第4話 ハイジャック


 意識がぼんやりと戻ってくる。


 一度眠ってしまえばなかなか起きないはずのセカイであったが、誰に起こされたのでもなく、起きられたのは、機内がやけに騒がしかったからである。


 悲鳴、喧噪、そして、怒鳴り声。


 何か大変なことが起こっている様子だが、寝起きのセカイは、軽い低血圧のせいで体を動かすのもだるくて、オカルト新聞を頭から被ったままのその状態で、しばらく様子を見ることにする。隣の席のシオンはまだ眠っていた。

 ちなみに、セカイ以上に彼女は寝起きがよくない。というか、最悪だ。普段は朝早く目覚ましをかけていて、学校へは余裕をもって登校してきているらしいのだが、幸いまだ眠っていらっしゃる。この騒ぎで眠っていられるということは普段使っている目覚ましがどんな威力を持っているのか非常に興味深くはあるのだけれど……。


 頭に血が上ってきたのを確認したセカイはとりやえず頭に乗った新聞を取って、あたりを見てみると、騒ぎのわりに立っている人は一人しかおらず、その人物が映画や小説などではよく出てくるものの、現実ではあまり見ることのない黒光りした塊を持っていて、騒ぎの中心にいた。


 その人物は、ショートの金髪に綺麗な肌、青色の目が特徴的で、黒い手袋をしている手には一挺の拳銃が握られていた。その格好は客室乗務員のもので、どこかで見た容姿だなと少し考えてみると、先ほどこの新聞をくれた人だった。


『当機はこれからアメリカ、ニューアーク・リバティー国際空港へと向かいます。文句あるお客様は弾丸のプレゼントがございますので、どうぞ前に出てきてください』


 そんな女の一言で、大体の状況は分かった。大方、ハイジャックとかいう奴だろう。犯人は何人いるのか正確にはわからないが、とりやえず、今銃を向けているキャビンアテンダントはその一人らしい。道理で言葉遣いが変だったわけだ。


『言っておくと私たちはテロリストなんてくだらない輩じゃありませんので、変な真似さえしなければ命は保証いたします』


 起きたばかりで頭がぼんやりしているためか、事態を把握しても、慌てふためく前に彼女たちはいったい何が目的なのだろうかと思ってしまう、アメリカのニューヨークまで行きたいのならばホノルル行きの当機をハイジャックなどせずに違う飛行機に乗ればいいだけだ。

 かといって、人の命を奪うわけでも、何かを要求するでもない。空港へ要求している可能性もあるが、それならば、降り立つ空港の名前まで明確には言えないだろう。


 とにかく、こういえば楽観主義者と思われるかもしれないが、自分が一乗客である以上は、ハイジャック犯に対してどうこうする必要もない。幸い、彼女たちには抵抗しない乗客を傷つける意思がないようなので、そこまで慌てる必要もないだろう。ずぶいだとか、変だとかよく言われるが、もちろんそれなりには怖いし、不安がないわけでもない。ひねくれた性格のためか、他人に同調してヒステリックになることもなかった。

 何もできないのだから、しようがないではないか、と言い訳しながら、次目覚めたときは事態が好転していることを願いながら、セカイは何も見なかったことにしてもう一度目を閉じかけた――のだが、


「起きなさい、あんた、なんでこの状況でまだ寝てられるわけ?」

「ごめんなさい、さっき話したときに言葉遣いとか態度とかいろいろ雑だけど無防備な人相手に対して簡単に傷つける人だって思えなかったから大丈夫かな……なんて」


 本音を言うと現実味がなさすぎるからといった方が正しい。きっと映画だろうがテレビだろうがなんでも3Dにしてしまったことへの弊害だろうか。


「誰が雑よ! あんたじゃなくて、こっちの女の方!」


 ノリのいいハイジャック犯はセカイの言葉に突っ込んだ後、隣で微動だにせず眠っているシオンに銃口を向けたので、セカイの心臓が一気にドキドキと脈打ち始める。

 まさか眠っているだけで、文句を言われるとは思っていなかった。それも、よりにもよって我が幼馴染へ被害が及んでくるとは。


「えーと、その子には何もしないでいただけると嬉しいのだけれど……」

「もしかして、馬鹿な真似考えているわけじゃないでしょうね?」

「いや、見ての通り360度どの角度から見ても、完璧ぐっすり眠っているだけだけど、だからこそ、シオンには……」

「起きろって言っているでしょ!」


 セカイの制止も聞かず、そう言った女は、頭上に向けて一発、ぶっ放してしまった。銃口から火花が出るとともに、銃声が鳴り響く。銃声というものは思っていたよりもずっと不快で、キーンという耳鳴りの音が後に残る。

