二章_二



 ぽん、ともう一度握った手をたたき、立ちあがった紫苑に、瑠璃は目をしばたいた。

 こちらを見下ろしたたんせいな顔が、にっこりと笑う。

「それでみんながよくなるなら、神さまだろうと薬草の効能だろうと関係ないよ」

 明るい声が晴れわたった空に吸いこまれていく。

 そうしてなにごともなかったようにむらさきそうを手にとった紫苑を、ぜんと目で追う。

「これくらいで大丈夫かな」と土をはらったそれをまとめはじめた彼に、

「あ……このかごに」

 瑠璃はすこしはなれた場所にあった籠をとりに、ぎこちない動きでこしをあげた。

 いいんじゃない?──あっさり言い放たれた言葉が、耳の奥でこだまする。

 ──そっか、いいんだ……。

 すとんと胸におちてきたそれに、逆に胸のうちが軽くなった気がした。

 いつも、巫女がそんなをする必要はない、としぶい顔をする父や翡翠の姿が頭のかたすみにあった。そのおもかげがすこし遠くなる。

 瑠璃の口元に、あるかなしかのみがかぶ。

 彼女自身気づいていないそれに紫苑が優しく目元をなごませ、

「──キミはその小さな手で、どれだけのものをかかえてるんだろうね? 務めだけはたしてたってだれも責めたりしないのに」

 口の中でつぶやいたのに、やはり瑠璃が気がつくことはなかった。





 里に近づくにつれ、畑仕事をしている人々の姿がちらほらと目にはいってくる。

 逆を言えばそれはむこうも同様で、瑠璃たちを認めた里人たちは作業の手を止め、深々と頭をさげた。

 そのたびに軽く頭をさげ返す瑠璃に、となりをいく紫苑が、へぇ、と感心するように声をあげた。

「あんなに遠くからでも瑠璃だってわかるんだ。──あ、もちろん、オレだってどんなに遠くたって瑠璃なら見分ける自信あるけど。それだけ瑠璃が里の人たちに好かれてるってことだね」

 採取した紫草を籠につめ、二人──いや、三人は里へともどちゆうだった。

 自分が背負うからと固辞したものの聞きいれられず、籠は紫苑の背だ。さらに、馬のづなをひくのとは反対の手にくわまでもが握られていた。

 琥珀はといえば、自身の馬とともにすこしきよをあけてついてきている。──余談だが、籠は自分が背負うと申しでた彼を、「なんでおまえにいいところをゆずらなきゃならないの」と紫苑はいつしゆうした。

 紫苑の言に、瑠璃は緩く首を横にった。

「好かれている、というわけでは……わたしは長の娘で、なにより巫女ですから」

 みな、自分の背後にあるものに頭をさげているだけだ。そうして、頭をさげられるたびに小さなとげさったように胸がうずくのだ。

 痛みにえるように表情をこわばらせた瑠璃の横顔へ、紫苑がじっと視線を注いだ。

「──瑠璃は敬われるのが、イヤ?」

「……っ」

 投げかけられた静かなこわきよかれる。

 覚えず紫苑の方へ首をめぐらせた瑠璃を彼はいだ表情で受け止めると、ついっと前をむいた。

 もう、里は目の前だ。

 里を囲う形でへいのような高い木のさくが立ち、その外側にそってほりられている。いつしよだけ開けられた里のうちへと通じる道をいきながら、「ずっと、気になってたんだ」と彼は変わらぬ静けさで続けた。

