13-2 「筍ご飯……」

 最早メイドの案内は必要なしに、白崎邸の女主人が直々に舞の手をとって応接間へと導いてくれる。舞はまず玄関ホールの広さに驚き、それから横切った廊下の長さに呆れ、通された応接間の豪華さに完全にフリーズした。くすみのある、それ故に品の良い紅の絨毯が敷かれ、木製の巨大なローテーブルを囲うように、ソファと椅子とが配置されている。そのセットが、部屋に入って右手と左手に一つずつあるのである。入って真向いには大きな暖炉、マントルピースの上には二台のランプと陶器の壺とが左右対称に置かれ、真ん中に山百合の花を活けた薩摩切子の花瓶、その上の壁には戯れ遊ぶギリシャ神話の女神たちを描いた巨大な絵画が、これまた立派な金の額に収められて飾られている。マントルピース脇の壁には古い洋書やその他写真や骨董品などが飾られた背の高いアンティークのキャビネットが立ち並び、天井からは小ぶりながらもシャンデリアがきらめいている。舞は気が遠のくのを感じた――私はどこかの国の城にでも招かれたのだろうか。


 すると、そんな舞の様子を見取ったのか、ルカの母親は困ったように笑った。


「そうねぇ、ちょっとここでお話しするのは落ち着かないわねぇ……そうだわ!私の部屋に行きましょう!ここより狭いけれど、ゆっくりお話しができるわ!ねっ、そうしましょ?みーちゃん、私の部屋にお茶とお菓子をお持ちして!あっ、さっき焼いたプリャーニクもよ!あと、ルイを呼んで頂戴」


 みーちゃんと呼ばれたメイドは、「かしこまりました」と言って頭を下げる。応接間から廊下へ続く扉を、女主人と客人のために開いて、メイドは舞たちとは反対方向に廊下を歩んでいった。一方の舞は、階段を三階まで上って、ルカの母親の部屋に招き入れられる。そこは確かに応接間よりは狭いけれども、一般庶民の舞からすれば十分な広さを持った、壁や絨毯のほかあらゆる調度品をクリーム色で統一した部屋である。奥に見えるフリルのある天蓋に部屋の主の寝床が隠されているらしい。余計なものは置かない主義なのか、ごてごてした飾りや家具はなく、小さな丸テーブルと白いクッションを敷いた椅子は、高価なことは明らかながらも簡素なデザインであった。ルカの母親は、その椅子を舞に勧めた。


「今、お茶が来るはずだから待っていてね。ルカもきっとすぐ来るわ!それよりっ、そう!なんてお呼びすればいいのかしら?お名前を教えていただける?」


 舞は一瞬、ルカの母が笑顔で尋ねる言葉の意味が分からないでいたが、やがてその意味を察すると、椅子から転げ落ちるようにして床に正座し、手を突いて頭を下げた。


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

「ちょっと……!まあ、顏をあげてねっ。ぜんっぜん、そんなつもりで聞いたんじゃないの!ほらほら、とりあえず席に着いて!」


 だが、尚も舞は立ち上がろうとはしなかった。舞は涙目になりながら、床に額をこすりつけたままで言う。


「ごめんなさい!私、北条院香苗さんじゃないんです!私、京野舞と申します!」

「あら、舞ちゃんね!かわいい名前!」

「私、どうしてもルカさんとお話ししたくて、今日お宅を訪ねたんです!でも、ルカさんはなかなか私とは会ってくださらなくて……!きっと私の名前を言ったら、門前払いをされると思って、それで嘘を……!」


 ふふっと笑うルカの母親の声に、舞は恐る恐る顔を上げた。ルカの母親は、どうやら楽しくて笑っているという様子だ。怒ってはいないらしい――舞はひとまず安堵したが、それにしてもルカの母親がかくも面白がる理由は不明だった。それに、なんで分かったんだろう……?


「分かってたわよ。だって、制服が水仙女学院の服じゃあないもん!それに、昨日電話した声と全然違ったもんね!……でも、きっと、あの子に大事な用があるんだなって思って、それで会ってみたかったの。ごめんね、びっくりさせちゃって」

「い、いいえ……!こちらこそ、本当に……!」


 扉をノックする音がして、先ほどのメイドとは違う女性が、銀のお盆にティーセットとおいしそうな茶菓子を載せて入ってきた。テーブルの上にお茶の準備を整えたメイドが、不思議そうに舞を見て部屋を出ていくのを、舞はなぜかと訝しんだが、どうやらそれは自分が土下座をしているせいらしい。気づいた舞はぱっと立ち上がった。ルカの母親はますますおかしそうに声を立てて笑った。


