三章



 しゃらり、とかがりを反射して揺れる、かみされた金細工がすずやかな音をたてる。玉を連ねたくびかざりもまた、揺れるたびにれあいひびきあう。その合間に耳に届くのは、動きにあわせてられるさかきれの音だ。

 それらの音色をまとうようにして、瑠璃がよいやみの中、っていた。

 篝火に浮かびあがる、長いそでひるがえして舞う姿はいんえいいろどられ、息をむほど神秘的だ。それでいて、時折目に映る火明かりに照らしだされた横顔は、ひどくつやめいて見える。

 ちらちらと不規則に光を返す挿頭かざしそうしよく品、彼女の手にした榊の葉が、なおのことこの世のものとも思えぬ風景を作りあげていた。

 まばたきするのもしむようにその光景を見つめていた紫苑は、すっと横に並んだ気配に目をやることもなかった。

「これはたまりですか」

 かたわらを見もせず静かに問えば、すうはくちんもくが返った。

「──ええ。たて続けに起きたさわぎのせいで、里の者たちが不安をうつたえましたので」


へいおんな里だ、騒ぎのことが広まるのもあっという間でしょうね」

 暗に『だれかが持ちこんだやつかいごとのせいで』と告げられたのも気づかぬふりで、なるほどとあいづちを返す。

 おまえが言うな、という冷たい気配を無視して、紫苑は舞い続ける瑠璃に目を細めた。

 毎朝、しん殿でんささげられるほうのうまいとはちがう。あの音と舞で神を招き、自らの身をり代として神を降ろすことで、じやはらっているのだ。

 それが神殿ではなく、真朱のしきの庭でおこなわれているのは、ここで死のけがれがあったからだろう。

 ──あとは、人の目に触れる形でしきをすることで、人々の不安もはらおうってことかな。

 神聖な儀式、というには政治的な打算も見えかくれする──が、そんなものは関係なく、火明かりに映しだされる瑠璃はただただ美しかった。

「──単刀直入に申しあげます」

 視線ひとつよこさないこちらにれたように、無視できない強さを宿した声がおちた。

 そこでようやく紫苑はとなりに立つ男──翡翠へと目を移した。

「どういうつもりかは知りませんが、彼女に──瑠璃にちょっかいをだすのはめていただきたい」

「彼女がこの国のだから?」

 するどい眼光とともに低くよこされた忠告に問いを返す。

 もともとよっていたけんしわがぐっと深まった翡翠に、れそうになった笑いをみ殺す。余計ないかりを買って瑠璃のじやをするわけにはいかない。

「それもあります」

?」

おさむすめとはいえ、しよせんものを知らない田舎いなかの娘です。あなたの甘言を真に受けてしまいかねませんので」

「甘言ってひどいな。瑠璃にむけた言葉は全部本心だよ」

「ならば、なおさらです。瑠璃はこの地になくてはならない存在、まどわすのは止めてもらいましょう」

「それが理由なら、聞けないな」

「なにを…っ」

 声をあらげかけた翡翠に、紫苑は「しっ」とくちびるの前に人差し指を立てた。翡翠がはっとしたように声を吞む。

「この地に瑠璃が必要だっていうなら、オレがとどまればいいだけの話じゃない?」

 せいじやくこわさないようささやくように告げれば、むこうが目を見開いた。開きかけた口は、しかしすぐに閉ざされ、代わりにまなざしがこれまで以上の険を帯びる。

 目は口ほどにものをいい、だな、と思っていると、彼は気をおちつけるようにゆっくり息をきだした。

「なにをなことを……」

「だから、まぎれもない本心だって」

 あなたと違ってね、と内心続けた声が聞こえたように、翡翠がすっとそうぼうを細めた。

「──どんなおもわくか知らんが、瑠璃を利用させるつもりはない」

 大倭とれあうつもりもな。

 言い捨てるように告げ、翡翠が背をむける。これ以上、話す余地はないという意思表示だろう。

 静かに、けれどふんぜんと遠ざかっていく背中に、紫苑はうすみをいた。

なおじゃないねぇ」

 瑠璃が心配なら心配だと言えばいいのだ。彼女いわく、厳しいのは国や瑠璃を思ってのこと、とのことだったが、自分から見たらあやうい強さだ。

「おかたいばっかりがいいってわけじゃないよ?」

 たとえるなら、彼は石だ。強固な守りにはなるだろう。だが、ただかたいばかりではより強大な力とぶつかった時、割れるだけだ。

 それでは守りたいものは守れない。

「そもそも、大事な子の笑顔も守れないようじゃ、ね」

 独りごちて、紫苑は瑠璃へと目をもどした。

 かみかりとはこういうことか、と思う。素直に、美しいとも。

 それでも──とり戻したいものがある。

『お兄さん、笑ったらいいのよ』

 今も耳に残る、遠いおくの声を聞きながら、紫苑は儀式が終わるまでその場にたたずんでいた。




 くあ……と漏れそうになった欠伸あくびを嚙み殺す。

 早朝とはいえ、どこに人目があるかわからない以上、気をいた姿はさらせない。

「昨晩のあれで、すこしはおちついてくれるといいんだけど……」

 里にたて続けに起こった騒ぎのせいで、昨日一日、瑠璃はあちらこちらで呼び止められるはめになった。そうして、なにかよくないことが起こる前兆ではないか、これをけいに大倭王朝がめこんでくるのではないか、と男女を問わずしつもんめにあったのだ。

 一歩間違えば人命にかかわることだっただけに、里人たちは不安をあおられているらしい。

 ちょっとした事故だと説明したものの、そのままにしておくわけにもいかず昨夜の儀式をりおこなったのだが──

「──ちょっとした事故、か」

 瑠璃自身、いまだ胸に宿るおんかげぬぐえずにいた。

 あれは、本当に事故だったのだろうか。

 仮に事故でなかったとしたら、だれが仕組んだことなのか。

 紫苑は『たまたまだ』と気にも留めていなかったが、琥珀の言うようにぐうぜんが二度も起こるものだろうか。

 ただ、これをきつめて考えていくと、胸がふさがれるような息苦しさを覚えるのだ。

「……ふたつの事件が意図されたものだったとして、一体だれが?」

 それを吐きだすようにつぶやいてみる。

「従者の二人には、紫苑さまをねらう理由がない」

 のうに、見た目も性質も対照的な二人の姿がかぶ。

 彼らには理由がないことに加え、せい殿でんにヘビをけるには無理があるだろう。彼らの仮住まいであるべつむねとは違い、正殿にはそれなりに人の目がある。付近をうろうろしていたらこちらの耳にはいらないはずはない。

 おまけに、紫苑たちをむかえにいった際、三人ともそろっていた。あのヘビがいつからいたのかはわからないが、部屋の準備が整ったあとなのはたしかで、仕掛ける時間的なゆうは彼らにはなかったはずだ。家人のだれかをとりこんでいたとしたら、話は別だが。

「あとは出水に皇子みこおとずれていることを知った、外部の人間」

 ちようていのことはよくわからないが、五番目の皇子とはいえおおきみの血をひく王族──つまりは、大王の座をぐ権利はある。一人でも競争相手を減らそうとする、政敵の一人や二人いてもおかしくはない。

