15-8 「みんなで、一緒に……!」

「どうも、ご苦労様」


 堂内で大騒ぎを始める少女たちを、ぶち破られた壁から覗きこんで、篝火は笑う。その手は見たところには何の変哲もない石の欠片をすでに抱えていて、篝火はそれをお手玉にして遊んでいた。彼は少女たちが感動の再会を繰り広げている間に、芙蓉の遺骸からこっそり大事な「宝物」を盗み出していたのである。


「誰に対してご苦労様だって?」


 こめかみに押し当てられた冷たい金属の感触に、篝火は鋭く瞳を尖らせた。黒いスーツを纏った険しい顔つきの壮年の男が、銀色の銃を篝火に突き付けて、異形の少年を見下ろしていた。篝火は、一度は引っ込めた笑みをまた口元に復活させた。


「いやだなぁ、聞いてたの?柏木のおじさん?」


 それから、篝火はその身に巻き付けられた白い蛇の胴体を見下ろして付け加える。


「……と、もう一匹」

「約束は守ってもらおうか。もし貴様が本当に薬とやらを持っているのなら」


 木守が黒く賢しそうな目で自分を睨みつけながら、威嚇するようにすぐ耳元で舌をちらつかせるのを見て、狐は溜息をついた。


「そりゃあ、持ってることは持ってるよ。妖狐に伝わる万能の解毒剤ってやつならね。まあ、もちろん、あげたっていいんだけどさ、上手く切り抜けられるなら節約しとこうと思っただけで。まあ、ばれちゃあしょうがないよね。どうせこれをあげなかったらボクの頭をその銃で吹っ飛ばすつもりでしょ?さっきみたいに。あれ、なかなか痛いんだよね。蘇生まで時間かかるし。ああ、そうか、もしくはこの蛇のごはんになるかってことか。そうすると、もう蘇生は難しいかな」


 柏木は狐が大事そうに抱えている石を一瞥して、押し殺したような低い声で尋ねた。


「……貴様の目的はなんだ?」


 篝火はさあねと首をかしげた。


「教えてあげられないよ、それは。でも、ボクは漆とか芙蓉とかとは無関係だから、そこは分かってくれないとね。この宝物さえ手に入れば、ボクは十分なんだ。奴らと手を組む必要はない。つまり、おじさんたちの敵じゃないってこと」

「ならば、なぜ姫様を襲った?」

「命令だからさ。京姫を消せって言われたんだ。決して私的な恨みからじゃないよ。いや、まっ、これは気にしなくていいんだけど……でも、おじさんが見事に邪魔してくれて助かったよ。おかげで、漆を殺せる可能性が高まったもん。ほら、これさ、見てよ。芙蓉ったら、ボクの大切な宝物、全部持ってたわけじゃなかったんだね。大方、一個は漆が持ってるんだろうさ……まっ、そういう訳で、ボクたちはある意味、利害が一致している訳だから」


 篝火は袖の内から小さな葛の葉の包みを取り出して、柏木に差し出した。


「これ、薬。貴重なものなんだから、大事に使ってよ」

「駄目だ。貴様が直接渡せ」

「えー、なんでよ。面倒じゃない」

「薬の効果があらわれるまでは信用ならん。今ここで消え失せられると困る。万が一薬が偽物だったときには、徹底的に貴様を痛めつけなければならないからな」

「まったく疑い深いんだから。今に人に嫌われるんだからね」

「……忘れるな。貴様の後頭部は常に狙っている。妙な真似はよすことだな」


 わかりました、っと。篝火は諦めたように両手をあげ、木守にしっかりと体を捕縛されたまま、引き摺られるようにして堂内へと入っていく。柏木は上手くその身を壁の裏に隠しながらも、銃口だけはしっかりと篝火の頭から逸らさぬようにしていた。木守に最初に気付いたのは青龍で、「こまちゃん!」と声をあげて、木守の体にしがみつこうとし、それから篝火に気付いて身を退けた。芙蓉の周りに群がっていた少女たちも振り返る。


「篝火!」

「いやだなぁ、そんな怖い顏しなくったって。ところで、ありがとさん。おかげで大事な宝物は手に入ったよ。だからね、ほら、約束通りのお礼」


 篝火が葛の葉を青龍に差し出す。


「薬だよ。早く飲まないと、そろそろ危ないんじゃないの?」

「もし効き目がなかったら、その時は……!」

「わかってる。こまちゃんのご飯になるんでしょ?」

「それも滅多打ちにしてからだ」


 少女たちの見守る中、青龍は一瞬ためらったのち、葛の葉の包みを解いて、中に収まっていた木の実のようなものを口に入れた。口に入れた瞬間、青龍が顔をしかめたので、玄武が弓を引いたが、それを呑みこんだ青龍を黙って見ていると、汗は引き、血色が元に戻りゆくのが分かった。五分ほどもすると、青龍自身も安堵したような表情を浮かべて、心配そうな仲間たちにこくりとうなずいた。


「大丈夫……みたい」


 少女たちが胸をなで下ろす様子が見える。篝火は「だから言ったのに」と不貞腐れている。青龍が立ち上がり、ぴょんぴょんと跳びはねて、舞と玄武の方に飛びついて無事に迎え入れられると、木守の胴体に頬杖を突いていた篝火が尋ねた。


