三章_三


「──っ」

 そのけんまくに押されるようにして息をむ。

 しかし次の時、一時鳴りをひそめていたいかりがむくりと顔をもたげた。

「放して!」と強く身体をよじる。だが、大きな手はびくともしない。瑠璃は代わりのようにきつく紫苑をにらみあげた。

 彼女の感情に反応したように、むなもとがごそりと動いたが、それを気にしているようなゆうはなかった。

「……好き? しようりもなく、よくそんなことをっ」

「懲りるもなにも、うそいつわりのない気持ちを言ってるだけだからね。──とりあえず、話を聞いてほしい」

 だからおりよう、と今度は手首をとられる。そのままきびすを返そうとした紫苑に、

「話? 言い訳かしの間違いでしょう?」

 瑠璃は摑まれた手をはらうように強く腕をひいた。放すまいと手首をにぎる手に力がこもったが、今度はこちらもひく力を緩めない。

 だが、腕が痛みを覚える前に、紫苑はちようたんそくをおとすとおもむろに握った手を開いた。

「──言い訳でも誤魔化しでも話を聞いてくれるなら、なんでもいいよ。それに、これ以上神の地を騒がすのは、瑠璃も本意じゃないだろ?」

「神の地……?」

 代わりにさしだされたてのひらに、瑠璃は摑まれていた手を胸へとかかえこみながらうしろ足で一歩、段をあがった。

「ええ、そうですね。──自分の領域をらされれば腹をたてるかもしれませんね、たとえなにもしてくれない神でも」

「瑠璃……?」

 彼女のひとみによぎった怒りとは別のほのぐらさに、紫苑が怪訝そうにまゆをよせる。

 それを見ながら、ああそうか、とどこかにおちる。

 神も人間も変わらない──期待する方が、おろかだったのだ。

「けれど、そう思うのなら、あなたが立ち去ればいいだけの話だわ」

 瑠璃はすっと冷えた感情で言い捨てると、紫苑に背をむけた。さらに上をめざそうとした背中へ、

「──たしかに!」

 神へのえんりよほうしたのか、もともとなかったのか、紫苑の高声がひびいた。

「琥珀の言ってた、おおきみの命に噓はない。……けど、オレの瑠璃を好きだって気持ちまで偽りあつかいされるいわれはない、たとえそれが瑠璃でもね」

「……っ」

 段にかけようとしていた足が止まる。

 このおよんで、まだ丸めこもうというのか。こちらの心を乱そうというのか。

 そんな紫苑にも、あきらめたはずなのに心が揺れてしまう自分にも、腹がたつ。

「──それで?」

 瑠璃は自らの心をおさえつけるようにたんたんと口を開いた。

「わたしのげんをとって狙うのは、トキジクノカクノコノミ? それとも、いっそ出水国そのもの?」

 ことさらゆっくりり返ると、紫苑をえる。たった一段では見下ろすこともままならず、そんなことまでにくらしい。

「オレがほしいのは瑠璃のおもいだけだ」

「っ……もしかして、例の出来事もわたしたちに罪をなすりつけるための、自作自演だった?」

「言ったでしょ? あんなのはたまたまだって」

「その言葉のなにを信じろっていうの? 現に里の中をさぐり歩いていたくせに…っ」

「お目付役がいる以上、だけでもしておかないとうるさいからね」

 瑠璃が言葉を重ねるたび、打てば響くようにいらえが返る。

「それ、に…っ」

 胸の中にはさまざまな思いがうずいているのに、それをうまく言葉としてつかまえられずにくちびるむ。

 だまりこんだ瑠璃に紫苑は「それに、なに?」と首を傾げた。

「言いたいことは全部言って? なんでも答える」

「──……ひとめ、ぼれって」

 うながされてしぼりだしたのが、そんな一言だった。

 意表をかれたように軽く目をみはった紫苑が、「ああ、うん……」とどこかさみしげに笑う。

「それについては、ごめ──」

 ん、と唇が動いた──瞬間、紫苑がするどく背後を振りむいた。

 と時をほぼ同じくして、キッ、と声をあげたソラがあわせから顔をのぞかせて鼻をうごめかす。

 やっぱり……と胸にかげきざしかけていた瑠璃は、とうとつな一人といつぴきの反応に目をまたたかせた。

 ──な、に?

