二章_二
ぽん、ともう一度握った手を
こちらを見下ろした
「それでみんながよくなるなら、神さまだろうと薬草の効能だろうと関係ないよ」
明るい声が晴れ
そうしてなにごともなかったように
「これくらいで大丈夫かな」と土を
「あ……この
瑠璃はすこし
いいんじゃない?──あっさり言い放たれた言葉が、耳の奥でこだまする。
──そっか、いいんだ……。
すとんと胸におちてきたそれに、逆に胸のうちが軽くなった気がした。
いつも、巫女がそんな
瑠璃の口元に、あるかなしかの
彼女自身気づいていないそれに紫苑が優しく目元を
「──キミはその小さな手で、どれだけのものを
口の中で
里に近づくにつれ、畑仕事をしている人々の姿がちらほらと目にはいってくる。
逆を言えばそれはむこうも同様で、瑠璃たちを認めた里人たちは作業の手を止め、深々と頭をさげた。
そのたびに軽く頭をさげ返す瑠璃に、
「あんなに遠くからでも瑠璃だってわかるんだ。──あ、もちろん、オレだってどんなに遠くたって瑠璃なら見分ける自信あるけど。それだけ瑠璃が里の人たちに好かれてるってことだね」
採取した紫草を籠につめ、二人──いや、三人は里へと
自分が背負うからと固辞したものの聞きいれられず、籠は紫苑の背だ。さらに、馬の
琥珀はといえば、自身の馬とともにすこし
紫苑の言に、瑠璃は緩く首を横に
「好かれている、というわけでは……わたしは長の娘で、なにより巫女ですから」
痛みに
「──瑠璃は敬われるのが、イヤ?」
「……っ」
投げかけられた静かな
覚えず紫苑の方へ首を
もう、里は目の前だ。
里を囲う形で
「瑠璃ってあんまり感情を表にださないよね。はじめは、オレたちを
出入り口をとおり
どくり、と胸が
なのに、ひたと
「瑠璃が笑わないのは、
低く、瑠璃の耳にだけ届くような
こくり、と
ソラが心配げに顔をだしたことにも気づかず、紫苑の視線にからめとられたように立ちつくす。
──……わたしは、
「わた、しは──」
息苦しくて、
「!?」
二人の間にあった重苦しい空気が
「大変…っ」
つまずいたのだろう、すこし先で三つ四つと
とっさに
こんな時になんのつもりかと目元を険しくする。が、当の紫苑はこちらを
「紫苑さま?」
呼びかけにも振り返らず男の子の方へ歩いていく彼を
紫苑は地面に
「こーら、男が転んだぐらいで泣くんじゃない」
「紫苑さま、まだ小さいですから」
助け起こそうともしない彼に、
その
「いいか、男は大切な人を守らなきゃならないんだ。こんなことぐらいで泣いてたら、だれも守れないぞ」
子どもだからといってあやすでもない
「……まも、る?」
「そう。そのためには強くならないとな」
はらはらしながらなりゆきを見守っていると、紫苑の言ったことがどこまで理解できているのか、男の子はぐすぐすと泣いた
「よし、いい子……や、それでこそ男だ」
紫苑が破顔して男の子の頭をなでる。泣きたいのを
無事おさまった場にほっとしつつ、すこし意外に思う。
──この人なら、
かといって、男なら泣くな、と突き放すだけでもない。
「
顔や服についた土を
「……いたい」
とはいえ、
「ああ、あとで水で
これくらいなら自然と治るだろう、と
「だから、とりあえず──」
右手で男の子の手を
「痛いの痛いのとんでいけー!」
子ども
どう? と小首を
「すごい! いたくなくなった」
よかった、とつられて口元を
「──こういうとこは変わらないな」
「? 今、なにか……」
「ん? ああ、ほら、その子のお
「おかあさん!」
気づくが早いか、ぱっと男の子が駆けだしていく。その
「申しわけありませんっ、ご
「いえ、たいしたことではありませんから」
瑠璃は
「それより手を擦りむいていますから、水で綺麗に清めてあげてください」
「わかりました。──ほら、いくわよ」
そそくさと立ち去る母親に手をひかれた男の子が、「あ」と首だけをくるりとこちらへむけた。
「みこさま、ありがとー」
「ええ、きちんと綺麗にしてね」
「ああ、もう転ばないようにしろよ」
笑顔の男の子に、瑠璃と紫苑の声が
「……」
「そういえば、皇子さまでしたね」
