⑦金魚鉢にキスしたい
真夏を田舎のおばあちゃん家で過ごすときは、決まって金魚鉢をずっと眺めている。
滑らかで透き通った金魚鉢の壁の奥に潜むのは、おばあちゃんのペットの金魚、「メジロ」ちゃんだ。
金魚だけど、メジロ。メダカでも、メカブでもなくて、メジロ。ジロジロメジロ。
わたしがいつも金魚の目をジロっと見ていることが由来、なのではなく、単純に名前の響きで決めたそうな。
あ、わたしの名前は「春子」と言います。春キャベツの「春」に、子持ちししゃもの「子」。わたしの名前の由来は……なんだろう。家に帰ったらお母さんに聞いてみよう。名前の響きだったら、悲しいな。
そんなわたしは夏休みには毎年おばあちゃんに帰省している。電車で来ようと思えば、都会からそう遠くはない田舎だけど、田んぼや畑の広がる風景は田舎ならではって感じだ。毎年来ているから慣れているけど、都会人が見たら感動するかもしれない。
でも、田舎だからって良いことづくしじゃあない。コンビニは四十分歩いた駅にあるのが一番近くだし、道端や家の前とかに虫がいっぱいいるし。特に夜は注意だ。ぽつぽつとたっている柱のライトに羽虫が気持ち悪いほど集まってくるから。都会人だったら気絶するかな。
でも、田舎にはいいところもたくさんある。わたしの個人的なことだけど、おばあちゃんが優しい。一緒にお手玉とか、トランプとかで遊んでくれるから、おばあちゃんといると楽しい。お母さんやお父さんもいいけど、おばあちゃんが一番好きかもしれない。そのくらい穏やかで、心の広いおばあちゃんだ。
そして何よりこの金魚。メジロちゃん。わたしの中の田舎のイメージは、もうメジロちゃんに限る。おばあちゃんと比べるのは難しいけど、わたしにとっては単なるペットじゃない。わたしとメジロ、どっちが上でどっちが下とか、そんな関係じゃない。
わたしとメジロは仲良しの友達なんだ。恋人でもある。大人の人は恋をして、結婚するのが当たり前らしいけど、何で金魚と結婚してる人はいないんだろうって不思議に思っちゃう。人間同士じゃないと、結婚できないのかな?でも、結婚してる人はみんなだいたい幸せそうな感じに見える。お母さんはお父さんっていう人間を好きになったから、お父さんはお母さんっていう人間を好きになったから、結婚したんだよね。金魚に恋をする人って、わたしだけなのかなぁ。この気持ちは、そんなにおかしいこと?
まぁ他の人は置いといて、わたしはメジロが大好きだ。他の金魚を見かけると少し惹かれることもあるけど、やっぱりメジロがナンバーワンでオンリーワンな恋人。あ、人じゃないから、
詳しい生き物のことはよく分からないけど、メジロは赤色の体をしている。少しオレンジ寄りの赤色で、泳ぐ度にその体で光を跳ね返すのがとってもきれい。何時間、何日見ていても飽きないくらい美しい。朝起きてメジロを観察、お昼ご飯を食べてメジロを観察、夜寝る前にメジロを観察、といった毎日だ。もちろん、「おはよう、メジロちゃん。」「こんにちは。いい天気だね、メジロちゃん。」「おやすみ、メジロちゃん。」のあいさつも忘れてはいけない。朝から晩までメジロといっしょ。これはもう、夫婦みたいなものなのでは?わたしがお嫁さんで、メジロもお嫁さん。言ってなかったけど、メジロちゃんはメスだ。
メジロちゃんの好きなところその一、くりくりっとしたお目目。わたしなんかの目よりもよっぽど透き通っていて、羨ましささえ思う。その目を見ていると、何故かたまにヨダレがたれる。だらーー、と。全然食べたいとか思ってないのに、何でだろう。多分、恋をしているからヨダレが出るんだろうな。完璧な理由ですな。