 なにか起こっていることは、わかる。だが、なにが起こっているのかはわからない。

 一瞬にしてぴりりとはだすようなきんちようかんはらんだ空気に、瑠璃は必死にあたりに目をらし、耳をすました。──と、ぱきり、と小枝をむ音がした。

「!」

「だれだ」

 なにかいる、とゆるやかな曲がり目になっている山道をぎようした瑠璃の耳を、低いすいが打つ。自分にはわからない気配を紫苑は感じとっているらしい。

 知らず知らずのうちに小さくのどを上下させた瑠璃の視線の先──山のかげから、紫苑の声にこたえるようにひとかげが現れる。

 それも、ひとつやふたつではない。木々の暗がりのむこうからも次々と男たちが姿を現した。

 ざっと十はいるだろうか。いや、身を潜めているだけでもっといるかもしれない。

 この山が神の山だということは、里人や出水国の人々はおろか、きんりんの国々でも周知の事実だ。まさか神域に自分たち以外の人間が、しかもこれほどの人数がいるとは思わず、瑠璃は目を瞠った。

「──あ」

 そののうひらめくものがあった。

「もしかして……」

「──こいつらに心あたりが?」

 無意識に口をいたつぶやきを拾ったらしい。近づいてくる男たちから瑠璃を背にかばうようにして身構えた紫苑がたずねる。

「さっき、聞いたの。里の近くに見慣れない集団がいたって、都風の」

 自分はそれを彼にしらせるために出向いたのだ。すっかり頭からけおちていた。

 瑠璃の説明に「ふーん……」と紫苑がどこかちがいなあいづちを返す。

「なるほど。だったら、こいつらのねらいは──オレの命」

「──てとこかな?」と彼がみなまで続ける前に、男たちのまとう空気が一気に殺気を帯びた。だれの指示があったわけでもないのに、いっせいにけんをひき抜く。

「──これで、あのふたつがすくなくとも自作自演じゃないって、信じてくれた?」

「なっ……今はそんなこと、言っている場合じゃないでしょう!」

 争いごととはえんの瑠璃にもわかる。男たちが紫苑にむける殺意は、やらせなどというなまぬるいものではない。

 じりっと包囲をせばめてくる男たちに紫苑はこしの剣に手をかけながら、ちらりと瑠璃の方を見返った。にこりとむ。

「オレにとって、瑠璃以上に大事なことなんてないよ」

「!」

 なにをふざけたことを、などと言うひまもなかった。

「──ってことで、走ってッ!」

 うしろ手で、どん、と身体からだを押される。

 それを合図として、男たちがたけびをあげて紫苑へとさつとうしてきた。

「紫苑さま!?」

「いいから!」

 ちやだと声をあげるが、早くいけとばかりにり返される。瑠璃はきゅっと唇を嚙むと、顔をだしていたソラをあわせ深くに押しこんで、たっと身をひるがえした。

 自分があそこにいても足手まといになるだけだ。ならば、せめてじやにならないようにげるしかない。

「……すけを…っ」

 ともかくこの場をはなれて山をくだり、助けを呼ばないと……と段をけのぼる背に、ギィン! とにぶい金属音が聞こえる。はっと反射的にかたしに目をやれば、男たちの一人と紫苑が剣を交わらせていた。

 その光景に、瑠璃は眉をひそめた。

 ──あの人、剣を抜いてない?

