三章_三
「──っ」
その
しかし次の時、一時鳴りを
「放して!」と強く身体をよじる。だが、大きな手はびくともしない。瑠璃は代わりのようにきつく紫苑を
彼女の感情に反応したように、
「……好き?
「懲りるもなにも、
だからおりよう、と今度は手首をとられる。そのまま
「話? 言い訳か
瑠璃は摑まれた手を
だが、腕が痛みを覚える前に、紫苑は
「──言い訳でも誤魔化しでも話を聞いてくれるなら、なんでもいいよ。それに、これ以上神の地を騒がすのは、瑠璃も本意じゃないだろ?」
「神の地……?」
代わりにさしだされた
「ええ、そうですね。──自分の領域を
「瑠璃……?」
彼女の
それを見ながら、ああそうか、とどこか
神も人間も変わらない──期待する方が、
「けれど、そう思うのなら、あなたが立ち去ればいいだけの話だわ」
瑠璃はすっと冷えた感情で言い捨てると、紫苑に背をむけた。さらに上をめざそうとした背中へ、
「──たしかに!」
神への
「琥珀の言ってた、
「……っ」
段にかけようとしていた足が止まる。
この
そんな紫苑にも、
「──それで?」
瑠璃は自らの心を
「わたしの
ことさらゆっくり
「オレがほしいのは瑠璃の
「っ……もしかして、例の出来事もわたしたちに罪をなすりつけるための、自作自演だった?」
「言ったでしょ? あんなのはたまたまだって」
「その言葉のなにを信じろっていうの? 現に里の中を
「お目付役がいる以上、ふりだけでもしておかないとうるさいからね」
瑠璃が言葉を重ねるたび、打てば響くように
「それ、に…っ」
胸の中にはさまざまな思いが
「言いたいことは全部言って? なんでも答える」
「──……ひとめ、ぼれって」
意表を
「それについては、ごめ──」
ん、と唇が動いた──瞬間、紫苑が
と時をほぼ同じくして、キッ、と声をあげたソラがあわせから顔をのぞかせて鼻をうごめかす。
やっぱり……と胸に
──な、に?
なにか起こっていることは、わかる。だが、なにが起こっているのかはわからない。
一瞬にしてぴりりと
「!」
「だれだ」
なにかいる、と
知らず知らずのうちに小さく
それも、ひとつやふたつではない。木々の暗がりのむこうからも次々と男たちが姿を現した。
ざっと十はいるだろうか。いや、身を潜めているだけでもっといるかもしれない。
この山が神の山だということは、里人や出水国の人々はおろか、
「──あ」
その
「もしかして……」
「──こいつらに心あたりが?」
無意識に口を
「さっき、聞いたの。里の近くに見慣れない集団がいたって、都風の」
自分はそれを彼に
瑠璃の説明に「ふーん……」と紫苑がどこか
「なるほど。だったら、こいつらの
「──てとこかな?」と彼が
「──これで、あのふたつがすくなくとも自作自演じゃないって、信じてくれた?」
「なっ……今はそんなこと、言っている場合じゃないでしょう!」
争いごととは
じりっと包囲をせばめてくる男たちに紫苑は
「オレにとって、瑠璃以上に大事なことなんてないよ」
「!」
なにをふざけたことを、などと言う
「──ってことで、走ってッ!」
うしろ手で、どん、と
それを合図として、男たちが
「紫苑さま!?」
「いいから!」
自分があそこにいても足手まといになるだけだ。ならば、せめて
「……すけを…っ」
ともかくこの場を
その光景に、瑠璃は眉を
──あの人、剣を抜いてない?
見ると紫苑は剣を
交わりを解いたかと思うと剣を返し、すばやく相手の
「どうして……」
いくら
ひょいっと身軽に
「神域を、血で
それで自分が
しかし、思い返すと毒ヘビの一件の折も紫苑は剣を抜かなかった。あの時は気にも留めなかったが、なにか理由があるのだろうか?
だからといって逃げるしかできない自分に、彼の戦い方になんの口出しができるだろう。遠慮はいらない、とでも言えばいいのか。
なにもできないもどかしさを
瑠璃は木々の奥、明るい方をちらりと見たあと、すばやく左右に目を走らせた。方角を間違えば人里へおりるどころか、さらに奥へわけいってしまう。
「──こっち」
かといって
──このままじゃ……!
「紫苑さま、うしろ! 上から一人がッ」
こちらの声に反応したのか、気配に気づいていたのか、別の一人の剣を受け止めていた紫苑が、背後を
瑠璃はその
男も
「紫苑さま……!」
悲鳴混じりの声をあげて、瑠璃はとっさに彼の方へ足を踏みだしていた。
ヒュンッ、と空気を
「グ…ァッッ」
ついで聞こえた呻きに、さっと顔から血の気がひく。
まさか!? ときた道を駆け
「……え」
なにが起こったのかわからないまま立っている人影に目を移した瑠璃は、ぎくりと動きを止めた。
──だ、れ……?
