第11話 謝罪
セカイの体を拭いた後、彼女の下着と紺い黒のデニムシャツに城のショートパンツといった服装を投げたマユは「早く着ろよ」とだけ言って、部屋の中へと戻っていく。置いていかないでと、ついていきたかったが、何も着ていない状態では脱衣所から出られなかった。誰が買って置いておいてくれたのかはわからないが、とりあえず、サイズはセカイの体に怖いくらいに合っていた。
とりあえず服だけ着たセカイは脱衣所を出てから、まるで泥棒のようなソワソワと落ち着かない様子で、部屋の中の様子を覗いてみる。先ほどまでいたテレビの前にはシオンの姿は確認できず、一応部屋の奥まで確認してみるが、彼女は見当たらない。
なんとなくホッとしたセカイは、部屋の中に入ってから、隅のトレーの上に置かれているコップをとって、同じく上にあった冷えた水の入った容器で水を入れて一気に飲み干す。冷えた体に冷たい飲み物を入れるのは体に良くないと聞いたことがあるが、それでも、この快感は他には得られないものがある。
マユも部屋の中にはおらず、彼女も外に出ているらしい。あの服装から想像して公園で虫取りでもしているのだろうか。湯冷めしなければいいが……。
ぷはっ、ともう一度冷えた水を飲んだセカイは、ようやく、本来真っ先に考えなければならない疑問が浮かんでくる。
そう、ここが一体どこなのか、である。
テレビをつけてみると、流れてくるのは英語で、天気予報に見える温度はいつもセカイたちが目にしている摂氏ではなく、華氏であるため、ここがまだアメリカの国内ということは推測できるが、ここに来た記憶が一切ないのだ。
記憶をたどってみるが、シオンを傷つけそうになってから、あまりにもショックが大きかったためか、それ以降の記憶がない。ホテルに滞在し、自由に出入りできているところから考えて、ここが天国ではない限り、どうにかエリア51からは脱出できたみたいだが。
窓の外を見ると、巨大なホテルが立ち並んでおり、面白そうな施設もいくつか見える。どうやらここは観光産業の進んでいる都市部らしい。照り付けてくる太陽の光はじりじりと厚い窓ガラスがあるのに容赦のない熱を浴びせてくる。試しに窓に触ってみたが、やけどするかと思うくらいに熱くて、すぐに手を引く。こんな気温の中で外に出る輩の気持ちがわからない……。
「どうしたのですか? 呆けた顔して」
「しっ、シオン!?」
「……そのおばけが出たときみたいな反応をされると私も傷つくのですが?」
いやごめんね……、と作り笑いを浮かべながらセカイは内心、尋常じゃないくらいに緊張していた。まさか、部屋の中にいるとは思っていなかったからだ。
「あの子――マユといいましたか、セカイが私を呼んでいると呼びに来たのですが」
「えーと、ここはどこなのかな~、なんて……」
謝らなきゃ、と思いつつも、口から出た言葉は、全く違う、質問だった。
どうやらマユが気を利かせてくれたようだ。彼女がここにいないのもそのせいだろうが、本音を言えば彼女についていてほしかったのだが……。
「ラスベガスです」
「そっ、そう……道理で暑いはずだね、ギャンブラーたちの熱が街を覆い隠しているからだったり、なんて……」
はははっ、と、セカイが笑っていると、彼女の声が途絶えた瞬間、何とも言えない沈黙が訪れる。この気まずさはきっとシオンも感じていることだろう。
もしここにマユがいてくれれば、もしかしたら、話を進めてくれていたかもしれないと、思ってしまい、他力本願なことばかり考える自分が嫌になった。
「……それでは、私は少し外に出てきますので」
「ちょっと待って!」
セカイから視線を逸らしたシオンが、手提げの小さな鞄を持って、部屋から出て行こうとしたのだが、反射的にセカイが叫んだので、彼女は止まってセカイの顔を見る。
続ける言葉をろくに考えもせずに言ってしまったことに後悔して、『何でもない』という言葉が口から出かけるが、それじゃダメだと、慌てて首を横に振る。
そして、シオンの目を見て、胸に拳を作り、言わなければならない言葉をいう。
「ごめんなさい!」
「…………っ!」
難しいことを考えている暇はなかった、どんな風に謝れば許してくれるのだろうか、なんて、逃げの考えは頭から消えていた。考えるよりも先に、謝罪の言葉が口から出ていた。
「私のために言ってくれていたのに……それなのに、私、シオンを傷つけようとした、守らなきゃいけなかったのに、怖がらせた――だから……ごめんなさい!」
「……セカイが謝る必要はありませんよ。貴女がいなければ、どの道、殺されていましたから」
シオンは優しく笑いかけてくれるが、それが彼女の本心でないことはすぐにわかった。彼女は昔から、どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、隠してしまう強い女の子だったから。他の子はそれで納得させられても、夢に出てくるマユの声と同じくらい昔から一緒にいる彼女のことをセカイがわからないはずがなかった。
その証拠に、彼女は『許す』とは言っていないのだから。
「それは、嘘だよ……」
「どういうことでしょうか?」
「私がシオンだったら怖くないはずがないから、信用していた親友に殺されかけて、笑って許せるはず……ないから」
少しの間口を閉じたシオンは「……そうですね」と呟いてから、はー、と深いため息を一つついた。
そして、セカイの目をまっすぐに見つめてくる。
「わかっているなら、セカイ、目を閉じてください」
「はっ、はい……」
シオンに言われたままセカイはギュッと目を閉じる。この展開は思い切り殴られると見せかけて――のパターンの代表例のようなシチュエーションであったが、セカイは親友がお互いのわだかまりを残すようなことをしないことを知っている。
パシンッ、と体まで吹っ飛ばされかねない一撃のビンタが頬に直撃してくる。それは、エリア51で受けたどんな攻撃よりも強烈な痛みだった。思わず涙が落ちてしまうほどに。
そのジンジンとした痛みと共に揺らいだセカイの体を倒れないようにと抱きしめられる。耳元で聞こえる鼻をすする音と、シオンの髪がから漂う石鹸の良い匂いを感じながら、ゆっくりと目を開ける。
「目が本気で、本当に殺されるって感じました……私の知っているセカイが本当に別人に変わってしまったのだと思って……本気で怖かったんですから!」
泣きじゃくるシオンに対して、セカイは「ごめん、なさい……」としか言うことができなかった。ギュッと、抱きしめられながら、小学校の頃、いじめられていたところをよくシオンに助けてもらったことを思い出していた。
(あのときも、泣きながら抱きついていたっけ。まあ、立場は今と真逆だったけれど)
ポンポンと後ろからシオンの頭を叩きながら、もう二度と彼女には泣いてほしくないと思っていると、部屋の扉が開いて、一人の女が入ってくる。
「日本の学生諸君! 青春してるわね!」
「……クラウディア?」
空気を読まずズカズカと部屋の中に入ってきた女――クラウディアは、千鳥足で歩いて行くと、ソファにドカッと座る。片手にワインボトルを抱えており、顔は赤く、明らかに酔っているのがわかった。
「ほとんどが些細なことで跡形もなく砕け散るのが女の友情よ! なのに喧嘩しても、すぐにそんなに仲の良くなっちゃう貴女たちは稀よ稀、天然記念物よ!」
何言っているだろうか、この人は。
ろれつが回っていないクラウディアは手に持ったワインボトルをラッパ飲みで、ごくごくと飲んでいると、彼女の後に続いてもう一人、部屋の中に入ってくる。
「まったく、そんな状態で歩き回らないでほしいものだよ」
「別にいいじゃない、倒れたらダイが運んでくれるんだし」
やれやれ、と言った様子でいるのは、黒縁の眼鏡に、癖のある長い茶髪は頭の上まで縛られており、手には辞書のような大きな本が握られている。注目すべき点である、こぼれんばかりの大きさの胸をワイシャツのボタンで留め、下は黒のズボンと、知的な感じも相まって、見た印象だけでいうと社長秘書のような女であった。
「えっと……誰でしょうか?」
いつの間にか泣き止んでいたシオンが、しかしまだ若干の泣き声が混じった声で、見知らぬ女に対して質問すると、眼鏡を直して、こちらを向いた女は、
「ダイアナ・エルボーン。こいつとは同僚だ」
爽やかな笑顔で名乗ったダイアナは、見た目は完全に女なのだけれど、綺麗だとか可愛いだとかいう言葉が似合わない、『カッコいい』女の人だった。
「シオンです、よろしくお願いします」
「良い名前だね、シオンちゃん……覚えたよ。ちなみに苗字の方はなんていうのかな?」
「えっ、と、伊月です。伊月シオン」
「ファミリーネームも可憐だ。日本人の名前は時々読みにくいけど良い響きなものもが多いから僕は好きだよ」