 騒がしかった乗客は一気に静まり返ったものの、シオンが目を覚ましてしまう。

遅かった、やってしまった……。


 品行方正、成績優秀、容姿端麗という三冠称号を持っているシオンであるが、弱点がまったくないわけではない。むしろ多い。

 メルヘン脳もそうだが、それ以上に大変なのが、寝起きである。大変といっても日常生活の朝ならまだいいのだ。生活リズムの上にある睡眠ならば、彼女もどうにか矛を収めてくれる。


 だが、シオンの普段の生活の外でする睡眠において、自然に起きるまで待たなければならない。これは誰が決めたものでもないのだが、彼女の家族と幼馴染であるセカイにとっては共通の絶対的かつ普遍的なルールなのだ。

 シオンがまじめな性格だからこそ学校で眠ることは絶対にない。だから、幸運なことに学校で彼女に憧れている子たちはそのことを知らないだけ。


「起きたかしら、お嬢さん」

「…………」


 大人びた笑みを向けてくるハイジャック犯を、いかにも眠たそうで、閉じているのか開いているのかわからない目で見るシオン。

無言というのは下手に怒鳴り散らすよりも遥かに怖い。


「なっ、何よ、その目は?」


 光彩のない目でじっと、見られたハイジャック犯の女は、少しひるんだ様子で、彼女の目の前に銃を向けてしまった。

 男よりも女のほうが、肝が据わっているというが、伊月シオンの場合、おとなしいように見えて、度胸はとび抜けている。セクハラしてきた世界史の男子教師を容赦なく平手打ちをし、校長の前に突き出したのは有名な話だ。


 そんな彼女の寝起きは最悪、すこぶる機嫌が悪くなるのだ。


 脳があまり動いていないせいか、眠りを中断させられた怒りしか彼女を突き動かすものがないため、そこに傍若無人の手の付けられないお姫様が誕生してしまう。


「……うるさいです」


 ゆらりと立ち上がったシオンは、躊躇うことなく、ハイジャック犯の銃を持っている腕をがっしりとつかむ。その拍子に引き金が引かれるが、すでに銃口はそらされ、弾丸は幸い誰も当たらなかった。そのままシオンが手を振り払ったため、銃は床に落ちる。恐怖という感情が鈍っているだけでこうも違うのかと、我が幼馴染ながら恐ろしく感じていると、驚くハイジャック犯の女がすぐに拳銃を拾おうと身をかがめた。


 そのときである。


 突然、機体が大きく傾いたではないか。機内で悲鳴が上がり、不安の声が聞こえてくる。バランスを崩したシオンがペタンと自分の席に座り、ハイジャック犯はシートのひじ掛けに頭をぶつけて、涙目になっていた。知らずにシオンを起こしてしまうことといい少しばかり不憫な人だと思う。


「どうなってんのよ!」


 銃を拾い上げたハイジャック犯は、怒りながら操縦席まで歩いていく。その間も何度も機体は傾き、高度が見る見るうちに下がっていってしまう。

 犯人は少し抜けている性格のようなので、別の意味で不安になってきたセカイはこの揺れる畿内の中、彼女の後を追うかどうか逡巡したのだが、まだ寝ぼけているのか、立ち上がったシオンが金髪のハイジャック犯を追いかけていったではないか。こうなれば選択肢などあるはずもなく、自動的にセカイも彼女についていく形になる。


「どういうつもりよ、メアリー!」


 操縦室の扉をドンドンと叩く金髪女。しかし、中から返事はなかった。その後ろから彼女に近づこうとしているシオンの手を慌てて取る。


「ちょっと、いくらなんでも危ないよ!」


 まだ機嫌が直っていなかったら殴られるな、と思いつつも、親友がこれ以上危険な真似をしないようにと静止したのだが、振り返ったシオンの顔を見て、寝起きの最悪の状態ではなくなっていることに気付く。


 シオンは険しい表情をしており、決してふざけているようにも見えない。


「……ですが、今、この向こう側で何らかの力が働きました」

「えっと……それは、本当?」


 はい、と答えるシオンの目は先を行かせてくれと訴えていた。

 彼女、伊月(いつき)シオンの家は代々、男は神主、女は巫女という役目を持っている家系である。それは平安時代から続いているとか。


 その血筋のせいだろうか、彼女は時折、普通の人にはわからないような力を感じる時がある。いわゆる、霊感の類だが、これが馬鹿にできないのを、親友であり幼馴染であるセカイは小さな頃から何度も経験してきた。


 一番印象深いのは、セカイが神社で隠れん坊をしていて、境内の奥の腐っていた床に気づかず乗ってしまい、床が割れ、神社の床下にまで落ちてしまったときだ。そのとき、セカイは怪我をしてしまい自分では抜け出せず、しかも落ちてしまったのは柵を一つ隔てて道路になっている場所で、いくら助けを呼んでも誰にも気づかれないはずのところだった。

