第4話 にょええええええええええええええええ


 『この世界は滅びつつあるんです。』


 赤髪の女が僕にそう告げた。


 正対して僕は彼女を検分する。

 背丈は女性にしては高い。目測百八十はあるだろうか。

 髪は肩まで、毛先が緩くウェーブしている。鼻梁が高く、眉は松葉を並べたように鋭い。

 と、一応評してみる。


 慇懃いんぎんな口調とは乖離して、目鼻立ちの印象はかなりきつい。

 僕はふと姉を思い出した。姉の方は話し方も辛辣だったが……。


 「世界」だの「滅ぶ」だの、僕は突飛な事実に苦笑も出来ず、徐徐に受け答えが酷薄こくはくなものとなる。

 いかにも深刻な少女の口調に、僕はすでに聞く耳を持っていなかった。

 

 ――死んでいるのだから滅んでいるに決まっている。


 衝動的にそう言い除けてしまいそうになったが、それを言ってしまえば元も子もない。

 僕は自律した他者として少女に接する。


 「私はこの世界を救いたい。それをあなたにも手伝って欲しい、のです。」

 「断る。」

 

 僕は内情も聞かずに裁断する。

 信念として、僕は見ず知らずの人間には同情も憐憫れんびんも寄せないことにしている。

 寄付などもってのほか。

 命を救うなど何をかいわんや。

 僕はまず第一に己を優先する。それが満たされて初めて肉親を思いやる。以上で僕の良心は払底ふっていする。


 赤髪緑目――ルヴィ・アレス・フォイエルバッハは不満よりも哀しみをその相貌に湛えた。


 「傲慢ごうまんなお願いであることは承知しています。でも!」

 「願望は常に傲慢で、他は全て欺瞞ぎまんだ。」

 「でしたらその力をお貸しください。事は……脅すようであまりこういうことは言いたくない、のですが、あなたの身にも及ぶんですよ。」

 「別に世界が滅亡しようが、僕に失望しようが、死人に口なし。まるで関係がない。」


 僕は眷属のせいで椅子に座れないので、不自然に佇立ちょりつしたまま腕を組む。

 眷属たちが耳障りな音を響かせ、鉄鎖と火花を散らしている。いつそれが解放されてもおかしくないという緊張が膨らみ、空気をいっそう締め付ける。

 そして、非常にシリアスな、緊迫した会話の最中でありながら、煌々とリビングを照らし出す僕の頭電球。

 それだけは唯一申し訳なく思わなくもない。

 頭部を輝かせながら、威風堂々たる仁王立ちで断りを入れる女装男の方が、むしろ傍目には哀愁を誘って止まないことだろう。

 

 だが、そうかといって僕が力不足だと断定するのは短絡的である。

 今、僕とルヴィ少女との間には情報の非対称性がある。

 モラルハザードが起きやすい状態だ。

 もしかしたらサーチライトは世界を救う一条の光明なのかもしれない。

 眷属たちは至宝の武具なのかもしれない。

 彼女はそれを故意に隠蔽しているのかもしれない。

 そうでなければ僕に救いなど求めるはずもないのだから。


 一食一飯の恩に、僕はそれぐらいの情報は聞き出さないといけない。

 聞き出したからと言って、僕はそれをどうともしない。

 僕は今、決定的に生への執着が欠落している状態にある。

 この夢が終わり、成仏するまでの僅かな間、安穏な時間を過ごしたいだけだ。

 夢は往々にして手に余る。

 主従を忘れて、勝手に言葉の歯車を回す。

 だから知識が必要なのだ。

 夢の手綱を握り、僕は見事に、美しく、夭折ようせつする。

 こんな奇怪な最後は御免被りたい。

 

 僕は思案気な顔を装って、リビングらしい部屋を見回す。

 小屋の中はおよそコテージといって差し支えない内装。調度品は本棚くらいしかない。が、そこに本は収納されていない。

 薄地のカーペットに、一枚板の食卓。一輪挿しには萎れた花がそのままに、冬を待つ暖炉は煤けて埃が隅に溜まっている。


 現空間を異世界と仮定して、僕の見慣れぬものが一つある。


 ――鈍色にびいろに照る液体の金属。


 それは無論前世にもあった訳だが、長老はそれを杖にしたりスプーンにしたりハサミにしたり、自由自在に形を変えて扱っている。

 彼らの晩餐、僕はその相伴しょうばんにあずかっているのだが、長老が髭を整えたハサミをスプーンに変容させて、何食わぬ顔で豆のスープを口に運んでいる。汚くはないのだろうか。