……いや、紫苑だ。けれど、
左手に握る鞘で前方の男の
その
強さに加えて迷いの消えた攻撃に、囲んだ男たちの顔がひきつるようにこわばった。
「──あの時と、
目の前の紫苑は、草原ではじめて顔をあわせた時の彼と同じ気配をしていた。
もしかして、こちらこそが本当の彼なのだろうか……と思いかけ、瑠璃ははっと
張りついたような無表情の紫苑と、じりじりと測るように
──いつのまに…っ
紫苑に気をとられている間に、むかおうとしていた方向に立ち
まずい、とすかさずむきを変えた瑠璃だったが、
「!」
ぞわり、と背筋に走った寒気に、標的として狙いを定められたことを本能で悟る。
案の定、男は輪をはずれ、前方へ回りこむようにして斜面をこちらへとむかってくる。
──
彼らも今の紫苑には束になっても
瑠璃は前後の男へ視線をやり、ぱっと身を
「待てよ!」
奥へと駆けだした背中を、笑いを帯びた声が追ってくる。その
瑠璃は木々の間を
「この……ちょこまかとっ」
すぐ捕まえられるとなめていたのか、舌打ちが聞こえてくる。
「おいっ、そっちに回れ!」
二手にわかれた男の一人が、先回りするように木々を
どこへむかうべきか、一瞬の迷いが瑠璃の足を鈍らせる。
その
「追いかけっこは終わりだ!」
一気に距離をつめてきた男が、横合いから腕を
瑠璃はすんでで
え? と見下ろすと、
「よくもさんざん
「や…っ」
ヒュン──ッ
鋭い風が顔の前を
と、左腕がいきなり軽くなる。
なにが……と目を移した先にあったのは、布の切れ
「……今、の……きゃっ」
しかし、事態を吞みこむ
目を白黒させながら、瑠璃は自分の腕をひいて前をいく見覚えのある背中に声をあげた。
「紫、苑さま……!?」
ついで、端をすっぱりと斬りおとされた袖がはためくのが目にはいる。
──これ……。
どちらにも傷ひとつつけることなく一瞬のうちに振るわれた
だが、
今はそんなことを
「待ってください、紫苑さま!」
走り続けてうるさいほどの
水音だ。
「──の先は、行き…っ」
聞こえているのかいないのか止まる気配のない足に、口走りかけた言葉を瑠璃は
これを叫んだらうしろから追ってくる男たちにも聞こえてしまう。
──だけど、このままだと……。
どのみちあとがない、と瑠璃が意を決した時には一足
ふいに視界が開ける。
まるで山が真っ二つに割れたかのような形で、眼前には谷が横たわっていた。
水音で気づいていたのか、反射神経の
ばらばらと追いついてきた男たちは、それでもさきの半分ほどまでに減っていた。だが、瑠璃たちにあとがないとわかると、
半円を
「紫苑、さま……」
この
「ひと、りで、逃げ──」
「──いいか」
苦しい息の中、瑠璃が必死に
「ここを動くな」
言い置くが早いか、空気が動いた。
紫苑が地面を蹴ったかと思うと、一番手近にいた男にむかって風が
「うあ…ッ」
次の瞬間、男は
しかし、そのころには紫苑の標的は
踏みこみざまに
その
むだな口も動きも
──この人自身が、
それほどまでに圧倒的で、近寄りがたい。
彼の
──きっと、わたしさえいなかったら、これだけの人数を相手に手間取ることなんてないんだ。
次の
そんな折だった。視界の端になにかが映った気がして、瑠璃は視線をあげた。
「……!」
自分たちが走り抜けてきた木々の奥に、ひとつの
──だれ?
遠さと
じっと目を
「今、の」
まさか、と無意識に足がでる。
「ひす──」
「瑠璃ッッ」
あげかけた声を
ひょうっ、と剣が走り、ザシュ…ッと鈍い音が耳を
「ッ──おんさまッ!」
「どう、して…ッ」
「──好きな子を、かばうのは、当然……でしょ?」
さすがに
どうしてこんな時ばっかりッ……と
再度振りあげられた剣に、身体が紫苑をかばうように前へでる。
「──り……!」
切れた袖をうしろから
「ソラ!」
「なっ!?」
瑠璃は
「立てますか?」
彼の左腕を自分の肩へと回させる。青い顔で
「──っのネズミ
「ソラッ」
瑠璃は血相を変えて叫んだが、返る反応はなかった。
「る、り……すまな、」
「っ……紫苑さまのせいでは、ありません」
そうだ。紫苑が
本音を言えば、今すぐにでも
「……」
瑠璃は一層
「へっ、もうあとはないぜ? 手間とらせやがって」
谷は、もうすぐそこだ。
どうする? と瑠璃は
──このままなら、紫苑さまが
こくり、と喉を鳴らす。
瑠璃は男たちに目を
「その命、わたしに預けてもらえますか?」
視界の
「──喜んで」
彼らにとってはなんの前ぶれもなく笑った紫苑に、男たちの間に
「うしろへ!」
短く叫んで、紫苑を
「おいっ、待て!」
なにをするのか
「いきます!」
瑠璃は紫苑を
続きは本編でお楽しみください。
巫女華伝 恋の舞とまほろばの君/岐川新 角川ビーンズ文庫 @beans
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。巫女華伝 恋の舞とまほろばの君/岐川新の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます