⑤笑顔

 放課後、学校の図書室で漫画を読んでいたら、いつの間にかアタシの隣に尾崎がいた。

「尾崎、いたんだ。」

「さっきからずっといたけど。」

「え、まじ。」

「まじなのだ。」

「全然気付かんかった。」

 どうしよう、変な顔とかしてなかったよな。大丈夫だよな。

「そりゃそうだ。いなかったから。」

「ふざけんなよてめぇ。」

 まったく、びっくりさせんな。

「図書館よく来るの?」

「急に話変えるなよ……まぁな。」

「へー、意外と真面目……ではないか、漫画だもんね。」

「い、いいだろ、別に。そっちは?」

「私は勉強。というかここにいる皆勉強してるよ?試験前だよ?」

「ぐぬっ」

 痛いところを突かれた。

「いーんだよ、そんなの。赤点取んなければいい話だろ。」

「でも確か既に赤点何回か取ってるよね?一年生やり直すんだ。」

「あーあーこれ以上聞こえないーー。」

 聞こえないー。

「……そう。ま、頑張って。私応援してるから。」

「お、おう……どうも。」

 応援って、尾崎そんなキャラだったか?

「じゃあ勉強するから、しばらく話しかけないで。」

「さらっと酷いな……。」

「………………………………」

「………………………………」

「………………………………………………」

「…………………………………………なぁ、」

「…………」

「って、本当に無視かよっ。」

「…………」

 どうやら本気で集中している様子だったので、アタシも黙っていることにした。


 ~〜~


「…………」

「ぷはぁ、終わった。」

「おー終わったか。」

 横目で見てたから、そろそろかとは思ってた。

「いつの間にか私達二人だけになってる。」

「まぁな。」

 大分前から二人っきりだけどな。

「もしかして、待っててくれた?」

「そ、そんなんじゃねーよ。漫画読みたかったんだよ。」

「そう?うわっ、いっぱい積んでる。」

「待ってる間にこのシリーズ読み終えたからな。」

 言えねぇ……隣に尾崎が居たから意識して全然頭に入らなかったなんて、言えねぇ……。

「本格的に試験大丈夫?というかやっぱり待っててくれたんだ。」

「……あ、い、今のは、言い間違えだっ。」

 しまった。口が滑った。

「でもありがと。一緒に居てくれたことに変わりはないから。」

「……」

 ……。

「じゃあ、帰ろっか。」

「……おう。」

「じゃあ、はい。」

「え?」

 尾崎が左手をアタシの方に突き出してきた。

「え、それ何?」

「手」

 だろうな。

「で?」

「繋ごう?」

 突然過ぎるだろ、おい。まさかとは思ったけど。

「何で。」

「いいから。繋ご。」

「おわっ。」

 強引にアタシの右手を掴んで、握りしめてきた。その突拍子のない行動に、困惑と別の何かの二つを感じる。

 手を繋いだまま、本も片付けないで図書室を出た。アタシは尾崎に導かれるがままに歩いていく。

 素直になれないアタシは、歩きながら緩む顔を隠すのに必死だった。


 ~〜~


「……ねぇ、明石の家はどっち?」

 夕日に染まった尾崎が、肩まで届く髪も茜色に反射させながら訊いてきた。

「お前それ今頃聞くのかよ……。」

 尾崎に顔を向けまいと脇見を続けていて、ふとした拍子に周りを見渡すとアタシの家の隣町だということに気付いた。無意識にかなり歩いたみたいだ。

「もうとっくに通り過ぎたっつーの。」

「え、そうなの……?」

 いや、そこで不安になるのかよ。さっきまでの強引さはどうした。

「じゃあ戻るね。」

「いいよ、わざわざ。もう遅いし。」

 それに親に見つかると色々面倒くさいからな。

「いい。行く。」

「……そこまで言うなら、着いてきてもいいけど。」

「いいの?やったー。」

 両手を垂直に掲げて大袈裟に喜ぶ尾崎。そこまで嬉しいことか?尾崎にとっては無駄足なのに。

 ところで、この時初めて繋いでいた手を離した。

 沈む夕日のせいなのか、少し寂しく思った。


 ~〜~


「ねぇ、明石は何で名前で呼んでくれないの?」

 引き返している道中、不意打ちの話題が降ってきた。

「ぶぐっ」

 歩きながら水筒を口にしていたアタシは当然の如く噴き出した。

「い、いきなりだな。」

「どうして?」

 尾崎は猶も問い続ける。そう、『尾崎』だ。

「別に……尾崎でいいだろ、尾崎。」

「嫌。」

 真っ直ぐな目ではっきりと言い返された。

「ちゃんと名前で呼んでくれないと嫌。前から言ってるよ。」

 前、というのはアタシ達が初めて会った時のことだろう。と言っても大層なものではなく、よくある『席が近いから』という理由でアタシ達は知り合いになった。その際に名前で呼ぶように言われた気もするけど、苗字で呼び続けている。それは、まあ、な。アタシの口からは言えるわけねぇ。

「わ、分かったよ……。」

 でも今回ばかりは呼んでやらないといけないな。尾崎から気迫というか、オーラを感じる。

「あれ?下の名前なんだっけ?」

 って、思わずホラを吹いてしまった。またしても素直になれないアタシ。冗談言う空気じゃないのに。

「……信じられないっ。もう。」

 ほら、案の定怒ってしまった。引き返すのをさらに引き返そうとしている。

「あぁーごめんごめん!嘘だよ嘘。」

 自分でも性格が良くないと自覚はしているが、どうしようもないのだ。長い時間で形作られたものだから。その代わり、ちゃんとやり直しをしよう。

「ごめんな、優芽ゆめ。」

 尾崎……いや優芽は、反対方向に進める足を止めて、アタシに振り向く。

「……うん。」

 小さく頷き、口元に笑みを見せる。その仕草が、とても優芽らしかった。

「てかお前もアタシのこと苗字呼びだろ。」

「はっ、そうだった。」

 弛緩した顔から一転、盲点だったとでも言うような驚嘆の表情に切り替わる。

「わざとらしいな。」

 すると優芽もアタシの名前を呼んできた。

双葉ふたば。」

「おう。」

「……双葉ちゃん。」

「ちゃんは要らねぇー!」

「双葉ちゃん♪」

「だーかーらー!」

「ふふふっ。」

 ったく、調子に乗らせるとすぐこうだから、優芽は。まぁでも、これも優芽らしいと言えば優芽らしいか。今学年になってからの知り合いだけど、優芽のことも段々分かってきたようだ。


 ~〜~


「そろそろ家に着くわな。」

 数分歩いてようやく見慣れた風景が訪れた。空はもう暗色が占めてきている。

「ねぇ。」

 優芽が何か言いたそうな様子で話しかけてきた。

「何だ?」


「……家、上がらせて。」


 ……え?え、ええ、ええええええ!!!???

「あ、あああっ、アタシの、家!?」

 優芽は静かに頷く。

 優芽は簡単に言うけど……急展開過ぎやしないか?

「いいけど……いいのか?」

「見てみたいの。双葉の部屋。」


 ~〜~


「ただいまー。」

 いつも通りの所作で家に入る。いつもと違うのは、一人多いという点だ。

 そして、あー、面倒くさいことになりそう。

「おかえりなさ……って、あらっ。双葉ちゃんのお友達?」

 お母さんがこちらを一瞥して、優芽の存在に気付くや否や玄関までとっとこ小走りしてきた。

「おー、そんなところ。」

「あらあらぁ。双葉ちゃんがお友達連れてくるなんて初めてじゃない?お赤飯炊かないとだわっ。」

「余計なことすんなー!晩飯までには帰らせるから!」

 これだから面倒なんだ、親ってのは。もう少し自由放任に扱ってほしい。

 玄関を抜けて、優芽と共に自分の部屋へと向かう。

「私、帰らないよ?」

 優芽の出し抜けな発言がまた一つ芽吹いた。その意図が把握できない。

「はぁ?」

「なんて、嘘。」

 だよな、いくらなんでもな。

「でも、直ぐには帰りたくない。」

 ……ん?

「それって、どういう……」

 部屋のドアを開けて、そう言いかけた時。


 ドサァッ。


 優芽がアタシの腰に手を回しながら、部屋の床に押し倒してきた。

 …………ふぁ?


「私、初めて見た時から双葉ちゃんにこうしてみたかったんだ。」

「は、あ、え、はぇ?」

「ふふっ。お母さんには、『双葉ちゃん』って呼ばれてるんだね。」

 あ、あ、何何何。何だ何だ何なんだ。

「あ、ああああ」

 ああああああ


「大丈夫。怯えないで。」


 そう言うと、優芽に、もっと、モットツヨクダキシメラレタ。ムネニカオヲウズメテイル。コシガシメツケラレル。ユメ、ヤワラカイ。あばばばばば。

「……ぷはぁ」

 カオヲモトニモドシテキモチヨサソウニスルユメ。プハァ、プハァ……ブハァッ。……ナンダコノカンジ。


「うん、とっても気持ち良かった。やっぱり双葉ちゃん、抱き心地良い。」


 アタシモナンダカフシギナキモチニ……

「…………え?」


「学校じゃ誰かに見られるかもしれないから家の中まで来たけど、その甲斐あったよ。あ、もちろん双葉の部屋も気になってたよ。うん、良いお部屋。」


 ……あー、あー。

 なんだ、そういうことか。

 それだけか。

 まー、そーだよなー。優芽だもんなー。

 優芽って、そういうところあるからなー。

 しょーがないかー。そうかー。


「あともう少し、抱きしめさせて。」


 その言葉を黙って肯定する。優芽は優しい立ち居振る舞いで、アタシを抱き抱える。でも今度の抱擁は、何故か落ち着いた気分で受けられた。外で手を繋いでいる間や、唐突に抱きしめられた時はどぎまぎしたけど、今は。

 不思議といつもより部屋の中が静かに思えた。


「……そろそろ帰らなきゃ。」

 腰から手を離した優芽が、名残惜しそうに呟く。

「また明日、学校でね。」

 アタシに向き合いつつも、身だしなみを整えて優芽は今日の別れを告げた。


 アタシには、心のどこかが欠けた感触のみが残った。


 ~〜~


 翌日。

「おはよう、双葉。」

「……」

「どうしたの?双葉?」

「……っ」

 ガタンッ。

「え、双葉!?どこいくの!?」


 アタシは優芽の顔もまともに見れずに、ついには耐えきれなくなって教室を抜け出してしまった。昨日のことが未だに心に凝りを留めているからか。

 学校をサボることはアタシにとって珍しいことじゃない。アタシは一般に問題児と呼ばれる部類だ。成績も悪いし、実を言うと進級も危うい。そろそろ期末考査だ。けどそんなことより、今アタシが考えるべきなのは昨日の出来事だ。アタシに浮かぶこのもやもやは、一体……。

 悩みに暮れて、学校からそれなりに離れた公園までやって来た。ここはアタシがサボるときに毎回利用する場所だ。子供が遊ぶバネがついた遊具の上にまたがって、足りない脳みそを使ってみる。

 ……ダメだ。悩む一方だ。アタシの思考の揺れ具合を示すかのように、乗っかった遊具も前後に揺らしてみる。何も解決しない。

「あーあ、何やってんだろアタシ。」

 逃げていても進歩しないのは分かっているのに。勇気を出すのは容易いことではないと身に染みて理解した。でも前に進まない。この遊具のように。

 前後の往復を何回した時だろう。


 彼女はやってきた。


「双葉!」

「ゆ、m……尾崎、何でここに……」

「私も授業サボっちゃった。」

 尾崎が、サボった。優等生の尾崎が。

「……何で、来たんだよ。関係ないだろ、お前には。」

「関係ないよ。」

 あっさり認める尾崎。

「……ないから、来たんだよ。」

 一言目は開き直りなのか、普段の突拍子もない発話か判断できなかったが、二言目曰くそのどちらでもないらしい。

 それに話し方もいくぶん慎ましい調子に聞こえる。

「私、考えたんだ。何でさっき双葉が逃げたのか。」

 そう言う尾崎の目には雫のようなものが解離しようとしていた。声も微かに震えている。こんな尾崎、初めて見た。

「よく考えてみたら、私達の関係って、単に同じクラスで、席が隣同士ってだけ。」

 あくまで平静を装っているようでも、目が下に泳いでいる。

「それだけで、名前呼びとか、抱きついたりだとか……嫌、だったよね。ごめん、気付かなくて……」

 震えが大きくなり、声量も小さくなる。

「私、よく他人から変って言われるんだ。」

 トーンも下がり、顔を俯けてしまった。その動きの中、落ちた水滴が周りの景色を反射して、光を生んだ。

「本当にごめん。だから、教室戻ろう?」

 それでも無理矢理な笑顔を面に作って、昨日の図書室でのように手を差し伸べてきた。

 尾崎の自然な笑顔を知っているアタシは、耐え切れなかった。

 アタシの不甲斐なさに。

「……違う。」

 伝えなければならないことがある。

「違う、確かに尾崎は少し人とは違うけど、そうじゃない。」

 そう、本当は。

「変なのは……アタシだ。」

 アタシの気持ちが変わったんだ。

「アタシ、尾崎に抱きしめられて、嬉しかった。嬉しかったけど、」

 ただ抱きしめられるよりも。

「アタシ、尾崎と別のことがしたい。」

 やっと言い出せた。

「別のこと?」

「例えば……」

 そう、だな……そこまでは、考えていなかったけど……。


「その、キス、とか……?」


「「…………」」


 な、ななな何を言ってるんだこの口は!?キスって、そんなまさか……。え、アタシ、尾崎とちゅーしたいのか?あの変な心のもやもやは、そういう気持ちか!?自分が自分でワケワカラン!

「ぽかーん。」

 尾崎も呆然としてるじゃねーかっ。表情コロコロ変えさせちゃってるよアタシ。てか、ぽかーんって声にも出してるし。

「いやその何ていうか、例えばだよ例えば。そんな、無理にとは……」

「……キスって、女の子同士でしていいの?」

 え、そこか?それを疑問に思っていたのかよ。

「……そんなの、アタシ達の自由だろ。」

 尾崎が良ければ、の話だけどな。

「すごい。発想がすごいよ、双葉ちゃん。」

 尾崎は殊の外感動したらしく、先ほどとは違った目の輝きを見せてきた。

「だから、ちゃんは止めろって」

 ただでさえキスしたいとか言って恥ずいのに、これ以上辱めたらアタシはどうなる。

「あ!」

 とそこで尾崎が何かに気付く。

「そういえばさっき、また私のこと名前で呼ばなかった。」

 あぁそのことか。いや、まぁ何となく、その場の雰囲気で。

「あぁ、まぁな。」

「『まぁな』、じゃない。ちゃんと名前で呼んで。」

 やけに名前呼びに拘るな。尾崎にとっては大事なことなんだろうか。

「そしたらキスしてあげる。」

 ……まじすか。案外ハードル緩いのな……と言っても、名前呼びながらキスしてもらうって、実際はとてつもなく恥ずいか。

 でも、アタシが望んだことだ。

 彼女が与えてくれることだ。


 だったらやってみようではないか、キス。


「……優芽、キス、して。」


 アタシがその目を閉じて。


「いくよ……」


 優芽がその顔を近付ける。


 優芽と双葉、小さなつぼみ同士が距離を縮める。




 その後のことは、二人だけが知ってる。


 笑顔の種は、二人の未来が花へと咲かせるだろう。


 ~〜~

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