第四話 現世万取締課②

あかがち寮から徒歩で二十分の距離にある地上八階地下二階建ての鉄筋コンクリート造の所謂帝冠様式の建物――冥府庁本庁舎。

その五階の北側の突き当りに現世万取締課は存在している。


あの後、凪斗、嵐太と共に朝ご飯を済ませたオレ達は話の流れで四人一緒に出勤することになった。


それはいい、それはいいんだけど。


取締課へ向かう廊下を歩きながらオレは隣を歩く燎をちらりと見遣る。


――あれからずっと燎の機嫌が悪い。


表面上は普通にしてるから凪斗や嵐太は気が付いていないけど、そもそも『負の感情』を食べるオレはそういう感情に対してはかなり敏感になるし、何よりいつも一緒にいる相棒の感情くらい分かる。

現にさっきからこいつオレの方一度も見ようとしないし。


……やっぱさっき八つ当たりしたの悪かったかな。遅かったとは言え燎はちゃんと助けてくれたのに。


でも…………。


そんな悶々とした気持ちを抱いたまま、取締課の入り口から中に入る。


「おはようございまーーす」


「……はよ、ッス」


「お早う御座います。」


「おはよーございます!」


それぞれが挨拶をすれば、入り口から見て左側に置いてある一般的なオフィスとかでよく使われる「島型」と呼ばれる配置で向かい合って置かれている八つのオフィスデスクの前で談笑していたらしい二十代半ばくらいのダークブラウンのマッシュヘアに目尻の下がった切れ長の橙色の瞳の端正な顔立ちの好青年と高校生くらいの黒髪のショートレイヤーヘアに長い睫毛の下の二重で大きな赤色の瞳を持つ見目麗しいという言葉がピッタリな美少年がこちらを振り返った。


「おや、これはまた大所帯だね。お早う、皆。」


「本当だ。でもこれで今日は遅刻者は無しみたいだね、千影、燎、凪斗、嵐太、おはよう。」


人の良さそうな笑みを浮かべ美少年――神沢瑛斗かんざわあきとと好青年――加地冬哉くわちとうやがくすくすと笑う。


「……おはよ、瑛斗、冬哉。遅刻者無しってことは、智晴ともはる千尋ちひろさんももう?」


奥側の列の入り口に一番近いデスク――オレのデスクに通勤用のショルダーバッグを置いて尋ねれば瑛斗が軽く頷いた。


ちなみに席順は入り口側からオレと嵐太が向かいあってて、嵐太の右隣に凪斗、冬哉、智晴、オレの左隣に燎、千尋さん、瑛斗となっている。

そして智晴と瑛斗のデスクから少し離れた窓際、入り口から見て真っ正面に置かれているのは課長のデスクだ。


「うん。と言うか僕と千尋はさっき任務が終わってこっちに戻ってきたばかりだからね。ちなみに千尋は今、コーヒーいれに行ってるよ。」


「俺と智晴も昨夜遅くにやっと任務が終わってさ。寮の門限も過ぎてたし、ここに泊ったんだ。智晴は千尋さんの手伝いに行ってる。」


「……そっか、それで皆、今朝寮の食堂にいなかったんだ。――お疲れ様。」


そう言ってへらりと笑えば冬哉と瑛斗に頭を撫でられた。


な、何で?


ちなみに燎はと言えばオレ達のやりとりに意を介した様子もなく、さっさとオレの隣の自分の席へと腰を下ろしている。

それが面白くなくて眉を寄せると瞳を瞬かせた冬哉が少しだけ声を潜めて「喧嘩でもした?」と尋ねてきた。


…………喧嘩って言うか……。


「……知んない! 燎がオレの事無視してるだけ!!」


思わず意地を張ってそのままどかりと席に腰を下ろせば燎がピクリと反応するのが分かった。


そんなオレと燎を交互に見ていた冬哉が、何かを察した様にあーー……と苦笑してオレの頭を軽く撫でる。


「何となく分かったけど。燎、ほどほどにしておきなよ?」


「そうだね。そのままだと業務に支障が出るし、何より男のは見苦しいよ?」


「え?」


冬哉に続き瑛斗まで苦笑して言った言葉の意味が分からなくて座ったまま冬哉と瑛斗を見上げるけど二人とも軽く肩を竦めただけだった。


見苦しいって……?


