13-5 「私、待ってますから!」


 目の覚めた時、ルカは、桜花中学の制服を纏った可憐な少女と、テディベアとにその顔を覗きこまれて、古い竹藪の中の廃屋の中に横たわっていた。開け放った扉の外では、風が笹の葉をそよがせて波のようにさらさらと鳴りわたり、霧雨がしっとりと大地を湿らせるしのびやかな音が聞こえてくる。起き上がったルカは、微かな頭痛を覚えたが、不安げに自分を見守る少女に対しては痛みを押し隠して微笑みかけた。その頭痛を除けば、体に支障はないようであるので。少女は途端にルカの胸に抱きついてきた。


「姫様……」

「ルカさん、よかった……!生きてて、よかった……!」

「……ご心配を、おかけしました」


 それから、ルカは戸外からの光のなかで小屋の内部を見回して、思わず立ち上がりそうになる。それを留めたのは、奇妙にも、動いて喋るテディベアであった。


「まあ、落ち着きなされ、ルカ殿。あまり動き回らぬ方がよいかと思われます」

「しかし……!」

「ルカ殿、とにかく落ち着いてくださらぬか?そして話してくだされ。なぜルカ殿はこんなところまで連れ出されねばならなかったのか。この小屋で一体何があったのか。かの狐の妖はどこに消えたのか。お話ししてくださらぬか?」


 ルカは左大臣に問いかけようとして、口をつぐんだ。そうして黙り込んでいる間に、段々と真相が見えてきたような気がしたのだ。なぜ、玲子の遺骸が見当たらぬのか。なぜ、惨劇の痕がここにないのか。なぜ、左大臣たちは小屋の外に放置されているはずの篝火の死体に気付かなかったのか。なぜ、左大臣が芙蓉のことに触れぬのか――昔から、狐の十八番おはこといえばそうではないか。それ以外には到底考えられない……ルカは拳を握りしめる。


「あの忌々しい子狐めが……!」

「ルカさん……?!」


 ルカの豹変に驚いて、舞はルカの胸から顔を離した。目を丸くして、舞はルカの顔を見上げている。その可愛らしいこと、無邪気なこと。この顔を守るために、あれほど必死になって戦った。戦ったつもりでいたというのに。ルカは憤激の表情を和らげてふっと笑った。だが、それは単に舞の表情が微笑ましかったために作られたものではない。それは、自嘲の笑みでもあった。


「ルカ殿?」

「……騙されたんだよ、左大臣。私は騙された。奴は幻術を使ったんだ。奴は……奴はある人を人質にしたと私に告げて、ここまで私を誘き寄せた。私は奴の頭をぶち抜いてやったつもりだが、小屋の前に転がっているはずの死体にあなた方が気付かれなかったとすれば、あれも幻術だろう。私はある人がここにいると言われて、のこのこと小屋の中に入り込み、そこで芙蓉の毒にやられた。芙蓉は毒で動けぬ私を散々に痛めつけて、復讐を果たそうとしたみたいだが、私も死にかけながらに反撃はしてやったさ。それで芙蓉の奴を道連れにするつもりだったんだが、どうやらその芙蓉も幻だったようだ……つまり、私は一人で戦っていたのさ。我ながら情けない……」


 学生帽が、ルカの傍らに置かれている。それを拾い上げて頭の上に被せ、ルカはすっと立ち上がる。今度ばかりは、左大臣も引き留めることが出来なかった。そのまま扉へ向かうルカの背中に、舞が呼びかける。


「ルカさん、待って!」


 ルカは命じられた通りに立ち止まる。瞳だけでわずかに振り向いたルカの顔には、切なさが揺れている。


「姫様……!」

「ルカさん、行っちゃうの?やっぱり私たちと一緒に戦ってくれないの……?」


(確かに敵に私の正体はすでに気付かれている……)


 ルカは胸中呟く。


(恐らく、玲子のことを利用したからには、玲子のことも……こそこそ隠れている必要はない。今度こそ、姫様の元に参上して、堂々と姫様を守ることができる。否、そうしなければならないはずだ。だが……)


 ルカは瞳を竹藪の方へと追いやった。懐かしく、愛おしい少女の姿から、荒れ果て、鬱蒼とした、景色の方へと。


(やはり、玲子の傍には私がいなければならない……)


「ルカさん!!」


 歩きはじめたルカに追い縋る舞の声。それでもルカは突き進んでいく。いや、引き返していくのである。徒労に終わったこの戦いの傷痕を、体の傷ではなく、心の傷を、疲労を、たったひと時、それでもせめてものそのひと時の間に癒すために。家に戻れば、また立ち上がれる時も来よう。また剣をとれる時も来よう。だが、今は駄目だ。この疲れ切った体では、敵の策略に引っかかるほど愚かなままでは、姫様の元に参上はできない。ひざまずく資格すらない……無責任で、無思慮で、無力な自分…………


「待ってますから!!」


 予想もしなかった舞の言葉が、ルカの足を止める。


「私、待ってますから!ルカさんのこと……白虎のこと……!ルカさんが、一緒に戦えるようになるその日まで……私、待ってます!」


 我が姫君はかくも慈悲深い。凭れ掛かってその腕の中に憩いたいほど。姫君を守らなければならない立場の自分さえもが。その胸に心やすく抱かれることのできる百姓おおみたからが私は以前から羨ましかった。京姫のもたらす安寧を慈雨のように浴びて、その御手によって育まれる百姓が。



 ルカは舞の顔を振り仰ぐ代わりに、帽子を脱いでわずかに持ち上げた。その指し示す意味を、姫は十分に分かってくださっただろうか。ルカは答えを知らなかった。答えは、ルカの背中を見送る舞の微笑みが、ルカに向かって大きく振っているその手が示している――白虎はきっと自分の元へ参上するはずだ。その時まで、待っていよう。それは、決して遠い未来ではないのだから。


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