 見ると紫苑は剣をさやから抜かずに応戦していた。

 交わりを解いたかと思うと剣を返し、すばやく相手ののどもとへ鞘の切っ先を突きこむ。男は鈍いうめきをあげてたおれこむが、すぐに次の男がおそいかかってくる。

「どうして……」

 いくらうでに自信があって、相手も動きを制限される山林の中とはいえ、あの人数を相手にぼうだとしか思えない。

 ひょいっと身軽にとつしんしてくる男をかわし、その背をりつける紫苑の姿に、もしかして……とよぎる。

「神域を、血でけがさないため、とか?」

 それで自分がを負ったりしたら、それこそなんの意味もない。

 しかし、思い返すと毒ヘビの一件の折も紫苑は剣を抜かなかった。あの時は気にも留めなかったが、なにか理由があるのだろうか?

 だからといって逃げるしかできない自分に、彼の戦い方になんの口出しができるだろう。遠慮はいらない、とでも言えばいいのか。

 なにもできないもどかしさをかかえながら、瑠璃はやまはだに造られた段をのぼりきった。そこはやや開けた場所になっており、平らかに近い緩やかなしやめんがしばらく続く。

 瑠璃は木々の奥、明るい方をちらりと見たあと、すばやく左右に目を走らせた。方角を間違えば人里へおりるどころか、さらに奥へわけいってしまう。

「──こっち」

 かといってなやんでいる暇もなく、方向を定めた瑠璃が再び走りだそうとすると、がさり、とわずかに下手で音がした。びくっと身をかたくしてそちらへ首をめぐらし、息をむ。

 かくれていたのか、回りこんできたのか、男が一人、紫苑の背後へと回る形で山道へおりたっていた。彼へむかって駆けくだっていく。

 ──このままじゃ……!

 はさみうちになる、と感じるが早いか、瑠璃はさけんでいた。

「紫苑さま、うしろ! 上から一人がッ」

 こちらの声に反応したのか、気配に気づいていたのか、別の一人の剣を受け止めていた紫苑が、背後をいちべつした。

 瑠璃はそのけんにぐっとしわがよるのを見た。

 男ものがさなかったのだろう、かいえた横顔にははっきりと優位をさとった笑みが刻まれていた。躊躇ためらうことなく紫苑の背へと剣がりあげられる。

「紫苑さま……!」

 悲鳴混じりの声をあげて、瑠璃はとっさに彼の方へ足を踏みだしていた。

 ヒュンッ、と空気をいて剣がうなる。

「グ…ァッッ」

 ついで聞こえた呻きに、さっと顔から血の気がひく。

 まさか!? ときた道を駆けもどろうとした時、がっくりとひざを折ったのは手前にいた男の方だった。

「……え」

 なにが起こったのかわからないまま立っている人影に目を移した瑠璃は、ぎくりと動きを止めた。

 ──だ、れ……?

 ……いや、紫苑だ。けれど、いつしゆん別人かとまがうくらいに、まとうふんが一変していた。しんけんというのとは違う。それはまさしくひようへんだった。

 だんひようひようとした明るさは完全に鳴りをひそめ、その顔からはすべての表情がぎおとされている。それこそ、れれば切れる冷たさを全身にまとわせていた──右手ににぎる、するどかがやきを放つ抜き身のやいばのように。

 左手に握る鞘で前方の男のこうげきを防いだまま、右手で剣を抜き放って後方からしかけてきた男をせた紫苑は流れるように刃を返した。そのままなにが起こったのかとぜんとしている前方の敵を無造作に斬り捨てる。

 そのいつさいの動作にむだはなく、まゆひとつ動かない。

 強さに加えて迷いの消えた攻撃に、囲んだ男たちの顔がひきつるようにこわばった。

「──あの時と、いつしよ……」

 目の前の紫苑は、草原ではじめて顔をあわせた時の彼と同じ気配をしていた。

 もしかして、こちらこそが本当の彼なのだろうか……と思いかけ、瑠璃ははっとかぶりを振った。今はそんなことを考えている場合ではない。敵があつとうされている間に助けを呼びにいかなくては。