その二、ゆらゆらと動く尾ひれ。メジロちゃんの尾ひれをじっと眺めていると、催眠術にかかったような気持ちよさがやってくる。それも好きな理由の内だけど、何と言ってもその美しさだ。細くて真っ直ぐな尾ひれの筋、それが水中でなびいているのを見られるだけでわたしは生きていられる。
そうだ、死ぬ時はメジロと一緒に死のう。だからなるべく長生きしようね、メジロちゃん。
そんでもってその三、満を持してのご登場。そう、腹びれだ。わたしは昔、この腹びれを人間でいう手と同じだと思っていて、どうにかして握手できないものかと試行錯誤したものだ。あー、あの頃が懐かしいなぁ。まだわたし、小学一年生とか、そんな年だったよな。四年も前かー。四年も経つと、メジロも大きくなったものだよ。わたしも背は結構伸びたかな。わたしも成長して、メジロも成長している、このシンクロ。どう考えても、わたし達は結ばれる運命だね。
とこのとおりメジロの好きなところは色々あるし、まだまだ言い足りないけど、そろそろメジロちゃんにご飯をあげないといけない時間だ。
一時間ほど正座で座って見ていたからちょっと足がしびれた。毎年帰り際になると足も慣れてきてしびれることはないんだけど、まだ来てそんなに日にちも経っていないから足がまだ出来上がっていない。じゃあ普通に座ればいいと思うかもしれないけど、正座の姿勢がこの上なく見やすいからしょうがない。このメジロとの目線の高さを味わってしまったら、二度と正座以外の座り方はできないぜ、っていう気持ちだ。
しびれが消えるのを待ってから、金魚鉢の置いてある大きな台の引き出しを開けて「金魚のエサ、これ一本」と書かれたボトルを取り出す。わたしはこの「エサ」という言い方が嫌いだ。だって、まるでわたし達人間とは違う生き物として扱っているみたいじゃない。確かに体の形は違う。頭も人間より良くないかもしれない。でも目があって、手みたいな腹びれがあって、わたし達と同じ空気を吸って生きている。「違うこと」ばっかり責め立てるようにみんなが言って、「同じこと」は見ない振りをしている。金魚と人間って、そんなに違う生き物なの?同じ生き物同士で、いいじゃん。友達になろうが、恋をしようが、共に死のうが、自由じゃないのか。だから「違うこと」を強く思わせてくる「エサ」の言い方は嫌だ。
恋人にあーんと食べさせる気分で、水面にボトルの中の粉末を振りかける。かけすぎると後でする掃除が大変になるので、メジロの体調に合った量をあげる。わたしくらいになれば、メジロの様子を見ればすぐにその日のメジロの調子が手に取るように分かる。今日はいつもより調子良さ
掃除と言えば、金魚鉢のかざりのオモチャが汚れているな。立ち上がったついでに金魚鉢の掃除でもす
「は、春子!」
……るか。って、あぁそうだ。田舎と言えば、この子もいたんだった。
大声でわたしの名前を呼んで金魚鉢のある部屋に入ってきたのは、
「何?今メジロに忙しいから、用があるなら早く言って。」
「あ、あんたねぇ~!」
むきーっとなっているけど、知ったこっちゃない。それより掃除、掃除。
「いいからこっち来なさい!」
作業しようとした手を強引に引っ張られ、そのままずるずると引きずられる。あーあー、せっかくのわたしとメジロちゃんの時間が。こんなよく分からん子どもに奪われるなんて。
「あっちで遊ぶわよ!」
ずるずる、ずるずると。水中を泳ぐようにわたしが動かされる。
あぁ、メジロちゃん。
メジロちゃんが住む世界が遠くなるよ。
そんなに遠くに、離れないで。
ずっとわたしの側で泳いでいて。
金魚鉢にキスしたい。
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