「勝手に、よその国の学生をたぶらかしてんじゃないわよぉ!」
シオンの手を握ってまるで王子様のような笑顔を見せるダイアナに酒飲みクラウディアからツッコミが入る。まんざらでもないように少し頬を赤らめているシオンの反応がなんとなく、気に食わなかった。
訂正しよう、このダイアナとかいうはカッコいいのは見た目だけで、第一印象の中身はチャラい男子学生みたいだ。
「それで、こっちの可愛い日本の学生さんはなんて言うのかな?」
「……神導セカイだよ」
「どうしたのかな? もしかして、体調が悪い?」
なんでもないです、と言ってプイと顔をそむける。機嫌が悪いのではなく、単に神導セカイという人物にとって、こういうテンションが苦手なだけだ。
「まあいいや、とにかく、よろしくねセカイちゃん」
憎らしい蔵に爽やかな笑顔がまぶしすぎて、正面から見られなかったセカイは無言で頷き、握手だけする。もう少し自分は適応能力がある人間だと思っていたのだが……。
「そんなことよりも、なんで私たちはラスベガスなんかにいるの?」
セカイがクラウディアの方を向いて彼女に訊く。彼女は酔っているものの、ダイアナとは正面から話せる気がしないので、少々面倒だが、こっちの方がずっと楽だからだ。
しかし、セカイの質問を返したのはクラウディアではなくシオンであった。
「私たちをセカイがエリア51から避難させたあと、私たちはクラウディアさんが飛行機の中で、エルボーンさんに連絡してくれていたので、用意されたバスに乗って、ここまで来たのです。追手がなかったのが幸いでしたが……確かに、あのとき、貴女は気絶してしまいましたからね。無理もありません」
「じゃあ、私を運んでくれたの?」
「貴女が気を失ったかと思えば、一つの体が分かれてセカイとマユが二人に分かれて出てきたので、本当に驚きましたよ」
そうだったんだ……ありがとう、と言いながら懸命に思い出そうとしてみたものの、残念ながら、あのときの自分はシオンを泣かせてしまった罪悪感で一杯になっていて、その後、何を思って行動していたのか、記憶に残してはいなかった。
「あたしにも感謝してほしいわぁ、何時間バス運転したと思ってんのよぉ」
やたら絡んでくるクラウディアにも「ありがとう」と苦笑いで返したセカイは、シオンの耳元に手と口を持ってきて、クラウディアに訊かれないように彼女に訊く。
「なんであんなに酔っているの?」
「昨晩、ここに来てから『あそこから生還したわ、これは奇跡よ! お祝いよ!』とか一人で盛り上がって、ずっと、寝ずに飲んでいるんですよ。さっきまではこのホテルについているカジノにいたみたいです」
「そうよ! 『エリア51からの生還』これ、ハリウッドで映画にできるわ!」
かなり小声で話していたはずなのに、地獄耳のクラウディアには聞こえていたらしい。嬉しそうにワイングラスを掲げて、そんなことを叫んでいた。
確かに、ラスベガスと言えば、ホテル経営とかカジノとかが有名な都市だ。未成年であっても、観光産業が発達しているため楽しめるらしいが、クラウディアを見ていると、やはり成人してからの方が楽しめそうだなとなんとなく思う。まあ、ここまでの悪酔いはしたくないが……。
「ほら、ダイ! もう一勝負行くわよ!」
「喜ぶのは確かにわかるけどね……そろそろ眠った方が良いんじゃないかい?」
立ち上がったクラウディアにダイアナが制止すると、その手を振り払ってから、
「何言ってんのよ、今日中に億万長者に――」と、そこまで行ったところで、酒瓶を落として、ふらついたクラウディアはそのままダイアナの腕に納まった。
「なってみせるん……だか……ら……」
やっと眠ってくれたか、と言った様子で、小さなため息をついたダイアナは、背丈はあまり変わらないというのに軽々とクラウディアを抱き上げる。
「じゃ、これは持っていくね。僕たちは隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでよ」
イケメン爽やか笑顔でそう言ってから、ダイアナは夢の中でも酔っているらしい変な寝言を言っているクラウディアを抱きかかえたまま、部屋を出て行ったのであった。
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