うちの夫はちょっと変

美奈子

「こんなナルシストな男がこの世にいるのか」

夫との出会いは、忘れもしない7年前のこと。


当時九州で大学生だった私は、19歳。都会に憧れていた少女は田舎にある大学生活に耐えきれず、バイト代を貯めては何かと用事をつけ、東京へとちょこちょこと遊びに来ることがあった。


ある日東京へ行った時、友人の同級生の男の子と会う約束をした。その友人と他愛もない話をし、だらだらと東京での時間を過ごしていると、友人が「あ、先輩が今からくるっぽい」と言い出した。いきなりだな。

あまりに突然のことだったので、「じゃあ私、お邪魔だから帰るね」と言うと、友人は「いや、別にいてもいいんじゃない」と言った。


ま、大学生なんてそんなもんである。雑なのだ。


その日は特に用事のない日だったので、どんな人が来るのだろうと待ち構えていた。高田馬場の駅前のマクドナルドで、だらだらとマックシェイクを吸いながら、その「先輩」とやらを待った。


ほぼ前情報もなしに現れたのは、早稲田大学で5年生をやっているというロン毛の男だった。

180センチほどの身長で図体は大きく、武士のような男くささが全開の顔立ちで、長い髪をボサボサのポニーテールにしている。年齢不明感がすごい。多分どの大学にもいる、謎の留年をし続けている怪しい長老のような先輩。ああいう感じの正体不明な感じの人だった。


「どうも。」


その先輩とやらは、そう言いながらも小さな会釈さえせず、ほぼ目も合わさず、そして名前も名乗らずに私の向かい側の席にどさっと大きな音を立てながら座った。無礼な雰囲気がぷんぷんである。礼儀を大事にしていた私は、ちょっとムッとしてしまった。


「あ、こんにちは。すいません、同席しちゃって。●●くんの先輩なんですね」


反射的に、その場にいる友人の先輩なんですねという確認をしてしまった。初対面の人である、何か話題を振らなければと焦って思ってしまったのだ。


「うん。そうだよ。だから?」


えー。そうくる? マジ?

どう見ても初対面だし愛想よく、とりあえずの話題をふったじゃん。突然連絡をよこして現れたのはそっちじゃん。えー。


いやいや、根気よく話そう。友人の先輩である、きっと悪い人ではなかろう。よし。


「先輩のお名前はなんとおっしゃるんですか?」


「それ、言う必要ある?」


なるほど。こいつ、名乗らせることさえ難しいようだ。自信家というか、ナルシストというか。とにかく強気で無礼な男だ。

なんと呼べばいいのかわからないが、先輩だと言うことだけは確かそうなので、とりあえず先輩と呼ぶことにする。


「そうですね、必要ないですね。わかりました。じゃあ先輩、初対面ではございますが、私に聞きたいことはありますか?」


困ったので、思い切って質問をさせてみることにする。ここで沢尻エリカのように「別に。」と言われれば終了するのだが、意外なことにこの先輩とやらは質問をしてくれた。


「そうだなあ。んー、お前の一番好きな本はなんだ?」


初対面なのに「お前」か。なるほど、強気な男だ。逆に言うけど、お前なんか友人の先輩ということでギリギリ信頼が担保されているが、正直その辺を歩いていたらポニーテールの小汚い怪しい大学生だぞ。わかってんの?

高田馬場に溢れる学生ローンの利用者っぽい雰囲気あるからな。それ、わかっとけよ。


しかし、聞かれたならば答えよう。


「そうですね、最近の本でいうなら本谷有希子の『生きてるだけで、愛。』という作品が一番好きです」


正直に当時好きだった本を答えると、「ふぅん。それ、知らないな」という。相変わらず無礼な返答。こちらも心の中で「ですよね」と思ったその瞬間、いきなりiPhoneを取り出した。まだ、iPhoneが3Gながらも浸透し始めた時代である。


携帯を触り始めたので、「私の話を聞きたくないんだな」と拗ねていると、突然先輩はこう言った。


「もう、Amazonで注文したから。その本、読んでみるわ」


そのフットワークの軽さにドキッとした。この人、私の好きな本を読んで私のことをちょっと知ってくれようとしている?え、ちょっと、嘘、少しときめくんですけど?当時の私は白衣を着たメガネ男子のような、ちょっと繊細な感じの男性がタイプだった。だからこそ、こんな和風顔の片岡愛之助を濃くしたみたいな男くさい男、好きじゃないんだけど、変だな。


「え、あ、ありがとうございます。先輩の好みに合うかどうか、わからないんですけれども」


「ううん、好みじゃなくてもいいのよ。お前さんの好きな本を読んでみたいだけよ」


お、お、お前さん、ですか。なるほど。なるほど。

この先輩とやら、結構古い感じの言葉を使う男である。19歳の田舎から遊びに来た少女である私は「東京にはまだこんな感じの男がいるのだなあ、これは普通のことなんだろうなあ」となぜか衝撃を受けていた。(もちろん、すぐに「いやこの人は例外だ」とちゃんと気がつくのだけど)