「あら、ちょっと席を外してるうちに全員集合してるわね。おはよう、皆。」


首を傾げていると入り口から聞こえてきた艶っぽい声にそちらへ顔を向ければ、そこにはここにいる全員の中で一番背の高い燎と同じくらいの身長で、絹のように艶やかな紫暗色の背中の半分くらいまでの髪を首の後ろで一つに括り、顔の右半分を前髪で隠したまさに妖艶な美女……基、妖艶なオネエ――扇田千尋せんだちひろさんが湯気を立てるマグカップが乗ったお盆を持って立っていた。


「お早う御座います、千尋さん。」


「おはよー、千尋さん!」


同じようにそれぞれのデスクに座った凪斗と嵐太が挨拶すれば千尋さんがにこりと微笑む。


「おはよう、狛犬ちゃん達。相変わらず正反対ね、可愛いわ。」


そう、凪斗と嵐太は現世で誰からも忘れ去られ、神さえ去った空っぽの神社を二人で守っていた狛犬だ。

ちなみに凪斗が「阿像」の獅子で、嵐太が「吽像」の狛犬なんだよね。


千尋さんの「可愛いわ」にどことなく本気さを感じ取り、微かに顔を引きつらせている凪斗を見ながらぼんやりと考えていると、千尋さんの吊り上がった切れ長の金色の瞳と目がぱちりと合った。


「おはよ、千尋さん。」


「おはよう、千影ちゃん。なぁに、変な顔して。何かあったの?」


先程のやり取りを聞いてない筈の千尋さんにまで言われ、思わず自らの頬に触れる。


……オレ、そんなに分かりやすいかな?


そんなオレを不思議そうに見ていた千尋さんが燎に視線を向けた瞬間、ああ、と得心がいったように頷いた。


「ちょっと燎。あんた、千影ちゃん困らせてんじゃないわよ。本当ケツの穴の小さい男ね。」


「……うっせえぞ千尋。」


ちなみに千尋さんって燎に対しては何でかは知らないけど塩対応な事が多いし、燎も千尋さんのが先輩なんだけど遠慮のない物言いするんだよね。


ってか……。


オレの事は無視するくせに千尋さんとはちゃんと話す燎にムッとすると冬哉と瑛斗がさらに苦笑を深めた気がした。


……だって、どうしても面白くないんだもん。


その思いが抑えきれずに、燎の袖口をきゅっと摘まんだ瞬間、取締課に所属している最後の一人。

瓶覗色の癖のない髪をオールバックにした吊り目なため少し顔がきつく見える青白磁色の瞳の美人――水城智晴みずしろともはるが購買の袋を持って入り口から入ってきた。


「おい、扇田。言われた通り朝飯買ってきた、ぞ!?」


オレと燎を中心としてどこかオロオロしている凪斗と何故か楽しそうな嵐太、そして呆れかえった様な顔を燎に向けている残り三人という異様な空間に智晴が一瞬動きを止めた。


「…………おはよ、智晴。」


ちらりと彼に視線を向け言えば、智晴がはぁーーと大きく嘆息する。


「夢前、火坂。お前らまた喧嘩しているのか。」


「…………喧嘩じゃないもん。」


唇を尖らせながら答える。


そう、こんなの喧嘩じゃない。


だって……。


燎の袖をさらに強く握りしめて彼を見遣る。


「……ね、燎。オレがさっき言った事で怒ってる? 燎は助けてくれたのに、あんなこと言ったから。……違うよね? 燎、いつもそんな事で怒らないし。だから燎の気持ち言ってよ。……オレ、今燎が何で怒ってるのか分からない。分からないとちゃんと謝る事も出来ないから。だから、さ。――っ、オレの事、無視しないで。」


話しているうちに段々震えそうになる声を必死に抑え告げれば、オレが袖を掴んでる手とは反対の手で燎が後頭部を掻き、先程の智晴のように大きくはーーと息を付いた。


「――千影。」


そのまま袖を掴んでいた手を取られ、軽く引っ張られる。


「っ、わっ!!?」


まさかそんな事されるとは思ってなくて、引っ張られた勢いのまま座っていたオフィスチェアから腰が浮き、中途半端な体勢で燎の方へ倒れ込みそうになった瞬間。


ぐいっと後頭部を固定されベロリと燎の舌がオレの唇を舐めあげた。


「…………え。」


燎の黒曜石の瞳を見つめ、ぬるりとした熱い舌の感触を思い出した一拍後、かああああああっと顔に熱が集まった。


「…………なっ!? なぁっ――――!!?」


咄嗟にべしりと燎の顔を手のひらで叩こうとすれば、逆にその手を取られ、この前のように掌の中心をべろりと舐められる。


普段、オレが消化不良を起こしてない限り燎はこんな事しない。


ふざけてほっぺとかおでこ、手の甲や掌にキスされる事はあってもそれは二人きりの時で、さすがに皆の前でこれはなかった!!


「なっ……っ、か、燎!!?」


「…………顔、真っ赤だぞ、千影。」


そのまま掌に燎の唇が押し当てられてぴくっと手が震える。


「だ、っ、だって、燎が……っ! 今までこんな、皆がいるところではしなかったのに!」


そう叫べば、何故か皆の視線が生温いものに変わった様な気がしたのは気のせいだと思いたい。


「ああ、そうだったんだけどな。今朝はさすがに腹が立ったんだよ。」


「――――え。」


それって、オレに?


そう尋ねる前に燎の顔が寄せられる。


え、ちょ、ちょっと、待って!!


