"から切り離し、私は目の前のクラーケンに意識を向ける。
両腕を目の前の目標に向け静かに念じる。
こちらへ飛べ──
意識の乗っ取りだ、まだモンスターにこれを試した事が無かったので、通用するか不安はあったのだが、何せまだ余裕があった。
海に浮かぶ巨大な黒い影は急にスピードを速め、船へ接近する。
そして頭を水中に沈めたかと思うと激しい水しぶきと共に飛び上がった。
船を飛び越す形で大きく跳ねたそれは、我々の前にその巨大さを見せつけるようにも見えた。
大きく縦に長い頭、そしてサイクロプスよりも大きい二つの眼球がこちらを睨みつけ、その下には太くて長い多数の足。
巨大なイカそのものだった。
すぐさま、次の行動に移る。今度は魔法だ。
私は意識を飛び上がったクラーケンに集中し、対象への事象改変を意識する。
対象はその巨躯全体──
発現する事象は──
「千切れろ──」
飛び越すかと思った巨大なイカは、船の頂上で細切れになる。
無数の肉片と共に、黒い液体が雨の様に甲板上に降り注いだ。
「な──」
二人を除き、甲板にいる誰もが息をのんだ。
それもそうだ、突然飛び上がったかと思った巨大な生物が今度は細切れにされたのだ。
肉片の大部分は海に散らばり、一部は船の上にも落ちてきた。
その衝撃で船が大きく揺れる。
「お、俺たちは助かったのか……?」
「奇跡だ!」
「神が……! 神が我々をお助けになったぞ!」
思い思いに無事を喜ぶ船員達。
その声を聞き流すように私は目の前の肉片を眺める。
「イブキ、やはり──」
「流石に食えないと思うです」
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