第10話 イブキ
酒場に到着する頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
街には明かりが灯り、昼までの喧噪は嘘のように静まりかえり、人通りも今ではまばらで、まるで別の場所に来てしまったかのような錯覚を覚える。
酒場に入ると、こちらは多くの客で賑わい、怒声と歓声が飛び交っていた。
「あ、主様ぁ!」
大の男達に紛れるように、手を上げた小柄な少女を見つける。
ポニーテールで纏めても尚、腰まで伸びる黒い髪を揺らしながイブキはこちらへ駆け寄ってきた。
「イブキ、久々の家はどうでしたか?」
「はい、皆元気でした。稼いだお金もたんまり持っていったので喜んでくれたです!」
「そうですか、それはよかったですね」
「へえ、オチビちゃん、実家にお金送ってるんだ……偉いのね。見直したわ」
「ふふん、もっと褒めるですよ雌豚、イブキは偉いです!」
その言葉に威張るイブキ、エステルの視線は関心から呆れへと変わった。
「……前言撤回ね」
相変わらず仲が良いのか悪いのか分からない会話を繰り広げる二人。
イブキもエステルに対して口は悪いが、それでも命を救った一人として認めている部分もあるのだろう、エステルがオチビちゃんと呼ぶ事への抵抗はそこまで無いようだ。
私達は食事をとりながら、明日の予定について話し合うことにした。
「エステル、ここから聖地はどれくらい掛かるんですか?」
「馬車を使えばすぐだけど、歩きだと半日ってとこかしら」
徒歩だと早朝に出発しても間に合うかどうか怪しいところだ、やはりここは馬車を使うべきだと判断する。
「では、明日の移動は馬車を使いましょう。その前に準備もしっかりしておかなければいけませんね」
「そうね、あのランスって団長の言葉だと、夕刻には現地で作戦内容を知らせるって話だったし。のんびりと行く訳にもいかないでしょうね」
「はい、今日は早めに宿を探して寝るとしますか」
「あ、それなんですが、イブキに考えがあるです」
突然イブキが手を上げる。
彼女に何か案があるのだろうか、私はイブキに注目し次の言葉を促す。
「なんでしょう?」
「お二人をイブキの"家"にご招待するです」
イブキの家というのは勿論孤児院の事だ。
「それは、泊めて頂くのは有り難い話ですが、本当に良いんですか?」
「はいです、シスターにも話はしてあるです」
「シスター?」
エステルが疑問を口にする。
それもそうだろう、彼女にはイブキの育った環境の事は一切話していないのだから。
「ああ、言ってませんでしたね」
「イブキの家は孤児院ですよ。寝床くらいなら用意できるです」
その言葉にエステルは一瞬顔を曇らせる。
「そうだったの……」
エステルにとっては裕福な生活が当たり前だったのだ、それに先ほど親との縁を切るような発言までして出て行ったばかりだ。
孤児院という、裕福とは言い難い環境で育ち、それを大切に想うイブキに対して、自分には無いモノへの、もしかするとそれは憧れだったのかもしれない。
「じゃあ、早速行くです」
食事を終え酒場を出ると、再び静寂がやってくる。
誰も居ない大通りをイブキの先導で歩き、あるところで脇道へと入っていく。
そこは、今までの通りとは別次元のような、この王都にありながら、幸せとはかけ離れたような風景が広がっていた。
「ここは……」
「……貧民街よ……」
富める者が居れば、その反対もあるのだ。
辺りに人の気配は無いが、塀一面の落書きや、所々崩れかけているが洗濯物が干されている家があったり、生活の臭いは感じ取ることができる。
大通りで見てきた物全てが嘘偽りのハリボテであったかのように、その裏には全く違った世界が広がっていた。
「家はすぐそこです!」
まるで家に友達を招き入れるかのようにはしゃぐ彼女の姿に、エステルはどう思ったのだろうか。
無言で歩き続ける私達は、気付けば目的地へと足を踏み入れていた。
「ここが孤児院ですか」
「はいです。イブキの育った家です!」
孤児院は、エステルの豪邸に比べれば些細な広さしかないものの、その建物は十分に大きい。
だがかなり古いのだろう、所々老朽化の為かヒビが入っていたり、ペンキの塗装が剥がれた箇所がいくつもあった。
「待ってるです。今シスターを呼んでくるです」
彼女はそう言い残し、扉を勢いよく開け中へ入っていく。
暫くすると扉が開き、中からはイブキではなく別の、一人の女性が顔を出した。
歳はまだ若いのだろう、二十代後半から三十路の間くらいだろうか、金色に輝く長い髪をしたその女性は私達を見るや、嬉しそうな顔をする。
「あらあら、ようこそいらっしゃいました。イブキから話は聞いています。ヤマダさんに、エステルさんですよね?」
「初めまして。あなたがシスターですか?」
