三章_ニ


「っ、あなたは……!」

「瑠璃…ッ」

 建物のかげから姿を現したこちらに、がくぜんとした声が重なった。

 瑠璃は紫苑たちの方へ身体をむけた。

「なるほど、けんけんじようせよ、というのは出水をおとずれるための建前でしたか」

「瑠璃! 待っ……」

 いつものひようひようとしたぜいはどこかへ、しようそうにじませた紫苑に、うっすらと口元にみをかべる。

 こちらも常ならぬ表情に、二人の男はひるんだように顔をこわばらせた。

トキジクノカクノコノミ──その実を食べた者は不老不死になれるという伝説のある木の実ですね。たしかに、この里にはそういった秘薬があると言い伝えが残されているようですが……」

 一度言葉を切って、瑠璃はひたと視線を紫苑へえた。

「残念ながら、そのようなもの見たこともありません」

 そんなもの、あるわけがない……あれば、だれより先に自分が手にいれていた。

 ひとみに宿った思いに気づいたように、紫苑が軽く目を見開く。

「瑠璃……」

「そのような子どもだましを信じるなど、大王もたいした人物ではありませんね。──早々におひきとりください、皇子さま方」

 物言いたげな紫苑も、おおきみへのげんに色めきたった琥珀も意にかいさず宣言すると、瑠璃はきびすを返した。

「待って、瑠璃!」

 すかさず追いかけてきた制止をりきって駆けだす。

「えっ、さま!?」

 とつぜん走りでてきた瑠璃に、見張りがぎょっとする。

「足止めしておいて!」

 足も止めずにそれだけをさけぶ。しばらくしてうしろから揉めるような気配が伝わってきたが、振り返ることもなく門へとひた走る。

 どこでもいい。一人になりたかった。

 正殿へ駆けこめばさすがの彼も追ってこられないだろうが、すぐに騒動を聞きつけた父か翡翠がやってくるはずだ。彼らに今の話をするべきなのは頭ではわかっている。

 けれど、今だけはだれとも会いたくない。

 常にとり乱すことのない瑠璃がろうを走る姿に、すれちがう家人たちが一様におどろく。それすらわずらわしく、瑠璃は門の外へと飛びだした。

 足が自然としん殿でんの方へむかう。

「──りッ」

 どうと風の音だけが響いていた耳に、聞き慣れてしまった声がかすかに届く。

 地面をる足に力をこめながら、瑠璃はぐっと奥歯をみ締めた。

「──して…っ」

 どうして、自分は『裏切られた』と思っているのだろう?

 どうして、あの笑顔も甘い言葉もやさしさも、『目的』を達するための手段でしかなかったと知って、傷ついているのだろう?

 ──わかってたことじゃない……!

 警戒していたはずだ、会って間もないのに「好きだ」などと告げる彼を。

 きっとくにのみやつこの娘だから調子のいいことを言ってかいじゆうしようとしているだけだと、疑っていたはずだ。

 なのに、心はこんなにも傷ついている。

 だからこそ、気づいてしまった。

 ──……わたしは、信じたかったんだ。

 かたきでも表面上のものでもなく、『瑠璃自身』とむきあってくれた彼に、いつしか心を許しはじめていた。

 だからこそ、見慣れぬ集団がいると耳にした時、真っ先に『彼をねらう第三者』の存在がよぎったのだ。警戒心をいだいたままだったら、都風の男たちだったと聞けばつうは彼らの仲間かと思ったはずだ。

 もちろんそこには翡翠への疑いを晴らしたい気持ちもあった。一方で、無意識のうちに『紫苑の仲間』だという可能性をはいじよしていたことに、ようやく気がつく。

「……翡翠兄さま、兄さまの言うとおりだった」

 苦しい息の下、瑠璃はそっとちようした。

 しよせんは住む世界の違う人間だったのだ。

 今までも、これからも──。

 瑠璃はわきも振らず神殿のけいだいへと飛びこんだ。が、きざはしには目もくれず神殿の横を走りけていく。

 やがて、低い木のさくが眼前に見えてくる。そこが神の住まう山と人里との境目だった。

 瑠璃はちらりと背後に目をやった。

 男女の差か二人の身体能力の差か、紫苑はもうそこまでせまっていた。

「瑠璃! 話を聞いてほしいッ」

「…………」

 だんの彼なら足をみいれない階の奥──こちら側へとむかってくる紫苑にそうぼうを細め、瑠璃はこしほどの高さの木戸に手をかけた。

 神域と人の住む場を、がんじような柵で区切る必要はない。神の力をおそれるがゆえに、里人ならどんな幼い子どもでもやまに足を踏みいれるようなはしないからだ。これは間違ってはいりこまぬようにするためのただの目安だ。

 その境界をいとも簡単にとおり抜け、瑠璃は山へと踏みこんだ。

 ゆるい上りのしやめんに木を組みあわせ、土を固めた段が上へと延びている。瑠璃はすそをからげ持つと、おくすることなくそこを駆けのぼっていく。

 りようわきには高い木が立ち並び、うつそうとしたかげをおとしている。昼間でもうすぐらい山道は奥深くにわけいるにつれ、人でないものたちの気配をくしていく。

 それは木々の呼吸であり、山に住む生き物のいきづかいであり──すべてを内包してなお耳を打つ、言い知れぬ静けさだ。

 あらい呼吸が、胸をき破らんばかりに鳴る鼓動が、うるさい。

 がくがくと悲鳴をあげはじめたひざしつして、瑠璃はひたすらに足を動かす。

 どれくらいそうしていたのか、ふと前方が明るくなった気がした時だった。意識が前へとそれたいつしゆん、あげそこねた右足のつまさきが段にひっかかる。

「──ぁ…っ」

「……る、りッ」

 転ぶ、と思った直後、強くうでつかまれた。そのまま、ぐいっとかしいだ身体からだをうしろへとひきもどされる。

 ドンッ、とかなりの勢いで背中からぶつかったが、き留めた身体はるぎもしなかった。

 はあはあはあ──……。

 つかの間、荒く息をく音だけが重なった。

 しばらくして、はーっとひときわ大きく吐きだされた呼気が、瑠璃の乱れたかみらした。

「──っと追いついた」

 放すまいとするように、腰へ回された腕に力がこもる。

 どこかぼうぜんしつていかたで呼吸をり返していた瑠璃は、くすり、と小さく笑いをこぼしていた。

「瑠璃?」

「……ここまでは、追ってこないと思っていたのに」

 げんそうに呼ばれるのを遠く耳にしながら、独り言のようにつぶやく。

「『ここが神のぜんであることには変わりない』──結局、あれも建前だったということね」

 でなければ、神の住まう山だと説明した神域に踏みいってくるわけがない。

 そうかわいた笑いをにじませた瑠璃は、ふいに背中の体温がはなれるのを感じた。どうするつもりかとされるがままになっていると、急に身体を反転させられる。

「っ、な、にを…っ」


 むかいあう形でりようかたを痛いほどに摑まれ、さすがに声を荒げれば、見たこともないほど険しい表情が返った。

「好きな女が傷ついてる時に、神だのなんだの関係あるか!」

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