一章


 橘の里にあって真っ先に目につくのは、高い高い、天にまで届くかと思われるようにそそり立つきよだいしん殿でんだ。

 里のどこであっても──いな、里から遠く離れた場所からでもにんできるそれは、九本の太く長い柱と延々と続くようなきざはしからなりたっている。その長い長い階段をのぼっていった先に、反りのはいったかやきの大きな屋根を持つ社があった。

 その社に、瑠璃の姿があった。

 ぴん、と張りつめた朝の空気の中、静けさとともにまいう。かみたちばな挿頭かざしし、右手にさかきの枝を持って、円をえがくように足を運ぶ。

 派手な動きはない。

 しかし、かかげられる榊、すらりとばされたうでひるがえそで──どの動きひとつとってもれるような優美さと、同時に自然と息をつめてしまうようなりんとした品があった。

 やがて舞を終え、拝礼した瑠璃は、神前を辞した。

 一歩間違えば転げおちそうな階段をゆっくりとおりていく。最後の一歩が地面につくと、我知らずふっと息がこぼれた。

 さて、と朝のお役目をすませ、しきもどろうとしたところで、

「おはよ、瑠璃」

 ふいに背後からかかった声に、瑠璃は肩をらがせた。

 この声は、とりむくと、階段のかげから現れたひとかげがあった。

皇子みこさま」

 まさか朝一番からこんなところで顔をあわせるとは思っていなかった──というより、特別なことがないかぎり会うこともないと思っていた人物の登場に、さきほどのおどろきもあいまってどうねる。

 さわぐ胸を押さえつつ、それでも平静をよそおって瑠璃は紫苑へとむき直った。

「おはようございます、」

「うん?」

 皇子、とくちびるを動かしかけたところで、紫苑ががおで首をかしげる。

「──紫苑さま」

 無言の圧力を感じて言いえた瑠璃に、彼は満足げに笑みを深めた。

 そんな様子に軽いだけではないなにかを感じるが、父や翡翠にも必要以上にかかわるなと言われている。気づかないふりであたりさわりなく先を続けた。

「昨夜はゆっくりお休みになれましたか」

「うん、おかげさまでね」

「それはようございました。ところで、朝早くからこんなところでなにを?」

 瑠璃の問いかけに、ああ、と紫苑は目の前の階を見上げた。

「昨日、とおりがかりに見かけたこれが気になって、散歩がてら見にきたんだ。そしたら瑠璃が舞ってるのが目にはいって──あんまりれいで、見とれてた」

「……ここから?」

 まっすぐむけられた賛辞にしゆうまどいを覚えるより先に、小さく疑念がれる。

 階下から自分の姿が視認できたというのか。いや、考えるまでもなく、おさの娘である自分に対する見えいたお世辞だろう。

 瑠璃が一人得心すると、

「目はいいんだ」

 かしたように微笑ほほえみかけられる。

 考えが読まれている上に、先の言葉が口からのでまかせなどではないと言われているようなそれらに、軽くどうようする。

「それにしても、お一人ですか?」

 瑠璃はすように、これもまた気になっていたことを口早に問うた。

 見るかぎり、例の従者たちの姿はない。敵地とも言えるような場所で、あの二人が皇子を一人にするだろうか。ついでに、あそこには警護という名の、父のつけた見張りがいたはずなのだが。

「あの二人がいつしよだとめだつからね、置いてきた」

「そう、ですか」

 あなた一人で十分めだつ、とか、それは彼らにだまってでてきたということでは、とか、見張りはなにをしているのか、など思うことは多々あれど、すべて押し殺してかろうじてあいづちを返す。

 そんな瑠璃におもしろそうな笑みをひらめかせたあと、紫苑は再度神殿を見上げて目を細めた。

「これが、八百津国命をまつった社?」

「いえ──ぁ」

 否定して、しまった、というように小さく声を漏らした瑠璃に、こちらへ首をめぐらせた紫苑が不思議そうにまたたく。

ちがうの?」

 どうせすぐにいなくなる相手だ、適当にうなずいておけばよかった……と心中やみながら、しぶしぶ口を開く。余計なことは言うな、と言われているがこれくらいは問題ないだろう。

「……これははい殿でんといいますか、門です」

「門?」

「あの山自体が、みこときゆう殿でんだと言われています。ここは、その出入り口にあたります」

 説明しながら瑠璃は社のむこうにそびえる山を見やった。

 照日大神の子孫の支配を受けるようになった今も、ここ出水ではこの地を守る神として八百津国命を祭っている。今もあの山から我々を見守ってくださるのだと、人々は日々いのりを欠かさない。