 張りついたような無表情の紫苑と、じりじりと測るようにきよをつめる男たちのにらみあいを横目に、今度こそ走りだそうとして──動けない。

 ──いつのまに…っ

 紫苑に気をとられている間に、むかおうとしていた方向に立ちふさがる形で男が立っていた。にやにやとたちのよくないわらいをかべて、のっそりといたぶるように近づいてくる。

 まずい、とすかさずむきを変えた瑠璃だったが、ひように紫苑をとり囲む男たちの一人と目があった。

「!」

 ぞわり、と背筋に走った寒気に、標的として狙いを定められたことを本能で悟る。

 案の定、男は輪をはずれ、前方へ回りこむようにして斜面をこちらへとむかってくる。

 ──つかまるわけには、いかない。

 彼らも今の紫苑には束になってもかなわないとはだで感じているのだろう。自分をひとじちにして彼の動きを止めようとしているのだ。

 瑠璃は前後の男へ視線をやり、ぱっと身をひるがえした。

「待てよ!」

 奥へと駆けだした背中を、笑いを帯びた声が追ってくる。そのきようせいが張りつめていたきんこうを破ったのか、次々に叫びがこだまし、刃をわす高い音がひびく。

 瑠璃は木々の間をうようにして、不規則に足を走らせた。まっすぐ進んでいたら、女の足ではすぐに追いつかれる。なにより、あっという間に逃げ場を失ってしまう。

「この……ちょこまかとっ」

 すぐ捕まえられるとなめていたのか、舌打ちが聞こえてくる。

「おいっ、そっちに回れ!」

 しびれを切らした男の叫びに、瑠璃は木をかわしざまそちらへ目をやった。

 二手にわかれた男の一人が、先回りするように木々をかいするのが見える。このままでは挟みうちだ。むきを変えようにも、残る一人がたくみに反対方向へむかおうとするのを邪魔する。

