第10話 夢

 代々、僧院の頭である大僧天だいそうてん僊仁せんにんは、名を受け継ぎ言葉を受け継ぎ、教えを受け継いできた。

 僊仁院せんにんいん二十一代大僧天、僊仁。

 またの名をえいという。

 優れた指導者として教えを啓き、今日まで僧院を守り続けてきたが、下界では既に龍も教えも忘れ去られ、僊仁院にやって来る者はもういない。

 一人たたずむ。

 年甲斐もなく感傷に浸ってしまった。

 別にいいよね。若い頃の自分がそう言っている。

 嬰は一つ自問してみる。

 こう思うのは思い上がりかもしれない。

 あの時、伯昌はくしょうは何も恐れなかった。そう思っていた。

 でも、こんなのはどうだろう。

 あいつは、自分――嬰を失うことが怖かったのではないだろうか。 

 だから、あんなことを言って、逃げた。

 少しの笑みと、ちょっとの涙が出た。


 目が覚めると、もう力が入らなかった。

 それでも何かに引っ張られるように本堂から這い出て、嬰は歩き始める。

 足がおぼつかない。

 何度も歩いたこの道を進む。

 そして、道はそこで行き止まりだった。

 千貫せんがんたき

 役目を終えた者の墓。

 昔、つま先が浮いた場所。

 足が滑る。水もない滝壺へと転げ落ちた。

 あの時、足が滑っていれば――。

 そんなことを思う。

 もう力も入らない。本来、昼に使命を終えていたはずだったのだろう。

 不思議なものだ。自分と似た小娘に助けられるなんて。

 ああ、最後に夢が見れた。

 滝が湧いたと嬰は思った。

 一粒の滴が顔に伝い、流れて消えた。



 最後の道の先。

 あの人がいる。

 ああ、待ち人が来てくれた。

「今まで、ご苦労であった」

 伯昌がいる。

 自分は夢を見ているのだろう。そう思った。

「では、参ろう」

 どちらへ?

「覚えておるか」

 何を?

「皆、なか半尺はんじゃくである」

 ああ、片時とて忘れたことなどない。

 無論。覚えておりますとも

「皆が待っている」

 龍は生きながらにして死の世界とつながっている。

勿論もちろん、私も」

 つまり、もう嬰も永くない。

 それでもいいや。嬰はそう思った。

「わかりました」

 永遠の半尺。

 その再会は夢だったのだろう。

「今、参ります」

 たった一歩。

 それだけが二人を裂いて、でも繋げてもいて。

 ようやく、その一歩を嬰は踏み出す。

 そして、

 言い忘れていた言葉が口から漏れた。

 ありがとう――



 最後に。

 嬰のその笑顔を見たものは誰もいなかった。


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