 そんな神の住まう宮殿ゆえに、この先は瑠璃たち一族でもおいそれと立ち入ることのできない区域になっている。──とはいうものの、自分の目にはただの山としか映らないが。

 ついつい口元に皮肉な色がかんだ時、「へえぇ」という声が聞こえて、瑠璃ははっと我に返った。

「あの山がいわばご神体ってわけか。──で、瑠璃はその?」

「えぇ、まあ」

 思った以上に苦みをふくんだひびきになる。思わずまゆをよせた瑠璃は、とりつくろうように言葉をいだ。

「男はまつりごとを、女がさいを受けもつことはよくあることでは? おおきみの一族もそのようにうかがっています」

「あぁ、うえが照日大神を祭る宮のさいぐうをしておられるね」

「だとしたら、わざわざ聞かれるまでもないかと」

 舞をしているところを見たというなら、問わずともわかりきったことだ。

 瑠璃のそっけない言動に、紫苑は腹をたてるでもなく、にこりと笑った。

「うん、だけど、好きな女の子のことはなんでも知りたいじゃない?」

 さらりと言い放たれたみみみのない言葉に、いつしゆんぽかんとする。

「『好きな女の子』?」

「うん」

「だれのことですか」

「なに言ってるの? 瑠璃しかいないじゃない」

 いつのまにか目の前に立っていた紫苑をまじまじと見上げたあと、瑠璃はおさえきれなかったためいきをついた。

「……そうですか」

「あ、信じてないでしょ。ひどいなぁ、昨日お婿むこさんにしてって言ったのに」

「……」

 なげりの紫苑に、ろんな目をむける。

 出会いがしらのアレの一体なにを信じろというのか。

「申しわけありません。やらなければならないことがありますので、わたしはこれで」

 これ以上はつきあいきれない、とばかりに背をむけようとした瞬間、パシッと腕をとられた。ていこうする間もなく、男の方へとひきよせられる。

ひとれ」

 耳元でささやかれた甘い声に、背がふるえる。

「──って言っても瑠璃は信じないだろうけど、好きっていうのはうそじゃない」

 それは覚えといて──?