「瑠璃ってあんまり感情を表にださないよね。はじめは、オレたちをけいかいしてるからかなって思ってたんだけど」

 出入り口をとおりけてすこしいったところで、紫苑は足を止めた。くるりとこちらへむき直る。

 どくり、と胸がいやな音をたてる。

 なのに、ひたとえられたまなざしから目がそらせない。

「瑠璃が笑わないのは、だから? それとも──巫女でいることが、苦痛?」

 低く、瑠璃の耳にだけ届くようなささやきで、しかし真っ正面から切りこまれる。

 こくり、とのどが鳴った。指先がかすかにふるえる。

 ソラが心配げに顔をだしたことにも気づかず、紫苑の視線にからめとられたように立ちつくす。

 ──……わたしは、おさむすめで。嫌だとか、言える立場じゃ、なくて。だけど、感謝をささげられるたび……苦しく、て。だって、

「わた、しは──」

 かわいてしわがれた声が、喉にひっかかる。

 息苦しくて、あえぐように息を吸いこんだ時、ズザーッ、となにかが地面をすべる音に続いて、火のついたような泣き声がひびき渡った。

「!?」

 二人の間にあった重苦しい空気がいつしゆんにしてき破られ、瑠璃ははじかれたように泣き声の方を見やった。

「大変…っ」

 つまずいたのだろう、すこし先で三つ四つとおぼしき男の子がうつぶせの状態で地面にたおれこんでいた。

 とっさにけよろうとした瑠璃の前をふさぐように、すっとびたうでがあった。紫苑だ。

 こんな時になんのつもりかと目元を険しくする。が、当の紫苑はこちらをいちべつもせず、にぎっていた手綱と鍬を放すと男の子の方へみだした。

「紫苑さま?」

 呼びかけにも振り返らず男の子の方へ歩いていく彼をあわてて追いかける。

 紫苑は地面にいつくばったまま泣いている子の前でしゃがみこんだ。

「こーら、男が転んだぐらいで泣くんじゃない」

「紫苑さま、まだ小さいですから」

 助け起こそうともしない彼に、こんわくしつつ手を伸ばそうとする。しかし、「小さくても関係ない」とぴしゃりとさえぎられた。

 そのはくりよくにか、男の子の泣き声がじよじよに力を失う。うかがうようにあげられた幼い顔へ、紫苑は一層顔をよせた。

「いいか、男は大切な人を守らなきゃならないんだ。こんなことぐらいで泣いてたら、だれも守れないぞ」

 子どもだからといってあやすでもないしんけんな声に、なにかを感じとったのか、男の子がぐすりと鼻を鳴らした。

「……まも、る?」

「そう。そのためには強くならないとな」

 はらはらしながらなりゆきを見守っていると、紫苑の言ったことがどこまで理解できているのか、男の子はぐすぐすと泣いた名残なごりをひきずりつつ、両手を地面についた。ゆっくりとおぼつかない動きで立ちあがる。

