第9話 砂舞う戦闘
広い部屋の中央にある巨大な灰色の繭が弾けて真っ白な糸が部屋の中で雪のように降る。
その中には一人の女の姿があった。
女は神導セカイの容姿にどことなく似ていたものの、明らかに彼女ではない。
長い銀髪と、端正な顔つきはセカイのものと似ていたが、大人っぽい雰囲気が出ているのは、彼女の背が高いからだ。おそらく、セカイよりも頭一つ分ほど大きい。
女性らしい凹凸のある体のラインがあり、その服はマントのついた黒のジャケットに灰色のインナー、下は黒の白色のチェーンのついたベルトにミニスカート、ブーツで色は上から下まで黒という独特な服装だった。
その手には、刃だけで人ひとり分ほどはあるだろう大きさの巨大な漆黒の両刃斧が握られていた。黒衣で身を包んでいるが、彼女の雪のような白い肌が相まって、美しいコントラストが出来上がっている。
その姿には、人に触れてはならないと感じさせる神々しさがあり、この世界全体が息をのんでしまうほどの美しさがある。彼女が呼吸するたびに、空気が揺れ、大地が輝いた。
セカイが静かに目を開ける。明らかに自分の体ではなかったものの、彼女はその理由を感覚的に理解していたため、驚くことはなかった。
目前では、青髪の女がシオンに鋭く尖った剣を向けている。
斧を持ち、セカイは動く。
その速さは人間の耐えうる加速力を軽く超越しており、一瞬で最高速度に到達した。瞬く間に移動したセカイは、次の瞬間には倒れるシオンの前に立っていた。
まるで、テレポートしてきたかのように現れたセカイに、レイピアを持った女は一瞬ひるんだものの、すぐに剣で突いてくる。
対してセカイは手に持った斧の柄で受け止め、弾いた後、彼女の身長と変わらない大きさの斧の刃で切り付ける。
「……っ!」
剣の刃で受けたものの、振り切ったセカイの攻撃を止めることはできずに、女は吹き飛ばされたが、女はまるで体操選手のように身軽に体をひねらせて、着地すると、壁の前でかろうじて止まった。
セカイを見る女の目は、驚きと戸惑いの色があった。
「てめぇ、この力――『交差する光と闇(クロスロード)』と契約したっていうのかよ?」
「君も、同じなんでしょ?」
この姿になったせいだろうか、武器を接触すると、なんとなく、彼女もセカイと同じような『力』を持っていることがわかる。その人間離れした力の理由も理解できる。
しかし、女は「ちげぇよ」と答える。
「あたしは『雷の騎士(ライトニングパラディン)』。てめぇみたいな『安全級(セーフ)』とは一つも二つも、格が違うんだよ!」
自身を『雷の騎士』と名乗った女はレイピアを片手に再び迫ってくる。シオンを守るようにその前に立ったセカイが、斧を『雷の騎士』へ振ると、スピードを緩めることなく彼女は跳躍し、斧頭へと乗ると、柄を伝って来る。
目前まで迫った『雷の騎士』がレイピアをセカイの頭蓋に向けて突いてきたが、斧を放したセカイは右手で剣先を握り、顔に刃が接触する直前で止めた。床に落ちた斧が、鈍い音を立て、地面を揺らした。
だが、攻撃を止められたことに対して、女は驚くこともなくニヤリと笑ったかと思うと、
「残念、てめぇはこれで終わりだよ」
「…………っ!」
バチバチ、と音がしたかと思うと、レイピアの先から青い稲妻が放たれ、セカイを焦がした。
全身に流れていく高電圧の電撃は体の中に入ると全てを焦がそうと、脳を、血液を、臓器を焼いていこうとする。人間の女には到底耐えることができないものだった。
まばゆい雷の光が辺りを包み、この場にいた全員の目を一瞬、くらませた。
そして、次の瞬間、セカイは告げる。
「終わらないよ、こんなものじゃ、終わらせない」
「なっ……!」
本来、全身が焼け、体が焼死してしまってもおかしくないほどの電撃を受けてもなお、セカイは、立っていた。ダメージがないわけではなく、プスプスと体は焦げていたし、口を少量の血を伝っていたものの、致命傷にはなっていない。
握った剣先をセカイ投げると、『雷の騎士』の体が宙へと浮く。そして、セカイが斧をもって跳躍し、彼女の前に来ると、『雷の騎士』は初めて、明らかな焦りの表情を見せる。