「本当に、舞ちゃんって可愛いのね。じゃあ、座って、お茶にしましょうよ!紅茶はミルク派?レモン派?ジャムは入れる?お砂糖は?あっ、これ、食べて。プリャーニクよ。さっき焼いたばかりなの。それから、こっちのケーキもどうぞ……」


 プリャーニクなるものは、焼き菓子のようで(恐らくロシアのお菓子だろうと舞は考えた)、見た目は普通のクッキーとよく似ている。一口かじってみると、意外にも食感は柔らかく、蜂蜜やスパイスの香りが効いていて、生地の中に隠れていたくるみとレーズンに思わず嬉しくなってしまう。舞が気に入った様子なので、ルカの母親は大いに喜んでくれた。


「よかった!せっかく上手く焼けたのに、誰も食べてくれないのよ」

「そんな……もったいないです!こんなに美味しいのに」

「ほんとよねぇ!もうっ!さあ、舞ちゃん、好きなだけ食べていってね」

「ありがとうございます……!」


 ハムスターかリスかのようにプリャーニクを頬張る舞を見て、ルカの母親は紅茶を含んだ口元をほころばせる。


「ところで、舞ちゃん。ルカとはどういう関係なの?」


 舞は食べる手を休めて答えに窮した。さて、どう答えたものか。


「上手く言えないんですけど……あの、その……ああ、そう!前に、水仙女学院の大学図書館で、会ったんです……私がふらふらよそみしてたから、ぶつかっちゃって。その時に、ルカさんが助け起こしてくれて、白い薔薇の花をくれました。それから、私、もう一度ルカさんとお話ししたくて。そしたら、姉が同じ学校だったから、学校まで押しかけて……」


 嘘は言っていなかったので、舞は大体澱みなく話すことができた。「そうだったの!」とルカの母は嬉しげに手を合わせて相槌を打つ。


「さっすが、あたしの娘だわ!」

「あ、あの、でも私、変な意味じゃなくて……!」

「もっちろん、わかってるわ!あの子のファンってことでしょう?じゃあね、舞ちゃん、ファンクラブ結成しましょうよ!あたしが会長で、舞ちゃんが……」


 ノックの音が、ルカの母の声を遮った。今度はみーちゃん、と呼ばれていたメイドの方であった。その顔はいさかか当惑気味である。舞はほぼ直感的に何かがあったことを悟って立ち上がった。


「ルカさんに何か……?!」

「それがあの……ルカ様がどこにもいらっしゃらなくて。防音室の扉が開けっ放しになっていたので、覗いてみたところ……その……血の痕が……!」


 ルカの母がふらりと椅子の上で崩れかけるのを、メイドが慌てて駆けつけて支えようとする。その時、舞はもう鞄を引っ掴んで走り出していた。ルカの身に何かあったに違いない。ルカを探さなければ――でも、このお屋敷にはいないと言う。


「左大臣!」

「えぇ。恐らく敵の仕業かと……先ほどからあやかしの気配がいたしておりました。ただ、気にするまでもない奴と見過ごしていたのでございますが……もしや……!」

「とにかく変身しよう!」


 舞は、階段を駆け下りて、一階の応接間まで引き返した。そこならば、遂さっきまで誰もいなかったのだから、きっと今も人目はないだろうと踏んだのである。案の定、人の姿は見当たらなかったので舞は鈴を掲げた――京姫へと変身して、姫はそっと瞳を閉ざす。


(……ルカさんはどこ?)


 口ずさむ、藤娘の歌詞。京姫の瞳の裏に、小暗い竹藪の景色がにじみ出るように見えてくる。繁茂するあまり或いは地に伏し、或は隣の者に凭れかかっている竹の間を踏み分けて、白い衣服を纏った金色の髪の人が、ぎりぎりと歯を食いしばりながら突き進んでいくのが見える。そしてその前方を、竹を器用に交わしながらひらりひらりと宙に浮いて進んでいく、異形の少年。狐のような耳と尾とを持ち、ルカを導いていく――


「竹藪……竹藪、竹藪って……!」


 この町にあったっけ?竹藪なんて……?竹……たけのこ……


「筍ご飯……」

「姫様、何を仰っているのです?!」


 ふっと思い出す。確か小学生の時、美佳と一緒に地域の行事で筍狩りに参加したような。その夜、お母さんが筍ご飯を作ってくれたんだよね。あれ、小学三年生の時だったっけ。ええっと、あの時は確か北山で……


「北山!北山に行こう!」


 京姫はまだテディベア姿に留まっている左大臣を小脇に抱え、白崎邸を飛び出した。翼と奈々を呼びたいけれど、時間がない。とにかくルカとあの狐のような少年を追いかけよう。

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