「今ならわたしたちのせいにできるし」

 だけど、と瑠璃は神殿への道のりをたどりながら屋敷の方をり返った。

「もしかして、翡翠兄さま……」

 時機や場所を考えると、その可能性を浮かべずにはいられないのだ。

 馬は偶然かもしれない。だが、あのそうどうのあとに翡翠が告げたことを思いだすだに、毒ヘビのことは仕組まれたことであってもおかしくない。

 むろん、本当に命を狙ったわけではなく、『早々におひきとり願おう』という意思表示として、だ。

 出水を守るためなら、何食わぬ顔でそれくらいのことはやってのけるだろう。

「……」

 瑠璃は額の上をなでつけるようにしながら、静かに息をついた。

 このしんあんおのおのに呼び起こすことこそが目的なら、犯人──いるとすれば、だが──は上手にやったというべきだろう。

 紫苑のことといい、今回の騒動といい、なやみばかりが積み重なっていく。

 とはいえ、悩んでばかりもいられない。あいもかわらず、やるべきことも時間も待ってはくれないのだ。

 ひとまずは、としん殿でんへ顔を戻した瑠璃は、ふとそこにあるひとかげに気がついた。

「? しお──」

 いつものように紫苑がきているのだろうか、とその名を口にしかけ、はたと唇をざす。

 ──ちがう。

 自分たちのまつる神でなかろうと尊重すべきだという考えを持つ彼なら、こちらの勤めを邪魔するようなはしないはずだ。現に、今まで一度だって神殿にむかう際に姿を見かけたことはなかった。

