第8話 緊急クエスト

 早朝、まだ暗闇の支配する空の隅で、青みがかった空が徐々に世界を塗りつぶし始めようとしている頃。

 宿を後にした私達は、コツコツと足音を立てながら街を歩いていた。

 ひんやりと冷たい、澄んだ空気の漂う中をただ歩く。

 そして、盾模様に鎧甲冑の騎士が剣を持つ姿を象徴とした看板を掲げる建物ギルドの中へ入っていった。

 他の街からも冒険者がやってきたようで、建物の中は賑わいを見せていた。

 しかし様子がおかしい、ザワついているようだ。

 皆、クエストボードに注目しており、全く動く気配が無い。


「おはようございます。何かあったんですか?」


 私は窓口に佇むケイトに声を掛けた。

 彼女は麦色の髪を微かに揺らしながらこちらに顔を向ける。


「あ、ヤマダさん、おはようございます。実は緊急のクエストが発生しまして……」


「緊急、ですか?」


「はい、冒険者の方々に王都から招集命令が下されたんです」


 この世界に降り立った当初と比べ、ギルドという組織体についてはある程度把握できるようになっていた。

 ギルドはこの大陸だけでなく、他の大陸にも存在する大きな組織だ。

 しかし、その上にはギルドを管理運営する大きな存在がいるのだ。


 国である。


 冒険者は、各大陸を自由に往来することができ、行動に制限は無い。

 それは王国間で協定を結んでいるからだ。

 大陸に居る冒険者は、その大陸を治める国のわば所有物ということなる。

 国から発信される緊急クエストには強制力があり、これに従わない場合、冒険者としての資格を剥奪されてしまうのだ。

 しかし、緊急クエストは基本的に必須ランクというものが設定されており、特定ランク以上といった制限が設けられているケースがほとんどの為駆け出しの冒険者は参加を辞退することも可能だ。


「緊急、ですか。どういった内容で?」


「はい、王都にて管理している聖地の防衛だそうです」


「聖地というと?」


 初めて聞く単語に疑問を投げると、次に口を開いたのはケイトではなくエステルだった。


「ヤマダが知らないのも無理ないわね、聖地って言うのは王国が代々守っている"聖剣"が祀られている場所の事よ」


 聖剣? どこかで聞いた覚えのある響きだ……ああ、もしかしてあの聖剣か?


 神の加護を受けし者しか抜くことを許されない剣、それが聖剣だ。


 確かに、そんな代物を作った覚えがある。しかしその防衛とは穏やかじゃないな。


「防衛というのは、誰かから狙われているということですか?」


「はい、魔族の一団が聖地へ向けて侵攻を始めたという情報が入ったそうです。聖剣は抜くことが出来ませんので奪われる心配は無いと思いますが、破壊される可能性もありますので、冒険者の方々にはその防衛についてもらうという訳です」