「ねぇ、ボクは一生このまま?それとも約束を守ったボクは馬鹿正直なあまりにズタズタに引き裂かれるわけ?」

「何を戯けたことを……!貴様は……!」

「ルカさん!」


 鈴を手にしかけていたルカの前に、舞が立ち塞がった。


「ダメだよ!篝火は一応約束を守ったんだもん!今日のところは見逃してやらなくちゃ!」

「しかし……!」

「あんた、保険をかけたんでしょ」


 青龍はいつになく冷やかな口調で言い捨てる。


「あたしたちを殺せばその宝物とやらをやるって、芙蓉に言われてたのね。でも、あんたにすれば、芙蓉からご褒美で宝物をもらうより、あたしたちが芙蓉を倒してくれた方が好都合だったはず。本当はあんたがその手で芙蓉を倒して宝物を奪ってしまうのが一番楽だものね。でも、それができないからあたしたちに芙蓉を倒させようと煽ったんだ。あたしと玄武を幻術世界に閉じ込めたのは、あたしたちを始末したように見せかけて、舞やルカさんが万が一芙蓉に倒された時の保険にするつもりだったんだ。そうでしょう?だって、あの毒もあたしたちを煽るためだけのものだったんだもの。本当は毒じゃなかったの。あんたの幻術と一緒。ただ、毒を飲んだような気分になるだけの錯覚。あたしは飲まなかったからね、あんたから渡されたものなんて」


 青龍が掌をひろげると、そこには葛の葉に包まれていた薬が隠れていた。驚いたのは舞と玄武であったが、ルカは眉をひそめただけ、そして篝火当人に関しては妖しげな笑いを崩さない。篝火は呆れたように呟く。


「ほんっと、疑い深い人が多いなあ……」

「あたしたちはただ用心深いだけ。ということで、本当はあんたを八つ裂きにしてやりたいぐらいだけど、もう二度とあたしたちの前に姿を現さないんだったら、今回だけ多めに見てやってもいい。あんただって、螺鈿と同じで、元はこの土地にゆかりのある存在なのかもしれないし……あたしはそういうものに関してはできるだけ手を触れたくないの」

「でも……!」


 突っかかる玄武の肩を、青龍が制して首を振った。


「これはあたしの意見。あとは京姫に……」


 皆の目線を向けられて、舞は一瞬瞳を俯けた。こんな風に何かを決めなければいけない重圧には、どうしたって慣れっこない。その結果に責任をとることを、舞はまだ恐れている。だって、私の決断ひとつがあんな結果を呼んでしまったあとで……


 舞は額に手を充てる。なに?一体何のこと?あんな結果って一体何なの……?



   「私のせいだ……!私のせいで、みんな……!」



 思い出せない。記憶が巻戻る事を断固として拒否している。頭が痛い……駄目だ、駄目だ、思い出しちゃ駄目だ。少なくとも今は。今、思い出したら、この場に立っていられなくなってしまうから。左大臣、白虎、玄武、青龍――大好きな皆の目線に囲まれている今は。思い出したくない。お願い、絶対に駄目……!


「姫様?」


 左大臣の呼びかけに、舞は身を震わせる。一瞬、前世からの仲間を見つめる舞の瞳には恐怖が浮かんでいた。それを勘付かれぬように慌てて目を逸らし、舞は木守の硬い皮膚にそっと手を触れた。木守は静かに目を閉じると、その意を汲んで篝火の身を解き放った。篝火はふわりと宙に浮かんだ。篝火は少女たちを見下ろして笑いかけた後、遅れて目線をもたげた舞に向かって手を振った。


「ありがと、舞お姉ちゃん。舞お姉ちゃんに幸多からんことを」

「失せろ……!」


 ルカに吐き棄てられて、篝火は姿を消した。



 篝火は消え失せた――その後に残されたものを、ルカは静かに見渡した。崩れた壁、瓦礫、引き倒された仏像、血と戦いの生々しい痕跡。傷ついて疲労した体と精神。戸外から差し入る夕日の、なにか物狂おしい気分を掻きたてる茜色の光がこれらのものをいちいち照らし出しては、その影を引き摺って弄んでいる。そして、世にも稀なる少女の横顔に落とされた睫毛の影が、その中で一層立ちまさって、香り豊かに震えている。少女は尚も白い大蛇の身に手を宛がった姿勢のまま、夕日に透かされた翡翠の輝きを、ルカの目に映るところに輝かせる以上にその心の内に向けているようであった。自らの決意への不審と、その決意で以って選び取った未来への不安に、壊れかねないほどに怯える少女。麗しき我が姫君の姿。それがつい切なくて、ルカは木守に触れている舞の手の上に自らの手を重ねた。舞は小さく顏を上げる。


「ルカさん……?」

「姫様、案ずることはありません。何があっても、私たちが姫様をお守りいたします。姫様と、姫様が愛される全てのものを」


 一つ、そしてもう一つ、少女たちの手は重なっていく。


「舞、あたしはあんたに責任だけ押し付けたりしないんだからねっ!」

「そうそっ。大丈夫!今度篝火の奴が悪事をしでかそうとしたら、絶対あたしたちがとっちめてみせるから」

「青龍、玄武……!」

「みんなで、戦おうよっ!ねっ、舞?」


 「ああ、姫様!わたくしもお忘れなく!」と、左大臣が跳びはねている。玄武が左大臣を抱きかかえて、そのぬいぐるみの手を添わせた。つい羨ましくなったものか、木守も続いてその尾の先を寄せると、一同は顏を見合わせて笑った。


「そうだよね。みんなで、一緒に……!」


(いつか、きっと朱雀も……!)




 永い時を経て、今ここに再び集った少女たちの絆。その温もりに束の間の憩いと明日への希望を見出す彼女たちは、芙蓉の遺骸が砂の如く消え失せて、唐衣の裾に揺蕩たゆたっていた薄色の蝶が、すっと布地を抜け出ていったことを知らない。



 蝶は天井をすり抜けて、鮮血の如き紅の空に飛び立っていく――

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