二章
「このあたりでいいかな」
瑠璃は背負っていた
少々危なっかしい
そうしてある程度
「秋にもうすこし採っておいたらよかったんだ、けど…っ」
力をこめて、根っこごとひき
よしよし、と
「──ちょっとくらい手伝ってくれてもいいんじゃない?」
気持ちよさそうに
紫草は名前のとおり、布や糸を紫色に染める
通常、地表部分が
春の日ざしの中、額の
「く…っ」
ひっぱっても抜けない根に瑠璃の眉根がよった。
相当深く根が張っているのか、鍬をいれたにもかかわらずびくともしない。
「え……?」
そんな瑠璃を知ってか知らずか、それらの持ち主は、
「ほら、いくよ」
大きな手で瑠璃の手のすぐ下あたりの茎を
「きゃ…っ」
あまりの
「おっと」
だが、地面にひっくり返るより先に、固いものに背中を受け止められる。
「
目を白黒させる瑠璃を上からのぞきこんできたのは、紫苑だった。
しばし
つられるように
「……っ」
こんな
それでもかすかに残った理性で、瑠璃は前にもうしろにも
──なに、これ……どうして、こんなことに!?
赤くなっているだろう顔を掌で覆う。一から整理しようにも思考が空回り、簡単なことのはずなのにうまくまとまらない。
その時、キュッ、と耳に届いた鳴き声に、瑠璃はわずかに掌を顔から
どうしたの? とでもいうように鼻をひくつかせるソラに、ふっと表情が
瑠璃はともかくおちつこうと大きく
「──紫苑さま?」
「うん」
さっきの今でさすがに
「どうして、ここに?」
「うん? 里で聞いたらここじゃないかって言われたから。──大変そうだったから手伝おうとしたんだけど、
ごめん、と
さすがにそう言われて文句をつけるほど、
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして……って、お礼にはまだ早いんじゃない? それにお礼なら──」
言いながら
そうして、彼の指先が
「ソラ?」
つられるように顔を
「──っと」
「ちょっ、ソラ!?」
「待ちなさい、ソラ!」
「すみません、紫苑さま。すぐに
「あー……うん」
さすがに困ったように紫苑が笑う。動いていいものか量りかねたように彼がじっとしているのをいいことに、ソラは肩から頭へと器用によじのぼっていく。
「なにしてるの……!」
瑠璃はぎょっとして、悲鳴混じりの声をあげた。
慣れない紫苑に
「こらっ」
こうなるとなりふりかまってはいられず、瑠璃は
小さな体を
とっさに彼の肩に片手をついて身体を支えた瑠璃は、
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫?」
さっと青ざめるが、粗相を責めるでもなく苦笑した彼に、かあっと顔が熱くなっていく。
「もうっ、遊んでるんじゃないんだから」
わかっているのかいないのか、ソラがキュッと鳴いて首を
「ソラ!」
完全に遊ばれている
「くっ……ははっ」
こらえきれなかったように紫苑の笑い声が弾けた。なにごとかと驚いて身を
「ごめんごめん、かわいくってつい」
「かわ──」
自分としては必死だっただけに言葉を失った瑠璃を
「とはいえ、お
そのままひょいっとモモンガを片手で
「ぃてっ」
「ソラ……! 申しわけありません、紫苑さまっ」
「お、生意気な、やるか?」
しかし、紫苑は腹だち任せにソラを
ソラが
「もとはといえば、瑠璃を困らせるそっちが悪いんでしょ?」
ソラの顔をのぞきこむようにして告げる紫苑は、まるで本当に会話をしているかのようだ。
想定外の事態に呆気にとられた瑠璃だったが、その
ん? と気づいたように
──! わたし、今……。
笑っていたことに
どうしよう、と内心動揺する。つい笑ってしまったが、そんな場合ではなかったのだ。
ソラのことと、
「はい」
気軽な声とともに、目の前にソラが差しだされる。え? とつられる形で掌をだせば、
「さて、と。続き、やろっか」
「え、は? あの……」
「まだまだ採るんでしょ、これ」
人好きのする
「いえっ、これ以上お手間をとらせるわけには、」
「どこからやる? このへん、
この上
あたかもなにごともなかったように手伝おうとする紫苑に
