⑥サカモトつばさ

サカモトは女の子が好きらしい。

髪がパサパサで短くて、背が高くて声も低くて、ときどき同じ女の子からも告白される、男の子みたいな女の子。

それよりも、髪は顎の高さより長くてつやつやしている黒髪で、女性らしい丸みを帯びていて、声は天然水を思わせるほど透き通っていて、男なんか寄せ付けないって女の子。

そんな「女の子」が、サカモトは好きなんだって。


サカモトは女の子の中でも、特に目立たない子で、ちょっぴり影が薄い。みんなサカモトのことなんて気にしていないように見える。空気の一部だって思ってるかもしれない。

それでもサカモトは、好きなものがある。きちんと自分の気持ちを持っている。空気とか影とか、そんな目に見えないものじゃない。もっと言うと、空気や影も、見えてないのは分かろうとしていないだけだ。


分かろうと近寄るだけでヒトのことなんてすぐ分かってしまう。そう簡単なことじゃないかもしれないし、全てを知れるわけじゃないかもしれないけど、「全く知らない」と「すこしだけ知ってる」の距離は近い。やるかやらないかってだけ。

知っていると、知らない方が良かったなぁと思うこともある。知っておどろくことも多い。

それでも、知ってほしいって思うものなんだ。


理解はできる。サカモトは女の子が好きなんだなぁって。そうなのかって。それだけじゃない。語ったのは、くわしい好みや、女の子の種類についても。知らないことだらけで、誰もが深くヒトのことを考えているんだなぁって思った。ヒトのこと、を。ただひたすらに。


数日後、サカモトとお出かけすることになった。

この間はじめてサカモトに出会ったときから、しばらくいっしょに遊んだりスキンシップしたりしていた。そしてこの前、用事があるからいっしょに付いてきてくれない?と言ってきた。もちろん有無を言うまでもなく付いていくに決まってる。


そういうわけで、サカモトとともに用事のある場所にいくことになったのだ。いつも行くようなところじゃないから、お化粧するように、とのことだ。練習として、大人しくされるがままにお化粧してもらった。手伝ってもらってはじめてできた。こんな練習ははじめてだ。


数日後のことを思うと夜も寝られない。せっかくお化粧したりして磨き上げてもらったのに、むだにならないかな。そんなことを夜の暗い部屋で思う。まんまるなお月様の明かりが恋しい。


予定の日が来て、サカモトと家の玄関を出る。日差しが暖かい。今日は、いつもより穏やかな一日になりそうだ。

用事の場所は何やら部活に関するみたいだ。サカモトとは、サカモトが部活に入ったことがきっかけではじめて出会った。ちなみにサカモトは部活内でも目立たないようだ。でも部活のことは好きらしい。不思議だ。


しかしその疑問はすぐに解決する。


数分歩くと、例の用事のある商業施設に近づいてきた。その施設の入口の前には、駐輪場や駐車場などで大きなスペースが広がっていた。車の通りも比較的多いのを見ると、賑わっているようだ。そのスペースを進んでいく途中、そこにはとんでもない美女がいた。美女は後ろで纏めてはいるがそれでも分かる麗らかな黒髪で、誰よりも整っている顔立ちをしていた。これほどの美女だとかえって気後れしてしまう。

しかしどことなく何か見覚えがある気がする。記憶を振り絞ってみたところ、そうだ、この美女はサカモトと同じ部活に入っていたのだったと思い出した。


そこで気付いてしまった。


なんだ、そういうことだっのか。察するに、サカモトはこの美女に会うためにわざわざ部活の用事という口実を作ったのだ。好みにぴったりな容姿の美女のために。

さらに言ってしまえば、部活自体、この美女と関わりを持つために入部したのだろう。だからサカモトは部活を気にいっていたのだ。存在を重視されない苦痛など気にならないほど。


美女はサカモトに気付くと、ぱぁっと笑顔を見せて「おーいっ」と透明感のある声でサカモトを呼び寄せた。綺麗なポニーテールが光を撒き散らすように動く。サカモトも美女が近くにいることを知るや否や、すぐさま真っ直ぐその元に駆け出した。それ以外には何も興味がないかのごとく。連れられて無理矢理美女の方向に向かわされる。

あーなんだ、少しでも楽しみにしていたのが馬鹿らしくなってきた。なんでサカモトの好きなヒトなんかに出会わなければならないのだろう。もうどうでもいいや。どーでもいい。どうにでもなれ。早くこんな時間終わってしまえ。


そんな鬱憤と諦念を思った時。


……え?