「隔てろ――『裏表の境界点(ポイントアックス)』!」
セカイが振った斧だったが、『雷の騎士』は身をよじらせ、かろうじてそれを避けた。躱された斧はそのまま部屋の天井に突き刺さる。天井に入った亀裂はまっすぐ地上まで上がっていき、セカイが振り切ると、地上までの穴が出来上がった。
「……っ! ここから地上までどんだけあると……」
着地した『雷の騎士』は、地上から降り注ぐ太陽の光を見上げ、大粒の汗を流しながら呟く。
斧を引き抜いたセカイが降り立つと、女は警戒するように、間合いを取った。
「こいつ……『脅威級(スレット)』か、いや、まさか『災害級(ディザスター)』ってわけじゃねえだろうな。少なくとも『安全級(セーフ)』では――っ!」
「独り言もいいけど、独り言いっていると舌噛むよ――執行者さん!」
セカイが振り下ろした斧をひらりと躱した女であったが、さらにそのままセカイが突き刺さった斧を振り上げると、避けきれなくなり、レイピアで防ごうと斧の刃の前でガードの姿勢をとる。
しかし、その程度でセカイの攻撃を殺すことなどできるはずもなかった『雷の騎士』は頭上に吹き飛ばされ、先ほど開いた穴から、地上まで飛んでいった。
敵が消えた部屋の中、軽く息を整えたセカイは、呆然とした様子で見ているシオンの前に来る。
「貴女は、セカイ……なのですか?」
そうだよ、と笑いかけると、警戒の色が少し薄れた様子だった。
質問に答えた後も、じー、と見つめてくるシオンに「えっと、何かな……?」と聞くと、シオンはゆっくりと一度瞬きをしてから、
「なんというか……老けましたね」
「それひどくない!?」
大人になったとか、お姉さんになったとか、言いようならほかにもあるはずなのに……。
セカイの突っ込みにクスクスと安心したようにシオンは笑って「間違いなく、セカイのようですね」と言う。
強引に天井を開けてしまったせいか、少し崩れてきている天井を見ながら、セカイは「行こうか」と言って、シオンに向けて手を差し出すと、頷いた彼女は手を取る。
しかし、そのとき、野太い声が響いた。
振り返ると、部屋の入り口には隻眼の軍服を着た初老の男がショットガンを片手に立っていた。施設内はひどい有様だったが、まだ生き残りがいたのか。
突然、英語で話しかけてきたので、男が何を言っているのかはセカイにはわからなかったが、威嚇している事だけはわかる。
セカイたちを見た男とは一瞬驚き、発砲はしてこない。当然だ、セカイはともかく、少なくともシオンは日本の学生服を着ている普通の女の子にしか見えないのだから。
「お前は、日本人……か?」
「…………」
男が日本語を使って話しかけてきたので驚くが、たとえお互いに理解できる言語であったとしても、この状況、彼の仲間を殺したのがセカイたちではないということを説明し、彼に納得させることは難しいと考えたセカイは何も言わずに頭上に空いた穴へ目を向ける。
「答えろ!」
「……ごめんなさい」
そう静かに呟いたセカイは、片手に斧、もう片手にシオンの体を持って外へと跳び抜ける。シオンは普通の女の子なので、一定以上の加速には対応できない。そのため、何度か壁を蹴り外に出ることになった。
外に出ると、熱気と、まぶしい光、せき込むほどの砂埃を感しる。やはり、地下は普通にいる分には快適だったことを痛感する。
だが、地下の狭い空間ではセカイの持つ斧、『裏表の境界点』を使うには少し狭すぎるのだ。こういう大きな武器は威力が高いという利点があるものの、広いところでしか真価を発揮できないという点がネックだった。
地上に出て、シオンを放したあと、すでに起き上がっている『雷の騎士』の方を向いて、さっさと決着をつけようと斧を構えなおす。
だが、そのとき猛獣のうめき声とともに脇から巨大な獣がセカイの元へ飛び掛かってきた。飛行機を不時着させる原因になった怪物『飛翔する合成鳥獣』だ。
食って掛かる猛獣の八重歯を片手で、それも素手で受け止めるが、その力が思った以上に強く、セカイの足元は削られていった。
