第4話 昔話「選ばれし者」
さて、
この二人、実に優秀。
伯昌は
最も
嬰は
嬰の得意とする修行に配心がある。これには、僧同士を交流させて万物と心を通じさせる能力を養う、という題目がある。
しかし、この二人、
配心の際、いつも伯昌の問いに嬰が答え、嬰が問うと伯昌が答える。
――問。夏を越した蝉がいる。夏は続いているか。
――解。夏は続く。蝉が夏と同一であるから。
他に口を挟む僧はいない。いないというよりできない。
二人の配心は訳が分からないから。いつもしまいには口喧嘩するから。二人一緒だと近寄りたくない。
では、仲が悪いのかといえばそうでもない。談笑していることもよくあったという。
――ミミズが気持ちよさそうだ。
――ダンゴムシも気持ちよさそうだぞ。
本当にこの二人でいいのだろうか。
本堂では、ただ
僧院の理念は、一つとして変わらず受け継がれてきた。
僊仁院の
万物は個にしてなるが、個のみにしてならず。全ての物は一つにしてならぬが、総体としての一つに通じる。
そのため、配心のような協調も重視されているのだった。
嬰は伯昌以外との配心は上手いのに、伯昌とはいつも喧嘩になってしまう。
当然、即身天となる者は資格を持ち得ていなければならぬ。
万事に通じる頭脳、修行を耐える心、周囲の人望を集める器の大きさ、豊かな感受性、すべてを引き受ける度量、
そして、天との対話ができる者。
即身天には試験がある。
即身天に選ばれるためには、全部で六つの門を通らなければならない。六つの門を通らなければならないことから、「第六感」とも呼ばれる。
これは、人知を超えた感覚がなければ龍になどなれぬ、というふざけ半分、本気が半分。いつの時代も冗談が好きな奴は多い。
それぞれの門では異なる題が課され、修行者を
落第したものは、それより先に一歩たりとも踏み入れてはならない。どれだけ突破したかで、階級が決まってくるともいえる。
そして、最後の六つ目の門。
一番
第六門は最後であることから最終門とも呼ばれ、そこで「
これまで、選抜の度に最終門に辿り着いたのは常に一人。逆に言えば、ここまで辿り着いて選ばれなかった者は一人とていない。
つまり、先例によって考えれば、一番容易いはずだった。
最初に門を通ったのは伯昌。
やはり優秀。僧院の頭である
さて、僊仁の横に居並ぶ
彼らは、脳内でありもしない先例を叩き起こそうとしている。
――二人ともが最終門を通ってしまったら。もし教えに反するような判断をしてしまったら、
そんな不安に心が満たされていたからであろうか。
彼らはその結果が出たときに、喜んだ。
今、門は扉を固く閉じている。
嬰は「最終門前」に落ちた。話は早い。理由も簡単。
嬰が女人であったから、である。
嬰はその結果に泣いた。
嬉しそうな男どもの顔を見て、また泣いた。
僧院に来て以来初めて流す涙だった。
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