「よし、いい子……や、それでこそ男だ」

 紫苑が破顔して男の子の頭をなでる。泣きたいのをまんしているのだろう、口を真一文字に結びながら男の子がこくりとうなずいた。

 無事おさまった場にほっとしつつ、すこし意外に思う。

 ──この人なら、き起こして助けそうなのに。

 かといって、男なら泣くな、と突き放すだけでもない。

 やわらかでいながらしんのある、ただやさしいだけではない姿に彼の別の一面を見ながら、瑠璃は立ちあがった紫苑の代わりに男の子の前でひざを折った。

だいじよう? は?」

 顔や服についた土をはらいながら、全身に視線を走らせる。下衣の膝がすこしれているが、派手に転んだ割にはたいした怪我はなさそうだ。

「……いたい」

 とはいえ、なみだごえでさしだされたりようてのひらはところどころ擦り切れ、血がにじんでいた。

「ああ、あとで水でれいにしないとね」

 これくらいなら自然と治るだろう、とそででそっと土を払って、瑠璃はその小さな両手を左手の上に並べた。

「だから、とりあえず──」

 右手で男の子の手をおおうようにして包みこむ。

「痛いの痛いのとんでいけー!」

 子どもだましのまじないをことさらしんみような声音で唱え、ぱっと覆っていた右手をはなす。

 どう? と小首をかしげれば、男の子はぱちぱちっとまばたきして、かがやくようながおになった。

「すごい! いたくなくなった」

 よかった、とつられて口元をほころばせた瑠璃のうしろで、

「──こういうとこは変わらないな」

 ひそやかな呟きがおちる。

「? 今、なにか……」

「ん? ああ、ほら、その子のおむかえがきたみたいだよって」

 かたしに紫苑を振り返ったものの、指で示され、すぐにそちらへ視線を移す。たしかに、血相を変えた女性がこちらへ走ってくるところだった。

「おかあさん!」

 気づくが早いか、ぱっと男の子が駆けだしていく。その身体からだを抱き留めながら、母親が何度も頭をさげた。

「申しわけありませんっ、ごめいわくをおかけして」

「いえ、たいしたことではありませんから」

 瑠璃はすそを払いながら立ちあがった。

「それより手を擦りむいていますから、水で綺麗に清めてあげてください」

「わかりました。──ほら、いくわよ」

 そそくさと立ち去る母親に手をひかれた男の子が、「あ」と首だけをくるりとこちらへむけた。

「みこさま、ありがとー」

「ええ、きちんと綺麗にしてね」

「ああ、もう転ばないようにしろよ」

 笑顔の男の子に、瑠璃と紫苑の声がかぶる。ん? と二人は顔を見合わせた。

「……」

 いつぱく後、たがいに『あ!』と思いついたような表情になる。直後、どちらからともなく、ふっと小さくきだしていた。

「そういえば、さまでしたね」

「あははっ、瑠璃もさまだね」

 そう、どちらもで、お互い反応してしまったのだ。

「けど、よく考えなくてもオレのわけないのに。オレがどこのだれかなんて、あの子が知ってるはず──」

 ふつり、と言葉がれたかと思うと、笑っていた紫苑の顔からすっと表情が消える。

 え? と思う間もなく、激しいいななきと土をる音が背後から届いた。

「紫苑さまッ!」

 追うように響いたさけびに、瑠璃は反射的にり返っていた。

 まず目に映ったのは、こちらへととつしんしてくる馬の姿だった。そのうしろに、険しい顔つきで駆けよってこようとする琥珀が見える。

 それらが一瞬のうちに視界に飛びこんできた。

 しかし、じようきように頭が追いつかず暴走馬を前に立ちすくんだ瑠璃へ、

「瑠璃ッ」

 横から突っこんできたかげがあった。

「──ッ」

 大きななにかに包みこまれるようにして、身体が反対側へと突き飛ばされる。上も下もわからないしようげきに、ただ身をかたくしてさぶられるしかない。

 やがて、シン……と不自然な静けさが場におちてもまだ、瑠璃は自身の身に起こったことをあくしきれずにいた。

 ──今、馬が暴走して……たしかそれで、突き飛ばされて……。

「──ぃたた……」

 混乱する頭で出来事をひとつひとつ整理していると、すぐ近く──というより真下から軽いうめき声が聞こえてくる。

「紫苑さま! ご無事ですか!?」

 ついで上から降ってきたあせったこわに、瑠璃ははたと顔をあげた。

「!? 紫苑、さま…っ」

 そこでようやく、抱きめられるようにして彼をしたきにしていることに気づく。

「もうしわけ…っ」

 慌ててどこうとするが、うまく身体が動かない。

「へ、きだって。それより、琥珀」

 そんな瑠璃の背をなだめるようにたたいた紫苑が、琥珀を見上げた。

「馬、すぐに追って。あのままにしといたら、里にがいがでるかもしれない」

「なっ、しかし!」

「琥珀」

 あるじの身を案じてはんばくしようとした琥珀を、低い呼びかけがさえぎる。瑠璃からは見えないものの、彼がぐっと声をつまらせたのが気配でわかった。

「……承知いたしました。ですが、ひとつだけ──お怪我は」

「ないない、ちょっとぶつけただけ」

 ひらひらとひるがえった片手が、いけ、というように振られる。

 足音が躊躇ためらいがちに遠ざかっていくのにひとつ息をついた紫苑が、「よっと」とかけ声とともに上体を起こした。当然、上にのっていた瑠璃もいつしよに、だ。

「どっか痛いところは?」

「っ……それは、こちらの科白せりふです!」

 かばってもらった上にされた心配に、瑠璃は意識せず声を張りあげていた。

「紫苑さまこそ、お怪我は!?」

 がくがくと笑う手足をしつして彼の上からおりながら、視線を走らせ状態をたしかめる。

「あー、オレは大丈夫だけど……これは、大丈夫じゃない、かな」

 しようしつつ、紫苑が背中の方からりよせたのは、むらさきそうのはいったかご──のざんがいだった。とっさに背中側から地面へたおれこみ、それをかんしようざいに衝撃を最小限におさえたらしい。