 そんな中、隠れん坊の鬼が探しに行くカウントが終わってからわずか一分で、鬼だったシオンは見つけてしまった。彼女の数を数えていた場所からはまっすぐ歩いてちょうど一分程度かかるので、彼女は一度も迷うことなく一直線で来たわけだが、そのとき、彼女は「見えない力を感じた」と言っていたのである。


 そんな彼女の特殊な勘のおかげで命拾いしたことがあるセカイは、彼女の言葉を聞くしかない。


「あの、中はどうなっているのですか?」

「なんであんたたちがついてきてんのよ!」

「それよりも、中は……」


 物怖じ一つせず聞くシオンに銃を向けようとしたとき、再び飛行機が横に傾いた。初めて飛行機に乗ったセカイでもわかってしまうような、普通に操縦しているとは思えない機体の揺れ方だ。


 今はどうでもいいことにかまけている状況ではないと判断したのか、じっとセカイとシオンの顔を見定めるように見た後、ハイジャック犯の金髪女が早口で言う。


「知らないわよ、あたしの仲間が一人いるはずなんだけど、反応がないの」

「こちらから開けることはできないのですか?」


 シオンが聞くと、焦りが表情に出ている女は、再びセカイとシオンを見た後、「やってみるわ」と言い、扉へ向かって何発かその手に持った拳銃で撃った。変わらずの轟音だったが、扉には凹みくらいしかつけることができなかった。


 そういえば聞いたことがある、テロ対策にコックピットの扉は厳重なものになっており、中からでしか開けることができないと。

 金髪女が客室乗務員に化けていたところを見るに、その仲間も従業員の姿、いや、従業員でも入れない現在の規則を考えるに機長にでも化けていたのかもしれない。だからこそ、この扉の向こう側にいる。


「これはわからないの?」

「わかっていたら、こんなもん使わないわよ!」


 扉についているドアを施錠する暗証番号を指しながらセカイが言うと、金髪女のヒステリックな声が返ってくる。


「でも、仲間が中にいるんでしょ」

「だから、そのメアリーから返事がないのよ! 他のパイロットも聞こえてないみたいだし……これって、まさかあいつの……?」


 頭をガシガシと掻きながらそう言った女の独り言のような後半の言葉はよく聞き取れなかった。

 この暗証番号はパイロットしか知らない。普通に考えれば、他者が、それもハイジャック犯の女が知りえるものになるはずがない。


 だが、どこにでも例外というものは存在する。


「物知りセカイさんによると、このドアの暗証番号は2桁から7桁数字で、コックピットから変更できるんだよ、もしも、そのメアリーさんの身に何かあったのなら――」


 どうしてハイジャック犯に協力しようとしているのだろう、と、若干の疑問が浮かんだが、このまま彼女が扉を開けられない方が命の危険性が高いと思うので、自分の行動は間違ってはいないと思うことにしよう。


「あの子が、私が解除できるような数字に変更してくれてるっていうの?」


 セカイは静かにうなずく。あたかも知っているかのようであったが、実際は、この飛行機の中で見たスパイ映画の受け売りだったりする。

 少し前の映画などで爆弾を使ってこの扉を開けるシーンがあるが、現在では不可能。テロ対策に作られているのだから当たり前といえば当たり前だ。当然、斧や銃でも開かない。


 コックピット内からならば開けることができるが、中からのコンタクトがない以上、施錠できる可能性はそれくらいしか残されていない。大分高度も落ちているし、時間もない。たとえこういったドア専門の職業についている人が乗客の中にいたとしても、頼ることはできない。


 女は何度も、何度も、思い当たる数字をドアに打ち込んでいく。いつの間にか他の客室乗務員も近くまで来ていた。ハイジャック犯がコックピットの扉を開けるのを、この場を見ている全員が静かに見守っている姿は異様に思えたが、乗客の命が助かる可能性は彼女にかけるしかないのだから、仕方がないのかもしれない。


 何度か失敗したものの7度目にて、ようやく暗証番号が合い、ドアが開いた。


 やっと助かると思って安堵しかけたが、開いたドアの向こう側のコックピットの状態を見て、事態がどれほど深刻なものなのか、セカイはわかってしまう。

 コックピットには、三人の人間が倒れていた。血液は見えなかったが、意識を失っているようで誰も動かない。


 そこには今まで感じなかった『リアル』があった。


 拳銃だとかハイジャックよりも人が倒れている現実はそこにあるだけで、足が震えて動かなくなる。セカイもシオンも、近づくことができなかった。

 メアリー、と名前を呼んで、女は倒れている中で唯一の女性パイロットのもとへと駆け寄っていく。そして、その状態を確認すると、唇をかみしめながら女性を寝かせた。黒髪の黒人、きれいな人だった。腕に四本の線があるところを見るに、機長だったのだろうか。

 女が涙を浮かべていることに気付いたセカイは、考えもなしに、口を開いていた。


「知り合い……だったんですか?」

「……ただの悪友よ」


 そして、女は次に、倒れているほかの二人の容態も診ていく。二人の男はおそらくは副機長、どちらもピクリとも動かなかった。


「全員、死んでいるわ……たぶんだけど、心臓発作だと思う……」


 死んで……いる?