 それに、どこか様子がおかしい。長いきざはしの下、支柱の間をなにかさぐるように歩き回っているのだ。里の人間なら、階とはいえむやみに社の下にもぐりこむとは思えない。

 だとしたら──

「──そこにいるのは、だれ?」

 瑠璃は高くすいを投げた。

 朝のんだ空気にりんとした声がひびく。たん、動きを止めた人影は一目散にけ去る……かと思いきや、こちらへとむかってくる。

 思わず身構えた瑠璃の脳裏に、皇子を狙う第三者の可能性がよぎる。

「だれ、とはごあいさつね、むすめ

「珊瑚、さま」

 だが、皮肉げに声をかけてきたのは珊瑚だった。遠目とはいえわからなかったのは、その格好だ。

 早朝だからだろうか。いつもは高くわれているかみかたへ流すようにしてひとつに結われ、そうしよく品のたぐいもほとんどつけていない。

「失礼いたしました。──このような朝早くから、ここでなにを?」

 非礼をびつつ問うた瑠璃に、珊瑚は小さく鼻を鳴らした。

「異常がないかたしかめにきたに決まってるでしょ。あんなことがたて続けにあったんだから」

「それ、は……」

 どうやら毎朝ここを訪れる紫苑に先立ち、異変はないかかくにんしにきたらしいが、面とむかって『あやしんでいる』と言われているに等しいそれに自然と瑠璃のまゆがよる。

「やはり、お疑いなんですね」

「紫苑さまが違うって言うなら違うんでしょうよ。──なつとくできるかどうかは別として、だけど」

 ついこぼれた言葉に、珊瑚がろんげに目をすがめた。

「大体、大王をないがしろにするあんたたちの、なにを信じろっていうわけ? 信じてもらいたいならそれなりの誠意を見せなさいよ、誠意を」

 もっともな言い分に、言葉につまる。

 そんな瑠璃に珊瑚は再び鼻を鳴らした。

「そうだ、良い機会だから聞いとくわ。──あんた、一体紫苑さまのことどう思ってるワケ?」

「どうって……」

 のぞきこむようにして問われ、鼻白んであごをひく。

「なんとも思ってないなら、思わせぶりな態度をとらないでよね。いやらしい」

「思わせぶりな態度なんてとってません」

 これには心外だとまなじりりあげれば、「ふん、どうだか」とひどく冷ややかなまなざしとぶつかった。

「はっきり言って、じやなのよ、小娘。あの方がこんなところで大王の命をはたせずくすぶってるのも、あんたのせいじゃない」

「言いがかりはめてください」

 瑠璃は負けじと目に力をこめた。

「疑われるのはしかたがありません。だからといって、紫苑さまの行動の責任までこちらにかぶせられても困ります」

「……言ってくれるじゃない」

 まなざしはそのままに、珊瑚のくちびるがうっすらとえがく。

「それだけ生意気な口がきけるくらいだもの。当然、次になにかあった時は責任とってくれるのよね?」

 覚えておくわ、と捨て科白ぜりふのように言い置いて、珊瑚はくるりと背をむけた。それは論点が違うとこちらが反論するすきあたえず、あっという間に立ち去っていく。

 はからずも見送る形になったうしろ姿に、瑠璃は言いそこねた言葉をきだすように息をついた。

「あの人たちがきてからというもの、やつかいごとばっかりね」

 頭をひとつ振って、歩を再開する。

 たどりついた神殿を前に長い階を見上げると、瑠璃は雑念をはらうように一歩一歩段をのぼりはじめた。





「あ、さま!」

 昼過ぎ、先日だめになってしまったこんを改めて採取し直そうと里の外へでた瑠璃は、さほどいかないうちにかけられた声に足を止めた。

 またか、とためいきをつきたい気分をおくびにもださず、あわてた様子でこちらへ駆けてくる初老の女性に挨拶する。

