二章



「このあたりでいいかな」

 瑠璃は背負っていたかごをおろし、袖をまくると持ってきたくわを握り直す。

 少々危なっかしいこしつきでりあげ、むらさきそうしげる地面へと振りおろした。ザク……と返るとぼしいごたえにもめげず、二度三度と鍬を振るう。

 そうしてある程度り返したところで、鍬を離し、紫草のくきを握った。

「秋にもうすこし採っておいたらよかったんだ、けど…っ」

 力をこめて、根っこごとひきく。野に力強く根を張った植物を採取するのは、それだけで重労働だ。

 よしよし、とれいに抜けた根に頷きながら、軽く土をはらってとりあえずじやにならないところへよけておく。

「──ちょっとくらい手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 気持ちよさそうにちゃって、とこれだけ動いていてもねむったままのソラにしようしつつ、瑠璃は次へと移った。

 紫草は名前のとおり、布や糸を紫色に染めるせんりようとなる草だ。しかし、その根には熱をさげたりする薬効もあった。

 通常、地表部分がれた秋に十分育った根を採取してかんそうさせておくのだが、今年は冬にしわぶきの病にかかる者が多く、例年の量ではこころもとなくなってしまった。先日、男の子に処方した際に気づき、足りなくなる前に、と折をみて採りにきたのだ。

 春の日ざしの中、額のあせぬぐいながら茎を握る。

「く…っ」

 ひっぱっても抜けない根に瑠璃の眉根がよった。

 相当深く根が張っているのか、鍬をいれたにもかかわらずびくともしない。

 あきらめて次にいくか、改めて鍬で掘り起こすか、と考えつつ、足腰にぐっと力をこめる。と──ふわりとおおかぶさってきたぬくもりとかげがあった。

「え……?」

 とうとつな出来事に、思わず固まる。

 そんな瑠璃を知ってか知らずか、それらの持ち主は、

「ほら、いくよ」

 大きな手で瑠璃の手のすぐ下あたりの茎をにぎったかと思うと、ぐいっとひっぱった。その大きさに見合った力が加わった紫草は、さきほどのふんとうはなんだったのかと思うほどあっさりと抜ける。

「きゃ…っ」

 あまりのあつなさに力を抜く間もなかった瑠璃は、反動でうしろへとたおれかかった。

「おっと」

 だが、地面にひっくり返るより先に、固いものに背中を受け止められる。

だいじよう?」

 目を白黒させる瑠璃を上からのぞきこんできたのは、紫苑だった。

 しばしぜんとその顔を見つめていると、「おーい」とひらひらと目の前でてのひらが振られた。

 つられるようにまばたきをした瑠璃は、さらにいつぱく置いて、うしろから覆い被さられるようにして彼にきこまれていることに気がついた。

「……っ」

 たん、かあっと顔に血が集まってくるのがわかった。

 こんなきよかんで男の人と接したこともなければ、じかに体温を感じたこともない。ろうばいしゆうで頭の中が真っ白になる。

 それでもかすかに残った理性で、瑠璃は前にもうしろにもげ場のないじようきようにおいてその場へとしゃがみこんだ。

 ──なに、これ……どうして、こんなことに!?

 赤くなっているだろう顔を掌で覆う。一から整理しようにも思考が空回り、簡単なことのはずなのにうまくまとまらない。

 その時、キュッ、と耳に届いた鳴き声に、瑠璃はわずかに掌を顔からかせた。下へ視線をむけると、さすがに今のさわぎで目覚めたのだろうソラがあわせから顔をのぞかせていた。