「そんなものは、どうでもいいんです!」

「ははっ、まあね。おかげで二人ともたいした怪我もないみたいだし……あ、この子は大丈夫だった?」

 むなもとを指さした紫苑にまゆをよせかけ、彼の言わんとすることに気づく。

「ソラ…っ」

 瑠璃はあわせをのぞきこむようにしながら胸に両手をあてた。

 ぬくもりはあるが、反応がない。焦りを抑えつつ、しんちように小さな体をとりだした。

 声をかけながら擦るようにしてなでれば、衝撃に目を回していただけなのか、ソラはすぐに目を開けた。

「よかった……」

 思わずその温もりにほおずりする。

 そうして無事をたしかめたソラをふところへともどしつつ、瑠璃は紫苑へと居住まいを正した。

「紫苑さま、助けていただいてありがとうございました」

 一礼して顔をあげた瑠璃に、紫苑はゆるく首を振りながら笑った。

「暴走したのはオレの馬だし、むしろこっちが謝らないと。──けど、瑠璃の色んな面が見られたのは不幸中の幸いだったかな」

 よいしょっと、とこしをあげた紫苑に、瑠璃は軽く眉をひそめた。

「色んな面?」

「そ、笑ったり──あ、これは馬の暴走とは関係ないけど──おこったり、心配したり。今みたいにもっと感情をだしてもいいんだ、瑠璃は。つうの年ごろの女の子なんだから」

 そりゃお互いにしがらみはあるけどね、と手をさしだされる。

 思ってもみなかった言葉に、瑠璃はその手をじっと見つめた。

「普通、の……」

 導くようにさしべられたてのひらに、ぴくりと指が動く。が──

「──瑠璃ッ」

 ごうめいた呼びかけが耳を打ち、瑠璃はぱっと指先をにぎりこんだ。あらあらしく近づいてくる足音へと首をめぐらせながら、よろめくように立ちあがる。

「翡翠兄さま」

は? 大事ないのか?」

 そばにくるなりたて続けに問われ、されるようにうなずく。

「あ、はい、しお……皇子みこさまにかばっていただきましたので、わたしは」

「──そうか」

 ひとつ息をきだすと、翡翠は瑠璃をうしろへと押しやるようにして紫苑の前に立った。

「瑠璃が助けていただいたようで、感謝します」

 どうやらどこかから一部始終を見ていたらしい。礼を言っているとはとても思えない高圧的な態度に、「兄さま」とついとがめ声をあげてしまう。


 しかし、当の紫苑はいきどおるでもなく、りつけたようなみをかべた。

「いや、もとはといえばこちらの不注意なので。かえってめいわくをかけて申しわけない」

「……ところで、なぜ彼女と一緒だったのか、お聞きしても?」

「ははっ、こわいなぁ」

 なんでもない会話なのに互いに口を開くたび、きりきりと空気が張りつめていく。それは弓のつるがひきしぼられていく感覚によく似ていた。

「薬草の採取を手伝っていただけですよ。おかげで時間だけはたっぷりあるので」

 残念ながらむだになってしまったが、と紫苑がだめになった籠をいちべつして、からりと笑う。

「それは、とんだお手数をおかけしました。これにはよく言っておきます」

 息をつめるようにして二人のやりとりをうかがっていた瑠璃は、その一言に静かに目をせた。こうりよくとはいえ、翡翠の忠告を破って一緒にいたのだからしかたがない、とためいきを飲みこむ。

 そんな彼女の様子を察したように紫苑が、

「それにはおよびませんよ。自分が勝手に手伝っただけのこと」

 ね? と翡翠しにこちらをのぞきこんできた。

 翡翠の広い背中が、ぴくりと揺らぐ。

 彼が口を開くより先に顔をひっこめた紫苑は、「ああ、そうそう」とわざとらしく手を打った。

「あなたか真朱どのにお会いしたら、聞いてみたいことがあって」

「──なんでしょう」

「この里は、なぜ、橘の里と言うんです?」

 ひまかせて歩き回ってみたけれど、野山にもたちばなが多く植わっているわけでもないのに不思議で。

 なにげないりで問われたそれに、今度こそはっきりと翡翠の背が揺らいだのがわかった。



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