「……か、燎っ!!」


「――――ほぉ、何にそんなに腹が立ったんだ?」


燎の唇が重ろうとした刹那、智晴の後ろ――入り口から聞こえてきた地を這うような低い声にさすがに燎がぴたりと動きを止めた。


背後から感じる強烈なプレッシャーにギギギ、と油の切れたロボットのようにこの上なくゆっくりとぎこちなく振り返るとそこには、年の頃は三十代前半から半ば。黒髪の短髪にがっしりとした体つきの体をオレ達が着ている取締課の制服とは少し異なり、肩章と右肩に飾緒が付いた黒のナポレオンコートに包んだ四白眼の藍色の瞳の非常に精悍な顔立ちをしているオレ達の上司――識田棗しきたなつめ課長が腕組をして立っていた。


「…………識田、課長…………。」


誰もが動けない中、恐る恐るその名を呼べば、ゴゴゴゴ、という効果音を背負っている課長が全く笑ってないその藍色の瞳を細め口を三日月状に吊り上げた。


「――――ヒッ!!?」


そのあまりの迫力に燎にしがみつく。


……ちなみに課長の種族は鬼の中でもずば抜けて超人的な力を持つとされる鬼神だ。


つまり、何が言いたいかと言うと。

誰も敵わないし、ましてやただの妖怪であるオレなんて一捻りだ。


「……朝っぱらから職場で不純同性行為とは随分余裕だな。夢前、火坂。――今すぐ俺の部屋に来てもらおうか、この馬鹿者共が。」


そう言って識田課長がくいっと親指で取締課に併設している課長室に続くドアを指す。


――あ、詰んだ。


思わず口の中でそう呟けば、課長の眼光がさらに鋭いものに変わる。


「……一分以内に来なければ身の保証は出来んぞ、いいかすぐに来い。」


それだけ言うと課長は入り口から去っていった。


そして、シン、と静まり返った取締課の中。


「………………~~~~!!」


何か色々理不尽な気がしてならなかったオレはとりあえず燎の鳩尾に一発拳を叩き込んだ。






「ち、かげ、てめぇ……っ!!」


「燎が悪い! さっきのは絶対燎が悪いっ!! 馬鹿!! ばかがり!!」


鳩尾にモロに一発食らい呻く燎の襟首を掴んだ千影が罵倒しながらずるずると引きずって隣の課長室へ向かった後、残された面子は一様に深く溜息を付いた。


「……あ、あの、千影さんと燎さんって、やはり付き合ってるんでしょうか?!」


二人の一連の行為にかなり動揺しながらもそう尋ねた凪斗に冬哉が小さく息を付く。


「……それに答える前にさ、今朝あの二人に何があったか教えてくれる?」


「あ、は、はい。」


一つ頷き、今朝の寮での事を詳しく凪斗が説明していくうちに、嵐太と凪斗以外の全員の顔が完全に呆れたものに変わっていった。


「……成程な。つまり、また火坂のアレか。」


「本当、ケツの穴の小さな男よね。それくらいであんな風に千影ちゃんに当たるなんて。」


思い切り眉間に皺を寄せた智晴と困ったものね、と頬に手を添えた千尋が頷き合う。


「え……えっと……?」


「つまり、あの二人って付き合ってるの? 付き合ってないの?」


「~~~~!! だから、敬語使えって言ってるだろう!」


ますます混乱する凪斗に背後から抱き着いて言った嵐太に凪斗が声を荒げた。


それを、まあまあと止めたのは瑛斗だ。


「――結論から言えばあの二人は付き合ってないよ。ただ、少なくとも燎の方は千影をかなり特別視しているからね。……千影が自分以外の相手と仲良くしてると激しく嫉妬するくらいには。」


「…………え、じゃあ燎さんが千影さんを無視してたのって……。」


「そう、簡単な話、ヤキモチよ。多分その嵐太ちゃんとのラブラブ発言に妬いたんじゃないかしら? それを言った嵐太ちゃんにも否定しなかった千影ちゃんにも。だから、千影ちゃんに下手に手ぇ出すと厄介なのよね、あいつ。」


「さっきのキスもどきも俺達全員への牽制だろうね。……ただ、千影が鈍感すぎるのも問題なんだよね。――普通、いくら相棒でも消化不良で動けない千影を助けるためにキスはしないでしょ。」


「ああ、実際千影の消化不良は燎くらいの力があれば触れるだけで十分な筈だしね。……それにあの掌へのキスもね、意味を知っていてわざとあそこにしているんだったら、かなりの曲者だと思うよ。」


「千影ちゃんも、心の奥底では分かっていると思うのよね。じゃなきゃ、あいつにされるがままになんてなってないでしょうし。」


ぽんぽんと交わされる先輩達の会話を半ば唖然として聞いていた凪斗がこくりと唾を飲み込んだ。


「――つまり、千影さんと燎さんって……。」


「…………現世の人間達がたまにネットで言うだろう?」


それを引き継いだ智晴がさらに眉間に皺を寄せ続ける。


「「「「――『リア充爆発しろ』」」」」


ぴったりと揃った四つの声に凪斗が顔を引きつらせた。

つまりはそう言う事らしい。


と言うわけで、この日現世万取締課の面々は花形コンビへの共通認識をより強固なものに改めたのだった。

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