 どうしたの? とでもいうように鼻をひくつかせるソラに、ふっと表情がゆるむ。

 瑠璃はともかくおちつこうと大きくかたで深呼吸した。

「──紫苑さま?」

「うん」

 おそる恐る呼びかければ、思ったよりも近くから声が返る。そろりと掌から顔をあげると、同じようにしゃがみこんだ紫苑の姿が身体からだひとつ分むこうにあった。

 さっきの今でさすがにどうようかくせないながら、これ以上しゆうたいさらせないと瑠璃はもう一度深く息を吸いこんだ。

「どうして、ここに?」

「うん? 里で聞いたらここじゃないかって言われたから。──大変そうだったから手伝おうとしたんだけど、おどろかせちゃったみたいだね」

 ごめん、とまゆじりをさげた紫苑に、瑠璃は、いえ、と首を横に振った。

 さすがにそう言われて文句をつけるほど、はじらずにはなれない。……もうすこし別のやりようがあっただろう、と思わないではないけれど。

「ありがとう、ございます」

「どういたしまして……って、お礼にはまだ早いんじゃない? それにお礼なら──」

 言いながらばされた紫苑の手に、なんだろうとそうぼうまたたかせる。

 そうして、彼の指先がほおれる寸前、キッ、とソラが声をあげた。

「ソラ?」

 つられるように顔をうつむけた瑠璃とは反対に、ソラがたっと肩へけあがってくる。え、と思ううちに、彼はこちらへと伸ばされた紫苑の手へと飛び移っていた。

「──っと」

「ちょっ、ソラ!?」

 とつぜんのことに紫苑が目をみはり、瑠璃は反射的に手を伸ばした。が、ソラはその指をすり抜け、紫苑のうでを駆けのぼっていってしまう。

「待ちなさい、ソラ!」

 あわてて腰を浮かせるが、当のソラは遊びとでも思っているのか、戻ってくる気配がない。

「すみません、紫苑さま。すぐにつかまえますから」

「あー……うん」

 さすがに困ったように紫苑が笑う。動いていいものか量りかねたように彼がじっとしているのをいいことに、ソラは肩から頭へと器用によじのぼっていく。

「なにしてるの……!」

 瑠璃はぎょっとして、悲鳴混じりの声をあげた。

 慣れない紫苑にみつきでもしたら、と思っていたが、これもまたありえないそうだ。

「こらっ」

 こうなるとなりふりかまってはいられず、瑠璃はあせってソラを捕まえようとした。

 小さな体をらえようとした両手は、またもすり抜けられてむなしく空を切る。どころか、勢い余ってつんのめり、あやうくしゃがんだままの紫苑へ倒れこみそうになる。

 とっさに彼の肩に片手をついて身体を支えた瑠璃は、はじかれたように手をはなした。

「ご、ごめんなさい!」

「大丈夫?」

 さっと青ざめるが、粗相を責めるでもなく苦笑した彼に、かあっと顔が熱くなっていく。

 ずかしさと焦りで目元を赤くしつつ、瑠璃はこちらの心情など知らぬげに反対側の肩から顔をのぞかせたソラへうらめしげな視線を投げた。

「もうっ、遊んでるんじゃないんだから」

 わかっているのかいないのか、ソラがキュッと鳴いて首をかしげる。

「ソラ!」

 完全に遊ばれているていの瑠璃がやつになって手を伸ばそうとしたところへ、

「くっ……ははっ」

 こらえきれなかったように紫苑の笑い声が弾けた。なにごとかと驚いて身を退いた瑠璃に、彼は肩をふるわせながらおもむろに立ちあがった。

「ごめんごめん、かわいくってつい」

「かわ──」

 自分としては必死だっただけに言葉を失った瑠璃をしりに、紫苑は無造作に肩口へと手をやった。

「とはいえ、おひめさまを困らせるのは感心しないな」

 そのままひょいっとモモンガを片手でつかみとる。だが、それでおとなしくしているようなソラではなかった。

「ぃてっ」

 おのれを摑む紫苑の指へかじりついたソラに、熱かった顔から一気に血の気がひいた。

「ソラ……! 申しわけありません、紫苑さまっ」

「お、生意気な、やるか?」

 しかし、紫苑は腹だち任せにソラをほうり投げることも、瑠璃にき返すこともなく、むしろ楽しげに笑ってモモンガの小さな額を指先で弾いた。

 ソラがたいこうするように、キキッと鳴き声をあげる。

「もとはといえば、瑠璃を困らせるそっちが悪いんでしょ?」

 ソラの顔をのぞきこむようにして告げる紫苑は、まるで本当に会話をしているかのようだ。

 想定外の事態に呆気にとられた瑠璃だったが、その微笑ほほえましさに、くすり、と我知らず笑いをこぼしていた。

 ん? と気づいたようにり返った紫苑に、

 ──! わたし、今……。

 笑っていたことにおそまきながら気づいて、瑠璃は口元をおおうとさっと顔を俯けた。

 どうしよう、と内心動揺する。つい笑ってしまったが、そんな場合ではなかったのだ。