「こんにちは」

「ええ、こんにちは……いや、挨拶なんぞは今はええんです。それより巫女さま、外へでられるつもりなら今日は止められた方がええ」

「? どうしてです?」

 しんけんおもちで首を横に振った女性にまどう。雨が降りそうだとか、特に止められる理由もないのに止めろとはどういうことだろう。

「さっき畑仕事してる時に、見たんですよ」

くまいのししでも……?」

「そんなもんじゃありゃしません。見慣れぬ男どもが畑のむこうをとおるのをですよ」

「見慣れない男たち?」

 おんさを増した内容に、瑠璃は軽く眉をひそめた。

「ええ、あれはこのあたりの人間じゃあない。まるで、ほら、あの都からきたっちゅう連中のようじゃった」

「──皇子さま方と同じようなふうていだった、ということですか?」

「ええ、ええ」

 何度もうなずく女性に、どうが、どくり、と鳴る。

「まさか……」

 本当に、紫苑をねらう外部の人間が……?

 疑心暗鬼とは別の、きようともあせりともつかない感情が、背中をふるわせた。

「巫女さま?」

 急に顔色を悪くしてだまりこんだ瑠璃を、づかわしげに女性がのぞきこんでくる。急いで思考のふちから意識をひきもどし、なんでもないのだと首をった。

「そういうことなら、今日は止めておきます。あと、父たちにも念のために伝えておきますね」

「ああ、それがええです。最近、なにかとぶつそうですしなぁ」

「教えてくれてありがとうございました」

 やれやれといったぜいで大きく首を左右にした彼女に礼を告げ、瑠璃はきびすを返した。はやりそうになる足と心をなんとか押しとどめつつ、里へと戻る。

 ゆうかもしれない。そもそも彼女の見間違い、もしくはかんちがいということもある。

 だが、みように胸がさわいだ。

 紫苑が狙われている可能性がある以上、このまま捨て置けない。

「もしかしたら、しびれをきらしたおおきみからの別口の使者かもしれないけど……」

 一応別の可能性を考えてみる。が、自分で口にしてみたものの、やけに空々しく耳に届いた。

 使者ならば正々堂々と里へはいってきたらいい話で、こそこそする必要はない。なにより、追加の使者にしてはくるのが早すぎる。

 ──一応、知らせておくだけ。あんなことがたて続けにあったんだもの、用心してしすぎるということはないはず。

 自分を納得させるように、胸の中でつぶやく。

 そうしながら駆られる不安に背中を押されるように瑠璃は先を急いだ。

皇子みこさまは? こちらにいらっしゃる?」

 しきの門をくぐり、いきあった家人に紫苑の居場所をたずねる。

 いつになくせつまった様子の瑠璃に、相手はされるように頷いた。

「は、はい。派手な……いえ、従者のお一人はでておられますが、皇子さまは本日はお出かけにはなっていないようです」

「そう、ありがとう」

 そのままとおりすぎようとして、あ、と足を止める。

「ごめんなさい。これ、片付けておいてもらえる?」

 背負ったままだったかごと手にしたくわを家人に預ける。気が逸って忘れていたが、さすがにこんなものを持っていては、しつけえて物騒だ。

 瑠璃はすこし冷静になった頭で、衣服のすなぼこりを払い、手ぐしで乱れたかみを整えた。

 ──派手ってことは、珊瑚さまはいないんだわ。

 こちら側にわくがかかっている最中に、護衛である彼が出歩いていることにかんを覚えるが、朝のこともある。彼らは彼らでなにかをさぐっているのかもしれない。それだけ琥珀に信用を置いているということでもあるのだろう。