 どこへむかうべきか、一瞬の迷いが瑠璃の足を鈍らせる。

 そのすきを見逃してくれるような相手でもなかった。

「追いかけっこは終わりだ!」

 一気に距離をつめてきた男が、横合いから腕をばしてくる。

 瑠璃はすんでで身体からだひねってその手をかわした。直後、ぐんっとひだりうでが重くなる。

 え? と見下ろすと、はばびろそでを男の手がつかんでいた。

「よくもさんざんげ回ってくれたな」

「や…っ」

 りよせるようにひかれた袖に、瑠璃は足をみしめてていこうする。なんとか振りはらおうと身をよじろうとして、

 ヒュン──ッ

 鋭い風が顔の前をいつせんした。

 と、左腕がいきなり軽くなる。

 なにが……と目を移した先にあったのは、布の切れはしだけを握りめ、こちらも間のけた顔をさらす男の姿だった。

「……今、の……きゃっ」

 しかし、事態を吞みこむゆうもなく、今度は左手首をとられ、ぐいっとひっぱられた。身体を支えるために反射的に足を踏みだせば、そのままいやおうなく走らされる。

 目を白黒させながら、瑠璃は自分の腕をひいて前をいく見覚えのある背中に声をあげた。

「紫、苑さま……!?」

 ついで、端をすっぱりと斬りおとされた袖がはためくのが目にはいる。

 ──これ……。

 けんめいに紫苑についていきながら、今起きた出来事のりんかくらしきものを悟る。おそらく、けつけた彼の手によって男が摑んだ袖の端だけを斬りおとされたのだ。

 どちらにも傷ひとつつけることなく一瞬のうちに振るわれたけんに、感心をとおりこして寒気を覚える。男が手にしていたのはほんの切れっぱしだっただけに、なおさらだ。

 だが、ひとりするごとに明るさを増していく景色に、瑠璃ははたと顔つきをこわばらせた。

 今はそんなことをゆうちように考えている場合ではない。

「待ってください、紫苑さま!」

 走り続けてうるさいほどのどういきづかい、さらには地面を蹴散らす足音たちに混じってじよじよにはっきりしてくる音がある。

 水音だ。

「──の先は、行き…っ」

 聞こえているのかいないのか止まる気配のない足に、口走りかけた言葉を瑠璃はあやうく吞みこんだ。

 これを叫んだらうしろから追ってくる男たちにも聞こえてしまう。

 ──だけど、このままだと……。

 どのみちあとがない、と瑠璃が意を決した時には一足おそかった。

 ふいに視界が開ける。

 とうとつに林がれ、その先の地面がえぐられたように消えていた。そこまでの距離、瑠璃の足にして十歩あるかどうか。

 まるで山が真っ二つに割れたかのような形で、眼前には谷が横たわっていた。

 水音で気づいていたのか、反射神経のたまものか、紫苑はそくに足を止めると瑠璃を背にかばう格好で林の方へと反転した。

 ばらばらと追いついてきた男たちは、それでもさきの半分ほどまでに減っていた。だが、瑠璃たちにあとがないとわかると、ろうにじむ顔にはっきりと勝利を確信した者のみを浮かべた。

 半円をえがくようにして、じりじりとこちらをとり囲む。

「紫苑、さま……」

 このじようきようにあっても、うしろからかいえる紫苑の表情にはあせりはおろか呼吸の乱れひとつない。

「ひと、りで、逃げ──」

「──いいか」

 苦しい息の中、瑠璃が必死にささやくのを、冷え冷えとした声がさえぎった。

「ここを動くな」

 言い置くが早いか、空気が動いた。

 紫苑が地面を蹴ったかと思うと、一番手近にいた男にむかって風がうなる。

「うあ…ッ」

 次の瞬間、男はにぶい悲鳴をあげてにぎっていた剣をとりおとした。せんけつに染まったうでをかばうようにしてあと退ずさる。

 しかし、そのころには紫苑の標的はとなりへと移っていた。

 踏みこみざまにり抜いた剣を、相手が必死の形相でかろうじて受け止める。紫苑は力勝負に持ちこむことなく交わりを切ると、すばやく飛び退すさって最初の位置へともどった。

 そのすうしゆんの間に起こった出来事に、瑠璃は目をみはった。

 むだな口も動きもいつさいない。いつもの彼とはまるでちがう。

 ──この人自身が、れれば切れるやいばにでもなったみたい……。

 それほどまでに圧倒的で、近寄りがたい。

 彼のかもす空気にまれながらも、瑠璃はふるえるてのひらをきつく握り締めた。

 ──きっと、わたしさえいなかったら、これだけの人数を相手に手間取ることなんてないんだ。

 次のこうげきけていく彼の背をかたを吞んで見つめながら、そうするしかできない自分がひどくもどかしい。

 そんな折だった。視界の端になにかが映った気がして、瑠璃は視線をあげた。

「……!」

 自分たちが走り抜けてきた木々の奥に、ひとつのひとかげがあった。

 ──だれ?