 成る程、確かにあの剣は誰にも抜けない。抜きようが無い。


 抜くためには鍵が必用なのだ、神の加護という名の鍵が。


 しかし、破壊されるような心配も無い筈だ、あれはこの世の理で作られた剣ではないのだから。


「ですが、緊急クエストの参加必須はBランク以上となりますので、お三方の参加は任意ですが、どうします?」


 ケイトの言葉に耳を傾けつつも、私は思考を巡らせる。

 聖地防衛の理由は他にもある筈だ、恐らく隠されたもう一つの目的は、戦略的な意味での防衛なのだろう。

 私はエステルが地図に指し示してくれた場所を見ながら思考する。

 王都は生前の土地でいう神奈川のあたりに位置し、聖地はそこから北東の東京のあたりに存在する。

 聖地を中心に街道が北へ向けていくつも伸びており、その先にはまるで北の地から訪れる驚異に対して聖地を守るといわんばかりの配置で街が存在するのだ。

 恐らく防衛都市としての役割があるのだろう。各街には防衛の為の戦力がある筈だ。

 だが、それを突破され聖地を占領される事があれば、王都は目と鼻の先である。

 どのみち襲ってくる障害は排除しなければならないだろう。

 聖地は街道を除けば周囲を険しい山と谷で囲まれており、街道以外の移動手段が無い。

 防衛に適してる分、ここを奪われるということは戦略的に不利な立場になる。

 つまり、このクエストの真の目的は『聖地防衛』ではなく『王都防衛』なのだ。


「どうやら、私達もこれに参加するべきなのでしょうね。お二人はどう思います?」


「主様の行く場所にイブキ在りです。どこまでもお供しますです!」


「……」


「エステル?」


「え? え、ええ、私も賛成よ……」


 だが、顔色が優れない。どうしたのだろう。


 ああ、そうか、エステルは王都出身だったな、家出までして飛び出した故郷に再び行くのは彼女なりに悩ましい事なのだろう。


「エステル、無理しなくても良いんですよ?」


「ありがとう、でも、大丈夫、私は大丈夫だから」


「そうですか……では、決まりですね、ケイトさん、我々もこのクエストに参加します」


「ありがとうございます! では早速王都へ向けて出発してもらっていいですか? 移動は馬車を利用されると良いかと、この街からも王都行きの馬車は出てますので」


「わかりました。では、早速準備することにします。では二人とも行きましょうか」


 そう言ってギルドを後にすると、旅の支度の為雑貨を扱う店を転々としていた。


「野宿するにも、雨風凌げるテントが欲しいですね」


「そうね、でも、テントって支柱が嵩張るから常に持ち歩くのは不便よ?」


「そうなんですか?」


 つい生前の世界基準でテントなんて言ってしまったが、軽量化も携行性も技術の発展があってこそだ、この世界では木の棒を組み合わせたりするのだろう。


「風は凌げなくてもローブがあれば十分だし、雨さえ凌げればいいんじゃないかしら」


「つまり、タープというわけでですか」


「タープ?」


 タープとは屋根のみのテントのことだ、撥水性のある布を広げ、屋根として使う事で雨や日差しを防ぐ事が出来る。

 必用なのは布一枚だけなので携行に優れ、その反面横からの風に対しては何の効果も無い。


「ああ、何でもありません、面積のある大きな布でもあれば十分ってことですよね?」


「ええ、そういう事ね」


 旅の利便性を考えると雨風凌げるテントが良いのだが、エステルの言う様に、常に旅をし続けるのであれば携行性に優れるタープの方に軍配が上がる。


「では、雨を通さない素材の大きな布を買いましょう」


 生地を扱う店で、皮をつなぎ合わせた布を購入した。

 しかし、それは予想外に重く、そして嵩張り手持ちの革袋には収まりそうにも無かったので、あわせて大きめの背嚢はいのうも購入することにした。

 その後は食料の調達である。

 流石にあの"ギルド特性携行食"を食べる気になれなかった私とエステルは、日持ちする黒パンとチーズ、そして干し肉等を買う事にした。

 旅の支度が完了すると、馬車のある場所へと足を進める。


「おはようございます。王都行きの馬車はどれですか?」


「おはよう、冒険者さんかな? この馬車がそうさ、そろそろ出発だ、行くなら乗りな。一人あたり銀貨一枚だ」


 銀貨を三枚手渡し、早速馬車に乗り込む。

 私達が乗り込むとすぐに馬車は動きだし、シャクティンの街を抜けて東の街道へと出た。


「お客さん、お昼頃にはハイメルの街に着く、そこで一旦休憩だ。昼飯は街で済ませるといい。その後再度王都へ向けて出発になるが、ハイメルを出たら王都に着くまでどこにも立ち寄らないから宿泊と食料の準備はちゃんと済ませておきな」