──もう一人の方なら、きっと止めてくれるのに。
どうしてこういう時にかぎって供が珊瑚ではないのか、と思ううちにも紫苑は根っこをどんどんひき抜いていく。
そうなると
「ああ、いいよ。抜くのはオレがやるから、瑠璃は土を
「ですが……」
「適材適所、てね」
ほら、と抜いた紫草を手渡される。反射的に受けとって、瑠璃は
しかたがないと再びしゃがみこんで、抜かれた根の土を払っていく。
「最初から言ってくれればよかったのに」
「客人にこんなことをさせるわけにはいきませんので」
本来なら、と
「使えるものは使えばいいじゃない。どうせ
そもそも力仕事は男の仕事でしょ、とこともなげに言う紫苑を、瑠璃は手を止めて見上げた。ん? とむけられた微笑みに、目を細める。
「……変わった方ですね、紫苑さまは」
気がつけばそうしみじみと
「そう?」
なのに
そもそも女の仕事に手を貸そうとする男はいないし、里においては真朱の、家においては父や夫の言うことが絶対だ。反対はおろか、求められてもいない意見をするなど許されない。
その点、紫苑は逆だった。
彼がこの里にきて十日近くがたつが、
自分の力を周囲にひけらかしたりしない。むしろ、その力でもって自分より弱い相手を受け止める
「
瑠璃の
「──ひょっとして、やきもち?」
「
言下に否定して、変わっているのは最初からだったと早くも前言を
「なにか裏でもあるんじゃないかと、
主に男たちの間で、とは胸の中で呟いておく。女性
「なーんだ、残念」
声の調子からして残念そうでもなく
「あるといえばある、かな。昔の経験から、女の人を味方につけて損はないって知ってるからね」
「女の人を、ですか。男性ではなく?」
「ほら、こんな風にみんなの口から、オレがいい男だって瑠璃に伝えてもらわないと」
「……なるほど」
よく使う手口なのか、と声にはださず
──? なんだろう……。
「あ、誤解してるでしょ」
そんな瑠璃になにを感じとったのか、紫苑が心外そうな声をあげた。
「オレは女の人に優しくはするけど、好きだなんて軽々しく口にしたりはしないから」
瑠璃にだけだ。
まっすぐむけられた、いつもにはない重みを持った言葉に、瑠璃は小さく息を
本気なのか、それとも彼が言う裏があるのか。
口先だけなのか、信じてもいいのか──自分は、信じたい、と思っているのか。
受けとったとして、はたしてどの瑠璃にむけられたものなのか。
経験のない瑠璃には判断も判別もつかない。
「……ありがとうございます、これくらいで
結果、瑠璃が選んだのは『聞かなかったことにする』ことだった。
紫苑から視線をはずし、土を払う作業を再開した頭上に、
「──せっかく男手があるんだし、もっと採っておいた方がよくない?」
しかし、こちらもなにごともなかったように
「大地の
ことさらいつもどおりを心がけて
「染料にも、ってことは、これは薬に使うんだ?」
「え? あ、はい」
そういえば、彼には
「へぇ……瑠璃が使うの?」
「そうですけど……?」
「
ほかのだれが、と怪訝に思った矢先、投げかけられた
彼の言うとおり、通常巫女が薬草を扱うことはない。巫女にとって病とは
今でこそ里人たちも瑠璃が薬草を扱うことに疑問を
だが──
「──神に
ぽつりと
ああ、やってしまった……と
きつく
びくっと瑠璃の肩が
なだめるように、包みこんだ手とは反対の手がぽんぽんと
「あぁ、ほら、そんなに強く嚙んだら傷になる。──しまったな、
せっかくの好機なのに、と演技めいた溜息をついた紫苑が、こちらをのぞきこんでくる。
「──もしかして、キミの母上のことが関係してる?」
責める色も
「……どれだけ祈っても、助けてはくれませんでしたから」
母自身も、巫女だった。なのに、神が応えてくれることはなかった。
神に祈ってもむだなのだ──。
優しい手を失い、悲しみに暮れたはてに宿ったのは、『だったら自分でどうにかするしかない』という決意だった。
以降、暇をみては里一番薬草に
「いいんじゃない?」
「え──」
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