今まで一緒に行動してきたサカモトの体から、離れた。

離れてしまった。

サカモトの温もりが消えた。

サカモトがどんどん遠くなっていく。遠く、遠く、遠く遠く遠く遠く遠く遠く。遠近感を強烈に意識する。離ればなれ離ればなれ離ればなれ離ればなれ離ればなれ離ればなれ。

何を思って何をしているのか分からなくなる。何故?何故だ?願ったからか?不意な出来事に冷静に考えることができなくなる。ただ混乱しながら感じる。

いつも隣にいるような関係でもない。互いに宝石に触れるみたいに温和に接するわけではない。けど今は特別異様だ。そんな距離が広がっていく。


解離して乖離して背離して遊離して。


意識も回り回る最中。







車が迫っ






思考する時間を与えずに衝撃が降る。最初に認識できたのは、何か硬いものに当たったということ。硬質な物体が体のどこかの部分に衝突してきたという事実を受け止めることしかできない。なにせ痛みが伴ってこないから。ただ揺れに揺れて、ぐわぁんぐわぁん鳴り続けるだけだ。

その音楽が突然中断される。


気が付くと、体が宙に浮いていた。


そこからは展開が早かった。真の意味で空気になったと錯覚した直後現実のコンクリートの地面に突き落とされ、一瞬の浮遊と刹那の接触を何度も何度も行ったり来たりして、最終的に地面に引かれている白線に平行して転がることを選んだ。途中からは抵抗する気力も失せて物理学に身を任せていた。

しばらくしてようやくスピードが低下の傾向になる。一つ、一つと地面の石ころに傷つけられる回数が減っていく。

それが零回で安定した頃。


あーあ、やってしまったな、とへこんだ体を見て思う。


これはもうお別れかもしれない。結構な時間跳ねられていたし、相当遠くに来てしまったはずだ。探し出すまでの気持ちがあるのだろうか。諦めた方がかえって安心できる。

ははっ。終わりを願った結果が、これだ。無様とはこのことだな。でも、だったらどうやって希望を見い出せというのだ。

希望はあるのか。

可能性はあるのか。

期待していいのか。


あるわけないだろ、そんなの。


その時、


「……った!」


明るさが響いた。


サカモトの声だ。

サカモトは部活のために切りそろえたという髪を無造作に弾ませて、汗だくになりながら走ってきた。


「よかった……よかった……!」


そう漏らしながらサカモトに抱き寄せられる。先の事故で負傷した箇所を気遣って、優しく撫でてくれる。それは初めて見るサカモトの表情だった。後から知ったことだが、最初、離れてしまったことに感付かなかったサカモトは、例の美女に指摘されてはじめて気がつき、美女のことをほっぽり出して追いかけてきてくれたのだそうだ。「女の子」が好きなサカモトでも、こんな事故が起こると心配してくれるんだと改めて知って、先程までの躁鬱から一転、心が晴れていく。


やっぱり、期待してしまう。


その後、事故現場にサカモトとともに戻った。そこでは轢いた運転手が悪い悪い、と大した罪悪感も見せずに謝罪を口にしてきた。サカモトはそいつにあらん限りの叱責を下してくれた。

その言葉に、態度に、思いに。染められて、素直な嬉しさが込み上げる。

しかも驚くべきことに、事故を処理し終えるとサカモトは美女と別れたのだ。どうやらサカモトが美女のことを好いているというのは、ただの思い違いだったらしい。今日この大型販売店に来たのは美女のためではないよと、サカモトの口からも伝えられた。

それを聞いて、それを話してくれて。

どんなに救われたか。



今まで。


蹴られて。投げられて。飛ばされて。


痛いのを繰り返して痛いのを繰り返して痛いのを繰り返してきた。


空気より非道い扱いでしかなかった。


だけどサカモトは。











サカモトだけは。













「ボールは友達」って、言ってくれた。











わたしに。














でも、「友達」って、それだけ?






わたしは、『女』のボールだけど。







サカモトのこと、『女』として好きだよ。





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