 せい殿でんべつむねつなぐ出入り口で見張りに立つ者に念のためと在室を問えば、さきほどと同じ答えが返ってくる。

「ごいつしよいたしましょうか?」

 当然一連の騒動を知っている男が声をかけてくるが、瑠璃は「すこしお伝えしたいことがあるだけだから」と断った。

 一人別棟のしきへと足をみいれながら、さてどう伝えたものか、と今さらながらに思案する。

 ──ここは、余計な考えをさしはさまず、見慣れない者たちが里のまわりをうろうろしているからって注意をうながすにとどめるべきかしら……。

 見てもいないのに、都風の、などつけ加えるべきではないだろう。出水と大倭、両者の関係がぴりぴりしている今、極力誤解を招きそうな言葉はひかえた方がいい。

 要は、紫苑にけいかいを促せたらいいのだ。

「今朝もきてたしね……」

 つう、あんなことがあったあとは用心するものだろう。なのに彼は、昨日も今日もなにごともなかったように朝の勤めを終えた瑠璃のもとへ現れた。ぴりぴりしていたのは、琥珀や珊瑚だけだ。

 本当にぐうぜんだと思っているのか、そうよそおっているのかはわからないが、ここまで変わらないのは狙われた当の本人だけだ。

 実際のところ、紫苑はどうとらえているのだろうか……ときざはしへむかおうとした瑠璃は、

「──いつまでこのようなことを続けられるおつもりです」

 いらだち混じりの声に、とっさに曲がったばかりの建物の角へ身をかくした。そうっと声の方をうかがうと戸口付近にふたつのひとかげがある。

「どいてくれる? 瑠璃のとこにいかなきゃいけないんだから」

「それを! いつまで続けられるのかと聞いているんです」

 彼にしてはめずらしく、琥珀が険をあらわに紫苑へ食ってかかる。どうやら、でかけようとする紫苑と止める琥珀でめているようだ。

 今でていくのはまずい、とはださとって瑠璃は息をひそめた。

「あのむすめに近づいたのは、もちろん紫苑さまなりのお考えあってのことでしょう。が、これ以上はむだです」

「──!」

 あがりそうになった声を、すんででそでで押さえてみこむ。

 この話の中心は、自分だ──。

「むだ?」

「ご自身を危険にさらしてまでげんをとる意味はないということです」

 色のない声が短く問えば、溜息混じりのこわが答える。

 これ以上、聞いてはいけない。──頭のどこかがそううつたえかけてくるが、瑠璃はこおりついたように動けずにいた。

「こうなったからにはあの娘をおどしてでもそそのかしてでも、大王の命である出水の秘薬──トキジクノカクノコノミを……」

 トキジクノカクノコノミ。

 そのひびきを聞いたたん、今まで動かなかった身体からだうそのように大きくらいだ。無意識に身体を支えようとした足が、一歩うしろへさがる。

 ざり…っ、と本当にかすかな音が足元からあがったしゆんかん、琥珀の言葉がぴたりと止まった。息を吞む気配が二人分伝わってくる。

「だれだ!?」

 するどすいが耳を打つ。

 そくに場の空気がぴんっと張りつめた。

 そのわずかな間に、瑠璃ののうめぐっていくものがあった。

 はじめて会った時に告げられた、婿むこにしてくれという言葉。ひとれとしようして会いにきていた日々。

 ひんぱんに里の中を出歩いていたことや、里の人々に気軽に声をかけていたこと。

 こんな時にもかかわらず、珊瑚がここにいないわけ。さらには、なぜあんなところをうろついていたのか。

 そして、翡翠に問うた『橘の里』の由来──。

 ──……そう、だったんだ。

 ぐっと手足に力がこもる。『あの皇子は別の目的で動いている可能性がある』という翡翠の言葉が、耳の奥によみがえった。

 すべては──この『目的』のためだったのだ。

「……っ」

 瑠璃はやおらおもてをあげると、さがっていた一歩を踏みだした。もう一歩、踏みしめるようにして前へとでる。

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