 のぞきこんできたいつくしむようなまなざしに、息を忘れた。

 対応の追いつかない頭で半ばぼうぜんと立ちつくした瑠璃に紫苑はふっと笑うと、「またね」ときびすを返す。

 目で追う背中が、り返ることなく遠ざかっていく。そでしにつかまれたうでだけが、やけに熱かった。





 なんだったのかしら、あれ……。

 冷静になってみれば、あんな軽々しい言葉のどこを信じろというのか、という気持ちに変わりはない。

 しかし一方で、あの時紫苑が見せたそうぼうに宿った色が、心のどこかにひっかかってもいた。

 ただ、なにかを思いなやもうと朝からぐったりした気分になろうと、やることも時間も待ってはくれない。

「────はらたまい清め給う」

 祝詞のりとを唱え終え、さいだんにむかって深々と拝礼する。

 静かに息をつくと、瑠璃は座ったままうしろへとむき直った。そこには赤い顔で乱れた呼吸をこぼす小さな男の子をきかかえた、母親の姿があった。

「こちらを持ち帰って、やまの方角へ奉ってください。あとはこれを」

 神のれいりよくが宿るとされるさかきを女性へわたし、あらかじめ用意していた包みも彼女たちの前へとすべらせる。

せんじて朝晩わんいつぱいを飲ませてください」

「ああ……ありがたいことでございます」

 女性があんしたように深々と頭をさげた。

「巫女さまにごとうしてもらったからね、すぐによくなるよ。──本当にありがとうございました」

「いえ」

 子どもに笑いかけながら何度も礼を言う母親の姿に、苦いような、うしろめたいような、複雑な感情がこみあげてくる。

 瑠璃はそれを顔にださないよう、ことさらに無表情をつらぬいた。

 母親の方はそんな彼女の様子を気にした風もなく、ぺこぺこと頭をさげながら子どもと榊を手に立ちあがりかけ、あ、と包みに目をやった。

「あぁ、わたしが」

 この上、包みをとるのは大変だろうと、瑠璃は代わりに手にしてこしをあげた。どうぞ、と立ちあがって子どもを背負い直した母親に手渡す。

「ありがとうございます。巫女さまにいただく薬草は、本当にやくがあって」

「……早くよくなるといいですね」

 それは薬草の効果であって御利益とは関係ない、とのどもとまででかかった言葉をみこみ、そう告げる。

 すると、彼女はなにかを思いだしたようにこちらを見た。

「そういえば……見慣れない殿とのがたがおられましたけど」

「──都からの客人です。なにかされ……いえ、ありましたか?」

 一瞬動きを止めたあと注意深くうかがった瑠璃に、母親はまどいを浮かべた。

「あったといいますか……ここへうかがうちゆうにお会いして、その、この子を代わりにぶってくださったんです。大変だろうって、どうせむかう場所は同じだからって」

「そうでしたか」

「別れぎわに、早くよくなるといいね、とこの子のこともづかってくださって」

 短い間会っただけだが、あの従者たちがそんなをするとはとうてい思えない。だとしたら、皇子みこで間違いないだろう。

 ──まただ。

 この手の話を聞かされるのは、実ははじめてではない。先におとずれたろうは、馬を連れた皇子と行き会い、馬の手入れがしたいから、とそれはそれはていねいに近くの水場をたずねられたという。都からの客人というからどんなえらそうな連中かと思ったら、といたく感心していた。

 家人の中にも、気さくに声をかけてもらえたと、当初のけいかい半分おびえ半分の態度はどこへやら、ほおを染めて語るによにんが一人ではないというからおどろきいる。

 案の定というか、この母親も「ああいう殿方もいらっしゃるんですね」と彼に対して好感情をいだいたようだ。

 それでは失礼いたします、と去っていった母子を見送って、瑠璃は深く息をついた。

「ずいぶんと好き勝手に出歩いているようだけれど」

 ね、と同意を求めるようにむなもとを見やって、ああそうだった、と別の意味でたんそくする。

 そこにソラがいることに慣れてしまって、姿がない時でもついいる気になってしまう。ほとんどねむっているだけとはいえ、さすがに巫女の勤めの最中もふところにいれておくわけにはいかず、部屋においてきたのだ。

 思いだすと小さなぬくもりがないことが、急に心細くなる。

 母子の去った場はせいひつと言えば聞こえのいい、どこか寒々しい静けさがあった。

 しきの一角、祭壇が設けられたここで、瑠璃は巫女として神の加護を求める里人のおとないを受けていた。通常、あのしん殿でんに彼らが立ち入ることはできないからだ。

 困りごとや願いごとに対する祈願もあるにはあるが、主にけがれを祓う──つまりは、降りかかったわざわいから身を清めるために里人たちはここを訪れる。中でも多いのは、さきほどの子どものようにや病をかかえている人々だった。

 だが、神に願ったところで怪我や病が治りはしない──。

 瑠璃はだれよりそれを知っていた。

 だからこそ、人々に感謝をささげられるたび、胸がきしむようなここを覚えるのだ。

 瑠璃は胸にわだかまるものを振りはらうようにして外へ声をかけた。

「次の方は?」

「さきほどの者で最後です」

 返った応えに、そう、とうなずいて、げるように祭壇の前をあとにする。

「では、わたしはさがります。──そうだ、翡翠兄さまがどこにいらっしゃるか、知っている?」

 そそくさと立ち去りかけ、足を止める。

 一応、皇子のことを従兄いとこの耳にでもいれておいた方がいいだろう。

「翡翠さまでしたら……」

「──私がどうかしたか」

 回答がある前に背後からひびいた声に、瑠璃は振り返った。

「翡翠兄さま。すこし、気になる話を耳にしましたので」

「ちょうどいい、私もおまえに話がある」

 翡翠がくいっとあごを動かす。ついてこい、ということらしい。

 うしろについて歩きだしてしばらく、あたりからひとがなくなると、翡翠は足を止めないまま口を開いた。

「気になる話とは?」

「すでにお聞きおよびかもしれませんが、大倭の皇子は朝からずいぶんと里の中を出歩いているようです。声をかけられたという者も、いくにんか」

「そうだな、私も聞いた」

 おもむろに立ち止まった翡翠が、くるりと瑠璃の方へむき直った。自分を見下ろす双眸がすっと細められる。

「朝、神殿のところでおまえがあの皇子といつしよにいたのを見た者がいる、とな」

「! それ、は……」

 瑠璃は思わず目をせた。

「別に、おまえから進んで会っていたとは思わない。だが、どうしてすぐにおさなり私なりに報告しなかった」

「申しわけ、ありません」

 昨日同様、わざわざ言うほどのことでもない、と思ったのもたしかだった。が、それ以上に自分でも整理がつかなかったのだ──自身の心もふくめて。

 だったら報告して判断をあおぐべきだったのだろうが、あの時かいたまなざしがなぜかそれを躊躇ためらわせた。さらには、躊躇う自分がわからなくてなおさら口が重くなる、というあくじゆんかんおちいっていた。

