第5話 不時着


 シオンが持ってきてくれたコーヒーを三人で飲みながら、シオンが機内には飛行機を操縦できるような人も、医者もいないということを報告していた。非常事態で混乱していて何もできなかったセカイは幼馴染の行動に驚くと同時に感心していた。本当に、寝起きと覚醒後があまりにも違いすぎる。


 ふう、と一息入れたクラウディアを見て、セカイは、思ったままの質問をしてみる。


「ねえ、本当にハイジャック犯なの?」

「……なんでそんなことを聞くのかしら?」

「だって、おかしいことが多すぎるから」


 まず、ハイジャック犯にしては、甘すぎる。発砲はしたものの人に当たるような方向には撃たなかったし、人の命を奪わないようにと、こうやって操縦席にまで座っている。加えて、彼女の言うことを客室乗務員たちが聞きすぎている。普通、学生二人とハイジャック犯だけをコックピットに残すなんてマネは、絶対にしない。


 まだまだ、おかしなことはたくさんあったが、セカイがそこまで彼女に説明したとき、「もういいわよ」と、クラウディアが話を切った。


「……じゃあ、あたしは何者だと思う?」

「私の妄想だったら笑ってほしいんだけど、わざわざアメリカ本土に航路を変えたんだから、アメリカの、あまり大っぴらには言えない組織に所属している人だと思う。だから、えーと……」

「中央情報局――通称CIAということですよね、セカイ?」


 正式名称が浮かんでこなかったセカイにシオンのリードが入る。そうそう、CIA、よくスパイ映画とかに出てくる組織だ。きっとこんな妄想をしてしまうのは、さっき見た映画のせいだと思う。


「……素敵な妄想ね」


 そう言ってまた微笑んだクラウディアはそれ以上、イエスともノーとも言わなかった。だが、もしも彼女がハイジャック犯ではなく、アメリカの重要なエージェントだったとしたら、ある程度の権利の行使を国に認められていたとしたら、なぜ飛行機が彼女の言うとおりにすぐに航路を変えたのかも説明がつくのだ。

 それに、隣に座る金髪の女性を見ていて思い出したのだが、彼女とは確か空港でぶつかっている。


 そのとき、彼女は変な黒服に追われている様子だった。

 このご時世、映画でもない限りは、ありえないシチュエーション。事実は小説よりも奇なりという言葉があるように彼女にはもしかしたら、映画よりも複雑な背景があるのかもしれない。


 だが、無理に彼女から言葉を聞くことはしなかった。セカイにはその権利はないし、別に聞いて得するようなこともないからだ。強いて言うならばそんな機関の人と話せたと自慢できるぐらいか。

 まあ、ハイジャック犯という汚名を着てまで身分を隠している状況だ。下手に情報を得てしまうと、変な標的にされかねないので、やはり何も聞かないというのがベストなのだろう。


 コックピットの中に静寂が訪れる。客室で乗っているときにはあまり気にならなかった飛行機のエンジン音がやけに大きく聞こえてくる。


「貴女たちは、神様の定義って何だと思う?」


 不意な質問に、セカイは急に答えられなかった。いや、普通に問われても、すぐに答えられるものではない。


「えっと、クラウディアは何らかの宗教には入ってる?」


 彼女の口から出たのは、世界で最も多くの人間が進行している宗教の名前であったが、「でもね、」と彼女はすぐに続ける。


「私が聞きたいのは、そういうことじゃないわ」

「じゃあ、どういう……」


 てっきり彼女のほしい答えは、彼女の信じている神様についてのことだと思っていたが。


「貴女たちは日本の学生よね」

「えっ、うん、そうだけど……」

「日本人って、一つの宗教に縛られている人が少ないじゃない。初詣にお盆、クリスマスと、様々な宗教行事が混同していても誰も疑問に感じてないみたいだし、無信仰だっていう人も多い……そんな貴女たちにとって、祈るべき対象はいったい何かなって、ふと、疑問に思ったのよ」

「セカイはどうかわかりませんが、私は羽々斬神社の神主の娘で、巫女です。無信仰というわけではないですよ」


 答えを考えているセカイよりも先にシオンが答える。彼女の家、羽々斬神社は平安時代から続く由緒正しき神社で、ずっと血筋を繋いできた。彼女の不思議な力は長き信仰の賜物なのかもしれないと思う。


「貴女、名前は何だったかしら?」

「シオン、です」

「別にいいわよシオン、貴女の考え、聞かせて頂戴」


 クラウディアがシオンの方を向くと、「それでは、これはあくまで私一個人の考えなのですが、」と前置きした後に、


「この世の必然性を変えられる者、それが私の思う神様の定義です。生きている限り必ず訪れてしまう様々な運命をその本来あったはずの結果を捻じ曲げてしまうことを、きっと人は奇跡と呼び、祈るのではないのでしょうか?」

「あまり宗教は関係ない答えみたいね」

「そんなことないですよ、自然のあらゆるものに神が宿る、所謂『八百万の神々』がいて、彼らが本来一本道だったはずの世界の選択肢を増やし、相互作用を起こしているからこそ、唯一無二の今の世の中があるのだと考えています。つまり、奇跡は常に起こっているということですね」


 独特だけど中々面白い考えね、と言ったクラウディアは、次に、セカイを見て、「それで、貴女はどう考えているのかしら?」と聞いてくる。


 セカイだって、神様について考えたことがないわけではないが、明確な理由があるわけではなかった。だから、シオンの言葉を聞いてから、『なんとなく』という理由だけで自身の考えを話すのは悪いような気がして、「ごめん、私にはわからない」という答えが出た。