 遠さとうすぐらさの中、かろうじて男だろうとはわかる。ただ、それだけだ。さわぎを聞きつけてきた里の人間か、紫苑を追ってきた琥珀か、はたまた敵か……。

 じっと目をらしていると、見られていることに気づいたのか、人影が身を翻したのがわかった。ひようゆるくなびいた束ねられたかみに、ひゅっとのどが鳴った。

「今、の」

 まさか、と無意識に足がでる。

「ひす──」

「瑠璃ッッ」

 あげかけた声をするどく耳を打ったさけびがかき消す。

 はじかれたようにそちらへ首をめぐらせれば、男が自分にむかって剣を振りおろすのと、眼前に飛びこんできた影があったのが同時だった。

 ひょうっ、と剣が走り、ザシュ…ッと鈍い音が耳をらす。

 いつぱく後、視界に散ったあざやかすぎるほど赤い色に、瑠璃は呼吸を忘れた。

 うめきひとつこぼさず、紫苑がみぎかたを押さえて地面にかたひざをついた。その掌のすきから、止めどなく血が流れでてくる。

「ッ──おんさまッ!」

 ふさがれたような喉から、悲鳴がほとばしる。

「どう、して…ッ」

「──好きな子を、かばうのは、当然……でしょ?」

 さすがにあらい息の下、いつもの彼らしい答えが返る。

 どうしてこんな時ばっかりッ……とかたわらに膝をつこうとして、さしたかげりにはっと顔をあげる。そこには紫苑にとどめをそうと男たちがせまっていた。

 再度振りあげられた剣に、身体が紫苑をかばうように前へでる。

「──り……!」

 切れた袖をうしろからつかまれながらも退くものかと目に力をこめた瑠璃のふところから、いきなり小さな影が飛びだした。すばやく肩へ駆けあがると、その勢いのまま今にも剣を振りおろさんとする男へむかってちようやくする。

「ソラ!」

「なっ!?」

 とつぜん、顔面に飛びついてきたモモンガに、男がきようせいをあげて体勢をくずす。周囲もきよかれたように男の方を見やる。

 瑠璃はばしかけた手を握りこむと、すかさず紫苑の傍らにしゃがみこんだ。

「立てますか?」

 彼の左腕を自分の肩へと回させる。青い顔でうなずいた紫苑を支えて立ちあがった。ぐっと肩にかかった重みに、よろめきそうになる両足に力をこめる。

「──っのネズミぜいが!」

 ごうとともに男が顔に張りついたソラを力任せにひきがし、投げ捨てた。キッ、という鳴き声とともに小さな体が背後の林へ消える。

「ソラッ」

 瑠璃は血相を変えて叫んだが、返る反応はなかった。みだしかけた足を、ぎりぎりのところで踏みとどまらせる。

「る、り……すまな、」

「っ……紫苑さまのせいでは、ありません」

 そうだ。紫苑がを負ったのも、ソラのことも、自分をかばってのことだ。

 本音を言えば、今すぐにでもさがしにいきたい。無事をたしかめたい。だが、今は傍らのぬくもりを失わないことを考えるのが先決だ。

「……」

 瑠璃は一層きようぼうな目つきになった男たちを前に、じりじりと後退った。

「へっ、もうあとはないぜ? 手間とらせやがって」

 あざわらう声に、かたしに背後をいちべつする。すい玉のような深い色をたたえた流れが見える。

 谷は、もうすぐそこだ。

 どうする? と瑠璃はしゆんじゆんした。

 ──このままなら、紫苑さまがたおれるのが早いか、殺されるのが早いかの違いしかない。だとしたら……。

 こくり、と喉を鳴らす。

 瑠璃は男たちに目をえたまま、「紫苑さま」と低く囁いた。

「その命、わたしに預けてもらえますか?」

 視界のはしで、彼のそうぼうおどろいたように見開かれたのがわかった。それもつかの間、すぐに無表情に近かった顔にやわらかな笑みが広がった。

「──喜んで」

 彼らにとってはなんの前ぶれもなく笑った紫苑に、男たちの間にどうようが走る。瑠璃はそのすきのがさなかった。

「うしろへ!」

 短く叫んで、紫苑をじくに回転する形で身体からだのむきを変える。そうして谷へと足を踏みだした。

「おいっ、待て!」

 なにをするのかさとったように背後であがった声に、

「いきます!」

 瑠璃は紫苑をかかえこむようにして、迷うことなく谷へと身をおどらせた。













続きは本編でお楽しみください。

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巫女華伝 恋の舞とまほろばの君/岐川新 角川ビーンズ文庫 @beans

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