こんなにズカズカと鮮やかに私の懐に入り込む男には、今まで会ったことがない。それは衝撃的で、そして10代の私の心を瞬時に貫いていった。


「他に、好きな本はある?古い本は読む?」


先輩は質問を続けてくれる。


「古い本、というと太宰治とかでしょうか。『斜陽』は好きですね」


「へぇ。俺、太宰が好きと言って『人間失格』を挙げる人はちょっと信用しないのよ、いいね」


相変わらず上から目線である。

しかし皆さま、もうお気付きのように私の瞳はハートマークになりつつある。


「あ、あ、ありがとうございます。照れてしまいます」


「ははっ、これぐらいで照れるなんてお前東京の女子大生っぽくないな」


「あ、そうです。私、今回は九州から遊びに来てるだけでして」


「へぇ。うん、ウブで可愛いよ、いいじゃん、うんうん」


そう言って先輩はガハハ、と大きな声で笑った。あまりに大きな声で笑うので、マクドナルドにいた周囲の客がこちらをジロリと見つめる。すいません、という気持ちを持ったが、先輩はそんなことなんか全く気にしていない、というか、気づいていない。豪快な両津勘吉みたいな人だな、と思った。

ちなみに友人はここまで無言で携帯をいじっており、空気と化している。お前ら勝手に話しとけ、てな感じだ。


しかし、ここまで簡単に褒めてくれる日本人男性っているんだなあ。最初の印象が「小汚い怪しい男」だったのもあり、ギャップ効果でいっきにときめいていた。


「他に好きな作家はいる?」


「王道で申し訳ないのですけれども、時代を問わないのであれば三島由紀夫が一番好きです。あとは…これまた王道で申し訳ないのですが、アガサクリスティーもほぼ全作品読んでますね。ミーハーで、すいません」


「何を謝ることがあるの?好きなら好き、でいいじゃないか。胸張れよ、卑屈になんな」


中学時代からスクールカーストが低く、なんだか自信を持てない性格だった私には、グサッとこの言葉が響いた。え、私なんかが胸張っていいの?


実は、その後の会話はあまり覚えていない。そして、どうやってそのマクドナルドをあとにしたのかも。私も胸張っていいのか、という言葉だけがなぜだか頭の奥で反芻していた。



福岡へと帰った後も、先輩のことは忘れられなかった。名前もちゃんと聞けなかったし、正直もう会うこともないだろうと思っていたのだが、突然登録していない電話番号からSMS(電話番号で送れるショートメッセージ)が一通、届いた。


「俺だ。あの本、読んだよ。お前は、難儀な女だなあ。」


ノックアウト、である。

まず、名乗らない。でも、私にはこれが誰だか、瞬時にわかる。


胸の奥が一気に高鳴るのを感じた。ドクドクと高鳴る心臓の音が耳の奥まで聞こえ、ちょうどバイト先にいた私は、いっきに仕事が手につかなくなった。


どうやらその後、私の友人から電話番号を聞いて、メッセージをくれたようだった。


私はナルシストで強気で、ちょっと無礼な男に完全に打ちのめされてしまった。なんて格好いいのだろう。こんな人、今まで会ったことがない。あの人にもっと、私のことを知ってもらいたい。


震える手で、ぽちぽちと文章を打ち込む。


「私は、あんな本を好きなのだから、難儀な女かもしれません。でも、また会ってくれませんか」


送信ボタンを押すと、iPhoneのヒュンッという送信音が鳴った。このメッセージは、遠く離れた東京に届いてしまった。


勇気を出して送信したが、返信が来ないかもしれないという不安に押しつぶされそうになる。案の定、その日は日付が変わっても返信がこなかった。東京の年上の男性である、ちょっと田舎の年下の女の子に適当に送っただけなのかもしれない。そんなの、都会じゃよくあるようなやり取りなのかもしれない。


そう自分に言い聞かせながらも、返信がないことにショックを受けながら、眠りに落ちた。弄ばれたような気持ちだった。今思えば、既にもう、先輩のことが好きだったのだろう。


なんなんだよ。あんなナルシストな男、見たことないよ。

笑い声はでかくてうるさいし、店内の迷惑だった。変な柄のシャツを着てたし、私より超ロン毛でポニーテールなのに髪の毛の手入れはあまりしてないし、待てよ、今思えば下駄みたいなのを履いていた気もする。やっぱあの人、変だわ。

完全に変人だ。完全に変人、関わっちゃいけない人間だ。あんな男ともう連絡はしない、そうしよう、しないぞ。


ふんっ。こんなナルシストな男がこの世にいるのか。いい社会科見学になった。もう、知らない。


私はそう突っぱねて、その日あったことを全て胸の奥にしまった。

次の日も、そのまた次の日も、先輩から相変わらず連絡はないままだったので、いつのまにか自分のことを好きと言ってくれる男とおつきあいを始めていた。


一瞬の小さなときめきは、小さく消えかかっていたのだった。



- - -


その後。

iPhoneの使い方をまだ覚えきっていなかったため、通知がよくわからずに返信をし忘れていたというその先輩から返事が来るのは、だいぶ先の話。


そしてその男が私の夫になるのは、もっともっと、先の話。













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