「そうですか。わかりました」


 シャクティンで旅の準備は整えていたので、特に心配する必用はなさそうだ。

 が、昼食に関してはハイメルの酒場に寄ろうと考えた。

 馬車の中は座り心地の良い柔らかなテーブル椅子が用意されていたので、ガタゴトと揺れるが乗り心地は良かった。

 終始快適な行程で程なくしてハイメルの街が見えてくる。


「さあ、ハイメルだ。すぐには出発しないが、余りに遅いと置いていくからな、さっさと食事でも済ましてくるんだな」


「ありがとうございます。では、お昼は酒場でとることにしましょう」


「はいです!」


「賛成ね」


 馬車を降り、早速酒場へと向かった私達は、そこで食事をとった。


「はーいお待たせしましたー! 酒場名物鶏の丸焼きでーす!」


 金髪ポニーテールの店員が大きな皿に乗せた三人前のそれをテーブルに並べていく。

 朝何も食べていなかった為すっかりお腹を空かせていた私達は早速食べ始める。


「やっぱりこの店の鶏の丸焼きは最高ね」


 エステルはかじりつく事なくナイフとフォークを使いこなし、丁寧に食べていく。


 流石貴族のお嬢様だ。


「ええ、餌が良いのでしょうか、ふっくらとして柔らかい、それに焼き加減も文句なしです」


「うめえ、うめえです!」


 対してイブキはナイフもフォークも使わずガツガツとかぶりつくように食べる。


 まるで野生児だ。


「おうおうお嬢ちゃん良い食べっぷりだな、作った甲斐があるぜ!」


 懐かしい厳つい顔がぬっと現れ、つい吹き出しそうになる。


「あ、店主さんお久しぶりです」


「おう、シャクティンに行ったと思ったらすぐ戻ってきやがったな、どうしたんだ?」


 店主は腕を組みながら機嫌の良さそうな顔でやってくる。

 自分の作った料理を美味しそうにして食べてる姿がそんなに嬉しいのだろう、口の端をつり上げながら夢中で食べ続けるイブキを眺め、声だけは私の方へ向けてそう言った。


「ええ、これから王都へ向かうんです。緊急のクエストに参加するので」


 その言葉を聞いた途端、表情を少し曇らせると頭を掻きながら困ったような顔をする。


「ああ、アレか……うちの店にくる冒険者もほとんどが王都へ向かっちまったよ。お前さん方も行くのか……気をつけろよ、命あってこそだ、無茶すんじゃねえぞ」


「ありがとございます、肝に銘じます」


 久しぶりに食べる酒場名物"鶏の丸焼き"を堪能した私達は、すぐに馬車に戻ると、馬車の主が声を掛けてくる。


「もう済ませたのかい? あんたらが最後だ、さあ乗った乗った、すぐ出発するぞ」


「はい、お待たせしました」


 私達が乗り込むと、またすぐに馬車は動き出した。



 ◇◆◇



 夕暮れ時、一度宿泊を挟むことになった。

 街道とはいえ、夜間に動く事はできないのだ、周囲の安全を確認してからキャンプの準備に取りかかる。


「こりゃあ、ひと雨くるな」


 馬車の主の言葉に、同じ方角の空を見つめる。

 その先ではどんよりとした雨雲がこちらへ向けて広がりを見せ始めていた。


 タープを購入して正解だったと思った。

 私達は早速手頃な場所を見つけ、そこにタープを広げると、片方を手頃な木の枝にロープで括り付けた。

 雨水が流れていくよう、もう片方を低く斜めになるよう張ると、今度は周囲に溝を掘り始める。地面を伝う雨水が入ってこないよう簡易的な水路を作るのだ。

 一通り設営作業が終わったところで、丁度雨がポツポツと滴り始めた。


「何とか間に合いましたね」


「そうね、ヤマダ、あなた手際良いじゃない、こういうの慣れてるの?」


「え? ええ、まあ昔すこしかじった程度ですが、知識はありましたので」


 昔というのは勿論生前の事だ。

 特別趣味というわけではなかったのだが、仕事に嫌気がさしてアウトドアを始めようと思った事があった。

 その頃キャンプの知識を本で読んだことはあったのだが、結局それを実行に移す機会は無かったのだ。

 しかし、知識があるというだけでこうも作業が捗るとは思ってもみなかった。知識とはそれほどまでに重要なのだと改めて感じることができた。

 火を起こすのも手慣れたものだ。

 あれから暇を見つけては何度か練習した甲斐もあり、以前は中々木くずへ火がつかなかったのが、今では数回の試行で火種を作れるまでになっていた。

 火種は乾いた枝から枝へと熱を伝え、たちまち炎として燃え上がり始める。


「これでいいでしょう、では、夕飯としましょうか」


 私達はたき火を囲いながら、おのおのシャクティンで買った包みを開ける。

 それは何でも無いただの黒パンにチーズ、そして干し肉なのだが、仲間と一緒に食べるそれは以前にも増して美味しいだと感じた。



 ◇◆◇



 翌朝雨はすっかりあがり快晴の空が広がっていた、朝日が空を青く染め上げる頃に再び馬車は動きだし、まだ眠気がとれない目を擦りながら、ガタゴトと揺れるその振動に身を委ね、流れる景色を見つめていた。