「じゃあ、セカイは今、この飛行機が落ちるかもしれない事態になったとき、いったい何に祈る?」

「それは……」


 答えが見つからなくて、セカイは言いよどむ。

 わからない、今まで神様に祈ったことがないわけではなかったが、一人の神様だけに祈っていたわけではなく、自分の願いを聞いてくれるならば誰でもよかった。神社や教会に行ったときこそ目の前の神様に祈るものの、それ以外のときは、その対象が決まっているわけではなかった。もしかしたら、これが無信仰というものなのかもしれない。


「……強いて言うなら、たぶん、『自分自身』にだと思う」

「それまたどうしてよ? 自分じゃどうにもならないから祈るんじゃないの?」

「私はクラウディアのいう通り、無信仰だから、神様はいるとしても具体的な姿はすぐに思い出せないんだよ。だから、目を閉じてただ祈ると、その対象は自分になるんじゃないかな……って」


 ふうん、と聞いていたクラウディアであったが、セカイが一体どうしてそんなことを訊こうと思ったのか、尋ねようとしたとき、彼女の顔が変わっていることに気付く。お化けでも見たような顔つきで、セカイを、いや、正確にはその後ろを見ていた。

 セカイがすぐに、彼女の視線の先を見るが、そこには誰もいなかった。ただ、ほんの少しだけ見えたのは、見たことのない真っ赤な毛の尻尾だけ。

 チッ、と舌打ちしたクラウディアは、すぐにオートパイロットを切って、操縦輪を握る。


「じゃあ、すぐに祈った方がいいかもしれないわ」

「えっ……わっ!」


 前触れもなく飛行機が傾いたので、セカイはシートの角で頭を打ってしまう。かなり痛かったが、文句を言う相手がいなかった。クラウディアが操縦したせいではない。彼女は操縦輪を持っているものの、動かしていないのだから。

 何が起こっているのかわからないまま怪我したらたまったものではないと思ったセカイがシートベルトを着けようとしたとき、一つのメーターが急激に減っていることに気付く。


「クラウディア、燃料が……」


 この減り方は普通じゃない、無知なセカイであっても、この飛行機に燃料漏れが起こっていることにはすぐに気づく。メーターを一瞬見たクラウディアは、苦虫を噛み潰したような顔で、


「あいつ……一般人も乗っているのよ、普通、ここまでする?」

「どうするの?」

「私はテロリストじゃない、私の手でなんて、誰も死なせないわ!」


 そう叫んだクラウディアは震える手で操縦輪を握りしめていた。高度はどんどん下がっていき、すでに彼女たちがコックピットに入ってきた時よりも低い位置にいた。

 副操縦席にいる以上は、何かしなければならならないと思う一方で、クラウディアからの指示は何一つなく、指示なしで辺りの機材に触るわけにもいかないので、ただただ死ぬかもしれない恐怖と戦っていると、後ろにいるシオンが虚空を見ていることに気付く。


「あの、大丈夫、シオン?」


 非常事態で精神的におかしくなったのか、あるいは、先ほどの揺れでセカイと同じように頭をぶつけて、おかしくなってしまったのではないかと心配して声をかけたのだが、彼女の顔は、恐怖の色はあるものの、表情に変わった様子もなく、生きるのを諦めているようでもなかった。


「攻撃をしているのは、あれは、一体何なのですか?」


 クラウディアの方を見ながらシオンが尋ねると、彼女ははじめ口を閉じていたが、ぼそりと「……貴女たちは知らないほうがいいわ」とだけ言った。

 シオンの見ていた方向は、壁だったが、その先は飛行機の右翼だ。彼女は襲撃者に何かを感じているのだろうか。だとしたら、相手は普通の人間ではないのか?


 シオンのことを見ている間に、クラウディアが何やら空港と通信していたようだったが、良い返事がもらえなかったのか、チッ、と舌打ちしたかと思えば大変なことを言い出した。


「不時着するわ! シートに捕まって!」

「下って、海じゃないの?」

「違うわ、もう北アメリカ大陸の上よ。燃料がないから、場所は選んでいられないから、どうなるかはわからないけどね」


 そう言ったクラウディアの顔には大粒の汗があった。ジャンボジェットを操縦したことのない人間が、百人以上の乗客の命を握ってしまっているのだから、そのプレッシャーは相当のものだろう。

 雲を抜けると、すぐに地面が迫ってくる。震えが止まらなかった。セカイに出来るのは、ただ隣に座るクラウディアが無事に飛行機を着地させてくれることを祈るだけだった。


 だだっぴろい、空き地のような場所の地面に飛行機のタイヤがつくと、ものすごい衝撃が体に来る。自分の足が地面についている感覚と、スピードに乗っている感覚が同時に襲ってきて、正直、生きた心地がしなかった。


 ガッ、ガガガッ、という音の後、ゆっくりと、スピードが緩んでいき、ついに飛行機は止まる。 


「たっ、助かった……?」


 ほっ、とセカイは胸をなでおろす。どうにか、無事に生きられたらしい。

 だが、このときのセカイは何もわかっていなかった。


 普通の人が人生で何度も体験しないだろう飛行機の不時着などというものが、始まりに過ぎなかったのだということ。


 そして、彼女自身の運命の歯車が大きく回り始めたことに。

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