第8話 待ちし者

 僊仁せんにんが連れてきたのは、何もない単なる岩場だった。

 かくは一言も口にしない。僊仁が一人ごちているようにも見える。

「わかっただろう。理由が」

 鶴は理解は出来た。でも、納得が出来なかった。

 即身天そくしんてん、ということ。

 滝はもうない。

 残された滝壺は哀しいくらいがらんどうだった。

 しかし、鶴の中にはまだくすぶる物がある。

「僊仁様、」

「鶴。もう一度聞きます」

「え、あっ、はい」

 遮られた。

 逃げた。そう鶴は感じた。

「なぜ、そなたはここに」

 答えられない。

 用意していたはずの言葉が、鶴の口からはついぞ出てこない。

「儂の話を聞いて、何か思うところはなかったか」

 鶴は無言なり。

「そうか。まだ話し終えて一刻も経っておらぬし、な」

 そう言って、僊仁は背を向けた。

「今日はゆっくり休んで、考えるのがよいだろう」

 小さく見える背中はこう語っている。

 自分自身には踏み込まないでほしい、と。

 鶴にはそう思えた。

「なに、鶴。其方そなたはまだ若い。答えなどすぐに見つからないか。ただ、」

 ただ、何だろう。

 顔を覗き込みたいが、見えない。

 代わりに想像してみる。

 でも今、鶴が浮かべた表情はどれもハズレ。

「もう今の世に龍は必要ない。平和、降雨だ。さあ、もう終わりにしよう」

 何とか勇気を振り絞って聞こう。そう思った。

 僊仁はもう本堂の方角へ歩き始めている。

 乾いた喉を一度唾液で潤して、叫んだ。

「僊仁様は、いかがして……、なに故、一人でこの院に!」

 止まった。

「お聞かせください! 主無き御影を守るのは何故!」

 止まったままだった。

 だめか。

 鶴はそう思う。

 しかし、僊仁は引かれるようにゆっくりと向きを変えた。

「きっと……」

 その顔は、微笑んでいた。

「そう。きっと、誰かを待っていたのでしょう」


 次第に遠のいていく足音が、闇へと消えていった。



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