 ソラのことと、たびかさなる無礼を謝って……と目まぐるしく考えていると、

「はい」

 気軽な声とともに、目の前にソラが差しだされる。え? とつられる形で掌をだせば、やさしい手つきでわたされた。

「さて、と。続き、やろっか」

「え、は? あの……」

「まだまだ採るんでしょ、これ」

 人好きのするみ顔で地面を指さした紫苑に、瑠璃はようよう彼の言わんとすることを理解した。薬草の採取を手伝うと言っているのだ。

「いえっ、これ以上お手間をとらせるわけには、」

「どこからやる? このへん、いてっちゃえばいいかな」

 この上めいわくをかけられないと断りをみなまで告げる前に、紫苑がくわをいれたあたりのむらさきそうに手をかける。

 あたかもなにごともなかったように手伝おうとする紫苑にまどい、助けを求めるように周囲を見回す。と、すこし離れた場所に二頭の馬のづなを手にした琥珀の姿があった。しかし、じっとこちらをえるばかりで動こうとはしない。どうやら彼に止める気はなさそうだ。

 ──もう一人の方なら、きっと止めてくれるのに。

 どうしてこういう時にかぎって供が珊瑚ではないのか、と思ううちにも紫苑は根っこをどんどんひき抜いていく。

 そうなると皇子みこ一人にやらせておくわけにもいかず、瑠璃はソラをふところもどすと慌てて手近なくきを摑んだ。だが、

「ああ、いいよ。抜くのはオレがやるから、瑠璃は土をはらってまとめてって」

「ですが……」

「適材適所、てね」

 ほら、と抜いた紫草を手渡される。反射的に受けとって、瑠璃はたんそくした。

 しかたがないと再びしゃがみこんで、抜かれた根の土を払っていく。

「最初から言ってくれればよかったのに」

「客人にこんなことをさせるわけにはいきませんので」

 本来なら、とあきらめ混じりにつけたした瑠璃に、「マジメだねぇ」とからからと笑い声が降ってくる。そこにの色はなく、じゆんすいに楽しげなひびきだけがあった。

「使えるものは使えばいいじゃない。どうせひましてるんだから」

 そもそも力仕事は男の仕事でしょ、とこともなげに言う紫苑を、瑠璃は手を止めて見上げた。ん? とむけられた微笑みに、目を細める。

「……変わった方ですね、紫苑さまは」

 気がつけばそうしみじみとつぶやいていた。

「そう?」

 なのにおこるでもなく首を傾げる彼に、その思いを深める。ソラのことにしてもだが、里の男たちならまず、にしているのかと気分を害することだろう。

 そもそも女の仕事に手を貸そうとする男はいないし、里においては真朱の、家においては父や夫の言うことが絶対だ。反対はおろか、求められてもいない意見をするなど許されない。

 その点、紫苑は逆だった。

 彼がこの里にきて十日近くがたつが、ひんぱんに出歩いては里人に気軽に声をかけている。おまけにことの大小、さらにはろうにやくせんを問わず女性に手を貸しているらしいことも、耳に届いていた。

 自分の力を周囲にひけらかしたりしない。むしろ、その力でもって自分より弱い相手を受け止めるうつわの大きさがあるように思える。

つうの男性は、女性にあいよくしたり、親切にしたりはしませんから」

 瑠璃のてきに、紫苑はきょとんとした。

「──ひょっとして、やきもち?」

ちがいます」

 言下に否定して、変わっているのは最初からだったと早くも前言をこうかいする。

「なにか裏でもあるんじゃないかと、うわさになっていますよ」

 主に男たちの間で、とは胸の中で呟いておく。女性じんはといえば、親切にされて悪い気がするはずもなく、評判はあがる一方だ。

「なーんだ、残念」

 声の調子からして残念そうでもなくかたすくめた紫苑は、「裏、ねえ」と思案げに口の中で転がした。

「あるといえばある、かな。昔の経験から、女の人を味方につけて損はないって知ってるからね」

「女の人を、ですか。男性ではなく?」

 げんそうに問い返すと、こちらを見下ろすひとみいつしゆん暗いかげが走った──ような気がした。それはすぐに、たくらむような笑みにとって代わった。

「ほら、こんな風にみんなの口から、オレがいい男だって瑠璃に伝えてもらわないと」

「……なるほど」

 よく使う手口なのか、と声にはださずうなずく。がんばると言っていたのはこういうことだったのか、となつとくする一方で、なんだか胸のあたりがもやもやする。

 ──? なんだろう……。

 とつぜんきあがった、不快感にも不安にも似たよくわからない感覚に、瑠璃は無意識に胸へ手をやった。すると、布しにんだぬくもりがれ、もぞりと動いたかんしよくにさんざん困らされたばかりなのにすこしほっとしてしまう。