それでも受けきり、足元が止まると、セカイのもう片方の手に握られた大斧が怪物の大きな翼を切り取った。飛んでいた怪物はバランスが取れなくなり、地面に落ちる。
その隙にセカイが漆黒の斧で『飛翔する合成鳥獣』にとどめを刺そうとすると、いつの間にか背後に回っていた女がレイピアで突いてくる。それはセカイにとって完全な死角であり、たとえ、身体能力が上であったとしても回避が難しいはずの攻撃だった。
「……それじゃまだ甘いかな」
振り返ることなく、世界が斧の柄を後ろに押し込むと、柄の先が『雷の騎士』の腹へと直撃。彼女は三度吹き飛ばされ、倉庫のシャッターにぶつかる。
襲ってきた女を見るためにセカイが目をそらすと、すかさず『飛翔する合成鳥獣』が牙を向けてきて、セカイの腕へとかみついた。牙が食い込み、腕からは血が流れるが、彼女の腕が食いちぎられることはなかった。
腕の傷に動じないセカイは、獣へ睨み付ける。
野性的な勘が鈍くなった高等動物である人間であっても、自分よりも強い相手を前にすれば、ひるみ、おびえ、本能的に逃げたくなる。それが感覚の鋭い獣であるならば、猶更のことであり、それがたとえ怪物であっても、同じことだった。
視線が交錯した瞬間に、『飛翔する合成鳥獣』はおびえた様子を見せ、腕に噛みついていた口を外して、二歩、三歩、とあとずさる。
セカイが腕を下すと、怪物はその間に、片方だけの翼でバランス悪くも飛び立ち、どこか空へと消えていった。
そんな怪物を追うこともなく、セカイは倒れたまま未だに起き上がってこない『雷の騎士』の前に立つ。
息はしている、血を吐いたらしく、地面には彼女の血液があった。目は死んでおらず、攻撃的な目がセカイに向けられていた。
「あたしには何も感じなかった。なんで、てめぇが『交差する光と闇(クロスロード)』と契約できたのか、なんで『安全級』程度の神格で、ここまでの力が出ているのか、あたしには理解できない、わからない、認められない……」
苦しそうな呼吸をしながら、「なんで」と「理解できない」をぶつぶつと連呼している女を見下ろしながら、セカイは告げる。
「なんでもいいけど――もう終わりだよ」
女に向けて、死の宣告をしたセカイは、斧を振りかざす。そこに、一欠片の躊躇いもなかった。
「やめてください、セカイ!」
だが、そのとき、一人の少女が女をかばうように横から入ってくる。
その姿を見て、セカイの手が止まった。
「どいて、シオン。こいつはシオンを傷つけようとしたんだ。許す理由なんてないよ」
「それでもです! だからといって、貴女が殺して良い理由にはなりません!」
どうしてシオンはこんな奴をかばうのだろうか。もしかしたら、殺されていたかもしれないのに。
得体のしれない感情がフツフツと沸いてきて、セカイはもう一度彼女に向って「どいて!」と叫んだ。
「わかっていますか? それを下せば、この女と同類に、人殺しになってしまうのですよ?」
引き下がる様子を見せない、シオンに向かって、セカイは、声を張り上げる。
「そんなの関係ない! どいてくれないなら――」
「『なら』なんですか? 私も一緒に……切るつもりですか?」
「…………っ!」
シオンの目から一筋の涙が落ちる。
そのとき、シオンのその目には涙が溜まっていて、足も震えていることに気付いたセカイは、感情に任せて言ってしまった自分の言葉を後悔した。
おびえながらも引き下がらず、強い目で問いかけてきたシオンを前にして、熱く高揚していた頭が一気に冷やされる。自分自身が怖くなって、振りかざしていた斧を放すと、ドスン、と重い音と共に斧は地面に落ちる。
すでに戦いは、終わっていた。
一言だけ「……ごめん」と告げたセカイは、自分に対しておびえているシオンに対して、それ以上怖くて何も言えなかった。
地面を揺らした巨大な斧の周りには砂埃が出ており、彼女たちに吹きかかってくる。
砂埃は風に舞い、いつの間にか雲がかかっていた空へと昇って行った。
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