 彼女の言葉を理解してしまった途端、恐怖が急速に膨らみ、体を駆け巡った。

本物銃があっても、ハイジャック犯がいても、それらはあまりに現実離れしていて、傷ついていないセカイはまるで他人事のように考えていたのだが、目の前に倒れている人が三人もいて、その光景を前にし、彼らが全員死んでいるという事実を前にした瞬間、頭が真っ白になって、出てくる感情と言えば現実味を帯びた恐怖だけだった。


 ショックで何も言えなくなってしまっている横で、セカイに比べて、まだ冷静だったシオンが女に訊く。


「三人同時刻に皆が心臓発作で死ぬ、そんなことがありえるのですか?」

「っ! ……私は医者じゃないから、わかんないわよ」


 女は何か知っているそぶりであったがすぐに首を横に振ると、また、飛行機が揺れて、足元がぐらつく。このままだと、本当に墜落してしまう。


 本物の死体に初めて直面したセカイたちが動けないと分かっているのか、転がっている銃を拾いもせずに、客室乗務員たちに指示し、三人の遺体をコックピットの外に運ばせた。彼らは皆、不安そうな顔をしていたが、「誰も殺させない、私が何とかするわよ」と乱暴ながらも気の利いた言葉を女が言ったおかげか、遺体の移動はスムーズに行われた。


 あの頑丈な扉が再び締まり、コックピットの中には、セカイ、シオン、そして、ハイジャック犯だけが残ったのだが、別に残りたくて残ったのではなく、雷に打たれたような衝撃でしばらくの間放心していたといったほうが正しいだろう。


「突っ立ってないで、さっさと手伝いなさい!」


 そんなセカイを睨みつけた女が大きな声を出したので、ようやくセカイは我に返った。


「でも、飛行機の操縦なんかやったことないよ? 私よりもほかの人に来てもらった方がいいんじゃ……」

「こんなもの訓練受けたパイロット以外誰がやったって同じよ、私だって、ジャンボなんて操縦したことないわ。それよりも、今は時間がないの、難しいことはないわ、副操縦席に座ってくれているだけでいいから」


 そう言われたので、二人は顔を合わせる。シオンが首を横に振ったので、しようがないと思い、セカイはハイジャック犯の隣に座る。


「クラウディアよ、命預けるのに名前も知らないんじゃ不安でしょ」

「なら、私も――」


 神導セカイだ、とフルネームで言おうとしたのだが、「ごめんなさい」と女に止められる。


「ファーストネームだけにしてくれるかしら。苗字と名前と……っていうのは、お互い本当に信頼できる相手じゃないとしたくないのよ」

「? セカイ、ですけど……」

「『ワールド』……随分と壮大な名前ね」


 そう言って不敵にほほ笑んだ女――クラウディアのサファイアのような青色の目にはまだわずかながら涙が浮かんでいた。


「ならセカイ、シートベルトを着けて、これと……あとこれ見てて、まずは高度を上げるわよ」


 頷いたセカイはベルトをしてから彼女が指さしたメーターを見る。こんなことで手伝いになっているのかと、疑問に思いながら。


 後ろにいたシオンも、シートに座り、シートベルトを着ける。初めてとは言っているが、クラウディアは無数にあるボタンをカチカチと操作していき、操縦輪を握って上昇させる。

 やはり、プロの操縦士がやっているのではないため、かなり急激に高度は上がったものの、これで墜落という事態にはならなそうで安心した。

 緊張しながら、彼女の操縦をただ真横で見ていると、オートパイロットにしてから操縦輪から手を放したクラウディアは深いため息をついたあと、ちょっとだけ、席外すわねと言ってコックピットを出ていく。そして、シオンも少し外しますとかいって、出て行ってしまった。


 なら自分も、とコックピットを空けるわけにもいかず、取り残されてしまったセカイは、操縦できる人がいなくなったことで、不安になってそわそわしていたが、クラウディアはすぐに戻ってきた。涙の跡と、閉じられた口を見るに、きっと、ここで亡くなったパイロットの女性のところにいたのだろう。

 無言で操縦席に座りなおしたクラウディアに何も言えずにいると、シオンが紙コップのコーヒーを手に戻ってきた。

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