 はあ、と頭上におちたためいきに、頰がこわばる。

「……瑠璃、あの皇子に心を許しているわけではないだろうな?」

「まさかっ」

 とっさに顔をあげると、目元をゆるめた翡翠が、ならばいい、とばかりに顎をひいた。

「昨日も言ったように、大倭の人間は我々にとっては敵、あいれない存在だ。八百津国命のであるおまえはなおのこと、それをきもめいじておかねばならない」

 いいな、と念押しされれば、頷かないわけにはいかない。

「もっと巫女としてのおのれの立場に自覚を持て。軽々しい言動がこの里に、ひいては出水国にえいきようを及ぼすことになるのだとな」

 重ねて言い置いてむけられた背を見送りつつ、瑠璃はさきほど溜息がおちたあたりをそろりとなでた。

「あの人のせいで、とんだとばっちりだわ」

 昨日はもうかかわることもない、と思っていたが、極力関わらないようにしよう、と改めて決意する。

 が──。





「おはよ、瑠璃。今日もれいだね」

 ──また、いる……。

 神殿のきざはしをおりきったところでにこにこと待ち構えていた紫苑に、瑠璃はそれとわからない程度にかたをおとした。

 あの日した、『関わらないようにしよう』という決意は、翌朝にはもろくもくずれ去った。朝の勤めを終えて神前をあとにした瑠璃が目にしたのは、前の日と同じ場所に立つ紫苑の姿だった。

 以来毎朝、彼は瑠璃が上からおりてくるのをここで待っているのだ。ほかに行き来する手段がない以上、どうしたってけようもない。

「またいるんですか。というか、いつまでこの里にいらっしゃるんですか」

 いい加減、対応もぞんざいになろうというものだ。──当の紫苑は「よそよそしさがなくなってきた」と喜んでいるが。

 ただ、すべてがあの朝と同じ、というわけでもなかった。

「こっちだって、いたくているわけじゃないわよ。あんたの父親が紫苑さまと会おうとしないんじゃないの。のらりくらりと返事をはぐらかしちゃって、まったく。そんなこと言うくらいなら、むすめ、あんたがどうにかしてくれるかしら」

 そう、最初の日を除いて、必ず珊瑚か琥珀のどちらかがついてくるようになったのだ。

 皇子の護衛もねているからには当然だろうし、琥珀の場合はまだいい。常に周囲に目を配り、瑠璃に対しても警戒をかくしもしないが、せいぜいがこちらをにらえている程度だ。

 問題は珊瑚だった。

「そもそもあんた、綺麗だとか言われて調子にのってるんじゃないでしょうね? あんた程度の女、都にはごろごろしてるんだから」

 こうして毎度食ってかかってくるのだ。

「珊瑚、うるさい」

「そんなっ、ワタシは紫苑さまのためを思って──」

「照日大神じゃないとはいえ、ここが神のぜんであることには変わりないよ」

 だまるどころか、心外だと顔にかべてさらに言いつのろうとする珊瑚を、紫苑がぴしゃりとさえぎる。

 その言い分に、瑠璃は軽く目を見開いた。不承不承口をざす珊瑚を見つつ、そうか、と得心する。

 ──だからこの人は、上にあがってこようとはしないんだ。

 いつもいつも階段をおりきってから声をかけてくる彼を、すこし不思議に思っていた。興味にあかせてしん殿でんにのぼることくらいしそうなたちに見えたからだ。

 そうなればまたやつかいなことになるのは目に見えていたので内心冷や冷やしていたのだが、ゆうだったらしい。

 こういう考え方をする人なんだ、と意外な思いで紫苑を見つめると、視線に気づいたのかうれしそうに笑いかけられる。

 ──いけない。

 うっかり感心しかけていたことに気づいて、さっと目をそらす。翡翠にも軽々しい行動をつつしむよう、注意されたばかりだ。

 瑠璃はそのまま彼らを置いて歩きだした。

 彼のこうめいわくしているのにちがいはないのだ。そもそもよく知りもしない相手にひとれだ、好きだとつきまとうなど裏があるとしか思えない。

 一方で、自分ばかりがり回されているじようきように、心がさざなみつ。

「今日はこれからどうするの?」

「紫苑さまには関係のないことですから」

 こちらは急ぎ足なのにもかかわらず、紫苑はゆったりとあとをついてくる。そんなことにも自分と彼のゆうの差を感じてそっけなく応えれば、彼は「んー…」とこたえた様子もなく横に並んだ。