「はい、この孤児院を運営しています。マリエールと申します」
マリエールと名乗った女性は、笑みを絶やさず私達二人を見つめた。
「夜分遅くに申し訳ありません。ご迷惑ではなかったですか?」
「そんなことはありませんよ、ささ、外に立たせてしまっては申し訳ないです。うちは広いですから、どうか遠慮なさらずに入ってください」
「では、お言葉に甘えて……」
ドアを潜るとそこは大広間のようだった。
大人が五十人程寝ることができそうなスペース、その中央にイブキが子供達に囲まれていた。
「イブキねーちゃん、またお話聞かせて-」
「聞かせて聞かせて!」
「はいはい、分かったですよ、そうですねえ、オークの群れをイブキがやっつけた話にしますです」
「なにそれー!?」
「楽しみー!」
子供達はしきりにイブキに話しかけ、イブキもまんざらでもない様子でお話を聞かせているようだった。
子供の一人がこちらに気付き、口を開く。
「イブキねーちゃん、この人達はだーれ?」
「え? あ、来たですね。この人達はイブキの冒険仲間です。主様とめす……じゃなかった、ヤマダとエステルです」
流石に普段の呼び名で言う事は無いイブキは、訂正して子供達に私達を紹介してくれた。
「はじめまして、今日はここに泊まらせてもらいますね?」
「宜しくね、オチビちゃん達」
「わー剣だ! おねーちゃんはゆーしゃさまなの?」
「え? ゆーしゃ……勇者?」
「わーゆーしゃさまだ! ゆーしゃさまだ!」
「えーゆーだ-! えーゆーだー!」
興味の矛先はイブキからエステルへと変わり、今度はエステルが囲まれる番となった。
子供達は目を輝かせながらエステルの鎧や剣に興味津々の様子だ。
「ちょ、ちょっと待って、私は勇者でも英雄でもないわよ」
「えー、でも剣持ってるよ? ゆーしゃさまは剣持って悪い奴をやっつけるんでしょ?」
成る程、剣を持っている人は勇者か、恐らくイブキと同じく、絵本の世界ではエステルのような勇者が居るのだろう。
興味が絶えない様子でしきりに話しかけられ、当の本人はどうしていいのか分からないようで困った顔をしていた。
「はは、エステルはすっかり勇者様にされてしまいましたね」
「ちょっと、ヤマダも何笑ってるのよ」
困った表情のまま、こちらを見て訴えてくるエステル。
ゴブリンや魔族に臆する事なく立ち向かう彼女も、子供達の前ではお手上げのようだ。
「こらこら、エステルは勇者じゃないですよ、剣士って言うです」
すっかりお姉さん風を吹かせてたイブキが子供達に説明を始めた。
面倒見が良いのだろう、皆イブキの方を向くと、静かにそれを聞いていた。
「けんし? なにそれ? ゆーしゃとどう違うの?」
「それは……違うものは違うです。勇者は皆に憧れられる者の事を言うですよ」
「わかんない、でもエステルおねえちゃん、カッコいいよー!」
「あはは、ありがとう……」
苦笑いこそしたものの、まんざらでもなさそうなエステルはそれからもしばらくの間、子供達に質問攻めにあっていた。
その光景を眺めていると、マリエールが私に声を掛ける。
「イブキからお話を聞かせてもらいました。あの子の危機を助けてくれたと。どうか私からもお礼を言わせてください」
「いえ、当然の事をしたまでですよ。お礼なんて……」
「あの子はまだあんなに小さいのに、孤児院の為といって出て行ったきり戻ってこなくて。冒険者をしている事も今日初めて知ったんですよ」
「そうだったんですか」
「色んな冒険のお話を子供達に聞かせてくれました。勿論お二人のご活躍についても……まるで自分の事のように嬉しそうに話してたんです」
「……」
マリエールは、今度は目を細め辛そうな顔をして話しを続けた。
「そんな心優しい子供が命を懸けてまで孤児院の為にお金を稼いできたのが、正直悲しいと思いました」
それもそうだろう、まだ幼さい少女が、命を危険に晒しているのだ。
親代わりになって育てた彼女の気持ちは十分理解できた。
「その気持ちは……わかります。できることならイブキには子供らしい人生を歩んで欲しいと、私も考えてます」
こんな世界にした当の本人が何を言ってるのだろうと、自分を笑いたくなる。
「あの子達のほとんどは戦争で親を亡くしているんです」
戦争孤児、戦火に巻き込まれ、親を失った子供達の事だ。
イブキも記憶が無いと言っていたが、恐らく理由は同じなのだろう。
「イブキはあなたのことを慕っています。心から尊敬する主だと言ってました。どうかこれからもイブキの事を宜しくお願いしますね?」
「分かりました。イブキは私が守ってみせます。約束します」
「それを聞けてよかった。では、明日も早いのでしょう? 寝床は準備してありますので、今夜はゆっくりお休みになってください」
「ありがとうございます」
「さあさあ、今日はもう寝る時間ですよ、みんなお部屋に戻って」
