第7話 昔話「分かれ道」

 当時はまだ参道も整備がなされており、僧院を訪れる者もあった。

 僊仁院せんにんいんに来る者の多くは罪人であったと言われている。むしろ、そういった者の方が罪を償うために修行に打ち込んだらしい。

 龍の力と聞けば、すがってみたくなるのも不思議ではない。

 かく言う伯昌もまたその一人だと分かったのは後のこと。

 娘を手にかけた。

 それが最後まで未練だったのだろうか。未練など持って僧院に足を踏み入れるなどもってのほかだったのに。

 さて、最終門前を終えると、その門の先で轟々ごうごうとそびえ立つのは千貫せんがんの滝。その横に目をやると、人が通れるかどうか微妙な大きさの穴が見つかる。

 普通の成年男子では通り抜けられない。

 当然、即身天そくしんてんに選ばれた者も。

 こんなものが存在しているのには、以下の御題目おだいもくがある。

 

 即身天なる者にとって、最後の選択である。

 穴からは下界が透けて見え、幸福な日々が待ち受ける。

 滝は何もない。何も映すことはなく、何も触れる物はなく、何も口に出来ることはなく、何も聞こえることはなく、何の匂いもしない。

 第六感を持つ者のみ、その先にある龍と合一となる。

 持たぬ者は横の穴から逃げ出すほかない。


 このような事情のために穴は存在し続けている。これまでこの穴を通り抜けた者など一人もいないのに。



 即身天の2日前のこと。

 小さな火災があった。すぐに消し止められるも理由は判然とせず。別段被害もなかったのでたいした対策もしないでいる。



 即身天の前日。

 燃えている。夜だというのに空は赤く映え、僧院で悲鳴が上がる。

 賊。

 正しくは、戦争の最中にどさくさでやってきた武士だった。前日の火は内通者によるものと明らかになったのは後になってから。

 この時、伯昌はくしょうは儀式の待機中だった。

 最優先事項は自らの身を守ること。

 しかし、伯昌は罪を犯してはならない。人を殺すなどもってのほか。即身天がそのようなことをすれば龍は怒り、ちんけな人間など一捻りにされてしまう。

 横にいるちっこいのが、伯昌を守っている。

 えいがいた。

 嬰も無論、罪負人つみおいびと。こちらは親を死なせている。

 嬰は選ばれた者ではない。

 しかし、強い。

 嬰は15まで、貴族の長男として育てられている。他に兄弟はない。男装をしていたのである。

 ところが17の時に宮中を追われ、とある貴族の嫁入りしたらしい。それから3年が経ち、今は僊仁院にいる。

 その間に何があったのか、残っている資料はない。分かることは、嬰が逃げ出して消息を絶った数日後、親が処刑されたことである。


 罪などお構いなし。

 そんな調子で持ち前の武勇をいかんなく発揮し、嬰は安全な方へ伯昌を護衛した。

 正しく言えば、嬰以外護衛できる者はいなかった。他の者は第四門までしか選抜で到達できなかったのだから。

 奴らは戒律を守り、門を超えずに死んでいった。

 心身深く熱心に救いを求めた者たちほど、苦しんだはずである。

 賊などはそんなものお構いなしにやって来た。

 二の門。

 三の門。

 四の門を超えて、

 五の門が見える。もう決めなくてはならない。嬰は答えが出せなかった。

 戒律を守って死ぬか、破って門を超えるか。

 

 五の門に着いた。

 かんぬきを内から締め、時間稼ぎをする。

 ときの声が近づく。

 嬰は伯昌に手を引かれ、答えが出せないまま、

 第六門を超えた。

 もちろん戒律違反である。

 もうすぐ子の刻という時、第五門が破られた。

 嬰は水中入定をする資格などない。そもそも第六門に足を踏み入れたのはこれが初めて。

 穴の存在は知らなかった。

 嬰は茫然ぼうぜんとして、周りが見えていなくて、穴を見つけてあれは何だろうと思って、

 そして、

 一発を食らった。

 何が起きたかわからないまま嬰は穴へと押し込まれ、小さな嬰はぐるぐると回り転げ落ちていった。

 嬰が転がり終えて月の灯りを認識した時、おそらくこの辺で賊によって第六門が破られている。

 そして、世界は光で染まった。


 龍は空を刺し、地を穿うがつ。

 激しい雨と雷が鳴り響き、僧院には少数の生き残りの僧たちを残し賊の姿は消えた。

 下界では雨が水たまりを作り、戦争は終わりをつげ、新芽が芽吹いた。

 伯昌は即身天を成功させ、龍となったのである。

 下界では民が半狂乱に叫びだし、宮中では最高権力者が突然苦しみだしてそのまま亡くなったという。

 そして、嬰の行方を知る者はいない。

 


 龍を見たものもそれ以来いない。

 そして、千貫の滝ももうない。


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