 流体金属と呼ぶべきか、かてて加えてそれは無秩序に浮遊している。

 鬱陶しくて堪らない。

 無重力にある水のように、大小こもごも、部屋のあちこちに雲の如くゆるやかに棚引いている。

 どうやら手を伸ばすと集まって来て凝固するらしい。そして役割を終えるとまた液体に戻って揺蕩たゆたう。

 離合集散、便利なものだ。

 ちなみに僕が腕を上げても何も起こらない。おもむろに挙手する間抜けがそこに爆誕するだけである。


 僕は茫然自失ぼうぜんじしつとして、非線形的な動きをする流体金属の雲を眺める。これが意外に落ち着くのだ。インテリアとしては悪くない。

 ただ一点、問題があると言えばある。


 「あるじぃぃ~~~~~!」


 液体金属の鳥かごに囚われている桃色のpinky髪をした小指pinkyほどの天使が大粒の涙を流している。

 その喉元には剣山となった金属の小針が迫っている。

 

 「た~~しゅ~~け~~て~~。」


 小針を手で掴んで涙ながらに訴えている。

 薄い麻のような布一枚を羽織って、すげなく見捨てられる役としては十分な衣装。

 とても健気で愛らしいことは否定しない。

 

 そう、僕は完全に脅されている。

 ルヴィ少女は下手したてに出ていた訳でもなんでもない。

 しかしだ。

 幼女天使と僕の間に、彼女を人質足らしめる得難い思い出というものがない。

 存在しない担保を売却すると言われ、困惑しない者はいないだろう。


 長老が厭味ったらしく、狡猾な目つきでキュリュのことを舐めまわしているが、全くの徒労でしかない。


 僕は命乞いをする天使をおかずに、立食形式でサラダを手で頬張る。流体金属を使えない僕に、食器の代用品は与えられなかった。

 餌のように、野菜が直接食卓に盛られている。

 嫌がらせだ。

 晩餐には牛のステーキのようなものもきょうされた。

 厚切りのそれには、赤いソースで「ポメロ」とオムライス気分で書かれている。

 望まぬ変身の余波で僕が葬った牛だ。

 これもまた嫌がらせ。

 菜食主義者な僕が手をつけずにいたら、ルヴィ少女はしたり顔をしてみせる。良心の呵責かしゃくゆえに僕がポメロを食べられないと思っているようだ。

 弁解するのも面倒なので、僕はうやうやしく帽子を取り、とりあえず目つぶしをした。

 例の如く絶叫が部屋に轟く。その隙に長老の口にポメロ肉を突っ込んだ。

 丁度キュリュの下半身を覗こうとして口があんぐりと空いていたので都合が良かった。


 もんどりをうって床に倒れた長老。余命は幾ばくもない。


 「おじいちゃん!!」


 どうやら青ざめていくそれはルヴィ少女の祖父らしい。


 「おい、その天使を離せ。」

 「あるじぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 「くっ……この卑劣漢!私は絶対に許さない、ですよ!」


 助けてやる義理もなかったが、いわゆる天邪鬼あまのじゃくだ。なんとなくルヴィ少女のやることなすことに反発したくなる。

 強情で姑息、かつ狭量な正義は嫌いじゃない。

 だが、僕の今の心境には合わない。それだけだ。


 そうして僕が変身で手に入れたサーチライトと高速移動でキュリュ救出を目論んだとき、小屋の外で轟音が炸裂する。地が鳴動して、そのはずみに長老の口から肉が吐き出された。

 小屋の天井から埃が降り、壁はひしゃげて崩壊は免れない。

 

 地震?


 僕がそう思ってしまうのは当然だが、事態はもっと深刻なものであるようだった


 「……来てしまいましたか。」


 僕の眷属たちもついに暴れ出して食卓を粉々に粉砕してしまった。なぜか失禁してしまったような恥ずかしさ。

 止まらぬ剣の乱舞に、しかしルヴィ少女の峻厳とした、怒気を孕んだ顔つきは揺るがない。

 ようやく容姿に釣り合った表情になったと、僕は達観した老人のごとく、孫を見る目で悠長に感心していた。


 腹の底を突くような縦揺れに、ルヴィ・アレス・フォイエルバッハのペルソナが剥離する。

 

 ――おふざけはここまで。


 赤い髪を燃やすように逆立てて、彼女は重々しくそう呟いた。

 下らない。

 異世界など現実逃避の児戯に過ぎない。徹頭徹尾、僕のおふざけでしかない。


 戦うべきは現実で、僕は敗者だ。

 敗者は潔く去らなければならない。


 だから僕は傍観を決めこんだ。

 それが異世界での身の処し方だと、僕は信じて疑わない。



 

 


 


 

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