「はーい」
「イブキねーちゃん、またお話聞かせてね!」
そう言って子供達はマリエールの言葉に素直に従い、広間の奥へと去って行った。
私達三人は、空いてる部屋のベッドを使わせて貰えることになった。
丁度三人分あるそのベッドに各自横になると、疲れていたのだろう、イブキはすぐ寝息を立て始める。
私は中々寝付けないで居た。
この世界を創造した頃に思っていた事と、現実に降りたって感じた事へのギャップに戸惑っていたのもある。
一見幸せそうに見える孤児院の子達も、きっと色んな制限を受けて育っているのだろう、辛い時期もあった筈だ。
争いは必用だ──
私は世界を作る時、そうルールを設けた。結果あの子達のような存在が生まれるのは必然だったのだ。
あの時の私はただ自分が満足すれば良いと思っていた。
私は傲慢だった──
自分さえ良ければ何でも良いと考えていた、世界の創造主なのだ、それは仕方の無い事だろう。
だが、その結果生まれる悲しみと苦しみに気付く事ができなかった。視野が狭かった。
私は、何てことを……
「ヤマダ、起きてる?」
エステルの声に、私の意識は現実に引き戻される。
「はい。起きてますよ……なんでしょう? エステル」
「私達が明日挑むクエスト、ヤマダは聖地防衛が本来の目的じゃないって言ってたわよね」
エステルやイブキには私の考えた事は大ざっぱにではあるが伝えてある。
このクエストの意味する事。それは──
「そうですね、恐らく本来の目的はこの王都防衛です」
「私、あの子達に英雄って呼ばれちゃった……」
エステルは弱々しくそう告げる。
「似合ってると思いますよ?」
「茶化さないでよ、でも、護る者が出来た……私は、あの子達みたいな、イブキみたいな子がこれ以上生まれない世界を作りたい……」
「立派な考えだと思います」
彼女も今回の事で、自分の目標を見つけたのだろう、次にくる言葉は検討がついていた。
「私、英雄になれるかな?」
「英雄はなろうとしてなるものではありません。その行い、その姿勢を皆が評価して初めて英雄になるんです。エステルならきっとなれますよ。今のエステルなら……」
彼女は強い。それに揺るがない信念を持っている。
きっとこの先も折れる事のない真っ直ぐと伸びた人生を歩んでいくことだろう。
私はそれを応援したいと思った。
「……なんかとりとめも無い話ね、ごめんね、おやすみ……」
「はい、おやすみなさい……」
そうして、私もいつしか眠りの海に沈んでいった。
◇◆◇
翌朝、テーブルを囲んでの食事。
マリエールや子供達と同じ食卓を囲み、目の前には朝食が用意された。
並べられたのは黒パンとシチューである。
「本当に良いんですか? 泊めてもらったばかりか朝食までご馳走して頂いて」
「いいんですよ、大した物は出す事ができませんでしたが、ささやかなお礼だと思って頂ければ」
まるで聖母のような微笑みを向けるマリエールに、私達はこれ以上言うのは失礼にあたると思い、朝食を有り難く頂くことにした。
「さあみんな、お食事の前に神様にお祈りしましょうね」
「はーい!」
両手を組み、目を瞑るマリエール。子供達もそれに習うように組み始める。
「神様、今日をいう日を迎えられた事に感謝します。どうか我々を見守っていてください」
「ください!」
「……っ!」
胸にこみ上げるものを感じる。これは、悲しみ?
「では、お食事にしましょう」
「いただきまーす!」
「……」
私は無言でそのパンをかじり、シチューを口にする。
そのパンはとても硬くて、シチューは味が薄い。
しかし、食べれば食べる程、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「主様?」
「ヤマダ? どうしたの? あなた、泣いて──」
「美味しい……美味しいですよイブキ、エステル……」
「あー! おにいちゃん泣いてるー!」
「なんでー? なんでー?」
「そんなに美味しかったのー?」
「ええ、美味しいですよ、とても……とても美味しいです」
元々酸味の強い黒パンは更に塩気が増した気がした。
それでも、私にとってはご馳走だった。
◇◆◇
孤児院を出た私達は、シスターと別れの挨拶を交わし、大通りへと向けて歩いていった。
「ヤマダ……本当に大丈夫?」
「ええ、見苦しい姿をお見せしてすみません。もう大丈夫ですから」
「そう? ならいいんだけど」
「主様、馬車が見えてきたですよ。あそこから乗っていけるです」
イブキが指さす先にいくつもの馬車が停まってるのが見えた。
馬車に乗れば間もなく着くのは戦場だ、絶対負けられない。
この街は、私が護るのだ。
「では、参りましょう、我々の戦場へ」
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