⑧女子〇学生

春風が地を駆ける公園のブランコには、或る少女がいた。先端が肩に乗るくらいの長さである髪は、硯に垂らした墨汁の一滴が白い光を反射させるような眩しさと美麗さを弱風により周囲に靡かせていて、その髪が頬を軽く覆うと少女はこそばゆそうに髪を元の位置に戻した。身長は小学生低学年といったところで、背中に水色のランドセルを乗せている。当然その身体は幼さを主張しているが、仕草や表情がどこか大人びている。それは大人から見ると落ち着きがあって"良い子"だと決定づけられるかもしれないが、視点を同じ立場に移行するとそうとも限らない。つまるところ、少女は他の同級生と馬が合わないらしい。公園には少女だけではなく同級生と思われる男子数名がいるが、少女と挨拶を交わすことも共に遊ぶこともなく存在しないかのように自由気ままに遊んでいた。ブランコから離れて。同じく同級生であろう女子達も数十分前にやってきたが、一度少女が公園にいることを認識するとそそくさと別の遊び場へと避けていった。男子も女子も近づかない。それは、近づ"け"ない、と言い換えることもできる。少女の他人への無関心、非接触が及ぼした必然の結果だ。だが少女はその結果にさえ、"無関心"だった。

少女はブランコに座って微弱な揺れをあまり頭を働かせず堪能していた。


が、唐突に視覚が途絶えた。


何が起こったのか理解できない。そうだ、頭を働かせないといけない、と気付き振り子運動をする鉄と板を停止するために踵を地面につけようとしたが、それより先に何者かに体全体を固定された。いや、正しく表現するなら、拘束された、だ。そこでようやく少女は自分が目隠しをされていることに気付いた。流石に危機感を覚え、誰、と声を上げる前に口を布で塞がれた。何をするにも先を越される。おそらく後ろに犯人がいるはずだが振り返ろうにも頭が動かない。物理的にも精神的にも機能しない頭に対して、若干の苛立ちを感じた。

「お、となしく、し……しろっ!」

少女が決死の抵抗として体を歪ませたり引っ張ったりしていると思いの外犯人は手こずっているようで、当惑と焦燥の声が聞こえてきた。声質は少し高めで二十代後半と推定された。勿論知り合いではない。犯人の情報を得たというのは前進だが、状況はそうもいかない。いくらなんでも大人に単純な筋力で勝るのは不可能だった。ブランコから下ろされると同時に頭を盛大に地面に衝突させられた。「ごバぅっ」脳髄が流水の如く頭蓋骨で対流する感覚に陥る。何も見えないはずなのに赤いカーテンのようなものが視界を支配する。ランドセルをお腹に抱えていればいくらか衝撃を吸収できただろうが、生憎一般人と同じく背負っていたため顔面に生まれた痛みは辛いなんてもんじゃない。ぐぁんぐぁんと幻聴が聞こてくると次第に吐気が体内で上昇してきた。耐えきれず吐いてしまう。今朝のパンと牛乳が非正規ルートで排出されたのかなと緊張感の無いことを考えてしまった。相変わらず無能な脳だが、それとは別に泣きたい衝動に駆られる。心が本来ありえないはずの何かを訴えていた。しかし泣く間もなく犯人が次の段階へ動き始めた。最悪を想定すると、たぶん、誘拐だ。少女の絶望が最高潮に達した瞬間、



「何してるだお前は!!!」



強烈な音波が鼓膜を震わせる。奮わせる。さっきと打って変わり幼い女性の声。というか少女と同じような年齢の声色だ。けれども芯が通っていて、都市に君臨する巨大な電波塔のような威圧感がある声量と語気だ。この場合、音波塔と造語して比喩できる。その波に飲まれたのか、犯人はひどく驚き慌てて躓きかけながら公園から逃走した。闘争するつもりもなかったようだ。確かにあれだけ大声で叫ばれたら別離中の男子達も認知する。少女の単独行動を知った上での低リスクが前提の犯行だったのだろう。目的は分からずじまいだったが。

だけど今はそれよりもあの音波塔は何だったのか、その正体を解明せねばならない。先程からずっとうつ伏せに地面と対面していたので起き上がりたいが、案の定拘束が解放を阻む。すると不意に腕が軽くなる。腕の拘束が解けた。疑問を考察するより早く目隠しと物理的な口封じを自力で解除した。

「やぁ」

そこに映るのは、顔。眼球、鼻、唇、頬。全て近い。まさに目と鼻の先。繊細で長いまつ毛が少女のまつ毛と絡みそうなほどだ。驚いて再び顔面殴打して脳内花畑になるのは拒否すべきことなので、慌てて一二歩下がった。そしたら全体像が見えた。それは予想通り少女と同じ女子小学生だった。向こうの方が少し背が高いが、タワーほどではなかった。

「大丈夫ですかな?」

彼女が黒と茶色が薄く混合した胸元まである長めの髪を振りながら調子良く尋ねてくる。彼女は外見においては少女より発育しているが発している雰囲気が幼稚で、良く言えば子供らしい。

「大丈夫」

言った途端に目眩がした。ふらふらしながらも思考する。そうか、彼女が大声を出し、腕の拘束を解いて自分を助けてくれたのか。事実を自覚したら、急に体の中心が沸騰したみたいに熱くなってきた。こんなに体も心も動き動かされたのは、生まれて初めてだ。


「そっか、よかった」

彼女が微笑む。優しさの象徴みたいだ。そこで、ふと我に帰った。すると目隠しされたわけでもないのに、



また世界が暗転した。



優しさって、何だ?

あんなにも自分は他者に無関心、非接触だったのに、真逆のモノを受け入れてしまったのか?

自分はもう、他者なしには存在できないような、そんな、弱く、薄く、浅いモノになったのか?

少女の脳ではなく心が荒れる。

考えれば考えるほど理性の対になるモノが自分を征服していく。

どうすれば、どうやって、どうしよう「私が付いているからっ」



抱きつかれた。





?????????????????????




またもや何が起こったのか疑問が生まれた。抱きつかれた。ダキツカレタ。頭真っ白。顔真っ赤。太陽白い。空青い。ブランコ黒い。それしか分かるものがない。



「………私が付いているから、安心して、いいよ……もう、大丈夫だから……」

その言葉により段々と平穏に帰していく。時間が経つにつれ現状も把握できるになってきた。

どうやら自分は、自分の内側のモノが表情という形で露呈していて、それに気付いた彼女が慰めてくれたということらしい。



それに、分かったことはもう一つあった。


理性とか、他者とか、無関心とか、やっぱりそんなことどうでもいい。無関心だ。


けど、今接触している"彼女"は、信じられる。

いや、信じ"たい"。

それをどうやって証明するかの手段は問題ではない。

"過程"があって、"結果"があれば、自分を捧げるには十分だ。


"彼女"となら、自分が自分のまま進んでいける。


そう思うと、視覚も、聴覚も、触覚も、全てが開け放たれた気分になった。

窓から、温かい春の香りの風が吹き込んでいく。

頭の痛みなんて、とっくにどっかに行ってしまった。




その後しばらく抱きつかれて、それが終わると恥ずかしいようなもどかしいようなといった微妙な空気になり、一応互いに自己紹介だけして別れた。彼女は、あまり深くは問い立てて来なかった。



「じゃあねー!気をつけてねー!」



少女も帰ろうと思い、服に付いていた砂を払った。

口の中にも入っていたが、不思議とそれほど不快ではなかった。








「ん?あ、そうそう、今ね、昔のこと思い出してたんだけど」

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