第3話 ちゅえええええええええええええええ
なぜか気を失った僕。
前後不覚、
これは
僕の十七年の人生はソーダに浮かぶ気泡の一つ、それはすでに破裂してしまったのだ。あるいは赤の他人が枕にちょっと見た夢でしかなかった。
遠く、対岸に揺らめく孤影がある。
少女だ。そして見覚えがある。
僕に向かって、何か口を開く。
その声がこちらに届くことはない。
なあ、そうだろう京子。僕は――。
そこまで言葉を弄んで、意識は
☆☆☆
――肌寒い。
皮膚が粟立つのを感じて僕は覚醒した。
一瞬、また転生したのかと疑った。
いつの間にやら天蓋には
昼には空と縫合されたかのように見えていた緑の地平線も、今は朧になって天球と一体になっている。
時間の経過にはこの際驚かない。だが、僕の足が地面から浮いているのは何事だろうか。
……空を飛んでいる?
変身が出来るのだからそれも容易いだろうと思ったが、どうやら違うらしい。
木造の掘っ立て小屋。
その軒下に、てるてる坊主よろしく僕はぶら下げられていた。依然として「サーチライト」は猛威を振るっており、無用の灯台と化している。
首根っこの辺りの襟に穴が開けられ、そこに紐が通されている。
全体重が軍服に支えられるようにして吊られている。
ゆえに脇の下が擦れてものすごく痛い。
体をうまく回転させ、小屋の方を向く。
眼前には大きな窓があり、室内で団欒する数人の人影が見えた。
時より笑い声も漏れ聞こえる。
僕は孤独であった。
そのことに死んでから初めて気づいたのだった。
温かな記憶が
僕は瞳をそっと閉じ、そして恥も外聞もなく叫んだ。
その
そこにいない誰かへと確かに届くように――。
「助けてええええええええええええええ!なんか、なんか、超でかい蛾みたいなのが、蛾!蛾!飛んで火に入るやつ!いやあああああああああ!」
僕は軽く百匹はいると思われる蛾に
そう、僕は虫が苦手なのだ。
抒情的な感傷に浸っている場合ではない。
前世の奴の十倍はあると推察されるそれが、間断なく僕のサーチライトで瞬殺されては残骸を降らす。
幼児天使はどこかに行ってしまったようで見当たらない。
切羽詰まり、致し方なく僕は頭を小屋の窓に向ける。
大量の蛾が死の行軍で窓に激突した。
「はやく出てきなさい!お前たちに逃げ場はないぞ!」
立て籠もり事件とかでこういう光景をみたことがある。
僕は今、思いのままに巨大蛾を配備できる。ちなみに平原の方に頭を向けると、大量の虫が寄り集まって一体の龍みたいにうねって天に登る。
僕の勧告に従って、すぐに手で目を覆った例の女が出て来る。
「おはようござます。」
「おい、何悠長に挨拶してるんだ。はやくこれを解いてくれ。」
「いいですけど、家に入れることは、その、難しいです。ごめんなさい。」
「なんでだ。」
赤髪女がすっと僕の腰の辺りを指す。
なるほど。
殺人スカート、つまりは十本の剣がまだ
「そうか。事情は分かったが、そもそも僕を連れ帰ったのはお前だ。早く解放してくれ。」
「それもごめんなさい、です。私の話を聞いてもらわないと。」
僕の焦燥は尋常ではなかった。蛾の羽ばたく音が僕の精神を摩耗させていく。
体中に鱗粉がまぶされ、肌は
僕は屈服するしかなかった。
「……お願いです。なんでもするので部屋にいれてください。」
「ううぅ。あの、とても伝えづらいんですけど。」
「なんだ。」
「その蛾の鱗粉、かなり毒性があって……。」
僕と少女は大量の蛾と窓を挟んで睨み合った。
その静寂に、お互い何を読み取ったのだろうか。
僕はおもむろに肺を膨らまし、そして、
「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
人間には欠点がある。
それがマザコンなら親孝行と同義だから別にいいじゃない。僕はそう自己弁護して生きて来たのだ。
「ママぁ、ここ怖いよぉ。助けてよお。気持ち悪いよお。」
赤髪女の蔑視など意にも介さない。本当の窮地のとき、助けてくれるのは肉親だけである。ママ即ち救世主、即ち神、即ち三位一体である。
またカーテンが閉められてしまった。
万事休す。
回転する眷属たちを使えれば問題ないのだが、今は超高速で旋回し、残像のヴェールとなっているので掴む隙がない。
その時、玄関と思しき木の扉が軋んで開いた。
「やったあ!ママだぁ!」
「誰がお前のママだ。わしの母乳は興奮した時にしか出んぞ。」
姿を見せたのは無骨で上背も肩幅もある老人であった。
鼻毛と髭が連結している。なのに頭に毛がない。
「助けてください長老!」
「勝手に
「
「あまりに下らなくて、わしも腹を下しそうだ。」
僕と長老は視線で熱く抱擁し合った。
ギャグ、もとい高尚な言葉遊びは世界を越える。
「変身を解いたらどうだ。」
「出来たら
「こいつは
そう言って僕に投げ渡したのは女もののハットであった。おそらく服に合わせてくれたのだろう、深緑に白い大きな花があしらわれている。
確認するが、僕の恰好はスカートである。スカートの周りを剣が豪奢な宝石の如く煌きながら回っている。
この状態でそんな帽子まで装着したら完全に女になってしまう。が、背に腹は代えられない。
潔く、そして有難く帽子を被ると、なんか頭が電球みたいになった。丁度良い光量である。徳を積んだお坊さんでもこうはいかないだろう。
残る問題は剣だ。こいつをどうにかして収めないと小屋に入れて貰えない。
それも鼻毛is口髭おじさんがなんとかしてくれた。
蛾が去って、近づいてきた長老が手際よく何かを僕に向かって投げる。
鉄鎖。
それがみるみるうちに絡まって、ぎちぎちと歯ぎしりするような音を立てながら眷属たちを制する。
「おお、凄い……とはならないぞ。なぜこれを最初にしなかった。」
「交渉は常に恐怖と共にあるのじゃ。」
「この
僕は悪態をついて、まんまと少女の話を聞くこととなった。
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