第6話 小休止
「まだこの僧院に活気もあり、下界で争いがあった時代の話」
「それ以来、女人も
鶴は尋ねる。
僊仁は音をたてずに水を
「いや。即身天になったものはいない」
鶴には何か引っかかった。
違和感をみすみす逃がすような鶴ではない。
しかし、その違和感が何なのか思っていても形にならない。言葉にできなかった。
すると、僊仁が言葉をぽつりと零す。
一度聞いたことがあった。
「女人には関係がない話だ」
ついでにもう一つ、ほろり零れた。
黒ずんでいる血だった。
鶴の顔からは血の気が引いた。
また倒れられたりしたら叶わない。そんなことを思って、
「僊仁様! やはりお加減がよろしくないのでは。今日はもう休まれて――」
「よい。よいのだ」
「しかし」
そんなこと言っても、やはり休ませるべきだ。
鶴がその考えを実行に移そうと片膝を立てると、僊仁は同じ言葉を繰り返した。よい。しかし。
その会話が三度行われ、もう一度僊仁が血を
次の言葉は零れたというより、吐いた、そう嬰は思った。
「続きがある。だから、鶴よ。いや、鶴殿。どうか、お聞きください」
自分は聞かなければならないのだろうか。
鶴は一度立てた膝を元に戻し、視線を床に落とす。
好奇心よりも僊仁への心配が勝っていた。
だから、だけど、
僊仁を見る。まだ、目は死んでいない。
自分だから聞かねばならぬ。そう思い直す。
僊仁の顔を見ていると、なぜか今は亡き曾祖父の顔が脳内に浮かんだ。しばらく忘れていた曾祖父は、いつも笑顔だったような気がする。あんなに嫌だった話達が、その笑顔と一緒に輝いているように見えた。
今となっては、自分以外に覚えている奴などいやしないかわいそうな話達。そういえば、酔って曾祖父から聞いた話をしている時に、母親に言われたことがあった。
あんた、
その時は、尻尾を踏まれた猫のように怒り立て、何べんも反論の言葉を連ねて、必死に否定の限りを尽くした。
しかし、今はどうだろう。
堂内を見渡す。まだ雨は戸を叩いているが、もう陽は完全に落ち、目の前には一人の僧がいる。その姿が、楽しそうに話す曾祖父の姿と重なる。
確信したことがある。
皆、聞いてもらいたかったのだろう。
寂しかったのだろう。忘れられてしまうことが。
今になって思う。
なぜ、身を乗り出して曾祖父の話を聞いてやらなかったのだろう。曾祖父の気持ちなど、もう知ることもないと思っていた。
その答えは、時空を超えた。
自分がここに何故やってきたのか。その答えがわかった。
だったら、自分が今すべきことは――
小さな坊主頭がお辞儀をした。
「お願いします」
僊仁は小さくうなずいて、口を動かさずにこう言った、はずである。
ありがとう
声というより、小さな音だった。鶴に聞こえただろうか。
「では、続きを」
雨はまだ降り続く。
床に置かれた器の水はゆっくりと凪いで、溶けていった。
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