「お客さん、見えてきたぞ」


 その言葉に目が覚める。

 私は立ち上がると、馬車から身を乗り出し馬車と同じ方角を見つめる。

 街道を覆う森が徐々に開けてくると、目の前に広がる光景に目を奪われる。


「おお」


 王都サルラス、空に突き出るようそびえ立つ王宮を中心に、その周囲を囲うようにして広がる街並み。

 広さはハイメルの十倍か、それを少し上回る位だろうか、遠目からでもわかるその壮大さに私は息をのんだ。

 しかし、王都の大きさは恐らく私の元いた居城より少し広い程度なのだ、だが、力を持たない人間がこれほどまでに文化を発展させたことへの驚きの方が勝っていた。魅入ったのはそれが理由だ。

 すっかり冒険者としての等身大の尺度で物事を考えるようになっていた私は、それに気付くと少し可笑しくなって笑ってしまう。


「はは、凄い、あれが王都サルラス……」


「んあ? もう着いたですか?」


 先ほどまで涎を垂らしながら寝ていたイブキが目を覚ましたようだ。

 対するエステルはイブキの隣でスヤスヤと座りながら器用に寝ていた。

 イブキは目を擦りながらこちらに問いかけてくる。


「いえ、まだですよ。しかし、ここから見ても凄い景色です」


「主様は王都は初めてなんでしたね」


「イブキは行った事があるんですか?」


「はい、でも王都を離れてだいぶ経つですが。イブキも実は王都出身なんです、とはいっても孤児院ですが」


「孤児……」


「イブキには親は居ないです、居ないというより、顔を覚えていないです。イブキは小さい頃の記憶が無いです。気付けば孤児院の扉の前に立っていて、それをシスターに拾ってもらったです」


「……」


「そしてイブキは孤児院で育てられたです。お金に余裕がある場所じゃないですが、それでもみんなで楽しく暮らしてたです。でもあの時……」


 イブキはそう言うと、少し言葉に詰まる。

 そして、ゆっくりと、再び口を開く。


「兄弟の一人が森で迷って、一匹のゴブリンに殺されちゃったです。イブキは敵討ちにソイツを探したです。そして見つけた……」


 イブキの声のトーンが段々と低くなる。

 私はそれを黙って聞いているしかなかった。


「そいつの手に持ったお人形……確かに兄弟の大事にしていたお人形でした。こいつが兄弟を殺したのかって思ったら頭の中が真っ白になって、気付けば駆けだして……そしてそいつの武器を奪って殺したです」


「イブキ……」


「元々イブキにはそういう素質があったんだと思うです。だから、冒険者を始めようってその時思ったです」


「イブキは自分のことを忍びだと言ってましたが、何か理由があるんですか?」


「孤児院の絵本で読んだ英雄です。そいつは夜な夜な悪い奴の屋敷に忍び込んで天誅を下すカッコいい英雄です。イブキはそれに憧れたです」


「そうだったんですか」


 恐らく、人類に概念を定着させる際、私の知識の一部まで流れ込んだ結果なのか、それとも必然的に忍びという存在がこの世界にも生まれたのかは分からなかった。

 しかし、イブキが自らを忍びと称している理由は分かった。

 英雄に憧れる幼い子供の願望のようなそれは、イブキのことを年相応なのだと感じさせるのに十分な理由だった。


「孤児のイブキを育ててくれたシスターや兄弟達の為に、イブキはもっとお金を稼いで楽させたいです。だから今もこうして冒険者をやってるです」


「イブキは、優しい子なんですね」


「えへへ、イブキは偉いです! もっともっと強くなって兄弟達に楽してもらいたいです」


 そのあどけない笑顔を見て、この世界の闇を垣間見た。

 光があれば必ずその裏には闇もある。

 誰もが裕福な生活をできる訳では無い。毎日幸せに肥え太った者も居れば、日々生きるだけで精一杯の貧しい者も居るのだ。

 戦争孤児、育児放棄、色んな理由が考えられるが、結果、イブキはその環境で生まれ落ちた。

 こういう世界を生み出したのは誰でもない──


 私だ。


 こんな世界を作らなければ、イブキのような子が生まれる事も無かったのだ。

 きっと苦しい事もいっぱいあっただろう。

 けれども彼女はこの世界で必死に生きている。年相応によく笑い、よく怒る。見た目は普通の女の子なのだ。

 私は、初めて自分の行いを悔いた。


「王都へ到着ー!」


 馬車の主の声に思考から現実に引き戻される。

 王都サルラスの巨大な門が開き、私達を乗せた馬車はその中へ導かれるように入っていった。

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