「関係あるなしじゃなくて、好きな子のことはなんでも知りたいじゃない?」

 それに、といたずらめいた表情をひらめかせて、のぞきこまれる。

「お婿むこさんになったら、関係なくなくなるかもだし」

「……っ」

 まるで、良くも悪くもさぶられる心をかして追いちをかけてくるような紫苑に、瑠璃はされたようにあごをひいた。

「婿?……って、まさかこの小娘の!? やだっ、じようだんめてください。第一、紫苑さまにはワタシっていうものが──」

 背後で再び珊瑚がさわぎだしたが、雑音として耳を右から左へとおりすぎていく。ただその中に、改めてひっかかったひびきがあった。

「──婿」

 無意識のうちに立ち止まってつぶやいた瑠璃に、紫苑が「なになに」とつめよってくる。

「してくれる気になった?」

 わくわくとこちらを見つめる彼を、じっと見返す。

 真朱の子どもは娘の瑠璃一人だ。ひつきよう──

 ──わたしの婿になるということは、この国のあとぎになる、っていうことよね。

 そして、紫苑は大倭の皇子みこだ。彼が自分とけつこんするということは、出水国は紫苑のものになるということで、ひいては現王朝のものになるということだ。

 ──これが、ねらい?

 世間知らずの若い娘なら、甘い言葉をささやけばころりとおちる、とでも思われたのだろうか。くどいほどにくぎした翡翠もまた、それをけいかいしていたのだろうか。

「……」

 瑠璃はそでぐちに隠れた手をきゅっとにぎりこむと、紫苑を避けるようにして止まっていた歩みを再開させた。

「父にはすでに跡継ぎがいますから」

 遠回しに『婿は必要ない』、すなわち『あなたと結婚などしない』と告げた瑠璃に、となりをついて歩きながら紫苑がおもむろに首をかしげた。

「それは……およめにきてくれるってこと?」

「な…っ!?」

 予想のななめ上をいった回答に、ぎょっとする。

「なぜそうなるんですか!」

「ええー」

 自分でもおどろくほどの声をあげた瑠璃に紫苑は不服そうにこぼしたあと、

「まあ、いつしよにいられるならオレはどっちでもかまわないんだけど」

 一転、からりと笑った。

「それはそうと、跡継ぎっていうと、あのキミの従兄いとこの?」

「……はい」

 一連のやりとりにどっとつかれがおそってきて、瑠璃は力なくうなずいた。

「ってことは、彼が瑠璃の?」

「まだ、正式ではありませんけれど」

 にごされたを的確に読みとって、これにもしゆこうしたものの、正確に言うとそれも違う。

 だれにしかと言われたわけでもない。しかし、父の跡継ぎと目される翡翠と一人娘である瑠璃との結婚は、里の中ではあんもくりようかいとされていた。

 ふーん、と感情の読めない声で呟いて、紫苑がこちらをいちべつする。

「あんなあいそうな男より、オレの方がいいと思わない?」

 無愛想って……と瑠璃は軽くまゆをよせた。

 むしろ翡翠はつうだ。規格外はそちらだろう、と言いたいのをぐっとみこむ。

「……たしかに厳しい人ですが、わたしや国を思ってのことですから」

 そのしように、気分だいで言をひるがえしたり、じんなことを言ったりはしない。危険がないよう、間違った方へいかないよう、常に見守ってくれているからこそできることだ。

 それを息苦しく感じないわけではないが……。

「それに、やさしいところもある人です。母が病の時、はげましてくれたり」

 遠い思い出をるように、瑠璃は頭へそっと手をやった。

「──そう」

「?」

 ふとまとう空気が変わった気がして、隣を見る。だが、あったのはいつものがおだった。

「じゃあ、オレももっとたよりがいのある男にならなきゃね」

「え──」

 瑠璃がきよかれている間に、うんうんと一人頷いた紫苑が「さつそくちょっとがんばってくるよ」とはなれていく。

 はっとした瑠璃はとっさに手をばした。

「待っ……そういうことでは」

 ない、と解こうとした誤解は、ようようと遠ざかる背中に届かず、むなしく地面におちる。ごくさいしきの珊瑚だけがかみを揺らして振り返り、するどくこちらを睨みつけるとあるじのあとを追って去っていく。

 瑠璃は宙をつかんだ指先を握ると、のろのろとうでをおろした。

「がんばるって、なにをするつもりなの……」

 話が通じない、と頭をかかえたい気分でこめかみを押さえる。

 遠回しにおん便びんにおさめようとせず、もっとはっきり言うべきだったのだろうか。

「本当、おかしな人」

 疲れたように零すと、瑠璃はしきへともどっていった。





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