「あ、誤解してるでしょ」

 そんな瑠璃になにを感じとったのか、紫苑が心外そうな声をあげた。

「オレは女の人に優しくはするけど、好きだなんて軽々しく口にしたりはしないから」

 瑠璃にだけだ。

 まっすぐむけられた、いつもにはない重みを持った言葉に、瑠璃は小さく息をんだ。

 本気なのか、それとも彼が言う裏があるのか。

 口先だけなのか、信じてもいいのか──自分は、信じたい、と思っているのか。

 受けとったとして、はたして瑠璃にむけられたものなのか。としての瑠璃か、おさむすめとしての瑠璃か、それとも……。

 経験のない瑠璃には判断も判別もつかない。

 つかそこねた言葉が、宙をただよう。

「……ありがとうございます、これくらいでだいじようだと思います」

 結果、瑠璃が選んだのは『聞かなかったことにする』ことだった。

 紫苑から視線をはずし、土を払う作業を再開した頭上に、ためいき混じりのしようがおちる。

「──せっかく男手があるんだし、もっと採っておいた方がよくない?」

 しかし、こちらもなにごともなかったようにひざを折った紫苑に、胸をなでおろしつつ瑠璃は首を横に振った。

「大地のめぐみですから、必要以上は採らないことにしているんです。せんりようにも使いますから」

 ことさらいつもどおりを心がけてこたえると、「ああ」とどこか意外そうなあいづちが返った。

「染料にも、ってことは、これは薬に使うんだ?」

「え? あ、はい」

 そういえば、彼にはようは話していなかった。ごく自然に採取をはじめたから、てっきりわかっているものだと思いこんでいたのだ。

「へぇ……瑠璃が使うの?」

「そうですけど……?」

めずらしいね、巫女が薬草をあつかうなんて」

 ほかのだれが、と怪訝に思った矢先、投げかけられたぼくおどろきに、手が止まった。

 彼の言うとおり、通常巫女が薬草を扱うことはない。巫女にとって病とはけがれであり、神の力を借りて『はらう』ものだ。『治す』ものではない。

 今でこそ里人たちも瑠璃が薬草を扱うことに疑問をいだかないが、それも神前に供えることで身のうちから清めるためのものだともっともらしい説明をしたからだ。

 だが──

「──神にいのっても、や病は治りませんから」

 ぽつりとこぼれた心に、はっとする。

 あわてて顔をあげれば、目を丸くする紫苑の姿があった。

 ああ、やってしまった……とおのれの心のゆるみをやむ。

 きつくくちびるめてうつむく。──と、紫草を強くにぎりこんでいた手が、やわらかに大きな温もりに包まれた。

 びくっと瑠璃の肩がねる。

 なだめるように、包みこんだ手とは反対の手がぽんぽんとえられた。

「あぁ、ほら、そんなに強く嚙んだら傷になる。──しまったな、よごれてるから瑠璃の顔に触れられないや」

 せっかくの好機なのに、と演技めいた溜息をついた紫苑が、こちらをのぞきこんでくる。

「──もしかして、キミの母上のことが関係してる?」

 責める色もこうしんもないただやさしいまなざしに、なぜかなつかしさを覚えて、気がつくとかすかに頷きを返していた。

「……どれだけ祈っても、助けてはくれませんでしたから」

 母自身も、巫女だった。なのに、神が応えてくれることはなかった。

 神に祈ってもむだなのだ──。

 優しい手を失い、悲しみに暮れたはてに宿ったのは、『だったら自分でどうにかするしかない』という決意だった。

 以降、暇をみては里一番薬草にくわしいろうのもとへかよい、本来巫女には必要のない薬の知識を得てきたのである。



「いいんじゃない?」



「え──」

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