「あははっ、瑠璃も巫女さまだね」
そう、どちらもみこで、お互い反応してしまったのだ。
「けど、よく考えなくてもオレのわけないのに。オレがどこのだれかなんて、あの子が知ってるはず──」
ふつり、と言葉が
え? と思う間もなく、激しい
「紫苑さまッ!」
追うように響いた
まず目に映ったのは、こちらへと
それらが一瞬のうちに視界に飛びこんできた。
しかし、
「瑠璃ッ」
横から突っこんできた
「──ッ」
大きななにかに包みこまれるようにして、身体が反対側へと突き飛ばされる。上も下もわからない
やがて、シン……と不自然な静けさが場におちてもまだ、瑠璃は自身の身に起こったことを
──今、馬が暴走して……たしかそれで、突き飛ばされて……。
「──ぃたた……」
混乱する頭で出来事をひとつひとつ整理していると、すぐ近く──というより真下から軽い
「紫苑さま! ご無事ですか!?」
ついで上から降ってきた
「!? 紫苑、さま…っ」
そこでようやく、抱き
「もうしわけ…っ」
慌ててどこうとするが、うまく身体が動かない。
「へ、きだって。それより、琥珀」
そんな瑠璃の背をなだめるように
「馬、すぐに追って。あのままにしといたら、里に
「なっ、しかし!」
「琥珀」
「……承知いたしました。ですが、ひとつだけ──お怪我は」
「ないない、ちょっとぶつけただけ」
ひらひらと
足音が
「どっか痛いところは?」
「っ……それは、こちらの
かばってもらった上にされた心配に、瑠璃は意識せず声を張りあげていた。
「紫苑さまこそ、お怪我は!?」
がくがくと笑う手足を
「あー、オレは大丈夫だけど……これは、大丈夫じゃない、かな」
「そんなものは、どうでもいいんです!」
「ははっ、まあね。おかげで二人ともたいした怪我もないみたいだし……あ、この子は大丈夫だった?」
「ソラ…っ」
瑠璃はあわせをのぞきこむようにしながら胸に両手をあてた。
声をかけながら擦るようにしてなでれば、衝撃に目を回していただけなのか、ソラはすぐに目を開けた。
「よかった……」
思わずその温もりに
そうして無事をたしかめたソラを
「紫苑さま、助けていただいてありがとうございました」
一礼して顔をあげた瑠璃に、紫苑は
「暴走したのはオレの馬だし、むしろこっちが謝らないと。──けど、瑠璃の色んな面が見られたのは不幸中の幸いだったかな」
よいしょっと、と
「色んな面?」
「そ、笑ったり──あ、これは馬の暴走とは関係ないけど──
そりゃお互いにしがらみはあるけどね、と手をさしだされる。
思ってもみなかった言葉に、瑠璃はその手をじっと見つめた。
「普通、の……」
導くようにさし
「──瑠璃ッ」
「翡翠兄さま」
「
「あ、はい、しお……
「──そうか」
ひとつ息を
「瑠璃が助けていただいたようで、感謝します」
どうやらどこかから一部始終を見ていたらしい。礼を言っているとはとても思えない高圧的な態度に、「兄さま」とつい
しかし、当の紫苑は
「いや、もとはといえばこちらの不注意なので。かえって
「……ところで、なぜ彼女と一緒だったのか、お聞きしても?」
「ははっ、
なんでもない会話なのに互いに口を開くたび、きりきりと空気が張りつめていく。それは弓の
「薬草の採取を手伝っていただけですよ。おかげで時間だけはたっぷりあるので」
残念ながらむだになってしまったが、と紫苑がだめになった籠を
「それは、とんだお手数をおかけしました。これにはよく言っておきます」
息をつめるようにして二人のやりとりをうかがっていた瑠璃は、その一言に静かに目を
そんな彼女の様子を察したように紫苑が、
「それには
ね? と翡翠
翡翠の広い背中が、ぴくりと揺らぐ。
彼が口を開くより先に顔をひっこめた紫苑は、「ああ、そうそう」とわざとらしく手を打った。
「あなたか真朱どのにお会いしたら、聞いてみたいことがあって」
「──なんでしょう」
「この里は、なぜ、橘の里と言うんです?」
なにげない
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